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第14章 美智子、アイヌの思いを語る

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 美智子からスピーチ原稿作成を手伝ってほしいと頼まれた。青年の主張コンクールに応募するという。テーマは「アイヌ」である。まず、美智子が考えたスピーチの骨子に関連する資料を集めることになり、高校の図書室の外、美智子に同行して、市の図書館などを回って、参考になりそうな本や雑誌を探し、スピーチの原稿に織り込めそうな記述や事実関係をメモすることから始めた。
 美智子は身体を動かすことが好きな、スポーツ少女なので、物事を歴史的、論理的に省察したり、自己の意見を理論的に整理し、文学的な表現で発表したりすることは、不得意であろうと思っていたが、スピーチ原稿の推敲を手伝っている中で、僕は美智子を誤解していたことに気付かされた。美智子は勉強より運動や部活動に熱中するスポ根女子だが、内省的な女の子でもあると分かった。日頃から自分の考えや行動を深く考えていると知った。
 特に「アイヌ」につて、これほど深く勉強し、真剣に考えていたと知って驚いた。僕は美智子のことを何も知らず、理解していなかった。いや、理解しようとしてこなかった。また、いつも元気いっぱいに何の悩みもないように振る舞っているが、傷つきやすく繊細な一面も持つ美智子の真の姿がスピーチ原稿に顕れていた。
 青年の主張コンクルートは札幌での道大会の前に、室蘭放送局で室蘭地区大会が行われた。放送局は室蘭港を見下ろす測量山の山腹にあった。放送局の前庭には、製鉄のまち室蘭のシンボルである鉄を溶接した巨大な赤いオブジェが、吹きつける海風をあびて立っていた。僕のほか美智子の友人十数人が応援に来ていた。担任やソフトボールの顧問の先生も見学に来ていた。
 美智子は、黒と青のガラス玉を連ねた首飾り、手に手甲をはめ、頭に鉢巻を巻き、樹皮で織られたアイヌの民族衣装で登壇した。手甲と鉢巻には色あざやかなアイヌ文様が刺繍され、服の袖や襟に木綿の布を貼り、そこに赤い糸や青い糸を使った刺繍やアップリケが施されていた。
 女子高校生はセーラー服での登壇が常識であったので、その衣装を見て、美智子の友人達はあっと息を飲んだ。美智子が民族衣装姿で人前に立つのは初めてであった。美智子のスポーティな普段着を見慣れている友人達は、その落差の大きさに衝撃を受けたようだった。衣装を見て、美智子がアイヌ出身であることを初めて知った友人も多かったと思う。その衣装に、このスピーチにかける美智子の並々ならぬ決意が顕れていた。
 スピーチの大要は次のようなものであった。まず、知里幸恵の「アイヌ神謡集」の序文を引用し、「その昔、北海道はアイヌの自由の天地であった。深雪を蹴って熊を狩り、小舟を浮かべ魚をとり、小鳥と共に歌い、蕗やよもぎを摘み、月に夢を結び」幸福な生活を送っていた述べ、次に、江戸末期に行われた和人による過酷な収奪の様子を松浦武四郎の「知床日誌」により「斜里や網走のアイヌは、女子が夫を持つ年頃になるとクナシリ島に遣られ、諸国より来た漁夫船方に身を弄ばれ、男子は娶るころになると昼夜の別なくこき使われ、終に生涯無妻で暮す者が多く、又夫婦の場合、夫は遠い漁場に遣わし、妻は番屋等に置かれ、番人の慰み者」とされたことを紹介した。
 そして、明治政府はアイヌが狩猟、採集、漁の場としていたアイヌ共有の大地をアイヌに無断で入植者に分け与え、日本語を強要し、アイヌ名は禁止し、習俗や儀式は野蛮と否定し、狩猟民族だったアイヌの文化、生活様式を根本から破壊した。アイヌ研究者は祖先の墓を無断であばき、埋葬していた骨まで持ち去った。アイヌは侵入者である和人に土地も言葉も、生きるすべも奪われたと指弾した。
 最後に、同化政策の名の下に、アイヌの言葉や生活様式を根絶やしにしてきた国に反省を求め、アイヌが先住民族である事実を認め、アイヌ民族の先住権を認めるべきだと主張し、この百年の間に奪われたものが補償されなければ、私たちアイヌは納得できないと述べて結んだ。
 美智子は道大会には進めなかった。一席は身近な高校生活に題材をとったスピーチであった。民族の誇りの回復、民族の尊厳の尊重を求める格調の高いスピーチであったが、当時としては主張が過激すぎるという評価であった思う。また、内容が抽象的で具体性が乏しく、審査員には「じゃあアイヌにどう対応すべきなのか、北海道をアイヌに返せということか」という疑問が残ったと思う。
 僕は美智子と異なる意見を持っていた。アイヌ語を話すアイヌはもういない。言語、風俗、日常生活、飲食、教育、宗教など日本人と全く同じだ。日本人との混血も進み、容貌、服装などの外形でも日本人と区別できなくなっている。もはやアイヌ民族は日本人と融合してしまっている。アイヌは皆日本人になって生活している現状の中、アイヌだ日本人だと言いたてれば、アイヌと日本人の溝をつくることになる。波風を立てる必要はない。違いを際立出せるより、同化して暮らす方が幸せだ。実はこんな風に考えていたが、美智子には伝えず、黙っていた。  
 コンクールを終え、放送局で解散となった。すでに日は暮れていたが、僕と美智子は二人だけで測量山山頂の展望台に登り、そこから工場群の夜景を眺めた。港を取り巻く工場の幾多の灯火、夕闇を照らすまばゆい光の洪水が目を奪う。林立する鉄塔や構造物で点滅する無数の光、煙突から吹き上げる水蒸気、暗闇に浮かぶ光のグラデーションが僕を一気に非日常の世界に引き込む。SF映画のような光景だ。空に向かって直立する尖塔は、光を全身にまとった巨大ロボットのようだ。今にも動き出しそうだ。
 すると突然光景が一変し、建物や構造物は消失し、太陽が輝く太古の海岸となる。太陽の光が海に反射してまぶしい。目を凝らすと少女が貝を採っている。幾何学文様の刺繍をした服を着て、大きなビーズの首飾りをつけており、一瞬、美智子かと思ったが違う。髪を額の真ん中で分けて、肩のあたりで切り揃えている。裸足で、肌は透き通るように白く、顔や腕に赤や緑の彩色を施している。
 少年が少女の方に歩いて来る。少年は少女の兄であろうか、恋人であろうか?手にした獲物のキタキツネを高く掲げ、少女に見せている。少女が少年に駆け寄る。
 場面が冬に切り替わる。吹雪である。少女を背にした少年が、弓を引きしぼって、数匹のおおかみと対峙している。少女も小刀を握り身構えている。背後は絶壁である。おおかみが少年に飛びかかった時、また、場面が替る。
 燃えさかる粗朶火を囲んで大勢の老人や若者が踊っている。少年と少女も踊りの輪の中にいる。祭壇に熊の首が祭られている。祭壇の前で、解体されたヒグマが横たわっている。長老たちが肉を食らい、熊の生血を飲んでいる。少年と少女もまだ生暖かい血を皿に分けてもらい飲む。少年と少女の口のまわりが血で真っ赤に染まる。
 飲み終わると、二人は示し合わせて、熊祭りを抜け出して森に向かった。月が煌々と輝く熱帯夜だった。遠くからおおかみの遠吠えが聞こえてくる。やぶの中からエゾシカが覗いている。大きな樹の下の草むらに来ると、少年は着ていた衣服を脱ぎ捨てた。
 少女も裸になった。少女は小柄だが、アスリートのような肢体だ。首飾りがまだ幼い乳房の谷間で揺れている。黒髪だが、少女の肌は白人のように透明で白い。わき毛と陰毛が月光に反射して黒々と光っている。
 少年の肌は褐色だった。走って来たので、二人は汗だくだ。少年は、汗まみれの少女ののど元やわきの下、乳房やお腹、陰毛も局部もお尻も、体中を、鼻で嗅ぎ回り、口でなめ回し始めた。少年は少女にむしゃぶりつき、少女の臭いを嗅ぎつくし、汗を吸いつくそうとしている。少女は初め少年のなすままに身を任せていたが、やがて少年しがみつき、締めつけ、熊の生血に染まった赤い口で少年の肩を噛んだ。褐色の肌と白い肌が上になり、下になり、転げまわる。二人は月光の下、けもののように愛し合っている。夜は長い。二人は空が白むまで愛し合うのだろうか。
 
 美智子が僕の手をぎゅっと握ったので目が覚めた。少しうとうとしたようだ。並んで座っている美智子も僕の肩に顔を預けて目をつぶっている。スピーチが終わり、疲れがどっと出たようだ。美智子も僕と同じ夢を見ているのだろうか。でも、もう遅い。帰らなくては!美智子を起こそうと、腕に手を触れると、美智子は目を開き、僕を見た。美智子の目はどうしてこんなに深く澄んでいるのだろうか。見つめられると吸い込まれそうだ。こんなけがれなき瞳の奥に、今夢で見た少女と同じく獣のような熱い熱情も潜んでいるのだろうか。
 なぜなら、美智子の高祖父母は、夢で見た少年や少女と同じく、春は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色の山谷や川を自由に、伸び伸びと走り回っていたのだから。僕は美智子のまぶたに口づけし、くちびるに軽くキスしてから、美智子の手を握り、僕のオーバーのポケットに入れた。美智子はうれしそうに身体を寄せてきた。僕たちはぴったりとくっついて、帰り道を急いだ。
 
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