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Chapter 6 『シングルマン』
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この庭を訪れるのは四度目だろうか。すっかり庭の住人となった永井が出迎える。
「みんな揃って、また何かあったのか?」
他人事なその声に永井が刑事である事を忘れそうになる。このワーリン・ダーヴィッシュを探るために張り込みをしている。そんな尤もらしい言い訳も用意できるだろうが、永井の目的はただ一つ。息子の享だけだ。
「まだ享君には会わせて貰えないんですか?」
「ああ。でもあの部屋が享の部屋らしい」
永井が屋敷の右端の窓を指差す。初めてここを訪れた時に見つけた窓ではないが、同じような木枠に色ガラスが填め込まれた窓。
「蔵前さんが教えてくれたんだ。勿論こっちから向こうは見えないけど、向こうからこっちは見えるらしい。享が庭を見て、俺の姿を見つけて、何か思い出してくれないかって。甘い話なのは分かっているよ。でもなあ……」
永井が指差した窓にゆっくりと目を向ける。照れ臭そうに笑いながらもその顔は父親の顔だ。刑事である前に父親である事。誇りを持って何が悪いとでも言いたそうな顔だ。
「お待たせ致しました」
屋敷のドアが開き蔵前が姿を見せる。何故か憔悴しきったその顔に、また新たな不安が首を擡げる。前城の自殺を知ったからか? だが蔵前にとっての前城は、髭面の男としか認識されていないはずだ。
そうでなければ、やはり君生が言うように——。
「……私もお話したい事があったので、丁度よかったです」
蔵前の淹れた紅茶が直樹の手によって差し出される。お口チャックを約束させ連れて来た直樹。今はまだ約束を覚えているようだ。
「蔵前さんのお話とは?」
少し背中を倒し君生が目を細める。初めから疑いが含まれたその視線に不安が増殖していく。
「いえ、先にご用件をお伺いします。こうしてお越し頂いたので」
「では」
君生が少し倒した背中を正し身を乗り出す。手にしているのはあの写真だ。
「ここに写っている人物が先日仰っていた髭面の男だと思います。この人物は前城一樹。こちらの前代表であった前城氏ではなく、本物の前城一樹です」
蔵前が差し出された写真を手にする。
「そしてこの前城一樹は昨日自殺しました」
淡々と告げる君生。
「……ご冥福をお祈り致します。そうとしか申し上げられません」
蔵前の対応には微塵も乱れがなかった。君生がどれだけ突っ走ろうが、前城の片棒を蔵前に担がせるなんて事は不可能なのかもしれない。蔵前に対し、疑いを全く持っていない訳ではないが、凛とした蔵前に殺人者の顔を探し出す事は出来ない。
「その写真の前城ですが、スマホを手にしています。率直に申し上げます。そのスマホの契約者が蔵前蓮。あなただったのです。本当にこの前城を、ただ髭面の男としか認識していないのですか? 本当はこの前城ともっと深い繫がりがあるのでは?」
猜疑に満ちた君生の目だが、蔵前がその顔を歪める事はない。
「私がお話したかった事と共通していますね」
微塵も乱さない態度で、蔵前が答える。
一体何を話したいのだろう。その話によって事が収拾して行けばいいが、新たな疑問点を生む事になったら。もうキャパオーバーだ。そうなった時には全てを放り出してやる。二十歳そこそこの男に現を抜かし、エロ親父と呼ばれる人生を全うしてやる。
「……これです」
蔵前が取り出したのは銀行通帳と印鑑だった。通帳の表紙にはクラマエレンと印字されている。
「先日この通帳と印鑑が送られて来ました」
「それが何か?」
君生は身を乗り出す様子もない。通帳に示せる興味など、これっぽっちもないのだろう。
「この通帳の名義は私ですが、私ではないのです」
——どう言う事だ?
通帳の名義が自分ではないから、スマホを契約したのも自分ではない。そんな言い分だろうか。いや、違う。スマホの契約の話を出す前に、蔵前は既にこの通帳を用意していた。
「……すみません。もっと早く思い出していれば良かったんですが。実は亡くなった私の父の補佐をしていた人物が蔵前蓮と言う名前だったんです。前にもお話したように、名前と言うものは現世でのもの。このワーリン・ダーヴィッシュでは取り立てて必要としないので、私も気付くのが遅くなりました」
「お父さんの補佐? と、言う事は、高幡宗一郎氏の補佐だった」
「そうです」
繋がりそうで繋がらない何かが一気に燻り始める。
「この通帳の名義を見て不審に思いました。私の名前ですが、私には覚えがなかったんです。そこで銀行に問い合わせしてみたところ、この口座は二十年前には開設されたものでした」
蔵前が一息に吐き出した事で、燻っていた何かが、急速に形になり始めた。お口チャックを約束させた直樹を睨むと、口に指でバッテンを作りながらも、既に形に出来たようだ。
だが君生の顔はまだ何一つ繫がりを見出せていない。
「この口座は二十年前、高幡宗一郎氏の補佐であった蔵前連によって開設された。そして今、高幡颯斗氏の補佐となったあなたの元に送られてきた」
「そうです」
短い蔵前の返事に息を飲む。
「拝見させて頂きますが、二十年前から常に入出金はあるんですよね? それと高幡宗一郎氏の補佐であった蔵前蓮氏は今?」
「入出金の記録は残っていました。それと父の補佐であった蔵前蓮ですが、父が亡くなって以降は一度も見掛けていません」
蔵前の手から通帳を受け取り、入出金の最後のページに目を落とす。そこに羅列した数字に、まだエロ親父と呼ばれる人生を全う出来ない事を教えられる。
——三月三十一日。五千万円。出金の記録だ。
「高幡宗一郎氏の補佐であった蔵前蓮から、高幡颯斗の補佐となったあなたにこの口座は託された。だが二人の間には十七年あった。その十七年の間、蔵前蓮を名乗っていたのが、前城一樹だったと言う事ですね。だから前城のスマホは蔵前蓮の名前で契約されていた。前城代表となった成田和弥の補佐だったのが髭面の男。蔵前蓮を名乗った前城一樹だった」
言い切った後ふと見やった君生の表情は曇っていた。標的と絞った蔵前にはもう突っ走れない事を悟ったのだろう。
「みんな揃って、また何かあったのか?」
他人事なその声に永井が刑事である事を忘れそうになる。このワーリン・ダーヴィッシュを探るために張り込みをしている。そんな尤もらしい言い訳も用意できるだろうが、永井の目的はただ一つ。息子の享だけだ。
「まだ享君には会わせて貰えないんですか?」
「ああ。でもあの部屋が享の部屋らしい」
永井が屋敷の右端の窓を指差す。初めてここを訪れた時に見つけた窓ではないが、同じような木枠に色ガラスが填め込まれた窓。
「蔵前さんが教えてくれたんだ。勿論こっちから向こうは見えないけど、向こうからこっちは見えるらしい。享が庭を見て、俺の姿を見つけて、何か思い出してくれないかって。甘い話なのは分かっているよ。でもなあ……」
永井が指差した窓にゆっくりと目を向ける。照れ臭そうに笑いながらもその顔は父親の顔だ。刑事である前に父親である事。誇りを持って何が悪いとでも言いたそうな顔だ。
「お待たせ致しました」
屋敷のドアが開き蔵前が姿を見せる。何故か憔悴しきったその顔に、また新たな不安が首を擡げる。前城の自殺を知ったからか? だが蔵前にとっての前城は、髭面の男としか認識されていないはずだ。
そうでなければ、やはり君生が言うように——。
「……私もお話したい事があったので、丁度よかったです」
蔵前の淹れた紅茶が直樹の手によって差し出される。お口チャックを約束させ連れて来た直樹。今はまだ約束を覚えているようだ。
「蔵前さんのお話とは?」
少し背中を倒し君生が目を細める。初めから疑いが含まれたその視線に不安が増殖していく。
「いえ、先にご用件をお伺いします。こうしてお越し頂いたので」
「では」
君生が少し倒した背中を正し身を乗り出す。手にしているのはあの写真だ。
「ここに写っている人物が先日仰っていた髭面の男だと思います。この人物は前城一樹。こちらの前代表であった前城氏ではなく、本物の前城一樹です」
蔵前が差し出された写真を手にする。
「そしてこの前城一樹は昨日自殺しました」
淡々と告げる君生。
「……ご冥福をお祈り致します。そうとしか申し上げられません」
蔵前の対応には微塵も乱れがなかった。君生がどれだけ突っ走ろうが、前城の片棒を蔵前に担がせるなんて事は不可能なのかもしれない。蔵前に対し、疑いを全く持っていない訳ではないが、凛とした蔵前に殺人者の顔を探し出す事は出来ない。
「その写真の前城ですが、スマホを手にしています。率直に申し上げます。そのスマホの契約者が蔵前蓮。あなただったのです。本当にこの前城を、ただ髭面の男としか認識していないのですか? 本当はこの前城ともっと深い繫がりがあるのでは?」
猜疑に満ちた君生の目だが、蔵前がその顔を歪める事はない。
「私がお話したかった事と共通していますね」
微塵も乱さない態度で、蔵前が答える。
一体何を話したいのだろう。その話によって事が収拾して行けばいいが、新たな疑問点を生む事になったら。もうキャパオーバーだ。そうなった時には全てを放り出してやる。二十歳そこそこの男に現を抜かし、エロ親父と呼ばれる人生を全うしてやる。
「……これです」
蔵前が取り出したのは銀行通帳と印鑑だった。通帳の表紙にはクラマエレンと印字されている。
「先日この通帳と印鑑が送られて来ました」
「それが何か?」
君生は身を乗り出す様子もない。通帳に示せる興味など、これっぽっちもないのだろう。
「この通帳の名義は私ですが、私ではないのです」
——どう言う事だ?
通帳の名義が自分ではないから、スマホを契約したのも自分ではない。そんな言い分だろうか。いや、違う。スマホの契約の話を出す前に、蔵前は既にこの通帳を用意していた。
「……すみません。もっと早く思い出していれば良かったんですが。実は亡くなった私の父の補佐をしていた人物が蔵前蓮と言う名前だったんです。前にもお話したように、名前と言うものは現世でのもの。このワーリン・ダーヴィッシュでは取り立てて必要としないので、私も気付くのが遅くなりました」
「お父さんの補佐? と、言う事は、高幡宗一郎氏の補佐だった」
「そうです」
繋がりそうで繋がらない何かが一気に燻り始める。
「この通帳の名義を見て不審に思いました。私の名前ですが、私には覚えがなかったんです。そこで銀行に問い合わせしてみたところ、この口座は二十年前には開設されたものでした」
蔵前が一息に吐き出した事で、燻っていた何かが、急速に形になり始めた。お口チャックを約束させた直樹を睨むと、口に指でバッテンを作りながらも、既に形に出来たようだ。
だが君生の顔はまだ何一つ繫がりを見出せていない。
「この口座は二十年前、高幡宗一郎氏の補佐であった蔵前連によって開設された。そして今、高幡颯斗氏の補佐となったあなたの元に送られてきた」
「そうです」
短い蔵前の返事に息を飲む。
「拝見させて頂きますが、二十年前から常に入出金はあるんですよね? それと高幡宗一郎氏の補佐であった蔵前蓮氏は今?」
「入出金の記録は残っていました。それと父の補佐であった蔵前蓮ですが、父が亡くなって以降は一度も見掛けていません」
蔵前の手から通帳を受け取り、入出金の最後のページに目を落とす。そこに羅列した数字に、まだエロ親父と呼ばれる人生を全う出来ない事を教えられる。
——三月三十一日。五千万円。出金の記録だ。
「高幡宗一郎氏の補佐であった蔵前蓮から、高幡颯斗の補佐となったあなたにこの口座は託された。だが二人の間には十七年あった。その十七年の間、蔵前蓮を名乗っていたのが、前城一樹だったと言う事ですね。だから前城のスマホは蔵前蓮の名前で契約されていた。前城代表となった成田和弥の補佐だったのが髭面の男。蔵前蓮を名乗った前城一樹だった」
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