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スヴァルトからシーエルへの手紙①
俺は文字や手紙を書いたことが無いから。
この手紙でお前に俺の気持ちがお前にちゃんと伝わるか分からない。
簡潔に書くから、よく聞いて欲しい。
俺はこのまま、ここを出られずに終わっても良いと思っている。
俺なんかを助ける方法を探さなくていい。
お腹の子とお前が幸せであるならば、他に何もいらない。
この地は今、とても危険な状態だ。
もう二度と会えなくなっても、お前たちを永遠に愛している。
*
ヴァシスは庭園でのお茶会の後、自室に戻って休んでいた。
色々な事がありすぎて混乱し、とても疲れたと思う。
白いクマのぬいぐるみは、枕元に置いてある。
よく見ると、クマの足に何か文字のような物が刺繍してあり、しかし人間の使う文字とは異なっているようで解読できなかった。
持ち主の名前だろうか…?
ぼんやり考えていると、扉がノックされた。
誰だ…?
とりあえず、返事をしたら、子どもが入ってきた。
「かーさま、ここにいらっしゃったのですね?探しましたよ!お留守番ありがとう。大丈夫でしたか?ぼうやも、いい子にしていましたか?」
小さなべルムが小走りに近づいてくる。
その後を、リゴが顔を真っ青にした追いかけてきた。
「すまん!お前がベルムの寝室に居なかったから大騒ぎをして…魔法を使いだしたから…手が付けられなくなって、連れてきてしまった…」
一時的な現象だと思って居たので、まだべルムが小さいままだったことにショックを受けた。
ヴァシスは、どう接したらいいのか分からず、リゴを見上げると、リゴも、同じような顔をしていた。
「とりあえず、ちょっと待て、タイミングが悪いことに…今日に限ってあの変態女医が留守なんだ。あいつにさえ連絡が取れれば何とかなる筈。…戻るまで、おままごとだと思って付き合ってくれ、じゃあな!」
リゴはそれだけ言い終わると、そそくさと部屋から出て行ってしまった。
変態女医とは、カルルテの事だろうか?
同盟を結ぶ予定の人間との交流のために何日か泊まりで出かけているはずだ。
ヴァシスは腹をくくり、べルムに話しかける。
「べルム…ここへ座ってくれ」
「はい、なんですか?」
明るく返事をしたべルムが、ベッドに飛び乗った。
「俺は…かーさまでは無い。ぼうやも、ここには居ない。」
小さな肩にそっと手を置き、ゆっくりと伝える。
べルムの紅い瞳がゆらゆらと揺れた。
「分かりません…かーさまは、何を言ってるの?」
「目を覚ませ、戻って来い。俺はお前と話がしたい」
べルムはしくしくと泣き出してしまった。
「父上がっ…あんなに優しかった父上が…っ。おかしくなってしまった…。僕の5歳の誕生日の少し前に、母上が人間の偉い人のところにっ…話し合いに行ったんです」
しゃくりを上げ泣きながら、何とか言葉を吐き出すべルムは、俯いて肩を震わせる。
ヴァシスは「うん」と、頷いて、次の言葉を待った。
「父上は母上だけで行くことを心配していました…でも、母上が大丈夫だからって…人間は優しいから、きっと大丈夫だからって言って…うっ、あまり大勢で行っては警戒されてしまうからと…少しの従者だけ連れて…お城を出ました」
ヴァシスはべルムを抱きしめた。
小さなべルムは、その後しばらく話せないでいた。
しかし呼吸を整えて、ポツポツと語り出す。
「僕の誕生日には帰ってくる予定でした…誕生日当日の…お昼になって、贈り物が届いて、父上は、僕の誕生日祝いだと思って、開けました。…ううっ…は…その…中に…」
過呼吸のような状態になったべルムは、震えながら、涙をボタボタと流す。
ヴァシスは彼の背中を優しく撫でるしか無かった。
「母上の…首と…っ、ううっ…一緒に行った従者の首が入って…」
*
魔王ダーグは悲鳴をあげ、慌てて玉座から飛び降りた。
何とかして妻の首を身体に繋げようとし、辺りを見渡すも、身体はそこには無かった。
回復魔法が使えないダーグは、何とかして回復魔法を使える者を国中から集め、首だけでも何とか保存し、身体を取り返して繋げようと試みたが、身体は既に人間によって焼かれた後だった。
また、首だけではどうにもならず、結局、王妃の死亡が確認された。
怒り狂った魔王ダーグは、一晩で相手の国を滅ぼし、全ての人間を一瞬で灰にした。
今まで魔族が人間に手を出さなかったのは、力が無いからだと思っていた各国の王は、怯え、魔族領地との間に大きな高い壁を建設した。
予想に反してダーグは、人間の領土には攻めては来なかったものの、魔族を攻撃した国は容赦なく潰して行った。
そうして領土を拡大させた魔族に、対抗する為、人間界では悪魔を捕えて力を増幅させた者を勇者とし、魔王討伐を行うことにしたのだった。
*
「リゴ、どうしよう…父上が、怖いよ」
「悪いのは全部人間だ。全員殺すなんて簡単な事なのに魔王様はお優しいから…攻撃してきたやつだけ殺すに留めているんだ」
「どうして?今までは攻撃してきたって、許してあげてたじゃない」
「人間が裏切りやがったからだ。調子に乗りやがってあのゴミ共め。王妃様をっ」
リゴが獲物を食い殺す獣のような目をしている。
べルムは怖くなってシクシクと涙を流した。
「おい、べルム…お前そんなに泣き虫で…魔王様の役に立てんのかよ…魔力は一丁前なのに…なんでそんな…いや、優しいのは…王妃様に似てんのか…」
リゴは、ベルムの頭をポンポンと優しく叩いた。
きっと王妃様が生きていらっしゃって今、この状況を見たら魔王様を怒って止めるだろう。
「本当に…あの王妃様のお供に俺も着いて行っていればなぁ…こんな事には…」
人間があの時、どんな手を使ったか分からない。
王妃様だって、馬鹿じゃないし魔力もそこらの人間とは比べられないほど高い。
連れて行った従者も、強くは無いとはいえ、それなりのメンバーだった筈だ。
どんな手を使って…殺されてしまったのか。
「みて!リゴ、あれ何かな?」
べルムが指さした崖の下の川辺に、白い何かが、落ちていた。
少し離れたところに、馬の死骸と木の残骸が散らばっている。
馬車が落ちたのだろう。
「人間か?」
「生きてるかな?助けなきゃ!」
勢い良く駆け出すベルムに、なんでそうなるんだよ~ほっとけよ!とリゴが叫んだが、こういう時のべルムには何を言っても無駄だと分かっていた。
*
馬2頭と、御者の老人と、1歳くらいの男の子は傷が深く、既に事切れていた。
女性が1人、重症だが生きている。
べルムは、最近覚えた回復魔法を女性の腹部へと注ぎ込んだ。
「ねえ、リゴも早く手伝って!」
「お前…それが人に物を頼む時の態度かよ…俺は人間なんぞ全員死ねば良いと思ってるから無理だぞ」
岩にもたれかかり、紅い前髪から灰色の鋭い瞳を覗かせて、リゴは面倒臭そうに返事をした。
それを受けてべルムが無表情になった。
怒ったか?
「手伝えリゴ、王子命令だ」
急に声のトーンを低くして、べルムが真っ赤な瞳でリゴを睨みつけた。
あ~クソ、コイツ、こういう時ダーグ様そっくり。
「ハイハイ」
リゴは折れた手足の回復を行った。
普通の人間と様子が違うので、魔族かなと思ったがやはり人間のようだ。
真っ白な肌に、虹色に輝く長い髪。
金色の刺繍が施されたクリーム色のドレス。
服装からして、高貴な生まれのようだった。
「ううっ…」
と呻き声をあげて人間がうっすら目を開ける。
美しいアメジストの瞳と目が合った。
*
べルムとリゴは、彼女を城に連れ帰った。
彼女は何を喋っているのか、分からなかったが何となく行動を見ているうちに子どもを探している事に気がついた。
ぼうや、ぼうやと泣きながら言っている。
子どもの名前だろうか?
子どもの亡骸は損傷が激しく、とても母親には見せられそうに無かった。
リゴが、埋葬しておくと言って、墓地へ持って行ってしまったので、この母親がいくら泣き喚いたところで、返すことができない。
べルムは、何か気の紛れるものは無いかと、人間の手荷物を覗いた。
バスケットには、パンと、ティーセット、フルーツが入っている。
小さなバッグには、人間の紙幣と、便箋。手紙と、ペン。
白いクマのぬいぐるみが2つ入っていた。
いくつか手渡してみて、白いクマを最後に手渡すと落ち着いたようで、彼女は、その場にしゃがみ込んだ。
しばらく、クマをあやしていたがベルムに気がついて手招きをした。
何かまた、欲しいものがあるのかと思って寄っていくと、優しく抱きしめられる。
白いクマと一緒にゆらゆらと揺すられて、背中をトントンとリズムに乗せて叩く。
彼女は歌っているようだった。
べルムは彼女の胸に顔を埋めていつの間にか泣いていた。
残酷に殺されてしまった優しい母と、それにより怒りに狂ってしまった父。
狂った父親を止められるのは自分だけだが、その力も度胸も勇気も今の自分には無い。
5歳の彼は、孤独と戦っていた。
彼女の背中に手を回して、艶やかな髪を触る。
光に当たるとより一層キラキラと輝いた。
神様が、居るのであればこういう人なのかもしれない。
いや、もしかしたら、この人は神様?
「名前…あなたの名前はなんですか?」
しばらく返事はなく、歌っているようだったが、かあさまはね、とぬいぐるみに言っている気がした。
「かーさま?」
「ええ、母様はここに居るわよ」
きっと、かーさまという名前だと思った。
もう一度、かーさま言うと、彼女は、なあに?と優しく答える。
幼いべルムに人間の言葉は難しいと感じていたが、何となく組み立てて、数日後には会話ができるようになっていった。
彼女はあまり、食事を取らなかった。
長い時間ずっと、2つのぬいぐるみをあやして歌っている。
「なぁ、さすがにこういう人間は見たことがない。様子が変だぞ。事故のショックで狂っちまったんじゃないのか?ぬいぐるみを子どもだと思っているんだろ?」
リゴが、ベルムの寝室に来て、残ったサラダとスープの皿を片付ける。
べルムは、彼女をぼんやり見つめた。
「うん…何とか治してあげられないかなぁ…紅茶とパンを少ししか口にしないんだよ…どうしよう」
「人間の医者に見せた方がいいんじゃないのか、魔王様にバレたら殺されるし、そっと人間の里に戻した方が…このままだと最悪、死なせてしまうかもしれない…」
べルムは、リゴの言う通りだと思った。
このままでは、この人を助けてあげられない。
人間の居るところまで連れて行ってあげれば、助かるかもしれない。
「分かった。明日、授業が午前中で終わるから、午後から一緒に来てくれ」
「なんでまた俺を巻き込むんだよぉ~1人でやれよ~」
リゴがうんざりした顔で答えるのを、べルムはニコニコして見つめていた。
*
「ぼっちゃま、魔王様がお呼びです。謁見室へ来るようにと」
べルムは授業終わりに執事に声をかけられた。
嫌な予感がする。
妻を殺された魔王ダーグは、人間への復讐で頭がいっぱいになっており、息子の事など目に入らなくなっていた。
なのに、呼び出される理由…
どうか、違う理由であって欲しい。
心臓が、とんでもない速さで脈打ち、頭がフラフラする。
震える足を何とか前に出し、言われた通り謁見室の扉を開ける。
真っ赤な血の海の真ん中に、白い女が横たわっていた。
「父上!!何で、やめてください!!!」
まだ、彼女は生きているようだった。
早く回復しなければ。
「なぜ~?こんな薄汚い生き物がぁ…?あなたの寝室に…?答えなさいべルム」
「倒れていたので、一時的に保護しただけです!午後には、人間の領地に引渡す予定ですから、手を出さないで…」
言葉を言い終わるのを待たずに、顔に強い衝撃が走る。
左耳の鼓膜が破れ、べルムの身体は床に打ち付けられた。
左目から出血し、歯が折れたのか口内にも血が溜まる。
「保護…?何を言っているんですかぁ~べルム。魔族の領土に入った人間は、全て、すべて、皆殺しにするお約束でしたよねぇ?」
「父上、いい加減に目を覚ましてください!!!武装した兵士ならともかく…こんな女性1人迷い込んだだけで…そんなのは、虐殺です」
「黙りなさい…!!!今ここで、この女を殺せば…許してあげましょう。私はあなたの父親ですからねぇ…できないというのであれば、そこで大人しく見ていなさい…リゴ!!」
はい、と返事をしてリゴが魔王の隣に現れた。
彼は、顔中切り刻まれて、青い血が滴り落ち白い服が真っ青に染まっていた。
「リゴ、たぶんあの子にはあの女は殺せないようだから、動かないように押さえつけておきなさい」
「分かりました」
「リゴ、彼女を連れて逃げろ…」
べルムの言葉に、リゴは、小さく首を振った。
リゴは、ゆっくりべルムの傍まで来て、膝を落とす。
耳元で小さな声で呟いた。
「苦しまないように、俺が眠らせておいた。諦めろ、魔王様は本当にお前を殺す気だ。俺は、お前とあの女なら、あの女を死なせる選択をする」
「馬鹿か!クソっ!」
もう少しで彼女に手が届くところまで走った所で、腕を掴まれてリゴに押さえつけられる。
べルムは、仰向けに転がった状態でら全ての魔力で魔王ダーグに攻撃を仕掛けた。
魔力尽きるまで父を攻撃したが、舞散った砂埃から姿を表したダーグは無傷だった。
「ふふふ、所詮はまだ5歳。お子ちゃまですねぇ、痛くも痒くもありませんよ」
「離せ!!!リゴ!!!」
べルムの絶叫は、虚しく響く。
「べルム…愚かな息子…あなたの負けですよ☆」
魔王ダーグの指先がヒュっと音を立てて空を切る。
同時に、女の頭が跳ねて、落ち、床に転がった。
彼女の頭は、べルムの前まで転がって止まる。
彼女は安らかに眠った表情のままだった。
「リゴ、回復魔法!!!リゴ、早く」
「残念ながら…俺の力じゃ切断された首までは治せません」
ボタボタとリゴの顔から青い血が滴り落ち、べルムの首と頬を濡らしていく。べルムは呻き声をあげた。
「ぐっ…あ゛あ゛あ゛!!!」
「おやおやおや、…回復魔法が、地面を這っている」
感心したような声を出した魔王が、じっと面白そうにこちらを見つめる。
べルムの身体から発生した回復魔法は、小さなミミズのように地を這い、落ちた彼女の首に到達する。
その後、何度か発生した小さな回復魔法の糸は、彼女の首に数本巻き付き、彼女の細胞を繋げようと蠢くものの、途中で力尽き消えていく。
べルムはとっくに魔力を使い果たしている筈なのに、何度か回復魔法を飛ばそうと試みていた。
しかし、5分経過した時に鼻血を出し、10分経過した時に吐血した。
15分経過した時に、全てを諦めた声でリゴに提案した。
「…リゴ…お前自分の顔の傷…治したら?」
「俺の傷治すんだったら…お前の内臓治すわ…ボロボロじゃねぇか…」
30分が経過し、治癒魔法が完全に効かなくなる時間になる。
魔王ダーグは、静かに謁見室から出ていった。
「痛った…ダメだ腕が持たねぇ…面倒だからこのまま回復するぞ」
べルムの上に倒れ込んだリゴが、全身からやわやわと金色の光を放つ。
回復魔法が、べルムとリゴを少しずつ癒していった。
べルムは、彼女の首を見つめながら、彼女の歌声を思い出す。
それはずっと耳の奥で反響し、脳を侵食して行くような優しく美しい声だった。
俺は文字や手紙を書いたことが無いから。
この手紙でお前に俺の気持ちがお前にちゃんと伝わるか分からない。
簡潔に書くから、よく聞いて欲しい。
俺はこのまま、ここを出られずに終わっても良いと思っている。
俺なんかを助ける方法を探さなくていい。
お腹の子とお前が幸せであるならば、他に何もいらない。
この地は今、とても危険な状態だ。
もう二度と会えなくなっても、お前たちを永遠に愛している。
*
ヴァシスは庭園でのお茶会の後、自室に戻って休んでいた。
色々な事がありすぎて混乱し、とても疲れたと思う。
白いクマのぬいぐるみは、枕元に置いてある。
よく見ると、クマの足に何か文字のような物が刺繍してあり、しかし人間の使う文字とは異なっているようで解読できなかった。
持ち主の名前だろうか…?
ぼんやり考えていると、扉がノックされた。
誰だ…?
とりあえず、返事をしたら、子どもが入ってきた。
「かーさま、ここにいらっしゃったのですね?探しましたよ!お留守番ありがとう。大丈夫でしたか?ぼうやも、いい子にしていましたか?」
小さなべルムが小走りに近づいてくる。
その後を、リゴが顔を真っ青にした追いかけてきた。
「すまん!お前がベルムの寝室に居なかったから大騒ぎをして…魔法を使いだしたから…手が付けられなくなって、連れてきてしまった…」
一時的な現象だと思って居たので、まだべルムが小さいままだったことにショックを受けた。
ヴァシスは、どう接したらいいのか分からず、リゴを見上げると、リゴも、同じような顔をしていた。
「とりあえず、ちょっと待て、タイミングが悪いことに…今日に限ってあの変態女医が留守なんだ。あいつにさえ連絡が取れれば何とかなる筈。…戻るまで、おままごとだと思って付き合ってくれ、じゃあな!」
リゴはそれだけ言い終わると、そそくさと部屋から出て行ってしまった。
変態女医とは、カルルテの事だろうか?
同盟を結ぶ予定の人間との交流のために何日か泊まりで出かけているはずだ。
ヴァシスは腹をくくり、べルムに話しかける。
「べルム…ここへ座ってくれ」
「はい、なんですか?」
明るく返事をしたべルムが、ベッドに飛び乗った。
「俺は…かーさまでは無い。ぼうやも、ここには居ない。」
小さな肩にそっと手を置き、ゆっくりと伝える。
べルムの紅い瞳がゆらゆらと揺れた。
「分かりません…かーさまは、何を言ってるの?」
「目を覚ませ、戻って来い。俺はお前と話がしたい」
べルムはしくしくと泣き出してしまった。
「父上がっ…あんなに優しかった父上が…っ。おかしくなってしまった…。僕の5歳の誕生日の少し前に、母上が人間の偉い人のところにっ…話し合いに行ったんです」
しゃくりを上げ泣きながら、何とか言葉を吐き出すべルムは、俯いて肩を震わせる。
ヴァシスは「うん」と、頷いて、次の言葉を待った。
「父上は母上だけで行くことを心配していました…でも、母上が大丈夫だからって…人間は優しいから、きっと大丈夫だからって言って…うっ、あまり大勢で行っては警戒されてしまうからと…少しの従者だけ連れて…お城を出ました」
ヴァシスはべルムを抱きしめた。
小さなべルムは、その後しばらく話せないでいた。
しかし呼吸を整えて、ポツポツと語り出す。
「僕の誕生日には帰ってくる予定でした…誕生日当日の…お昼になって、贈り物が届いて、父上は、僕の誕生日祝いだと思って、開けました。…ううっ…は…その…中に…」
過呼吸のような状態になったべルムは、震えながら、涙をボタボタと流す。
ヴァシスは彼の背中を優しく撫でるしか無かった。
「母上の…首と…っ、ううっ…一緒に行った従者の首が入って…」
*
魔王ダーグは悲鳴をあげ、慌てて玉座から飛び降りた。
何とかして妻の首を身体に繋げようとし、辺りを見渡すも、身体はそこには無かった。
回復魔法が使えないダーグは、何とかして回復魔法を使える者を国中から集め、首だけでも何とか保存し、身体を取り返して繋げようと試みたが、身体は既に人間によって焼かれた後だった。
また、首だけではどうにもならず、結局、王妃の死亡が確認された。
怒り狂った魔王ダーグは、一晩で相手の国を滅ぼし、全ての人間を一瞬で灰にした。
今まで魔族が人間に手を出さなかったのは、力が無いからだと思っていた各国の王は、怯え、魔族領地との間に大きな高い壁を建設した。
予想に反してダーグは、人間の領土には攻めては来なかったものの、魔族を攻撃した国は容赦なく潰して行った。
そうして領土を拡大させた魔族に、対抗する為、人間界では悪魔を捕えて力を増幅させた者を勇者とし、魔王討伐を行うことにしたのだった。
*
「リゴ、どうしよう…父上が、怖いよ」
「悪いのは全部人間だ。全員殺すなんて簡単な事なのに魔王様はお優しいから…攻撃してきたやつだけ殺すに留めているんだ」
「どうして?今までは攻撃してきたって、許してあげてたじゃない」
「人間が裏切りやがったからだ。調子に乗りやがってあのゴミ共め。王妃様をっ」
リゴが獲物を食い殺す獣のような目をしている。
べルムは怖くなってシクシクと涙を流した。
「おい、べルム…お前そんなに泣き虫で…魔王様の役に立てんのかよ…魔力は一丁前なのに…なんでそんな…いや、優しいのは…王妃様に似てんのか…」
リゴは、ベルムの頭をポンポンと優しく叩いた。
きっと王妃様が生きていらっしゃって今、この状況を見たら魔王様を怒って止めるだろう。
「本当に…あの王妃様のお供に俺も着いて行っていればなぁ…こんな事には…」
人間があの時、どんな手を使ったか分からない。
王妃様だって、馬鹿じゃないし魔力もそこらの人間とは比べられないほど高い。
連れて行った従者も、強くは無いとはいえ、それなりのメンバーだった筈だ。
どんな手を使って…殺されてしまったのか。
「みて!リゴ、あれ何かな?」
べルムが指さした崖の下の川辺に、白い何かが、落ちていた。
少し離れたところに、馬の死骸と木の残骸が散らばっている。
馬車が落ちたのだろう。
「人間か?」
「生きてるかな?助けなきゃ!」
勢い良く駆け出すベルムに、なんでそうなるんだよ~ほっとけよ!とリゴが叫んだが、こういう時のべルムには何を言っても無駄だと分かっていた。
*
馬2頭と、御者の老人と、1歳くらいの男の子は傷が深く、既に事切れていた。
女性が1人、重症だが生きている。
べルムは、最近覚えた回復魔法を女性の腹部へと注ぎ込んだ。
「ねえ、リゴも早く手伝って!」
「お前…それが人に物を頼む時の態度かよ…俺は人間なんぞ全員死ねば良いと思ってるから無理だぞ」
岩にもたれかかり、紅い前髪から灰色の鋭い瞳を覗かせて、リゴは面倒臭そうに返事をした。
それを受けてべルムが無表情になった。
怒ったか?
「手伝えリゴ、王子命令だ」
急に声のトーンを低くして、べルムが真っ赤な瞳でリゴを睨みつけた。
あ~クソ、コイツ、こういう時ダーグ様そっくり。
「ハイハイ」
リゴは折れた手足の回復を行った。
普通の人間と様子が違うので、魔族かなと思ったがやはり人間のようだ。
真っ白な肌に、虹色に輝く長い髪。
金色の刺繍が施されたクリーム色のドレス。
服装からして、高貴な生まれのようだった。
「ううっ…」
と呻き声をあげて人間がうっすら目を開ける。
美しいアメジストの瞳と目が合った。
*
べルムとリゴは、彼女を城に連れ帰った。
彼女は何を喋っているのか、分からなかったが何となく行動を見ているうちに子どもを探している事に気がついた。
ぼうや、ぼうやと泣きながら言っている。
子どもの名前だろうか?
子どもの亡骸は損傷が激しく、とても母親には見せられそうに無かった。
リゴが、埋葬しておくと言って、墓地へ持って行ってしまったので、この母親がいくら泣き喚いたところで、返すことができない。
べルムは、何か気の紛れるものは無いかと、人間の手荷物を覗いた。
バスケットには、パンと、ティーセット、フルーツが入っている。
小さなバッグには、人間の紙幣と、便箋。手紙と、ペン。
白いクマのぬいぐるみが2つ入っていた。
いくつか手渡してみて、白いクマを最後に手渡すと落ち着いたようで、彼女は、その場にしゃがみ込んだ。
しばらく、クマをあやしていたがベルムに気がついて手招きをした。
何かまた、欲しいものがあるのかと思って寄っていくと、優しく抱きしめられる。
白いクマと一緒にゆらゆらと揺すられて、背中をトントンとリズムに乗せて叩く。
彼女は歌っているようだった。
べルムは彼女の胸に顔を埋めていつの間にか泣いていた。
残酷に殺されてしまった優しい母と、それにより怒りに狂ってしまった父。
狂った父親を止められるのは自分だけだが、その力も度胸も勇気も今の自分には無い。
5歳の彼は、孤独と戦っていた。
彼女の背中に手を回して、艶やかな髪を触る。
光に当たるとより一層キラキラと輝いた。
神様が、居るのであればこういう人なのかもしれない。
いや、もしかしたら、この人は神様?
「名前…あなたの名前はなんですか?」
しばらく返事はなく、歌っているようだったが、かあさまはね、とぬいぐるみに言っている気がした。
「かーさま?」
「ええ、母様はここに居るわよ」
きっと、かーさまという名前だと思った。
もう一度、かーさま言うと、彼女は、なあに?と優しく答える。
幼いべルムに人間の言葉は難しいと感じていたが、何となく組み立てて、数日後には会話ができるようになっていった。
彼女はあまり、食事を取らなかった。
長い時間ずっと、2つのぬいぐるみをあやして歌っている。
「なぁ、さすがにこういう人間は見たことがない。様子が変だぞ。事故のショックで狂っちまったんじゃないのか?ぬいぐるみを子どもだと思っているんだろ?」
リゴが、ベルムの寝室に来て、残ったサラダとスープの皿を片付ける。
べルムは、彼女をぼんやり見つめた。
「うん…何とか治してあげられないかなぁ…紅茶とパンを少ししか口にしないんだよ…どうしよう」
「人間の医者に見せた方がいいんじゃないのか、魔王様にバレたら殺されるし、そっと人間の里に戻した方が…このままだと最悪、死なせてしまうかもしれない…」
べルムは、リゴの言う通りだと思った。
このままでは、この人を助けてあげられない。
人間の居るところまで連れて行ってあげれば、助かるかもしれない。
「分かった。明日、授業が午前中で終わるから、午後から一緒に来てくれ」
「なんでまた俺を巻き込むんだよぉ~1人でやれよ~」
リゴがうんざりした顔で答えるのを、べルムはニコニコして見つめていた。
*
「ぼっちゃま、魔王様がお呼びです。謁見室へ来るようにと」
べルムは授業終わりに執事に声をかけられた。
嫌な予感がする。
妻を殺された魔王ダーグは、人間への復讐で頭がいっぱいになっており、息子の事など目に入らなくなっていた。
なのに、呼び出される理由…
どうか、違う理由であって欲しい。
心臓が、とんでもない速さで脈打ち、頭がフラフラする。
震える足を何とか前に出し、言われた通り謁見室の扉を開ける。
真っ赤な血の海の真ん中に、白い女が横たわっていた。
「父上!!何で、やめてください!!!」
まだ、彼女は生きているようだった。
早く回復しなければ。
「なぜ~?こんな薄汚い生き物がぁ…?あなたの寝室に…?答えなさいべルム」
「倒れていたので、一時的に保護しただけです!午後には、人間の領地に引渡す予定ですから、手を出さないで…」
言葉を言い終わるのを待たずに、顔に強い衝撃が走る。
左耳の鼓膜が破れ、べルムの身体は床に打ち付けられた。
左目から出血し、歯が折れたのか口内にも血が溜まる。
「保護…?何を言っているんですかぁ~べルム。魔族の領土に入った人間は、全て、すべて、皆殺しにするお約束でしたよねぇ?」
「父上、いい加減に目を覚ましてください!!!武装した兵士ならともかく…こんな女性1人迷い込んだだけで…そんなのは、虐殺です」
「黙りなさい…!!!今ここで、この女を殺せば…許してあげましょう。私はあなたの父親ですからねぇ…できないというのであれば、そこで大人しく見ていなさい…リゴ!!」
はい、と返事をしてリゴが魔王の隣に現れた。
彼は、顔中切り刻まれて、青い血が滴り落ち白い服が真っ青に染まっていた。
「リゴ、たぶんあの子にはあの女は殺せないようだから、動かないように押さえつけておきなさい」
「分かりました」
「リゴ、彼女を連れて逃げろ…」
べルムの言葉に、リゴは、小さく首を振った。
リゴは、ゆっくりべルムの傍まで来て、膝を落とす。
耳元で小さな声で呟いた。
「苦しまないように、俺が眠らせておいた。諦めろ、魔王様は本当にお前を殺す気だ。俺は、お前とあの女なら、あの女を死なせる選択をする」
「馬鹿か!クソっ!」
もう少しで彼女に手が届くところまで走った所で、腕を掴まれてリゴに押さえつけられる。
べルムは、仰向けに転がった状態でら全ての魔力で魔王ダーグに攻撃を仕掛けた。
魔力尽きるまで父を攻撃したが、舞散った砂埃から姿を表したダーグは無傷だった。
「ふふふ、所詮はまだ5歳。お子ちゃまですねぇ、痛くも痒くもありませんよ」
「離せ!!!リゴ!!!」
べルムの絶叫は、虚しく響く。
「べルム…愚かな息子…あなたの負けですよ☆」
魔王ダーグの指先がヒュっと音を立てて空を切る。
同時に、女の頭が跳ねて、落ち、床に転がった。
彼女の頭は、べルムの前まで転がって止まる。
彼女は安らかに眠った表情のままだった。
「リゴ、回復魔法!!!リゴ、早く」
「残念ながら…俺の力じゃ切断された首までは治せません」
ボタボタとリゴの顔から青い血が滴り落ち、べルムの首と頬を濡らしていく。べルムは呻き声をあげた。
「ぐっ…あ゛あ゛あ゛!!!」
「おやおやおや、…回復魔法が、地面を這っている」
感心したような声を出した魔王が、じっと面白そうにこちらを見つめる。
べルムの身体から発生した回復魔法は、小さなミミズのように地を這い、落ちた彼女の首に到達する。
その後、何度か発生した小さな回復魔法の糸は、彼女の首に数本巻き付き、彼女の細胞を繋げようと蠢くものの、途中で力尽き消えていく。
べルムはとっくに魔力を使い果たしている筈なのに、何度か回復魔法を飛ばそうと試みていた。
しかし、5分経過した時に鼻血を出し、10分経過した時に吐血した。
15分経過した時に、全てを諦めた声でリゴに提案した。
「…リゴ…お前自分の顔の傷…治したら?」
「俺の傷治すんだったら…お前の内臓治すわ…ボロボロじゃねぇか…」
30分が経過し、治癒魔法が完全に効かなくなる時間になる。
魔王ダーグは、静かに謁見室から出ていった。
「痛った…ダメだ腕が持たねぇ…面倒だからこのまま回復するぞ」
べルムの上に倒れ込んだリゴが、全身からやわやわと金色の光を放つ。
回復魔法が、べルムとリゴを少しずつ癒していった。
べルムは、彼女の首を見つめながら、彼女の歌声を思い出す。
それはずっと耳の奥で反響し、脳を侵食して行くような優しく美しい声だった。
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