【完結】White Whirling ~二丁目探偵物語~

かの翔吾

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Chapter 4 『友だちのうちはどこ?』

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 鳴子に指定されたのは新宿三丁目にあるシティホテルだった。

 余程感謝されているのか、全ての手配は済まされていた。

〈フロントで鳴子恭介と告げて下さい。カズキには二十一時に行かせますが、先にチェックインして頂いて大丈夫です〉

 ホテルの名前とともに送られてきたメッセージの指示通りに動く。

「鳴子恭介でお願いしてあると思います」

「鳴子様ですね。少々お待ちください」

 周りを見渡せば少しずつ戻り始めた外国人観光客の姿があった。

「お部屋は十四階の一四〇一号室になります。お連れ様がいらっしゃったらもう一枚のルームキーをお渡しさせて頂きますね」

「あ、ありがとうございます。それで支払いは?」

 ルームキーを手元に滑らせ、クレジットカードを取り出す。

「お部屋代は頂戴しております。お部屋の飲み物など召し上がった場合は、明日チェックアウトの際にお願い致します」

 丁寧ではあるがその早口な対応に、後ろにまだチェックイン客が控えている事を教えられる。たかだか冷蔵庫の裏に潜んでいた黒猫を一匹探し出しただけだ。しかも依頼から一時間しか掛けずに解決した案件。それなのにここまでの面倒を見るなんて、鳴子にとってのグリの存在の大きさを改めて知る。

 カードキーをかざした部屋はシティホテルとは思えない広さがあった。ジュニアスイート? 二間の手前、深緑色の革が張られたソファには四、五人がゆったりと座れるだろう。そして奥の部屋はベッドルーム。ダブルサイズ以上のベッドには紺色のカバーが掛けられている。そのベッドの広さにこれから繰り広げられるだろう行為ににやけそうにもなるが、あまりの場違いさに気後れもする。

 窓の外に広がるのは新宿の町だ。十四階と言う高さではまだ地上を行き交う人の流れを見る事が出来る。この町のどこかで、今頃直樹は自転車を漕いでいるのだろうか。ほんの少し湧いた申し訳ない気持ちは、マカロンを頬張るその姿に消されてしまった。一粒三百円のマカロンと言う報酬を得た直樹。それで満足していたのだから何も気に留める事はない。二十時五十六分。ベッドサイドに置かれたアラームに直樹の事など気にしている時間がない事を知らされる。あと四分と言う時間に落ち着きを無くしそうだが、そそくさと裸になりベッドで待つわけにもいかず、何もなかったように深緑色の革に尻を沈める。どう見ても二十歳そこそこのカズキ相手に緊張する必要なんてない。

「辻山さん、こんばんは」

 フロントでキーを渡されたはずだから当然ではあるが、ノックもなしに開かれたドアにカズキの姿が現れた。

「ああ」

「昨日はうちの恭介ママがお世話になりました」

「いや、あれぐらい何でも。それよりこんな立派な部屋でびっくりしたよ」

「ですね。俺も今ドアを開けてびっくりしました。恭介ママが予約した部屋だから、いつものビジネスホテルかなって?」

「いつもの? ビジネスホテル?」

「ああ、お客さんに頼まれて恭介ママがいつもホテル予約しているんです。お客さんの中には東京じゃなく、地方から来る人も多くて」

「じゃあ、いつもはビジネスホテルで?」

「大体は、って辻山さん、変な事聞きますね」

 自分でも何を聞いているのか、何を聞きたいのか分からなかった。カズキのような若い男を目の前にして舞い上がっているのだろうか。いや、若い男の相手は数え切れないほどしてきた。きっと金で男を買うと言う行為に慣れていないからだろう。

「ああ、そうだ。先にお金渡しておいた方がいいのかな?」

「何言っているんですか。お金なんかいらないですよ。恭介ママにたっぷりサービスするように言われています。辻山さんは何も気にせず、好きにしてください」

「いや、でも」

「辻山さんとならタダでもいいですよ。なんて。お金なら恭介ママからもらっています。なんで辻山さんは何も気にしないで下さい。とにかく辻山さんに楽しんでもらわないと、俺が叱られますから」

 いま屈託なく笑ったと思ったカズキが、いつの間にか拡げた膝の間にひざまずいている。その指先がベルトのバックルに掛かり、もう片方の指先がファスナーへと伸びている。

「そんなに急がなくても。もしかしてあまり時間がないのか?」

「えっ? 泊りの料金もらっていますよ」

「それなら後でゆっくり楽しませてもらうよ」

 売り専を商売としているのだから、初対面の相手も抵抗はないのだろうが、時間があるのであれば急ぐ必要はない。

「カズキだっけ。冷蔵庫にビール入っていないか見てくれないか」

「あ、はい。ビールですね。あ、ありますよ。缶ビールが四本」

 冷蔵庫の扉を全開にし、カズキが笑う。昨日の夜一目見た時に確かに可愛いと思いはしたが、こうして自分のためだけに笑う姿を見せられれば愛おしくも思えてくる。

「一本、取ってくれ。良かったらカズキも飲めよ」

「じゃあ、俺、コーラ飲んでいいですか。未成年なんでお酒飲んだら恭介ママに叱られちゃいます」

——未成年?

 二十歳そこそこだとは思っていたが、まさか未成年だとは思いもしなかった。

「カズキ、幾つなんだ?」

「えっ、歳ですか? 十九ですから安心して下さい。俺とやったって捕まらないですから。それに後、四日かな? 誕生日で二十歳になるし」

 ビールとコーラの缶を手に太腿が触れ合う位置にカズキが腰を下ろす。目のすぐ横にはカズキの茶色い髪だ。近すぎてその顔を確認する事は出来ないが、時折見せた屈託ない幼さは十代のものだったのだろう。

「四月一日か?」

「そうですよ。やっと二十歳になれるんです」

 二十歳と言う区切りを心待ちにしている事はそのトーンからも分かる。

「それで、いつからやってんだ?」

「いつからってこの仕事ですか? 十八からですよ。なのでまだ一年ちょっとです」

「辛くないのか?」

「えっ、それは、もちろん辛い時もありますよ。でも恭介ママがよくしてくれるし。それにたまに辻山さんみたいな人にも当るんで」

「どう言う意味だ?」

「だって辻山さんならお金払わなくても相手見つかるでしょ? 普段はそんな相手がいなさそうな客ばっかりです。そんな客に限って、すごく変態な事言ってきたり、やらされたりしますからね」

 俺だって充分変態だぞ。そう言って場を和まそうと思ったが止めた。そんな事を口にしたら、カズキがまたすぐにでもバックルを外しに掛かる事だろう。

「親は心配していないのか? って、親には話していないか」

「話していないですよ。それに親なんかいないのも同然だし」

 カズキの身の上話はどこにでもあるようなものだった。


 カズキの母親は十六歳でカズキを産んだ。相手の男は同級生で十七歳。男が十八になるのを待って二人は籍を入れた。父親となった男がどの様に生活費を捻出ねんしゅつしていたかは母親に知らされる事はなかったが、その生活費だけで親子三人が生活出来る訳ではなく、カズキを自身の両親に預けながら、母親も歌舞伎町のキャバクラで働き始めた。
 
 だが親子三人での生活も長くは続かなかった。カズキが二歳の時に父親は突然姿をくらました。母親とカズキを捨て突然消えた父親。母親の男への恨みは増幅するばかりで、幼いカズキは母親の恨みを聞かされるために産まれてきたようなものだった。

 そんな母親はカズキがまだ五歳の時に再婚をした。相手の男はキャバクラの客で、これもよくある話ではあるが、自身との間に産まれた次男だけを可愛がった男にカズキは邪険に扱われた。時には暴力を振られる事もあったが、男と同じように次男だけを可愛がる母親は、カズキに救いの手を差し伸べなかった。

 高校卒業前の春休み。家を飛び出したカズキが辿り着いた町がこの新宿だった。日本で一番の繁華街である新宿なら、十六歳で子供を産んだ母親を受け入れた歌舞伎町なら。恐る恐る足を踏み入れた歌舞伎町だったが、カズキは居場所を見つけられなかった。

 十八歳の若い女ならまだしも、若い男が歌舞伎町で居場所を見つける事は難しい。そんなカズキが流れ着いたのが、新宿二丁目だった。流れ着いたと言っても、歌舞伎町から歩いて十分。だがその十分には大きな隔たりがあった。カズキのような若い男を一番欲している町は、新宿二丁目。求められるままにカズキは二丁目の町に身を沈めた。

「カズキ、新しいビール取ってくれないか」

 身の上話を聞きながら、いつの間にか一本目は空になっていた。その空き缶を握り潰した音はカズキの耳にも届いているはずだった。

「カズキ?」

「ああ、ごめんなさい。ビールですね」

「どうした?」

 身の上話をさせた事で嫌な事を思い出させてしまったか。どうした? と、聞いてしまった事。そんな当たり前の事を察してやれなかった自分が嫌になる。

「ごめんなさい。カズキって呼びましたよね? 俺の事でした」

 あどけなく笑うその顔に安心はさせられるが、カズキが作った間に違和感を覚える。

「カズキじゃないのか?」

「いや、ええと、カズキですよ。恭介ママが付けてくれた名前です」

「ああ、源氏名ってやつか」

「源氏名? よく分かんないですけど、俺、本当はいつきって言うんです。でも店に入った時既にイツキって名前の子がいて、恭介ママがカズキって付けてくれたんです」

 そうだ。そう言えば昨日、鳴子がそんな話をしていた。前城一樹に面影が似ていたから、樹にカズキと名付けたのだろう。

「はい。ビールお待たせしました。それ飲んだらやりますよ」

 ストレート過ぎる誘いに目を伏せながら、二本目のビールに口を付ける。


 鳴子の言い付けを守り、充分サービスしたからだろうか。隣で眠る樹は寝息の一つも立てない穏やかな顔をしている。

 卑猥ひわいな言い方ではあるが、そのからだの隅々までまたその躰の奥深くまで堪能させてもらった今だ。樹のように穏やかな顔で眠る事も出来たが、時間を確認するために手に取ったスマホが、穏やかな睡眠を邪魔する。

 画面に二度触れた指が昼間に開いていた検索エンジンへとアクセスする。履歴に残るその単語に吸い込まれるように、もう一度その英語辞書をなぞる。

 Whirling【wɚlıŋ/hwɚlıŋ】(名詞)旋転、旋廻。円または渦巻に回転する行為、または回転するもの。(動詞の原形)→Whirl

 ワーリン。ホワーリン。目にした発音記号にそれらしく口を開いてはみたが、どうも頭の中にカタカナが浮かんでしまうようだ。日本人だから仕方はない。それにこんな単語、どれだけ記憶を掘り下げても、学校で習った覚えなんてない。いや、掘り下げれば大学、高校、中学とさかのぼってしまう。中学でこんな単語を習うはずはないだろう。真面目に英語を勉強してこなかった自分への言い訳にも聞こえるが、生まれてから三十八年。今日初めて耳にした言葉に違いなかった。スマホで開いた英語辞書を閉じれば、すぐにでも忘れてしまえるだろう。

 人差し指でタップした画面。検索エンジンのトップに戻った途端、ついさっき口にした言葉をもう口に出来ないでいる。だがそれでいい。ようやく辿り着く事が出来たんだ。その名前を口に出来なくても辿り着く事が出来た。辿り着けただけで、まだ全てが片付いた訳ではない。それでも辿り着く事が出来た。

 口に出来なくても、もうしっかりと焼き付いているはずだ。樹と過ごすこの現実が、夕方までの現実と交差しないよう、思えてならないが、今一つの単語を焼き付けたように、樹のいない現実に戻ったとしても、この樹と過ごした時間は焼き付いているだろう。
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