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Chapter 1 『苺とチョコレート』
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偶然ではないと言う自信が確信に変わったのは、今野、高橋殺害の夜から一週間後。三月二十五日、金曜日の夜だった。
早々永井に帰られ、特に取り急ぐ仕事もないのだろう。確かに七時、八時と言う時間に、六丁目の独身寮に帰ったとしても、時間を持て余すだけだ。行き場のない君生が七時過ぎに店のドアを開けたとしても、元先輩として温かく迎えてやるのが筋だろう。
そんな君生に二時間程遅れて直樹がドアを開く。デリバリーを終え、タダ酒を飲むためだ。調査員だと言った以上、嫌な顔を見せずに迎えてやるのも筋だろう。そんな二人がくだらない事を言い合いながら、店の酒を勝手に飲む姿もルーティンになりつつある。
先週のような雨の夜ではないから、仲通りも賑わっているかもしれないが、この店に客は来ない。君生と直樹を客と呼べないなら、確かに一人の客も来ない店である。二人の話題に上がっていたのは、週末なのに一人の客も来ないこのBAR『探偵物語』。普段の仕返しと言わんばかりに、客の来ない店を馬鹿にされていた時だった。
「……はい、近くにいるんで、はい、すぐ向かいます。はい、分かりました」
君生が受けた電話の相手は簡単に想像が付いた。
週末の夜だと言うのに呼び出しだなんて。刑事を辞め、探偵と言う稼業に足を突っ込んだ事で、勝ち誇った目で見下す事も出来たが、直樹の耳を掠めた小さな音に制止される。
「——サイレン? 今、サイレン聞こえたわよね?」
「えっ?」
その耳の良さを疑うより先、ウーーーと鳴り響く音が近付いている事に気付く。
「君生。今の電話の呼び出し、近くって」
「そうなんです。また新宿公園みたいで、俺、急いで行って来ます」
「えっ? 新宿公園? ねぇ、秀三。あたし達も急がなきゃ」
慌てる君生に続こうとする、その腕をきつく掴む。刑事でもない部外者が何のために慌てる必要がある。
「やだ、痛い! 離してよ! 秀三も早く!」
今駆け付けたとしても、バリケードテープを潜れるのは君生だけだ。
「何でお前まで飛び出す必要があるんだよ。おい、君生。早く行って来い。直樹に邪魔はさせないから」
「邪魔だなんて! ちょっと野次馬に行くだけじゃない」
「だからその野次馬が邪魔なんだって」
「後でまた連絡します。ってか、近くなんですぐ戻って来ます」
ふと我に還ったのか、それとも諦めが付いたのか、直樹が再び椅子に腰を下ろす。調査員だなんて言って、確かに今野と高橋の事件に近付けてしまったが、小峰駿から依頼を受けたのはあくまで成田和弥の捜索だ。もしさっきのサイレンが今野と高橋の事件に関わるものだとしても、それは警察の仕事であって、たかだか探偵が関わるものではない。それに君生を呼び出したサイレンと今野と高橋の事件を関連付けるにはまだ早い。
「何、笑ってんのよ?」
「いや、君生が何のために呼び出されたかは分からないだろ? 新宿公園って言っていただけだ。さっきのサイレンも。少し過剰に捉え過ぎているだけかもって、自分で可笑しくなったんだよ。金曜の夜だし、酔っ払ったオカマの痴話喧嘩で呼び出しって言う事も考えられるからな」
「ちょっと、オカマの痴話喧嘩なら尚更野次馬したいんですけど!」
四十近い男が口を尖らせても可愛くないぞ。そう罵ってやろうとした時。君生が開けっ放しにしたドアの向こう、階段を上がってくるてかった前頭部が見えた。
「おい、秀三。何を呑気に酒なんか飲んでいるんだ。また殺人らしいぞ。さっきのサイレン聞こえていなかったのか?」
ビルの一階に居を構える黒川オーナーは、サイレンよりも早く現場に駆け付けていたようだ。君生が飛び出してまだ三分。いや、サイレンが近付いてまだ五分も経っていない。それなのにもう殺人だと口にしている。
「何で、オーナー、殺人だって知っているんですか?」
「何でって、外が随分騒がしかっただろ? 気付いていなかったのか? 外に出たら、新宿公園で人が殺されているらしいって。誰かが通報したみたいで、俺が行った時にはもう警察官が何人か来ていたよ。それよりお前探偵なんだから、早く現場へ駆け付けろよ!」
「いやいや、現場に駆け付けるのは警察官や刑事であって、探偵は関係ないですから。それにさっき君生が呼び出されてもう駆け付けましたよ」
「お前なあ、この二丁目の平和を守るために、ここに事務所構えているんじゃないのか」
理不尽な言い分に歯向かう言葉を見つけられず、ただ黙り込む。その隣で勢いよく立ち上がり、直樹がコートに袖を通し始める。
「秀三、行くわよ!」
「助手はもう準備万端みたいじゃないか。お前も早く腰を上げろ」
「あの、助手じゃなく調査員です」
今すぐ現場に向かわなくても、後から幾らでも情報は聞き出せる。そう思いながらも、鼻息を荒くする二人に合わせないと、後で何を言われるかは分からない。嫌々ではあるが重い腰を椅子から下ろしぴんと伸ばしてみる。
「それで殺人って、誰が殺されたんですか?」
「そんな事わしが知る訳ないだろ。新宿公園で誰かが殺されているって、駆け付けただけだ。すぐに警察官で埋まった公園に入って、誰が殺されているかなんて、わしが確認する必要なんかないだろ!」
オーナーの御尤もな意見に、ただの野次馬じゃないか! と、悪態を付きそうになったが、そんな悪態を付けば、更に話をややこしくする事は目に見えている。
「それでは、二丁目の平和のために現場へ駆け付けて参ります!」
「おお、行って来い!」
全く腑に落ちないままだが、オーナーと不毛なやり取りを続けるよりはずっとマシだろう。
店が入っている雑居ビルから新宿公園までは五分と掛からない。仲通りを百五十メートル。二つ目の角を曲がるだけだ。だが雑居ビルの階段を下りた所には既に異様な光景があった。感染症の影響で閉めている店も多いはずだ。それなのに仲通りには近頃では見ない程の往来があった。二丁目界隈にいた輩が全員野次馬となって、仲通りに集まったように見える。
今野陽介と高橋潤は土曜日の朝になり発見された。それは何度も襲い掛かった豪雨が理由であって、もし先週の金曜日、豪雨に見舞われていなければ、今日と同じような異様な光景を生んでいたのかもしれない。
口々に好き勝手噂を吐き連ねる野次馬を縫って、仲通りを百五十メートル。二つ目の角に辿り着く。だが案の定だ。仲通りから新宿公園までは百メートルと離れていないが、コンビニの手前から既にバリケードが張られている。
「こう言うのって関係者以外立ち入り禁止だけど、あたし達関係者だから、このテープも突破していいのよね?」
制服の警察官を目の端に捕えながら、直樹が小声で呟く。
「何の関係者だよ。突破していい訳ないだろ!」
突破というワードが制服の警察官に聞こえないよう、直樹以上の小さな声で答える。バリケードテープの手前からは新宿公園の様子までは見えない。押し寄せる野次馬とそれを押える警察官の姿だけが目に飛び込んでくる。
「あっ、君ちゃーん! 君ちゃーん! こっち!」
バリケードの向こう、蠢く警察官達の中に一早く君生を見つけたようで、直樹が大きな声を上げる。何十人もの客を束ねてきた元ツアコンだけあって、さすがその声は良く通る。そんな直樹の声は簡単に君生の耳にも届いたようで、ついさっきまで酒を飲んでいたとは思えない刑事らしい佇まいで、ゆっくりと近付いてくる。
「やばいです。秀三さん。大変です。マジでやばい事なりました」
一瞬にして刑事らしい佇まいを失い、狼狽える君生の声は上擦っている。どんな死体を目の前にしようが、どんな凄まじい殺害現場を目の当たりにしようが、二十代にしては場数を踏んできているはずだ。それ位この新宿は事件が絶えない。そんな君生が声を上擦らせるなんて、まさか——。
「……ホモ狩り犯です。全員殺られちゃいました。もう関係なくなっちゃいました」
「……」
容易く想像できるその名前を口に出す事は簡単だ。だがそれを口にしてしまえば、得体の知れない者の大きな口に吸い込まれるような気がした。何の関係もない直樹を、一刑事である君生を、道連れにしていいものだろうか。
「まさか、ホモ狩り犯の三人目?」
「あっ、直樹さん。そうなんです、河野太一が殺られちゃいました」
その目で確かめただろう現場の状況。そして鑑識から聞かされただろう情報。君生の声を上擦らせていた原因は、容易く想像できた事情と相違なかった。首を絞められた跡、それにナイフで一刺しされた左胸。発見された死体は先週の今野、高橋と同じ姿だったらしい。また同様に残された遺品から身元も簡単に割る事が出来たらしい。ただ先週の二人の事件と唯一違っていたのは、殺害後すぐに発見されたと言う点だ。
これで十七年前、小峰遼と成田和弥を襲った、三人のホモ狩り犯全員が殺された事になる。事件の真相なんてものはまだ何一つ見えないが、今野陽介と高橋潤。そして片付けられたばかりの河野太一。三人の被害者と十七年前の事件が一本の線の上に並んでしまった。
——ホモ狩り。
本当に嫌な言葉だ。罪にも問われなかったそんな三人が殺されてしまおうが、痛む心は持ち合わせていない。だが三人の死を突き詰めなければ、失踪した成田和弥には辿り着けないのだろう。いや、成田和弥を見つける事が出来れば、三人の死の真相を突き詰められるかもしれない。
「鶏が先か、卵が先か」
「えっ? 何? ジレンマ?」
「えっ? ジレンマがどうしたんですか?」
例えが間違っていたようで、直樹と君生が揃ってきょとんとしている。
「いや、何でもない。戻って飲み直すぞ」
正しい答えを見つける事は出来ないが、成田和弥の失踪か、ホモ狩り犯三人の殺害か、どちらかを片付ければ自ずともう片方も解決する事は見えている。
「長谷沼さん、ちょっとこっち来て下さい!」
新宿公園の入口辺りから、君生を呼ぶ鑑識の声が聞こえた。
「君ちゃんは飲み直せないわね、残念だけど」
「いいですよ、別に。もうチョコレートリキュールのボトルはゴミ箱の中だし、苺はまだありましたけどね」
「そんな甘ったるい酒が飲めるか!」
「やっぱり秀三はタチね」
「何の事だ?」
「だから『苺とチョコレート』の話したじゃない?」
「じゃあ、俺は戻ります。何か呼ばれたんで」
鑑識の声が聞こえた公園の入口へ踵を返した君生の声は、もう上擦ってはいなかった。ほんの数分ではあったが、一人で抱えた情報を共有できた事に安心感を覚えたのだろう。だがこの時、鑑識が発見したものが、次の日の君生を大きく慌てさせる事になった。
Chapter 1 『苺とチョコレート』 終
早々永井に帰られ、特に取り急ぐ仕事もないのだろう。確かに七時、八時と言う時間に、六丁目の独身寮に帰ったとしても、時間を持て余すだけだ。行き場のない君生が七時過ぎに店のドアを開けたとしても、元先輩として温かく迎えてやるのが筋だろう。
そんな君生に二時間程遅れて直樹がドアを開く。デリバリーを終え、タダ酒を飲むためだ。調査員だと言った以上、嫌な顔を見せずに迎えてやるのも筋だろう。そんな二人がくだらない事を言い合いながら、店の酒を勝手に飲む姿もルーティンになりつつある。
先週のような雨の夜ではないから、仲通りも賑わっているかもしれないが、この店に客は来ない。君生と直樹を客と呼べないなら、確かに一人の客も来ない店である。二人の話題に上がっていたのは、週末なのに一人の客も来ないこのBAR『探偵物語』。普段の仕返しと言わんばかりに、客の来ない店を馬鹿にされていた時だった。
「……はい、近くにいるんで、はい、すぐ向かいます。はい、分かりました」
君生が受けた電話の相手は簡単に想像が付いた。
週末の夜だと言うのに呼び出しだなんて。刑事を辞め、探偵と言う稼業に足を突っ込んだ事で、勝ち誇った目で見下す事も出来たが、直樹の耳を掠めた小さな音に制止される。
「——サイレン? 今、サイレン聞こえたわよね?」
「えっ?」
その耳の良さを疑うより先、ウーーーと鳴り響く音が近付いている事に気付く。
「君生。今の電話の呼び出し、近くって」
「そうなんです。また新宿公園みたいで、俺、急いで行って来ます」
「えっ? 新宿公園? ねぇ、秀三。あたし達も急がなきゃ」
慌てる君生に続こうとする、その腕をきつく掴む。刑事でもない部外者が何のために慌てる必要がある。
「やだ、痛い! 離してよ! 秀三も早く!」
今駆け付けたとしても、バリケードテープを潜れるのは君生だけだ。
「何でお前まで飛び出す必要があるんだよ。おい、君生。早く行って来い。直樹に邪魔はさせないから」
「邪魔だなんて! ちょっと野次馬に行くだけじゃない」
「だからその野次馬が邪魔なんだって」
「後でまた連絡します。ってか、近くなんですぐ戻って来ます」
ふと我に還ったのか、それとも諦めが付いたのか、直樹が再び椅子に腰を下ろす。調査員だなんて言って、確かに今野と高橋の事件に近付けてしまったが、小峰駿から依頼を受けたのはあくまで成田和弥の捜索だ。もしさっきのサイレンが今野と高橋の事件に関わるものだとしても、それは警察の仕事であって、たかだか探偵が関わるものではない。それに君生を呼び出したサイレンと今野と高橋の事件を関連付けるにはまだ早い。
「何、笑ってんのよ?」
「いや、君生が何のために呼び出されたかは分からないだろ? 新宿公園って言っていただけだ。さっきのサイレンも。少し過剰に捉え過ぎているだけかもって、自分で可笑しくなったんだよ。金曜の夜だし、酔っ払ったオカマの痴話喧嘩で呼び出しって言う事も考えられるからな」
「ちょっと、オカマの痴話喧嘩なら尚更野次馬したいんですけど!」
四十近い男が口を尖らせても可愛くないぞ。そう罵ってやろうとした時。君生が開けっ放しにしたドアの向こう、階段を上がってくるてかった前頭部が見えた。
「おい、秀三。何を呑気に酒なんか飲んでいるんだ。また殺人らしいぞ。さっきのサイレン聞こえていなかったのか?」
ビルの一階に居を構える黒川オーナーは、サイレンよりも早く現場に駆け付けていたようだ。君生が飛び出してまだ三分。いや、サイレンが近付いてまだ五分も経っていない。それなのにもう殺人だと口にしている。
「何で、オーナー、殺人だって知っているんですか?」
「何でって、外が随分騒がしかっただろ? 気付いていなかったのか? 外に出たら、新宿公園で人が殺されているらしいって。誰かが通報したみたいで、俺が行った時にはもう警察官が何人か来ていたよ。それよりお前探偵なんだから、早く現場へ駆け付けろよ!」
「いやいや、現場に駆け付けるのは警察官や刑事であって、探偵は関係ないですから。それにさっき君生が呼び出されてもう駆け付けましたよ」
「お前なあ、この二丁目の平和を守るために、ここに事務所構えているんじゃないのか」
理不尽な言い分に歯向かう言葉を見つけられず、ただ黙り込む。その隣で勢いよく立ち上がり、直樹がコートに袖を通し始める。
「秀三、行くわよ!」
「助手はもう準備万端みたいじゃないか。お前も早く腰を上げろ」
「あの、助手じゃなく調査員です」
今すぐ現場に向かわなくても、後から幾らでも情報は聞き出せる。そう思いながらも、鼻息を荒くする二人に合わせないと、後で何を言われるかは分からない。嫌々ではあるが重い腰を椅子から下ろしぴんと伸ばしてみる。
「それで殺人って、誰が殺されたんですか?」
「そんな事わしが知る訳ないだろ。新宿公園で誰かが殺されているって、駆け付けただけだ。すぐに警察官で埋まった公園に入って、誰が殺されているかなんて、わしが確認する必要なんかないだろ!」
オーナーの御尤もな意見に、ただの野次馬じゃないか! と、悪態を付きそうになったが、そんな悪態を付けば、更に話をややこしくする事は目に見えている。
「それでは、二丁目の平和のために現場へ駆け付けて参ります!」
「おお、行って来い!」
全く腑に落ちないままだが、オーナーと不毛なやり取りを続けるよりはずっとマシだろう。
店が入っている雑居ビルから新宿公園までは五分と掛からない。仲通りを百五十メートル。二つ目の角を曲がるだけだ。だが雑居ビルの階段を下りた所には既に異様な光景があった。感染症の影響で閉めている店も多いはずだ。それなのに仲通りには近頃では見ない程の往来があった。二丁目界隈にいた輩が全員野次馬となって、仲通りに集まったように見える。
今野陽介と高橋潤は土曜日の朝になり発見された。それは何度も襲い掛かった豪雨が理由であって、もし先週の金曜日、豪雨に見舞われていなければ、今日と同じような異様な光景を生んでいたのかもしれない。
口々に好き勝手噂を吐き連ねる野次馬を縫って、仲通りを百五十メートル。二つ目の角に辿り着く。だが案の定だ。仲通りから新宿公園までは百メートルと離れていないが、コンビニの手前から既にバリケードが張られている。
「こう言うのって関係者以外立ち入り禁止だけど、あたし達関係者だから、このテープも突破していいのよね?」
制服の警察官を目の端に捕えながら、直樹が小声で呟く。
「何の関係者だよ。突破していい訳ないだろ!」
突破というワードが制服の警察官に聞こえないよう、直樹以上の小さな声で答える。バリケードテープの手前からは新宿公園の様子までは見えない。押し寄せる野次馬とそれを押える警察官の姿だけが目に飛び込んでくる。
「あっ、君ちゃーん! 君ちゃーん! こっち!」
バリケードの向こう、蠢く警察官達の中に一早く君生を見つけたようで、直樹が大きな声を上げる。何十人もの客を束ねてきた元ツアコンだけあって、さすがその声は良く通る。そんな直樹の声は簡単に君生の耳にも届いたようで、ついさっきまで酒を飲んでいたとは思えない刑事らしい佇まいで、ゆっくりと近付いてくる。
「やばいです。秀三さん。大変です。マジでやばい事なりました」
一瞬にして刑事らしい佇まいを失い、狼狽える君生の声は上擦っている。どんな死体を目の前にしようが、どんな凄まじい殺害現場を目の当たりにしようが、二十代にしては場数を踏んできているはずだ。それ位この新宿は事件が絶えない。そんな君生が声を上擦らせるなんて、まさか——。
「……ホモ狩り犯です。全員殺られちゃいました。もう関係なくなっちゃいました」
「……」
容易く想像できるその名前を口に出す事は簡単だ。だがそれを口にしてしまえば、得体の知れない者の大きな口に吸い込まれるような気がした。何の関係もない直樹を、一刑事である君生を、道連れにしていいものだろうか。
「まさか、ホモ狩り犯の三人目?」
「あっ、直樹さん。そうなんです、河野太一が殺られちゃいました」
その目で確かめただろう現場の状況。そして鑑識から聞かされただろう情報。君生の声を上擦らせていた原因は、容易く想像できた事情と相違なかった。首を絞められた跡、それにナイフで一刺しされた左胸。発見された死体は先週の今野、高橋と同じ姿だったらしい。また同様に残された遺品から身元も簡単に割る事が出来たらしい。ただ先週の二人の事件と唯一違っていたのは、殺害後すぐに発見されたと言う点だ。
これで十七年前、小峰遼と成田和弥を襲った、三人のホモ狩り犯全員が殺された事になる。事件の真相なんてものはまだ何一つ見えないが、今野陽介と高橋潤。そして片付けられたばかりの河野太一。三人の被害者と十七年前の事件が一本の線の上に並んでしまった。
——ホモ狩り。
本当に嫌な言葉だ。罪にも問われなかったそんな三人が殺されてしまおうが、痛む心は持ち合わせていない。だが三人の死を突き詰めなければ、失踪した成田和弥には辿り着けないのだろう。いや、成田和弥を見つける事が出来れば、三人の死の真相を突き詰められるかもしれない。
「鶏が先か、卵が先か」
「えっ? 何? ジレンマ?」
「えっ? ジレンマがどうしたんですか?」
例えが間違っていたようで、直樹と君生が揃ってきょとんとしている。
「いや、何でもない。戻って飲み直すぞ」
正しい答えを見つける事は出来ないが、成田和弥の失踪か、ホモ狩り犯三人の殺害か、どちらかを片付ければ自ずともう片方も解決する事は見えている。
「長谷沼さん、ちょっとこっち来て下さい!」
新宿公園の入口辺りから、君生を呼ぶ鑑識の声が聞こえた。
「君ちゃんは飲み直せないわね、残念だけど」
「いいですよ、別に。もうチョコレートリキュールのボトルはゴミ箱の中だし、苺はまだありましたけどね」
「そんな甘ったるい酒が飲めるか!」
「やっぱり秀三はタチね」
「何の事だ?」
「だから『苺とチョコレート』の話したじゃない?」
「じゃあ、俺は戻ります。何か呼ばれたんで」
鑑識の声が聞こえた公園の入口へ踵を返した君生の声は、もう上擦ってはいなかった。ほんの数分ではあったが、一人で抱えた情報を共有できた事に安心感を覚えたのだろう。だがこの時、鑑識が発見したものが、次の日の君生を大きく慌てさせる事になった。
Chapter 1 『苺とチョコレート』 終
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