秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第十章 未完の新秩序編

192 攘夷派政権擁立論

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 有馬頼朋翁が倒れたという情報に接した一部の者たちは、むしろ快哉を叫んでいた。
 皇都の歩兵第一連隊連隊長・渋川清綱大佐もまたその一人であった。この伊丹正信公女婿は、頼朋翁が暑気あたりで倒れたことを、天罰だと言って憚らなかった。

「これまで散々国政を壟断してきた奸賊に、神罰が下ったのだ」

 攘夷とという志を同じくする将校たちとの宴席で、彼は上機嫌にそう言った。

「……」

 伊丹正信の孫・直信は、祖父と同じく攘夷思想を抱いていると思われているのか、こうした宴席に頻繁に呼び出されていた。
 まだ十六歳の彼は飲酒が認められる年齢ではないため、代わりにラムネを飲んでいる。
 皇国では飲酒が許可されるのは、二十歳以上。
 酒精アルコールが若い人体に悪影響を与えるというのは、呪術師、特に不老不死の秘薬を求める錬丹術師たちによって解明されたことだった。他にも錬丹術師たちによって白粉おしろいとして使われる鉛白の危険性などが指摘され、皇国では使用禁止となっている。
 とはいえ、皇国臣民の健康を考えての規制であるとはいえ、こうした場で酔えないのはかえって酷なことではないかと直信は思う。
 素面しらふで聞くには、渋川大佐らの発言は醜いものがあった。
 たとえば、自分の祖父・正信と兵学寮の先輩・結城景紀は政治的に対立しているが、仮に祖父が倒れて景紀が喜んでいれば自分は不快に思うだろう。
 頼朋翁には嫡男・貞朋を始めとする子がおり、さらにはまだ兵学寮には入っていないものの幼い孫もいる。そうした人間たちのことを考えれば、頼朋翁が倒れたことを酒を呑んで喜ぶなどいささか不謹慎であるように直信には思えるのだ。
 しかし、それを咎めるほどの勇気はない。渋川大佐は自分にとって義理の叔父に当たるし、将来的には伊丹家を継ぐ立場になる身とはいえ、未だ自分は十六の若造に過ぎない。
 年長の者たちに意見するのを、どうしても臆してしまう。

「有馬の老人が消えた今、伊丹公閣下こそが六家を牽引すべきお方である」

 酒が回って饒舌になった渋川大佐が、滔々と語り続ける。

「我ら攘夷の志を同じくする者たちによって、閣下を名実ともに我が皇国の指導者として押し上げていこうではないか」

 歩兵第一連隊の連隊長の言葉に、「そうだ」「そうだ」と攘夷派将校たちが賛同の声を上げる。彼らもだいぶ酒が回っているようであった。

「今こそ奸賊どもを朝議の場より一掃し、挙国一致、東亜の盟主たるに相応しい皇国へと国家を改造せねばならん」

 渋川大佐を中心に、伊丹正信を首班とする攘夷派政権擁立論やら東亜新秩序建設論やらルーシー帝国膺懲論やらが、宴席に出席している将校たちの口から次々と飛び出してくる。
 それらの会話は体系立ったものではなく、単に自分たちの主義主張を酒の勢いのまま述べているような雰囲気があった。

「……」

 ラムネ瓶にちびちびと口を付けながら、直信は部屋の中の将校たちを見回す。
 彼らが擁立すべきとする伊丹正信の孫が目の前にいるにもかかわらず、どこか直信の存在は置き去りにされているようであった。
 少し前に会った祖父は、自分の知らないところで行動を起こす急進攘夷派の存在に露骨な不快感を示していた。
 今、自分の目の前にいる渋川大佐らも、そうした存在なのではないだろうか?
 そんな疑問が、直信の中に浮かんでくる。
 少なくとも、祖父は女婿である渋川大佐への統制はもう少し強めるべきではないかと直信は感じた。六家現当主の女婿という立場、そして皇都の歩兵第一連隊の連隊長に任じられたが故に、渋川大佐も気が大きくなっているのかもしれない。
 何となく、歩兵第一連隊全体に不穏なものを直信は覚えていた。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

「歩一におる儂の孫・直信がな、攘夷派将校の言動は少し行き過ぎではないかと懸念しておるようだ」

 自らの皇都屋敷に一色公直を招いて茶を点てながら、伊丹正信は言った。

「軍の将校にまで、公の存在を軽んじて独自の行動に走ろうと言う者がいるのですか?」

 一色公直は、いささか険しい声で尋ねた。六家の影響力は、特に陸軍において強い。六家が実質的な軍閥勢力である以上、それは当然のことであった。
 しかし、その陸軍内部に六家の統制から離れて独自の主義主張を唱える者が出ているのならば、それは六家にとって警戒すべきことであった。それが皇都に衛戍地を持つ歩兵第一連隊であるならば、なおさらである。

「いや、正確に言えば儂を擁立して挙国一致の攘夷派政権を成立させることを主張しておるらしい」

「つまり、歩一の将校たちが正信公御自ら宰相となるよう、陛下からの大命を下して頂くことを目指しているということでしょうか?」

「そのようであるな」

「それはいささか危険な兆候です」

 一色公直はきっぱりと言い切った。

「政治的主導権は、あくまでも我ら六家の側にあるべきです。これまでの歴史上、家臣たちによって主君が擁立されるというような事例はたびたび存在していますが、ほとんどが家臣たちによって傀儡とされています。攘夷派将校たちの言動も、そうした危うさを感じます。同じ攘夷の志を抱く者たちとはいえ、その様な輩は我々にとっても好ましいものではありません」

「判っておる、判っておる」

 伊丹正信は、若き公爵の口調に苦々しい表情を返した。軍閥勢力である六家にとって、陸軍とは己の権力基盤の一つであった。その基盤が、独自の動きを見せようとしているのである。
 不都合になったからと切り捨てるわけにもいかず、かといって放置することも出来ない。

「ひとまず、清綱の奴めに対しては儂の方から釘を刺しておくことにしよう。その上で、軍内部のそうした政治的動向を儂らの方で制御するのだ」

「攘夷派浪士が凶行を起こす程度ならば、まだ対応のしようがあります。しかし、軍監本部長暗殺未遂事件のように軍内部の人間が暴発、それも連隊規模での暴発となれば、かえって結城家、特にあの小倅に妙な口実を与えかねません」

「卿は以前より、有馬の老人、結城の小倅、そして穂積通敏公と不仲な息子・貴通が手を組んで、皇都を軍事的に占拠する危険性を指摘しておったな?」

「はい」

 一色公直は険しい顔で頷いた。
 歴史上、「君側の奸を討つ」という大義名分を掲げて蹶起した者たちは多い。もし歩兵第一連隊がそのような形で蹶起すれば、皇都に近い結城家領軍が逆に「陛下の御宸襟を悩ます反乱軍を討つ」という論理を使って皇都に進撃してくる可能性も考えられた。
 だからこそ、攘夷派将校の多い歩兵第一連隊が軽率な行動をとることがないよう、伊丹正信女婿である渋川清綱大佐を通じて統制を強めておくことは必要であった。
 また、一色公直が懸念しているのはそれだけではない。

「有馬の老人は消えましたが、結城景紀と穂積貴通の関係は依然として親密なようで、さらには結城の小倅が連れているあの呪術師の小娘の弟が先日、宮内省御霊部長の娘と祝言を挙げました」

「あの小僧が宮中への影響力を着々と伸しつつあるということか。確かに、宵姫が徴傭船舶の問題で宮中勢力を頼った事例もある。宮中を動かし我らを陥れる危険性は、確かに高かろう」

「少なくとも、結城景紀さえ排除出来れば、穂積貴通も立場を失うでしょう。彼が今の地位にあるのは、あの結城の小倅がそこまで引っ張り上げたからです」

「そうなると、ここからは宮中への影響力をより拡大出来た方が政治的主導権を握ることが出来る、というわけか」

「そう考えてよろしいかと」

「問題は、どこまで五摂家との繋がりを深めるか、だな」

 腕を組んで、伊丹正信は唸った。
 自分たちの影響下から脱しつつある急進攘夷派を統制するためには、皇主の力が必要である。攘夷派の中には尊皇思想を抱いている者も多く、皇主という存在の持つ影響力は無視出来るものではないからだ。
 また、皇主に攘夷の詔勅を発させることに成功すれば、攘夷を唱えている自分たちが六家会議や列侯会議における政治的主導権を握ることが可能である。
 有馬頼朋が政治の表舞台から消えた後、その政治的主張において対立しているのは結城景紀のみである。皇主という後ろ盾を得て彼を廃嫡ないし物理的な排除に追い込み、結城景秀を結城家当主に就けることが出来れば、結城家は完全に自分たちの影響下に収めることが出来る。
 長尾家については戦後の利権を巡る問題で対立しているが、政治的な主義主張という意味ではそこまでではない。
 単純に長尾家は、自家の利益のみを追求する封建的な将家であるだけであった。かの家は自らが利権を持つ氷州植民地に他の六家の影響が及ぶことについて拒絶反応を示しているが、それも皇主からの詔勅があれば長尾家も諦めざるを得ないだろう。
 そのためにも、宮中への影響力の強い五摂家と手を結ぶことは、今の伊丹正信にとっては必要なことであった。
 しかし一方で、五摂家が政治的な復権を目論んでいることを、彼自身も薄々感づいている。
 今さら公家どもが政治の表舞台に出てきたところで何も出来やしないと侮る感情の方が強かったが、それでも宮中への影響力を考える無視出来ぬ相手であった。
 これまで政治的主体性を持たず不偏不党を謳ってあらゆる政治的な主義主張から距離を取っていた五摂家が、政治的主張を持ち始めると途端に厄介な存在となる。
 だからこそ、どこまで彼らとの政治的な繋がりを深めるのか、伊丹正信としても慎重に見極めねばならないことであった。

「ときに正信公」

「何か?」

「攘夷派将校の独走を許すわけにはいきませんが、公が現在の皇国において主導権を握るという方向性については、私は間違っていないと考えています」

 一色公直は、強い視線で今や六家最大の実力者となった公爵を見つめる。

「儂に、宰相になれということか?」

「それが、我ら攘夷派が挙国一致の政権を打ち立てる第一歩となりましょう。しかし、問題もあります」

「うむ。結局のところ、現状では六家の側の方が宰相よりも強い権力を持っておるからな」

 伊丹正信も、一色公直の言いたいことは理解していた。
 行政府の長たる宰相(内閣総理大臣)であるが、誰を首相として皇主に推奏するかは六家を中心とした一部の者たちの役割であった。
 つまり、六家が実質的な首相の任免権を持っているといえた。
 六家内部で拒否権を発動する者が出てくれば、伊丹正信が宰相の座を得ることは出来ない。そうした不安定な地位で、挙国一致の攘夷派政権を成立させられるのかは、甚だ疑問であった。
 そのため、正信自身も現状では宰相の座にあまり魅力を感じていない。

「やはり、まずは六家会議での主導権を得、その上で宮中との繋がりを深めて攘夷に異を唱える諸侯を排除する。そうした上で初めて、宰相とならなければ意味がなかろう」

「はい」

 一色公直は頷いたが、彼はさらにその先についても考えていた。
 伊丹正信公が宰相となり、皇主の詔勅の下に国内の改革を行って他の六家も含めた諸侯の権力を削いでいくことで、攘夷派政権を安定化させることは出来る。
 しかしそれでも、宰相は諸侯の当主などと違い、任期が定められ、そして議会の情勢次第では辞任に追い込まれてしまう不安定な存在である。一方、諸侯の当主であれば、基本的には終身制(もちろん、途中で隠居する者もいるが)である。
 やはり、現行の内閣制では攘夷を実現するのには限界がある。
 内閣の権力も六家の権力をも上回る、幕府的存在が必要であった。
 しかし、征夷大将軍の地位が諸侯の当主のように世襲制であっても困ると一色公直は考えている。
 伊丹正信公の嫡男で次期当主・寛信卿は攘夷派とは言い難い。それどころか、六家次期当主としてもどこまで自覚的であるのか疑わしい。
 そうした人間に世襲的に政権が引き継がれるような事態は、何としても避けなければならない。
 前任者が後任者を指名できるような制度にしなければ、攘夷派の長期政権を築き上げることは出来ないだろう。
 とはいえ、前任者が我が子可愛さに自身の嫡男を後継者に指定してしまう場合もあるだろうから、これもまた問題が多い。
 これまでの皇国の歴史上に存在した幕府とは、違った形の幕府が必要となるだろう。
 そうした、近代国家に適した形の新しい幕府的政権の構想は、まだまだ検討の余地が残っていると一色公直は感じていた。
 諸侯による支配体制を維持しつつ挙国一致の体制を築き上げるには、いま少しの時間が必要なようであった。
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