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90 十六インチ砲の応酬
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陸奥の射撃は、第六射目まで空振りを繰り返した。
最初の三射は米戦艦がこちらに接近するような針路を取っていたために諸元修正が難しかったが、現在は米戦艦との距離は一万八〇〇〇で一定に保たれている。
帝国海軍の射撃教範では、第三射までに的艦を夾叉し、第四射から本射に移れることが理想とされている。しかし、それはあくまでも昼間砲戦を想定したものであり。視界の限られる夜間では勝手が違う。
小暮艦長はもともと砲術科出身であり、その困難さを十分に理解していた。第六射に至るまで夾叉が出ていないが、中川寿雄砲術長以下、砲術科の者たちを叱責するようなことはしなかった。
「てっー!」
砲術長の叫びと共に、陸奥が七度目の射撃を行う。
先ほど弾着した敵の第一射は全弾遠弾となったが、互いに砲撃を始めた以上、出来るだけ早く命中弾を出して敵を戦闘不能に追い込みたいところであった。そうでなければ、こちらがやられてしまう。
「だんちゃーく!」
ストップウォッチを持った時計員の特徴的な抑揚が、また夜戦艦橋に響く。
「敵艦を夾叉!」
「よろしい!」
ようやく待ちに待った報告に、小暮は手のひらに拳を打ち付けた。
砲弾が、敵艦を包み込むように着弾したということである。この射撃諸元のまま砲撃を続ければ、いずれは命中弾が出る。あとは、確率論の問題であった。
「砲術長! 次より斉射!」
「宜候! 次より斉射!」
第七射を放った砲身が仰角を落とし、新たな九一式徹甲弾を装填する。そして再び仰角を取るまでの、焦れるような沈黙の時間。
周囲では伊勢や日向、四水戦や米巡洋艦部隊の砲声が海面を震わせているが、陸奥だけがそこから切り離されてしまったかのような、緊迫の瞬間。
やがて、装填を終えた四門の砲身が再び仰角を取り始める。
「射撃用意よし!」
「てっー!」
刹那、交互射撃とは比較にならない衝撃が陸奥の船体を振るわせた。
実戦において初めて行った、四十一センチ砲による全門斉発。
青年時代から何度も陸奥に乗り込んでいる小暮軍治艦長にとっても、この衝撃はこれまでの訓練とはまったく違うものとして体に伝わっていた。
八門の砲口から噴き出した爆炎が刹那の間、陸奥の艦影を海上に浮かび上がらせる。
竣工からすでに二十年あまり。
軍縮条約による廃艦の危機を乗り越えた戦艦が、ようやくその真価を発揮する場を得たことに歓喜するような、そんな咆哮。
小暮は万感の思いと共に、八発の九一式徹甲弾の行方を幻視していた。
「総員、衝撃備えよ!」
先ほどの射撃で夾叉され、そして発砲炎が確認された瞬間、デイビス艦長は艦内に警告を発していた。
内心では、ジャップに先を越されたことへの忸怩たる思いが渦巻いている。
未だ、ワシントンとノースカロライナの砲弾は敵艦を夾叉するには至っていない。
レーダーによる測距は正確であり、光学照準も星弾射撃の明かりによって補っている。にもかかわらず、先に夾叉されたのはワシントンの方であった。
デイビス大佐は、唇を噛みしめた。
衝撃は、間もなくやって来た。
北大西洋の荒波も経験していたワシントンの船体に、誰も感じたことのない衝撃が走る。まるで、巨人の拳で船体が殴られたかのような感覚であった。
「ダメージ・リポート!」
デイビス艦長は即座に叫んだ。
「第二煙突後部に命中! 右舷艦載艇揚収クレーン倒壊! 両用砲の弾薬に引火し火災発生!」
「消火、急げ!」
両用砲には星弾射撃を行わせている。星弾に使われているマグネシウムに引火すれば、甲板上に激しい光源が出現してしまう。そうなれば、敵艦の格好の標的となってしまう。
デイビス大佐の声には、焦燥が滲んでいた。
しかし、幸いなことに煙突そのものや後部射撃指揮所には被害はなかったようである。
ノースカロライナ級は第二次ロンドン海軍軍縮条約のあおりを受けて、当初は十四インチ砲搭載戦艦として建造が開始された。しかし、日本が十六インチ砲搭載の新型戦艦を建造している疑惑が浮上したため、同条約のエスカレーター条項(非条約締約国が第二次ロンドン海軍軍縮条約で定められた制限を超過する艦艇を建造していた場合、条約締約国は制限を撤廃出来るという条項)が発動し、急遽、十六インチ砲搭載戦艦として設計が改められたのである。
そのため、当然、敵十四インチ砲弾に耐えられるものとされていた対応防御を、対十六インチ防御に引き上げる必要性が生じた。これにより、ノースカロライナ級は純粋な十六インチ砲搭載戦艦として設計・建造された後継のサウスダコタ級よりも防御力の点で劣っていた。
辛うじて、機関部の装甲が敵十六インチ砲弾に対し二万メートルから二万五〇〇〇メートルの間で安全圏を確保出来ているに過ぎないのだ。
現在の砲戦距離でナガト・クラスの十六インチ砲弾を喰らった場合、装甲を容易に貫通される恐れがあった。
だが、とデイビスは思い直した。
こちらの砲弾は、貫通力を増したSHSである。一発一発の威力は、ワシントンの方が高い。従来型、それも旧式の十六インチ砲搭載戦艦であるナガト・クラスが相手であるならば、まだ逆転は可能だ。
「ハーベイ、ナガトは所詮、旧式戦艦に過ぎん! 怯まずに撃ち続けろ!」
「アイ・サー!」
デイビスの叱咤に応えるように、ワシントンの主砲が轟音を上げた。
三門の十六インチ砲から、重量一二二五キログラムのSHSが放たれる。
日米の新旧十六インチ砲搭載戦艦は、その砲炎を煌めかせながらなおも砲撃を継続していた。
最初の三射は米戦艦がこちらに接近するような針路を取っていたために諸元修正が難しかったが、現在は米戦艦との距離は一万八〇〇〇で一定に保たれている。
帝国海軍の射撃教範では、第三射までに的艦を夾叉し、第四射から本射に移れることが理想とされている。しかし、それはあくまでも昼間砲戦を想定したものであり。視界の限られる夜間では勝手が違う。
小暮艦長はもともと砲術科出身であり、その困難さを十分に理解していた。第六射に至るまで夾叉が出ていないが、中川寿雄砲術長以下、砲術科の者たちを叱責するようなことはしなかった。
「てっー!」
砲術長の叫びと共に、陸奥が七度目の射撃を行う。
先ほど弾着した敵の第一射は全弾遠弾となったが、互いに砲撃を始めた以上、出来るだけ早く命中弾を出して敵を戦闘不能に追い込みたいところであった。そうでなければ、こちらがやられてしまう。
「だんちゃーく!」
ストップウォッチを持った時計員の特徴的な抑揚が、また夜戦艦橋に響く。
「敵艦を夾叉!」
「よろしい!」
ようやく待ちに待った報告に、小暮は手のひらに拳を打ち付けた。
砲弾が、敵艦を包み込むように着弾したということである。この射撃諸元のまま砲撃を続ければ、いずれは命中弾が出る。あとは、確率論の問題であった。
「砲術長! 次より斉射!」
「宜候! 次より斉射!」
第七射を放った砲身が仰角を落とし、新たな九一式徹甲弾を装填する。そして再び仰角を取るまでの、焦れるような沈黙の時間。
周囲では伊勢や日向、四水戦や米巡洋艦部隊の砲声が海面を震わせているが、陸奥だけがそこから切り離されてしまったかのような、緊迫の瞬間。
やがて、装填を終えた四門の砲身が再び仰角を取り始める。
「射撃用意よし!」
「てっー!」
刹那、交互射撃とは比較にならない衝撃が陸奥の船体を振るわせた。
実戦において初めて行った、四十一センチ砲による全門斉発。
青年時代から何度も陸奥に乗り込んでいる小暮軍治艦長にとっても、この衝撃はこれまでの訓練とはまったく違うものとして体に伝わっていた。
八門の砲口から噴き出した爆炎が刹那の間、陸奥の艦影を海上に浮かび上がらせる。
竣工からすでに二十年あまり。
軍縮条約による廃艦の危機を乗り越えた戦艦が、ようやくその真価を発揮する場を得たことに歓喜するような、そんな咆哮。
小暮は万感の思いと共に、八発の九一式徹甲弾の行方を幻視していた。
「総員、衝撃備えよ!」
先ほどの射撃で夾叉され、そして発砲炎が確認された瞬間、デイビス艦長は艦内に警告を発していた。
内心では、ジャップに先を越されたことへの忸怩たる思いが渦巻いている。
未だ、ワシントンとノースカロライナの砲弾は敵艦を夾叉するには至っていない。
レーダーによる測距は正確であり、光学照準も星弾射撃の明かりによって補っている。にもかかわらず、先に夾叉されたのはワシントンの方であった。
デイビス大佐は、唇を噛みしめた。
衝撃は、間もなくやって来た。
北大西洋の荒波も経験していたワシントンの船体に、誰も感じたことのない衝撃が走る。まるで、巨人の拳で船体が殴られたかのような感覚であった。
「ダメージ・リポート!」
デイビス艦長は即座に叫んだ。
「第二煙突後部に命中! 右舷艦載艇揚収クレーン倒壊! 両用砲の弾薬に引火し火災発生!」
「消火、急げ!」
両用砲には星弾射撃を行わせている。星弾に使われているマグネシウムに引火すれば、甲板上に激しい光源が出現してしまう。そうなれば、敵艦の格好の標的となってしまう。
デイビス大佐の声には、焦燥が滲んでいた。
しかし、幸いなことに煙突そのものや後部射撃指揮所には被害はなかったようである。
ノースカロライナ級は第二次ロンドン海軍軍縮条約のあおりを受けて、当初は十四インチ砲搭載戦艦として建造が開始された。しかし、日本が十六インチ砲搭載の新型戦艦を建造している疑惑が浮上したため、同条約のエスカレーター条項(非条約締約国が第二次ロンドン海軍軍縮条約で定められた制限を超過する艦艇を建造していた場合、条約締約国は制限を撤廃出来るという条項)が発動し、急遽、十六インチ砲搭載戦艦として設計が改められたのである。
そのため、当然、敵十四インチ砲弾に耐えられるものとされていた対応防御を、対十六インチ防御に引き上げる必要性が生じた。これにより、ノースカロライナ級は純粋な十六インチ砲搭載戦艦として設計・建造された後継のサウスダコタ級よりも防御力の点で劣っていた。
辛うじて、機関部の装甲が敵十六インチ砲弾に対し二万メートルから二万五〇〇〇メートルの間で安全圏を確保出来ているに過ぎないのだ。
現在の砲戦距離でナガト・クラスの十六インチ砲弾を喰らった場合、装甲を容易に貫通される恐れがあった。
だが、とデイビスは思い直した。
こちらの砲弾は、貫通力を増したSHSである。一発一発の威力は、ワシントンの方が高い。従来型、それも旧式の十六インチ砲搭載戦艦であるナガト・クラスが相手であるならば、まだ逆転は可能だ。
「ハーベイ、ナガトは所詮、旧式戦艦に過ぎん! 怯まずに撃ち続けろ!」
「アイ・サー!」
デイビスの叱咤に応えるように、ワシントンの主砲が轟音を上げた。
三門の十六インチ砲から、重量一二二五キログラムのSHSが放たれる。
日米の新旧十六インチ砲搭載戦艦は、その砲炎を煌めかせながらなおも砲撃を継続していた。
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