鎌倉お宿のあやかし花嫁

小春りん

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1巻

1-3

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「え……。い、いいんですか?」
「もちろんだ。小牧、紗和に温かい食事の用意を」
「わかりました」

 そうして小牧に食事の手配を言いつけた常盤は、空腹の紗和を吾妻亭に招き入れた。


「想像以上に広いお宿で驚きました」

 紗和が案内されたのは、〝紫陽花あじさいの間〟と名付けられた客室だった。
 紫陽花あじさいの間は吾妻亭内でも比較的奥まった場所にある。
 おかげで紗和は道中、宿泊客さながらに建物内を見て回ることができた。

「吾妻亭には一応、客室が五部屋ある。その他に宴会場や調理場、庭園に、あとは従業員の住居スペースである離れの棟や裏山――なんかも入れると、敷地自体が相当な広さであるのはたしかだ」
「そうなんですね……」

 常盤いわく、吾妻亭はその昔、あやかし界で有名な豪商の別荘だったらしい。
 手放されてから随分と時間が経って、荒れ果てていた建物を改装して始めたのが、あやかし専門のかく宿やどというわけだった。

「ところどころに置かれていた花手水はなちょうずが、すごく素敵でした」

 紗和が特に気に入ったのは、美しく手入れされた庭園に置かれた色鮮やかな花手水はなちょうずだ。
 花手水はなちょうず以外にも、吾妻亭内は掃除が行き届いており、どこを切り取っても綺麗で、随所におもてなしの心を感じさせた。

「こんなに素敵なお宿に泊まれるあやかしたちが羨ましいです」

 紗和が感嘆すると、正面に座した常盤は柔らかな笑みを浮かべてから目を伏せた。

「ありがとう。それを聞いたら、ここで働く者たちも喜ぶはずだ。……それに、俺も紗和にそう言ってもらえて、とても嬉しい」
「え……?」

 なぜ、常盤が喜ぶのだろう。
 また疑問に思った紗和は心の中で首をひねったが、

「失礼いたします。お食事をお持ちいたしました」

 タイミング悪く扉の向こうから聞こえた声に、話を打ち切られてしまった。

「その声は、阿波あわか。ありがとう、助かるよ」

 常盤の返事を受けて、扉が静かに開く。
 現れたのは、うぐいす色の作務衣さむえ小豆あずき色の腰巻エプロンを身に着けた高齢の女性だった。
 阿波と呼ばれた女性は美しい所作で一礼すると、運んできた膳を持って部屋の中に入ってきた。
 阿波がまとう色は、おおらかな印象を受ける藤色だ。

(この人も、あやかしなのかな?)

 常盤と小牧に比べ、阿波は見た目にあやかしらしい特徴が一切なかった。
 白髪で背の低い老婆だが矍鑠かくしゃくとしていて、料理を座卓の上に並べる様子も手際がよかった。

「お飲み物は、温かいお茶をご用意させていただきました」
「す、すみません。わざわざ、ありがとうございます」

 いたれりつくせりな対応に恐縮した紗和は頭を下げた。

「いえ、こちらこそお待たせして申し訳ありません。急なことでしたので、手の込んだものを作れず申し訳ありませんと、花板はないたからも伝言を預かっております」

 阿波に丁寧に一礼された紗和は、ますますかしこまった。

「紗和。阿波は吾妻亭の仲居たちを束ねる仲居頭なんだ」
「そうなんですね。お忙しいでしょうに、私のために本当にすみません」

 このままだと謝罪合戦になりそうだ。
 これではらちが明かないと阿波は思ったのだろう。

滅相めっそうもございません。僭越せんえつながら、お料理のご説明に移らせていただいてもよろしいでしょうか?」

 自然に紗和の視線を料理に誘導すると、あらためて背筋を伸ばした。

「は、はいっ。よろしくお願いします」
「お運びいたしましたのは、吾妻亭の花板はないた特製、けんちん汁御膳でございます」
「けんちん汁御膳、ですか?」
「その名の通り、こちらの御膳の主役はけんちん汁です。けんちん汁は鎌倉発祥の郷土料理と言われております。使用している野菜もすべて、鎌倉市内で採れたものです。ぜひ、温かいうちにお召し上がりくださいませ」

 そこまで言うと阿波は存在を消すように後方に控えた。
 阿波から視線を移して目の前に置かれた料理を見た紗和は、思わずゴクリと喉を鳴らした。

(お、おいしそう……)

 粒がきらめくほっかほかの白いご飯に、たくあんと胡瓜きゅうりの漬物。付け合わせの小鉢には少量の肉じゃが。
 そして、丼サイズの漆塗りの汁椀には、けんちん汁がたっぷりと入っていた。
 けんちん汁から立つ湯気が、胡麻油の香りを紗和の鼻孔まで運んでくれる。
 紗和はたまらずに手を合わせた。

「いただきます!」

 漆塗りの箸を持つ。続いて紗和が手を伸ばしたのは、もちろん鎌倉発祥と言われているけんちん汁だった。
 左手で汁椀を持ち、まずはいちょう切りされた大根を箸で掴む。
 湯気が立つ大根にフーフーと息を吹きかけ気休め程度に冷ましたあと、躊躇ちゅうちょなく口に運んだ。

「は、はふっ、はふっ。んん~~~っ!」

 熱々の大根を奥歯で噛んだら、大根に染み込んだ汁が口の中いっぱいに広がった。
 素朴であっさりとした味だが、汁に野菜のだしがたっぷりと染み出ているのがわかる。
 続いて、人参、ごぼう、里芋、ネギ――。合間に炊きたての白いご飯と甘めの肉じゃがを挟みながら、紗和は黙々と箸を進めた。

(どうしよう、幸せすぎる)

 胡瓜きゅうりの漬物でひと呼吸置いたあと、紗和は一旦、箸を箸置きの上に置いた。
 そして今度は両手で汁椀を持つと、醤油しゅうゆベースの汁をすすった。

(はぁ……これはヤバい……)

 身体中に、けんちん汁の旨味が染み渡って自然と顔がほころんでしまう。

「すごく、おいしいです。野菜の火入れ加減も抜群だし、食べたら身体だけじゃなく、心もポカポカ温まった気がします」

 空腹の限界だった紗和は、あっという間にけんちん汁御膳を平らげた。

「ごちそうさまでした」

 紗和は大満足で手を合わせた。しかし、ふと視線を感じて顔を上げる。

(え?)

 そこには座卓に頬杖をつきながら、ニコニコと嬉しそうに紗和を眺める常盤がいた。
 まさかとは思うが、

「わ、私が食べている間、ずっとそうして見ていたんですか?」

 けんちん汁御膳に夢中になっていた紗和は常盤にまで気が回らず、気がつかなかった。

「ああ。ご飯を食べている紗和も可愛いなぁと思って見ていた」

 恥ずかしげもなく答えた常盤は、「おかわりは大丈夫か?」と言って、空になった椀を指さした。

「も、もう大丈夫です」

 対する紗和は、少し引いて、膝の上でギュッと拳を握りしめた。

(彼を信じるって言ったけど、やっぱりいろいろ変だよね……)

 お腹がいっぱいになった途端、今さら冷静に頭が回転し始めた。
 そもそも常盤はなぜ、あやかし専門宿である吾妻亭に、人である紗和を連れてきたのか。
 ご飯をお腹いっぱい食べさせてもらったあとで、常盤を疑うのは忍びない。
 だけど常盤は、このあと自分をどうするつもりなのだろう――と、考えれば考えるほど、紗和の不安は大きくなった。

「あ、あの……。このたびはお食事をご用意していただき、ありがとうございました」

 紗和は姿勢を正すと、座ったまま頭を下げた。
 もう、まどろっこしく聞くのはやめよう。

「食べ終わってすぐにこのようなことを尋ねるのはとても失礼だと思うのですが、あなたは一体、何者なんですか?」

 心を決めた紗和は今度こそ誤魔化ごまかされまいと、直球の質問を常盤に投げた。
 すると常盤は一瞬目を見開いて固まったあと、頬杖をやめ、紗和に倣うように姿勢を正した。

「そうだな。紗和の空腹も落ち着いたようだし、約束通り〝これからのこと〟を話し合おう」

 常盤が今言った通り、紗和はもともとそういう提案を受けてここにやってきたのだ。

「まず、紗和が一番知りたがっているらしい、俺が何者なのかということだが」
「……はい」
「あらためてになるが、俺の名は、常盤という。見ての通りあやかしで、この吾妻亭の主人をしている」
「吾妻亭の主人を……?」

 紗和が思わず聞き返すと、常盤はニッコリと笑ってみせた。

(ああ、そうか。だから彼は、私が『ここは、あなたの家ですか?』って聞いときに、『あながち間違いではない』って言ったんだ)
「それで、その他のことについてだけど。まずは、なにから話せばいいか――」

 と、常盤が悩ましげにうなった直後、

「ひゃっ⁉」

 突然白い光が高速で現れ、ポンッ! という軽快な破裂音を立てて部屋の中で弾けた。

「常盤しゃまっ! 空き巣を無事に捕まえ、鎌倉現世の警察しゃまに突き出してまいりましたっ!」

 白い煙の中から出てきたのは、式神しきがみと呼ばれた小さな男の子だ。

「ご苦労だった。突き出す前に、ちゃんと仕置きはしておいたか?」
「もちろんでしゅ! おしりぺんぺん百叩きの刑に処してやりましたっ!」

 式神しきがみは可愛らしく敬礼しながら、自慢げに胸を張った。

「おしりぺんぺんか。仕置きとしては弱いし、本当ならあの空き巣こそ鎌倉幽世の牢に幽閉してやりたいところだったが……。仕方ないな。とりあえず、ご苦労だった」

 常盤はそう言うと、式神しきがみの頭を優しく撫でた。

「あ、あの……。いいですか?」

 また、話が脱線してはかなわない。
 思い切って手を挙げた紗和は、

「その、鎌倉――現世とか幽世とかも、なんなんですか?」

 たった今繰り広げられた会話の内容を拾って、質問を続けた。

「それには僕が、お答えしましゅ!」

 ピョコっと手を挙げたのは式神しきがみだ。

「遥か昔から、この世界には〝人が住む現世〟と、人ならざる者――〝あやかしや神しゃまが住まう幽世〟が存在するのでしゅ!」

 式神しきがみの言葉に静かに頷いた常盤は、紗和を安心させるようにほほ笑みかけた。

「ちなみに今、紗和がいるのは鎌倉現世だ」
「え……。吾妻亭はあやかし専門の宿だから、〝あやかしや神様が住まう幽世〟にあるんじゃないんですか?」

 紗和の疑問は、もっともだろう。
 常盤は「そこが少し複雑なんだが」と前置きをしてから、話を続けた。

かく宿やど・吾妻亭は、現世にあるあやかし専用の宿なんだ。しかし、紗和をここに連れてくる前に説明した通り、〝あやかしにしかえない〟ようになっている」
「じゃあ、この場所は、人の目にはどう見えているんですか?」
「広い野原だな。といっても、吾妻亭の敷地は、人の認識の中では国の指定史跡になっている」
「国の指定史跡……」

 吾妻亭は鎌倉の歴史深い場所に建っているらしい。ただし、人にはえず、あやかしにしか見つけることはできない、まさしく〝かく宿やど〟というわけだ。

「それで、他に聞きたいことは?」
「え、えっと……。じゃあ、同じ質問になってしまいますけど、そんなところにどうして私は入れたんですか?」
「それは紗和が、特別だからだよ」
「私が、特別?」
「ああ、もっと正確に言うと、〝俺の特別な人〟だからだ。人が吾妻亭に入るのは、紗和が最初で最後になるだろう」

 常盤の言葉を聞いた紗和の鼓動がドキリと跳ねた。
 紗和を見つめる常盤の目は相変わらず優しい。
 なぜならそれは、常盤にとって紗和が特別な人だから――?

「あ、あなたが私に対してそういうことを言うのは、私たちが過去に会ったことが関係しているんですか?」
「そうだな。だって俺は、紗和が相手の本質を色でられることも知っている」
「え……」

 常盤の返答に、紗和は目を見張って固まった。
 まさか、共感覚のことまで知られているとは思わなかったのだ。

(だって、それは――……)
「わ、私の共感覚のことを知っているのは、亡くなった両親と、育ての親である静子さんだけです」
「え?」
「あやかしであるあなたがそれを知っているなんて、やっぱりおかしい!」

 動揺した紗和は、反射的に叫んでいた。
 対する常盤は、目を丸くして固まっている。
 ドクドクと不穏に高鳴る胸の音を聞きながら、紗和は混乱する頭で状況を整理した。
 仮に常盤の言う通り、紗和と常盤は過去に面識があったとしよう。
 それでも紗和は、自分が覚えてすらいないあやかしの常盤に、共感覚のことまで話したとは思えなかった。
 もちろん、亡き両親があやかしである彼に話すとも思えない。

「な、なんで私の秘密を、あなたが知ってるんですか⁉」

 紗和の剣幕に、常盤も怯んでしまっていた。

(さっきも、私がキャリーケースを持ってきていたことまで知っていたし……)

 どう考えても変だ。紗和は胸の前で手を握りしめて常盤に疑いの目を向けた。
 すると……

「紗和しゃまのヒミツを常盤しゃまが知っているのは当然でしゅ!」

 常盤のピンチに黙っていられなくなったらしい式神しきがみが、唐突に紗和の眼前に迫った。

「と、当然って、どういうこと?」

 紗和は動揺しながらも聞き返した。
 対する式神しきがみは、一度だけ大きく息を吸い込んでから、あらためて口を開く。

「それはでしゅね――……」
「おい、式神しきがみ。余計なことは――!」
「常盤しゃまは、離れ離れになっていた十七年間、紗和しゃまのことをず~~~~~っと見ていたからでしゅよ!」

 残念ながら、常盤の制止は間に合わなかった。
 鼻息荒く言い切った式神しきがみは、ドン! と効果音でも聞こえそうなくらい胸を張った。

「彼が私のことを、十七年間、ずっと見ていた……?」
「そうでしゅ! 式神しきがみの僕を紗和しゃまのおそばにはべらせて、紗和しゃまを常に監視させていたんでしゅよ!」

 その口が紡いだのは、可愛らしい見た目とは真逆の恐ろしすぎる告白だった。
 想像の斜め上を行くフォローだ。
 これには常盤も居所をなくした様子で、頭を抱えた。

「監視って、どういうことですか……?」
「さ、紗和、それは誤解で――」
「誤解じゃないでしゅよ! 僕は常盤しゃまのご命令で、静岡にいる紗和しゃまのご様子を常盤しゃまに報告する役目を担っていたんでしゅから! バレないようにするのは大変だったんでしゅよ~~~」

 式神しきがみは十七年間の自分の苦労を思い出した様子で、ヤレヤレと首を横に振ったが、紗和は開いた口が塞がらなくなった。

(じゃあ、私が定期的に見ていた白い光の正体は、やっぱりこの子だったんだ)

 紗和がチラリと常盤に目を向けると、常盤はギクリと肩を揺らしたあとバツが悪そうに目をそらした。

(一体なんの目的で彼が私を監視していたのかはわからないけど、やっぱり彼を信用してついてくるべきではなかったんだ)

 相変わらず、常盤がまとう色はえないままだ。
 紗和の常盤に対する不信感は、いよいよ限界点を突破した。
 いろいろと聞きたいことや気になることはたくさんあるが、そんなことを言っている場合ではないのかもしれない。

「すみません。私、やっぱり――」

 今すぐここを出たいです。ご飯の代金は、お支払いしますから。
 ところが、紗和がそう言いかけたとき、

「常盤様。こうなってはもう観念して、すべてを紗和さんに打ち明けてはいかがですか」

 突然扉が開いて、小牧が現れた。

「紗和さん。誤解なきように自分からあらためて説明をさせていただくと、常盤様がこの式神しきがみを紗和さんにはべらせたそもそもの理由は、監視ではなく護衛のためです」
「私の……護衛?」
「はい。常盤様は、鎌倉をひとりで出られる紗和さんのことを心配して、この式神しきがみをつけたのだと自分は聞いておりました。そして常盤様は十七年間、紗和さんを監視……いや、見守り続けていたのです」

 小牧の言葉を聞いた紗和の肩から力が抜けた。
 そして冷静になって、白い光が自分にとってどういう存在であったかを考えた。
 紗和が困ったときに必ず現れる、不思議な光。
 白い光は決して恐ろしいものではなく、常に紗和の味方だった。

「い、言い訳に聞こえるかもしれないが……慣れない地で暮らしていかなければならない紗和のことが、心配だったんだ」

 すっかり小さくなりながら口を開いた常盤は、「すまなかった」と言って頭を下げた。
 見た目は誰もが振り向く美男なのに、しゅんと肩を落とす姿は、なんだかとても可愛らしい。

(やってることはストーカーで間違いないけど)

 反省している様子の常盤を見た紗和は、不思議とそれ以上、常盤を責める気にはなれなかった。

「とりあえず……事情はわかりました。私も、急に怒ったりしてすみません」

 紗和が謝ると、常盤はおそるおそるといった様子で顔を上げた。

「でもやっぱり、まだ納得できないこと……というか、疑問に思うことはたくさんあります。私とあなたが交わしたという〝十七年前の約束〟を含めたすべてを、わかりやすく話していただけませんか?」

 いよいよ腹をくくった紗和は、凜とした口調で常盤に尋ねた。
 紗和の真っすぐな目に見つめられた常盤も、膝の上で握りしめた手に力を込めて、覚悟を決める。

「そうだな。紗和にはすべてを話そう。だけど……俺の話を聞いていて、少しでもつらくなったらすぐに言ってほしい」

 常盤はまだ少し不安の残る目で紗和の瞳を見つめ返すと、小さく深呼吸をしてから、ふたたび静かに話し始めた。

「俺はもともと、他のあやかしたちと同様に、鎌倉幽世に住むあやかしのひとりだった。しかし〝あること〟が原因で、鎌倉幽世から鎌倉現世に逃げてきたんだ」
「その……〝あること〟って?」
「簡単に言うと、迫害だな」
「は、迫害?」
「ああ。俺の父は鬼族きぞくおにで、母は狐族こぞく妖狐ようこだったんだ。古来より、俺のようなふたつ以上の種族の血が混じったあやかしは邪血妖じゃけつようと呼ばれ、純粋なあやかし――純血妖じゅんけつようから迫害の対象にされてきた」

 思いもよらない話に、紗和は返す言葉を失った。

「邪血妖は純血妖に比べて妖力が弱い。だから純血妖たちは邪血妖を異質な存在として、忌み嫌っているんだ」

 常盤はなんのこともないように話しているが、紗和の頭は混乱しきりだ。
 まさか、あやかしの世界にもそのような差別が存在するとは考えてもみなかった。

「ですが、常盤様は特例です」

 と、不意に小牧が口を挟んだ。

「彼が、特例?」

 思わず紗和が聞き返すと、

「常盤様は邪血妖でありながら、純血妖と同等――もしくは、それ以上に強い妖力をお持ちですから」

 小牧は淡々と答えたが、その目には常盤に対する尊敬がにじんでいた。

「ちなみに、俺の妖力が覚醒したのは紗和のおかげだよ」
「わ、私のおかげ?」
「そう。邪血妖は〝愛を知ると妖力が覚醒する〟と言われているんだ。だから俺は、紗和に恋をしたことで妖力が覚醒した」

 ――紗和に恋をしたことで妖力が覚醒した。
 思いもよらないパワーワードをぶつけられ、紗和の目は点になった。

「ああ、驚いている紗和もやっぱり可愛いなぁ」

 対する常盤は、また座卓に頬杖をついて、うっとりとしている。

(か、彼が私に、恋をしている……?)

 あらためて心の中で反すうすると、紗和の頬が熱を持った。
 まさか、悪い冗談に決まっている。
 紗和はそう自分に言い聞かせたが、これまでの常盤の言動を思い返すと、あながち冗談とも言いきれなかった。

「紗和は覚えていないみたいだけど、俺と紗和は十七年前……紗和が五つのときに、あの鎌倉の家で一ヶ月だけ一緒に暮らしていたんだよ」
「私とあなたが一緒に暮らしていた?」
「ああ。あのころの俺も、見た目はまだ小さいわらべだったけどね。命からがら鎌倉現世に逃げてきて、力尽きて倒れていたところを五歳の紗和が見つけて助けてくれたんだ」

 当時のことを頭に思い浮かべた常盤は、穏やかにほほ笑んだ。
 紗和からすればにわかに信じがたい話だったが、やはり常盤が冗談や嘘を言っているようには見えない。

「そ、それじゃあ。もしかしてアレは、あなたの名前だったの?」
「アレとは?」
「鎌倉の家の柱に、〝と〟から始まる名前の人の身長記録があったの。アレは常盤の〝と〟だったってこと?」

 尋ねると、常盤もなんのことか思い出した様子で、「ああ」とこぼして頷いた。

「懐かしいな。紗和に一緒にやろうと言われて痕を残したんだ」

 ひとつひとつの疑問点が、線になって繋がった。
 同時に常盤の話が嘘ではないということが確定した。

「紗和と過ごした日々は、俺にとってなにものにも代え難い幸せな時間だった」

 そこまで言うと常盤は目を伏せ、寂しそうに笑った。
 紗和の胸がズキリと痛んだのは、罪悪感にさいなまれたからだ。

(どうして私は、彼のことをなにひとつ覚えていないんだろう)
「あなたと私は、なんで一ヶ月しか一緒にいられなかったの?」


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