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29 告発の真相
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カウンターに並ぶ四人。カウンターの中の由之。一見すれば普通に営業中のバーに見える。
由之がグラスにビールを注ぐ。順に注がれたビールの泡はちょうどいい対比で、この二丁目のどこにでもあるバーと変わらないはずだった。
だが安原はバーに飲みに来たなんて感覚は一切持ち合わせていないようで、ビールが差し出されるより前に、その口を開いた。
「これを見て下さい。先日あなたが郵便局から送ったと言っていた招待状です。二周年パーティーの招待状はこれで間違いありませんか?」
カウンターに置いた白い封筒から安原がカードを取り出す。
そのカードはさっき目に留まった、2nd Anniversary Party のポスターと同じ図柄だ。
「ええ、そうです。それです」
ビールを一番欲していた夏樹へ、次に隣にいた貴久へ、そして最後に安原へと、ビールを注いだグラスを由之が差し出していく。それは予想通りでもあったが、ビールへ真っ先に口を付けたのは夏樹だ。
「……封筒はこれですか? あなたが郵便局で大量に持っていた封筒はこれで間違いありませんか?」
まどろっこしい安原の言い回しがやけ気になる。何かが痞えているが、何が痞えているかは分からない。
その時。グラスがぶつかる小さな音が耳に飛び込んだ。呑気なもので夏樹と貴久は、乾杯と言わんばかりにグラスを合わせている。
「間違いないです。これはチキンパイのママ、タケ子さんに送ったやつです」
由之が白い封筒の宛名を覗き込んでいる。
「それじゃあ、これは?」
安原がポケットからもう一つの別の白い封筒を取り出す。
「まだあるんですか?」
柔らかく笑いを含んだ声で、並べられた封筒の宛名を覗き込む由之。
腰を捻り、安原の手元の封筒の宛名を、由之同様に覗き込む。
「やっぱり何か思い当たる事があるんですね」
固まる由之。安原は核心を突いた顔で由之の出方を待っている。
「何? 何? 何か面白い物?」
「お前たちは大人しくビールを飲んでいろ。俺の奢りでいいから」
首を突っ込む夏樹を安原が制止する。
「安原さん、これって例の?」
そう尋ねてみたが、封筒に書かれた見覚えのある宛先に、肝が冷やされていく音が響いていた。
「ああ、そうだ。全く同じ封筒だ。どこにでも売っているようなものだが、宛名のラベルも印字された文字も全く同じだ。同じパソコンで同じプリンターを使った事は調べればすぐ分かる。何より消印が同じなんだ」
「安原さんの想像の通りです。その封筒の中身は分かっています。その写真を撮ったのも俺です」
俯き加減だった由之が真っ直ぐと安原へ向かっていた。いつも柔らかい由之の口調が少し荒くなったようにも思え、対峙する由之と安原の側から遠く離れたいと願う。
「お伺いしますが、何のためにこの写真を送られたんですか?」
タレコミの写真である。その写真の人物を警察に引き渡すために決まっている。何のために? 安原の愚問に口を挟もうともしたが、的を得ない安原の質問に由之が正論で返す。
「何のためにとは? おっしゃっている意味が分かりません。小林先生を警察に捕まえてもらいたかった。中学生と関係を持つなんて犯罪です。それだけです」
「それだけですか? 確かに中学生と関係を持つなんて許されるべきではない。立派な犯罪です。でも小学生と関係を持つのも同じですよね? 小学生と関係を持った教師。それも勿論犯罪です。どちらにせよ幼い子供に手を出すなんて質が悪い」
「そうですね。おっしゃる通りです」
「では言い方を変えて、もう一度伺います。何のためにこの写真を警察に送ってきたんですか? 小林に捕まって欲しい理由は何ですか? 何か恨みでも?」
安原は勘違いしている。小学生の頃に犯罪まがいの悪戯をされた由之が小林に恨みを持った。それが安原の考えであり、その考えが間違っている事を正すべきだと体を乗り出す。だがその必要はなかった。
「恨みなんてないです。ただ愛って言うんですかね」
由之の口調はいつもの柔らかいものへ戻っていた。
小林と由之のあの映像は嫌悪を抱く対象でしかない。犯罪の一言で片付けられる代物に違いなかった。だが由之が口にした愛と言うフィルターを通せば、全く別の意味を持つ記録のように思える。
大人しくビールを飲んでいろと言われた夏樹と貴久は、時々由之や安原を見ながらも黙ってビールを飲んでいた。
だが由之の口から漏れた愛と言う言葉に、二人の集中はビールではなく由之へと向かい始めていた。
「小林先生が自分だけを向いてる時は幸せでした。それは子供の頃も今も変わらないです。……今じゃないですね、もう先生死んじゃったから。自分だけを向いていた先生の興味が、晴人や夏樹や貴久にも向いていると知った時はめちゃくちゃ悲しかったです。だから先生なんていなくなればいいって。昔の事過ぎて美化しちゃっていますけど。でも三人に嫉妬していたのは間違いないです。先生が自分一人のものにならないなら消えてしまえばいいって、本当にそう思ったんです」
一息に吐き出した後、由之は自分のためのグラスにビールを注ぎ始めた。そんな由之に合わせるように安原もグラスに手を伸ばしている。
「……晴人が葉書をくれたんです。子供の頃。それで先生の事は忘れようって。大人になってすっかり忘れていたのに」
突然自分の名前が挙がった事に、思わずビールを噴き出す。だが全てを噴き出した訳ではなく、僅かな量ではあるが、少しのビールが気管に流れ入ったようだ。
ゴホゴホと咳込んだ胸を強く叩いてみる。
「晴人、大丈夫?」
慌てて由之が差し出したおしぼりで口許を押さえる。
「……晴人の葉書に新しい道を進みますって書いてあったんです。晴人も新しい道を進んでいるなら、先生の事なんか忘れて新しい道を進もうって。ずっと忘れていたのに。もう子供の頃の事なんて全部忘れていたのに、現れたんです。また小林先生が自分の前に」
「小林があなたの前に現れたのはいつですか?」
「去年です」
由之の答えに嘘はなかった。もう嘘を付く必要も、隠し事を持つ必要もないと悟っているのだろうか。それとも何かの覚悟だろうか。
「この店に来たんです。気付かなかったけど、先生から電話があったんです。一緒に食事でもしようって。お客さんと食事に行ったりってよくある事なんです。二人で食事に行って……。その時に告げられました。担任だった小林だと、君たちが歩道橋から突き落とした小林だと。……それが最後でした」
「何が最後だったんですか?」
「子供の頃を思い出したら、先生しか見えなくなりました。でも子供の頃とは違う。こんな歳になってしまって。上手くいくはずなんてなかったんです。だって……」
由之が言葉を詰まらせる。
この辛い告白にはどんな意味があるのだろう。安原の尋問ではなく、由之自ら放出させている心の内。
どんな立ち位置で由之に向かえばいいのかが分からなくなる。だが安原はまだ由之から何かが出てくると思っているようだ。
「だって、何ですか?」
「だって先生の対象は、こんな自分じゃ駄目なんです。若ければ若いほどいいって、幼い方がいいって。中学生と関係を持っている事も本人から聞かされました。晴人が見た映像も見せられました。都合よく会いはするけど自分じゃ駄目なんだって。それなら目の前から消えてくれればいいのにって、だから写真を送ったんです。警察に捕まってくれれば……」
「あなたの告発の本意はそこにあったんですね」
見開いていた安原の目が細くなっていた。安原も小林の捜査にはうんざりしていたはずだ。
殺されても仕方ない男。小林の悪行を知れば誰だってそう思うだろう。担任だった頃の記憶など多くは残っていない。小林先生なんて男は遠い過去の人間であり、今、知る小林はやはり殺されても仕方ない男だ。
由之がグラスにビールを注ぐ。順に注がれたビールの泡はちょうどいい対比で、この二丁目のどこにでもあるバーと変わらないはずだった。
だが安原はバーに飲みに来たなんて感覚は一切持ち合わせていないようで、ビールが差し出されるより前に、その口を開いた。
「これを見て下さい。先日あなたが郵便局から送ったと言っていた招待状です。二周年パーティーの招待状はこれで間違いありませんか?」
カウンターに置いた白い封筒から安原がカードを取り出す。
そのカードはさっき目に留まった、2nd Anniversary Party のポスターと同じ図柄だ。
「ええ、そうです。それです」
ビールを一番欲していた夏樹へ、次に隣にいた貴久へ、そして最後に安原へと、ビールを注いだグラスを由之が差し出していく。それは予想通りでもあったが、ビールへ真っ先に口を付けたのは夏樹だ。
「……封筒はこれですか? あなたが郵便局で大量に持っていた封筒はこれで間違いありませんか?」
まどろっこしい安原の言い回しがやけ気になる。何かが痞えているが、何が痞えているかは分からない。
その時。グラスがぶつかる小さな音が耳に飛び込んだ。呑気なもので夏樹と貴久は、乾杯と言わんばかりにグラスを合わせている。
「間違いないです。これはチキンパイのママ、タケ子さんに送ったやつです」
由之が白い封筒の宛名を覗き込んでいる。
「それじゃあ、これは?」
安原がポケットからもう一つの別の白い封筒を取り出す。
「まだあるんですか?」
柔らかく笑いを含んだ声で、並べられた封筒の宛名を覗き込む由之。
腰を捻り、安原の手元の封筒の宛名を、由之同様に覗き込む。
「やっぱり何か思い当たる事があるんですね」
固まる由之。安原は核心を突いた顔で由之の出方を待っている。
「何? 何? 何か面白い物?」
「お前たちは大人しくビールを飲んでいろ。俺の奢りでいいから」
首を突っ込む夏樹を安原が制止する。
「安原さん、これって例の?」
そう尋ねてみたが、封筒に書かれた見覚えのある宛先に、肝が冷やされていく音が響いていた。
「ああ、そうだ。全く同じ封筒だ。どこにでも売っているようなものだが、宛名のラベルも印字された文字も全く同じだ。同じパソコンで同じプリンターを使った事は調べればすぐ分かる。何より消印が同じなんだ」
「安原さんの想像の通りです。その封筒の中身は分かっています。その写真を撮ったのも俺です」
俯き加減だった由之が真っ直ぐと安原へ向かっていた。いつも柔らかい由之の口調が少し荒くなったようにも思え、対峙する由之と安原の側から遠く離れたいと願う。
「お伺いしますが、何のためにこの写真を送られたんですか?」
タレコミの写真である。その写真の人物を警察に引き渡すために決まっている。何のために? 安原の愚問に口を挟もうともしたが、的を得ない安原の質問に由之が正論で返す。
「何のためにとは? おっしゃっている意味が分かりません。小林先生を警察に捕まえてもらいたかった。中学生と関係を持つなんて犯罪です。それだけです」
「それだけですか? 確かに中学生と関係を持つなんて許されるべきではない。立派な犯罪です。でも小学生と関係を持つのも同じですよね? 小学生と関係を持った教師。それも勿論犯罪です。どちらにせよ幼い子供に手を出すなんて質が悪い」
「そうですね。おっしゃる通りです」
「では言い方を変えて、もう一度伺います。何のためにこの写真を警察に送ってきたんですか? 小林に捕まって欲しい理由は何ですか? 何か恨みでも?」
安原は勘違いしている。小学生の頃に犯罪まがいの悪戯をされた由之が小林に恨みを持った。それが安原の考えであり、その考えが間違っている事を正すべきだと体を乗り出す。だがその必要はなかった。
「恨みなんてないです。ただ愛って言うんですかね」
由之の口調はいつもの柔らかいものへ戻っていた。
小林と由之のあの映像は嫌悪を抱く対象でしかない。犯罪の一言で片付けられる代物に違いなかった。だが由之が口にした愛と言うフィルターを通せば、全く別の意味を持つ記録のように思える。
大人しくビールを飲んでいろと言われた夏樹と貴久は、時々由之や安原を見ながらも黙ってビールを飲んでいた。
だが由之の口から漏れた愛と言う言葉に、二人の集中はビールではなく由之へと向かい始めていた。
「小林先生が自分だけを向いてる時は幸せでした。それは子供の頃も今も変わらないです。……今じゃないですね、もう先生死んじゃったから。自分だけを向いていた先生の興味が、晴人や夏樹や貴久にも向いていると知った時はめちゃくちゃ悲しかったです。だから先生なんていなくなればいいって。昔の事過ぎて美化しちゃっていますけど。でも三人に嫉妬していたのは間違いないです。先生が自分一人のものにならないなら消えてしまえばいいって、本当にそう思ったんです」
一息に吐き出した後、由之は自分のためのグラスにビールを注ぎ始めた。そんな由之に合わせるように安原もグラスに手を伸ばしている。
「……晴人が葉書をくれたんです。子供の頃。それで先生の事は忘れようって。大人になってすっかり忘れていたのに」
突然自分の名前が挙がった事に、思わずビールを噴き出す。だが全てを噴き出した訳ではなく、僅かな量ではあるが、少しのビールが気管に流れ入ったようだ。
ゴホゴホと咳込んだ胸を強く叩いてみる。
「晴人、大丈夫?」
慌てて由之が差し出したおしぼりで口許を押さえる。
「……晴人の葉書に新しい道を進みますって書いてあったんです。晴人も新しい道を進んでいるなら、先生の事なんか忘れて新しい道を進もうって。ずっと忘れていたのに。もう子供の頃の事なんて全部忘れていたのに、現れたんです。また小林先生が自分の前に」
「小林があなたの前に現れたのはいつですか?」
「去年です」
由之の答えに嘘はなかった。もう嘘を付く必要も、隠し事を持つ必要もないと悟っているのだろうか。それとも何かの覚悟だろうか。
「この店に来たんです。気付かなかったけど、先生から電話があったんです。一緒に食事でもしようって。お客さんと食事に行ったりってよくある事なんです。二人で食事に行って……。その時に告げられました。担任だった小林だと、君たちが歩道橋から突き落とした小林だと。……それが最後でした」
「何が最後だったんですか?」
「子供の頃を思い出したら、先生しか見えなくなりました。でも子供の頃とは違う。こんな歳になってしまって。上手くいくはずなんてなかったんです。だって……」
由之が言葉を詰まらせる。
この辛い告白にはどんな意味があるのだろう。安原の尋問ではなく、由之自ら放出させている心の内。
どんな立ち位置で由之に向かえばいいのかが分からなくなる。だが安原はまだ由之から何かが出てくると思っているようだ。
「だって、何ですか?」
「だって先生の対象は、こんな自分じゃ駄目なんです。若ければ若いほどいいって、幼い方がいいって。中学生と関係を持っている事も本人から聞かされました。晴人が見た映像も見せられました。都合よく会いはするけど自分じゃ駄目なんだって。それなら目の前から消えてくれればいいのにって、だから写真を送ったんです。警察に捕まってくれれば……」
「あなたの告発の本意はそこにあったんですね」
見開いていた安原の目が細くなっていた。安原も小林の捜査にはうんざりしていたはずだ。
殺されても仕方ない男。小林の悪行を知れば誰だってそう思うだろう。担任だった頃の記憶など多くは残っていない。小林先生なんて男は遠い過去の人間であり、今、知る小林はやはり殺されても仕方ない男だ。
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