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05.地獄
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シーエルからスバルトへの手紙⑤
子ども達が1人で歩けるようになりました。
少しでも目を離すと、すぐに何処かへ走って行ってしまうので乳母と一緒に追いかける毎日です。
名前は「イアス」と「アイリス」と名付けました。
同じ歳の子より、少し成長が早いみたい。
もう、大人のような口調でお話できます。
子ども達の力で、あなたを救えるかもしれないという調査報告が来ました。
予定通り、次のタイミングで子ども達と一緒に向かいます。
*
大人達に捕らえられたオークの子どもは、引き摺り回され、殴られ叩かれ、切り刻まれた。
辺り一面血の真っ赤な海と化し、咽せ返るような生臭さが漂う。
ヴァシスは何とか話を聞いてもらおうと、大人達とオークの間に割り込もうとしたが、大人達は暴走していてまともな状態では無かった。
誰かの振り上げた棒で額を殴られて、倒れ込んだ先の岩で後頭部を強打してしまったヴァシスの身体は痙攣を起こして思うように動かなくなってしまう。
ぼんやりとした意識の中、ずっと、オークの子どもの叫び声を聞いていた。
「助けて、痛い、やめて、ごめんなさい」
「君、助けて、助けて!」
「ぎゃああああああ!!!」
断末魔の叫びは、ヴァシスにしか聞こえなかった。
ヴァシスの脳内にだけ、こびり付いた。
大人達は皆、笑顔だった。
楽しそうに残虐に、小さな1匹を沢山の大人が取り囲んで殺していた。
彼が動かなくなっても、ずっとずっと振り下ろし続けた。
男達は勝利を喜び、女達は安堵の声を漏らした。
ヴァシスは、彼のボロボロになった死体を、起き上がる事も出来ずに泣きながら見つめる事しかできなかった。
*
オークを引き寄せた不吉な子。
人間の姿をしている魔族のスパイ。
村で噂になり、子どもは勿論、大人にも無視をされたり危害を加えられるようになった。
約束を破って山へ入ったヴァシスを、怒り狂った育ての親は家畜用の鞭で足を何度も叩き、ヴァシスは数週間歩く事ができなくなった。
歩けなくなって数日後の深夜、ズルズルと地を這い、オークの子どもが死んだ場所に行くと、そこには何も無かった。
お墓を作ってあげなければ、と他の場所も探してみたが、結局何も見つける事ができなかった。
仕方がないので、花を摘んで、彼と出会った山に行く。
そこには彼が落とした籠と、木の実が散らばっていた。
籠に木の実を拾い直して入れる。
そこへ花も入れた。
ヴァシスはずっと泣きながら謝罪の言葉を繰り返した。
早く大人になりたい、強くなりたいと心の底から願った。
生まれて初めて、心にできた目標だった。
その後、足が回復するのを待って、10歳のヴァシスは勇者になる為に村を出た。
*
「ぎゃああ!ベルム様ぁ大変にゃの~!ヴァシス様が居ませんにゃの!」
大きな黒猫が大騒ぎしながら部屋の中に駆け込んで来た。
溢れかえる書類の山に埋もれて仕事をしていたべルムは、驚きすぎて、ペンを落としてしまい、ペン先が潰れる。
「何で!?窓から?」
「すみません~居眠りしてしまいましたにゃの~窓は全部閉まってましたので多分、扉からにゃの~」
じゃあ、そんなに遠くには行ってないでしょ、と、城内を走りながら彼の気配を辿る。
中庭の方向でヴァシスの魔力を感じ取った。
「多分、中庭に居る。大丈夫、俺だけ行くから戻って休んで良いよ」
ベルムは、ベソベソ泣きながら付いてくる黒猫魔獣の頭を撫でて、部屋に戻らせた。
急いで中庭に向かう。
どうしよう…昼間、俺が変な事聞いたから…?
もう少し、待つべきだった…
自分に腹が立って舌打ちをする。
ごめん、ヴァシス。
俺が悪かったから…どうか無事で居て。
*
中庭は薄暗いがいくつか電灯に照らされて、目を凝らせばどこに何があるのか把握できる。
気配を辿りながら、中庭の中央にある噴水を超えて、墓地へ入った。
「…ヴァシス」
白い塊を発見して声をかける。
地面に丸まったそれは、白い根巻きを着ているので発光しているように見えた。
少し動いてヴァシスは顔を上げる。
近づいてくるのが、ベルムだと分かると、またゆっくり地面に頭を落として目を閉じ、少し微笑んで呟いた。
「素敵なお墓をありがとう」
憎悪をぶつけられると身構えたベルムは、彼から発せられた突然の感謝の言葉に驚いて「へっ?」と間抜けな声を出してしまった。
横たわるヴァシスの前に跪くと、彼は彼の仲間達の墓の前に居る事が分かった。
偶然墓地に辿り着き、仲間の身につけていた武器や防具、杖などが置かれたこの墓を見つけたのだろう。
前魔王が殺してしまった人間達は、ベルムの部下が遺体を発見し次第こちらの墓地へと埋葬された。
勿論、遺体が回収できなかった人も居るが、歴代の勇者とその仲間達の多くがここに眠っている。
ベルムは、ヴァシスを覗き込んだ。
「ここは冷えるから、部屋に戻ろう」
「墓なんて作ってもらえてるとは思わなかった。墓石も大きくてとても立派だ。嬉しい。今晩は、ここで寝る。俺も死んだらここに入れてくれ…」
「でも…体調がまだ…」と、ベルムが説得の言葉を探していると、ヴァシスがぶつぶつと人の名前を唱え始めた。
「それは、一緒にきた仲間の名前?」
「ああ。墓石に刻んでくれないか?」
「分かった」
「プユケはまだ16歳だったんだ…彼女は歳の割には大人びていて周りの大人達に気を遣っていた。明るく朗らかでとても良い子だった」
「うん」
「騎士団長は、先月子どもが産まれたばかりで、魔導士は結婚してまだ半年しか経ってない」
「…うん」
「皆で、生きて帰る約束をした」
「…」
ベルムは、どう言葉を掛けて良いのか分からない。
ヴァシスは、静かに涙を流していた。
流れ落ちる涙が、地面に染み込んでいく。
とにかく、地面は冷たいだろうと思い、ベルムはヴァシスをそっと抱き上げた。
抵抗されるかと思ったが、意外にあっさり持ち上がり、髪や頬の土を優しく落とす。
膝の上に座らせて抱きしめた。
案の定、ひんやりとした身体を感じた。
体重が随分と減ってしまったようで、弱々しい。
抱えて立ち上がると、ヴァシスがベルムの目をまっすぐ見て聞いた。
「オークはこの城にいるか?」
「え、オーク?うん、何人か働いている」
「会話は可能か?」
「うーん、基本的には人間とは話せないみたいだけど…魔族とは会話ができる個体が居るよ。オークにも何種類かあって、北出身の体の大きいタイプのオークは鳴き声と同時に念を飛ばして魔族に感情を伝える事ができるんだ」
「魔族に…?そうか…」
ベルムの肩にヴァシスは顔を埋めた。
表情が分からないが、また泣いているのかもしれない。
まるで猫のように擦り寄ってくるヴァシスに、ベルムの心臓がバクン!と跳ねた。
またベラベラ余計な話をして心が離れていくのが怖い。
ベルムは、無言で足早に部屋に戻り、ヴァシスをベッドに横たえる。
心臓は、ギュッと伸縮しているようで痛みがまだ治まらない。
「身体が冷えたから少し回復魔法をかける。そのまま眠って良いよ」
回復中、ヴァシスはうっすらと目を開けたまま、天井を見つめていたが、また不意に口を開いた。
「北出身のオークは城に居るか?見てみたい」
「うん?確か…今日行った庭園の管理を任せている内の1人が北出身のオークだった筈、見るだけで良いのか?会って話したい事があるんじゃないの?」
「話したい事は何も無い」
「そ、じゃあまた明日、庭園に行こう」
ヴァシスからの返事は無い。
代わりに、規則正しい寝息が聞こえた。
*
目覚めたヴァシスは混乱していた。
昨晩、ベルムに回復魔法をかけてもらっている間に眠りについた筈。
自室に戻ったと思っていたが、墓地から抱えて来られたのはどうやらベルムの寝室だったようだ。
大きな天蓋付きのベッドに横になていて、いつの間にかべルムが隣で眠っている。
ヴァシスの身体はベルムに抱き締められており、完全に身動きが取れない状況だ。
冷えた身体を温めようとしてくれたのだろうか?
逆に日が高く登った今は室温が上昇し、暑いぐらいだった。
あまりにも暑くなってきたので起こそうかとも思ったが、カルルテが彼は不眠症でほとんど寝ていないという話をしていた事を思い出す。
安らかな寝顔の彼を、起こしてはいけないとじっと腕の中に収まり続けた。
「ちょっとーぉぉぉ!べルム様、いつまでダラダラしている気ですにゃ!いくら眠れないとは言え、流石に出る準備しないと午後の会議に間に合いませんにゃーよ!!!」
二足歩行の茶色い猫、が絶叫しながら部屋に入ってきた。
やはり、獣人には入室前にノックをする習慣は無いらしい。
慌てて上半身を起こしたヴァシスと、扉の前で呆然と立ち尽くすシャムの目が合った。
長い沈黙が流れ、シャムの薄緑の大きな瞳の瞳孔がキュウっと細くなる。
尻尾がボボボっと太くなって少し震えていた。
「おおおっと!?これは失礼しましたにゃ!まさか!いつの間に!にゃっ!でぃゅふふ!お気になさらず、今日の会議は延期にしておきますにゃ~☆」
「………」
バタッバタッとスキップしながら去っていく足音が廊下に響く。
ヴァシスは、面倒臭い事になった…と、後頭部をボリボリ掻いた所で、あんなに騒がしかったのにベルムがまだ目を覚まさない事に気が付いた。
「おい…」
呼びかけても反応がない。
呼吸はしているようだったが、浅い。
眠っていると言うより、意識を失っているように見える。
何度か大きく揺すったが、目を覚ます気配がない。
「コイツ、俺の回復をしてる場合か…!」
ヴァシスは、急いでベルムに回復魔法をかける。
意識を集中し、指先から光の粉を出すイメージ。
それがゆっくり放出され、ベルムの身体を包み込むイメージを頭の中に強く浮かべると、それは現実になる。
病み上がり故、放出できる力も弱かった。
ただ、順調にベルムの体内に治癒魔法が染み込んでいくのが伝わる。
しばらくして、少し回復できたのか、顔色が良くなったように思えた。
「……なんだ?」
ヴァシスは、自分の指先から放出しているエネルギーを伝って、何かが体内に侵入してくるのを感じた。
それは、うっすらとした感覚から、チクチクとした痛みを伴う確実なエネルギーへと変化する。
ベルムの体から、金色の針のようなエネルギーが、大量に放出され、ヴァシスの 首に巻きついた。
「あっ…!なに…がっ!!!」
首に巻き付き、一瞬息が出来なくなったので攻撃魔法かと思ったが、それは熱を持ってジクジクと血管へ侵入を始める。
これは…回復魔法か?
なんで首に集中している…!?
無意識でやっているのか?
べルムはまだ意識を取り戻していない。
しかし、目尻から涙が流れている。
「べルム…!魔法を止めろ!!!」
何とか声を振り絞って叫ぶが、べルムから発せられる回復魔法は首を中心にヴァシスの体内に潜り込んで行った。
まずい…
こちらが回復魔法をかけている状態はかなり無防備な状態だ。
昔、金も泊まる宿も無い時にヴァシスを寝室に呼んだ領主の話を思い出した。
「魔法は薬物と同等の効果を得られる事がある。特に回復魔法は、お互いに掛け合いながら性行為をすると、身体中の血管、細胞が全て開かれた状態になる」
ボタタッ…と、音を立ててシーツに鮮血が滴り落ちる。
ヴァシスの鼻から出た血だった。
身体中の血管にベルムの魔法が潜り込んで蠢く。
虫の這う感覚。
特に首からの強力な回復魔法は、脳へと侵入し、皮膚の下から触られているような感覚が生まれる。
「…っ!ベル…ぐっ…あ゛!」
ベルムヘ送っている回復魔法を止めて良いだろうか?
しかしこんな状態で止めてしまったら、今度こそ彼は目覚めなくなってしまうのではないだろうか?
ぼんやり考えていると、ヴァシスの身体が不規則に痙攣を始めた。
意識が何度か一瞬飛ぶ。
もう持ち堪えられそうにない。
全身に燃えるような痛みが走った後、頭だけが氷のように冷たく感じる。
その後、急激な快楽が下半身から背中へと電流のように駆け巡った。
「あっ!!ん…ぐっ!!」
耐え切れず、べルムへの回復魔法を止めてしまった。
身体が震えてしまい、治まらない。
その時『ダンッ!』と、また急に部屋の扉が開いた。
「こっのクソ野郎!午後の会議サボる気だろ!!ぶっ殺すぞ!!!」
左右にある大きな漆黒の角は羊のようにぐるっと巻いている。
暗紅色の髪を後ろで束ねた顔中傷だらけの黒い鎧を纏った魔物が、灰色の目をギラギラさせながら怒鳴り込んできたのだった。
子ども達が1人で歩けるようになりました。
少しでも目を離すと、すぐに何処かへ走って行ってしまうので乳母と一緒に追いかける毎日です。
名前は「イアス」と「アイリス」と名付けました。
同じ歳の子より、少し成長が早いみたい。
もう、大人のような口調でお話できます。
子ども達の力で、あなたを救えるかもしれないという調査報告が来ました。
予定通り、次のタイミングで子ども達と一緒に向かいます。
*
大人達に捕らえられたオークの子どもは、引き摺り回され、殴られ叩かれ、切り刻まれた。
辺り一面血の真っ赤な海と化し、咽せ返るような生臭さが漂う。
ヴァシスは何とか話を聞いてもらおうと、大人達とオークの間に割り込もうとしたが、大人達は暴走していてまともな状態では無かった。
誰かの振り上げた棒で額を殴られて、倒れ込んだ先の岩で後頭部を強打してしまったヴァシスの身体は痙攣を起こして思うように動かなくなってしまう。
ぼんやりとした意識の中、ずっと、オークの子どもの叫び声を聞いていた。
「助けて、痛い、やめて、ごめんなさい」
「君、助けて、助けて!」
「ぎゃああああああ!!!」
断末魔の叫びは、ヴァシスにしか聞こえなかった。
ヴァシスの脳内にだけ、こびり付いた。
大人達は皆、笑顔だった。
楽しそうに残虐に、小さな1匹を沢山の大人が取り囲んで殺していた。
彼が動かなくなっても、ずっとずっと振り下ろし続けた。
男達は勝利を喜び、女達は安堵の声を漏らした。
ヴァシスは、彼のボロボロになった死体を、起き上がる事も出来ずに泣きながら見つめる事しかできなかった。
*
オークを引き寄せた不吉な子。
人間の姿をしている魔族のスパイ。
村で噂になり、子どもは勿論、大人にも無視をされたり危害を加えられるようになった。
約束を破って山へ入ったヴァシスを、怒り狂った育ての親は家畜用の鞭で足を何度も叩き、ヴァシスは数週間歩く事ができなくなった。
歩けなくなって数日後の深夜、ズルズルと地を這い、オークの子どもが死んだ場所に行くと、そこには何も無かった。
お墓を作ってあげなければ、と他の場所も探してみたが、結局何も見つける事ができなかった。
仕方がないので、花を摘んで、彼と出会った山に行く。
そこには彼が落とした籠と、木の実が散らばっていた。
籠に木の実を拾い直して入れる。
そこへ花も入れた。
ヴァシスはずっと泣きながら謝罪の言葉を繰り返した。
早く大人になりたい、強くなりたいと心の底から願った。
生まれて初めて、心にできた目標だった。
その後、足が回復するのを待って、10歳のヴァシスは勇者になる為に村を出た。
*
「ぎゃああ!ベルム様ぁ大変にゃの~!ヴァシス様が居ませんにゃの!」
大きな黒猫が大騒ぎしながら部屋の中に駆け込んで来た。
溢れかえる書類の山に埋もれて仕事をしていたべルムは、驚きすぎて、ペンを落としてしまい、ペン先が潰れる。
「何で!?窓から?」
「すみません~居眠りしてしまいましたにゃの~窓は全部閉まってましたので多分、扉からにゃの~」
じゃあ、そんなに遠くには行ってないでしょ、と、城内を走りながら彼の気配を辿る。
中庭の方向でヴァシスの魔力を感じ取った。
「多分、中庭に居る。大丈夫、俺だけ行くから戻って休んで良いよ」
ベルムは、ベソベソ泣きながら付いてくる黒猫魔獣の頭を撫でて、部屋に戻らせた。
急いで中庭に向かう。
どうしよう…昼間、俺が変な事聞いたから…?
もう少し、待つべきだった…
自分に腹が立って舌打ちをする。
ごめん、ヴァシス。
俺が悪かったから…どうか無事で居て。
*
中庭は薄暗いがいくつか電灯に照らされて、目を凝らせばどこに何があるのか把握できる。
気配を辿りながら、中庭の中央にある噴水を超えて、墓地へ入った。
「…ヴァシス」
白い塊を発見して声をかける。
地面に丸まったそれは、白い根巻きを着ているので発光しているように見えた。
少し動いてヴァシスは顔を上げる。
近づいてくるのが、ベルムだと分かると、またゆっくり地面に頭を落として目を閉じ、少し微笑んで呟いた。
「素敵なお墓をありがとう」
憎悪をぶつけられると身構えたベルムは、彼から発せられた突然の感謝の言葉に驚いて「へっ?」と間抜けな声を出してしまった。
横たわるヴァシスの前に跪くと、彼は彼の仲間達の墓の前に居る事が分かった。
偶然墓地に辿り着き、仲間の身につけていた武器や防具、杖などが置かれたこの墓を見つけたのだろう。
前魔王が殺してしまった人間達は、ベルムの部下が遺体を発見し次第こちらの墓地へと埋葬された。
勿論、遺体が回収できなかった人も居るが、歴代の勇者とその仲間達の多くがここに眠っている。
ベルムは、ヴァシスを覗き込んだ。
「ここは冷えるから、部屋に戻ろう」
「墓なんて作ってもらえてるとは思わなかった。墓石も大きくてとても立派だ。嬉しい。今晩は、ここで寝る。俺も死んだらここに入れてくれ…」
「でも…体調がまだ…」と、ベルムが説得の言葉を探していると、ヴァシスがぶつぶつと人の名前を唱え始めた。
「それは、一緒にきた仲間の名前?」
「ああ。墓石に刻んでくれないか?」
「分かった」
「プユケはまだ16歳だったんだ…彼女は歳の割には大人びていて周りの大人達に気を遣っていた。明るく朗らかでとても良い子だった」
「うん」
「騎士団長は、先月子どもが産まれたばかりで、魔導士は結婚してまだ半年しか経ってない」
「…うん」
「皆で、生きて帰る約束をした」
「…」
ベルムは、どう言葉を掛けて良いのか分からない。
ヴァシスは、静かに涙を流していた。
流れ落ちる涙が、地面に染み込んでいく。
とにかく、地面は冷たいだろうと思い、ベルムはヴァシスをそっと抱き上げた。
抵抗されるかと思ったが、意外にあっさり持ち上がり、髪や頬の土を優しく落とす。
膝の上に座らせて抱きしめた。
案の定、ひんやりとした身体を感じた。
体重が随分と減ってしまったようで、弱々しい。
抱えて立ち上がると、ヴァシスがベルムの目をまっすぐ見て聞いた。
「オークはこの城にいるか?」
「え、オーク?うん、何人か働いている」
「会話は可能か?」
「うーん、基本的には人間とは話せないみたいだけど…魔族とは会話ができる個体が居るよ。オークにも何種類かあって、北出身の体の大きいタイプのオークは鳴き声と同時に念を飛ばして魔族に感情を伝える事ができるんだ」
「魔族に…?そうか…」
ベルムの肩にヴァシスは顔を埋めた。
表情が分からないが、また泣いているのかもしれない。
まるで猫のように擦り寄ってくるヴァシスに、ベルムの心臓がバクン!と跳ねた。
またベラベラ余計な話をして心が離れていくのが怖い。
ベルムは、無言で足早に部屋に戻り、ヴァシスをベッドに横たえる。
心臓は、ギュッと伸縮しているようで痛みがまだ治まらない。
「身体が冷えたから少し回復魔法をかける。そのまま眠って良いよ」
回復中、ヴァシスはうっすらと目を開けたまま、天井を見つめていたが、また不意に口を開いた。
「北出身のオークは城に居るか?見てみたい」
「うん?確か…今日行った庭園の管理を任せている内の1人が北出身のオークだった筈、見るだけで良いのか?会って話したい事があるんじゃないの?」
「話したい事は何も無い」
「そ、じゃあまた明日、庭園に行こう」
ヴァシスからの返事は無い。
代わりに、規則正しい寝息が聞こえた。
*
目覚めたヴァシスは混乱していた。
昨晩、ベルムに回復魔法をかけてもらっている間に眠りについた筈。
自室に戻ったと思っていたが、墓地から抱えて来られたのはどうやらベルムの寝室だったようだ。
大きな天蓋付きのベッドに横になていて、いつの間にかべルムが隣で眠っている。
ヴァシスの身体はベルムに抱き締められており、完全に身動きが取れない状況だ。
冷えた身体を温めようとしてくれたのだろうか?
逆に日が高く登った今は室温が上昇し、暑いぐらいだった。
あまりにも暑くなってきたので起こそうかとも思ったが、カルルテが彼は不眠症でほとんど寝ていないという話をしていた事を思い出す。
安らかな寝顔の彼を、起こしてはいけないとじっと腕の中に収まり続けた。
「ちょっとーぉぉぉ!べルム様、いつまでダラダラしている気ですにゃ!いくら眠れないとは言え、流石に出る準備しないと午後の会議に間に合いませんにゃーよ!!!」
二足歩行の茶色い猫、が絶叫しながら部屋に入ってきた。
やはり、獣人には入室前にノックをする習慣は無いらしい。
慌てて上半身を起こしたヴァシスと、扉の前で呆然と立ち尽くすシャムの目が合った。
長い沈黙が流れ、シャムの薄緑の大きな瞳の瞳孔がキュウっと細くなる。
尻尾がボボボっと太くなって少し震えていた。
「おおおっと!?これは失礼しましたにゃ!まさか!いつの間に!にゃっ!でぃゅふふ!お気になさらず、今日の会議は延期にしておきますにゃ~☆」
「………」
バタッバタッとスキップしながら去っていく足音が廊下に響く。
ヴァシスは、面倒臭い事になった…と、後頭部をボリボリ掻いた所で、あんなに騒がしかったのにベルムがまだ目を覚まさない事に気が付いた。
「おい…」
呼びかけても反応がない。
呼吸はしているようだったが、浅い。
眠っていると言うより、意識を失っているように見える。
何度か大きく揺すったが、目を覚ます気配がない。
「コイツ、俺の回復をしてる場合か…!」
ヴァシスは、急いでベルムに回復魔法をかける。
意識を集中し、指先から光の粉を出すイメージ。
それがゆっくり放出され、ベルムの身体を包み込むイメージを頭の中に強く浮かべると、それは現実になる。
病み上がり故、放出できる力も弱かった。
ただ、順調にベルムの体内に治癒魔法が染み込んでいくのが伝わる。
しばらくして、少し回復できたのか、顔色が良くなったように思えた。
「……なんだ?」
ヴァシスは、自分の指先から放出しているエネルギーを伝って、何かが体内に侵入してくるのを感じた。
それは、うっすらとした感覚から、チクチクとした痛みを伴う確実なエネルギーへと変化する。
ベルムの体から、金色の針のようなエネルギーが、大量に放出され、ヴァシスの 首に巻きついた。
「あっ…!なに…がっ!!!」
首に巻き付き、一瞬息が出来なくなったので攻撃魔法かと思ったが、それは熱を持ってジクジクと血管へ侵入を始める。
これは…回復魔法か?
なんで首に集中している…!?
無意識でやっているのか?
べルムはまだ意識を取り戻していない。
しかし、目尻から涙が流れている。
「べルム…!魔法を止めろ!!!」
何とか声を振り絞って叫ぶが、べルムから発せられる回復魔法は首を中心にヴァシスの体内に潜り込んで行った。
まずい…
こちらが回復魔法をかけている状態はかなり無防備な状態だ。
昔、金も泊まる宿も無い時にヴァシスを寝室に呼んだ領主の話を思い出した。
「魔法は薬物と同等の効果を得られる事がある。特に回復魔法は、お互いに掛け合いながら性行為をすると、身体中の血管、細胞が全て開かれた状態になる」
ボタタッ…と、音を立ててシーツに鮮血が滴り落ちる。
ヴァシスの鼻から出た血だった。
身体中の血管にベルムの魔法が潜り込んで蠢く。
虫の這う感覚。
特に首からの強力な回復魔法は、脳へと侵入し、皮膚の下から触られているような感覚が生まれる。
「…っ!ベル…ぐっ…あ゛!」
ベルムヘ送っている回復魔法を止めて良いだろうか?
しかしこんな状態で止めてしまったら、今度こそ彼は目覚めなくなってしまうのではないだろうか?
ぼんやり考えていると、ヴァシスの身体が不規則に痙攣を始めた。
意識が何度か一瞬飛ぶ。
もう持ち堪えられそうにない。
全身に燃えるような痛みが走った後、頭だけが氷のように冷たく感じる。
その後、急激な快楽が下半身から背中へと電流のように駆け巡った。
「あっ!!ん…ぐっ!!」
耐え切れず、べルムへの回復魔法を止めてしまった。
身体が震えてしまい、治まらない。
その時『ダンッ!』と、また急に部屋の扉が開いた。
「こっのクソ野郎!午後の会議サボる気だろ!!ぶっ殺すぞ!!!」
左右にある大きな漆黒の角は羊のようにぐるっと巻いている。
暗紅色の髪を後ろで束ねた顔中傷だらけの黒い鎧を纏った魔物が、灰色の目をギラギラさせながら怒鳴り込んできたのだった。
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