蒼海の碧血録

三笠 陣

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第二章 南溟の晩鐘

12 作戦準備

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 一九四三年一月三十一日。
 ヌーメアに戦艦、巡洋艦、輸送船多数集結中―――。
 その情報が第十一航空艦隊からもたらされた時、横須賀の連合艦隊司令部は緊急の作戦会議を開くことになった。

「これは、米艦隊撃滅の好機です!」

 声高にそう主張したのは、先任参謀の黒島亀人大佐であった。

「米艦隊には機動部隊は存在せず、一方で我が方はい号作戦のためのソロモン諸島に航空戦力を集中しております。これはまさしく、マレー沖海戦の再現が狙える状況です。この好機を逃すべきではありません!」

 会議室の上座に座る山本五十六連合艦隊司令長官は、腕を組んで瞑目している。宇垣纏参謀長も、ソロモン諸島の地図に目を落としたまま、普段と変わらぬ無表情を貫いている。
 ひとまずは、参謀たちが議論するに任せるようだった。

「私は、そうは思いません」

 黒島の意見に反対したのは、樋端久利雄航空甲参謀であった。

「米艦隊に機動部隊は存在せずとも、特設空母が南太平洋で確認されており、エスピリットゥサントの航空隊も存在しています。敵艦隊の上空が丸裸であるはずがなく、徒な航空攻撃は我が軍の航空戦力の消耗を早めるだけの結果に終わります」

「樋端中佐、貴官はいささか消極的過ぎる!」黒島は攻撃的な口調で言った。「通商破壊作戦も効果的ではあろうが、米国世論に打撃を与えるためには、やはり艦隊の撃滅という成果が必要なのだ。輸送船が沈むのと、戦艦や空母が沈むのでは、米国民に与える影響が段違いであろう。それに、敵艦隊兵力をここで漸減しておかなくては、山本長官の望む中部太平洋での決戦において我が方が戦力的優位に立てなくなる恐れもある。そのためにも、今ここで、例え旧式戦艦であろうとも、米艦隊を撃滅しておかなくてはならんのだ」

「敵兵力の漸減というご意見には賛成ですし、まったく迎撃作戦を行わないと主張したいわけでもありません」

 一方、樋端は理性的に言葉を重ねる。

「問題は、我が軍戦力の消耗を抑えつつ、敵をいかに撃退するかということです。航空兵力の消耗は、それこそ中部太平洋での決戦において我が軍に悪影響を及ぼします」

 そこまで言って、樋端は他の参謀たちを見回した。渡辺安次戦務参謀を始めとする彼らは、どうも黒島と樋端の論戦に巻き込まれたくないような顔をしている。
 内心で溜息をつきつつ、樋端は続けることにした。

「また、今回の米艦艇のヌーメア集結が何を意味するのか、それを予測する必要があります」

「戦艦を集結させているのだから、我が軍のガ島飛行場砲撃を目論んでいるに違いなかろうが」

 そんなことは議論するまでもないといった口調で、黒島が切って捨てる。

「ですから、それが何を意図しているのかということです。ガ島飛行場を艦砲射撃で破壊して、増援部隊を送り込もうとしているのか、それとも撤退をしようとしているのか、それを見極める必要があります。それによって、作戦構想に違いが出てきます」

「樋端中佐」

 そこで始めて、宇垣少将が口を開いた。

「議論をしたいのであれば、まずは君の見解を述べたまえ」

「はっ。私としては、米軍は撤退を目論んでいるものと思われます」

「根拠は?」

「ガ島の米軍の状況です」樋端は言った。「現地からの報告では、米軍兵士の餓死遺体が発見されているということで、ガ島の米海兵隊はすでに戦力として換算出来ない状況になっています。もし米軍がここに新たな兵力を投入しても、また同じ状況に陥るだけです。何故ならば、先日もお伝えいたしました通り、ガ島飛行場が破壊された程度で我が軍のソロモン戦線の制空権は揺るがないからです。米機動部隊が壊滅した今、敵航空兵力にニュージョージア島ムンダ以北の我が軍飛行場を叩くすべはありません。こうした状況は、米軍側でも理解しているはずであり、故にこそ撤退を目論んでいるものと思われます」

「それは楽観的に過ぎるのではないか?」

 黒島が異論を挟む。

「米軍は三万の兵を飢えさせてでもガ島の保持に拘っていると見るべきではないか? ガ島から撤退などすれば、それこそ米大統領に対する米国世論が厳しくなろう」

「米国の合理性から考えれば、むしろ維持が難しい島に三万もの兵力を貼り付けておく方が問題となります」

「だから、その考えが楽観的だと言うのだ」

「これは楽観ではなく、彼我の兵力や状況から導き出した客観的判断です」

 噛んで含めるような調子で、樋端は言う。

「少し話が逸れていないかね?」

 ここで、山本が口を出した。

「我々が会議を開いているのは、ヌーメアに集結した米艦隊への対処だ。彼らが増援にせよ、撤退にせよ、ガ島を目指そうとするのは明らかだ。まずは、その迎撃作戦について方針を定めるべきだろう」

「申し訳ございません、長官」

 樋端は山本に向かって頭を下げた。

「米軍が撤退を目論んでいるという意見には、賛成だ」そう言ったのは、宇垣だった。「正直、我が軍ですらガ島の維持にはいささか手を焼いている有様だ。それがガ島を封鎖された米軍にとってみればなおさらだろう」

「参謀長!」

 咎めるように、黒島が怒鳴った。

「黒島大佐、貴官はもう少し冷静になったらどうだね?」

 常日頃の無表情で、宇垣はそう注意を与える。黒島は憤慨した様子で椅子に座り込んだ。

「さて、とはいえ黒島大佐の言う通り、米艦隊に打撃を与える好機であることには違いない」

 宇垣はそう言って、黒島の顔も立てることにした。
 先任参謀と航空甲参謀が対立し合う状況は、参謀長として見過ごせない。ある程度、間に立って意見を調整する必要があった。

「ただ、航空兵力を刹那的な決戦に投入して消耗することもまた、忌むべきである。今、ソロモンに必要なのは、継続的に戦うことの出来る戦力だ。その観点から、迎撃作戦は練るべきだろう」

「戦力の維持という観点からは、ツラギの甲標的部隊を使用すべきかと思います」

 すでに腹案があったのか、樋端は淀みなく意見を出した。

「米艦隊が飛行場への艦砲射撃を目指すならば、必ずシーラーク水道で直進しなければなりません。それはまさしく、雷撃の好機です」

 甲標的とは、日本海軍が開発した小型潜水艦である。外洋航行能力は低いが、こうした局地防衛戦ならば威力を発揮してくれるはずであった。

「私も、樋端中佐の意見には賛成です」

 いささか渋々といった口調で、黒島が同意する。

「問題は、甲標的の数です」樋端が言った。「現状、ツラギに配備されている甲標的は八基ですので、搭載出来る魚雷は十六本。甲標的の視界が非常に狭いことと、照準が艇長の目視頼りという点から、高い命中率は望めません。突入を図る敵戦艦の数が多ければ、防ぎきれなくなります」

「となれば、第十一航空艦隊と第八艦隊にも迎撃を命ずるしかあるまい」

 宇垣が、黒島と樋端の両名を交互に見ながら言った。この点に関して、二人に異論はないようであった。

「ただし、陸攻隊による昼間雷撃は禁止するよう、第十一航空艦隊に命ずる必要があるかと思います」

「それでは夜間雷撃となり、攻撃の効果が十分に期待出来ない」樋端の意見に、黒島が反論した。「戦艦は輸送船ほど脆くはない。一本や二本の魚雷を命中させればよい輸送船とは違うのだ。ここはある程度の損害を覚悟して、命中率の高い昼間雷撃を行わせるべきだ」

「敵艦隊を撃退するだけならば、魚雷を一本、二本命中させるだけで十分だろう」口を挟んだのは、宇垣だった。「それだけで、戦艦というものは照準を狂わされる」

 砲術の専門家らしい意見であった。

「それでもなお敵が突入を図るようならば、甲標的と第八艦隊に迎撃させる。航空隊の損耗を抑えるためにも、従来通り、夜間雷撃を行わせるべきだ」

「一つ、よろしいでしょうか?」

 樋端は議論をまとめようとする宇垣に向かい、挙手した。

「何だね?」

「米軍が撤退作戦を行う場合、戦艦による艦砲射撃で我が軍飛行場を封じた後、輸送船を突入させるものと思われますが、恐らく、輸送は複数回にわたって行われるものと思われます」

「理由は?」

「単純に、数と時間です」樋端は続けた。「ガ島の米軍の兵力は、捕虜などの情報から三万とされています。その兵力を一気に撤退させられるだけの海岸を、ガ島の米軍は確保出来ていません。また、撤退作業が昼間になれば、ニュージョージア島ムンダ以北の我が軍の航空機の妨害を受けてしまいます。そのため、撤退作業は夜間に行うものと思われます。このことから、米軍のガ島撤収作戦は複数回にわたって行われるものと考えたのです」

「ふむ、理にかなっているな。それで?」

「第八艦隊には、米戦艦の迎撃に加わらせないほうがよろしいかと思います。第八艦隊に戦艦は霧島しかおらず、後は重巡を中心とした水雷部隊のみです。米戦艦部隊と正面からぶつかれば、損害は避けられません。そのため、米戦艦の処理は航空隊と甲標的に任せ、第八艦隊は輸送船団の捕捉、撃滅に当たらせるとともに、撤退作業の妨害を行わせるべきです」

「なるほど」

 宇垣は頷いた。そして、黒島の方を見る。彼は樋端の米軍が撤退を意図しているという意見に反対しており、何か反論があるかと宇垣は思ったのだ。
 だが、黒島はいささか納得いかないような表情を浮かべつつも、何も言わなかった。単にへそを曲げているだけか、あるいは迎撃作戦の詳細を樋端に先に言われてしまったのかもしれなかった。
 米軍が増援を目論んでいるにせよ、撤退を目論んでいるにせよ、重要なのは輸送船団を攻撃することである。その点では、皮肉にも黒島と樋端の意見は一致しているのだ。

「長官」

 議論がまとまったことを受けて、宇垣は山本に呼びかける。今まで瞑目していた山本が目を開き、一同を見回す。

「よかろう。その方向で第十一航空艦隊、第八艦隊との調整を進めてくれたまえ。渡辺中佐、樋端中佐、すまんが貴官らはただちにラバウルに飛び、両艦隊司令部との作戦計画の調整に当たってくれたまえ」

「はっ!」

 横須賀鎮守府の近隣には、追浜飛行場がある。
 山本の命令書を携えた渡辺安次戦務参謀と樋端久利雄航空甲参謀は、手配された一式陸上輸送機二機に分乗し、一路、ラバウルを目指すこととなった。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 二月二日。

「諸君もすでに承知のことと思うが、統合作戦本部および太平洋艦隊司令部はガダルカナル島からの撤退を決定。我が南太平洋方面軍がガ島海兵隊の撤収作業を担当することとなった。本作戦は“クリーンスレート作戦”と命名。実施の時期は二月七日以降、三次に分けて撤収作業を行うものと決定された」

 ニューカレドニア島ヌーメアの南太平洋方面軍司令部の会議室にて、ウィリアム・F・ハルゼー中将は集まった各任務部隊指揮官を務める将官たちに向かって説明していた。

「この作戦は、現状で合衆国海軍が投入出来る最大限の兵力を以て実行されることとなる。各任務部隊指揮官の諸君らには、この作戦の成否が今後の対日侵攻作戦に重大な影響を与えるであろうことを明言しておきたい」

 会議室に並ぶ合衆国軍人たちは、巡洋艦部隊指揮官のウォルデン・L・エインズワース少将、アーロン・S・メリル少将、南太平洋で幾度もの海戦を潜り抜けてきたトーマス・C・キンケード少将の三名、そして彼らの幕僚たちである。

「提督、質問してもよろしいでしょうか?」

 手を上げたのは、メリル少将であった。

「何だ?」

「ガ島撤収作戦を三次に分けて行う理由をお聞かせ願いたい」

「我が南太平洋方面軍司令部と太平洋艦隊司令部が合同で行った図上演習の結果だ」

 ハルゼーら南太平洋方面軍司令部は、一月二十八日の会談の後、ニミッツや彼の幕僚と共にヌーメアにてガ島撤収作戦の図上演習を行っていた。三日にわたる図上演習と作戦計画の調整の後、クリーンスレート作戦は正式に承認されたのだ。
 その間、ハルゼーは南太平洋方面軍麾下の各任務部隊にガ島撤収作戦準備命令を下し、日本軍ガ島飛行場への艦砲射撃作戦のためにヌーメアに集結しつつあった艦艇に出撃準備を進めさせていた。
 ここに三人の任務部隊指揮官が集結しているのには、そうした理由がある。

「三回という結論は、海兵隊を撤収させるための海岸線の長さ、及び夜間に実施するという場所的・時間的制限から導き出されたものである」

「では私からも」

 次に挙手をしたのは、エインズワース少将だった。

「二月七日から作戦実施となりますと、準備期間がほとんどありません。当初はガ島への艦砲射撃を企図していたため現地の海図等の用意やそれに基づく航路の選択などは各任務部隊にて行いましたが、各任務部隊との連携に関わる通信の調整や訓練を行う期間がまったくありません。ガ島の海兵隊が危機的状況にあるのは理解しますが、いささか性急過ぎるのでは?」

 各任務部隊の指揮系統や通信の調整などが不十分だったために敗北したのが、ガダルカナル沖海戦(第三次ソロモン海戦のアメリカ側呼称)である。もちろん、敗北の原因は他にも求められるが、各任務部隊の連携が不十分であったことは否定出来ない。
 エインズワース少将は、再びそうした事態に陥ることを懸念しているのである。

「この時期に作戦を行うのは月が満ちる、つまり夜間の明かりが確保出来る期間であるからだ。これを過ぎれば、次は三月中旬まで待たねばならない。任務部隊同士の連携についてだが、三次にわたる輸送作戦では、基本的に一個任務部隊を基幹として行う。各任務部隊同士の通信の調整などは、最小限で済むように計画してある」

 三人の少将たちは、顔を見合わせた。その顔に厳しい感情が宿っていることを、ハルゼーは見抜いている。
 ハルゼーとしても、作戦の準備期間が短すぎることは認めていた。しかし、作戦実行時期を延ばすことは、ガダルカナルに展開する海兵隊を全滅の危機に晒すことになってしまう。すでに補給の途絶えたガ島では、飢えと病によって仆れる将兵が続出しているのである。彼らを救援する作戦は、一日も早く実行されねばならなかった。
 合衆国は、そうした苦しい状況に置かれているのである。
 そして、そうした現状を正しく理解しているからこそ、三人の将官も反対意見を出すことはなかった。

「では、各任務部隊の編成については、小官の方から説明させていただきます」

 言葉を引き継いだのは、ハルゼーの参謀長であるマイルズ・ブローニング大佐であった。

「今回の作戦では、四個任務部隊を編成、これら部隊によって作戦を実施するものといたします」

 そうして彼が壁に貼りだした編成表に、会議室内にざわめきが広がった。
 編成表には、次の艦隊編成および任務部隊指揮官の名が連なっていたのだ。

第一次撤収隊
  第七十七任務部隊  司令官:ウィリアム・F・ハルゼー中将
【戦艦】〈コロラド〉〈メリーランド〉〈ニューメキシコ〉〈ミシシッピー〉
【重巡】〈ルイヴィル〉
【軽巡】〈ボイシ〉
【駆逐艦】〈オバノン〉〈フレッチャー〉〈ラドフォード〉〈ジェンキンス〉〈シャヴァリア〉〈ストロング〉〈テイラー〉〈ドレイトン〉

第二次撤収隊
  第三十六任務部隊  司令官:ウォルデン・L・エインズワース少将
【重巡】〈インディアナポリス〉
【軽巡】〈ホノルル〉〈リアンダー〉
【駆逐艦】〈ダンラップ〉〈クレイヴン〉〈ウッドワース〉〈ラング〉〈ステレット〉〈スタック〉

第三次撤収隊
  第六十八任務部隊  司令官:アーロン・S・メリル少将
【軽巡】〈クリーブランド〉〈コロンビア〉〈モントピリア〉〈ヘレナ〉
【駆逐艦】〈ド・ヘイヴン〉〈ニコラス〉〈ラ・ヴァレット〉〈ウォーラー〉〈コンウェイ〉〈コニー〉〈ラルフ・タルボット〉〈ブキャナン〉

航空支援隊
 第五十一任務部隊  司令官:トーマス・キンケード少将
【護衛空母】〈ナッソー〉〈シェナンゴ〉
【軽巡】〈ナッシュビル〉〈フェニックス〉
【駆逐艦】〈ラムソン〉〈モーリー〉〈モナハン〉〈デイル〉

「第一次撤収作戦では、戦艦部隊によるジャップの飛行場砲撃を行い、以後の撤収作戦を有利ならしめるとともに、ジャップに我が軍の大規模攻勢が近付いていると誤認させるごとく行動する」

「ハルゼー提督!」

 ざわめきを無視する形で説明を続けたハルゼーに対して、キンケード少将が声を上げる。

「何故、提督自ら艦隊の指揮を執られるのですか?」

 本来、旧式戦艦部隊の指揮官はキンケード少将であった。だからこそ、何故ハルゼー自身が任務部隊指揮官に名を連ねているのかと問うているのだ。

「第一次撤収部隊が、最も危険な任務に就くからだ」

 他の意見をはね除けるような、険しい口調で答えるハルゼー。ある意味で、この猛将らしい理由でもあった。

「ジャップの制空権下にあるソロモン諸島への突入に際し、最大の戦力を持つ第七十七任務部隊は、連中の激しい迎撃に晒されるだろう。故にこそ、私が直接指揮すべきであると考えた。以上だ」

「提督の身に万が一があれば、それこそ南太平洋戦線のみならず、今後の対日侵攻作戦にも深刻な影響がありましょう。どうか、ご再考を!」

「ならん!」

 ハルゼーは厳しい声でキンケードの言葉を一蹴した。そして、決意を湛えた目で一同を見回す。

「諸君が私を指揮官として高く評価してくれていることをありがたく思う。だが、私は方面軍指令官となってから一度も前線に出たことがない。我が合衆国の勇敢なる青年たちが卑劣なジャップによって殺されているにも関わらず、だ!」

「……」

「……」

「……」

 その剣幕に、三人の任務部隊指揮官は何も言い返すことが出来なくなってしまった。

「……では、具体的な作戦計画についてご説明いたします」

 一定の区切りがついたのを見計らって、ブローニング参謀長が口を開いた。

「今回の作戦では、これら任務部隊の他に、ハワイから戦艦テネシー、アイダホを基幹とする艦隊を出撃させ、ジャップの艦隊に対して北方方面から牽制をかけます。なお、二戦艦は改装後の訓練途上であり、練度不足からガ島突入に加わることはありません。また、本国東海岸で再編途上にある空母機動部隊に代わり、キンケード少将の護衛空母部隊が上空援護を担当します。第五十一任務部隊は、エスピリットゥサントの戦闘機隊のエアカヴァーが及ばぬ空域を担当していただくため、ガダルカナル-エスピリットゥサントの中間地点まで進出、常時撤収部隊の上空援護を行います」

「ブローニング参謀、発言をよろしいか?」

 実際に護衛空母部隊を指揮するキンケード少将が尋ねた。

「どうぞ」

「ガダルカナル沖海戦において、空母レンジャーはガ島に接近し過ぎた故に日本軍の索敵網に捉えられ、撃沈された。その戦訓を鑑みれば、レンジャーより航空機搭載能力の劣る護衛空母では自部隊および撤収部隊の二個艦隊の上空援護を同時こなすのは不可能だと思われるが、如何か?」

 ガダルカナル-エスピリットゥサントの中間海域に進出するということは、当然ながら日本の一式陸攻の航続圏内に侵入することになる。キンケードは、自身の任務部隊がまた再び日本軍航空隊の犠牲になるのではないかと懸念しているのだ。
 そもそも、護衛空母に搭載されている戦闘機はF4Fが各十八機であり、その他はSBDドーントレス艦上爆撃機八機、TBFアヴェンジャー艦上攻撃機七機しか搭載されていない。自らの身を守り、さらに友軍艦隊を支援するとなれば、かなりの負担が生じる。

「第五十一任務部隊の上空援護に関しては、エスピリットゥサントの航空隊が行うこととなっています。そのため、キンケード少将には撤収部隊の援護に集中していただきたく存じます」

「なるほど、承った」

 それでも、不安は残る。合計三十六機の戦闘機で、ソロモン戦線に集結した日本の基地航空隊を相手にしなければならないのだ。
 こちらの戦闘機隊がガ島を航続圏内に収められるということは、日本側の戦闘機隊も第五十一任務部隊を航続圏内に収められるということである。日本軍の攻撃隊は、戦闘機の護衛付きとなるだろう。
 かつて、一九四二年二月、空母レキシントンがラバウルを空襲しようとした際、日本軍は護衛戦闘機なしで陸攻隊を出撃させ、レキシントンの戦闘機隊の餌食となったという戦闘がある(ニューギニア沖海戦)。しかし、今回はそうはならない。
 恐らく、今回の撤収作戦はこれまでの海戦以上に厳しいものとなるだろう。
 クリーンスレート作戦。
 つまりは、“白紙作戦”。
 誰の命名かは知らないが、皮肉にしては出来すぎている。
 状況を“白紙”に戻したいという、統合作戦本部の意図か。あるいは、太平洋艦隊司令部か。
 いずれにせよ、その“白紙”には合衆国将兵たちの血が染み込むことになるだろう。
 キンケードは作戦の前途に幾多もの困難が待ち受けていることを覚悟せざるを得なかった。

「また、低速輸送船では敵空襲圏内からの離脱に時間がかかるため、ガ島海兵隊の収容は駆逐艦および高速輸送艦が行うものとします」

 ブローニング参謀長が説明を続ける。
 アメリカ海軍にとって、高速輸送艦とは旧式駆逐艦改造の輸送艦のことを指す。これまでにも、補給の途絶したガダルカナルへの輸送作戦に、駆逐艦とともに投入されてきた。駆逐艦改造のため、通常の輸送船よりも高速で、艦前部には三インチ砲が取り付けられている。とはいえ、日本の水雷戦隊に対抗出来る艦種ではないため、同様の輸送任務についた駆逐艦よりも高い損耗率を出しており、昨年九月には隠密輸送中の高速輸送艦二隻が日本の駆逐隊と遭遇、全滅する被害を出している。
 そのため、ガダルカナル沖海戦に敗北した十一月以降、敵制海権の確立されたガ島への輸送作戦にはほとんど用いられていなかった。

「高速輸送艦に上陸用舟艇を搭載するのは当然としまして、さらに一部駆逐艦にも折りたたみ式浮舟を搭載、以って撤収作業を迅速ならしめるようにいたします」

「もし撤収作業中にジャップの艦隊が現われた場合、その対応はどうするのだろうか?」

「巡洋艦以上の艦艇および、駆逐艦についても予め輸送担当と迎撃担当を決めておき、それらによって撤収作業を援護することとします」

「そのための、戦艦部隊でもある」

 自身の参謀長の発言に、ハルゼーが付け加えた。

「戦艦部隊を出撃させるのは、ジャップの飛行場を破壊するとともに、奴らの艦隊がガ島方面に出撃してきた場合これを撃滅、以後の部隊の撤収作業を円滑ならしめる目的もある」

 果たして戦艦部隊がジャップの空襲を無傷で切り抜けてガ島に到達出来るのかという問題は、誰も口にしなかった。
 すでに、この作戦が相当に投機的なものであることを誰もが自覚していたからだ。
 一九四二年四月に行われた日本への空襲作戦、いわゆるドーリットル空襲も相当に賭博の要素が強い作戦であったが、今回はそれと同等かそれ以上であろう。
 とはいえ、航空兵力を抜きにすれば、ソロモン諸島に展開する日米の艦隊兵力はなおもアメリカ側が優勢であり、まったく成算のない作戦であるともいえなかった。そもそも、ガダルカナル沖海戦に代表されるようなこれまでの水上艦隊によるガ島突入作戦も、相当の危険があることを承知した上で実行されたのだ。
 今更、彼ら任務部隊指揮官にとっては恐れることでもなかった。
 ハルゼーやブローニングが作戦内容の伝達を終える頃には、すでに彼らのガ島突入への決意は固まっていた。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 一九四三年二月になると、それまで一度しか通商破壊作戦のために出撃していなかった日本海軍第八艦隊の通信量が増大し始めた。
 これは、通信を傍受しているアメリカ側にとって、日本海軍の大規模な艦隊行動の前兆を意味している。
 実際、ニューギニアからソロモン各地に輸送船団護衛のために散らばっていた第八艦隊は、ヌーメアに米艦隊が集結しているという情報を得て以来、麾下艦艇にショートランドへの集結を命じていた。
 一九四三年二月現在、第八艦隊に所属する艦艇は次の通りとなっていた。

  第八艦隊  司令長官:三川軍一中将
司令部直率【重巡】〈鳥海〉
第五戦隊【重巡】〈妙高〉〈羽黒〉
第六戦隊【重巡】〈衣笠〉
第十八戦隊【軽巡】〈龍田〉
第三十駆逐隊【駆逐艦】〈睦月〉〈弥生〉〈望月〉
付属【戦艦】〈霧島〉

 第六戦隊には他に重巡青葉が配属されているのだが、第三次ソロモン海戦で大破したため、現在は内地でドック入りを余儀なくされている。
 また、南太平洋の広大な戦域を担当するため、第一、第二艦隊からそれぞれ一個水雷戦隊が派遣され、第八艦隊の指揮下に入っていた。

第三水雷戦隊【軽巡】〈川内〉
 第十一駆逐隊【駆逐艦】〈吹雪〉〈白雪〉〈初雪〉〈叢雲〉
 第十九駆逐隊【駆逐艦】〈磯波〉〈浦波〉〈敷波〉
 第二十駆逐隊【駆逐艦】〈天霧〉〈朝霧〉〈夕霧〉〈白雲〉

第四水雷戦隊【軽巡】〈球磨〉
 第二駆逐隊【駆逐艦】〈村雨〉〈夕立〉〈五月雨〉〈春雨〉
 第二十七駆逐隊【駆逐艦】〈白露〉〈時雨〉〈夕暮〉〈有明〉

 これらの兵力がショートランド泊地に集結し、米艦隊のガ島来襲に備えることとなったのである。
 ただし、旧式艦で構成された第十八戦隊と第三十駆逐隊は、連合艦隊司令部付属艦である水上機母艦日進と共に、ラバウルに留まることになっている。
 多目的に使用できる日進の存在は、ソロモン・ニューギニア戦線の日本軍にとって、戦艦霧島以上に戦略的価値の高い艦であり、絶対に失うことの出来ない艦であった(さらに日進は四三年の九月以降、空母への改装が予定されており、二重の意味で喪失出来ない艦であった)。
 一方で、通信を傍受して第八艦隊出撃の兆候を悟ったアメリカ軍であったが、問題は第八艦隊がどこへ出撃しようとしているのかであった。
 ガ島撤収作戦に際して、アメリカ海軍はハワイからも戦艦部隊を出撃させ、日本海軍を北方方面へ牽制することを意図していた。
 しかし現段階では、アメリカ軍は第八艦隊の目的を正確に把握していなかったのである。

   ◇◇◇

 一九四三年二月六日、現地時間一六〇〇時。
 ヌーメアの港は、南洋の鮮やかな夕焼けと対照的に物々しい雰囲気に包まれていた。港に集結したのは、まるで真珠湾が移動してきたのではないかと思えるほどの艨艟たちの群れ。
 アメリカ合衆国海軍が現状で投入出来る最上の水上砲戦部隊が、今まさに出撃せんとしている。

「ガ島撤収作戦、クリーンスレート作戦発動に当たり、合衆国海軍は諸君らの奮戦に期待するものである」

 艦隊内の放送に、ハルゼー中将の声が流れる。
 彼は今、旗艦と定めた戦艦コロラドの艦橋で、マイクを握っていた。

「そして、私からは諸君らに三つの命令を下したいと思う」

 そこで、ハルゼーは大きく息を吸った。
 司令官の命令を聞き逃すまいと、艦隊将兵たちの間に一瞬の沈黙が訪れる。
 そして、彼は命令を達した。

ジャップを殺せキル・ジャップ! ジャップを殺せキル・ジャップ! もっとジャップを殺せキル・モア・ジャップス! 以上である! 艦隊出撃! 錨を上げよ!」

 この瞬間、ガダルカナルを巡る最後の戦いが幕を開けた。





「発、伊六潜水艦。宛、第六艦隊司令部、第八艦隊司令部、第十一航空艦隊司令部。我、米艦隊ノ『ヌーメア』出撃ヲ確認。時刻、一六一五。艦種、戦艦四、巡洋艦四、駆逐艦十隻以上。輸送船ハ伴ハズ。針路一四〇度。艦隊速力十五ノット。以上」
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1929年に起こった世界恐慌。 日本はこの影響で不況に陥るが、大々的な植民地の開発や産業の重工業化によっていち早く不況から抜け出した。この功績を受け犬養毅首相は国民から熱烈に支持されていた。そして彼は社会改革と並行して秘密裏に軍備の拡張を開始していた。 激動の昭和時代。 皇国の行く末は旭日が輝く朝だろうか? それとも47の星が照らす夜だろうか? 趣味の範囲で書いているので違うところもあると思います。 こんなことがあったらいいな程度で見ていただくと幸いです

小沢機動部隊

ypaaaaaaa
歴史・時代
1941年4月10日に世界初の本格的な機動部隊である第1航空艦隊の司令長官が任命された。 名は小沢治三郎。 年功序列で任命予定だった南雲忠一中将は”自分には不適任”として望んで第2艦隊司令長官に就いた。 ただ時局は引き返すことが出来ないほど悪化しており、小沢は戦いに身を投じていくことになる。 毎度同じようにこんなことがあったらなという願望を書き綴ったものです。 楽しんで頂ければ幸いです!

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

超文明日本

点P
ファンタジー
2030年の日本は、憲法改正により国防軍を保有していた。海軍は艦名を漢字表記に変更し、正規空母、原子力潜水艦を保有した。空軍はステルス爆撃機を保有。さらにアメリカからの要求で核兵器も保有していた。世界で1、2を争うほどの軍事力を有する。 そんな日本はある日、列島全域が突如として謎の光に包まれる。光が消えると他国と連絡が取れなくなっていた。 異世界転移ネタなんて何番煎じかわかりませんがとりあえず書きます。この話はフィクションです。実在の人物、団体、地名等とは一切関係ありません。

戦艦タナガーin太平洋

みにみ
歴史・時代
コンベース港でメビウス1率いる ISAF部隊に撃破され沈んだタナガー だがクルーたちが目を覚ますと そこは1942年の柱島泊地!?!?

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