異世界喫茶『甘味屋』の日常

癸卯紡

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レイチェル・フォン・ミストレア

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 レイチェル・フォン・ミストレア、それがこの王女様の名前だ。以前、レイチェル王女は公務で町の外に出ていたとき盗賊たちに襲われ、そこをライラに助けてもらって以来、ライラを気に入った王女様が何かあるごとにライラを呼び出しては親交を深めてきたようだ。

だが、最近ではミストレアの王の体調が芳しくないためレイチェル王女は王に代わって公務に追われる日々を送っている。そんな理由もありライラともなかなか会えずにいたようで互いに久々の再会を喜んでいた。

「姫様、お久しゅうございます。お父上が病床に伏せられていると聞いて心配しておりました」

「あらライラ様、そんな堅苦しい喋り方はやめてください。ここには私とライラ様、それにライラ様の従者しかいないのですから」

『ライラ様の従者』というのは俺とニナのことだろう。貴族や王族などといった連中は日本にいた時に漫画や小説でしか見たことなかったが、そのどれもが外面だけを取り繕い裏では自分より身分の低い者に対して横柄な態度をとっていたことだけは覚えている。

俺が貴族や王族といった連中にあまり関わりたくないのはそういった負のイメージが強いからだ。今の気分的には社長や部長の厳しい目に晒されながらプレゼンをする御前会議のような状況と似ている───胃がキリキリする。

「いえ姫様・・・・」
「レイチェルよ!」

レイチェルがライラの言葉を遮るように言葉を被せた。

「失礼しました。では改めて・・・・。レイチェル様、彼らは私の従者ではございません。彼らは私の国の者でもなく私は彼に雇われ護衛として同行しているのです」

ライラがいつもの喋り方でないことも気にはなったがそれよりも・・・・。

「あの、私の国というのは? ライラさんってエゼルバラルの冒険者なのではないのですか?」

刹那、レイチェル王女が少し驚いた顔で俺を見ると何やらすべてを理解したようにハァッと溜め息を一つ吐いた。そんなにも素っ頓狂な質問をしたつもりはないのだが、どうやら俺はレイチェル王女に少し呆れられてしまったようだ。

「わかりました。この話はこれくらいにして本題に入りましょう」

「「 本題? 」」

「はい、今日は甘味屋さんにお願いがあって来たのです。今度冒険者ギルドの昇級試験が開催されるのはご存じでしょうか?」

「はい、存じております。うちの従業員のニナも受けたがっておりましたから」

「従業員? ああ、さきほどの獣人の子供ですか」

レイチェルは無表情で開店準備のためホールの清掃をしているニナへと視線を向けた。王族とはいえライラの知り合いだからと少し期待した自分がバカだった。この王女様も結局はこの世界の人間であることに変わりなく、獣人に対しての差別や偏見があるのだろう。そうでなければ無表情であんな冷たい視線をニナに向けない。

問題なければこの王都にしばらく住んで営業するのもいいかとも思っていたが、どうやらここも早々に去ることになるかもしれない───そう思ったのだが・・・・。

「レイチェル様、ご自分でも言っておりましたがここには私たちしかいないのですよ」

さきほどから無表情でなぜかニナを凝視しているレイチェルにライラが言う。

俺にはライラが何を言いたいのかわからなかったが、その言葉を聞いたレイチェルはさっきまでとはうって変わり、顔を綻ばせ突然ニナへと飛び掛かった。ニナに危害を加えようと飛び掛かったのだと思い焦った俺は慌てて王女を止めに入ろうとしたのだが逆にライラから制止されてしまった。

「なぜ止めるんですかライラさん!? ニナが・・・・」

「落ち着けマスター殿。よく見てみるといい」

「え?」

俺を制止したライラがニナと王女がいる方を指差すと、そこにはニナを愛でている王女の姿があった。否、『愛でる』という表現は違う気がする。あれは『愛でる』というより『モフる』といった方が正しいだろう。

王女はニナに抱きつき自分の顔をニナの顔に当てスリスリしたりニナの頭をわしゃわしゃと撫でまわしたりニナの頭にあるケモ耳に鼻をつけクンクンと匂いを嗅いだりしていた。ニナも相手が王女様ということもあって拒むわけにもいかず困った顔で苦笑いを浮かべながら王女様の『戯れ』に付き合っていた。


「キャ~~~、この子本当に可愛いわね。タヌキの獣人さんね」

「猫なのですよ!」

「はいはい猫さん、猫人族の獣人さんね。もう何でもいいわ、だって可愛いのだもの!!! 可愛さの前にそんなものは小さな問題よ」

さっきまでの無表情とニナへと向けられていた冷たい視線はなんだったのだろう。俺はどういうことかとライラに尋ねた。

「レイチェル様は・・・・なんというかその・・・・獣人が大好きなのだ」

「はぁ?」

 ライラの話を要約するとこうだ。レイチェル王女は可愛い子供の獣人が大好きで見ると無性に愛でたくなるらしい。だが、王が病に伏せてからは人前では王族の威厳を保つためにもこの『癖』を無理矢理封印していたのだとか。どうやら彼女がニナを見る時の無表情と冷たい目は湧き上がる自分の感情を必死に押し殺し、なんとか平静を保とうとしていたためだったようだ。


「あの、王女様。そんなにくっつかれるとお掃除できませんですよ」

「お掃除? いいわ、掃除するニナちゃん、本当に尊いわ!! でも掃除はあとにしてこっちで私と一緒に甘味をいただきましょう。今日は私がニナちゃんにご馳走しちゃうわ!!」

「えぇ~~~!?」

「それと、王女様ではないわ!! 私のことはレイチェル・・・・いや、お姉ちゃんと呼びなさい!!!」

「えぇ~~~!?」

ハァハァと鼻息荒くこの王女は何を言っているのだろう。もはや王女の威厳などニナという存在を前にして木っ端みじんに吹き飛んでしまっていた。ニナもどうしていいかわからず困ってしまっていたため俺とライラが彼女たちの間に割って入る。

「レイチェル様、一旦落ち着きましょう」

「あらライラ様。いくらアナタといえど私の覇道、いや獣道の邪魔をすることは許しませんことよ!?」

      ────本当に何を言っているんだこの人・・・・。

正気を失ってしまっているレイチェルにライラとニナも困っているのを見た俺は急いでカウンターの中へと行くと湯を沸かしコーヒーの準備をする。結局、俺にできる事はこれしかないのだ。

それから数分後、俺はニナを愛で続けているレイチェル、それを止めようとしているライラ、困り果てているニナの3人を呼ぶとカウンター席に並んで座るように言う。

「お待たせしました。柏餅とカフェマキアートになります」

「あら、私こんなもの注文しておりませんわよ?」

「こちらは当店からのサービスです。ぜひご賞味ください」

ライラとレイチェル、2人の注目はカフェマキアートより柏餅のようだった。まぁ、俺の店は『甘味は絶品だが出される飲み物は泥水』などという噂が流れているようなのでレイチェルが飲み物に見向きもしないのは仕方ないだろう。

また何やら見慣れぬ葉で巻かれた柏餅は異様に見えたようだ。2人が少し食べるのを躊躇しているとレイチェルの隣に座ったニナが餅に巻かれた葉を器用に剥がし一口で柏餅を食べた。

「うん、やっぱりますたぁのカシワモチは絶品なのですよ。これもプリンやパンケーキにマケズオトラズなのは間違いないのです」

ニナは柏餅を一つ食べるとほうじ茶の入った湯呑を両手で持って一口飲む。ニナはまだ10歳のためカフェインの入ったコーヒーを飲ませていないため甘味のお供はお茶かジュースなのだ。

「これはカシワモチの評価をシューセーしなければなりませんですね。星3つなのです」

カシワモチはニナの評価を上げたようだ。というか、ニナはスイーツを食べる度に「評価を修正」している。おそらく、ニナの審査ではその時食べたスイーツがその時点での最高評価を得るのだろう。

ニナが食べるのを見ていたレイチェルもニナを真似て葉を剥がすと餅を一気に口へと放り込んだ。

「これもまた美味しいですわね。これほどまでに美味なる甘味を扱う貴方は本当に何者なのでしょうか?」

何者なのかと言われても困る。俺はただのコーヒー屋の店主であってここは甘味よりコーヒーを味わってもらいたくて開いた店なのだから。

ただ、不本意なことにコーヒーより甘味の方がこの世界で有名になってしまい、更に不本意なことに店名が甘味屋となってしまったが、あくまで俺の店は甘味より珈琲がメインの喫茶店だ。

「あら、これは・・・?」

出された柏餅を完食したレイチェルは一緒に出されたカフェマキアートへと目が移る。うちで出されるのはどす黒く、飲むと泥水のような味がする不気味なコーヒーという飲み物という噂を聞いていたレイチェルは不思議そうな顔をしている。

「カフェマキアートというコーヒーです」

「これがコーヒーというものなのですか? それにしては何というか・・・・ずいぶんと可愛いですね」

レイチェルのカップに入ったカフェマキアートにはキュートなクマがデザインされており、そのクマの右側には小さなハートが縦並びに3つ描かれていた。これは俺が大学時代にアルバイトをしていた喫茶『とりあえず』のマスターであるロクさんこと蜂屋六兵衛の娘から教わったものだ。

獣人好きのレイチェルならクマのカフェマキアート、略してクマキアートを気に入ってくれるのではと思って出したのだが読みは的中したようだ。それからしばらくの間レイチェルはカップをいつまでもニヤニヤしながら眺めていた。


   ・・・・結局、この王女様の用件ってなんだったんだろう?
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