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Chapter 4 『友だちのうちはどこ?』
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昨日の今日で連絡を寄越して来た鳴子の誘いに応えたのは、仲通りでタクシーを降りた時だった。当たり前のように支払いを済ませずタクシーを降りた直樹と君生。そんな二人の背中を捕まえようとした時、スマホが震えた。
「ええ、今日は時間があるので、はい、お願いします。分かりました、九時ですね。ええ、何かあればまた電話します」
タイミングが良かった。
タクシー代と言っても三千円掛かっていない。その三千円をケチったばかりに、あの二人は一番茶化したいだろう情報を聞き逃したんだ。ざまあ見ろ。そんな優越感に心が弾む。いや心が弾んでいるのは九時に入った予定のせいかもしれない。
「ってか、お前らまで何で店に帰って来てんだ。自分の家に帰れよ」
店のドアを開けると、二人は既に臙脂色のソファに倒れていた。ソファの長辺に仰向けで足を伸ばす君生。もう一つの辺に丸まって横になる直樹。
「おい、聞いてんのか!」
大きな声を出しても反応はない。ふざけやがって。
「まあ、いいさ。好きなだけ寝ていろ。俺はジムに行けなかったから、これから風呂浴びてくる」
夜九時の下心への準備ではあったが、思考を湯に全部流してリフレッシュしたいと言う表れでもあった。日本旋舞教団には繋がった。それだけでも大きな前進だ。
もう銭湯も開いている時間だ。ジムのシャワーではなく湯船に浸かって思考を全部流してやる。永井の事は気になるが、まずは成田からだと、そんな声がするじゃないか。成田へ繋がるだろう旋舞教団は四日後と言う楽しみがある。今は何も考えず湯に全部流してやる。決めたからには実行あるのみだ。
一番近い銭湯がある余丁町へは歩いて行ける距離ではない。仲通りを流していたタクシーを拾い靖国通りに出る。四谷方面一つ目の信号で左折する事は分かっていたが、停まった赤信号。そのフロントガラスに映る歩道橋に嫌でも成田を思い出す。
右手に見える階段を小峰遼とともに駆け上がる成田。姿が見えるはずはないのに、歩道橋を眺めるだけで、その姿が浮かんでくる。成田と言う男に囚われた思考では他の何も手に付かないのだろう。
タクシーの支払いをした記憶はなかった。勿論、銭湯の支払いをした記憶も、服を脱いだ記憶もない。ふと我に還った時には、湯船に四肢を伸ばし、既に体は芯から温まっていた。
一体どれだけの時間を湯船で過ごしたのだろう。温まり過ぎた皮膚は驚くほど赤く、慌てて湯船から飛び出させる。火照った体を扇風機で冷ましてみるが、すぐにシャツを着る事を戸惑うほど、体は熱を持っている。
重症だな。確かに思考を湯に流してやると意気込みはしたが、まさかここまでだとは自分でも思っていなかった。ふと浮かぶのは直樹と君生の姿だ。店に戻るなり倒れ込んだ二人。そんな二人を襲った疲労感が、遅れてやってきたと解釈するのが正しいのだろう。
「あら、お帰りなさい。どこに行っていたの?」
店のドアを開くとすぐに直樹の声が飛んできた。風呂を浴びると言った声は届いていなかったようだ。ホワイトボードを前に青いマジックを持ち、顔をしかめる直樹。
「君生は?」
声に出してみたが、その答えはソファの上にあった。仰向けではなく俯せになり、頭の位置は変わっていたが、臙脂色のソファに眠る君生。
「さっきまで起きて書類書いていたんだけど、わーって大声出したと思ったらまた寝ちゃったの」
「それでお前は何をしているんだ?」
「何って見れば分かるでしょ?」
ホワイトボードには[ジャパン・ワーリン・ダーヴィッシュ]そして[蔵前]の文字が増えていた。
「四日後だっけ? あたしもちゃんと連れていってよ」
「何があるか分からないんだし、お前は留守番だ」
無意識に口を突きはしたが、何があるか分からない。その一言にふっと冷たい風が首筋を這ったように思えた。
——何があるか分からない。
確かに日本旋舞教団には繋がったが、その団体が善と出るか悪と出るかは分からない。それに蔵前だってそうだ。どんな人間かを見極める事はまだ出来ない。
「いやよ、絶対一緒に行くからね。留守番だって言われても押し掛けちゃうから」
もう場所も判っている。直樹ならやりかねないその言葉に反論しても無駄なんだろう。
「あ、まだ六時だから、あたしこれからデリバリー行ってくるわ。そろそろ夕食の時間で忙しくなる頃だし。で、秀三は? って、ここが自宅兼だしね。ずっといるわよね? 九時回ったら落ち着くだろうから、九時半くらいかなあ、また戻って来るわ」
「相変わらずよく喋るな」
「だって、お昼は君ちゃんがって言うから、ずっと大人しくしていたのよ。確かに白装束の男達の事を聞きまくって喋り疲れたかなって思ったけど、その後ずっとお口チャックだったでしょ。あたしはやっぱり喋り続けるより喋らない方が疲れるって事に気付いたの」
「分かった、分かった。もう喋るな。だけど今日の夜、俺はいないからな。約束がある」
「約束って何?」
「俺にだって人と会う約束ぐらいある」
「えっ? 依頼に関わる事だったら、あたしも一緒に行くわ」
「プライベートだ」
余計な一言を漏らしてしまった事に後悔が走る。また下手な詮索が始まってしまう。
「お前は早く行け! 俺はもう少し時間があるから、君生のこの書類を片付けるよ」
「えっ? 君ちゃんの書類? 刑事さんの書類よ。君ちゃんがさっき、わーって放り投げるくらい大変なんじゃない? そんなの秀三に手伝えるの?」
「お前なあ、俺だって去年まで刑事だったんだ。しかも君生と同じ署のな。こんな書類の書式ぐらい覚えているよ。それに君生に書類の書き方から何から何まで教え込んだのはこの俺だ」
「やだ。秀三も優しいとこあるのね。あの映画の男の子みたい」
「また映画か」
「秀三、覚えている? あの映画のエンディング」
「覚えてねえよ」
「あたしもはっきりとは覚えていないけど、結局友達にノート返せなかったのよね。でもあの男の子は次の日、友達の宿題も終わらせて学校へ行くの」
「それがどうしたんだ?」
「今、君ちゃんの書類を片付けるって言うから思い出しちゃった」
「いいから早く行けよ」
ようやく直樹がデリバリーバッグを肩に担ぐ。君生はまだソファに俯せたままだ。ドアを抜けただろう直樹には目を向けず、テーブルの上に散乱させた書類を手にする。
何だ、ほぼ仕上がっているじゃないか。
手にした書類は今日の行動記録だった。河野の会社に連絡を取り、日本旋舞教団が代々木上原にあると分かった事。日本旋舞教団は通称で正式にはジャパン・ワーリン・ダーヴィッシュである事。その団体の補佐が蔵前で、四日後にアポイントメントを取っている事。箇条書きされた君生の文字に安心させられる。
しっかり仕事をしているじゃないか。
纏めた書類をクリアファイルに納め、ファスナーの開いた君生のリュックに差し込む。
「ええ、今日は時間があるので、はい、お願いします。分かりました、九時ですね。ええ、何かあればまた電話します」
タイミングが良かった。
タクシー代と言っても三千円掛かっていない。その三千円をケチったばかりに、あの二人は一番茶化したいだろう情報を聞き逃したんだ。ざまあ見ろ。そんな優越感に心が弾む。いや心が弾んでいるのは九時に入った予定のせいかもしれない。
「ってか、お前らまで何で店に帰って来てんだ。自分の家に帰れよ」
店のドアを開けると、二人は既に臙脂色のソファに倒れていた。ソファの長辺に仰向けで足を伸ばす君生。もう一つの辺に丸まって横になる直樹。
「おい、聞いてんのか!」
大きな声を出しても反応はない。ふざけやがって。
「まあ、いいさ。好きなだけ寝ていろ。俺はジムに行けなかったから、これから風呂浴びてくる」
夜九時の下心への準備ではあったが、思考を湯に全部流してリフレッシュしたいと言う表れでもあった。日本旋舞教団には繋がった。それだけでも大きな前進だ。
もう銭湯も開いている時間だ。ジムのシャワーではなく湯船に浸かって思考を全部流してやる。永井の事は気になるが、まずは成田からだと、そんな声がするじゃないか。成田へ繋がるだろう旋舞教団は四日後と言う楽しみがある。今は何も考えず湯に全部流してやる。決めたからには実行あるのみだ。
一番近い銭湯がある余丁町へは歩いて行ける距離ではない。仲通りを流していたタクシーを拾い靖国通りに出る。四谷方面一つ目の信号で左折する事は分かっていたが、停まった赤信号。そのフロントガラスに映る歩道橋に嫌でも成田を思い出す。
右手に見える階段を小峰遼とともに駆け上がる成田。姿が見えるはずはないのに、歩道橋を眺めるだけで、その姿が浮かんでくる。成田と言う男に囚われた思考では他の何も手に付かないのだろう。
タクシーの支払いをした記憶はなかった。勿論、銭湯の支払いをした記憶も、服を脱いだ記憶もない。ふと我に還った時には、湯船に四肢を伸ばし、既に体は芯から温まっていた。
一体どれだけの時間を湯船で過ごしたのだろう。温まり過ぎた皮膚は驚くほど赤く、慌てて湯船から飛び出させる。火照った体を扇風機で冷ましてみるが、すぐにシャツを着る事を戸惑うほど、体は熱を持っている。
重症だな。確かに思考を湯に流してやると意気込みはしたが、まさかここまでだとは自分でも思っていなかった。ふと浮かぶのは直樹と君生の姿だ。店に戻るなり倒れ込んだ二人。そんな二人を襲った疲労感が、遅れてやってきたと解釈するのが正しいのだろう。
「あら、お帰りなさい。どこに行っていたの?」
店のドアを開くとすぐに直樹の声が飛んできた。風呂を浴びると言った声は届いていなかったようだ。ホワイトボードを前に青いマジックを持ち、顔をしかめる直樹。
「君生は?」
声に出してみたが、その答えはソファの上にあった。仰向けではなく俯せになり、頭の位置は変わっていたが、臙脂色のソファに眠る君生。
「さっきまで起きて書類書いていたんだけど、わーって大声出したと思ったらまた寝ちゃったの」
「それでお前は何をしているんだ?」
「何って見れば分かるでしょ?」
ホワイトボードには[ジャパン・ワーリン・ダーヴィッシュ]そして[蔵前]の文字が増えていた。
「四日後だっけ? あたしもちゃんと連れていってよ」
「何があるか分からないんだし、お前は留守番だ」
無意識に口を突きはしたが、何があるか分からない。その一言にふっと冷たい風が首筋を這ったように思えた。
——何があるか分からない。
確かに日本旋舞教団には繋がったが、その団体が善と出るか悪と出るかは分からない。それに蔵前だってそうだ。どんな人間かを見極める事はまだ出来ない。
「いやよ、絶対一緒に行くからね。留守番だって言われても押し掛けちゃうから」
もう場所も判っている。直樹ならやりかねないその言葉に反論しても無駄なんだろう。
「あ、まだ六時だから、あたしこれからデリバリー行ってくるわ。そろそろ夕食の時間で忙しくなる頃だし。で、秀三は? って、ここが自宅兼だしね。ずっといるわよね? 九時回ったら落ち着くだろうから、九時半くらいかなあ、また戻って来るわ」
「相変わらずよく喋るな」
「だって、お昼は君ちゃんがって言うから、ずっと大人しくしていたのよ。確かに白装束の男達の事を聞きまくって喋り疲れたかなって思ったけど、その後ずっとお口チャックだったでしょ。あたしはやっぱり喋り続けるより喋らない方が疲れるって事に気付いたの」
「分かった、分かった。もう喋るな。だけど今日の夜、俺はいないからな。約束がある」
「約束って何?」
「俺にだって人と会う約束ぐらいある」
「えっ? 依頼に関わる事だったら、あたしも一緒に行くわ」
「プライベートだ」
余計な一言を漏らしてしまった事に後悔が走る。また下手な詮索が始まってしまう。
「お前は早く行け! 俺はもう少し時間があるから、君生のこの書類を片付けるよ」
「えっ? 君ちゃんの書類? 刑事さんの書類よ。君ちゃんがさっき、わーって放り投げるくらい大変なんじゃない? そんなの秀三に手伝えるの?」
「お前なあ、俺だって去年まで刑事だったんだ。しかも君生と同じ署のな。こんな書類の書式ぐらい覚えているよ。それに君生に書類の書き方から何から何まで教え込んだのはこの俺だ」
「やだ。秀三も優しいとこあるのね。あの映画の男の子みたい」
「また映画か」
「秀三、覚えている? あの映画のエンディング」
「覚えてねえよ」
「あたしもはっきりとは覚えていないけど、結局友達にノート返せなかったのよね。でもあの男の子は次の日、友達の宿題も終わらせて学校へ行くの」
「それがどうしたんだ?」
「今、君ちゃんの書類を片付けるって言うから思い出しちゃった」
「いいから早く行けよ」
ようやく直樹がデリバリーバッグを肩に担ぐ。君生はまだソファに俯せたままだ。ドアを抜けただろう直樹には目を向けず、テーブルの上に散乱させた書類を手にする。
何だ、ほぼ仕上がっているじゃないか。
手にした書類は今日の行動記録だった。河野の会社に連絡を取り、日本旋舞教団が代々木上原にあると分かった事。日本旋舞教団は通称で正式にはジャパン・ワーリン・ダーヴィッシュである事。その団体の補佐が蔵前で、四日後にアポイントメントを取っている事。箇条書きされた君生の文字に安心させられる。
しっかり仕事をしているじゃないか。
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