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Interlude 『ルーミー』
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金曜日の朝を迎え、ようやく亮平の部屋へ行く事を許された。
許されたと言っても、誰かに直接咎められていた訳ではない。ただ亮平の食事を取りにダイニングへ向かっても、「別の者が運びます」と、調理係の一言にその食事を受け取る事が出来なかった。
食事を運べなくてもと、コーヒーを淹れた紙コップを手に亮平の部屋をノックしようとすると、決まって髭面の男に呼び止められた。
監視されているのかも? ふとそんな考えが浮かびもしたが、金曜日の朝を迎えたダイニングで、「おはようございます」と、調理係から声を掛けられ、亮平の食事が用意されたトレイを渡された。
「亮平さん、おはようございます。朝食を持って来ましたよ」
勢いよく開けた扉の向こう、少し窶れたように見える亮平がベッドに腰掛けていた。その亮平の膝の上には何枚も積み重なったトレイだ。
「ああ、颯斗、颯斗、颯斗だよな?」
震えた声で何度も名前を呼ばれる。六日の間に一体何があったんだろう。ただそんな亮平への心配も手にしたトレイと積み重なった食器の山への不安には勝てない。
「どうしたんですか? そのトレイ? それにこの食器の山は何ですか?」
部屋の隅で山になった、汚れた食器を指差す。
「今日が何曜日か数えていたんだ」
「ええ? 何曜日かって? それより誰も食器を下げに来なかったんですか?」
「ああ、来なかった」
「ええ、酷いなあ。こんなのすごく不衛生じゃないですか。すぐに片付けますから亮平さんは朝食を召し上がって下さい」
「いや、飯はいいから、とりあえず話を聞かせてくれ。なあ、ルーミーって誰なんだ?」
「話は後です。とりあえず食べて下さい。私は片付けをします」
膝の上、手にする何枚ものトレイを奪い取る。
「分かった。飯は食うから、今日が何曜日かだけ教えてくれ」
「今日ですか? 今日は金曜日です」
トレイを手にダイニングへ戻る。調理係が普段片付けに使っている大きな籠がキッチンにある事は知っていた。
「これ、お借りします」
籠を手にしたが調理係の返事はなかった。
「亮平さん。食べて下さいね。全部食べないと話はしませんよ」
悪戯に笑いながら、汚れた食器を大きな籠に放り込んでいく。
「悪いな」
いつの間にこんなに弱弱しくなってしまったんだろう。亮平が力なくトーストに手を伸ばしている。
「ちゃんと椅子に座って食べて下さいね。これ片付けてコーヒーをもう一杯淹れて来ますから」
「悪いな」
籠に放り込んだ食器に目を落とす。汚れてはいるがそこに食べ残しはない。しっかり食べているはずなのに。どうしてあんなに弱弱しくなってしまったんだろう。
「そのトレイは後で片付けますね」
紙コップを二つ並べた新しいトレイを手に亮平の元に戻ると、既にトーストも目玉焼きもきれいに平らげられていた。
「……亮平さんも、新しいコーヒーどうぞ」
「ああ、ありがとう」
「それで話って何ですか? 何を話せばいいんですか?」
亮平の表情が困惑する。六日経ってもまだ真っ白なままなんだろうか。紙コップに口に付け、困惑したその顔を覗き込む。
「それで今日、何かあるのか?」
開かれた唇の動きを盗み見る。
「今日はセマーの日です。金曜日はセマーですよ」
「やっぱり今日、セマーが行われるんだな」
「そうですよ。金曜日は儀式の日です。今日の日没と共にセマーが始まります」
全てを一から話しているような気になる。安定しない亮平の記憶。もし間違った記憶を誰かに与えられても、亮平には信じるしか出来ないのだ。
「颯斗も参加するのか?」
「勿論です。ただまだまだ修行の身なので、入神できるかは分からないですけど」
「もし入神できなかったら?」
「えっ? できなかったら? その時は今日の修行は終了です。セマーは前に話したように旋廻舞踊です。神と一体化するために回り続けるんです。最初は自分の意志で回り始めますが、人の力だけで回り続けるなんて無理な話です。それは修行が足らないだけではあるんですけど。回転が止まればそこで終わりです。また来週頑張りましょうって肩を叩かれて終わりです」
「それじゃ入神できた者は?」
「それは……」
亮平が入神できる事は知っている。全てを正直に話していいものだろうか。
「何なんだ?」
亮平の声が荒くなる。
「それは入神性交です。当たり前ですが一番力が強い者が真っ先に入神します。その真っ先に入神した者と、選ばれたもう一人が入神性交に移ります。選ばれなかった者は日が変わるまで二人のために入神し続けるんです。そうする事で力を持つ者は更にその力を高める事が出来るんです。ただ私はいつも一時間も持たずに退室させられるので、日が変わるまで入神なんて考えられない話なんですけど」
「日没からセマーが行われ、入神した者は入神性交へ進む」
「そうですよ」
「いや、でも……。誰と性交するかは分からないんだろ? もし入神できた者が男だけだったら、性交なんて出来ないじゃないか」
「出来ますよ。それにここに女性は一人もいません。入神性交と言っても必ず男同士です」
「男同士なのか? それに誰でもいいのか?」
「いや、誰でもいい訳ではなくて、入神状態にある者だけです。このワーリン・ダーヴィッシュはイスラム神秘主義に基づいているので、女性の入信は認められていないんです。それにルーミーの時代から、メヴレヴィー教団はフリーセックスを教えにしてきました。全ての者を分け隔てなく愛しなさい。これもルーミーの教えに基づいています。男性が女性を、女性が男性を愛するのは当然の事です。ですがそれだけではない全ての者を愛しなさいと言うのがルーミーの教えです」
「そうだ!」
何かを思い出したように亮平が大きな声を出す。
「そのルーミーだよ。何年も前に解散させられた教団の開基者だって言っただろ?」
「はい」
「この間、ルーミーに呼ばれただろ? ルーミーがお呼びだって、颯斗を呼びに来たじゃないか。そんな大昔の開基者に呼ばれたって、どう言う事だよ!」
亮平が意図する事が何なのか、咄嗟には分からなかったが、扉の前に立つ髭面の男を思い出しすぐに弁明をする事ができた。
「ルーミーですね。私を呼んだのはこのワーリン・ダーヴィッシュの代表です。前城一樹代表に呼ばれました」
「代表? 前城一樹?」
「そうです。このジャパン・ワーリン・ダーヴィッシュの代表としてだけでなく、世界中のワーリン・ダーヴィッシュの頂点に立っています。それがルーミーです」
「どう言う事だ? 代表がルーミー? 全く意味が分からない」
「簡単な事ですよ。世界中の教団の中で一番力を持っている者がルーミーとして頂点に立つんです。それが前城代表です。前城代表が現在のルーミーなんです」
「そんなに凄い奴なのか?」
「もちろん凄いです。EDMフェスが盛んな事も関係していると思うんですけど、オランダの教団も力を持っていて、そこの代表もルーミーの座を狙っているみたいなんですけど、負かしていますから」
「今日のセマーに出ればその代表にも会えるって事か」
「そうですね。それで亮平さん、他には何かありますか? 私にお話できる事なら何でもお話しますけど」
「ああ、ありがとう」
こんな穏やかな時間が永遠に続くなら。叶わない事と知りながらも、ただ願う事に罪はないはずだ。きっとルーミーが求めた時間もこんな時間だったに違いない。そうでなければあんな詩を紡げるはずもない。だが亮平にとっては、穏やかな時間を過ごすより、抜け落ちた記憶を探る事が優先されるようだ。
「あと、もう一つ。十一って何だったんだ?」
「えっ? 十一ですか?」
「そうだよ。颯斗が言っただろ? 十一人目だって」
「そうですね。確かに言いました。でも、何から話をすれば」
「何からでもいい。颯斗が口にしたって事は、何か重要な意味があるって。ずっと考えていたんだ。颯斗が来たら聞こうって。でもずっと来なかったよな」
「すみません。忙しくて」
咄嗟に突いた嘘は何を守るためだろう。自分でも分からなかった。ただ悲しそうに見える亮平のその顔に嘘を重ねる事は出来ない。知らなくていい事もあるが、亮平自身に関わる事を亮平に教えない訳にはいかない。
「……まず、一年は十二カ月です。それに時間も十二時間で一区切りです」
「それがどうしたんだ? 何かの例えか?」
「十二です。十二。干支も十二支だし、星座も十二星座です。あっ、亮平さんは何座ですか?」
「何座かだって? 星座?」
「それじゃあ、誕生日はいつですか?」
「誕生日?」
「はい、誕生日です。生まれた日によって星座って変わるじゃないですか。私は九月二十八日生まれだから天秤座なんです。あっ、同じ風の星座なら相性も良いから、双子座か水瓶座じゃないですか? きっとそうですよ。……それで亮平さんの誕生日は?」
「誕生日? 思い出せない。俺はいつ生まれたんだ」
自分の誕生日すら思い出せないほど亮平の記憶は抜け落ちている。それがどれほど恐ろしいことか。
「それじゃあ五月くらいにしておきましょう。双子座で私との相性も良いですから」
間違った情報を与えているかもしれないが、星座なんて些細な事だ。この先、新たに得る情報で埋め尽くされるだろう、亮平と言う真っ白なキャンバスの中で、星座なんて記憶は一粒の塵にもならない。
「それで? 十二が何だって言うんだ?」
「あっ、すみません。話が逸れちゃいましたね。十二です。十二カ月、十二時間、十二支、十二星座。昔から十二と言う数字は一周を表しているんです」
「ああ、そう言う事か。一周だと言いたかったんだな。十二で一周。それは分かった。それで十一人って言うのは?」
「はい。物事の一周は十二です。一周したあとゼロに戻るか、十三に進むか。ゼロに戻ればまた新たな一周が始まります。これもこのワーリン・ダーヴィッシュの教えですが、十三に進めば、そこから別の新たな世界が始まるんです。今のルーミー、前城代表は一周したあと十三に進みました。今は前城代表をルーミーとする世界がここにはあります」
「……」
「なんか全然分かっていないって顔ですね」
「そんな説明で何を理解しろって言うんだよ」
「私が言える事は、亮平さんが十一まで進んだって事です」
「俺が十一まで?」
「今夜のセマーで十二です。あ、セマーではなく、入神性交ですね」
何となく予測は付いたのか、亮平の眉が少しだけ動いた。
「今日のセマーで判るって事だな」
「そうです。それじゃ、私はこれで失礼しますね。今夜のセマーの準備があるんで。それと昼食はしっかり食べて下さいよ。セマーの日は夕食なんて食べられないですから」
「夕食抜きなのか?」
その驚いた顔に思わず声が漏れる。確かに汚れた食器に食べ残しはなかった。
「そうですよ。欲を満たした直後じゃ神と一体化なんて出来ないですから。それと亮平さんの支度ですけど、私が手伝えるように上の者に頼んでみます」
「支度?」
そう聞き返されはしたが、振り返る事はしなかった。いったい亮平はどれだけの事を受け入れ、理解できたのだろう。人の考えなんて計り知る事は出来ないけど、抜け落ちた記憶に余計な事を書き込まれないよう願うばかりだ。
許されたと言っても、誰かに直接咎められていた訳ではない。ただ亮平の食事を取りにダイニングへ向かっても、「別の者が運びます」と、調理係の一言にその食事を受け取る事が出来なかった。
食事を運べなくてもと、コーヒーを淹れた紙コップを手に亮平の部屋をノックしようとすると、決まって髭面の男に呼び止められた。
監視されているのかも? ふとそんな考えが浮かびもしたが、金曜日の朝を迎えたダイニングで、「おはようございます」と、調理係から声を掛けられ、亮平の食事が用意されたトレイを渡された。
「亮平さん、おはようございます。朝食を持って来ましたよ」
勢いよく開けた扉の向こう、少し窶れたように見える亮平がベッドに腰掛けていた。その亮平の膝の上には何枚も積み重なったトレイだ。
「ああ、颯斗、颯斗、颯斗だよな?」
震えた声で何度も名前を呼ばれる。六日の間に一体何があったんだろう。ただそんな亮平への心配も手にしたトレイと積み重なった食器の山への不安には勝てない。
「どうしたんですか? そのトレイ? それにこの食器の山は何ですか?」
部屋の隅で山になった、汚れた食器を指差す。
「今日が何曜日か数えていたんだ」
「ええ? 何曜日かって? それより誰も食器を下げに来なかったんですか?」
「ああ、来なかった」
「ええ、酷いなあ。こんなのすごく不衛生じゃないですか。すぐに片付けますから亮平さんは朝食を召し上がって下さい」
「いや、飯はいいから、とりあえず話を聞かせてくれ。なあ、ルーミーって誰なんだ?」
「話は後です。とりあえず食べて下さい。私は片付けをします」
膝の上、手にする何枚ものトレイを奪い取る。
「分かった。飯は食うから、今日が何曜日かだけ教えてくれ」
「今日ですか? 今日は金曜日です」
トレイを手にダイニングへ戻る。調理係が普段片付けに使っている大きな籠がキッチンにある事は知っていた。
「これ、お借りします」
籠を手にしたが調理係の返事はなかった。
「亮平さん。食べて下さいね。全部食べないと話はしませんよ」
悪戯に笑いながら、汚れた食器を大きな籠に放り込んでいく。
「悪いな」
いつの間にこんなに弱弱しくなってしまったんだろう。亮平が力なくトーストに手を伸ばしている。
「ちゃんと椅子に座って食べて下さいね。これ片付けてコーヒーをもう一杯淹れて来ますから」
「悪いな」
籠に放り込んだ食器に目を落とす。汚れてはいるがそこに食べ残しはない。しっかり食べているはずなのに。どうしてあんなに弱弱しくなってしまったんだろう。
「そのトレイは後で片付けますね」
紙コップを二つ並べた新しいトレイを手に亮平の元に戻ると、既にトーストも目玉焼きもきれいに平らげられていた。
「……亮平さんも、新しいコーヒーどうぞ」
「ああ、ありがとう」
「それで話って何ですか? 何を話せばいいんですか?」
亮平の表情が困惑する。六日経ってもまだ真っ白なままなんだろうか。紙コップに口に付け、困惑したその顔を覗き込む。
「それで今日、何かあるのか?」
開かれた唇の動きを盗み見る。
「今日はセマーの日です。金曜日はセマーですよ」
「やっぱり今日、セマーが行われるんだな」
「そうですよ。金曜日は儀式の日です。今日の日没と共にセマーが始まります」
全てを一から話しているような気になる。安定しない亮平の記憶。もし間違った記憶を誰かに与えられても、亮平には信じるしか出来ないのだ。
「颯斗も参加するのか?」
「勿論です。ただまだまだ修行の身なので、入神できるかは分からないですけど」
「もし入神できなかったら?」
「えっ? できなかったら? その時は今日の修行は終了です。セマーは前に話したように旋廻舞踊です。神と一体化するために回り続けるんです。最初は自分の意志で回り始めますが、人の力だけで回り続けるなんて無理な話です。それは修行が足らないだけではあるんですけど。回転が止まればそこで終わりです。また来週頑張りましょうって肩を叩かれて終わりです」
「それじゃ入神できた者は?」
「それは……」
亮平が入神できる事は知っている。全てを正直に話していいものだろうか。
「何なんだ?」
亮平の声が荒くなる。
「それは入神性交です。当たり前ですが一番力が強い者が真っ先に入神します。その真っ先に入神した者と、選ばれたもう一人が入神性交に移ります。選ばれなかった者は日が変わるまで二人のために入神し続けるんです。そうする事で力を持つ者は更にその力を高める事が出来るんです。ただ私はいつも一時間も持たずに退室させられるので、日が変わるまで入神なんて考えられない話なんですけど」
「日没からセマーが行われ、入神した者は入神性交へ進む」
「そうですよ」
「いや、でも……。誰と性交するかは分からないんだろ? もし入神できた者が男だけだったら、性交なんて出来ないじゃないか」
「出来ますよ。それにここに女性は一人もいません。入神性交と言っても必ず男同士です」
「男同士なのか? それに誰でもいいのか?」
「いや、誰でもいい訳ではなくて、入神状態にある者だけです。このワーリン・ダーヴィッシュはイスラム神秘主義に基づいているので、女性の入信は認められていないんです。それにルーミーの時代から、メヴレヴィー教団はフリーセックスを教えにしてきました。全ての者を分け隔てなく愛しなさい。これもルーミーの教えに基づいています。男性が女性を、女性が男性を愛するのは当然の事です。ですがそれだけではない全ての者を愛しなさいと言うのがルーミーの教えです」
「そうだ!」
何かを思い出したように亮平が大きな声を出す。
「そのルーミーだよ。何年も前に解散させられた教団の開基者だって言っただろ?」
「はい」
「この間、ルーミーに呼ばれただろ? ルーミーがお呼びだって、颯斗を呼びに来たじゃないか。そんな大昔の開基者に呼ばれたって、どう言う事だよ!」
亮平が意図する事が何なのか、咄嗟には分からなかったが、扉の前に立つ髭面の男を思い出しすぐに弁明をする事ができた。
「ルーミーですね。私を呼んだのはこのワーリン・ダーヴィッシュの代表です。前城一樹代表に呼ばれました」
「代表? 前城一樹?」
「そうです。このジャパン・ワーリン・ダーヴィッシュの代表としてだけでなく、世界中のワーリン・ダーヴィッシュの頂点に立っています。それがルーミーです」
「どう言う事だ? 代表がルーミー? 全く意味が分からない」
「簡単な事ですよ。世界中の教団の中で一番力を持っている者がルーミーとして頂点に立つんです。それが前城代表です。前城代表が現在のルーミーなんです」
「そんなに凄い奴なのか?」
「もちろん凄いです。EDMフェスが盛んな事も関係していると思うんですけど、オランダの教団も力を持っていて、そこの代表もルーミーの座を狙っているみたいなんですけど、負かしていますから」
「今日のセマーに出ればその代表にも会えるって事か」
「そうですね。それで亮平さん、他には何かありますか? 私にお話できる事なら何でもお話しますけど」
「ああ、ありがとう」
こんな穏やかな時間が永遠に続くなら。叶わない事と知りながらも、ただ願う事に罪はないはずだ。きっとルーミーが求めた時間もこんな時間だったに違いない。そうでなければあんな詩を紡げるはずもない。だが亮平にとっては、穏やかな時間を過ごすより、抜け落ちた記憶を探る事が優先されるようだ。
「あと、もう一つ。十一って何だったんだ?」
「えっ? 十一ですか?」
「そうだよ。颯斗が言っただろ? 十一人目だって」
「そうですね。確かに言いました。でも、何から話をすれば」
「何からでもいい。颯斗が口にしたって事は、何か重要な意味があるって。ずっと考えていたんだ。颯斗が来たら聞こうって。でもずっと来なかったよな」
「すみません。忙しくて」
咄嗟に突いた嘘は何を守るためだろう。自分でも分からなかった。ただ悲しそうに見える亮平のその顔に嘘を重ねる事は出来ない。知らなくていい事もあるが、亮平自身に関わる事を亮平に教えない訳にはいかない。
「……まず、一年は十二カ月です。それに時間も十二時間で一区切りです」
「それがどうしたんだ? 何かの例えか?」
「十二です。十二。干支も十二支だし、星座も十二星座です。あっ、亮平さんは何座ですか?」
「何座かだって? 星座?」
「それじゃあ、誕生日はいつですか?」
「誕生日?」
「はい、誕生日です。生まれた日によって星座って変わるじゃないですか。私は九月二十八日生まれだから天秤座なんです。あっ、同じ風の星座なら相性も良いから、双子座か水瓶座じゃないですか? きっとそうですよ。……それで亮平さんの誕生日は?」
「誕生日? 思い出せない。俺はいつ生まれたんだ」
自分の誕生日すら思い出せないほど亮平の記憶は抜け落ちている。それがどれほど恐ろしいことか。
「それじゃあ五月くらいにしておきましょう。双子座で私との相性も良いですから」
間違った情報を与えているかもしれないが、星座なんて些細な事だ。この先、新たに得る情報で埋め尽くされるだろう、亮平と言う真っ白なキャンバスの中で、星座なんて記憶は一粒の塵にもならない。
「それで? 十二が何だって言うんだ?」
「あっ、すみません。話が逸れちゃいましたね。十二です。十二カ月、十二時間、十二支、十二星座。昔から十二と言う数字は一周を表しているんです」
「ああ、そう言う事か。一周だと言いたかったんだな。十二で一周。それは分かった。それで十一人って言うのは?」
「はい。物事の一周は十二です。一周したあとゼロに戻るか、十三に進むか。ゼロに戻ればまた新たな一周が始まります。これもこのワーリン・ダーヴィッシュの教えですが、十三に進めば、そこから別の新たな世界が始まるんです。今のルーミー、前城代表は一周したあと十三に進みました。今は前城代表をルーミーとする世界がここにはあります」
「……」
「なんか全然分かっていないって顔ですね」
「そんな説明で何を理解しろって言うんだよ」
「私が言える事は、亮平さんが十一まで進んだって事です」
「俺が十一まで?」
「今夜のセマーで十二です。あ、セマーではなく、入神性交ですね」
何となく予測は付いたのか、亮平の眉が少しだけ動いた。
「今日のセマーで判るって事だな」
「そうです。それじゃ、私はこれで失礼しますね。今夜のセマーの準備があるんで。それと昼食はしっかり食べて下さいよ。セマーの日は夕食なんて食べられないですから」
「夕食抜きなのか?」
その驚いた顔に思わず声が漏れる。確かに汚れた食器に食べ残しはなかった。
「そうですよ。欲を満たした直後じゃ神と一体化なんて出来ないですから。それと亮平さんの支度ですけど、私が手伝えるように上の者に頼んでみます」
「支度?」
そう聞き返されはしたが、振り返る事はしなかった。いったい亮平はどれだけの事を受け入れ、理解できたのだろう。人の考えなんて計り知る事は出来ないけど、抜け落ちた記憶に余計な事を書き込まれないよう願うばかりだ。
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