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第三章 インド洋決戦1943
37 混迷の戦争指導
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イギリス海軍予備員上がりのスループ艦の艦長は、神の仕打ちを呪っていた。
艦の周囲に水柱が立ち上り、基準排水量一三〇〇トンのブラックスワン級スループの船体が揺さぶられる。
「何としても、輸送船を逃がす時間を稼ぐのだ!」
艦長の切羽詰まった声と共に、六門しかない四インチ砲が火を噴く。
ギラギラと太陽の照りつけるアラビア海で、数隻のコルベット艦、スループ艦に護衛された小規模な輸送船団は、枢軸軍艦隊の攻撃に晒されていた。
「くそっ、忌々しいパスタ野郎どもめ! 大人しく午睡でもしていればいいものを!」
彼らは今、戦艦を含む強大なイタリア艦隊による追撃を受けていたのである。
刹那、爆発の閃光と轟音が艦橋に届いた。
護衛艦艇の一隻が、被弾したのである。
彼らはペルシャ湾にあるイラン・アバダン油田から燃料の緊急輸送を命ぜられたため、危険なアラビア海を航行していた。
目的地はインド西岸のコーチン。
その地に退避した英米の艦隊が喜望峰周りでのインド洋脱出を行うため、何としてでも重油を確保する必要があったのである。
インド洋では昨年の八月以来、枢軸軍による通商破壊作戦が活発化しており、連合軍船舶の航行は非常に危険なものとなっていた。
特に今年二月に独伊軍がヴィシー・フランス政権支配下のジブチに進駐して艦隊を展開させて以来、輸送船の往来はほぼ途絶していた。
援ソ船団の一部は帰還不能となり、ペルシャ湾に逼塞するしかない状況に陥っていたのである。
そうしたペルシャ湾に存在する船舶と護衛のコルベット艦、スループ艦をかき集めて、今回のコーチンへの緊急輸送作戦は実施された。
だが、船団はペルシャ湾を出た辺りから不運に見舞われていた。
ホルムズ海峡に枢軸軍が仕掛けた機雷によって、すでにコルベット艦一隻、貨物船一隻を失っている。
そして、イタリア艦隊による襲撃である。
恐らく、Uボートから情報を得ていたのだろう。
水上艦艇に捕捉されてしまえば、最大でも十五ノットしか出せない輸送船では逃げ切るのは不可能である。
彼ら護衛艦艇の乗員たちは、ほとんど絶望的な気分になりながら必死の応戦を続けていた。
それがどこまで意味のある行為なのか、彼ら自身にもよく判らない。だが、彼らは輸送船を守るという任務に忠実であった。
例え、遠からぬ未来に全滅する運命であろうとしても。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
セイロン島の陥落によって苦境に立たされている指導者は、何も連合国の人間だけではなかった。
いや、ある意味では連合国の指導者以上に難しい立場に追いやられていると言っても過言ではないかもしれない。
大日本帝国第四十代内閣総理大臣・東条英機の立場というものは、そうしたものであった。
ただし、彼の苦悩は首相就任以来、尽きることはなかったが、ここ数ヶ月はそうでもなかった。
理由は、陸海軍の作戦方針がセイロン島攻略と日独連絡航路の打通で一致しており、戦争指導方針が統一されていたからであった。特に東条はインド侵攻によってまずイギリスを屈服させるべきとの戦争指導方針を抱いている人間であり、その意味では陸海軍がインド侵攻の方針で協調体制を取っていたここ数ヶ月は、彼にとって最も首相としての職務がしやすい時期でもあった。
ところが、セイロン島の陥落が確実となったあたりから、また雲行きが怪しくなってきた。
特に、参謀本部内でも重慶攻略を強硬に主張している田中新一作戦部長と服部卓四郎作戦課長が、省部間を行き来してしきりに重慶侵攻作戦の根回しを始めたことが、東条にとって頭痛の種となっていた。
重慶攻略作戦は昨年九月に上奏されてその実施が決定されたものの、ガダルカナル攻防戦の激化に伴って中止が決定されていた。それを、田中と服部は再び行おうとしているのである。
東条は、重慶攻略は支那事変をさらに泥沼化させるだけ、国力を消耗するだけであると考え、内心では反対の立場であった。
しかし、田中と服部は、インド洋の制海権確保によって最後の援蒋ルートであるビルマルートが完全に遮断された今こそ、蒋政権を屈服させる好機であると各所に説き回っているという。
彼らは、重慶攻略作戦“五号作戦”を、黄河の減水期である九月に発動することを計画していた。黄河の減水期は六月と九月であり、今年の九月を逃せば作戦の実施は来年六月以降になり、その時期にはアメリカによる対日反攻作戦が開始されているであろう。だからこそ、今年の九月に実施しなければならないというのが、田中と服部の主張であった。
参謀本部では五号作戦の実施期間は五ヶ月とし、参加部隊は支那派遣軍隷下の二個方面軍十個軍計三十個師団に二個混成旅団および十四個独立混成旅団、二個飛行師団で、動員兵力九十七万人としている。
五号作戦における攻略目標は重慶だけでなく、中共軍の拠点となっている西安、延安も含まれている。状況によっては成都も攻略する。
さらに揚子江の遡行作戦も含まれているため、海軍の河川砲艦の協力も必要であった。
五号作戦は一度計画された作戦であるだけに、すでに昨年の段階で予定進攻路地域の航空偵察は行われていた。
そのために、田中と服部は作戦に対する未練を捨て切れないのだろう。
だが果たして、海軍は重慶攻略作戦に賛成するだろうか?
東条の懸念はそこにあった。
海軍は海軍で、アメリカを主敵として定めている。重慶攻略作戦に国力の大半を投入することを、彼らに同意させなければならないのだ。
さらに東条の頭を悩ませているのが、重臣や海軍による和平工作であった。
東京憲兵隊長に子飼いの部下である四方亮二憲兵大佐を任命させている東条は、彼を通じて和平派の動きを監視させていた。
特に牧野伸顕の女婿である元外交官の吉田茂の動きが、東条にとって気掛かりであった。近衛文麿、木戸幸一らと何度も連絡を取り合っているという。
吉田の指示で動き回っているらしいジャーナリストの岩淵辰夫と元大蔵官僚で現在は企業の監査役を務めている殖田俊吉の動向にも要注意である。この二人は二・二六事件で陸軍の要職から追放された皇道派の軍人たちと親しく、東条内閣の倒閣運動を通り越してクーデター計画まで持ち出す危険性があると、東条自身は考えていた(実際、岩淵は皇道派を利用したクーデター覚悟の軍改革の構想を持っていた)。
さらに最近では、吉田は連合艦隊司令長官である山本五十六とまで関係を持ち始めたらしい。
宮中の和平派と海軍の和平派が合流することになれば、帝国の戦争指導体制に深刻な亀裂が入りかねない。
参謀本部は重慶攻略作戦を進め、重臣連中と海軍の一部は和平工作に走る。
一体全体、彼らは首相である自分を何だと思っているのだろうか?
とはいえ、自らも陸相時代に統帥権を振りかざしていたことから考えれば、いささか因果応報の感はあった。東条自身もそれを自覚しており、最悪、批判を覚悟で参謀総長を兼任するしかないとまで考えている。
首相では国民生活を統制出来ても、統帥部を統制することは出来ないのだ。
しかしながら天皇は戦争終結への御意思をたびたび示されており、天皇に忠実であることこそ自身の誇りとする東条にとって、何も手を打たないという選択肢はなかった。
つまり首相である彼にとって、現在最大の政治課題は、いかにして政府・統帥部の意思を統一して講和への道を模索するかということであった。
しかしながら、陸軍側の統帥部である参謀本部は、まったくと言って良いほどに戦争終結構想についての研究がなされていなかった。
天皇からしきりに和平の腹案は政府としてどうなっているのかと下問されても、東条にしてみれば一九四二年三月七日大本営政府連絡会議決定の「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」に沿った内容を奉答するしかないのだ。
ただ、最近では参謀本部内に多少の変化が見受けられるようにはなっていた。同じく天皇から和平の件について下問された杉山元参謀総長が、三月七日に参謀本部第十五課(戦争指導課)の課長に親英米派の松谷誠を登用し、彼に早期講和についての研究を命じていたのである。
この結果、三月二十五日に戦争指導課は「帝国ヲ中心トスル世界戦争終末工作(案)」を完成させている。内容は「独ソ和平」、「独英和平」、「日蒋和平」など、局地的な和平が行われることによって、世界大戦を終結に導くことが出来るとするものであった。
この案は三十日、陸軍の省部会議に諮られ、特に「独ソ和平」と「日蒋和平」に重点を置くことに決定された。日本が独ソ和平を斡旋し、さらには蒋介石との和平を成立させようというものである。
これには、参謀本部の中でも主戦派の筆頭格ともいえる田中、服部も同意していた。
彼らにしてみれば、独ソ和平が成立すればドイツはその分の戦力を英米に向けることが出来(さらにソ連を枢軸陣営に引き込むことも考えていた)、結果として日本が対英米戦を有利に戦えるようになると考えたのである。二人が重慶攻略作戦の実施を強硬に主張しているのも、「日蒋和平」が省部会議で認められたことが影響しているのであろう。
正直、陸軍大臣を兼任する東条であっても、重慶攻略作戦の流れは変えられそうになかった。やはり、陸軍大将とはいえ、彼の持つ権限は統帥部に対して限定的なのだ。
となれば、問題は海軍と重臣連中か。
特に重臣連中。陛下の平和友好のお志につけ込んで、忠臣面をする佞臣連中。彼らの蠢動が帝国の戦争指導体制に深刻な影響を与えるであろうことに気付かないのだろうか?
内閣とも軍部とも離れたところで策動すれば、特に軍部内の主戦派を刺激するだけだろうに。そうなれば、政府主導の和平工作は覚束ない。主戦派はますます意固地になって、大東亜戦争の貫徹と大東亜共栄圏の確立を叫び続けるだろう。
この戦争指導体制の分裂状態を解消しない限り、真の意味での和平交渉は行えない。
東条にとっては、悩ましい限りであった。
昭和十八年四月三十日。
「陸軍はセイロン島及びインド東部の制圧をしたこの機を活かして、蒋政権屈服のために重慶攻略を計画していますが、海軍としての意見は如何ですかな?」
東条は第二次セイロン沖海戦と名付けられたインド洋での海戦についての報告に訪れた嶋田繁太郎海軍大臣に対して、探りを入れるように尋ねた。
正直、海軍が重慶作戦に強硬に反対すれば、参謀本部としても折れざるを得ないだろうと東条は思っている。重慶攻略作戦を声高に主張しているのは田中と服部であり、参謀本部内にもこの作戦に対して懐疑的な人間は多い。
多数派工作で重慶攻略作戦を二人に諦めさせることも、可能かもしれないのだ。
「海軍としては、米軍の反攻は昭和十九年六月頃になるだろうとの見立てですので、それまでに作戦を完遂させる必要があるかと思いますな」
どこか他人事のように、嶋田海相は答える。実際、彼にとってみれば陸軍の作戦など他人事なのだろう。
とはいえ、これは陸軍も同じで、太平洋での作戦行動に関しては海軍の管轄として無関心な人間が多い。だからこそ、重慶攻略作戦などという発想が出てくるのだろうが。
ともかくも、東条の望んだ反応ではなかった。
重慶作戦を実施するとなれば、大量の物資が大陸に取られることになる。海軍としては貴重な戦略資源が陸軍に取られることになるので、流石の嶋田も反対するだろうと東条は読んでいたのだ。
それとも、ここで陸軍に貸しを作って、来年の作戦では海軍に協力させようというという意図があるのか。
日米開戦の際も、嶋田は鉄鋼その他戦略物資の海軍割当増加を開戦決意に賛同する条件としている。
また、三月末に行われた陸海軍の鋼材配分に関する局長級会議では、海軍が一一〇万トンの鋼材を要求していたという。
それを考えれば、嶋田の態度を単純に海軍軍人故の無関心と捉えることも難しい。
「それでは、海相としては重慶作戦について異論はないということですかな?」
「軍令部の永野総長の意見は存じませんが、陸軍の統帥に海軍が介入するのは穏当とは言えますまい」
これだから帝国の戦争指導体制は……。
東条は本気で嘆息したくなった。軍令部総長の永野修身がどうかは知らないが、連合艦隊司令長官の山本五十六あたりは重慶作戦には絶対反対だろう。彼ほど明確にアメリカを主敵と定めている人間もいない。そのような人物にとって、陸軍の重慶攻略作戦は受入れがたいはずだ。
「まあ、海相の意見は判りました」
あまりこの男と話しても意味はなさそうだと判断した東条は、重慶攻略作戦の話題を切り上げることにした。
考えてもみれば、海軍内部から「東条の副官」、「東条の男妾」とまで酷評されている海軍大臣に、陸軍と正面切って対決するだけの意思などないのだろう。陸軍に協調的であると言えば良く聞こえるが、実態としては事なかれ主義ということか。
大局的見地から重慶攻略作戦に反対して欲しかったのであるが、やはり軍令畑出身故に作戦優先思考に陥っているのだろう。とはいえ、それは陸軍の参謀本部も同じだろうが。
東条もまた彼らと同じ軍人であるが、首相になったが故に見えてきた光景というものもある。彼としては、陸海軍で統一した戦略構想を持たなければこの戦争は戦い抜けないと考えているのだ。
後世の視点から見れば、東条英機という男もまた、軍人としての枠を抜け出せていない面があったものの、恐らくこの当時において大日本帝国という国家の制度的問題に最も自覚的であった人間の一人といえよう。それが「憲兵政治」、「東条幕府」と後に揶揄される強権政治に陥る結果になったにせよ。
「ところで、最近、海軍内部に一部不穏な動きがあるとの噂を聞きますが、どうなのですか?」
ついでとばかりに、東条はもう一つの懸念事項を嶋田に尋ねてみた。
「我が海軍は元々、米国との短期決戦を意図して作戦計画を練り上げてきました。早期講和派が一定数存在することは、やむを得ないことかと」
東条内閣に入閣の際、嶋田は「戦争トナレハ勿論、長期戦トナル予想ニ基キ益々軍備充実セサルヘカラス」と海軍軍備の増強を申し入れていることから判る通り、彼自身はこの戦争が長期戦になると覚悟していた節がある。
だが海軍内部には未だ短期決戦という長年の構想を捨てきれない人間がいる、というのが嶋田の認識であるのかもしれない。軍令畑の出身で、政治経験は東条内閣での海相のみという嶋田繁太郎にしてみれば、海軍内部の和平派は海軍の長年の戦争計画を実行しようとしているに過ぎないという認識なのだろう。
あるいは、海軍内部に自身の統制が及んでいないことを、そう思うことによって正当化しようとしているのかもしれない。
少なくとも、東条に対する言い訳としては、いささかお粗末と言わざるを得ない。
「私としても海軍の統帥に口を出したくはありませんが、今は国家の非常時なのです。海軍内部で大東亜戦争完遂の意思統一が出来ていないのでは、困りますぞ」
東条は強い口調で断言した。
正直、海軍内部からの支持を失いつつある嶋田海相に対して、東条としてもどう扱えばいいのか判断に困る場面がある。
いっそのこと、海軍内部に存在するという山本五十六を海相に押し上げようとする動きを支援すべきかもしれない。陸軍軍人である自分であっても、宮中であれば根回し程度は出来るだろう。
嶋田には、軍事参議官の地位でも宛がっておけばよい。恐らく、海軍の山本擁立派もそう考えているはずだ。
自分と山本が上手く付き合っていける気はまったくしないが(東条が陸軍航空総監時代、当時、海軍航空本部長を務めていた山本に局長級会議で揶揄された経験があった)、少なくとも彼を内閣に取り込むことによって海軍や重臣連中の和平派に楔を打ち込むことが出来、さらに陸軍内部に存在する主戦派への牽制にもなる。
山本は恐らく、入閣の条件として英米との和平交渉を推進させることを求めてくるであろう。それが容れられなければ海相就任を辞退して、東条内閣を倒閣に追い込むことも目論むかもしれない。しかし、天皇の意向に忠実たらんとする東条にとって、和平交渉の推進は彼自身としても望んでいることであった。
問題は、嶋田の背後にいる存在―――海軍の長老にして皇族の伏見宮博恭王の意向がどう働くか、だろう。
とはいえ、現役の海軍軍人の中で海軍大臣となれる可能性があるのは、山本五十六か永野修身、豊田副武、及川古志郎くらいしかいない(長谷川清海軍大将もいるが、彼は現在、台湾総督を務めている)。
ただし豊田は陸軍嫌いで有名であり、実際に東条内閣組閣時に海相として名が上がったものの、豊田と東条の反りが合わずに海相就任の話は流れてしまっていた。
及川は近衛内閣での海相経験はあるものの、現在は四月一日付で発足した海上護衛総隊の司令長官を務めている。
となれば、山本か永野か。永野も山本と同じく親英米派であるものの、海軍内部の支持を考えると山本だろう。
どこかで山本五十六と会談の場を設けるべきかもしれないな。幸い、連合艦隊司令部は陸に移り、今は横須賀に居を構えている。
東条はそう考えつつ、首相官邸から退出する嶋田海相を冷めた目で見送った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「撃て!」
カイオ・デュイリオの三十二センチ砲が、インド洋に轟音を響き渡らせる。
彼女の後方を進むアンドレア・ドリアとジュリオ・チェザーレもまた、旗艦に倣って砲撃を行っていた。
カイオ・デュイリオ艦橋で、イタリア海軍インド方面艦隊司令長官カルロ・ベルガミーニ中将は満足げな笑みを浮かべていた。
双眼鏡の先では、アラビア海の要港カラチが黒煙に包まれている。
カラチはイギリスにとって、小麦と綿花をイギリス本土に輸出するための重要な港である。すでにインド洋の制海権を失っていたイギリスにとり、イタリア艦隊によるカラチへの艦砲射撃はそれに追い打ちをかけるようなものであった。
また、イギリス最大の植民地であるインド帝国の要港をイタリア海軍が砲撃するということは、政治的にも意味があることであった。イタリア艦隊によるカラチ砲撃は、東洋艦隊の壊滅、セイロン島の陥落と並び、大英帝国の凋落を全世界に印象づけるものとなるであろう。
実際、ベルガミーニ提督はイタリアとドイツの従軍記者を旗艦に乗艦させ、砲撃を行うイタリア戦艦の勇姿、そして炎上するカラチ港を撮影させていた。
日本艦隊が連合軍艦隊を壊滅させてくれたお陰で、イタリア艦隊はこのような大胆な行動が取れるようになっていたのだ。
「……しかし、やはり航空戦力がないことが悔やまれるな」
カイオ・デュイリオの主砲射撃の衝撃を受け止めながら、ベルガミーニはぽつりと呟く。
カラチへ向かう途上、ペルシャ湾口を監視していたUボートからの情報を元に、イタリア艦隊はイギリス輸送船団と会敵することに成功していた。
戦果は、コルベット艦と思しき小型艦艇四隻、輸送船二隻。
護衛艦艇は全滅させたものの、輸送船は三隻ほど取り逃がしていた。イギリス側はイタリア艦隊の襲撃を受けると同時に、輸送船を散開させていたのだ。
このため航空索敵能力に劣るイタリア艦隊は、逃れた輸送船を再度、捕捉することが叶わなかった。
そのため、ベルガミーニ中将は輸送船の追撃を諦め、当初の予定であったカラチ砲撃を行うこととしたのである。
艦隊に十分な航空索敵能力があれば、あるいは日米英のように空母を保有していれば、結果はまた違ったものとなっていたかもしれない。
それに、イタリアが航空母艦を保有していれば、インド西岸地域を次々に空襲することが出来たであろう。戦艦では、燃料の関係もあってそのような作戦行動は取れない。インド西岸にはカラチの他にボンベイやコーチンといった港が存在していたが、艦艇の航続距離の関係で一度にすべての港を叩くことが出来ないのだ。
イタリア海軍の艦艇は、地中海での作戦行動を前提に設計されているため、航続距離は四〇〇〇浬程度なのである。一応、本国から油槽船がジブチに派遣されているとはいえ、ドイツ海軍のように水上艦が長期にわたって活動することは出来ないのだ。
「とはいえ、これで地中海の借りは返せたようだな」
タラント空襲やマタパン岬沖海戦などでイギリス海軍相手に散々苦汁を舐めさせられてきたイタリア海軍。
イギリス海軍に対して打撃を与えられたわけではないが、カラチ砲撃はそれ以上の政治的打撃をイギリスに対して与えることになるであろう。
ベルガミーニ提督率いるイタリア艦隊は、なおもインド洋に殷々たる砲声を轟かせていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
インド西岸コーチン港に向かっていた輸送船団が白昼、イタリア艦隊の襲撃を受けて被害を受けたという報告は、様々な通信基地を経由してワシントン.D.Cのコンスティテューション通りに面している海軍省ビルへともたらされた。
「コーチンへと辿り着いた輸送船は二隻、内、タンカーは一隻のみです。重油で申しますと、一万五〇〇〇トンです」
リチャード・S・エドワード参謀長の報告に、もともと険しい顔つきのキング作戦部長は表情をさらに険しくした。
「こうなれば、イランから鉄道輸送でコーチンに燃料を輸送するしか」
「馬鹿者」苛立った声で、キングは部下の発言を遮った。「鉄道輸送で送れる物資の量は、輸送船のそれとは比較にならんほど少ない。コーチンの船の燃料タンクを満たすのに、いったい、どれくらいの時間がかかると思っている?」
その間に、コーチンは枢軸軍によって封鎖されてしまうだろう。そうなれば、アメリカ海軍は戦艦アイオワなどの貴重な艦艇を本国に帰還させることが不可能となる。今やアイオワは、合衆国海軍の貴重な戦艦戦力の一角なのだ。
今ならばまだ、先日の海戦で消耗した日本艦隊の追撃を振り切って大西洋へと回航することが可能だろう。もちろん、燃料があれば、の話ではあるが。
第五一任務部隊に随伴させていた給油艦にも、十分な燃料が残されていない。だからこそ、燃料の緊急輸送が必要だったのである。
現在、コーチンに残された米艦艇は、戦艦アイオワ、重巡オーガスタ、軽巡サンタフェ、駆逐艦ウェインラント、メイラント、リンド、ウィルクス、ラドロー、ブリストル、エディソン、レンショー、イートンの十二隻。
さらにイギリス海軍の艦艇も、重巡カンバーランド、軽巡ジャマイカ、モーリシャス、オライオンなどがコーチンに入港している。
これらを大西洋に回航させなければならないのだ。
アバダン油田からの回航に成功したタンカー一隻とコーチン港に備蓄されていた重油で、喜望峰周りのインド洋脱出を成し遂げなければならないのである。
「イギリス海軍に、大西洋にいるタンカーをせめてマダガスカルのディエゴスアレスまで回航することを要請しろ。それと、損傷して速力の出なくなった艦はコーチンに残す。ただし、アイオワだけは何としてでも連れて帰るのだ」
ジャップとの砲戦で速力が低下したアイオワであったが、機関部の復旧によって現在は二十六ノットでの航行が可能であるという。それならば、何とか脱出は可能であろう。ただし、最新鋭軽巡であるサンタフェは、被雷して速力が大幅に低下した以上、コーチンに残さざるを得ない。
それもこれも、忌々しいジャップの海軍の所為である。
艦隊が健在であれば、インド洋で枢軸軍の勝手を許すことはなかっただろう。燃料輸送も円滑に行えたはずである。
しかし、キングはジャップに敗北したスプルーアンス中将の責任を問う考えはまったくなかった。部下への評価が非常に厳しいこの海軍軍人は、スプルーアンスだけは「最も頭が切れる人物」として評価していたのである。
今回の敗戦の責任は、彼に中途半端な戦力しか与えられなかった海軍上層部にあると、キングは考えていた。スプルーアンスには十分な兵力を与えた上で、また対日戦を指揮してもらいたいとすら思っている。
そのためには、まずは艦隊戦力を整えなくてはならない。
現在、合衆国海軍で健在な正規空母はカリブ海で訓練中のレキシントンⅡと、先日竣工したばかりのヨークタウンⅡの二隻しか存在しない。
そして、大統領命令によるモンタナ級建造命令や残りのアイオワ級戦艦の建造促進の余波を受け、これ以降のエセックス級空母の竣工時期は、今年十一月以降にずれ込む見込みである。
つまり、再建された機動部隊が太平洋上に姿を現わすのは、来年の三月以降ということになるだろう。
もっとも、それまで暇を持て余しているわけにもいかない。
対日反攻作戦の準備のため、キングは海兵隊を合衆国艦隊の指揮下に置くことを考えていた。現在、海兵隊は海軍長官の指揮下にあり、キングの指揮下にはない。
対日反攻作戦の政治的主導権を握りたい彼にとって、海兵隊が自分の指揮下にないことは大いなる不満の種となっていた。
これと併せて、海兵隊を陸軍に吸収しようとするマーシャル参謀総長や陸軍航空隊と海軍航空隊を合同させて一元化した空軍の創設を目指しているアーノルド陸軍航空隊司令官の策動も阻止しなければならない。
さらに海軍作戦次長であるフレデリック・ホーンの存在にも、キングは警戒心を払っていた。ガダルカナル、インド洋と相次ぐ敗北によって、彼が自分の地位を脅かす存在になるのではないかと考えていたのである。
実際のところ、キングに対するルーズベルト大統領の信任が厚いので、彼が敗戦の責任を取らされて更迭される可能性は低かったのであるが、基本的に他者を信用することが出来ないキングにとって、自らの地位を脅かす可能性のある部下の存在は許容出来ないことであった。
そのため彼は何としてでも、ホーン次長の権限を縮小しなければならないとすら思っている(そして後に部長と次長の間に副司令官、副部長の地位を作り、彼の権限を縮小している)。
アーネスト・J・キング作戦部長にとって、一九四三年は自らの作戦構想を実現するための政治の年となりそうであった。
艦の周囲に水柱が立ち上り、基準排水量一三〇〇トンのブラックスワン級スループの船体が揺さぶられる。
「何としても、輸送船を逃がす時間を稼ぐのだ!」
艦長の切羽詰まった声と共に、六門しかない四インチ砲が火を噴く。
ギラギラと太陽の照りつけるアラビア海で、数隻のコルベット艦、スループ艦に護衛された小規模な輸送船団は、枢軸軍艦隊の攻撃に晒されていた。
「くそっ、忌々しいパスタ野郎どもめ! 大人しく午睡でもしていればいいものを!」
彼らは今、戦艦を含む強大なイタリア艦隊による追撃を受けていたのである。
刹那、爆発の閃光と轟音が艦橋に届いた。
護衛艦艇の一隻が、被弾したのである。
彼らはペルシャ湾にあるイラン・アバダン油田から燃料の緊急輸送を命ぜられたため、危険なアラビア海を航行していた。
目的地はインド西岸のコーチン。
その地に退避した英米の艦隊が喜望峰周りでのインド洋脱出を行うため、何としてでも重油を確保する必要があったのである。
インド洋では昨年の八月以来、枢軸軍による通商破壊作戦が活発化しており、連合軍船舶の航行は非常に危険なものとなっていた。
特に今年二月に独伊軍がヴィシー・フランス政権支配下のジブチに進駐して艦隊を展開させて以来、輸送船の往来はほぼ途絶していた。
援ソ船団の一部は帰還不能となり、ペルシャ湾に逼塞するしかない状況に陥っていたのである。
そうしたペルシャ湾に存在する船舶と護衛のコルベット艦、スループ艦をかき集めて、今回のコーチンへの緊急輸送作戦は実施された。
だが、船団はペルシャ湾を出た辺りから不運に見舞われていた。
ホルムズ海峡に枢軸軍が仕掛けた機雷によって、すでにコルベット艦一隻、貨物船一隻を失っている。
そして、イタリア艦隊による襲撃である。
恐らく、Uボートから情報を得ていたのだろう。
水上艦艇に捕捉されてしまえば、最大でも十五ノットしか出せない輸送船では逃げ切るのは不可能である。
彼ら護衛艦艇の乗員たちは、ほとんど絶望的な気分になりながら必死の応戦を続けていた。
それがどこまで意味のある行為なのか、彼ら自身にもよく判らない。だが、彼らは輸送船を守るという任務に忠実であった。
例え、遠からぬ未来に全滅する運命であろうとしても。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
セイロン島の陥落によって苦境に立たされている指導者は、何も連合国の人間だけではなかった。
いや、ある意味では連合国の指導者以上に難しい立場に追いやられていると言っても過言ではないかもしれない。
大日本帝国第四十代内閣総理大臣・東条英機の立場というものは、そうしたものであった。
ただし、彼の苦悩は首相就任以来、尽きることはなかったが、ここ数ヶ月はそうでもなかった。
理由は、陸海軍の作戦方針がセイロン島攻略と日独連絡航路の打通で一致しており、戦争指導方針が統一されていたからであった。特に東条はインド侵攻によってまずイギリスを屈服させるべきとの戦争指導方針を抱いている人間であり、その意味では陸海軍がインド侵攻の方針で協調体制を取っていたここ数ヶ月は、彼にとって最も首相としての職務がしやすい時期でもあった。
ところが、セイロン島の陥落が確実となったあたりから、また雲行きが怪しくなってきた。
特に、参謀本部内でも重慶攻略を強硬に主張している田中新一作戦部長と服部卓四郎作戦課長が、省部間を行き来してしきりに重慶侵攻作戦の根回しを始めたことが、東条にとって頭痛の種となっていた。
重慶攻略作戦は昨年九月に上奏されてその実施が決定されたものの、ガダルカナル攻防戦の激化に伴って中止が決定されていた。それを、田中と服部は再び行おうとしているのである。
東条は、重慶攻略は支那事変をさらに泥沼化させるだけ、国力を消耗するだけであると考え、内心では反対の立場であった。
しかし、田中と服部は、インド洋の制海権確保によって最後の援蒋ルートであるビルマルートが完全に遮断された今こそ、蒋政権を屈服させる好機であると各所に説き回っているという。
彼らは、重慶攻略作戦“五号作戦”を、黄河の減水期である九月に発動することを計画していた。黄河の減水期は六月と九月であり、今年の九月を逃せば作戦の実施は来年六月以降になり、その時期にはアメリカによる対日反攻作戦が開始されているであろう。だからこそ、今年の九月に実施しなければならないというのが、田中と服部の主張であった。
参謀本部では五号作戦の実施期間は五ヶ月とし、参加部隊は支那派遣軍隷下の二個方面軍十個軍計三十個師団に二個混成旅団および十四個独立混成旅団、二個飛行師団で、動員兵力九十七万人としている。
五号作戦における攻略目標は重慶だけでなく、中共軍の拠点となっている西安、延安も含まれている。状況によっては成都も攻略する。
さらに揚子江の遡行作戦も含まれているため、海軍の河川砲艦の協力も必要であった。
五号作戦は一度計画された作戦であるだけに、すでに昨年の段階で予定進攻路地域の航空偵察は行われていた。
そのために、田中と服部は作戦に対する未練を捨て切れないのだろう。
だが果たして、海軍は重慶攻略作戦に賛成するだろうか?
東条の懸念はそこにあった。
海軍は海軍で、アメリカを主敵として定めている。重慶攻略作戦に国力の大半を投入することを、彼らに同意させなければならないのだ。
さらに東条の頭を悩ませているのが、重臣や海軍による和平工作であった。
東京憲兵隊長に子飼いの部下である四方亮二憲兵大佐を任命させている東条は、彼を通じて和平派の動きを監視させていた。
特に牧野伸顕の女婿である元外交官の吉田茂の動きが、東条にとって気掛かりであった。近衛文麿、木戸幸一らと何度も連絡を取り合っているという。
吉田の指示で動き回っているらしいジャーナリストの岩淵辰夫と元大蔵官僚で現在は企業の監査役を務めている殖田俊吉の動向にも要注意である。この二人は二・二六事件で陸軍の要職から追放された皇道派の軍人たちと親しく、東条内閣の倒閣運動を通り越してクーデター計画まで持ち出す危険性があると、東条自身は考えていた(実際、岩淵は皇道派を利用したクーデター覚悟の軍改革の構想を持っていた)。
さらに最近では、吉田は連合艦隊司令長官である山本五十六とまで関係を持ち始めたらしい。
宮中の和平派と海軍の和平派が合流することになれば、帝国の戦争指導体制に深刻な亀裂が入りかねない。
参謀本部は重慶攻略作戦を進め、重臣連中と海軍の一部は和平工作に走る。
一体全体、彼らは首相である自分を何だと思っているのだろうか?
とはいえ、自らも陸相時代に統帥権を振りかざしていたことから考えれば、いささか因果応報の感はあった。東条自身もそれを自覚しており、最悪、批判を覚悟で参謀総長を兼任するしかないとまで考えている。
首相では国民生活を統制出来ても、統帥部を統制することは出来ないのだ。
しかしながら天皇は戦争終結への御意思をたびたび示されており、天皇に忠実であることこそ自身の誇りとする東条にとって、何も手を打たないという選択肢はなかった。
つまり首相である彼にとって、現在最大の政治課題は、いかにして政府・統帥部の意思を統一して講和への道を模索するかということであった。
しかしながら、陸軍側の統帥部である参謀本部は、まったくと言って良いほどに戦争終結構想についての研究がなされていなかった。
天皇からしきりに和平の腹案は政府としてどうなっているのかと下問されても、東条にしてみれば一九四二年三月七日大本営政府連絡会議決定の「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」に沿った内容を奉答するしかないのだ。
ただ、最近では参謀本部内に多少の変化が見受けられるようにはなっていた。同じく天皇から和平の件について下問された杉山元参謀総長が、三月七日に参謀本部第十五課(戦争指導課)の課長に親英米派の松谷誠を登用し、彼に早期講和についての研究を命じていたのである。
この結果、三月二十五日に戦争指導課は「帝国ヲ中心トスル世界戦争終末工作(案)」を完成させている。内容は「独ソ和平」、「独英和平」、「日蒋和平」など、局地的な和平が行われることによって、世界大戦を終結に導くことが出来るとするものであった。
この案は三十日、陸軍の省部会議に諮られ、特に「独ソ和平」と「日蒋和平」に重点を置くことに決定された。日本が独ソ和平を斡旋し、さらには蒋介石との和平を成立させようというものである。
これには、参謀本部の中でも主戦派の筆頭格ともいえる田中、服部も同意していた。
彼らにしてみれば、独ソ和平が成立すればドイツはその分の戦力を英米に向けることが出来(さらにソ連を枢軸陣営に引き込むことも考えていた)、結果として日本が対英米戦を有利に戦えるようになると考えたのである。二人が重慶攻略作戦の実施を強硬に主張しているのも、「日蒋和平」が省部会議で認められたことが影響しているのであろう。
正直、陸軍大臣を兼任する東条であっても、重慶攻略作戦の流れは変えられそうになかった。やはり、陸軍大将とはいえ、彼の持つ権限は統帥部に対して限定的なのだ。
となれば、問題は海軍と重臣連中か。
特に重臣連中。陛下の平和友好のお志につけ込んで、忠臣面をする佞臣連中。彼らの蠢動が帝国の戦争指導体制に深刻な影響を与えるであろうことに気付かないのだろうか?
内閣とも軍部とも離れたところで策動すれば、特に軍部内の主戦派を刺激するだけだろうに。そうなれば、政府主導の和平工作は覚束ない。主戦派はますます意固地になって、大東亜戦争の貫徹と大東亜共栄圏の確立を叫び続けるだろう。
この戦争指導体制の分裂状態を解消しない限り、真の意味での和平交渉は行えない。
東条にとっては、悩ましい限りであった。
昭和十八年四月三十日。
「陸軍はセイロン島及びインド東部の制圧をしたこの機を活かして、蒋政権屈服のために重慶攻略を計画していますが、海軍としての意見は如何ですかな?」
東条は第二次セイロン沖海戦と名付けられたインド洋での海戦についての報告に訪れた嶋田繁太郎海軍大臣に対して、探りを入れるように尋ねた。
正直、海軍が重慶作戦に強硬に反対すれば、参謀本部としても折れざるを得ないだろうと東条は思っている。重慶攻略作戦を声高に主張しているのは田中と服部であり、参謀本部内にもこの作戦に対して懐疑的な人間は多い。
多数派工作で重慶攻略作戦を二人に諦めさせることも、可能かもしれないのだ。
「海軍としては、米軍の反攻は昭和十九年六月頃になるだろうとの見立てですので、それまでに作戦を完遂させる必要があるかと思いますな」
どこか他人事のように、嶋田海相は答える。実際、彼にとってみれば陸軍の作戦など他人事なのだろう。
とはいえ、これは陸軍も同じで、太平洋での作戦行動に関しては海軍の管轄として無関心な人間が多い。だからこそ、重慶攻略作戦などという発想が出てくるのだろうが。
ともかくも、東条の望んだ反応ではなかった。
重慶作戦を実施するとなれば、大量の物資が大陸に取られることになる。海軍としては貴重な戦略資源が陸軍に取られることになるので、流石の嶋田も反対するだろうと東条は読んでいたのだ。
それとも、ここで陸軍に貸しを作って、来年の作戦では海軍に協力させようというという意図があるのか。
日米開戦の際も、嶋田は鉄鋼その他戦略物資の海軍割当増加を開戦決意に賛同する条件としている。
また、三月末に行われた陸海軍の鋼材配分に関する局長級会議では、海軍が一一〇万トンの鋼材を要求していたという。
それを考えれば、嶋田の態度を単純に海軍軍人故の無関心と捉えることも難しい。
「それでは、海相としては重慶作戦について異論はないということですかな?」
「軍令部の永野総長の意見は存じませんが、陸軍の統帥に海軍が介入するのは穏当とは言えますまい」
これだから帝国の戦争指導体制は……。
東条は本気で嘆息したくなった。軍令部総長の永野修身がどうかは知らないが、連合艦隊司令長官の山本五十六あたりは重慶作戦には絶対反対だろう。彼ほど明確にアメリカを主敵と定めている人間もいない。そのような人物にとって、陸軍の重慶攻略作戦は受入れがたいはずだ。
「まあ、海相の意見は判りました」
あまりこの男と話しても意味はなさそうだと判断した東条は、重慶攻略作戦の話題を切り上げることにした。
考えてもみれば、海軍内部から「東条の副官」、「東条の男妾」とまで酷評されている海軍大臣に、陸軍と正面切って対決するだけの意思などないのだろう。陸軍に協調的であると言えば良く聞こえるが、実態としては事なかれ主義ということか。
大局的見地から重慶攻略作戦に反対して欲しかったのであるが、やはり軍令畑出身故に作戦優先思考に陥っているのだろう。とはいえ、それは陸軍の参謀本部も同じだろうが。
東条もまた彼らと同じ軍人であるが、首相になったが故に見えてきた光景というものもある。彼としては、陸海軍で統一した戦略構想を持たなければこの戦争は戦い抜けないと考えているのだ。
後世の視点から見れば、東条英機という男もまた、軍人としての枠を抜け出せていない面があったものの、恐らくこの当時において大日本帝国という国家の制度的問題に最も自覚的であった人間の一人といえよう。それが「憲兵政治」、「東条幕府」と後に揶揄される強権政治に陥る結果になったにせよ。
「ところで、最近、海軍内部に一部不穏な動きがあるとの噂を聞きますが、どうなのですか?」
ついでとばかりに、東条はもう一つの懸念事項を嶋田に尋ねてみた。
「我が海軍は元々、米国との短期決戦を意図して作戦計画を練り上げてきました。早期講和派が一定数存在することは、やむを得ないことかと」
東条内閣に入閣の際、嶋田は「戦争トナレハ勿論、長期戦トナル予想ニ基キ益々軍備充実セサルヘカラス」と海軍軍備の増強を申し入れていることから判る通り、彼自身はこの戦争が長期戦になると覚悟していた節がある。
だが海軍内部には未だ短期決戦という長年の構想を捨てきれない人間がいる、というのが嶋田の認識であるのかもしれない。軍令畑の出身で、政治経験は東条内閣での海相のみという嶋田繁太郎にしてみれば、海軍内部の和平派は海軍の長年の戦争計画を実行しようとしているに過ぎないという認識なのだろう。
あるいは、海軍内部に自身の統制が及んでいないことを、そう思うことによって正当化しようとしているのかもしれない。
少なくとも、東条に対する言い訳としては、いささかお粗末と言わざるを得ない。
「私としても海軍の統帥に口を出したくはありませんが、今は国家の非常時なのです。海軍内部で大東亜戦争完遂の意思統一が出来ていないのでは、困りますぞ」
東条は強い口調で断言した。
正直、海軍内部からの支持を失いつつある嶋田海相に対して、東条としてもどう扱えばいいのか判断に困る場面がある。
いっそのこと、海軍内部に存在するという山本五十六を海相に押し上げようとする動きを支援すべきかもしれない。陸軍軍人である自分であっても、宮中であれば根回し程度は出来るだろう。
嶋田には、軍事参議官の地位でも宛がっておけばよい。恐らく、海軍の山本擁立派もそう考えているはずだ。
自分と山本が上手く付き合っていける気はまったくしないが(東条が陸軍航空総監時代、当時、海軍航空本部長を務めていた山本に局長級会議で揶揄された経験があった)、少なくとも彼を内閣に取り込むことによって海軍や重臣連中の和平派に楔を打ち込むことが出来、さらに陸軍内部に存在する主戦派への牽制にもなる。
山本は恐らく、入閣の条件として英米との和平交渉を推進させることを求めてくるであろう。それが容れられなければ海相就任を辞退して、東条内閣を倒閣に追い込むことも目論むかもしれない。しかし、天皇の意向に忠実たらんとする東条にとって、和平交渉の推進は彼自身としても望んでいることであった。
問題は、嶋田の背後にいる存在―――海軍の長老にして皇族の伏見宮博恭王の意向がどう働くか、だろう。
とはいえ、現役の海軍軍人の中で海軍大臣となれる可能性があるのは、山本五十六か永野修身、豊田副武、及川古志郎くらいしかいない(長谷川清海軍大将もいるが、彼は現在、台湾総督を務めている)。
ただし豊田は陸軍嫌いで有名であり、実際に東条内閣組閣時に海相として名が上がったものの、豊田と東条の反りが合わずに海相就任の話は流れてしまっていた。
及川は近衛内閣での海相経験はあるものの、現在は四月一日付で発足した海上護衛総隊の司令長官を務めている。
となれば、山本か永野か。永野も山本と同じく親英米派であるものの、海軍内部の支持を考えると山本だろう。
どこかで山本五十六と会談の場を設けるべきかもしれないな。幸い、連合艦隊司令部は陸に移り、今は横須賀に居を構えている。
東条はそう考えつつ、首相官邸から退出する嶋田海相を冷めた目で見送った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「撃て!」
カイオ・デュイリオの三十二センチ砲が、インド洋に轟音を響き渡らせる。
彼女の後方を進むアンドレア・ドリアとジュリオ・チェザーレもまた、旗艦に倣って砲撃を行っていた。
カイオ・デュイリオ艦橋で、イタリア海軍インド方面艦隊司令長官カルロ・ベルガミーニ中将は満足げな笑みを浮かべていた。
双眼鏡の先では、アラビア海の要港カラチが黒煙に包まれている。
カラチはイギリスにとって、小麦と綿花をイギリス本土に輸出するための重要な港である。すでにインド洋の制海権を失っていたイギリスにとり、イタリア艦隊によるカラチへの艦砲射撃はそれに追い打ちをかけるようなものであった。
また、イギリス最大の植民地であるインド帝国の要港をイタリア海軍が砲撃するということは、政治的にも意味があることであった。イタリア艦隊によるカラチ砲撃は、東洋艦隊の壊滅、セイロン島の陥落と並び、大英帝国の凋落を全世界に印象づけるものとなるであろう。
実際、ベルガミーニ提督はイタリアとドイツの従軍記者を旗艦に乗艦させ、砲撃を行うイタリア戦艦の勇姿、そして炎上するカラチ港を撮影させていた。
日本艦隊が連合軍艦隊を壊滅させてくれたお陰で、イタリア艦隊はこのような大胆な行動が取れるようになっていたのだ。
「……しかし、やはり航空戦力がないことが悔やまれるな」
カイオ・デュイリオの主砲射撃の衝撃を受け止めながら、ベルガミーニはぽつりと呟く。
カラチへ向かう途上、ペルシャ湾口を監視していたUボートからの情報を元に、イタリア艦隊はイギリス輸送船団と会敵することに成功していた。
戦果は、コルベット艦と思しき小型艦艇四隻、輸送船二隻。
護衛艦艇は全滅させたものの、輸送船は三隻ほど取り逃がしていた。イギリス側はイタリア艦隊の襲撃を受けると同時に、輸送船を散開させていたのだ。
このため航空索敵能力に劣るイタリア艦隊は、逃れた輸送船を再度、捕捉することが叶わなかった。
そのため、ベルガミーニ中将は輸送船の追撃を諦め、当初の予定であったカラチ砲撃を行うこととしたのである。
艦隊に十分な航空索敵能力があれば、あるいは日米英のように空母を保有していれば、結果はまた違ったものとなっていたかもしれない。
それに、イタリアが航空母艦を保有していれば、インド西岸地域を次々に空襲することが出来たであろう。戦艦では、燃料の関係もあってそのような作戦行動は取れない。インド西岸にはカラチの他にボンベイやコーチンといった港が存在していたが、艦艇の航続距離の関係で一度にすべての港を叩くことが出来ないのだ。
イタリア海軍の艦艇は、地中海での作戦行動を前提に設計されているため、航続距離は四〇〇〇浬程度なのである。一応、本国から油槽船がジブチに派遣されているとはいえ、ドイツ海軍のように水上艦が長期にわたって活動することは出来ないのだ。
「とはいえ、これで地中海の借りは返せたようだな」
タラント空襲やマタパン岬沖海戦などでイギリス海軍相手に散々苦汁を舐めさせられてきたイタリア海軍。
イギリス海軍に対して打撃を与えられたわけではないが、カラチ砲撃はそれ以上の政治的打撃をイギリスに対して与えることになるであろう。
ベルガミーニ提督率いるイタリア艦隊は、なおもインド洋に殷々たる砲声を轟かせていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
インド西岸コーチン港に向かっていた輸送船団が白昼、イタリア艦隊の襲撃を受けて被害を受けたという報告は、様々な通信基地を経由してワシントン.D.Cのコンスティテューション通りに面している海軍省ビルへともたらされた。
「コーチンへと辿り着いた輸送船は二隻、内、タンカーは一隻のみです。重油で申しますと、一万五〇〇〇トンです」
リチャード・S・エドワード参謀長の報告に、もともと険しい顔つきのキング作戦部長は表情をさらに険しくした。
「こうなれば、イランから鉄道輸送でコーチンに燃料を輸送するしか」
「馬鹿者」苛立った声で、キングは部下の発言を遮った。「鉄道輸送で送れる物資の量は、輸送船のそれとは比較にならんほど少ない。コーチンの船の燃料タンクを満たすのに、いったい、どれくらいの時間がかかると思っている?」
その間に、コーチンは枢軸軍によって封鎖されてしまうだろう。そうなれば、アメリカ海軍は戦艦アイオワなどの貴重な艦艇を本国に帰還させることが不可能となる。今やアイオワは、合衆国海軍の貴重な戦艦戦力の一角なのだ。
今ならばまだ、先日の海戦で消耗した日本艦隊の追撃を振り切って大西洋へと回航することが可能だろう。もちろん、燃料があれば、の話ではあるが。
第五一任務部隊に随伴させていた給油艦にも、十分な燃料が残されていない。だからこそ、燃料の緊急輸送が必要だったのである。
現在、コーチンに残された米艦艇は、戦艦アイオワ、重巡オーガスタ、軽巡サンタフェ、駆逐艦ウェインラント、メイラント、リンド、ウィルクス、ラドロー、ブリストル、エディソン、レンショー、イートンの十二隻。
さらにイギリス海軍の艦艇も、重巡カンバーランド、軽巡ジャマイカ、モーリシャス、オライオンなどがコーチンに入港している。
これらを大西洋に回航させなければならないのだ。
アバダン油田からの回航に成功したタンカー一隻とコーチン港に備蓄されていた重油で、喜望峰周りのインド洋脱出を成し遂げなければならないのである。
「イギリス海軍に、大西洋にいるタンカーをせめてマダガスカルのディエゴスアレスまで回航することを要請しろ。それと、損傷して速力の出なくなった艦はコーチンに残す。ただし、アイオワだけは何としてでも連れて帰るのだ」
ジャップとの砲戦で速力が低下したアイオワであったが、機関部の復旧によって現在は二十六ノットでの航行が可能であるという。それならば、何とか脱出は可能であろう。ただし、最新鋭軽巡であるサンタフェは、被雷して速力が大幅に低下した以上、コーチンに残さざるを得ない。
それもこれも、忌々しいジャップの海軍の所為である。
艦隊が健在であれば、インド洋で枢軸軍の勝手を許すことはなかっただろう。燃料輸送も円滑に行えたはずである。
しかし、キングはジャップに敗北したスプルーアンス中将の責任を問う考えはまったくなかった。部下への評価が非常に厳しいこの海軍軍人は、スプルーアンスだけは「最も頭が切れる人物」として評価していたのである。
今回の敗戦の責任は、彼に中途半端な戦力しか与えられなかった海軍上層部にあると、キングは考えていた。スプルーアンスには十分な兵力を与えた上で、また対日戦を指揮してもらいたいとすら思っている。
そのためには、まずは艦隊戦力を整えなくてはならない。
現在、合衆国海軍で健在な正規空母はカリブ海で訓練中のレキシントンⅡと、先日竣工したばかりのヨークタウンⅡの二隻しか存在しない。
そして、大統領命令によるモンタナ級建造命令や残りのアイオワ級戦艦の建造促進の余波を受け、これ以降のエセックス級空母の竣工時期は、今年十一月以降にずれ込む見込みである。
つまり、再建された機動部隊が太平洋上に姿を現わすのは、来年の三月以降ということになるだろう。
もっとも、それまで暇を持て余しているわけにもいかない。
対日反攻作戦の準備のため、キングは海兵隊を合衆国艦隊の指揮下に置くことを考えていた。現在、海兵隊は海軍長官の指揮下にあり、キングの指揮下にはない。
対日反攻作戦の政治的主導権を握りたい彼にとって、海兵隊が自分の指揮下にないことは大いなる不満の種となっていた。
これと併せて、海兵隊を陸軍に吸収しようとするマーシャル参謀総長や陸軍航空隊と海軍航空隊を合同させて一元化した空軍の創設を目指しているアーノルド陸軍航空隊司令官の策動も阻止しなければならない。
さらに海軍作戦次長であるフレデリック・ホーンの存在にも、キングは警戒心を払っていた。ガダルカナル、インド洋と相次ぐ敗北によって、彼が自分の地位を脅かす存在になるのではないかと考えていたのである。
実際のところ、キングに対するルーズベルト大統領の信任が厚いので、彼が敗戦の責任を取らされて更迭される可能性は低かったのであるが、基本的に他者を信用することが出来ないキングにとって、自らの地位を脅かす可能性のある部下の存在は許容出来ないことであった。
そのため彼は何としてでも、ホーン次長の権限を縮小しなければならないとすら思っている(そして後に部長と次長の間に副司令官、副部長の地位を作り、彼の権限を縮小している)。
アーネスト・J・キング作戦部長にとって、一九四三年は自らの作戦構想を実現するための政治の年となりそうであった。
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