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第三章 インド洋決戦1943
23 空母激突
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一九四三年四月二十一日は、インド洋に奇妙な静寂が訪れた日であった。
この日、日米英の艦隊は共に未明から索敵機を発進させて敵艦隊の発見に努めていたのであるが、いずれの国の索敵機ともに敵を発見することが出来なかったのである。
後世の視点から見ればこれは当然で、この時、帝国海軍第一機動艦隊は未だクリスマス島を過ぎてココス諸島の北東、スマトラ島の南端沖あたりを通過している段階であり、逆に英米艦隊はアッズ環礁を出て二日目。出撃してから二十四時間弱。十四ノットで航行していたとして六〇〇キロ程度しか進めない。
つまり、彼我の距離は未だ一〇〇〇キロ以上の開きがあったのである。
これでは、接敵しようがない。
小沢は艦隊を西に進め、スプルーアンス、サマヴィルは艦隊を東に進め、明日こそはとの思いを抱いて日没を迎えた。
そして、近藤、小沢は二十一日中の接敵はないと判断し、随伴する油槽艦から各艦、特に駆逐艦へ給油を行い、翌日の決戦に備えることとした。
思えばそれは、嵐の前の静けさとでもいうべきものだったのだろう。
一九四三年四月二十二日、日米英の三ヶ国の艦隊は緊張の朝を迎えた。
この日も、各艦隊は敵影を求めてインド洋の各方面に索敵機を放っていた。
実質的に小沢治三郎中将の指揮する帝国海軍第一機動艦隊は、これまでの空母戦の戦訓を踏まえ、索敵を重視する方針をとっていた。
瑞鳳、龍驤、龍鳳にはそれぞれ九機の九七艦攻が搭載されており、これは全機が索敵に投入された。
また、利根、筑摩からはそれぞれ零式水偵四機、金剛、榛名、最上、三隈、鈴谷、熊野からは零式水偵二機ずつが索敵任務に就いている。
合計で、九七艦攻二十七機、零式水偵二〇機、計四十七機による三段索敵が実施されたのである。
また、これ以外にも第二艦隊の高雄、愛宕、摩耶、那智、足柄が二機ずつの零式水偵を用意して万が一、三段索敵が失敗した場合の予備として待機していた。
ミッドウェー海戦時の七機と比べれば、まさしく雲泥の差であった。いかに小沢中将が索敵を重視していたのかが判る。
四十七機の索敵機は、二十二日未明に各母艦を発進した。
進出距離は、従来通り三〇〇浬(約四八〇キロ)である。
これら索敵機が発進すると、三個の輪形陣では敵機動部隊発見の報を受けたら即座に攻撃隊を発進出来るよう、第一次攻撃隊の発進準備が始まった。
なお、作戦に参加した八隻の空母の搭載機数は次のようになっていた。
第二艦隊 第二航空戦隊 司令官:角田覚治少将
隼鷹……零戦×二十七機 九九艦爆×十八機 九七艦攻×九機
飛鷹……零戦×二十七機 九九艦爆×十八機 九七艦攻×九機
龍鳳……零戦×二十一機 九七艦攻×九機
第三艦隊甲部隊 第一航空戦隊 司令官:小沢治三郎中将
翔鶴……零戦×三十四機 九九艦爆×十八機 九七艦攻×二十一機 二式艦偵×三機
瑞鶴……零戦×三十四機 九九艦爆×十八機 九七艦攻×二十一機 二式艦偵×三機
瑞鳳……零戦×二十一機 九七艦攻×九機
第三艦隊乙部隊 第二航空戦隊 司令官:山口多聞少将
飛龍……零戦×二十七機 九九艦爆×二十一機 九七艦攻×十四機 二式艦偵×三機
龍驤……零戦×二十四機 九七艦攻×九機
合計:零戦×二一一機 九九艦爆×九十三機 九七艦攻×九十二機 二式艦偵×九機
総計:四〇五機
艦戦、艦爆、艦攻の三機種の内、戦闘機の割合を重視していることが判る。これもやはり、珊瑚海、ミッドウェー、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦という四度にわたる米空母との死闘から得られた戦訓が元になっていた。
ミッドウェー海戦から十ヶ月、南太平洋海戦から六ヶ月、日本海軍の空母戦力はこの程度にまでは回復していたのである。
また、艦隊がリンガ泊地に集結した四三年一月以降、三ヶ月の猛訓練の結果、南太平洋海戦での熟練搭乗員大量喪失からある程度立ち直ってもいた。石油豊富なリンガ泊地での三ヶ月の猛訓練は、内地での一年分と評する者たちもいるほどである。
なお、内地ではすでに二式艦偵の艦爆型である最新鋭艦上爆撃機彗星が量産体制に入っていたが、空母部隊への配備は間に合わなかった。全空母に配備出来るほど生産がなされていないのと、液冷発動機の整備の難しさが原因だった。
艦隊司令部も搭乗員も、整備に難を抱える最新鋭機よりも、安定して発動機が稼働する九九艦爆の方を望んでいたのである。実際、艦隊では翔鶴、瑞鶴、飛龍に配備されている二式艦偵の整備に苦労していた。彗星の戦力化には、今しばらくの時間がかかりそうであった。
とはいえ、小沢は自らの手元にある航空兵力に、十分な自信を持っていた。
彼は索敵機からの報告を、今や遅しと待ち望みながら翔鶴艦橋からべた凪のインド洋を見つめていた。
◇◇◇
南太平洋海戦以来、約六ヶ月ぶりの空母同士の決戦は、誰もが予想しない奇妙な形で開始された。
未明から索敵機を放って敵空母の発見に躍起になっていた三ヶ国であるが、状況が動いたのは〇六三七時のことであった。
第五十一任務部隊の輪形陣北側に配置されていた戦艦マサチューセッツのレーダーが距離九〇キロで北東方向から接近する敵味方不明の機影を確認、ただちに旗艦アイオワに信号が送られた。
アイオワ座乗のスプルーアンス中将は、これをイギリス東洋艦隊の放った索敵機であると判断したものの、念のために上空直掩機の一部を確認に向かわせた。
だが、この措置が思わぬ結果を生んでしまったのだ。
アメリカ軍の搭乗員は実戦経験に乏しく、また訓練の時間も十分に取れていない若年搭乗員で大半が占められていた。加えて、キリンディニでもアッズでも、潜水艦による襲撃を恐れて外洋での米英合同訓練もほとんど行えていない。
そのため、初めての実戦に緊張していた戦闘機搭乗員たちは丸い国籍標が描かれた接近中の敵味方不明機をジャップの索敵機と認識、これに攻撃を加えたのだ。
攻撃を受けた機体は、スプルーアンスの予想通り、英空母から索敵のために発艦したバラクーダ雷撃機であった。
英軍機の識別標識である同心円は中心が赤色になっているものの、インド洋では日本軍機と誤認しないよう、赤色を抜いた形での同心円が機体に描かれていた。しかし、丸い国籍標を描いていたこと、九七艦攻と同じく細長い形状をしていたこと、米軍側の戦闘機搭乗員が緊張状態にあったことといった要素が重なり、敵味方の誤認が生じてしまったのだ。
米軍戦闘機からは「我、敵索敵機と交戦中」という通信が母艦に送られ、一方の英軍索敵機は攻撃を受けたことで米艦隊を日本艦隊と誤認。敵戦闘機の迎撃を受けたことと敵艦隊を発見したことを報告した後、撃墜されてしまった。
第五十一任務部隊にとっても、東洋艦隊にとっても、思いがけない事態が生じてしまったのだ。
この時、第五十一任務部隊はスマトラ島東方からココス諸島方面にかけての一二〇度の範囲に索敵機を放っており、一方の東洋艦隊はベンガル湾からスマトラ島東方にかけて一五〇度の範囲に索敵機を放っていた。
さらに東洋艦隊はベンガル湾方面を重視していたため、二十一日に日本艦隊を発見出来なかったことも相俟って、艦隊そのものがいささかベンガル湾寄りに突出する形となってしまった。
そのため、第五十一任務部隊が東洋艦隊の南西方向に位置する形になっており、これが北東方向という、まるでベンガル湾方面から日本の索敵機がやって来たかのように錯覚させてしまったのである。
両艦隊の誤認が連続すれば深刻な同士討ちが発生しかねないと危惧したスプルーアンスは、ただちに東洋艦隊旗艦キング・ジョージ五世に対して照会の通信を発した。
この結果、東洋艦隊が第五十一任務部隊の北東二〇〇キロ弱の地点にまで進出していたことが判明、インド防衛を重視するサマヴィルと日本艦隊撃滅を重視するスプルーアンスの認識の違いが浮き彫りとなる恰好となった。
そして、第五十一任務部隊と東洋艦隊との間で交わされる通信は、帝国海軍で大和と共に最も通信設備に優れている第二艦隊旗艦武蔵でも傍受、ある意味で近藤信竹中将以下、第二艦隊司令部を困惑させる副作用ももたらしていた。
「英米の艦隊は、同士討ちでもやっているのでしょうか?」
謀略を疑うような慎重な声で、白石万隆参謀長が言う。
次々と通信室に飛び込んでくる英米艦隊の発する電文は、暗号化されているものもあれば、緊急を要しているのか平文のものまであった。
「何とも言えんな」
近藤中将としても、困惑を隠しきれなかった。決戦を前にして、このような珍事が発生することなど想像もしていなかったのだ。
「通信から、敵艦隊の方位は測定出来るか?」
「ただ今、やっております。ただ、やはり偽装の可能性もあるかと」白石参謀長は慎重だった。「例えば、潜水艦にこのような偽電を発するよう命令している可能性もあります」
「うむ。やはり、索敵機の報告を待った方が確実か。ただ、翔鶴には伝達してくれ」
「はっ」
結局、日本側は英米艦隊の混乱を把握していたものの、それが偽装工作であるという疑いを捨てることが出来なかった。
状況が本格的に動き出したのは、日本側が索敵を放って二時間以上経った〇七一八時のことであった。
「我、敵空母三ヲ見ユ。味方ヨリノ方位二九〇度、距離二五〇浬。針路八〇度、速力二〇ノット。戦艦、巡洋艦多数ヲ伴フ」
一機の九七艦攻が、そのような報告をもたらしたのである。
その電文は、武蔵、翔鶴でもしっかりと受信され、小沢長官はただちに第一攻撃隊の発進を命じた。また、近藤信竹中将はこの時刻を以って無線封止を解除、前衛部隊を務める第二艦隊は主力部隊である第三艦隊の三十浬(約五十五キロ)前方に進出し、甲部隊、乙部隊の輪形陣は互いに十浬(約十八キロ)の距離を取って行動することを命じた。
この時、日本側は無線の傍受から第五十一任務部隊と東洋艦隊の方位を測定しており、そこから発見された艦隊が米艦隊である可能性が高いと見ていた。英東洋艦隊の方は未発見であったが、測定された方位から未だ索敵圏外(つまり艦載機の航続圏外)にいるものと考えられていた。
一方の米軍索敵機は、日本側に遅れること二十分、第五十一任務部隊に対して敵艦隊発見の電文を発した。この索敵機は武蔵の二一号電探が距離六〇キロで探知したものの、撃墜には至らなかった。
〇七三五時、小沢は出撃準備の整った第一次攻撃隊に発艦命令を下した。
八隻の空母から、次々と艦載機が飛行甲板を蹴って飛び立っていく。八隻の空母から同時に艦載機を発艦させるのは、日本海軍史上初めてのことであった。
一部の空母の排水量でいえば、真珠湾攻撃時の六隻に到底及ばないものの、帝国海軍機動部隊の健在を知らしめる勇壮な光景であった。
この時の発艦の風景は、乗員や従軍記者たちの手によって何枚かの写真や映像に残されている。中でも愛宕乗員によって撮られた、発艦作業を行う隼鷹の背景に戦艦武蔵が映り込んだ写真は、戦後も長くインド洋作戦を象徴する一枚として記憶されることになった。
この時、各空母から発艦した第一次攻撃隊の兵力は、次の通りであった。
第一次攻撃隊 指揮官:飛龍飛行隊長・江草隆繁少佐
零戦×八十一機 九九艦爆×六十三機 二式艦偵×四機 総計:一四八機
各空母からの内訳は、次の通りである。
隼鷹……零戦×十五機 九九艦爆×十二機
飛鷹……零戦×十五機 九九艦爆×十二機
翔鶴……零戦×二十一機 九九艦爆×十二機 二式艦偵×二機
瑞鶴……零戦×二十一機 九九艦爆×十二機 二式艦偵×二機
飛龍……零戦×九機 九九艦爆十五機
南太平洋海戦までの空母決戦と比較して、攻撃隊に戦闘機の割合が多くなっているのは、二月の第四次ソロモン海戦にて第十一航空艦隊が米艦隊に対してとった戦術を参考にしているからであった。
ガ島へと来寇する米艦隊に対し第十一航空艦隊は、第一次攻撃隊を誘導用の二式陸偵を除いてすべて零戦で固めていた。これによって敵艦隊の上空直掩機を掃討、以後の航空攻撃を有利ならしめようとし、さらに第二次攻撃隊は艦爆を中心として敵艦艇の対空火器の破壊を狙ったのであった。
結果として、艦爆隊の被害は無視出来ぬものがあったが、以後の航空隊の損害を減少させることに成功していた。
そのため、小沢も同様の意図を持って第一次攻撃隊を編成したのである。
なお、瑞鳳、龍驤、龍鳳の艦戦隊は艦隊直掩にあたることとされていたため、攻撃隊には参加していない。
さらに第一次攻撃隊発進から約四十分後の〇八一三時、第一機動艦隊は第二次攻撃隊を発進させた。
第一次攻撃隊が甲板に並べられるのと平行して、格納庫内では第二次攻撃隊の出撃準備が整えられていたのである。
艦隊最大の空母である翔鶴型であっても、一度に甲板に並べられる航空機の数は三十六機程度でしかない。一度に多くの艦載機を発進させることを想定している米空母とは、根本的に設計思想が違うのである(とはいえこの問題は開戦後、日本側でも認識されていて、翔鶴型の飛行甲板を延長する改装が考案されていた)。
だからこそ、小沢は迅速に第二次攻撃隊を発進させ、多くの機体で一気に敵機動部隊を撃滅することを目指したのである。さしもの米艦隊でも、飽和攻撃には耐えられないだろうと見込んでいたのである。
第二次攻撃隊の編成は、次の通りであった。
第二次攻撃隊 指揮官:瑞鶴飛行隊長・高橋定大尉
零戦×五十四機 九九艦爆×十二機 九七艦攻×六〇機 二式艦偵×二機 総計:一二八機
隼鷹……零戦×九機 九七艦攻×六機
飛鷹……零戦×九機 九七艦攻×六機
翔鶴……零戦×十二機 九九艦爆×六機 九七艦攻×十八機
瑞鶴……零戦×十二機 九九艦爆×六機 九七艦攻×十八機
飛龍……零戦×十二機 九七艦攻×十二機 二式艦偵×二機
第一次、第二次で合計二七〇機以上の機体が第五十一任務部隊を目指して進撃を開始したのである。
これまでの空母決戦において、最大規模の攻撃隊であった。
これら二波にわたる攻撃隊を第一機動艦隊が放つのとほぼ同時に、第五十一任務部隊からも第一次攻撃隊が発進した。
この海戦にあたり、合衆国の三空母の艦載機は次のようになっていた。
第五十一任務部隊 戦隊司令:チャールズ・A・パウノール少将
エセックス……F6F×四十二機 SBD×四十四機 TBF×二〇機
インディペンデンス……F4F×二十四機 TBF×九機
プリンストン……F4F×二十四機 TBF×九機
合計:戦闘機×九〇機 急降下爆撃機×四十四機 雷撃機×三十八機
ここから、戦闘機四十四機、急降下爆撃機二十八機 雷撃機二十四機の攻撃隊が発進した。
アメリカ海軍空母部隊は、日本海軍と違って艦隊ごとに編隊を組まない。基本的には母艦単位で編隊を組むため、機数の少なかったインディペンデンス隊、プリンストン隊が先に日本艦隊への進撃を開始した。そこから十五分ほど遅れて、エセックス隊も日本艦隊への進撃を開始する。
ついに、日本海軍とアメリカ海軍による五度目の空母決戦の幕が切って落とされたのである。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「本当か、その情報は?」
戦艦アイオワ艦長ジョン・マックレア大佐は怪訝そうに尋ねた。
「はい、間違いありません。アラバマ、マサチューセッツでも同様の反応を捉えているとのことです」
レーダー室からもたらされた探知情報は、第五十一任務部隊が極めて深刻な状況に置かれていることを示していた。
「提督、レーダー室より報告。東方七十五マイル(約一二〇キロ)の距離より、約一五〇機の大編隊が接近中です」
カール・ムーア大佐以下、第五十一任務部隊の幕僚たちがさっと青ざめる。
一五〇機とは、これまでのジャップにない大規模な攻撃隊である。南太平洋海戦の時ですら、ジャップの攻撃隊の規模は七〇機程度であったのだ。それが、今回は倍以上の攻撃隊を繰り出してきたのである。
その三分の二が艦爆、艦攻だったとしても、敵の戦闘機の数は五〇機。
上空を守るべきこちらの戦闘機の数が、圧倒的に足りない。
すでに攻撃隊を発進させていたため、艦隊の保有する戦闘機はF6F二十二機、F4Fが二十四機の計四十六機である。
確実に、迎撃を突破される。
アメリカ側の対空砲火は日本側のそれよりも濃密であるものの、絶対的なものではない。それは、これまでの戦闘からも明らかだ。
最新鋭兵器である近接信管、いわゆる「VT信管」も配備されているものの、未だ生産は軌道に乗っていないため、輪形陣外輪部を守るフレッチャー級駆逐艦の一部にのみ配備されているだけである。
「東洋艦隊に上空直掩の援護を求めるのだ」
だが、スプルーアンスは冷静だった。
「彼らは未だジャップの接触を受けていない。戦闘機の数には余裕があるはずだ。もとより、相互の援護は事前に協定済みだ。サマヴィル提督も拒むまい」
「アイ・サー! ただちに電文を打ちます!」
アイオワ艦橋が、慌ただしくなる。
艦長の「総員、対空戦闘配置急げ!」の号令の下、艦内に甲高い警報音が鳴り響き、乗員たちが一斉に動き出す。
「東洋艦隊にも、ジャップの艦隊の位置を知らせる無線は届いているのか?」
「それも併せて確認いたしましょう」
この時、二〇〇キロほど北東に突出していたサマヴィル麾下の英東洋艦隊であるが、索敵機が撃墜されたことで流石に米艦隊との連携に不備が生じることに気付いたのか、徐々に航路を南に寄せつつあった。
とはいえ、イギリス艦載機の航続距離の短さから、未だ日本艦隊を航続圏内に収めてはいない。日本艦隊に対して、二四〇浬(約四五〇キロ)程度まで接近しないと、攻撃そのものが成立しないだろう。
「三空母よりの戦闘機、エセックスのFDO(戦闘機指揮管制士官)の誘導の下、敵機の迎撃に向かいます」
警戒のため艦隊上空を旋回していた四十機あまりの直掩機が、レーダーによる誘導を受けながら探知された編隊を迎撃すべく、アイオワの上空を飛び越えていく。
ジャップに対して、合衆国側が圧倒的優位に立っているのは、こうしたレーダーなどの電子装備を用いた戦術である。
艦隊は三隻の空母を中心に輪形陣を敷いており、空母を守る最後の防衛線としてその対空火器を上空に向けていた。
「直掩隊、高度一万六〇〇〇フィート(約五〇〇〇メートル)を維持しつつ敵編隊に向かう模様!」
FDOは、敵機の侵入高度と方位を予測して直掩隊の誘導を行わなければならない。これに失敗したために、サンタクルーズ諸島沖海戦(日本側呼称、南太平洋海戦)ではジャップの攻撃を直掩隊が防ぎきることが出来なかったのだ。
サンタクルーズ諸島沖海戦ではジャップの侵入高度を三〇〇〇メートルと予測し、実際よりも二〇〇〇メートルも下回る高度に直掩隊を誘導してしまったのだ。FDOはその戦訓を活かして、今回は高度五〇〇〇メートルに直掩隊を誘導したのである。
そして、こうなってしまえば、任務部隊司令官であるスプルーアンスに出来ることはない。あとはFDOと搭乗員たちの連携と、各艦の艦長・乗員たちの技量にかかっている。
彼は鷹揚な態度で、アイオワの指揮官席に腰掛けていた。
ここから数十分間が勝負である。
ここで合衆国が大きな損害を負えば、太平洋戦線での反攻が大幅に遅れてしまう。本国東海岸では続々と新鋭艦が竣工しつつあるとはいえ、その戦力化には時間がかかる。
少なくとも、今年の十月前後まではスプルーアンスの手元にある兵力と、カリブ海で慣熟訓練中のエセックス級空母レキシントンⅡで乗り切らなくてはならない。
また、ジャップのインド洋作戦が成功すれば日独連絡航路が打通し、ドイツが東南アジアの戦略物資を入手しやすくなる。ヨーロッパ戦線の長期化は、そのまま太平洋戦線の長期化に繋がりかねない。
まさしく、この戦闘がこの大戦の今後を占う決戦となるのだ。
元巡洋艦部隊指揮官であるスプルーアンスは、すべてを航空機に任せなければならない空母戦というものに、どこかもどかしい感覚を覚えていた。
ミッドウェー勝利の立役者と言われていようが、やはり自分は水上部隊指揮官なのだということを彼は自覚していたのだ。
「レーダー室より、緊急連絡です!」
スプルーアンスの感慨は、艦橋に響いた悲鳴じみた怒声に破られた。
「何事だね?」
あくまで落ち着いた表情を崩さず、彼は尋ねる。
「電波反射量、急速増大中! レーダー反応が飽和状態です! 東側の反応が多すぎて、PPIスコープが真っ白になっているとのことです!」
「……」
その報告に、スプルーアンスは唇を引き結んだ。
「レーダーの不調か? 他の艦にも問い合わせろ!」
ムーア参謀長の声を聞きながらも、スプルーアンスは意味のない行動だろうと思っていた。
「チャフだろう」
冷静というよりも、どこか投げやりな調子でスプルーアンスは幕僚たちに言う。
チャフ、いわゆる電波欺瞞紙のことである。レーダーの波長に合わせた錫箔を空中に散布することで、レーダーを事実上、使用不能にする装備だった。
「まさか、ジャップがそのような手を使うとは……」
信じられないといった驚愕の表情で、ムーア大佐は呆然と呟く。
彼らの中には、ソロモン戦線などでの戦訓から、ジャップは電子戦に疎いか、無理解であるという先入観があったのである。ジャップの電子装備が、合衆国のそれに対して年単位で遅れていることも、その認識に拍車をかけていた。
「驚くことはなかろう。ヨーロッパでの航空戦の戦訓をジャップが得ていれば、思いつきそうな戦術だ。奴らはドイツの同盟国なのだぞ?」
「では、どのように対処を?」
「レーダーによる誘導など出来るわけがなかろう」スプルーアンスはムーアの言葉に首を振った。「戦闘機隊には、目視にて敵編隊を捕捉、これを迎撃させるしかあるまい」
「……」
「……」
「……」
参謀たちの表情は、凍り付いたようだった。
合衆国搭乗員の技量は、決して十分とはいえない。それを補うためにも、レーダーによる誘導は必須のものだったのだ。
短い期間で行われた戦闘機隊の訓練は、基本的にレーダーによる誘導があることを前提に行われた。
それを、いきなり実戦の場でレーダー誘導を取り上げられたのだ。戦闘機隊の混乱は必須だろう。しかし、それ以外に取れる手段はない。
「任務部隊所属各艦に通達。諸君らが全力を尽くし、自らの艦を守ることを期待する。以上だ」
それは、任務部隊司令部がこの状況において何一つ有効な対策が取れないことを自ら認めるようなものだった。
◇◇◇
江草隆繁少佐率いる第一攻撃隊は、四機の二式艦偵を伴っていた。
これらは攻撃隊を敵艦隊まで誘導すると共に、敵艦隊の手前でチャフを散布して敵の電探を使用不能とする任務を負っていた。
二式艦偵は元々、艦爆として設計された機体であるため、爆弾倉となるはずの箇所に増設燃料タンクを装備していた。その場所に今回、チャフを満載して出撃していたのである。
チャフは相手のレーダーの波長が判っていなければ大した効果を見込めないのであるが、日本海軍はソロモン諸島で相次いだ海戦により、米海軍艦艇乗員を多数、捕虜にしている。さらに、ガダルカナル海岸に擱座して放棄された駆逐艦フレッチャーの電子装備を回収することにも成功していた。
こうした要因により、日本海軍は米軍のレーダー波に合致したチャフを散布することが出来たのである。
チャフの効果が如実に表れていることを、瑞鶴戦闘機隊を率いる納富健次郎大尉は即座に見抜いていた。
目視した敵機の動きが、明らかに統制を欠いているのだ。
こちらは高度六〇〇〇メートルを飛行してきた。
また、攻撃隊長江草少佐は、意図して太陽が背になるように編隊を進撃させていた。艦隊そのものが米艦隊よりも東に位置していた利点を活かした戦術であった。
流石は開戦以来の歴戦の航空指揮官だと、納富は思う。
とはいえ、納富自身も壮絶な経験を有している戦闘機搭乗員である。彼は、珊瑚海海戦において空母祥鳳搭乗員として参加していたのだ。あの時は、雲霞の如く押し寄せる米軍攻撃隊に、納富機も含めてわずか六機の直掩機で突っ込んでいったのである。
だが、どうやら今回は珊瑚海海戦の時とは立場が逆転しているらしい。目視できる範囲にある敵機は、一〇〇〇メートルほど下に見える四十機程度のみ。
対してこちらは一五〇機に迫る大編隊、零戦だけで約八〇機を有している。
まさしく、因果応報。祥鳳を嬲り殺しにした天罰が下ったのだろう、と納富はほくそ笑んだ。
彼は即座に落下増槽を切り離し、機体をバンクさせて部下に指示を送る。そして、機体を一気に降下させた。
零戦三二型に搭載された栄二一型発動機の轟音がインド洋の空に響き渡る。出力一一三〇馬力と、二一型よりも二〇〇馬力ほど出力が向上した発動機が、敵機を威圧するように唸り声を上げる。
納富は素早く敵戦闘機隊の先頭を飛ぶ機体に目標を定めた。恐らくは編隊長機。こいつを喰っちまえば、電探による誘導を受けられない敵戦闘機隊はさらに混乱するだろう。
一部の敵機は太陽を背にしているこちらに気付いたようだが、もう遅い。
納富は照準器の中で膨れ上がる敵機に、機銃の発射ボタンを押した。二一型の機銃に比べて貫通力を増大させた二号二〇ミリ機銃の曳光弾が、敵機に吸い込まれていく。
敵機は錐揉み状態となり、黒煙を吐きながら納富の視界から消えていった。
同様の光景は、各所で展開されていた。
八十一機の零戦は、内五十七機が制空隊であった。これらは、敵の迎撃戦闘機を撃退して敵艦隊上空の制空権を確保することを任務としている。
上空からの一撃で、彼らは十七機の敵機を撃墜することに成功していた。零戦は格闘戦に優れた機体ではあるが、実戦経験のある搭乗員たちは格闘戦よりも一撃離脱戦法の方が有利であることを理解している。
インド洋の空は、たちまち彼我の戦闘機が入り乱れる空戦の場と化した。
零戦隊は豊富な実戦経験を活かして、状況に応じて格闘戦と一撃離脱戦法を使い分けて敵機を仕留めていく。
一方、完全に劣勢となった米軍直掩隊は、苦戦を強いられていた。
彼らは相手に勝る速度と上昇力によって振り切ろうとしたが、零戦隊は追う側と頭を抑える側が上手く連携をとってそれを許さない。
ならば降下して零戦を振り切るという方法もあったが、米軍戦闘機の任務は艦隊の上空直掩である。敵機から逃げてはその任務を果たせない。
そして、訓練期間の短かった若年搭乗員たちは、ここで致命的な失態を犯した。
上にも下にも逃げられないと知った彼らは、左右への旋回によって零戦を振り切ろうとしたのである。旋回は、どんな高速機であっても速度が落ちる。これは、空戦において最悪の選択肢だった。
当然、それを逃すほど零戦隊の搭乗員は甘くない。
「こいつら、素人だな」
呟きながら、しかし何の感慨も覚えず、納富は二〇ミリ機銃を敵機に撃ち込む。
また一機、黒煙を吐きながら敵機はインド洋の水面へと消えていった。
「新型が混じっているか?」
空戦の中で覚えたわずかな違和感。だが、今はそれを周囲に確認する術はない。
今はただ、目の前に群がる敵機を墜とし、攻撃隊に指一本触れさせないことに集中するしかない。
零戦と米軍戦闘機による空戦を無視するように、江草隆繁少佐率いる艦爆隊が進撃していく。
「どうか頼みましたよ、“艦爆の神様”」
一瞬、背後を確認するための鏡に映った九九艦爆の編隊に向け、納富はそう呟いた。
この日、日米英の艦隊は共に未明から索敵機を発進させて敵艦隊の発見に努めていたのであるが、いずれの国の索敵機ともに敵を発見することが出来なかったのである。
後世の視点から見ればこれは当然で、この時、帝国海軍第一機動艦隊は未だクリスマス島を過ぎてココス諸島の北東、スマトラ島の南端沖あたりを通過している段階であり、逆に英米艦隊はアッズ環礁を出て二日目。出撃してから二十四時間弱。十四ノットで航行していたとして六〇〇キロ程度しか進めない。
つまり、彼我の距離は未だ一〇〇〇キロ以上の開きがあったのである。
これでは、接敵しようがない。
小沢は艦隊を西に進め、スプルーアンス、サマヴィルは艦隊を東に進め、明日こそはとの思いを抱いて日没を迎えた。
そして、近藤、小沢は二十一日中の接敵はないと判断し、随伴する油槽艦から各艦、特に駆逐艦へ給油を行い、翌日の決戦に備えることとした。
思えばそれは、嵐の前の静けさとでもいうべきものだったのだろう。
一九四三年四月二十二日、日米英の三ヶ国の艦隊は緊張の朝を迎えた。
この日も、各艦隊は敵影を求めてインド洋の各方面に索敵機を放っていた。
実質的に小沢治三郎中将の指揮する帝国海軍第一機動艦隊は、これまでの空母戦の戦訓を踏まえ、索敵を重視する方針をとっていた。
瑞鳳、龍驤、龍鳳にはそれぞれ九機の九七艦攻が搭載されており、これは全機が索敵に投入された。
また、利根、筑摩からはそれぞれ零式水偵四機、金剛、榛名、最上、三隈、鈴谷、熊野からは零式水偵二機ずつが索敵任務に就いている。
合計で、九七艦攻二十七機、零式水偵二〇機、計四十七機による三段索敵が実施されたのである。
また、これ以外にも第二艦隊の高雄、愛宕、摩耶、那智、足柄が二機ずつの零式水偵を用意して万が一、三段索敵が失敗した場合の予備として待機していた。
ミッドウェー海戦時の七機と比べれば、まさしく雲泥の差であった。いかに小沢中将が索敵を重視していたのかが判る。
四十七機の索敵機は、二十二日未明に各母艦を発進した。
進出距離は、従来通り三〇〇浬(約四八〇キロ)である。
これら索敵機が発進すると、三個の輪形陣では敵機動部隊発見の報を受けたら即座に攻撃隊を発進出来るよう、第一次攻撃隊の発進準備が始まった。
なお、作戦に参加した八隻の空母の搭載機数は次のようになっていた。
第二艦隊 第二航空戦隊 司令官:角田覚治少将
隼鷹……零戦×二十七機 九九艦爆×十八機 九七艦攻×九機
飛鷹……零戦×二十七機 九九艦爆×十八機 九七艦攻×九機
龍鳳……零戦×二十一機 九七艦攻×九機
第三艦隊甲部隊 第一航空戦隊 司令官:小沢治三郎中将
翔鶴……零戦×三十四機 九九艦爆×十八機 九七艦攻×二十一機 二式艦偵×三機
瑞鶴……零戦×三十四機 九九艦爆×十八機 九七艦攻×二十一機 二式艦偵×三機
瑞鳳……零戦×二十一機 九七艦攻×九機
第三艦隊乙部隊 第二航空戦隊 司令官:山口多聞少将
飛龍……零戦×二十七機 九九艦爆×二十一機 九七艦攻×十四機 二式艦偵×三機
龍驤……零戦×二十四機 九七艦攻×九機
合計:零戦×二一一機 九九艦爆×九十三機 九七艦攻×九十二機 二式艦偵×九機
総計:四〇五機
艦戦、艦爆、艦攻の三機種の内、戦闘機の割合を重視していることが判る。これもやはり、珊瑚海、ミッドウェー、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦という四度にわたる米空母との死闘から得られた戦訓が元になっていた。
ミッドウェー海戦から十ヶ月、南太平洋海戦から六ヶ月、日本海軍の空母戦力はこの程度にまでは回復していたのである。
また、艦隊がリンガ泊地に集結した四三年一月以降、三ヶ月の猛訓練の結果、南太平洋海戦での熟練搭乗員大量喪失からある程度立ち直ってもいた。石油豊富なリンガ泊地での三ヶ月の猛訓練は、内地での一年分と評する者たちもいるほどである。
なお、内地ではすでに二式艦偵の艦爆型である最新鋭艦上爆撃機彗星が量産体制に入っていたが、空母部隊への配備は間に合わなかった。全空母に配備出来るほど生産がなされていないのと、液冷発動機の整備の難しさが原因だった。
艦隊司令部も搭乗員も、整備に難を抱える最新鋭機よりも、安定して発動機が稼働する九九艦爆の方を望んでいたのである。実際、艦隊では翔鶴、瑞鶴、飛龍に配備されている二式艦偵の整備に苦労していた。彗星の戦力化には、今しばらくの時間がかかりそうであった。
とはいえ、小沢は自らの手元にある航空兵力に、十分な自信を持っていた。
彼は索敵機からの報告を、今や遅しと待ち望みながら翔鶴艦橋からべた凪のインド洋を見つめていた。
◇◇◇
南太平洋海戦以来、約六ヶ月ぶりの空母同士の決戦は、誰もが予想しない奇妙な形で開始された。
未明から索敵機を放って敵空母の発見に躍起になっていた三ヶ国であるが、状況が動いたのは〇六三七時のことであった。
第五十一任務部隊の輪形陣北側に配置されていた戦艦マサチューセッツのレーダーが距離九〇キロで北東方向から接近する敵味方不明の機影を確認、ただちに旗艦アイオワに信号が送られた。
アイオワ座乗のスプルーアンス中将は、これをイギリス東洋艦隊の放った索敵機であると判断したものの、念のために上空直掩機の一部を確認に向かわせた。
だが、この措置が思わぬ結果を生んでしまったのだ。
アメリカ軍の搭乗員は実戦経験に乏しく、また訓練の時間も十分に取れていない若年搭乗員で大半が占められていた。加えて、キリンディニでもアッズでも、潜水艦による襲撃を恐れて外洋での米英合同訓練もほとんど行えていない。
そのため、初めての実戦に緊張していた戦闘機搭乗員たちは丸い国籍標が描かれた接近中の敵味方不明機をジャップの索敵機と認識、これに攻撃を加えたのだ。
攻撃を受けた機体は、スプルーアンスの予想通り、英空母から索敵のために発艦したバラクーダ雷撃機であった。
英軍機の識別標識である同心円は中心が赤色になっているものの、インド洋では日本軍機と誤認しないよう、赤色を抜いた形での同心円が機体に描かれていた。しかし、丸い国籍標を描いていたこと、九七艦攻と同じく細長い形状をしていたこと、米軍側の戦闘機搭乗員が緊張状態にあったことといった要素が重なり、敵味方の誤認が生じてしまったのだ。
米軍戦闘機からは「我、敵索敵機と交戦中」という通信が母艦に送られ、一方の英軍索敵機は攻撃を受けたことで米艦隊を日本艦隊と誤認。敵戦闘機の迎撃を受けたことと敵艦隊を発見したことを報告した後、撃墜されてしまった。
第五十一任務部隊にとっても、東洋艦隊にとっても、思いがけない事態が生じてしまったのだ。
この時、第五十一任務部隊はスマトラ島東方からココス諸島方面にかけての一二〇度の範囲に索敵機を放っており、一方の東洋艦隊はベンガル湾からスマトラ島東方にかけて一五〇度の範囲に索敵機を放っていた。
さらに東洋艦隊はベンガル湾方面を重視していたため、二十一日に日本艦隊を発見出来なかったことも相俟って、艦隊そのものがいささかベンガル湾寄りに突出する形となってしまった。
そのため、第五十一任務部隊が東洋艦隊の南西方向に位置する形になっており、これが北東方向という、まるでベンガル湾方面から日本の索敵機がやって来たかのように錯覚させてしまったのである。
両艦隊の誤認が連続すれば深刻な同士討ちが発生しかねないと危惧したスプルーアンスは、ただちに東洋艦隊旗艦キング・ジョージ五世に対して照会の通信を発した。
この結果、東洋艦隊が第五十一任務部隊の北東二〇〇キロ弱の地点にまで進出していたことが判明、インド防衛を重視するサマヴィルと日本艦隊撃滅を重視するスプルーアンスの認識の違いが浮き彫りとなる恰好となった。
そして、第五十一任務部隊と東洋艦隊との間で交わされる通信は、帝国海軍で大和と共に最も通信設備に優れている第二艦隊旗艦武蔵でも傍受、ある意味で近藤信竹中将以下、第二艦隊司令部を困惑させる副作用ももたらしていた。
「英米の艦隊は、同士討ちでもやっているのでしょうか?」
謀略を疑うような慎重な声で、白石万隆参謀長が言う。
次々と通信室に飛び込んでくる英米艦隊の発する電文は、暗号化されているものもあれば、緊急を要しているのか平文のものまであった。
「何とも言えんな」
近藤中将としても、困惑を隠しきれなかった。決戦を前にして、このような珍事が発生することなど想像もしていなかったのだ。
「通信から、敵艦隊の方位は測定出来るか?」
「ただ今、やっております。ただ、やはり偽装の可能性もあるかと」白石参謀長は慎重だった。「例えば、潜水艦にこのような偽電を発するよう命令している可能性もあります」
「うむ。やはり、索敵機の報告を待った方が確実か。ただ、翔鶴には伝達してくれ」
「はっ」
結局、日本側は英米艦隊の混乱を把握していたものの、それが偽装工作であるという疑いを捨てることが出来なかった。
状況が本格的に動き出したのは、日本側が索敵を放って二時間以上経った〇七一八時のことであった。
「我、敵空母三ヲ見ユ。味方ヨリノ方位二九〇度、距離二五〇浬。針路八〇度、速力二〇ノット。戦艦、巡洋艦多数ヲ伴フ」
一機の九七艦攻が、そのような報告をもたらしたのである。
その電文は、武蔵、翔鶴でもしっかりと受信され、小沢長官はただちに第一攻撃隊の発進を命じた。また、近藤信竹中将はこの時刻を以って無線封止を解除、前衛部隊を務める第二艦隊は主力部隊である第三艦隊の三十浬(約五十五キロ)前方に進出し、甲部隊、乙部隊の輪形陣は互いに十浬(約十八キロ)の距離を取って行動することを命じた。
この時、日本側は無線の傍受から第五十一任務部隊と東洋艦隊の方位を測定しており、そこから発見された艦隊が米艦隊である可能性が高いと見ていた。英東洋艦隊の方は未発見であったが、測定された方位から未だ索敵圏外(つまり艦載機の航続圏外)にいるものと考えられていた。
一方の米軍索敵機は、日本側に遅れること二十分、第五十一任務部隊に対して敵艦隊発見の電文を発した。この索敵機は武蔵の二一号電探が距離六〇キロで探知したものの、撃墜には至らなかった。
〇七三五時、小沢は出撃準備の整った第一次攻撃隊に発艦命令を下した。
八隻の空母から、次々と艦載機が飛行甲板を蹴って飛び立っていく。八隻の空母から同時に艦載機を発艦させるのは、日本海軍史上初めてのことであった。
一部の空母の排水量でいえば、真珠湾攻撃時の六隻に到底及ばないものの、帝国海軍機動部隊の健在を知らしめる勇壮な光景であった。
この時の発艦の風景は、乗員や従軍記者たちの手によって何枚かの写真や映像に残されている。中でも愛宕乗員によって撮られた、発艦作業を行う隼鷹の背景に戦艦武蔵が映り込んだ写真は、戦後も長くインド洋作戦を象徴する一枚として記憶されることになった。
この時、各空母から発艦した第一次攻撃隊の兵力は、次の通りであった。
第一次攻撃隊 指揮官:飛龍飛行隊長・江草隆繁少佐
零戦×八十一機 九九艦爆×六十三機 二式艦偵×四機 総計:一四八機
各空母からの内訳は、次の通りである。
隼鷹……零戦×十五機 九九艦爆×十二機
飛鷹……零戦×十五機 九九艦爆×十二機
翔鶴……零戦×二十一機 九九艦爆×十二機 二式艦偵×二機
瑞鶴……零戦×二十一機 九九艦爆×十二機 二式艦偵×二機
飛龍……零戦×九機 九九艦爆十五機
南太平洋海戦までの空母決戦と比較して、攻撃隊に戦闘機の割合が多くなっているのは、二月の第四次ソロモン海戦にて第十一航空艦隊が米艦隊に対してとった戦術を参考にしているからであった。
ガ島へと来寇する米艦隊に対し第十一航空艦隊は、第一次攻撃隊を誘導用の二式陸偵を除いてすべて零戦で固めていた。これによって敵艦隊の上空直掩機を掃討、以後の航空攻撃を有利ならしめようとし、さらに第二次攻撃隊は艦爆を中心として敵艦艇の対空火器の破壊を狙ったのであった。
結果として、艦爆隊の被害は無視出来ぬものがあったが、以後の航空隊の損害を減少させることに成功していた。
そのため、小沢も同様の意図を持って第一次攻撃隊を編成したのである。
なお、瑞鳳、龍驤、龍鳳の艦戦隊は艦隊直掩にあたることとされていたため、攻撃隊には参加していない。
さらに第一次攻撃隊発進から約四十分後の〇八一三時、第一機動艦隊は第二次攻撃隊を発進させた。
第一次攻撃隊が甲板に並べられるのと平行して、格納庫内では第二次攻撃隊の出撃準備が整えられていたのである。
艦隊最大の空母である翔鶴型であっても、一度に甲板に並べられる航空機の数は三十六機程度でしかない。一度に多くの艦載機を発進させることを想定している米空母とは、根本的に設計思想が違うのである(とはいえこの問題は開戦後、日本側でも認識されていて、翔鶴型の飛行甲板を延長する改装が考案されていた)。
だからこそ、小沢は迅速に第二次攻撃隊を発進させ、多くの機体で一気に敵機動部隊を撃滅することを目指したのである。さしもの米艦隊でも、飽和攻撃には耐えられないだろうと見込んでいたのである。
第二次攻撃隊の編成は、次の通りであった。
第二次攻撃隊 指揮官:瑞鶴飛行隊長・高橋定大尉
零戦×五十四機 九九艦爆×十二機 九七艦攻×六〇機 二式艦偵×二機 総計:一二八機
隼鷹……零戦×九機 九七艦攻×六機
飛鷹……零戦×九機 九七艦攻×六機
翔鶴……零戦×十二機 九九艦爆×六機 九七艦攻×十八機
瑞鶴……零戦×十二機 九九艦爆×六機 九七艦攻×十八機
飛龍……零戦×十二機 九七艦攻×十二機 二式艦偵×二機
第一次、第二次で合計二七〇機以上の機体が第五十一任務部隊を目指して進撃を開始したのである。
これまでの空母決戦において、最大規模の攻撃隊であった。
これら二波にわたる攻撃隊を第一機動艦隊が放つのとほぼ同時に、第五十一任務部隊からも第一次攻撃隊が発進した。
この海戦にあたり、合衆国の三空母の艦載機は次のようになっていた。
第五十一任務部隊 戦隊司令:チャールズ・A・パウノール少将
エセックス……F6F×四十二機 SBD×四十四機 TBF×二〇機
インディペンデンス……F4F×二十四機 TBF×九機
プリンストン……F4F×二十四機 TBF×九機
合計:戦闘機×九〇機 急降下爆撃機×四十四機 雷撃機×三十八機
ここから、戦闘機四十四機、急降下爆撃機二十八機 雷撃機二十四機の攻撃隊が発進した。
アメリカ海軍空母部隊は、日本海軍と違って艦隊ごとに編隊を組まない。基本的には母艦単位で編隊を組むため、機数の少なかったインディペンデンス隊、プリンストン隊が先に日本艦隊への進撃を開始した。そこから十五分ほど遅れて、エセックス隊も日本艦隊への進撃を開始する。
ついに、日本海軍とアメリカ海軍による五度目の空母決戦の幕が切って落とされたのである。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「本当か、その情報は?」
戦艦アイオワ艦長ジョン・マックレア大佐は怪訝そうに尋ねた。
「はい、間違いありません。アラバマ、マサチューセッツでも同様の反応を捉えているとのことです」
レーダー室からもたらされた探知情報は、第五十一任務部隊が極めて深刻な状況に置かれていることを示していた。
「提督、レーダー室より報告。東方七十五マイル(約一二〇キロ)の距離より、約一五〇機の大編隊が接近中です」
カール・ムーア大佐以下、第五十一任務部隊の幕僚たちがさっと青ざめる。
一五〇機とは、これまでのジャップにない大規模な攻撃隊である。南太平洋海戦の時ですら、ジャップの攻撃隊の規模は七〇機程度であったのだ。それが、今回は倍以上の攻撃隊を繰り出してきたのである。
その三分の二が艦爆、艦攻だったとしても、敵の戦闘機の数は五〇機。
上空を守るべきこちらの戦闘機の数が、圧倒的に足りない。
すでに攻撃隊を発進させていたため、艦隊の保有する戦闘機はF6F二十二機、F4Fが二十四機の計四十六機である。
確実に、迎撃を突破される。
アメリカ側の対空砲火は日本側のそれよりも濃密であるものの、絶対的なものではない。それは、これまでの戦闘からも明らかだ。
最新鋭兵器である近接信管、いわゆる「VT信管」も配備されているものの、未だ生産は軌道に乗っていないため、輪形陣外輪部を守るフレッチャー級駆逐艦の一部にのみ配備されているだけである。
「東洋艦隊に上空直掩の援護を求めるのだ」
だが、スプルーアンスは冷静だった。
「彼らは未だジャップの接触を受けていない。戦闘機の数には余裕があるはずだ。もとより、相互の援護は事前に協定済みだ。サマヴィル提督も拒むまい」
「アイ・サー! ただちに電文を打ちます!」
アイオワ艦橋が、慌ただしくなる。
艦長の「総員、対空戦闘配置急げ!」の号令の下、艦内に甲高い警報音が鳴り響き、乗員たちが一斉に動き出す。
「東洋艦隊にも、ジャップの艦隊の位置を知らせる無線は届いているのか?」
「それも併せて確認いたしましょう」
この時、二〇〇キロほど北東に突出していたサマヴィル麾下の英東洋艦隊であるが、索敵機が撃墜されたことで流石に米艦隊との連携に不備が生じることに気付いたのか、徐々に航路を南に寄せつつあった。
とはいえ、イギリス艦載機の航続距離の短さから、未だ日本艦隊を航続圏内に収めてはいない。日本艦隊に対して、二四〇浬(約四五〇キロ)程度まで接近しないと、攻撃そのものが成立しないだろう。
「三空母よりの戦闘機、エセックスのFDO(戦闘機指揮管制士官)の誘導の下、敵機の迎撃に向かいます」
警戒のため艦隊上空を旋回していた四十機あまりの直掩機が、レーダーによる誘導を受けながら探知された編隊を迎撃すべく、アイオワの上空を飛び越えていく。
ジャップに対して、合衆国側が圧倒的優位に立っているのは、こうしたレーダーなどの電子装備を用いた戦術である。
艦隊は三隻の空母を中心に輪形陣を敷いており、空母を守る最後の防衛線としてその対空火器を上空に向けていた。
「直掩隊、高度一万六〇〇〇フィート(約五〇〇〇メートル)を維持しつつ敵編隊に向かう模様!」
FDOは、敵機の侵入高度と方位を予測して直掩隊の誘導を行わなければならない。これに失敗したために、サンタクルーズ諸島沖海戦(日本側呼称、南太平洋海戦)ではジャップの攻撃を直掩隊が防ぎきることが出来なかったのだ。
サンタクルーズ諸島沖海戦ではジャップの侵入高度を三〇〇〇メートルと予測し、実際よりも二〇〇〇メートルも下回る高度に直掩隊を誘導してしまったのだ。FDOはその戦訓を活かして、今回は高度五〇〇〇メートルに直掩隊を誘導したのである。
そして、こうなってしまえば、任務部隊司令官であるスプルーアンスに出来ることはない。あとはFDOと搭乗員たちの連携と、各艦の艦長・乗員たちの技量にかかっている。
彼は鷹揚な態度で、アイオワの指揮官席に腰掛けていた。
ここから数十分間が勝負である。
ここで合衆国が大きな損害を負えば、太平洋戦線での反攻が大幅に遅れてしまう。本国東海岸では続々と新鋭艦が竣工しつつあるとはいえ、その戦力化には時間がかかる。
少なくとも、今年の十月前後まではスプルーアンスの手元にある兵力と、カリブ海で慣熟訓練中のエセックス級空母レキシントンⅡで乗り切らなくてはならない。
また、ジャップのインド洋作戦が成功すれば日独連絡航路が打通し、ドイツが東南アジアの戦略物資を入手しやすくなる。ヨーロッパ戦線の長期化は、そのまま太平洋戦線の長期化に繋がりかねない。
まさしく、この戦闘がこの大戦の今後を占う決戦となるのだ。
元巡洋艦部隊指揮官であるスプルーアンスは、すべてを航空機に任せなければならない空母戦というものに、どこかもどかしい感覚を覚えていた。
ミッドウェー勝利の立役者と言われていようが、やはり自分は水上部隊指揮官なのだということを彼は自覚していたのだ。
「レーダー室より、緊急連絡です!」
スプルーアンスの感慨は、艦橋に響いた悲鳴じみた怒声に破られた。
「何事だね?」
あくまで落ち着いた表情を崩さず、彼は尋ねる。
「電波反射量、急速増大中! レーダー反応が飽和状態です! 東側の反応が多すぎて、PPIスコープが真っ白になっているとのことです!」
「……」
その報告に、スプルーアンスは唇を引き結んだ。
「レーダーの不調か? 他の艦にも問い合わせろ!」
ムーア参謀長の声を聞きながらも、スプルーアンスは意味のない行動だろうと思っていた。
「チャフだろう」
冷静というよりも、どこか投げやりな調子でスプルーアンスは幕僚たちに言う。
チャフ、いわゆる電波欺瞞紙のことである。レーダーの波長に合わせた錫箔を空中に散布することで、レーダーを事実上、使用不能にする装備だった。
「まさか、ジャップがそのような手を使うとは……」
信じられないといった驚愕の表情で、ムーア大佐は呆然と呟く。
彼らの中には、ソロモン戦線などでの戦訓から、ジャップは電子戦に疎いか、無理解であるという先入観があったのである。ジャップの電子装備が、合衆国のそれに対して年単位で遅れていることも、その認識に拍車をかけていた。
「驚くことはなかろう。ヨーロッパでの航空戦の戦訓をジャップが得ていれば、思いつきそうな戦術だ。奴らはドイツの同盟国なのだぞ?」
「では、どのように対処を?」
「レーダーによる誘導など出来るわけがなかろう」スプルーアンスはムーアの言葉に首を振った。「戦闘機隊には、目視にて敵編隊を捕捉、これを迎撃させるしかあるまい」
「……」
「……」
「……」
参謀たちの表情は、凍り付いたようだった。
合衆国搭乗員の技量は、決して十分とはいえない。それを補うためにも、レーダーによる誘導は必須のものだったのだ。
短い期間で行われた戦闘機隊の訓練は、基本的にレーダーによる誘導があることを前提に行われた。
それを、いきなり実戦の場でレーダー誘導を取り上げられたのだ。戦闘機隊の混乱は必須だろう。しかし、それ以外に取れる手段はない。
「任務部隊所属各艦に通達。諸君らが全力を尽くし、自らの艦を守ることを期待する。以上だ」
それは、任務部隊司令部がこの状況において何一つ有効な対策が取れないことを自ら認めるようなものだった。
◇◇◇
江草隆繁少佐率いる第一攻撃隊は、四機の二式艦偵を伴っていた。
これらは攻撃隊を敵艦隊まで誘導すると共に、敵艦隊の手前でチャフを散布して敵の電探を使用不能とする任務を負っていた。
二式艦偵は元々、艦爆として設計された機体であるため、爆弾倉となるはずの箇所に増設燃料タンクを装備していた。その場所に今回、チャフを満載して出撃していたのである。
チャフは相手のレーダーの波長が判っていなければ大した効果を見込めないのであるが、日本海軍はソロモン諸島で相次いだ海戦により、米海軍艦艇乗員を多数、捕虜にしている。さらに、ガダルカナル海岸に擱座して放棄された駆逐艦フレッチャーの電子装備を回収することにも成功していた。
こうした要因により、日本海軍は米軍のレーダー波に合致したチャフを散布することが出来たのである。
チャフの効果が如実に表れていることを、瑞鶴戦闘機隊を率いる納富健次郎大尉は即座に見抜いていた。
目視した敵機の動きが、明らかに統制を欠いているのだ。
こちらは高度六〇〇〇メートルを飛行してきた。
また、攻撃隊長江草少佐は、意図して太陽が背になるように編隊を進撃させていた。艦隊そのものが米艦隊よりも東に位置していた利点を活かした戦術であった。
流石は開戦以来の歴戦の航空指揮官だと、納富は思う。
とはいえ、納富自身も壮絶な経験を有している戦闘機搭乗員である。彼は、珊瑚海海戦において空母祥鳳搭乗員として参加していたのだ。あの時は、雲霞の如く押し寄せる米軍攻撃隊に、納富機も含めてわずか六機の直掩機で突っ込んでいったのである。
だが、どうやら今回は珊瑚海海戦の時とは立場が逆転しているらしい。目視できる範囲にある敵機は、一〇〇〇メートルほど下に見える四十機程度のみ。
対してこちらは一五〇機に迫る大編隊、零戦だけで約八〇機を有している。
まさしく、因果応報。祥鳳を嬲り殺しにした天罰が下ったのだろう、と納富はほくそ笑んだ。
彼は即座に落下増槽を切り離し、機体をバンクさせて部下に指示を送る。そして、機体を一気に降下させた。
零戦三二型に搭載された栄二一型発動機の轟音がインド洋の空に響き渡る。出力一一三〇馬力と、二一型よりも二〇〇馬力ほど出力が向上した発動機が、敵機を威圧するように唸り声を上げる。
納富は素早く敵戦闘機隊の先頭を飛ぶ機体に目標を定めた。恐らくは編隊長機。こいつを喰っちまえば、電探による誘導を受けられない敵戦闘機隊はさらに混乱するだろう。
一部の敵機は太陽を背にしているこちらに気付いたようだが、もう遅い。
納富は照準器の中で膨れ上がる敵機に、機銃の発射ボタンを押した。二一型の機銃に比べて貫通力を増大させた二号二〇ミリ機銃の曳光弾が、敵機に吸い込まれていく。
敵機は錐揉み状態となり、黒煙を吐きながら納富の視界から消えていった。
同様の光景は、各所で展開されていた。
八十一機の零戦は、内五十七機が制空隊であった。これらは、敵の迎撃戦闘機を撃退して敵艦隊上空の制空権を確保することを任務としている。
上空からの一撃で、彼らは十七機の敵機を撃墜することに成功していた。零戦は格闘戦に優れた機体ではあるが、実戦経験のある搭乗員たちは格闘戦よりも一撃離脱戦法の方が有利であることを理解している。
インド洋の空は、たちまち彼我の戦闘機が入り乱れる空戦の場と化した。
零戦隊は豊富な実戦経験を活かして、状況に応じて格闘戦と一撃離脱戦法を使い分けて敵機を仕留めていく。
一方、完全に劣勢となった米軍直掩隊は、苦戦を強いられていた。
彼らは相手に勝る速度と上昇力によって振り切ろうとしたが、零戦隊は追う側と頭を抑える側が上手く連携をとってそれを許さない。
ならば降下して零戦を振り切るという方法もあったが、米軍戦闘機の任務は艦隊の上空直掩である。敵機から逃げてはその任務を果たせない。
そして、訓練期間の短かった若年搭乗員たちは、ここで致命的な失態を犯した。
上にも下にも逃げられないと知った彼らは、左右への旋回によって零戦を振り切ろうとしたのである。旋回は、どんな高速機であっても速度が落ちる。これは、空戦において最悪の選択肢だった。
当然、それを逃すほど零戦隊の搭乗員は甘くない。
「こいつら、素人だな」
呟きながら、しかし何の感慨も覚えず、納富は二〇ミリ機銃を敵機に撃ち込む。
また一機、黒煙を吐きながら敵機はインド洋の水面へと消えていった。
「新型が混じっているか?」
空戦の中で覚えたわずかな違和感。だが、今はそれを周囲に確認する術はない。
今はただ、目の前に群がる敵機を墜とし、攻撃隊に指一本触れさせないことに集中するしかない。
零戦と米軍戦闘機による空戦を無視するように、江草隆繁少佐率いる艦爆隊が進撃していく。
「どうか頼みましたよ、“艦爆の神様”」
一瞬、背後を確認するための鏡に映った九九艦爆の編隊に向け、納富はそう呟いた。
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