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第24章 静香、北朝鮮に一人で帰国する
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静香の手紙が恵迪寮に届いたのは、四月末のゴールデンウイークの直前であった。明日室蘭に帰ろうとしていた日だった。消印は新潟で、次のように書かれていた。
葵ちゃんへ
この手紙が葵ちゃんのところに届くころには、私はもう日本にはおりません。随分悩み、苦しみましたが、北鮮に行くことにしました。今、日赤新潟センターでこの手紙を書いています。三日後の金曜日の午後二時にクリリオン号で新潟港中央ふ頭から出港し、翌朝には北鮮の清津港に着きます。帰国船に乗る前にこの手紙を投函します。
葵ちゃんに何の相談もしないで決めてしまいごめんなさい。別れの挨拶も出来ず許してね。話せば反対され、別れられなくなるので、言えませんでした。
葵ちゃんが私たちの家に来てくれたのは、十一歳の秋でしたね。あれから七年弱経過しましたが、この間、葵ちゃんから沢山の思い出と幸せをもらいました。ありがとう。
私は女の子をもらおうと思っていたので、男の子を育てることになり、最初は心配でした。男の子を可愛いと思えるか自信がなかったのです。でも、葵ちゃんと一緒に暮らすようになり、直ぐにそれは杞憂だった分かりました。男の子がこんなにも可愛いものだと知り、驚きました。我が子は「目の中に入れても痛くない」と言いますが、私も葵ちゃんのことが可愛くて、可愛くてたまりませんでした。葵ちゃんが私の子供になってくれて、母親になった幸せを味わうことができました。
葵ちゃんが中学に入り、少しずつ親離れし、私に甘えて身体をすり寄せたり、一緒のふとんで寝たりすることが少なくなったときは、少し寂しく感じました。小学生の時にもっと葵ちゃんを触ったり、抱きしめておけばよかったと後悔しました。でも、葵ちゃんを見ているだけで嬉しく、いつも葵ちゃんを見つめていました。あの頃の葵ちゃんの可愛い姿は、今も目に焼きついています。
高校生になり、成績優秀で自慢の息子のあなたに美智子さんというガールフレンドができたと知った時、自分の中に葵ちゃんを一人占めしたい、誰にも渡したくないという気持ちがあることに気づきました。葵ちゃんを美智子さんにとられたような気分に駆られました。思春期の息子に女友達ができたことはむしろ喜ばしいことで、親として応援すべきことなのに、嫉妬心を抱くなど恥ずかしいと思いました。美智子さんとの交際に口だしすることは慎み、黙って暖かく見守ろうと決めました。
高校一年の秋頃に、私に対する葵ちゃんの態度が急に変わり、突きっぱなしたように、冷たく、よそよそしくなった時はショックでした。お父さんが女のところから戻った直後から、葵ちゃんの様子が変わったので、そのことが関係していることは分かっていましたが、どうしたら元に戻せるのか分からず、おろおろしました。親子関係の修復の切っ掛けにしたいと思い、高二の春、葵ちゃんを登別温泉への旅行に誘いました。
その旅行で葵ちゃんがもう男の子を卒業して、男になろうとしているのを肌で感じました。母親である私を異性と意識していることにも初めて気づきました。でも、男の子が母親に性的関心をむけるのは、子供から大人へ成長する過程での通過儀礼のようなものだと思っていました。
少し前から私を避けていて、不機嫌で言葉少なかった葵ちゃんが、旅行の後、以前のように学校のこと友達のこと、将来の夢など何でも私に話してくれるようになりましたね。葵ちゃんが私の傍らに戻り、寄り添うようになってくれて、とてもうれしかったわ。そうした中で、一過性だと思っていた私に向けられた性的関心は弱まるどころか、どんどん強くなってきましたね。お父さんが北鮮に帰国し、二人きりで暮しはじめると、やがて私を求めるようになり、私は葵ちゃんの自慰を手伝うようになりました。葵ちゃんのおちんちんを愛撫して、出してあげながら、いけないことだから、もう止めなくては何度も思いました。でも、夜になり、葵ちゃんに求められると、葵ちゃんをがっかりさせたくない、葵ちゃんを気持ちよくさせてあげたいという思いが、罪悪感に勝り、葵ちゃんの欲求に答えてしまいました。
ここまで、二人の関係を葵ちゃんが求めたからだと書いてきましたが、自分の心の奥底を見つめると、それは間違っているようにも思います。私の中に葵ちゃんを受け入れたいという気持ちがありました。可愛くてたまらない葵ちゃんを自分のものにしたい、小さい恋人の葵ちゃんを自分が独占したいという強い気持ちがありました。葵ちゃんに私の女を見せて、私の虜にしていたのです。見境なく葵ちゃんを愛した私は、母性愛と性愛の区別がつかなくなっていました。
そして、洞爺湖で二人は初めて結ばれましたが、洞爺湖に向かうバスの中で、私はまだ躊躇する気持ちがありました。このまま溺れることの恐れもあり、最後の一線を超えることだけは、踏み止まるべきかもしれないという気持ちも残っていました。でも、あの日葵ちゃんを受け入れた時、そんな考えは吹き飛びました。葵ちゃんとのセックスは、あまりにも気持ちよく、我を忘れるほど陶酔しました。葵ちゃんは、私を夢心地にさせ、震えさせ、私を無限の彼方に運んでくれました。葵ちゃんを私の中に向かい入れ、強く抱きしめた時、葵ちゃんと私は一心同体になり、葵ちゃんの全てが私のものとなったのです。
どうして、この喜びを棄てることができるでしょうか。どうして、この悦楽の世界にのめり込んではいけないのでしょうか。私は心から葵ちゃんを愛しています。自分の全てを捧げて、葵ちゃんに献身しています。そんな私が、葵ちゃんと交合し、性の喜びに浸るのを神様もお怒りにならないと思いました。なぜって、葵ちゃんと愛し合っている時ほど幸せに満たされている時間を経験したことがないからです。こんなに甘美で充足した時間は神様の贈り物に違いないはずです。
洞爺湖の夜を境に、私の心は解き放たれました。後ろめたい気持ちは消え、これからは母と子ではなく、女と男になろうと決めました。母として、葵ちゃんの世話をして、成長を見守るのではなく、女として、葵ちゃんを自分のものにし、ふたりだけの幸せを求めようと思いました。葵ちゃんさえいれば何もいらない、世界の果てまで伴に歩もうと思いました。まだ未熟な葵ちゃんに、成熟した女として、もっと深い性の喜びも味あわせてあげたいと思いました。洞爺湖の夜からの、この一年間の私は輝いていました。幸福でした。怖いものは何もありませんでした。この幸福はいつまでも続くように思えました。
美智子さんの涙と虐待の告発が、葵ちゃんといつまでも一緒に暮らすのは、無理だと気づかせかせました。私は葵ちゃんよりずっと早く歳を取り死にます。もう、子供も産めません。葵ちゃんはお医者様になり、結婚し、家庭を持ち、子供を育てなければなりません。私と葵ちゃんの蜜月は、葵ちゃんがふさわしい伴侶を得るまでのかりそめの時間だと悟りました。葵ちゃんの幸せを考えると、葵ちゃんが結婚するときには、私は身を引かなくてはいけません。女から母親に戻らなければなりません。でも、葵ちゃんの側に居る限り、それは不可能です。葵ちゃんのお嫁さんと接するたびに、私は嫉妬し、その人を憎むでしょう。葵ちゃんと顔を会わせれば、あなたをかき抱き、お嫁さんの目を盗んで自分のものにするでしょう。
とてもつらいけれど、今が潮時だと考えました。時間をかければ、母親に戻れそうな気もします。しばらく離れて暮らして、会わずにいましょう。近くに居ては、自分を抑え切れないので、私は北鮮に行くことにしました。近い将来、南北朝鮮が統一し、日本との国交も回復し、自由に往来できるようになるでしょう。その頃には、葵ちゃんは立派なお医者様になり、結婚して、子供も生まれていることでしょう。子供を連れて会いに来て下さい。会える日を楽しみにしています。葵ちゃんを養子に出来て本当に良かった。葵ちゃんに出会えてことが、私の人生で一番の幸せです。
北鮮に渡ることに不安や躊躇はあります。葵ちゃんの言う通り「税金はなく、医療費はただ、非行少年は一人もいない」などという話には裏があると思います。良いことずくめの話を私も信じていません。今の北鮮は、美化礼賛されているような理想郷(地上の楽園)ではないと思います。朝鮮戦争が終わってわずか八年です。戦争で焼土となった国土の復興の最中でゆとりはないはずなので、北鮮での暮らしは日本ほど豊かでないかもしれません。ですが、悲観はしていません。金持ちも貧乏人もおらず、働く者が幸せになることを目指している国です。資本家や地主がおらず搾取がない国ですので、やがて日本に追いつき、追い抜くのではないでしょうか。朝鮮戦争の破壊と荒廃による貧乏のどん底から立ち上がり、日本で苦労している同胞を引き取ってくる祖国の人々の心意気は信頼できると思っています。
落ちついたら必ず手紙を書きますので、返事を下さい。帰国者が日本を再訪することは許されないので、当分葵ちゃんと会うことはできませんが、葵ちゃんがお医者様になるころには、往来できるようになるでしょう。そうなったら、必ず北鮮に遊びに来て下さい。葵ちゃんに会えるのを励みに頑張ります。必ずお手紙下さいね。
桂純姫
僕は静香の手紙を読み終わると、直ぐにバスに飛び乗り、室蘭に向かった。自宅は一か月前と全く変わらない佇まいで建っていたが、人が住んでいる気配がなかった。夕暮れ時なのに玄関灯は消灯され、郵便受けのポストに大量の投げ込みチラシなどが詰め込まれていた。家の中の電灯もついていなかった。もしかしたら、手紙を投函後、乗船時の最終の意思確認時に気が変わり、静香が戻っているのではないかという一縷の望みがついえ、力が抜けた。玄関前でしゃがみ込みそうになった。
不動産屋に引き渡し済みのなら開かないかと思ったが、試しに鍵穴にスペアーキーを差し込んでまわすと、戸が開いたので中に入ってみた。がらんとしていたが、部屋はきれいに清掃され、整頓されていた。タンスなどの家具はそのまま残されていた。タンスの引き出しを開けると、静香の着物はなくなっていたが、僕のものは全て残っていた。僕の机の中も依然のままになっていた。貴重品はなくなっていたが、茶わんなどの日用品は処分されず残っていた。フトンなども残されていた。
閉店間際の時間であったが、事情を聞くために不動産屋を訪ねた。僕の顔を見ると、
「お母さんから、ゴールデンウイークに息子が伺うので、詳しく説明してほしいと頼まれていましたよ。急な帰国なので大変でしたね。すぐに現金が欲しいという話だったので、買受人との折衝で私もバタバタしました」と言いながら、静香の署名捺印した書類を示して、
『家屋の引き渡し時期は予定通り五月末である。契約金の支払いは、引き渡しと同時に行われるのが普通だが、北鮮に急きょ帰国するという事情を考慮して契約金の九割を支払い済みである。残りの一割は、引き渡し完了時に息子さんに渡すよう頼まれている。権利書等の書類は全て預かっているので、今後の手続きは一切こちらでやる。家具などの処分も任せてくれればこちらでやる。』と説明した。
説明を聞き終え、無人の、真っ暗な自宅に帰宅した。電気をつけても、人気がない、寒々しい景色が目に入るだけだった。静香は片道切符で北朝鮮に行ってしまった。二度と日本に帰ってくることはないかもしれない。当分国交回復は見込めないので、こちらから訪ねることもできない。何もする気が起こらず、フトンを敷いて、もぐりこんだ。一か月前には、隣に並んで寝ていた静香はもういない。人肌の温かみが恋しい。静香のぬくもりが欲しい。心にぽっかり穴があき、無性に寂しかった。
僕はまた一人ぼっちなってしまった。小学校に入る前に実父母を失った僕は、親戚の家を転々とした後、孤児院に引き取られ、小学六年生の時、静香夫婦の養子になり、僕は静香という母を得た。親戚の家でも孤児院でも、僕は孤独だったが、静香は盲目的に僕を溺愛してくれた。静香の寵愛を受けて、僕はもう一人ぼっちでないことを実感できたのに、静香はもういない。またみなしごになってしまった。美智子とも別れた。また天涯孤独になってしまったと思うと、涙が込みあげてきた。僕は泣きながらいつしか眠りに落ちた。
葵ちゃんへ
この手紙が葵ちゃんのところに届くころには、私はもう日本にはおりません。随分悩み、苦しみましたが、北鮮に行くことにしました。今、日赤新潟センターでこの手紙を書いています。三日後の金曜日の午後二時にクリリオン号で新潟港中央ふ頭から出港し、翌朝には北鮮の清津港に着きます。帰国船に乗る前にこの手紙を投函します。
葵ちゃんに何の相談もしないで決めてしまいごめんなさい。別れの挨拶も出来ず許してね。話せば反対され、別れられなくなるので、言えませんでした。
葵ちゃんが私たちの家に来てくれたのは、十一歳の秋でしたね。あれから七年弱経過しましたが、この間、葵ちゃんから沢山の思い出と幸せをもらいました。ありがとう。
私は女の子をもらおうと思っていたので、男の子を育てることになり、最初は心配でした。男の子を可愛いと思えるか自信がなかったのです。でも、葵ちゃんと一緒に暮らすようになり、直ぐにそれは杞憂だった分かりました。男の子がこんなにも可愛いものだと知り、驚きました。我が子は「目の中に入れても痛くない」と言いますが、私も葵ちゃんのことが可愛くて、可愛くてたまりませんでした。葵ちゃんが私の子供になってくれて、母親になった幸せを味わうことができました。
葵ちゃんが中学に入り、少しずつ親離れし、私に甘えて身体をすり寄せたり、一緒のふとんで寝たりすることが少なくなったときは、少し寂しく感じました。小学生の時にもっと葵ちゃんを触ったり、抱きしめておけばよかったと後悔しました。でも、葵ちゃんを見ているだけで嬉しく、いつも葵ちゃんを見つめていました。あの頃の葵ちゃんの可愛い姿は、今も目に焼きついています。
高校生になり、成績優秀で自慢の息子のあなたに美智子さんというガールフレンドができたと知った時、自分の中に葵ちゃんを一人占めしたい、誰にも渡したくないという気持ちがあることに気づきました。葵ちゃんを美智子さんにとられたような気分に駆られました。思春期の息子に女友達ができたことはむしろ喜ばしいことで、親として応援すべきことなのに、嫉妬心を抱くなど恥ずかしいと思いました。美智子さんとの交際に口だしすることは慎み、黙って暖かく見守ろうと決めました。
高校一年の秋頃に、私に対する葵ちゃんの態度が急に変わり、突きっぱなしたように、冷たく、よそよそしくなった時はショックでした。お父さんが女のところから戻った直後から、葵ちゃんの様子が変わったので、そのことが関係していることは分かっていましたが、どうしたら元に戻せるのか分からず、おろおろしました。親子関係の修復の切っ掛けにしたいと思い、高二の春、葵ちゃんを登別温泉への旅行に誘いました。
その旅行で葵ちゃんがもう男の子を卒業して、男になろうとしているのを肌で感じました。母親である私を異性と意識していることにも初めて気づきました。でも、男の子が母親に性的関心をむけるのは、子供から大人へ成長する過程での通過儀礼のようなものだと思っていました。
少し前から私を避けていて、不機嫌で言葉少なかった葵ちゃんが、旅行の後、以前のように学校のこと友達のこと、将来の夢など何でも私に話してくれるようになりましたね。葵ちゃんが私の傍らに戻り、寄り添うようになってくれて、とてもうれしかったわ。そうした中で、一過性だと思っていた私に向けられた性的関心は弱まるどころか、どんどん強くなってきましたね。お父さんが北鮮に帰国し、二人きりで暮しはじめると、やがて私を求めるようになり、私は葵ちゃんの自慰を手伝うようになりました。葵ちゃんのおちんちんを愛撫して、出してあげながら、いけないことだから、もう止めなくては何度も思いました。でも、夜になり、葵ちゃんに求められると、葵ちゃんをがっかりさせたくない、葵ちゃんを気持ちよくさせてあげたいという思いが、罪悪感に勝り、葵ちゃんの欲求に答えてしまいました。
ここまで、二人の関係を葵ちゃんが求めたからだと書いてきましたが、自分の心の奥底を見つめると、それは間違っているようにも思います。私の中に葵ちゃんを受け入れたいという気持ちがありました。可愛くてたまらない葵ちゃんを自分のものにしたい、小さい恋人の葵ちゃんを自分が独占したいという強い気持ちがありました。葵ちゃんに私の女を見せて、私の虜にしていたのです。見境なく葵ちゃんを愛した私は、母性愛と性愛の区別がつかなくなっていました。
そして、洞爺湖で二人は初めて結ばれましたが、洞爺湖に向かうバスの中で、私はまだ躊躇する気持ちがありました。このまま溺れることの恐れもあり、最後の一線を超えることだけは、踏み止まるべきかもしれないという気持ちも残っていました。でも、あの日葵ちゃんを受け入れた時、そんな考えは吹き飛びました。葵ちゃんとのセックスは、あまりにも気持ちよく、我を忘れるほど陶酔しました。葵ちゃんは、私を夢心地にさせ、震えさせ、私を無限の彼方に運んでくれました。葵ちゃんを私の中に向かい入れ、強く抱きしめた時、葵ちゃんと私は一心同体になり、葵ちゃんの全てが私のものとなったのです。
どうして、この喜びを棄てることができるでしょうか。どうして、この悦楽の世界にのめり込んではいけないのでしょうか。私は心から葵ちゃんを愛しています。自分の全てを捧げて、葵ちゃんに献身しています。そんな私が、葵ちゃんと交合し、性の喜びに浸るのを神様もお怒りにならないと思いました。なぜって、葵ちゃんと愛し合っている時ほど幸せに満たされている時間を経験したことがないからです。こんなに甘美で充足した時間は神様の贈り物に違いないはずです。
洞爺湖の夜を境に、私の心は解き放たれました。後ろめたい気持ちは消え、これからは母と子ではなく、女と男になろうと決めました。母として、葵ちゃんの世話をして、成長を見守るのではなく、女として、葵ちゃんを自分のものにし、ふたりだけの幸せを求めようと思いました。葵ちゃんさえいれば何もいらない、世界の果てまで伴に歩もうと思いました。まだ未熟な葵ちゃんに、成熟した女として、もっと深い性の喜びも味あわせてあげたいと思いました。洞爺湖の夜からの、この一年間の私は輝いていました。幸福でした。怖いものは何もありませんでした。この幸福はいつまでも続くように思えました。
美智子さんの涙と虐待の告発が、葵ちゃんといつまでも一緒に暮らすのは、無理だと気づかせかせました。私は葵ちゃんよりずっと早く歳を取り死にます。もう、子供も産めません。葵ちゃんはお医者様になり、結婚し、家庭を持ち、子供を育てなければなりません。私と葵ちゃんの蜜月は、葵ちゃんがふさわしい伴侶を得るまでのかりそめの時間だと悟りました。葵ちゃんの幸せを考えると、葵ちゃんが結婚するときには、私は身を引かなくてはいけません。女から母親に戻らなければなりません。でも、葵ちゃんの側に居る限り、それは不可能です。葵ちゃんのお嫁さんと接するたびに、私は嫉妬し、その人を憎むでしょう。葵ちゃんと顔を会わせれば、あなたをかき抱き、お嫁さんの目を盗んで自分のものにするでしょう。
とてもつらいけれど、今が潮時だと考えました。時間をかければ、母親に戻れそうな気もします。しばらく離れて暮らして、会わずにいましょう。近くに居ては、自分を抑え切れないので、私は北鮮に行くことにしました。近い将来、南北朝鮮が統一し、日本との国交も回復し、自由に往来できるようになるでしょう。その頃には、葵ちゃんは立派なお医者様になり、結婚して、子供も生まれていることでしょう。子供を連れて会いに来て下さい。会える日を楽しみにしています。葵ちゃんを養子に出来て本当に良かった。葵ちゃんに出会えてことが、私の人生で一番の幸せです。
北鮮に渡ることに不安や躊躇はあります。葵ちゃんの言う通り「税金はなく、医療費はただ、非行少年は一人もいない」などという話には裏があると思います。良いことずくめの話を私も信じていません。今の北鮮は、美化礼賛されているような理想郷(地上の楽園)ではないと思います。朝鮮戦争が終わってわずか八年です。戦争で焼土となった国土の復興の最中でゆとりはないはずなので、北鮮での暮らしは日本ほど豊かでないかもしれません。ですが、悲観はしていません。金持ちも貧乏人もおらず、働く者が幸せになることを目指している国です。資本家や地主がおらず搾取がない国ですので、やがて日本に追いつき、追い抜くのではないでしょうか。朝鮮戦争の破壊と荒廃による貧乏のどん底から立ち上がり、日本で苦労している同胞を引き取ってくる祖国の人々の心意気は信頼できると思っています。
落ちついたら必ず手紙を書きますので、返事を下さい。帰国者が日本を再訪することは許されないので、当分葵ちゃんと会うことはできませんが、葵ちゃんがお医者様になるころには、往来できるようになるでしょう。そうなったら、必ず北鮮に遊びに来て下さい。葵ちゃんに会えるのを励みに頑張ります。必ずお手紙下さいね。
桂純姫
僕は静香の手紙を読み終わると、直ぐにバスに飛び乗り、室蘭に向かった。自宅は一か月前と全く変わらない佇まいで建っていたが、人が住んでいる気配がなかった。夕暮れ時なのに玄関灯は消灯され、郵便受けのポストに大量の投げ込みチラシなどが詰め込まれていた。家の中の電灯もついていなかった。もしかしたら、手紙を投函後、乗船時の最終の意思確認時に気が変わり、静香が戻っているのではないかという一縷の望みがついえ、力が抜けた。玄関前でしゃがみ込みそうになった。
不動産屋に引き渡し済みのなら開かないかと思ったが、試しに鍵穴にスペアーキーを差し込んでまわすと、戸が開いたので中に入ってみた。がらんとしていたが、部屋はきれいに清掃され、整頓されていた。タンスなどの家具はそのまま残されていた。タンスの引き出しを開けると、静香の着物はなくなっていたが、僕のものは全て残っていた。僕の机の中も依然のままになっていた。貴重品はなくなっていたが、茶わんなどの日用品は処分されず残っていた。フトンなども残されていた。
閉店間際の時間であったが、事情を聞くために不動産屋を訪ねた。僕の顔を見ると、
「お母さんから、ゴールデンウイークに息子が伺うので、詳しく説明してほしいと頼まれていましたよ。急な帰国なので大変でしたね。すぐに現金が欲しいという話だったので、買受人との折衝で私もバタバタしました」と言いながら、静香の署名捺印した書類を示して、
『家屋の引き渡し時期は予定通り五月末である。契約金の支払いは、引き渡しと同時に行われるのが普通だが、北鮮に急きょ帰国するという事情を考慮して契約金の九割を支払い済みである。残りの一割は、引き渡し完了時に息子さんに渡すよう頼まれている。権利書等の書類は全て預かっているので、今後の手続きは一切こちらでやる。家具などの処分も任せてくれればこちらでやる。』と説明した。
説明を聞き終え、無人の、真っ暗な自宅に帰宅した。電気をつけても、人気がない、寒々しい景色が目に入るだけだった。静香は片道切符で北朝鮮に行ってしまった。二度と日本に帰ってくることはないかもしれない。当分国交回復は見込めないので、こちらから訪ねることもできない。何もする気が起こらず、フトンを敷いて、もぐりこんだ。一か月前には、隣に並んで寝ていた静香はもういない。人肌の温かみが恋しい。静香のぬくもりが欲しい。心にぽっかり穴があき、無性に寂しかった。
僕はまた一人ぼっちなってしまった。小学校に入る前に実父母を失った僕は、親戚の家を転々とした後、孤児院に引き取られ、小学六年生の時、静香夫婦の養子になり、僕は静香という母を得た。親戚の家でも孤児院でも、僕は孤独だったが、静香は盲目的に僕を溺愛してくれた。静香の寵愛を受けて、僕はもう一人ぼっちでないことを実感できたのに、静香はもういない。またみなしごになってしまった。美智子とも別れた。また天涯孤独になってしまったと思うと、涙が込みあげてきた。僕は泣きながらいつしか眠りに落ちた。
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