秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第十章 未完の新秩序編

193 植民地利権の経営問題

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 景紀が長尾家に対して会談を申し入れてから数日、彼の元に会談に応ずる旨の返書が届いた。
 すでに九月を迎えており、今年の常会開会まであと三ヶ月を切りつつあった。そこまでに六家の意見をまとめきれなければ、他の諸侯や衆民院、あるいは臣民たちに六家が分裂しているという印象を与えてしまう。
 それは六家が自らが支配勢力であることを示すためにも避けなければならなかった。

「氷州への食糧の安定的な供給のために、満洲の利権を獲得することは長尾家にとって死活的に重要な問題なのだ」

 九月初旬のある日、冬花を伴った景紀を迎えたのは憲隆公嫡男・憲実とその妹・多喜子であった。
 憲実正室・勤子は景紀と宵を嫌っているらしく、会談の場には来ないそうである。
 憲隆公自身も、ひとまず六家次期当主同士の会談という形にしておきたいようであった。当主である自分自身が出ていけば、いらぬ言質を景紀に与えかねないと警戒しているのだろう。
 一昨年の六家会議をまとめた景紀の手腕が、逆にそうした警戒感を抱かせてしまっているのかもしれない。

「しかし、御家にとって死活的に重要なのは北満洲に建設する予定の満洲横断鉄道だと思いますが? 満洲三大穀倉地帯と言われる拝泉、大賚だいらい、五常はすべて御家が利権を獲得することが確定している松花江以北にあります」

「それはそうだが……」

 痛いところを突かれたのか、憲実は言葉に詰まった。隣の多喜子は我関せずとばかりに茶菓子に興じている。

「それに、満洲縦断鉄道の利権を御家が単独で確保したとしても、上手く活用出来るとは考えられません」

「どういうことだ?」

 まさか気付いていないのか、と景紀は内心で怪訝に思った。

「縦断鉄道は当然、有馬家が利権を獲得する遼東半島・大連の港と接続することになるでしょう。もし御家が縦断鉄道の利権を独占出来たとしても、有馬家に対して大連の港湾使用料を払うことになり、経営的には厳しいものになると考えられます」

 宵の言葉ではないが、結局、南泰平洋に進出を強行した自分たち結城家も、満洲利権の独占を目指したい長尾家も、経済的な利益よりも土地や利権を獲得したいという思いが先行しすぎているのだろう。
 得ることになる土地や利権をどう経営し、どう利益を上げていくのか、という視点が欠け落ちたまま、話が進んでいるように景紀は思えた。

「氷州鉄道を経営しておられる長尾家ならば、鉄道と港湾を繋げることが経営にとってどれほど重要であるかをご理解しておられると思うのですが?」

 特に氷州鉄道は植民地の人口希薄地帯を通る鉄道ということもあり、旅客輸送よりも貨物輸送による利益が大半を占めている。そして、貨物輸送で効率的に利益を上げるためには、海外への輸出入が容易な港湾と接続することが重要となってくるのだ。
 実際、氷州鉄道は沿線の炭田から採掘される石炭、金鉱山から掘り出した金鉱石、森林から取られた木材などを貨物として輸送しつつ、龍泉府を始めとする沿海州の港湾に接続している。そこから船に積み替えて、内地の港などへと貨物を輸送しているのだ。

「しかし、長尾家の悲願が……」

 結局は面子の問題か。景紀は内心で嘆息した。

「ではこうしては如何ですか?」

 景紀は机の上に広げられた満洲の地図に、万年筆を取り出して線を引いた。

「満洲縦断鉄道の内、長春の南北で経営主体を分けるのです。長春以北の路線の経営は、満洲横断鉄道と一体化して御家が単独で行われるとよろしい。しかし、それ以南は頼朋翁の提案した六家共同資本による国策会社の経営に委ねるのです」

 長春以北の満洲縦断鉄道の利権を長尾家が手に入れれば、彼らが河川航行権を得ることになっている松花江周辺に他の六家勢力が進出してくるのを阻止することが出来る。
 長尾家としても自身の権益を他の六家に脅かされる心配がないため、大連―哈爾浜間の満洲縦断鉄道の路線すべてを六家共同資本で経営するという構想よりも受け入れやすい提案であるはずだった。
 ただし、そうなると長春以南の満洲縦断鉄道が、かなり使い勝手の悪い鉄道になってしまうという欠点が生じる。長尾家側の路線に乗り入れる際には使用料を払わねばならず、結局は鞍山の鉄鉱石、撫順の石炭を大連に運ぶだけの路線になりかねない。
 ある意味で、満洲の鉄道経営を一本化するという点では、すべての鉄道利権を一家が独占するという長尾家の主張は経営的な部分では理に適っている面もあったのだ。
 もっと言えば、今後の対ルーシー政策や六家全体の利益のことも考えれば、満洲における鉄道の経営主体は一つの国策会社の下で一本化すべきであった。有馬頼朋翁の提唱していた六家共同資本による鉄道会社設立が、皇国という単位で見れば最も合理的な選択肢であるはずであった。しかしながら、それが政治的に受け入れられるとは限らないのが難しいところである。
 景紀の中で、長春以南に限られた満洲縦断鉄道にどれほどの価値があるのか、なかなか判断しにくい部分があった。
 満洲は華北の食糧供給地でもあり、斉が外国貿易に積極的になってくれれば、例えば陽鮮などへも食糧を輸出するための交易路として鉄道が使えるなど、もう少し満洲縦断鉄道の利用価値は増えるのだろうが。
 しかしともかくも、何かしらの妥協に辿り着くことが国内の政治情勢から考えれば優先されるべきであった。

「……父上と、少し相談してみよう」

 景紀が線を引いた地図を丸めながら、憲実は言った。彼にとっても、景紀の提案はある程度、妥協出来そうな案ではあったのだろう。

「ええ、よろしくお願いいたします」

 これで満洲利権を巡る対立を妥協に持ち込めれば良いのだが、と伊丹・一色両公側への説得の必要性も考えて景紀は内心で嘆息するのだった。

  ◇◇◇

「流石景紀、見事なものですね」

 憲実との会談終了後、多喜子の誘いで景紀、冬花の三人で屋敷の庭園を散策することになった。

「伊丹公も一色公も、満洲利権で狙っているのは鉄道利権ではなく鉱山利権。それと長尾家の狙っている利権を重複させないようにする妙手です」

 長尾の姫はそう言って景紀を賞賛する。とはいえ、その言葉にはどこかわざとらしい響きが混じっていた。

「だが、お前のところは大連起点の満洲縦断鉄道に並行する錦州起点の独自路線の構想もあるんだろ? そう簡単に長尾公が納得するのか?」

 六家の共同資本による満洲縦断鉄道案に反発する長尾家が、それと並行する路線構想を抱いていることを景紀も知っている。
 自分の妥協案を長尾憲隆公が受け入れず、あくまでも満洲の鉄道網を長尾家が独占したいというのであれば、錦州起点の鉄道構想を長尾家が強行する可能性も残っていた。

「まあ、大連起点の縦断鉄道構想に比べれば恐ろしく不経済な路線になりそうですけどね」

 多喜子も、長尾家独自の鉄道構想の欠点は理解しているようだった。
 沿線に鞍山鉄山、撫順炭田を持ち、天然の良港たる大連に接続出来る縦断鉄道構想に比べれば、長尾家の縦断鉄道構想は非経済的であった。そもそも、大連起点の鉄道と完全な競合路線になってしまう。
 しかしそれでも、長尾家はそうした鉄道構想を立ち上げるにいたってしまった。

「要するに面子ですよ、面子」

 多喜子は実父や長兄に呆れているようであった。

「それで長尾家が孤立しかけているのですから、世話ないですけど」

 そこで多喜子はくるりと身を翻し、景紀の方を向いた。手を後ろに回して、少年の顔を下から覗き込むようにする。

「というわけで、そろそろ本気で手を組みませんか?」

「何が、“というわけ”なんだ?」

 鬱陶しそうな表情を隠そうともせず、景紀は問い返した。

「二年前、皇国ホテルで言いましたよね? 佐薙家が力を失った以上、我が長尾家とあなたの結城家が手を組めば皇国の東半分はこちらのもの。植民地利権も含めた経済力では、私たちが伊丹・一色両公を圧倒しています。そして、頼朋翁は倒れた。今こそ、政治的主導権を取りにいく時では?」

 誘惑するように蠱惑の笑みを浮かべながら、長尾の姫君は誘いかける。

「ねぇ景紀、私たち長尾家は六家会議で孤立しかけていますが、父上による家内の統制はあなたの結城家よりはよほどしっかりしているんですよ。そして、長尾家と結城家は宵姫を通して姻戚関係にあります。手を組む理由としては十分でしょう。あなたが景忠公を隠居に追いやって結城家の全権を掌握することは、やろうと思えば出来るはずです」

「この状況で俺に御家騒動を起こせ、って言うのか?」

「むしろ何故起こさないのか、私には不思議ですが?」

 本気で理解出来ないように、多喜子は言う。

「先ほども言いましたが、父上の当主としての家内・領内に対する政治的指導力・求心力はしっかりしています。それは伊丹・一色両公も同じ。しかし、景紀のところは違う。そして頼朋翁が倒れた今、有馬貞朋公では六家をまとめ切れないでしょう。斯波兼経公はそもそも政治的主導権を握ることに興味がないようですし」

「要するに、六家当主たちの力関係で言うと、伊丹・一色両公の側が優勢になりつつあるから、ここで何とか盛り返したい、だから俺を巻き込みたい、そういうことだろ?」

「ええ、判っているじゃないですか」

 にこりと手を合せて、多喜子は言う。

「ですからもう一度お誘いします。私と一緒に天下を取る気はありませんか?」

 その言葉に、景紀は呆れたような溜息を漏らした。

「……何でお前はそう野心を剥き出しにするんだかな」

「これが性分ですので」

「いいからすっこんでろ。ただの長尾の姫でしかないお前にゃ、天下取りは無理だ。下手なことやって、尼寺に入れられても知らんぞ」

「ふふっ、やっぱりつれないですねぇ」

 少しだけ、多喜子は寂しそうな表情を見せた。

「……まあ確かに、景紀の言う通り行遅れかけている六家の姫君、って立場だけだとどうにも弱いですよね。ではひとまず、景紀の手腕を眺めていることにします」

 妙に自虐的な言い方をして、多喜子は引き下がった。

「とりあえず、応援していますよ」

「まあ、有り難く受け取っておくことにするか。俺としても、次期当主としての実績を残さないと拙い立場にあるからな」

 景紀は軽口を叩くような調子で、一応は幼馴染ということになっている少女に皮肉そうに笑いかけるのだった。
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