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【終】 嘘 *性描写あり
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当たり前の流れだった。
この三年の間、ずっと時間で買われてきた体だ。嫌悪を抱く客であっても、抵抗もせず抱かれてきたじゃないか。もし苦痛が膨らんでいくなら、目を閉じればいい。そこに描かれるものは満開の花水木だけだ。
だが今は違う。嫌悪を抱く事も、花水木を描く事もなく、高志に委ねられる。三時間、二万八千円なんて勘定が過る事もない。やはりこれは当たり前の流れなのだ。
目の前には少し縒れたシーツの白が拡がっている。背中に圧し掛かる高志の動きに合わせ、俯せの体を捩る。贖いでもない。高志を受け入れる事は、紛れもなく意志だ。
「……そろそろ」
耳を掠める高志の声。独り言のように吐かれた声を、頂点への到達だと勝手に理解する。早くなる高志の腰の動きに、大きく漏れそうになる声を、顔を沈めた枕で押し殺す。
高志が果てる。尻から全身へと、高志が放った熱が伝達されていく。
火照った体を動かせないでいたが、果てた高志も同様に背中でまだ固まっているようだった。小さく柔らかくなりはしたが、尻にはまだ高志のものが当てられている。
カチッ。ほんの小さ音だが、何か違和感のある音が耳を掠めた。
その音が鍵を開けた音だと気づくより先。勢いよくドアが開かれ、男の怒鳴り声が聞こえた。
「何してんだよ!」高志ではない男の声。
「……何って見れば分かるだろ」
高志が大きく振り返っている事は背中で知る事が出来た。だが高志の下半身はまだ剥がされる事なく、尻に重みを与えたままだ。
「久しぶりだな」
「何してんだよ、お前!」
「何って見れば分かるだろ? 売り専だよ」
高揚した高志の声。聞き覚えのある声で間違いないが、不安を掻き立てられる。
状況が把握できないまま、ただ枕に顔を沈める。高志にそんな事は想像したくはないが、痴情の絡れ。そんなものに巻き込まれた事は、今までにも何度かあった。だが高志の次の言葉にそうではない事を教えられる。
「元気だったか? 久しぶりだな。二十一年ぶりだ」
——二十一年。
二十一と言う数に、浮かぶものは一つだ。……まさか? 答えを炙り出すより先、高志の口が提示する。
「陽一、元気だったか? 聞こえているか?」
高志の口から漏れた名前に、行為の名残を晒している現状を、隠す術を探してみる。だがそれは不可能な事だと改めて知らされる。
あの暗闇なら良かった。高志だと知らずに行為に及び、どうしようもない後悔に苛まれたが、あの暗闇なら自分を晒さずに済んだだろう。
「……売り専って、何だよ。俺はお前と話に来たんだ。早く関係ないそいつを帰らせろよ!」
「関係なくないんだよ」
高志がすかさず答える。まるで陽一が言い放つその言葉を待っていたようだ。
「そいつだなんて、そんな可哀想な呼び方やめてやってくれよ」
ようやく高志の体が剥がされ、ベッドが大きく軋んだ。だが枕に埋めた顔を見せる訳にはいかない。
「今、お前がそいつって呼んだのは陽太だ。お前の息子だ。関係なくはないんだよ」
「何て……」
「何も言えないみたいだな。二十一年、お前は何も知らずに生きてきたんだから。この陽太がお前と茜の息子だ。可哀そうに母親を殺され、ずっと施設で暮らしたんだ。今は昼は修理工場、夜はこうやって男に体を売って生活しているんだ。父親に捨てられ、母親を殺されてな」
——殺された?
「殺されたってどう言う事だ?」
「そうだ。茜は殺されたんだ。……おっと、もうすぐだな」
「何がもうすぐなんだよ!」
「もうすぐだ。お前も知っているだろ? 刑事の川野だよ。もうすぐここに来る」
「どう言う事だ?」
「お前を捕まえるために、もうすぐここに来るんだよ」
「だから、どう言う事だ?」
「俺が呼んだんだ。お前に来いと言った十五分後。もうすぐだよ」
思考を停めようと、枕に顔を埋め必死になった。もう何も聞きたくない。もう何も知らされたくない。
全裸で俯せになり、自分では見えないが、高志の体液を尻から流しているかもしれない。父親だと言う陽一に初めて見せる姿がこんな姿であり、その陽一が母親の茜を殺した。
それだけでも充分なのに川野までここに来るなんて。
「俺を捕まえるって? どう言う意味だ?」
思考はまだ停止してはいなかった。陽一の声が聞こえる。さっきまでは何も感じなかった陽一の声が、何故か今は父親の声に聞こえる。
「川野はお前を犯人だと思っている。だからお前を捕まえるためにここに来るんだ」
「だから、どうして?」
ようやく望み通りに思考が止まりそうだった。何も考えたくないと言う、意志が体を溶かしていく。
高志の体液は全て流れ出ただろうか? もしまだ残されているなら、シャワーで流さなければ。
前の客の手垢が付いた体を、次の客に晒すわけにはいかない。
——次の客?
高志が呼んだ陽一が次の客なのか? それとも川野なのか?
虚になる視界に映るものは、白い塊を誇る花水木だけだ。花水木の下、幼い少年の手を引く若い男の顔。
——高志さん。
今まで一度も見た事のない若い男の顔が瞼の裏に浮かぶ。高志だった。
「陽一。お前は何も心配しなくていい。捕まるのは俺だ。俺の嘘はすぐにバレる」
——俺の嘘?
高志の声が遠退く。
【終】
この三年の間、ずっと時間で買われてきた体だ。嫌悪を抱く客であっても、抵抗もせず抱かれてきたじゃないか。もし苦痛が膨らんでいくなら、目を閉じればいい。そこに描かれるものは満開の花水木だけだ。
だが今は違う。嫌悪を抱く事も、花水木を描く事もなく、高志に委ねられる。三時間、二万八千円なんて勘定が過る事もない。やはりこれは当たり前の流れなのだ。
目の前には少し縒れたシーツの白が拡がっている。背中に圧し掛かる高志の動きに合わせ、俯せの体を捩る。贖いでもない。高志を受け入れる事は、紛れもなく意志だ。
「……そろそろ」
耳を掠める高志の声。独り言のように吐かれた声を、頂点への到達だと勝手に理解する。早くなる高志の腰の動きに、大きく漏れそうになる声を、顔を沈めた枕で押し殺す。
高志が果てる。尻から全身へと、高志が放った熱が伝達されていく。
火照った体を動かせないでいたが、果てた高志も同様に背中でまだ固まっているようだった。小さく柔らかくなりはしたが、尻にはまだ高志のものが当てられている。
カチッ。ほんの小さ音だが、何か違和感のある音が耳を掠めた。
その音が鍵を開けた音だと気づくより先。勢いよくドアが開かれ、男の怒鳴り声が聞こえた。
「何してんだよ!」高志ではない男の声。
「……何って見れば分かるだろ」
高志が大きく振り返っている事は背中で知る事が出来た。だが高志の下半身はまだ剥がされる事なく、尻に重みを与えたままだ。
「久しぶりだな」
「何してんだよ、お前!」
「何って見れば分かるだろ? 売り専だよ」
高揚した高志の声。聞き覚えのある声で間違いないが、不安を掻き立てられる。
状況が把握できないまま、ただ枕に顔を沈める。高志にそんな事は想像したくはないが、痴情の絡れ。そんなものに巻き込まれた事は、今までにも何度かあった。だが高志の次の言葉にそうではない事を教えられる。
「元気だったか? 久しぶりだな。二十一年ぶりだ」
——二十一年。
二十一と言う数に、浮かぶものは一つだ。……まさか? 答えを炙り出すより先、高志の口が提示する。
「陽一、元気だったか? 聞こえているか?」
高志の口から漏れた名前に、行為の名残を晒している現状を、隠す術を探してみる。だがそれは不可能な事だと改めて知らされる。
あの暗闇なら良かった。高志だと知らずに行為に及び、どうしようもない後悔に苛まれたが、あの暗闇なら自分を晒さずに済んだだろう。
「……売り専って、何だよ。俺はお前と話に来たんだ。早く関係ないそいつを帰らせろよ!」
「関係なくないんだよ」
高志がすかさず答える。まるで陽一が言い放つその言葉を待っていたようだ。
「そいつだなんて、そんな可哀想な呼び方やめてやってくれよ」
ようやく高志の体が剥がされ、ベッドが大きく軋んだ。だが枕に埋めた顔を見せる訳にはいかない。
「今、お前がそいつって呼んだのは陽太だ。お前の息子だ。関係なくはないんだよ」
「何て……」
「何も言えないみたいだな。二十一年、お前は何も知らずに生きてきたんだから。この陽太がお前と茜の息子だ。可哀そうに母親を殺され、ずっと施設で暮らしたんだ。今は昼は修理工場、夜はこうやって男に体を売って生活しているんだ。父親に捨てられ、母親を殺されてな」
——殺された?
「殺されたってどう言う事だ?」
「そうだ。茜は殺されたんだ。……おっと、もうすぐだな」
「何がもうすぐなんだよ!」
「もうすぐだ。お前も知っているだろ? 刑事の川野だよ。もうすぐここに来る」
「どう言う事だ?」
「お前を捕まえるために、もうすぐここに来るんだよ」
「だから、どう言う事だ?」
「俺が呼んだんだ。お前に来いと言った十五分後。もうすぐだよ」
思考を停めようと、枕に顔を埋め必死になった。もう何も聞きたくない。もう何も知らされたくない。
全裸で俯せになり、自分では見えないが、高志の体液を尻から流しているかもしれない。父親だと言う陽一に初めて見せる姿がこんな姿であり、その陽一が母親の茜を殺した。
それだけでも充分なのに川野までここに来るなんて。
「俺を捕まえるって? どう言う意味だ?」
思考はまだ停止してはいなかった。陽一の声が聞こえる。さっきまでは何も感じなかった陽一の声が、何故か今は父親の声に聞こえる。
「川野はお前を犯人だと思っている。だからお前を捕まえるためにここに来るんだ」
「だから、どうして?」
ようやく望み通りに思考が止まりそうだった。何も考えたくないと言う、意志が体を溶かしていく。
高志の体液は全て流れ出ただろうか? もしまだ残されているなら、シャワーで流さなければ。
前の客の手垢が付いた体を、次の客に晒すわけにはいかない。
——次の客?
高志が呼んだ陽一が次の客なのか? それとも川野なのか?
虚になる視界に映るものは、白い塊を誇る花水木だけだ。花水木の下、幼い少年の手を引く若い男の顔。
——高志さん。
今まで一度も見た事のない若い男の顔が瞼の裏に浮かぶ。高志だった。
「陽一。お前は何も心配しなくていい。捕まるのは俺だ。俺の嘘はすぐにバレる」
——俺の嘘?
高志の声が遠退く。
【終】
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