上 下
13 / 58
第三章 ペトロ Petrus

Ⅲ・7月1日

しおりを挟む
「晃平さん、昨日一人で捜査に行っていたでしょ?」

 山﨑が口を尖らせている。子供じゃあるまいし、本当によく口を尖らせる奴だ。そんな山﨑を面倒臭そうに見上げてみる。

 いつものように陣取ったソファ。山﨑が尻を捻じ込んでくる。

 山﨑のその尻に、朝の訪れを知らされているような気にもなる。くだらないと言われれば、くだらないが、それは毎朝の日課だ。

 飲んで帰って、ベッドに倒れこみ、三時間で鳴ったアラームに起こされた。そんなまだ起ききっていない頭を、毎朝の日課が起こしてくれる。

「あ、また頭洗ってないでしょ? 何か臭ってきそうなくらい油っぽいですよ」

「ああ、昨日シャワー浴びられなくて、朝もあんまり時間なかったんだ」

「夏なんだし頭は毎日洗いましょうよ。髪もこんなごわごわだし、子供じゃないんですから」

 逆に子供じゃないんだからと言われ、のそりと体の向きを変える。口を尖らせる方がよっぽど子供だよ。そう言おうとしたが止めた。

 起ききっていない頭で聞かされはしたが、一人で捜査に行っていた。今はその言葉の方が気になる。

「さっきのどう言う意味だ? 一人で捜査に行っていたって?」

「さっき電話ありましたよ。杉並南署から。晃平さん、昨日一人で蚕糸の森公園に行っていたんでしょ? 田村晃、それと一昨日おととい殺された、田村俊明の殺害現場を見るために。俺も連れて行って下さいよ。相棒なんだし」

「あっ? 電話があったのか?」

「はい、ありましたよ。晃平さん、名刺を渡していたんですよね? 一応確認だって」

 所轄が違う刑事だとも、気付けない奴だと、見下みくだした昨日の夜を思い出す。あの若い警察官、意外としっかりしているじゃないか。

「ああ、ちょっと気になってな」

「ほら、晃平さんだって、所轄の違う事件に、首突っ込んでいるじゃないですか」

 山﨑が更に口を尖らせる。

「ああ、すまない。本当ちょっと気になっただけなんだよ。蚕糸の森で、似たような変死体が発見されたんだ。連続殺人かもしれないってな」

「そうですよ! 間違いなく連続殺人ですよ。晃平さん、前に何かのプレイだって、そのプレイの延長で殺されたんだって、そんな事言っていましたよね?」

 正直に話したところで、おかしな勘繰りをされる事もないだろう。山﨑と言う奴は、頭はいいが、世間にうといところもある。

「ハッテン場なんだよ。あの蚕糸の森は」

「発展場? ですか?」

 初めて聞く言葉なのか、山﨑の顔が難しいものに変わっている。一から説明するのは面倒臭い。そう言って要所を絞るのも難しい。田村晃と田村俊明の二人は同性愛者だ。そう言ってしまえば、簡単に説明できるが、その情報の出所を勘繰られるのは一番面倒だ。

「同性愛者の男が集まる場所だよ。蚕糸の森は有名な場所なんだ」

「へえ、そんな場所があるんですね」

 山﨑の顔が素直に崩れる。新しい知識を得た事に単純に喜びが滲む。そんな顔だ。

「そう言う事ですか」

 一人納得する山﨑に難しい顔を向けて見せる。ほんの数秒前と立場が入れ替わっている。まさか余計な勘繰りをされた訳じゃ。

「何がそう言う事なんだ?」

「いや、晃平さんが何かのプレイの延長だって、言っていた意味が分かったんで。事件の現場となった蚕糸の森公園は、発展場でしたっけ? 同性愛者が集まる場所で、勿論集まるからには理由がある訳ですよ。それは性交を求めての事で、だから全裸に精液って言うのも納得がいくものですよね。十字架に見立てて縛っていたって言うのも、そう言うプレイの最中だったって事ですよね。これで一つ確かな事は二人を殺したのは男だって事ですよ!」

 瞬時に犯人が男だと断定してしまうのだから、山﨑の頭の回転は、ずば抜けて早い。これが所轄内の事件ならどれだけ役に立っていただろう。少ない情報でどれだけ状況を把握できても、他所の所轄の事件だ。頭の回転の速さも無駄になる。

「でも、やっぱり十字架に見立てているのは、宗教も絡んでいるんじゃないですか? しかも今回は逆さ十字だし」

「逆さ十字?」

 山﨑がハッテン場と言う言葉にピンと来なかったように、その言葉にピンと来るものはない。逆さまの十字架。それ以上の意味を持っているのだろうか。

「ペトロの逆さ十字だと思うんですよね」

「ペトロ?」

 更に訳が分からなくなっていく。

 今、山﨑の頭の中にあるものが全く想像できない。逆さ十字にペトロ。山﨑が口にした見解に、ほんのわずかだが興味が湧いてくる。

「わざわざ木に角材を打ち付けているって事は、十字架に見立てているのは間違いないですよね? 晃平さんもそこに異論はないですよね?」

「ああ。まあ、そうだな」

 静かに返事をする。今は自分の見解より、山﨑の見解が先だ。

「十字架と言う事ははりつけです。何かの私刑リンチ的なものかとも考えられるんですけど、問題は二人目の被害者、田村俊明です。田村晃は普通に十字架に張り付けられていた。でも、田村俊明は逆さまに張り付けられていました。わざわざ逆さまに張り付けた理由。それはペトロの逆さ十字を、したんだと思うんです」

 言いたい事は分かるが、そのペトロの逆さ十字が分からない。

「だから、何なんだ? そのペトロの逆さ十字って?」

 山﨑が一人勝手に話を進めている事に、大きな鼻息が漏れる。

「サン・ピエトロです。ローマの、ヴァチカンのサン・ピエトロ寺院です。サン・ピエトロ寺院に行った時、ペトロは逆さ十字に掛けられて殉教したって、そんな話を聞いたんです。その話を思い出して」

「お前、ローマになんか行った事があるんだ」

「はい、卒業旅行ですけどね。大学の卒業旅行でイタリアを回った時に」

 高卒で警察学校に入った。勿論、高校でも警察学校でも卒業旅行なんてものはなかった。山﨑がさらりと口にした卒業旅行という言葉が、何故か山﨑を遠い次元に持っていってしまう。

「師に当たるイエス・キリストと同じ格好での磔は畏れ多いって、自ら逆さに張り付けられる事を希望した。そんな話を聞いたんです」

「イエス・キリストが師に当たるって事は、イエス・キリストの弟子だったんだな」

「そうですよ。俺、ちょっと調べてみます。何らかの関係性があるって考えた方が、筋が通るじゃないですか。晃平さんが言うプレイですか? どんなプレイか分からないけど、逆さ十字に見立てるプレイって、ピンと来るものがないんですよね」

「しょうがないな」

 何かからぬ事を企んでいそうな、その顔に声が漏れる。付き合ってやる訳にはいかないが、止めようが聞かない事は充分承知している。山﨑は相棒という言い方をしたが、確かに一緒に組んで動きはしてきた。と、言っても二年とちょっとの仲だ。ただその二年ちょっとの時間でも、山﨑と言う男の為人ひととなりはある程度、理解しているつもりだ。

 何か気になる事があれば、とことん追求しなければ気が済まない。何にでも首を突っ込みたがる。頭の冴えは良く回転も速い。学歴に伴った知識を蓄えたうえ、勉強熱心でもあるから、日に日に知識も増やしていっている。そんな所が検挙率の高さに繋がっている事は充分承知している。それは署長や課長が認めざるを得ないもので、山﨑がある程度、野放しにされている理由に繋がっている。

 こんな風に並べると、一見完璧な男にも思えるが、山﨑にだって欠点はある。一八〇センチを超す背があるくせに、とにかく体力がない。尻にはいい感じに肉も付いているが、見るからに痩せた体型が表すままの体力だ。それに何よりも足が遅い。今までに何度容疑者に逃げられたかは分からない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夏目の怖いかもしれない日常

夏目晶
ホラー
ホラー作家夏目のちょっと不思議でちょっと怖いかもしれない毎日の話。 ちなみに「零感」です。 ツイッ○ーで突発的に語られるものからの再掲です。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

暗闇の記憶~90年代実録恐怖短編集~

MITT
ホラー
実話を元に再構成したホラー小説短編シリーズです。 90年代、仲間達と当時有名だった心霊スポット「相模外科」で体験した奇妙な出来事。 暗闇の恐怖……それを垣間見た記憶。 当時を懐かしく思いながら、書いた作品です。 今より、闇が多かった時代、1990年代の頃の実話ベースの作品集です。 なろう連載版では三編に分かれていたのを統合のうえで、アルファにて逐次投稿する予定です。 短期集中連載予定です。

【一人称ボク視点のホラーストーリー全64話】ボクの小説日記

テキトーセイバー
ホラー
これはボクが(一人称ボク視点)主人公の物語である。 ボクが考えたホラーが展開される1話完結オムニバス方式のショートストーリーです。意味怖メインですが不条理、ダジャレ、タイトル意味合いなどあります。R15対象なのは保険です。ちなみに前回の削除したモノを含む移植も含まれています。 41話完結予定でしたが連載続けることにしました。 全64話完結しました。

ベルベッチカ・リリヰの舌の味 おおかみ村と不思議な転校生の真実

杏樹まじゅ
ホラー
相原ゆうが小学五年生の夏。ふしぎな転校生がやってきた。名前は逸瑠辺千夏。ロシア人らしい。その子は常にマスクを付けていて、外すことがない。体育の時間もプールの時間も、果ては給食の時間まで。マスクを外さないのだ。不思議に思ったゆうは聞いた。どうしていつもマスクなの、と。すると彼女は答えた。 「ゆうくんになら、見せてもいいかな。私の、マスクの下」 ※この作品は「小説家になろう」様、「カクヨム」様、「ノベルデイズ」様、「ノベルアップ+」様、「エブリスタ」様、「ステキブンゲイ」様、「ソリスピア」様にも連載しております。

深き水の底に沈む

ツヨシ
ホラー
通行止めの先には、あるはずのない村があった。

かみさまのリセットアイテム

百舌巌
ホラー
女子高生の月野姫星(つきのきら)が行方不明になった大学生の姉を探して北関東地方を旅をする。 姉が卒業論文作成の為に、北関東の村に取材に行った。それから姉の身辺に異変が起きる様になり、遂には失踪してしまう。 姉の婚約者・宝来雅史(ほうらい・まさし)と共に姫星が村に捜索に出かける。 そこで、村の神社仏閣に押し入った泥棒が怪死した事を知る。 姉が訪ね歩いた足跡を辿りながら、村で次々と起こる異変の謎を解いていくミステリー・ホラーです。 (旧:五穀の器を改稿してます) *残酷なシーンもありますので苦手な方はスルーしてください。小説家になろうさんでも投稿してます。

八尺様

ユキリス
ホラー
ヒトでは無いナニカ

処理中です...