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【8】 母と父と叔父
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三鷹駅で乗換え、青梅駅のホームに立つ。二度目の青梅駅だが、前回は軍畑への乗り換えで立ったホームだ。二度目? いや、二度目ではないかもしれない。あの花水木の光景だ。幼い日もこうして、乗換えのためこのホームに立っていたかもしれない。
受付を済ませ、三階へと上がる。二度目と言う事で勝手も分かる。それに呼び出したのは川野だ。前回訪れた時に抱えていた恐縮は、今日は持ち合わせていない。
「お待ちしていました。こちらへどうぞ」
エレベーターを降りると、そこには既に川野がいた。受付から連絡を受け、待っていたのだろう。
「今日はすみません。まだご遺体もお返しできていないのに、ご足労頂いて」
「いえ、大丈夫です」
「こちらへどうぞ」
通された部屋は前回と同じだった。
「それで、母の知り合いと言うのは?」
「ええ、それがですね。ニュースで見たと来られたんです。生前の小泉茜さん、あなたのお母さんと知り合いだったと」
「どう言う関係の方ですか?」
「それが私も驚いたんですが、えーっと」
川野が机の上に置いたノートを捲る。見覚えのあるノートだ。
「紺野さんと言う男性です。紺野陽一さん」
「紺野さんですか……」聞き覚えのない名前だった。
「ええ、この紺野さんですが、今、四十四歳で、今は都内なんですが、長い間、海外で暮らされていたようです。結婚はされておらず、独身だとおっしゃっていました」
「それで、それでその紺野さんは母とどう言う関係だと?」
「ええ、そこです。私も驚きました。……こちらです」
川野がノートに挟んでいた一枚の写真を取りだす。机の上に置かれ、向きが変えられる。その川野の指の先にある白い塊に目を奪われる。花水木だ。あの惣岳山の山中にあった花水木。大木の下で笑う三人の男女。
「紺野さんの話では、右の女性があなたのお母さん、小泉茜さんだそうです。そして真ん中の男性が高志さん。あなたの叔父さんです。そして左の男性がこの写真をお持ちになった紺野さんです」
川野が動かす指の動きをただ眺めていた。一度も見た事のない母親の顔が、小さな写真の中だとは言え目の前にある。そして叔父の高志。三時間の行為の中の高志ではなく、記憶の中にある高志の顔。そして紺野と言う男。
「あっ、えっ?」
小さな驚きが声になる。
「そうなんですよ。私も驚きました。あなたにそっくりなんですよ」
古くて小さな写真とは言え、左の男の顔が、見慣れた自分の顔に重なる。
「もしかしたら、あなたのお父さんじゃないかと思いまして。念のため紺野さんに伺いました。茜さんとはどう言う関係だったかと。……最初は友人だとおっしゃっていました。もともと紺野さんは高志さんの友人だったようで、双子の茜さんとも親しくなったと。ただそれだけですか? と聞いたら、酔った勢いで一度だけ茜さんと関係を持った事があると」
「父ですか……」
繋げる言葉は探しきれなかった。
「ええ、それと。前にいらした時、話をされていましたよね。花水木の下で若い男に手を引かれた幼い自分の夢を見ると」
「はい」
「その若い男が紺野さんじゃないかと思いまして」
確かに顔を思い出す事の出来ない若い男だった。それがこの紺野と言う男で、父親だと言うのか。母親の顔すら初めて見るのに、そんな話をされても混乱を招くだけだ。
「それとですね。もう一つ気になる点が。写真をよく見て下さい。わかりますか? この写真」
「何がですか?」混乱を押さえ、机の上の写真に目を凝らす。
「ここです」川野がもう一度写真を指でなぞる。
「三人で並んだ写真ですが、紺野さんと高志さんの手です。分かりますか? 二人は手を繋いでいます」
確かに川野の指の下には、繋がれた手がある。
「紺野さんが帰られてから私も気付いたんです。なので、紺野さんに連絡を取って直接確認してみました。陽太さん。あなたには大変申し上げにくいんですが」
「大丈夫です」
既に予測は出来ていた。いま身を置く世界には、そんな男達しかいない。それに高志だ。川野から何を聞かされても、新たな混乱を招く事はない。
「紺野さんがお付き合いされていたのは、茜さんではなく高志さんだったそうです。高志さんのお姉さんと言う事で、茜さんと知り合い、一度だけですが酔った勢いで関係を持ってしまった。その一度の関係で生まれたのが、陽太さんじゃないでしょうか? 紺野さんにはその時確認したんです。あなたは茜さんが子供を授かっていた事を知っていましたか? と」
「何て言っていましたか?」
「知らなかったと。だから自分の息子かもしれないなら、連絡を取りたい。連絡先を教えて欲しいと」
「……分かりました」
混乱を招く事なく、落ち着いた声で答える事が出来た。
「ただ気になる点がありまして。あなたは幼い自分が若い男に手を引かれていたとおっしゃっていましたよね?」
「はい、そうです。幼い自分だと言う印象が残っています」
「三鷹の警察に茜さんの行方不明の届けが出されていたのは、茜さんが二十九歳の時です。歯医者や病院の記録から、二十九歳の時まで茜さんは生きていらっしゃった事が証明されています。あなたが児童養護施設に入所する前、六歳の時までです」
「そうだと思います。母が行方不明になったので児童養護施設に預けられました」
「ですが紺野さんはあなたの存在を知らなかった。でもあなたは幼い自分が若い男に手を引かれていた記憶があると。今回の件は、前にお伝えしたように殺人の可能性があります。紺野さんが嘘を言っているとは思いたくないですが、あなたの記憶とは食い違ってくるんです」
「紺野さんが母を殺したと言うんですか? 今、父親かもしれないと言ったじゃないですか」
川野の言葉にさっきは招く事のなかった混乱を覚えた。
「いえ、まだ分かりません。高志さんにも一度話を聞かないと、とは思っています。ただなかなか高志さんが掴まらなくて。とりあえず、紺野さんにあなたの連絡先を伝えさせて頂きます。それは構いませんね?」
「はい」
とりあえず川野に会釈し、青梅西署を後にする事は出来たが、今日得た情報を整理する事は出来ず、青梅の駅前をふらふらと歩いていた。
聞かされたばかりの話が、再びの混乱を呼び、動転させていく。あの花水木の下。手を引いていたのが紺野なら、嘘を付いている可能性がある。父親かも知れない紺野が母親を殺したなんて考えたくもないが、辻褄を合わせるために川野が導いた仮説を、全面的に否定する情報は何もない。
受付を済ませ、三階へと上がる。二度目と言う事で勝手も分かる。それに呼び出したのは川野だ。前回訪れた時に抱えていた恐縮は、今日は持ち合わせていない。
「お待ちしていました。こちらへどうぞ」
エレベーターを降りると、そこには既に川野がいた。受付から連絡を受け、待っていたのだろう。
「今日はすみません。まだご遺体もお返しできていないのに、ご足労頂いて」
「いえ、大丈夫です」
「こちらへどうぞ」
通された部屋は前回と同じだった。
「それで、母の知り合いと言うのは?」
「ええ、それがですね。ニュースで見たと来られたんです。生前の小泉茜さん、あなたのお母さんと知り合いだったと」
「どう言う関係の方ですか?」
「それが私も驚いたんですが、えーっと」
川野が机の上に置いたノートを捲る。見覚えのあるノートだ。
「紺野さんと言う男性です。紺野陽一さん」
「紺野さんですか……」聞き覚えのない名前だった。
「ええ、この紺野さんですが、今、四十四歳で、今は都内なんですが、長い間、海外で暮らされていたようです。結婚はされておらず、独身だとおっしゃっていました」
「それで、それでその紺野さんは母とどう言う関係だと?」
「ええ、そこです。私も驚きました。……こちらです」
川野がノートに挟んでいた一枚の写真を取りだす。机の上に置かれ、向きが変えられる。その川野の指の先にある白い塊に目を奪われる。花水木だ。あの惣岳山の山中にあった花水木。大木の下で笑う三人の男女。
「紺野さんの話では、右の女性があなたのお母さん、小泉茜さんだそうです。そして真ん中の男性が高志さん。あなたの叔父さんです。そして左の男性がこの写真をお持ちになった紺野さんです」
川野が動かす指の動きをただ眺めていた。一度も見た事のない母親の顔が、小さな写真の中だとは言え目の前にある。そして叔父の高志。三時間の行為の中の高志ではなく、記憶の中にある高志の顔。そして紺野と言う男。
「あっ、えっ?」
小さな驚きが声になる。
「そうなんですよ。私も驚きました。あなたにそっくりなんですよ」
古くて小さな写真とは言え、左の男の顔が、見慣れた自分の顔に重なる。
「もしかしたら、あなたのお父さんじゃないかと思いまして。念のため紺野さんに伺いました。茜さんとはどう言う関係だったかと。……最初は友人だとおっしゃっていました。もともと紺野さんは高志さんの友人だったようで、双子の茜さんとも親しくなったと。ただそれだけですか? と聞いたら、酔った勢いで一度だけ茜さんと関係を持った事があると」
「父ですか……」
繋げる言葉は探しきれなかった。
「ええ、それと。前にいらした時、話をされていましたよね。花水木の下で若い男に手を引かれた幼い自分の夢を見ると」
「はい」
「その若い男が紺野さんじゃないかと思いまして」
確かに顔を思い出す事の出来ない若い男だった。それがこの紺野と言う男で、父親だと言うのか。母親の顔すら初めて見るのに、そんな話をされても混乱を招くだけだ。
「それとですね。もう一つ気になる点が。写真をよく見て下さい。わかりますか? この写真」
「何がですか?」混乱を押さえ、机の上の写真に目を凝らす。
「ここです」川野がもう一度写真を指でなぞる。
「三人で並んだ写真ですが、紺野さんと高志さんの手です。分かりますか? 二人は手を繋いでいます」
確かに川野の指の下には、繋がれた手がある。
「紺野さんが帰られてから私も気付いたんです。なので、紺野さんに連絡を取って直接確認してみました。陽太さん。あなたには大変申し上げにくいんですが」
「大丈夫です」
既に予測は出来ていた。いま身を置く世界には、そんな男達しかいない。それに高志だ。川野から何を聞かされても、新たな混乱を招く事はない。
「紺野さんがお付き合いされていたのは、茜さんではなく高志さんだったそうです。高志さんのお姉さんと言う事で、茜さんと知り合い、一度だけですが酔った勢いで関係を持ってしまった。その一度の関係で生まれたのが、陽太さんじゃないでしょうか? 紺野さんにはその時確認したんです。あなたは茜さんが子供を授かっていた事を知っていましたか? と」
「何て言っていましたか?」
「知らなかったと。だから自分の息子かもしれないなら、連絡を取りたい。連絡先を教えて欲しいと」
「……分かりました」
混乱を招く事なく、落ち着いた声で答える事が出来た。
「ただ気になる点がありまして。あなたは幼い自分が若い男に手を引かれていたとおっしゃっていましたよね?」
「はい、そうです。幼い自分だと言う印象が残っています」
「三鷹の警察に茜さんの行方不明の届けが出されていたのは、茜さんが二十九歳の時です。歯医者や病院の記録から、二十九歳の時まで茜さんは生きていらっしゃった事が証明されています。あなたが児童養護施設に入所する前、六歳の時までです」
「そうだと思います。母が行方不明になったので児童養護施設に預けられました」
「ですが紺野さんはあなたの存在を知らなかった。でもあなたは幼い自分が若い男に手を引かれていた記憶があると。今回の件は、前にお伝えしたように殺人の可能性があります。紺野さんが嘘を言っているとは思いたくないですが、あなたの記憶とは食い違ってくるんです」
「紺野さんが母を殺したと言うんですか? 今、父親かもしれないと言ったじゃないですか」
川野の言葉にさっきは招く事のなかった混乱を覚えた。
「いえ、まだ分かりません。高志さんにも一度話を聞かないと、とは思っています。ただなかなか高志さんが掴まらなくて。とりあえず、紺野さんにあなたの連絡先を伝えさせて頂きます。それは構いませんね?」
「はい」
とりあえず川野に会釈し、青梅西署を後にする事は出来たが、今日得た情報を整理する事は出来ず、青梅の駅前をふらふらと歩いていた。
聞かされたばかりの話が、再びの混乱を呼び、動転させていく。あの花水木の下。手を引いていたのが紺野なら、嘘を付いている可能性がある。父親かも知れない紺野が母親を殺したなんて考えたくもないが、辻褄を合わせるために川野が導いた仮説を、全面的に否定する情報は何もない。
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