蒼海の碧血録

三笠 陣

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第四章 マーシャル遊撃戦1944

54 最後の攻防

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 大和以下四隻とアイオワ級三隻の砲戦は、双方が決定打を出せないまま続いていた。

「やはり夜戦でこの距離は無理だな」

 夜戦艦橋から前部二基の主砲塔を見下ろしながら、森下は呟いた。
 依然として彼我の距離は二万三〇〇〇メートルを維持しており、こちらが接近を試みても敵がその分、距離を開けようとするので埒が明かなかった。
 すでに大和は三射目を撃ち、弾着を待っている状況である。一方の米戦艦は六度目の射撃が先ほど着弾し、いずれも水柱を立てるだけに終わっている。
 敵の弾着は徐々に大和に迫ってきていたが、いずれにせよ六度目の射撃でも命中弾を得られていないとなると、どこか気の抜けた砲撃戦のようにも感じてしまう。

「このままではスラバヤ沖海戦の二の舞になるぞ」

 だが、敵戦艦の速力がこちらよりも早いらしく、二十五ノットまでしか出せない第一、第二戦隊は距離を詰めることに失敗していた。

「いっそ、このまま離脱する姿勢を見せた方がいいのではないか?」

 第一遊撃部隊の目的はあくまで米輸送船団の撃滅であり、ここで米戦艦と砲弾を浪費することではない。一方の米戦艦はこちらのクェゼリン突入を阻止したいはずであり、こちらが戦場を離脱してクェゼリンに向かう姿勢を見せれば追撃せざるを得ない。
 いや、それも駄目かと森下は思い直した。
 結局、こちらが速力で劣ることがそもそもの原因なのだ。ソロモンで川内艦長を務めていた経験から、森下はこの状況をどこかもどかしく感じていた。戦艦ともなれば、軽巡のように軽快には動けない。

「だんちゃーく!」

 と、独特の抑揚をつけた報告が艦橋に響く。

「近、遠、遠!」

「苗頭下げ二、急げ!」

 こちらも弾着観測機を飛ばすなどしているが、第三射でもまだ修正が必要であった。帝国海軍の射撃教範に則れば、第三射までに弾着修正を終えて第四射から本射に移ることが理想とされていたが、この距離ではそう上手くはいかない。

「敵弾、間もなく弾着」

「……」

 電測室からの報告に海面を見守っていると、大和の周囲を水柱が包み込んだ。大瀑布を下から見上げるような海水の塊は、やがて崩れ落ちて大和の甲板を濡らしていく。
 敵一番艦の放った第七射であった。

「今のは近かったな」ぽつりと、森下は呟いた。「次かその次あたりで命中するぞ、こりゃあ」

 とはいえ、その言葉にそれほど深刻な響きはなかった。
 どれほど遠距離であろうと、自分たちは砲撃戦をやっているのである。敵も味方も、砲術科の者たちがよほど未熟ではない限り、いつかは命中弾を出すだろう。敵の方が先に射撃を開始したのだから、命中弾も敵が先に出すだろうというのは、当然の結論であった。
 むしろ、一発の被弾で魚雷が誘爆、爆沈しかねない(実際に森下が川内艦長として参加した第三次ソロモン海戦では長良が爆沈している)軽巡の艦長を務めていただけ、森下の肝は据わっていた。

「後部見張所より、第二戦隊が敵三番艦に命中弾を出した模様!」

 その報告に、夜戦艦橋に感嘆の呻きが漏れる。
 森下も思わず「ほぅ」と息をついていた。流石、戦前期から乗り込んでいる特務士官や熟練の乗員を擁する戦艦だけある。この海域に存在する日米の戦艦の中で、最初に命中弾を出すとは。
 大和が第四射を放ったのは、その直後であった。





 一方、大和から二万三〇〇〇メートル彼方の戦艦ニュージャージーでは、ハルゼーがいささか焦れ始めていた。
 七度目の射撃に至っても弾着修正が必要で、第一射からすでに十分は経過しているというのに、まるで命中する様子がないのだ。弾着位置は徐々に敵一番艦に迫りつつあるが、射撃諸元の修正という意味ではジャップの方が一枚上手のようで、すでにミズーリが敵ナガト・クラスから命中弾を受けている。
 ハルゼーは、距離二万五〇〇〇ヤードで一方的にジャップ戦艦を叩くという目論見がまるで上手くいっていないことを悟らざるを得なかった。
 自分は柄にもなく消極的な戦術をとってしまったのではないか、そんな疑念すら抱きつつあった。
 アイオワ級の安全圏、SHSの特徴を考えればこの戦術が最良であるはずなのだが、実際には三隻のアイオワ級の射撃は空振りを繰り返している。特に竣工から半年も経っていないミズーリの射撃は散布界が広がりすぎて、実戦での練度不足を露呈しているという。
 合衆国の誇る工業力の総力を挙げて竣工時期を前倒しした彼女だったが、乗員の練度までは工業力で補えない。

弾着、今スプラッシュ・ナウ!」

「近、近、近! されど命中は認められず!」

 八度目の射撃の成果もまた、空振りに終わったようであった。確実にニュージャージーの射撃はジャップ戦艦を捕捉しつつあるが、未だ命中弾は出ない。
 距離に比例して誤差が拡大していく測距儀と違い、レーダーに頼る合衆国戦艦は距離による誤差を最小限に押さえながら射撃が出来るはずなのであるが、結果はハルゼーを落胆させるばかりであった。
 レーダー射撃とは言え、スコープ上から情報を読み取るのは人間、その情報を射撃管制システムに入力するのも人間と、乗員の練度に頼った射撃方法である。測距儀だけを用いた射撃よりも正確な射撃諸元を得られるが、それとて劇的な命中率の向上は望めないのである。
 もっとも、これはニュージャージーの乗員の練度が低いというよりも、遠距離砲戦であることとアイオワ級自体が持つ欠点による所も大きかった。アイオワ級は他の米新鋭戦艦と同様に重心が高く、凌波性に劣っていたのである。「ウェット・シップ(湿った船)」などというありがたくない二つ名まで頂戴しているほどである。
 本来であれば悪天候時に問題となるこの凌波性の悪さが、ジャップに距離を詰めさせないために高速で動き回っていることで砲撃時の艦の安定性を失わせているのであった。
 こうなれば、イギリス海軍の近距離砲戦ドクトリンに倣って一挙に距離を詰め、ジャップ戦艦の垂直装甲をぶち抜くべきか。アイオワ級の高速性能ならば、それは可能だろう。
 ハルゼーがそう思い直した直後、ようやく待ちに待った報告が届けられた。

「敵一番艦に命中一を確認! やったぞ、ジャップ!」

 観測員も興奮を抑えきれないのか、報告の最後にジャップへの嘲りを叫んでいた。
 ニュージャージーは九度目の射撃にして、ようやく命中弾を得たのである。

「次より斉射に移行」

 ホールデン艦長の命により、ニュージャージーの射撃が一旦、停止される。
 ハルゼーもようやく苛立ちと自らへの疑念から解放された。ジャップのヤマト・クラスと思しき敵戦艦に対して、先に命中弾を喰らわせてやったのである。
 このままアイオワ級の安全園からヤマト・クラスを叩き続けて打撃を与え、しかる後にその高速性を活かしてジャップ戦艦に接近、止めを刺す。ようやく、その目途が付いたのである。
 だがその直後、ニュージャージーを激震が襲った。
 大和の四十六センチ砲もまた、彼女を捉えることに成功したのである。





 ニュージャージーの第九射が命中したとき、森下はさしたる焦りを覚えなかった。

「被害知らせ!」

 冷静に、自らの操る艦の被害を把握しようとする。

「後部上甲板に直撃弾! 小規模な火災発生! 士官烹炊室全壊するも装甲を貫通されたる形跡なし!」

「消火、急げ!」

 米一番艦からの直撃弾は、大和の戦闘能力にまったく損害を与えることはなかったのである。

「ただまあ、こりゃあ俺たち士官はトラックに帰るまで食事は乾パンと缶詰だけになりそうだな」

 どこか気の抜けた声でそうぼやく森下に、夜戦艦橋内に小さな笑いが起こる。
 直撃弾を受けても泰然とした様子を崩さない自分たちの艦長を、艦橋要員たちは頼もしく思っていた。
 大和型戦艦の烹炊室は、右舷が兵員用、左舷が士官用と定められていた。そこに直撃弾を受けたわけであるが、もう少し被弾位置が後ろにずれていれば後部電信室が全滅していたであろうから、これは幸運といえた。
 そして、アイオワ級戦艦のMk.7五〇口径十六インチ砲の距離二万五〇〇〇ヤードでの水平装甲に対する貫通力は一三一ミリ(垂直装甲に対しては四九七ミリ)。大和型戦艦の水平装甲はヴァイタルパート部分で二三〇ミリもあり、この距離では十六インチ砲弾がたとえ装甲に対して垂直に命中したとしても(実際には約二十一度の角度で落下する)、大和の水平装甲を貫通することは不可能であった。

「だんちゃーく!」

 そして、大和の主砲弾もまた敵一番艦を捉えていた。

「敵艦中央部に命中一を確認!」

 大和は、第五射において敵艦への命中弾を出したのである。測距儀および電探、そして弾着観測機からもたらされる情報を元に、能村砲術長を初めとする砲術科の者たちが根気よく諸元修正を重ねた結果であった。

「砲術長、次より斉射に移行!」

「宜候、次より斉射!」

 そして大和もまた、ニュージャージーと同じように斉射への準備を始めていた。





 一方、四十六センチ砲弾に捉えられたニュージャージーの被害は深刻であった。

「ダメージ・リポート!」

「第二煙路全壊! 出し得る速力、二十二ノット! 第四機関室に排煙が充満しつつあります!」

「第四機関室の乗員は直ちに待避!」

 この時、大和の放った一式徹甲弾は、落角約十七度でニュージャージーの中央部の水平装甲に命中していた。
 距離二万メートルにおける四十六センチ砲の貫通力は、水平装甲に対して一六七ミリ。一方で、アイオワ級戦艦の水平装甲はヴァイタルパート部分で中甲板に一二一ミリおよび三十二ミリの装甲を施している。
 アイオワ級は上甲板と下甲板にも装甲を施して、ヴァイタルパート部分の水平装甲は合計で約二二〇ミリ近い多重装甲となっていたため、流石に機関部最奥まで砲弾が到達することはなかったが、それでも四十六センチ砲弾はニュージャージーの第二煙突の煙路を爆砕、これを塞いでしまい、逆流した排煙がニュージャージーの機関部に充満していくという被害を引き起こしたのである。
 これにより、ニュージャージーの速力は二十二ノットへと低下せざるを得なくなってしまったのである。
 本国の技術屋のホラ吹きどもめ! ハルゼーは内心で罵声を上げた。何がこの距離なら安全圏だ!
 実際、大和型の主砲弾の威力は、合衆国海軍の想定を超えていた。彼らは距離二万メートル前後における四十六センチ砲の水平装甲貫通力を一〇九ミリと想定していたが、これはかなり甘い計算であった。
 その計算に基づけば確かにアイオワ級は大和型の砲撃に堪えられることが出来るが、実際の大和の主砲弾の威力はそれを上回っていた。
 ハルゼーにとってみれば、味方に裏切られたような気分である。
 だが、すでに砲戦は始まってしまっている。それに、ここで退くわけにもいかないこともまた事実であった。
 自分たちが引き下がれば、クェゼリンの輸送船団がジャップ戦艦の砲撃に晒される。
 それだけは、何としても阻止しなければならなかった。

「怯むな! 速力が低下したからって何だって言うんだ! 俺たちはすでにジャップ戦艦への命中弾を出しているんだぞ!」

 自分自身と、そしてホールデン艦長らを鼓舞するように、ハルゼーは吠えた。
 こちらの砲弾だって、ジャップ戦艦を捉えているのだ。確実に、打撃を与えているはずである。
 結局、ジャップより優れたレーダーを利用して遠距離から一方的に打撃を与え続けるという当初の目論見は潰えている。だが、逆に純粋な戦艦同士の殴り合いに発展したことで、ハルゼーの闘志はむしろ燃え上がっていた。
 こうなればどちらが先に倒れるかの勝負であった。

「撃って撃って撃ちまくれ! 最後に浮いている方が勝ちだ!」

 ハルゼーの声に応えるかのように、ニュージャージーはこの海戦初めての全門斉射を行った。





 全門斉射となったニュージャージーの第十射は、二発が大和への直撃弾となった。
 一発は舷側装甲に貫通を阻まれ、もう一発は第三主砲塔天蓋に命中したものの火花を散らしながら弾き飛ばされてしまった。実質的に、大和の戦闘力に損害はなかった。
 こちらは先ほどの命中弾で敵の速力を低下させている。少なくとも、この距離ならば敵艦に打撃を与えることが出来、逆に大和の防御力が十全に発揮出来る。そう、森下は判断していた。
 ここであえて距離を詰めるようなことをすれば、射撃諸元を求め直すことになってしまう。今ですら、敵艦の速力低下によって射撃諸元の微修正を迫られているのだ。
 自分たちは、クェゼリン突入を控えている。ここで砲弾を浪費することは出来なかった。そして、時間を浪費することも。
 大和は、六度目の射撃となる全門斉射を行った。
 その砲弾の行方を、森下はじっと見つめていた。





 二万三〇〇〇メートルの距離を飛翔した九発の四十六センチ砲弾は、三発がニュージャージーへの直撃弾となった。
 一発は後部甲板に命中してそこにあるカタパルトやクレーンを破壊、二発目は中央部に命中して両用砲群を破壊して水平装甲を中甲板まで貫通して爆発、そして三発目はニュージャージーの第二主砲塔天蓋に命中した。
 特に第二主砲塔天蓋に命中した一式徹甲弾は、一八四ミリの装甲に阻まれて貫通こそ出来なかったものの砲塔内部を激しく揺さぶり、三本の砲身の仰俯角装置を破損させてしまった。アイオワ級の主砲塔天蓋の装甲は対十六インチ砲防御としては十分であったが、対十八インチ砲防御という点では不十分な厚さだったのである。
 この打撃により、ニュージャージーは主砲の三分の一を失うこととなった。
 一方、彼女の後方を進むアイオワもまた武蔵からの砲撃によって打撃を受けていた。
 アイオワは機関部への打撃こそ受けていなかったが、艦首部に命中した四十六センチ砲弾が錨鎖庫を破壊して浸水をもたらし、もともと良好とは言えなかったアイオワ級の凌波性がさらに悪化。浸水によるトリムの狂いも併せて、アイオワの射撃精度を大きく低下させていた。
 一方の武蔵も後部甲板に直撃弾を受けてカタパルトを吹き飛ばされ、左舷高角砲群を鉄屑にされつつも、九門の四十六センチ砲は健在であった。
 長門と陸奥に至っては、ミズーリの練度不足によるものか、直撃弾すら受けていない。さらに恐るべきことに、旧式戦艦である彼女たちの砲弾は、ミズーリの船体に確実に打撃を与えていたのである。
 三〇七ミリのアイオワ級戦艦の垂直装甲は十九度の角度をつけた傾斜装甲なっており、砲弾の落下角度などを併せて計算すると、実質的に四三九ミリの装甲となる。だが、長門型戦艦の主砲の貫通能力が距離二万メートル前後において四五四ミリを誇ることから、一部の砲弾はミズーリの装甲を貫通していたのである。
 未だ致命傷を与えるには至っていないものの、大和、武蔵と比べると投射弾数が多いことから、長門、陸奥はミズーリに対して優位に戦いを進めているといえた。
 しかし一方で、三隻のアイオワ級もまだ砲戦能力を十分に残していることもまた事実であった。
 クェゼリン北西の海面には、吊光弾や照明弾による光の下、なおも殷々たる砲声が響き続けていたのである。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 第二遊撃部隊旗艦・比叡の被雷は、十四日二三二五時のことであったという。

「比叡より全艦に通信! 『我、魚雷ヲ受ク。各艦ハ我ヲ顧ミズ前進シテ敵ヲ撃滅スベシ』。以上です!」

 夕立艦橋にその報告が届けられた時、吉川潔大佐率いる第二駆逐隊の四隻は米戦艦群への接近を続けている最中であった。

「……西村長官は、俺たちと同じ水雷畑の出身だったな」

 報告を受けた吉川は、ぽつりと呟いた。
 旗艦比叡からの通信を受けた彼の胸に去来したのは、悲壮な覚悟などというものではなく、「実に水雷屋らしいな」という共感だった。
 水雷戦隊旗艦の役割とは、麾下駆逐艦の突撃を援護することである。場合によっては、自らが敵の砲火を引き受けることもある。
 だからこそ、比叡からの通信に吉川は共感したのだ。もし夕立が敵弾を受けて航行不能となったとしたら、きっと自分は西村長官と同じように残りの三隻に突撃を命じるだろう。

「比叡、撃ち方始めました!」

 比叡の被害がどの程度かは通信からは判らないが、傷付きながらも敵戦艦への砲撃を始めた比叡に、吉川は西村長官と比叡乗員たちの気迫を感じた。

「敵戦艦との距離は?」

 吉川は見張り員に尋ねる。

「現在、敵一番艦との距離、一五〇(一万五〇〇〇メートル)!」

「距離三五(三五〇〇メートル)まで接近、その距離から魚雷をぶち込む。後続艦にも信号」

「宜候、距離三五にて魚雷発射」

 米駆逐隊の迎撃を突破した夕立であったが、彼女の戦いはここからが本番であった。





 比叡を含む第十一、第三戦隊の四隻の金剛型への雷撃に成功したのは、バーナード・L・オースティン中佐率いる第四十六駆逐隊のスペンス、コンバートであった。彼は、バーク隊との連絡が途絶(バークの座乗するチャールズ・オズバーンのTBSが破壊されたため)したことから、単独での雷撃を決意したのであった。
 第四十六駆逐隊はレーダーにて、接近する西村中将直率の主隊を距離二万二〇〇〇ヤード(約二万メートル)で捕捉しつつ、バーク隊とは反対側から西村隊に接近していたのである。。
 一方、比叡の三三号電探はスペンスとコンバートを右舷二万メートルの位置に捕捉していたが、敵味方の識別がついていなかった。西村隊側がオースティン隊を正確に米駆逐艦と確認したのは、距離一万五〇〇〇メートルに迫ってからのことであった。
 スペンスとコンバートに対して金剛型四隻の十五・二センチ副砲と、彼女たちの右舷を守っていた夕暮、有明による射撃が加えられたが、オースティンは高速でジグザグ航行をすることでそれらをかわした。
 オースティン隊は反航態勢のまま煙幕などを張りつつ西村隊に接近。距離六〇〇〇ヤード(約五五〇〇メートル)にて魚雷を発射。だが魚雷発射時の直進運動を捉えられ、スペンスに比叡や霧島の副砲弾が集中、その内一発が艦橋を直撃してオースティンらを戦死させた。
 一方、有明が二隻の米駆逐艦から放たれた魚雷による雷跡を発見、西村中将は四隻の金剛型に対して緊急右九〇度一斉回頭を命じた。
 この態勢のまま二分間航行を続けた後、敵戦艦部隊と対峙すべく斉動を以て針路を元に戻した瞬間、比叡中央部に一本の魚雷が命中したのである。
 この時、すでに米戦艦部隊との距離は二万五〇〇〇メートルにまで縮まっていた。
 比叡の三三号電探はすでに距離三万三〇〇〇メートルで敵大型艦の艦影を捕捉しており、吊光弾や照明弾に照らされた海面を観測していた弾着観測機からも、メリーランド級およびサウスダコタ級を含む三隻の戦艦の存在が報告されていた。
 この報告を受けた時点で、西村祥治中将はこの砲戦が相当に厳しいものとなることを覚悟していたという。
 メリーランド級は、帝国海軍の長門型戦艦、イギリス海軍のネルソン級戦艦と共に、旧式ながらも十六インチ砲を搭載する有力な戦艦である。そして、サウスダコタ級は十六インチ砲を搭載する米新鋭戦艦の一角である。
 これまでに帝国海軍はサウスダコタ級を四隻撃沈しているが、米国はその並外れた工業力を結集して五番艦、六番艦を就役させたのだろう(実際は、真珠湾攻撃後に大改装を施され艦影がサウスダコタ級に準ずる形状となったカリフォルニア級の二隻であった)。そう判断された。
 一方の金剛型は、高速という特徴はあるものの所詮は巡洋戦艦改造の十四インチ砲搭載戦艦でしかない。メリーランド級はともかく、サウスダコタ級にどこまで対抗可能であるかは判らなかった。
 金剛型の搭載する三十六センチ砲の貫通能力は、距離二万メートルにて三〇七ミリ(垂直装甲に対して)。対十六インチ砲防御を施されているだろう三隻の米戦艦と対峙するには、いささか心許ない。
 初速の落ちない近距離砲戦で一気に決着をつける他に、クェゼリン突入を果たす道はない。
 西村は、そう決断していた。
 そうしたところに、旗艦である比叡に魚雷が命中したのである。
 この被雷によって、比叡の速力は二十一ノットに低下。だがそれでも、西村中将の戦意は衰えなかった。
 敵戦艦部隊との距離がおよそ二万三〇〇〇メートルとなった瞬間、米戦艦からの砲撃が開始された。これに対して、西村中将はただちに敵戦艦への砲撃を命じたのである。
 比叡の速力は低下したとはいえ、米側の最大戦速はメリーランド級の二十一ノットに合わせなければならないはずであるから、速力面で比叡が著しく不利になったわけではない。

「第三戦隊は突撃を開始せよ」

 米十六インチ砲搭載戦艦に近距離から三十六センチ砲を撃ち込むべく、西村はそう命じた。
 第十一戦隊の比叡と霧島は、その突撃を援護する役目を負う。
 戦艦に乗っていながら水雷戦隊のような戦い方を命じている自分を、西村はどこかおかしく感じていた。結局、自分はどこまでいっても水雷屋なのだと思った。

「射撃用意よし!」

「目標、敵一番艦! 撃ち方始め!」

「てっー!」

 その瞬間、左舷に向けられた四門の三十六センチ砲が火を噴いた。
 第三次ソロモン海戦以来となる、比叡の対艦戦闘が始まったのだ。





「機関最大戦速! 米戦艦との距離を一気に詰めるぞ!」

 金剛の艦橋に第三戦隊司令官・岩淵三次少将の声が響き渡った。
 金剛と榛名は三十ノットの速力で海面を切り裂きつつ、砲撃を開始した比叡、霧島の右舷側をすり抜けるように突進を開始する。

「たとえ米新鋭戦艦が相手だろうと怯むな! 私は、諸君らがクェゼリン守備隊に恥じぬ戦いをすることを期待する!」

 ここまで来たのだ。クェゼリン守備隊の献身に報いるためにも、十六インチ砲搭載戦艦が相手であろうと一歩も退くわけにはいかない。
 岩淵の目には、鋭い闘魂が宿っていた。
 金剛と榛名は、主砲の砲身を振りかざしながら米戦艦へと突撃していく。とはいえ、真っ正面から米戦艦に接近しているわけではない。それでは、米戦艦に自ら丁字を描かせるようなものだ。
 四基の主砲すべてが敵戦艦を射界に収められるように、敵の戦列に対して斜めに接近している。
 その間にも、比叡と霧島の主砲は敵戦艦部隊への射撃を続けていた。





 ウェイラー少将の戦艦戦隊は、旗艦ウェストバージニアを先頭にカリフォルニア、テネシーの順序で単縦陣を組んでいた。
 ただし、テネシーはジャップによる夜間空襲によって魚雷一本を被雷していたため、敵戦艦と正面切った戦闘を行うにはいささか不安が残っていた。浸水によるトリムの狂いは、面を制圧する地上砲撃ならばそこまで大きな問題は生じないのだが、点を撃つ対艦砲撃戦では支障が生じる。
 しかも傾斜を復元するために反対舷に注水を施したため、浸水と注水によってテネシーの乾舷は低下しており、これも砲戦を行う際の弱点となり得た。つまり、乾舷の低下により垂直装甲よりも装甲の薄い水平装甲に敵弾が命中する確率が高くなってしまったのである。
 ウェストバージニアに搭載された水上捜索レーダーであるSGレーダーがジャップ大型艦を捉えたのは、距離三万五〇〇〇ヤード(約三万二〇〇〇メートル)でのことであった。
 ウェイラー少将は距離二万六〇〇〇ヤード(約二万三〇〇〇メートル)からの射撃を命じていた。

「オープン・ファイアリング!」

「ファイア!」

 八門の十六インチ砲の内、まずは半数ずつによる交互射撃が開始される。
 クェゼリンへと接近を続けるジャップ水上部隊の内、南方の部隊はコンゴウ・クラスからなる部隊であるという。であるならば、旧式戦艦のこの三隻でも十分に勝機を見出せる。
 魚雷艇部隊はジャップ先鋒部隊によって蹴散らされ、任務部隊指揮官であるオルデンドルフ少将直率の巡洋艦部隊はジャップ巡洋艦部隊に対して劣勢に陥っているが、ジャップ艦隊の最大戦力であるコンゴウ・クラスを撃沈出来れば逆転は可能なはずであった。

「敵一番艦に発砲炎! 砲撃を開始した模様!」

「こちらレーダー室、飛翔する敵砲弾を確認!」

弾着、今スプラッシュ・ナウ!」

 ウェストバージニア艦橋に様々な報告が飛び交う。地上を砲撃するのとは違う、乗員の緊迫感が伝わってくるような声であった。

「全弾、遠弾!」

「諸元修正、急げ!」

 ウェストバージニアが二度目の射撃準備をしている最中、比叡からの砲弾が彼女の周囲に降り注いだ。
 だが、こちらの砲弾も被雷によるトリムの狂いなどの要因によって全弾が遠弾となった。
 一方、ウェストバージニア後方を進むカリフォルニアとテネシーは霧島に対して計二十四門の十四インチ砲を振り向けている。
 だがこの時、レーダーは比叡と霧島の影になっている金剛と榛名を一時的に見失っていた。
 そして、神通以下掃討隊の突撃によってウェストバージニア以下三隻の周囲を直掩する駆逐艦が存在しなくなっていたことに、ウェイラーたちは気付いていなかった。TBSの混乱などから、合衆国側指揮官の誰もが正確な戦況を把握することが出来なくなっていたのである。
 クェゼリンを巡る日米両海軍最後の攻防は、混沌の中で加速度的に激化していった。
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