2 / 27
第1章 出会い、あの人の名は「静香」
しおりを挟む
僕があの人と初めて会ったのは、一九五四年であった。朝鮮戦争(南北に分断されていた朝鮮半島で勃発した、北朝鮮軍(中国支援)と韓国軍(米国支援)との戦争)の特需によりうるおった日本が、高度経済成長へ歩み始めた頃である。ナナカマドの葉も実も真っ赤に色づき、青空に映えて美しい十月の昼下がりに、あの人は訪れて来た。暖かい陽射しを浴びてツグミが赤い実をついばみ、ナナカマドの紅葉が美しい季節であった。僕は窓から、あの人が夫と二人で、柔らかい陽光の下、孤児院の門から玄関への道を、ゆっくりと歩いて来るのを見ていた。
今日は、孤児の僕の里親になってくれる人が来る日だ。里親は、里子と面談し、相性を確認してから決まるのが普通だが、僕はまだ里親に一度も会っていなかった。僕は孤児院に嫌気をさしており、とにかく今の生活から抜け出し、新しい世界に触れたかったので、里親についてえり好みする気はなかった。人柄は一度や二度会ったところで分かるものでないし、相性が合うか否かは、しばらく一緒に住んでみないと分かるものではないと考えて、一度も会うことなく里子になることを承諾した。暮らしてみて嫌になったら、孤児院に戻れば良い、里子になって失うものはないという気持ちもあった。
里親の方は、僕の写真と成育歴を見て、引き取ることを決めたと聞いた。里親は、一緒に暮らしてみて、うまくいかなかったら、里子にした子供を放り出すというような無責任なことは出来ないのに、一度も子供に会わず決めたと聞いて、おかしいなあと思った。深く考えず思いつきで決めたのだろうか。実際に僕を見たら止めたと言い出すのではないかと心配だった。孤児院の先生から、今日会って破談になることもあると言われていた。気に入ってもらえるだろうか。どうすれば気に入ってもらえるかと考えていた。先生から母親になる人に気に入ってもらえることが大事よと教えて貰っていた。
呼ばれて面会室に入ると、養父になる人と養母になる人が椅子に座っていた。養父は四十歳位で、がっしりした肩で、腹は少し出ているが、筋肉質の人だった。貿易の仕事をしていると聞いていたが、抜け目のない実業家なのだろう。鋭い視線で僕をまじまじと見つめた。養母の視線は柔らかだった。慎ましく控えめなひとのようだ。暖色系の上品なワンピースに身を包み、長く黒い髪が綺麗だ。三十歳は超えているはずだが、きよらかで涼しげな瞳が印象的だ。
僕を見ると椅子から立ち上がり、「あなたが葵ちゃんね」と言って、手を差し伸べて来た。僕はこの四月に小学六年生になっていたが、まだ声変わりもしておらず、きゃしゃで色白のうえ、髪の毛が耳にかぶさるミディアムヘアーで、後ろ髪はうなじまで垂れ、前髪は眉毛が隠れる位の長さだったので、その頃はよく女の子に間違えられた。母になる人は、僕の目を静かにじっと見つめてから、そっと僕の髪に触れた。甘く、優しい香りが僕の全身を包んだ。彼女の名前は「静香」であった。
最初に里子を欲しいと言い出したのは、養母の静香であった。養父は里子をとることにあまり乗り気ではなかったが、朝鮮人の孤児なら引き取って育てても良いと譲歩した。養父母は在日朝鮮人であった。僕の両親は日本国籍を有していたが、父方の祖父が朝鮮半島出身者であると聞いている。
僕の名前は「葵」であるが、その名前から養母は最初女の子と誤解したようだ。写真も見ていたが、女の子と思い込んでいた彼女は、その頃の僕は女の子によく間違えられる子供だったので、写真を見ても間違いに気付かなかったようだ。間違いに気付いたのは、孤児院を訪問する直前であった。女の子を望んでいた養母はこの話はなかったことにしようと一旦は考えたが、児童相談所の職員から、「里親制度は子供がほしい親のためのものではなく、親の欲しい子供のためのものなのですよ」と言われ、「求めている子がいるのに、いったん差し伸べた手を引っ込めるようなことはできない」と考え直したと後に僕に語っている。こうして僕は静香(本名、桂純姫ケー・スンヒ)の養子となった。
今日は、孤児の僕の里親になってくれる人が来る日だ。里親は、里子と面談し、相性を確認してから決まるのが普通だが、僕はまだ里親に一度も会っていなかった。僕は孤児院に嫌気をさしており、とにかく今の生活から抜け出し、新しい世界に触れたかったので、里親についてえり好みする気はなかった。人柄は一度や二度会ったところで分かるものでないし、相性が合うか否かは、しばらく一緒に住んでみないと分かるものではないと考えて、一度も会うことなく里子になることを承諾した。暮らしてみて嫌になったら、孤児院に戻れば良い、里子になって失うものはないという気持ちもあった。
里親の方は、僕の写真と成育歴を見て、引き取ることを決めたと聞いた。里親は、一緒に暮らしてみて、うまくいかなかったら、里子にした子供を放り出すというような無責任なことは出来ないのに、一度も子供に会わず決めたと聞いて、おかしいなあと思った。深く考えず思いつきで決めたのだろうか。実際に僕を見たら止めたと言い出すのではないかと心配だった。孤児院の先生から、今日会って破談になることもあると言われていた。気に入ってもらえるだろうか。どうすれば気に入ってもらえるかと考えていた。先生から母親になる人に気に入ってもらえることが大事よと教えて貰っていた。
呼ばれて面会室に入ると、養父になる人と養母になる人が椅子に座っていた。養父は四十歳位で、がっしりした肩で、腹は少し出ているが、筋肉質の人だった。貿易の仕事をしていると聞いていたが、抜け目のない実業家なのだろう。鋭い視線で僕をまじまじと見つめた。養母の視線は柔らかだった。慎ましく控えめなひとのようだ。暖色系の上品なワンピースに身を包み、長く黒い髪が綺麗だ。三十歳は超えているはずだが、きよらかで涼しげな瞳が印象的だ。
僕を見ると椅子から立ち上がり、「あなたが葵ちゃんね」と言って、手を差し伸べて来た。僕はこの四月に小学六年生になっていたが、まだ声変わりもしておらず、きゃしゃで色白のうえ、髪の毛が耳にかぶさるミディアムヘアーで、後ろ髪はうなじまで垂れ、前髪は眉毛が隠れる位の長さだったので、その頃はよく女の子に間違えられた。母になる人は、僕の目を静かにじっと見つめてから、そっと僕の髪に触れた。甘く、優しい香りが僕の全身を包んだ。彼女の名前は「静香」であった。
最初に里子を欲しいと言い出したのは、養母の静香であった。養父は里子をとることにあまり乗り気ではなかったが、朝鮮人の孤児なら引き取って育てても良いと譲歩した。養父母は在日朝鮮人であった。僕の両親は日本国籍を有していたが、父方の祖父が朝鮮半島出身者であると聞いている。
僕の名前は「葵」であるが、その名前から養母は最初女の子と誤解したようだ。写真も見ていたが、女の子と思い込んでいた彼女は、その頃の僕は女の子によく間違えられる子供だったので、写真を見ても間違いに気付かなかったようだ。間違いに気付いたのは、孤児院を訪問する直前であった。女の子を望んでいた養母はこの話はなかったことにしようと一旦は考えたが、児童相談所の職員から、「里親制度は子供がほしい親のためのものではなく、親の欲しい子供のためのものなのですよ」と言われ、「求めている子がいるのに、いったん差し伸べた手を引っ込めるようなことはできない」と考え直したと後に僕に語っている。こうして僕は静香(本名、桂純姫ケー・スンヒ)の養子となった。
0
お気に入りに追加
50
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
スカートの中、…見たいの?
サドラ
大衆娯楽
どうしてこうなったのかは、説明を省かせていただきます。文脈とかも適当です。官能の表現に身を委ねました。
「僕」と「彼女」が二人っきりでいる。僕の指は彼女をなぞり始め…
美人家庭科教師が姉になったけど、家庭での素顔は俺だけが知っている。
ぽんぽこ@書籍発売中!!
恋愛
俺には血の繋がっていない姉さんがいる。
高校で家庭科を教えている、美人で自慢の姉。
だけど家では、学校とは全く違う顔を見せてくる。
「ヒロ~、お姉ちゃんの肩揉んで」
「まず風呂上がりに下着姿でこっち来ないでくれます!?」
家庭科教師のくせに、ちっとも家庭的ではない姉さんに俺はいつも振り回されっぱなし。
今夜も、晩飯を俺ひとりに作らせて無防備な姿でソファーに寝転がり……
『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』
表紙イラスト/イトノコ(@misokooekaki)様より
幼馴染はファイターパイロット(アルファ版)
浅葱
恋愛
同じ日に同じ産院で生まれたお隣同士の、西條優香と柘植翔太。優香が幼い頃、翔太に言った「戦闘機パイロットになったらお嫁さんにして」の一言から始まった夢を叶えるため、医者を目指す彼女と戦闘機パイロットを目指す未来の航空自衛隊員の恋のお話です。
※小説家になろう、で更新中の作品をアルファ版に一部改変を加えています。
宜しければ、なろう版の作品もお読み頂ければ幸いです。(なろう版の方が先行していますのでネタバレについてはご自身で管理の程、お願い致します。)
当面、1話づつ定時にアップしていく予定です。
隣の人妻としているいけないこと
ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。
そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。
しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。
彼女の夫がしかけたものと思われ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる