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Chapter 6 『シングルマン』

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 鑑識は自殺だと判断を下した。死亡推定時刻は夜の十二時。

 三丁目のシティホテルのベッドの上、樹を腕に抱いていた頃だ。

『全身真っ白な男が死んでいる』

 通報者の第一声を教えられた時、くるくると回る白いスカートの男の姿が頭を掠めた。

「秀三さん、朝っぱらから電話してすみませんでした」

 呼び出された新宿公園。バリケードの向こうで手を挙げる君生に遠慮なくテープをくぐる。

 樹はまだ眠りの中にいるのだろうか? 思い出せるその寝顔に、黙って出て来た事を不審がっていないか、気掛かりはただそれだけだ。だがそんな気掛かりが何故か苛立ちへと変わる。

「……状況から見て鑑識は自殺だと断定しました。争った形跡もないです」

 顔を合わせるなり、状況説明を始める君生。

「それで身元は?」

「それが、多分。スマホは持っていたんですが、身元は割れなくて。でも多分、間違いないと、多分ですが」

「多分、何だ!」

 予想しなかった程の大きな声に自分でも驚く。

「多分ですが、前城一樹だと思われます。髭の濃い男でした。それにあのブリーフ姿の写真の男の面影がありました」

「——前城だって?」

 昨日の今日でどう言う事だ。

 樹へ全てを託した事で終わりにしたって事か?

 託された樹はどうなる?

「少し時間を取れるか?」

 樹に黙って出て来た以上の苛立ちが膨らむ。

「何ですか? 少しなら大丈夫ですけど。この自殺も、それに連続殺人の件もあって俺もそれなりに忙しいんですよ」

「だから力を貸してやるんだよ。もう全てが終わったかもしれない」

 首を伸ばした新宿公園には前城らしき死体はもうなかった。だが君生が前城だと言うのなら間違いないだろう。

「……少し席を外すと言って来ました」

 君生がテープを潜る。

「それとスマホに残っていた履歴ですが、着信発信とも番号は一つだけでした。ただ一通だけですが別の番号にショートメッセージが送られていました。その相手にもアプローチしようかと……」

 決定的だ。何度も『多分』と付け加え、肯定できなかった事が、今君生の口が肯定したじゃないか。

「メッセージの相手にアプローチする必要はない。二十歳の誕生日おめでとう。東南口。それにコインロッカーだろ?」

「何で秀三さんが知っているんですか?」

 不審な目を向けられている事は分かっていたが、向き直り説明をする必要はなかった。店に戻りあの写真を見せるだけだ。それで全てが終わりになる。ただ一つ悩ましい事は、どうすれば樹を巻き込まずに済むかだけだ。

「そのメッセージの相手には連絡しないよう頼めないか。もし連絡が必要だと言うなら、俺を介せばいい」

 仲通りを右に曲がった所でトップボーイズの看板が目に入ってきた。

 まだ一日と経っていないのに、随分と昔にそのドアを開いたような感覚だ。それは樹に対しても同じだ。まだ二時間と経っていないだろう。一つのベッドで寝ていた樹が遠くに感じる。いや、遠く離れてしまったのはこの自分なのかもしれない。樹を守りたい。樹だけは巻き込みたくない。そう願いながらも、君生の知らない情報を易々と引き渡そうとしている。

「何があったんですか?」

 君生が焦りの色を見せる。

「色々あってな。まあ、店に行けば分かるさ。何故自殺したかまでは分からないが、前城で間違いない。連続殺人犯も前城だ」

「何か証拠でも?」

 君生の驚きを背中に黒川第一ビルの階段を昇る。

「ん? 何でだ?」

 鍵を掛けた覚えはない。それなのに右に回そうが左に回そうがドアが開く事はない。がちゃがちゃと何度もドアノブを回す。その時、ノブが急に固くなった。

「……もうこんな時間まで何処に行っていたのよ。あら、君ちゃんも一緒なの? 朝から君ちゃんなんて珍しいわね」

 ドアの隙間に見せた直樹の目には、後ろで控えた君生の姿も映っていたようだ。

「何で鍵を掛けて俺を閉め出すんだ?」

「閉め出してなんかいないわよ! 大事な物を放り出して消えたのは秀三じゃない。あたしだってウトウトはするわ。眠っている間に盗まれて困るのは秀三でしょ。だから誰も入って来られないように鍵を掛けていただけよ」

 大事そうに直樹が封筒を抱えている。

 誰が写真なんか盗むんだよ! 喉元まで出かかった言葉を飲み込む。涙ぐましい努力は認めてやる。

「とりあえず情報共有だ。その封筒は君生に渡せ」

 言われた通りに封筒を君生へと差し出す直樹。

「……そう言えば、ワインはもうないのか? 朝から君生に呼び出されて、色々考える事が多くて、酒でも煽って頭を休ませたいんだ」

「頭を休ませるのはいいけど、ワインなんて珍しいわね」

「昨日の夜飲んだやつが美味くて、ワインもいいもんだなって」

「ワイン? 何処でよ?」

 直樹の目が興味に輝く。面倒な奴だ。

「三丁目のフレンチだ」

 軽く流そうとしたが、無理なようだった。

「フレンチ? 何であたしを誘ってくれないのよ。まさかいっ君と? 二人きり? あたしなんか昨夜はここで一人寂しく映画を観ていたのよ。しかも『シングルマン』を観ていたなんて。秀三がいっ君とワイン飲んでイチャラブな時、シングルのあたしは一人寂しく『シングルマン』って。もう神様なんか糞喰らえだわ!」

「直樹さん。うるさい!」

 いつもは全面的に直樹を受け入れる君生が、大きな声を上げ一喝いっかつする。その真剣な視線の先はあの写真だ。

「これって前城が犯人だったって示しているんですよね?」

「そうだろうな。それで昨日自殺した髭面の男はその写真の男で間違いはないんだろ? って、事は……。河野ら三人を殺害したのは前城。その前城は昨日自殺した」

「えっ? やだ。何よ、前城一樹が自殺したって。いっ君のお父さんが自殺? 何で、何でよ? いっ君にどう説明するのよ?」

「何でなんて俺が知るはずないだろ!」

「何か理由があるから自殺するんでしょ? 昨日の『シングルマン』だって、八カ月前に恋人が交通事故で死んでしまって、後を追って自殺しようとする男の話だったの。成田和弥なら小峰遼を追って自殺するのも解るけど、何で前城が自殺なの? それに成田なら解るけど、前城が三人を殺す理由なんてないじゃない」

 直樹が捲し立てている間も、君生は写真を手に固まったままだ。追い求め続けた連続殺人犯の姿がようやく見え始めたところで、被疑者の自殺だなんて。こんな幕切れを望んでいた訳ではないだろう。

「……これで終わりなんですか?」

 君生がぼそりと吐く。

「そんな写真じゃ前城が犯人だって言う証拠にはならないのか?」

「いえ、そうじゃないですけど。本当にこれで終わりかなって」

 あまりにも呆気ない幕切れを受け入れられないようだ。

「ちょっと待って。まだ終わりじゃないでしょ。映画観終わっても秀三帰って来ないし、する事ないからずっと写真を眺めていたの」

「悪趣味だな」

「んもぅ。ちゃんと聞いてよ。ねぇ、君ちゃん。その写真をテーブルに並べてみて。確か七枚あったはずだから」

 束をばらし直樹の指示通りに写真を並べる君生。

「これとこれと、これとこれは違うの」

 四枚の写真が外され、残った三枚を直樹が指差す。

「ほらよく見て」

 残った三枚は全て正面を向いた髭面の男の写真だ。

「何か写真がぼやけていますね。レンズが濡れていたとか?」

「それもそうかもだけど、君ちゃん、もっとよく見てよ」

「ああ、スマホですか?」

 前城が手にするスマホを君生が指差す。確かに外された四枚にスマホは映っていない。

「そう。スマホはスマホなんだけど。そのスマホをよく見て」

 直樹が言うように写真のスマホを注視するが、何を言いたいのかはまだ分からない。だが君生はすぐに気付けたようだ。

「ああ。白いですね。反射ですかね?」

「そう。黒いスマホに反射して白い何かが映っているでしょ? それでこれよ。特にこの一枚。よく見て」

 直樹の人差し指の先、黒いスマホに反射する、白い何かに注視する。

「——傘?」

 思わず口を突く。

 映り込んだ白い何かは開いた傘のように見える。

「傘に見えなくもないけど。これは白いスカートよ。風かなんかで拡がってスカートが傘のように見えているけど」

「白装束ですか?」

 君生の声にすぐさま蔵前の姿を思い出した。
 蔵前が普段身に付けているあの白装束、あのスカートが風で拡がれば傘に見えるだろう。

「犯人は二人なんでしょ? 前城だけじゃなく、もう一人いるのよね? それがスマホに映り込んだこの白装束の人物。その人物を前城がスマホで撮っているのよ。スマホを向けているってそう言う事でしょ?」

「お互いに写真を撮り合っているって事か」

 黄色のチューリップを挟み、撮影会をしていたいつかの直樹と永井の姿が過る。

「だが何のためにだ? 記念撮影ってわけじゃないだろ?」

「そんな事、あたしに聞かれても分からないわよ」

 もう一度三枚の写真に目を落とす。三枚の写真の共通点は……。そうだ。さっき君生が口にしたじゃないか。ぼやけて見える三枚の写真は濡れたレンズで撮られたもの。

——集中豪雨。

「この三枚は今野と高橋が殺された日のものだ。まだ河野は殺されていない。……河野殺害と言う目的達成まで、お互いを縛っておくためだったんじゃ?」

「……そうかもしれないですね。でも、とりあえず俺は前城のスマホの確認に行って来ます。まだ現場にあるかもなんで、すぐに行って来ます」

 君生が慌てて飛び出して行く。

 写真が撮られた理由など、君生にとってはどうでもいい事なのだろう。だがこれで二人の関係性が見えたのでは? 絶対的な信頼で成り立っている訳ではない。お互いが、いや、片方だけかもしれないが、絶対的な信頼は寄せていない。

「……ねえ、秀三。高いワイン頼んでいいわよね?」

 したり顔の直樹がスマホを手にする。

「どこに電話するんだ?」

「酒屋のイケメンちゃんよ。電話貰えればすぐに飛んで来ますって、こないだ番号貰ったの。近くだからすぐに届くはずよ」

 その言葉に偽りはなく、五分と待たずにワインが届いた。サインをするよう差し出された請求書。その金額に思わず現実へ戻される。

「昨日フレンチだったんでしょ? だからきっとフランスのワインが口に合ったのよ。だから秀三のために届けて貰ったのがこれ。シャトー・ラフィット・ロートシルトのカベルネよ」

 舌を噛みそうな名前をさらりと言い上げ、ご機嫌な顔でオープナーを回す直樹。フランスのワインだから口に合った訳ではなく、樹を前に飲んだワインだったから、美味く感じただけだ。だが直樹を前に飲むのであれば、高級ワインもその味を半減させるだろう。

 そこへ慌てて飛び出した君生が、息を切らしながら戻って来た。その息の切らし方に、直樹への嫌味が声にならず消滅していく。

「そんなに慌てるって事は、まさか何か出てきたのか?」

「いえ。前城のスマホには画像や映像は残っていませんでした。消去されているようで。鑑識には復元できないか頼んでおきました」

「それじゃ、何でそんなに慌てているの? 落ち着くために君ちゃんも一緒に飲む? シャトー・ラフィット・ロートシルト。結構な高級ワインよ」

 そう言いながらも断られる事が分かっているようで、君生のための水をグラスに注ぐ直樹。

「いや、俺はまだ勤務中なんで。それであの前城のスマホです。……スマホの契約者が蔵前さんだったんです。蔵前蓮。髭面の男の名前は知らないなんて言っていましたけど、名前の知らない男のスマホを契約しますか? あり得ないです。蔵前がもう一人の可能性も出てきましたよ」

 たかだか二文字の敬称すら外した君生に不安が過る。このまま蔵前に標的を絞り、突っ走るのだろうか。だが蔵前には三人を殺害する動機などない。ただそれは前城にも置き換えられる事で、動機と言う面だけをすくえば、前城が犯人だと言う事も腑には落とせない。
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