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56 勝利の女神の天秤
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実際にホーネットに命中した八〇〇キロ陸用爆弾は、一発のみであった。
しかし、至近弾となった四発はすでに喫水線下を魚雷によって抉られていたホーネットにとって、さらなる打撃となった。
爆弾が炸裂したことによって発生した水圧が、魚雷の破孔から艦内に入り込み、隔壁をさらに歪めてしまったのである。
この浸水によってホーネットは左舷へと徐々に傾斜を深めていくこととなり、一五〇〇時(日本時間:一二〇〇時)、ついに総員退艦命令が発せられることとなった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ホーネット艦長マーク・ミッチャー少将が戦傷により治療の甲斐なくホーネット医務室において死亡したことがスプルーアンス少将の下に伝えられたのは、一四三〇時(日本時間:一一三〇時)のことであった。
敵機ないし艦橋壁面の鉄片が腹部に突き刺さって臓器を傷付け、大量の出血によって失血死したという。
指揮系統が麻痺し、被弾によって各所の電路も切断されていたホーネットでは、適切なダメージ・コントロールが十分に行えず、復旧は絶望的との報告が入っている。
一方、六発の爆弾を被弾したミネアポリスであるが、こちらも被弾によって艦内各所で電路が切断、発電装置なども一部が破壊されたため、ダメージ・コントロールに失敗していた。さらに至近弾の衝撃などもあって浸水が拡大しつつあるという。
ミネアポリスのフランク・J・ローリー大佐からは、艦の放棄を許可して欲しいとの要請が出されている。
「パールハーバーの時とは、ジャップの執念が違うな」
悲痛な雰囲気に包まれそうになるエンタープライズ艦橋で、スプルーアンスは冷静に分析するように色のない声音で言った。
真珠湾攻撃の際、ジャップは燃料貯蔵庫やドックなどの重要な基地施設は狙わずに引き上げてしまった。インド洋での海戦でも、ジャップ空母艦隊は英東洋艦隊を壊滅に追い込むと、セイロン島の基地施設にはほとんど手を付けずに撤退している。
どちらも一度の攻撃による被害は大きかったが、ジャップが徹底的な追撃を行わなかったお陰で、最悪の事態は免れていた。
だが今回の海戦では、どうもそうではないようだ。
フレッチャーの第十七任務部隊を片付けて攻撃の手を緩めるかと思えば、逆にさらなる攻撃隊を発進させてホーネットを撃沈にまで追い込もうとしている。
執拗とも、執念とも取れるジャップ司令官の指揮であった。
司令官がナグモから交代したとでも言うのだろうか……?
そんな疑問をスプルーアンスは覚えていたが、そうした分析は真珠湾に帰還してから戦訓分析の中で知ればいいことである。
今、自分がすべきことは今後のエンタープライズの行動である。
スプルーアンスは残った日本空母を捕捉、攻撃すべく、すでに索敵機を発進させていた。
索敵機発進時点で、彼は南雲艦隊に残る空母の数を一隻と見積もっていた。ホーネットを襲った日本機の数も、彼の確信を深めるものとなった。
日本側空母は米軍空母と違い、搭載機全機を一度に発進させられるだけの飛行甲板の広さや射出機などの装備を持たない。だからこそ一度に放てる攻撃隊の数が限定されてしまうのであるが、逆に第三次攻撃隊の六十九機という機数は、米側にとっては一隻の空母から発進出来る数に近かったのである。
これが、スプルーアンスが残る日本空母は一隻のみと判断した理由であった。
その後、ホーネットはジャップ艦載機の水平爆撃隊に襲われていたが、機数が少なかったため、索敵用として使っていた九七艦攻を急いで爆装したものだろうと、第十六任務部隊司令部は判断していた。
合衆国海軍は日本海軍と違い、SBDドーントレスを索敵用として使用している。自分たちと同じことをジャップも行っているだろうと、彼らは極めて合理的に考えていたのである。まさか、一航艦が対艦攻撃能力が低下するからと、索敵に九七艦攻を出し惜しみしていたことなど、知る由もない。
さらに一三三〇時(日本時間:一〇三〇時)頃、ミッドウェーの基地航空隊からもたらされた情報も、彼らの確信を深める要因となった。
ミッドウェー島南西に発見されたジャップ艦隊に対し、基地航空隊は戦果確認のためにPBYカタリナ飛行艇を発進させていた。これが、西方に向けて退避中のジャップ空母と思しき艦影を発見したのである。
実際には、この艦影は第二機動艦隊から分離して攻略部隊との合流を目指していた瑞鳳、祥鳳とその護衛なのであるが、そのような事情を合衆国側は知りようもない。
やはり六隻中二隻は上陸船団の護衛についていることは間違いない。スプルーアンスを始め、第十六任務部隊の司令部はそう確信してしまったのだ。
西方に向けて退避中ということは、基地航空隊は南西に発見されたジャップ艦隊に相応の打撃を与えられたということだろう。ならば、あと一隻のジャップ空母を見つけ出し、これを撃破すればミッドウェー防衛という合衆国の戦略目標は達成出来る。
さらにこの時、エンタープライズには二つの朗報が届いていた。
一つ目は、行方不明となっていたホーネット戦闘機隊と艦爆隊が、ミッドウェー島に不時着していたというものである。戦闘機隊は残念ながら不時着水であったためにほとんどが失われてしまったが、エドガー・ステビンス大尉率いるSBDドーントレスはまだ二十五機が健在であるという。
これを一度、母艦であるホーネットに戻すことも検討されていたが、結局、ホーネットが空襲で損傷したので、そのままミッドウェー島からジャップ空母攻撃に参加させることとなった。
つまり、ホーネットは失われようとしているが、その母艦航空隊の一部は未だ健在だったのである。
これで事実上、空母二隻分の艦爆隊を第十六任務部隊は残していることになる。
二つ目は、ついに残るジャップ空母を発見したというものであった。この報告は一四三〇時にもたらされた。
さらにこの索敵機は続けて、その南方に航行不能となったジャップ大型空母一隻を発見したことを報告している。どうも戦艦に曳航の準備を整えさせているところであるとのことであった。
恐らく、マクラスキー隊が爆弾を命中させたアカギかカガであろう。
まだ、主は自分たちを見捨てたわけではない。
少なくとも第十六任務部隊司令部は、際どいところで天秤は自分たちの方に傾きつつあると考えていたのである。
しかし、至近弾となった四発はすでに喫水線下を魚雷によって抉られていたホーネットにとって、さらなる打撃となった。
爆弾が炸裂したことによって発生した水圧が、魚雷の破孔から艦内に入り込み、隔壁をさらに歪めてしまったのである。
この浸水によってホーネットは左舷へと徐々に傾斜を深めていくこととなり、一五〇〇時(日本時間:一二〇〇時)、ついに総員退艦命令が発せられることとなった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ホーネット艦長マーク・ミッチャー少将が戦傷により治療の甲斐なくホーネット医務室において死亡したことがスプルーアンス少将の下に伝えられたのは、一四三〇時(日本時間:一一三〇時)のことであった。
敵機ないし艦橋壁面の鉄片が腹部に突き刺さって臓器を傷付け、大量の出血によって失血死したという。
指揮系統が麻痺し、被弾によって各所の電路も切断されていたホーネットでは、適切なダメージ・コントロールが十分に行えず、復旧は絶望的との報告が入っている。
一方、六発の爆弾を被弾したミネアポリスであるが、こちらも被弾によって艦内各所で電路が切断、発電装置なども一部が破壊されたため、ダメージ・コントロールに失敗していた。さらに至近弾の衝撃などもあって浸水が拡大しつつあるという。
ミネアポリスのフランク・J・ローリー大佐からは、艦の放棄を許可して欲しいとの要請が出されている。
「パールハーバーの時とは、ジャップの執念が違うな」
悲痛な雰囲気に包まれそうになるエンタープライズ艦橋で、スプルーアンスは冷静に分析するように色のない声音で言った。
真珠湾攻撃の際、ジャップは燃料貯蔵庫やドックなどの重要な基地施設は狙わずに引き上げてしまった。インド洋での海戦でも、ジャップ空母艦隊は英東洋艦隊を壊滅に追い込むと、セイロン島の基地施設にはほとんど手を付けずに撤退している。
どちらも一度の攻撃による被害は大きかったが、ジャップが徹底的な追撃を行わなかったお陰で、最悪の事態は免れていた。
だが今回の海戦では、どうもそうではないようだ。
フレッチャーの第十七任務部隊を片付けて攻撃の手を緩めるかと思えば、逆にさらなる攻撃隊を発進させてホーネットを撃沈にまで追い込もうとしている。
執拗とも、執念とも取れるジャップ司令官の指揮であった。
司令官がナグモから交代したとでも言うのだろうか……?
そんな疑問をスプルーアンスは覚えていたが、そうした分析は真珠湾に帰還してから戦訓分析の中で知ればいいことである。
今、自分がすべきことは今後のエンタープライズの行動である。
スプルーアンスは残った日本空母を捕捉、攻撃すべく、すでに索敵機を発進させていた。
索敵機発進時点で、彼は南雲艦隊に残る空母の数を一隻と見積もっていた。ホーネットを襲った日本機の数も、彼の確信を深めるものとなった。
日本側空母は米軍空母と違い、搭載機全機を一度に発進させられるだけの飛行甲板の広さや射出機などの装備を持たない。だからこそ一度に放てる攻撃隊の数が限定されてしまうのであるが、逆に第三次攻撃隊の六十九機という機数は、米側にとっては一隻の空母から発進出来る数に近かったのである。
これが、スプルーアンスが残る日本空母は一隻のみと判断した理由であった。
その後、ホーネットはジャップ艦載機の水平爆撃隊に襲われていたが、機数が少なかったため、索敵用として使っていた九七艦攻を急いで爆装したものだろうと、第十六任務部隊司令部は判断していた。
合衆国海軍は日本海軍と違い、SBDドーントレスを索敵用として使用している。自分たちと同じことをジャップも行っているだろうと、彼らは極めて合理的に考えていたのである。まさか、一航艦が対艦攻撃能力が低下するからと、索敵に九七艦攻を出し惜しみしていたことなど、知る由もない。
さらに一三三〇時(日本時間:一〇三〇時)頃、ミッドウェーの基地航空隊からもたらされた情報も、彼らの確信を深める要因となった。
ミッドウェー島南西に発見されたジャップ艦隊に対し、基地航空隊は戦果確認のためにPBYカタリナ飛行艇を発進させていた。これが、西方に向けて退避中のジャップ空母と思しき艦影を発見したのである。
実際には、この艦影は第二機動艦隊から分離して攻略部隊との合流を目指していた瑞鳳、祥鳳とその護衛なのであるが、そのような事情を合衆国側は知りようもない。
やはり六隻中二隻は上陸船団の護衛についていることは間違いない。スプルーアンスを始め、第十六任務部隊の司令部はそう確信してしまったのだ。
西方に向けて退避中ということは、基地航空隊は南西に発見されたジャップ艦隊に相応の打撃を与えられたということだろう。ならば、あと一隻のジャップ空母を見つけ出し、これを撃破すればミッドウェー防衛という合衆国の戦略目標は達成出来る。
さらにこの時、エンタープライズには二つの朗報が届いていた。
一つ目は、行方不明となっていたホーネット戦闘機隊と艦爆隊が、ミッドウェー島に不時着していたというものである。戦闘機隊は残念ながら不時着水であったためにほとんどが失われてしまったが、エドガー・ステビンス大尉率いるSBDドーントレスはまだ二十五機が健在であるという。
これを一度、母艦であるホーネットに戻すことも検討されていたが、結局、ホーネットが空襲で損傷したので、そのままミッドウェー島からジャップ空母攻撃に参加させることとなった。
つまり、ホーネットは失われようとしているが、その母艦航空隊の一部は未だ健在だったのである。
これで事実上、空母二隻分の艦爆隊を第十六任務部隊は残していることになる。
二つ目は、ついに残るジャップ空母を発見したというものであった。この報告は一四三〇時にもたらされた。
さらにこの索敵機は続けて、その南方に航行不能となったジャップ大型空母一隻を発見したことを報告している。どうも戦艦に曳航の準備を整えさせているところであるとのことであった。
恐らく、マクラスキー隊が爆弾を命中させたアカギかカガであろう。
まだ、主は自分たちを見捨てたわけではない。
少なくとも第十六任務部隊司令部は、際どいところで天秤は自分たちの方に傾きつつあると考えていたのである。
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