秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第十章 未完の新秩序編

186 宗家次期当主と分家次期当主

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 父・景忠からの命によって彩城国の統治および査閲官として領軍の再編に当たることになった景紀は、帰国翌日の八月三日を父やその側近、重臣たちとの協議に費やした。領国統治および領軍再編の方針について、確認するためである。
 とはいえ、すでに景紀は父・景忠が病に臥せって療養していた間、領国全体の統治と国政への参画を行っている。さらに今次対斉戦役にて相応の戦功を挙げてもいた。
 少なくとも主要な家臣団の中にこの次期当主たる少年の能力を疑問視する者はなく、息子に直轄領の統治および領軍の再編を任せるという当主・景忠の決定は反発なく受け入れられた。
 そのため、景紀やその補佐官たる冬花への彩州行政の引継業務は円滑に行われることとなった。領軍の再編業務に関してもこれまで貴通が携わっていたので、景紀は特に問題なく現在までの再編状況を知ることが出来た。
 どちらかといえば、景紀たちが新南嶺島に赴いて内地を不在にしていた期間の国内・国外情勢の推移について詳細な報告を益永忠胤らから受けることに時間を費やしていたといえる。
 もちろん貴通からも内地不在中の報告を受けていたが、彼女はあくまでも五摂家の人間であって結城家家臣団ではない。どうしても、貴通の関わっていない領政面での細かな内部事情については重臣たちからの報告に頼らざるを得ない部分があった。
 そうして父や家臣との協議や業務の引き継ぎ、報告などに二日間を費やし、八月五日には結城家の本拠地である河越に向かうことが決まった。

  ◇◇◇

「戦地から帰ってくれば新南嶺島に行かされ、新南嶺島から帰ってくれば河越に行かされる。何となく、中央の政局から景くんが遠ざけられているような気がしてなりません」

 四日の夜、景紀、宵、冬花、貴通の四人での食事の席で、貴通は少しだけ不服そうにそう言った。彼女としては早速、景紀と共にこの混沌とした戦後の政治情勢に関わっていくのだと思っていた矢先に、景忠公の決定があったのである。
 明日には皇都を離れなければならないことから、思わず不満が口を突いて出たのだろう。

「まあそう言うな。先日までと違って、別に内地を離れるってわけじゃないんだからな」

 いざとなれば、すぐに皇都に駆け付ければいい。景紀はそう言って同期生を宥めた。少なくとも、新南嶺島に赴いていた時よりは、情勢の変化に対応しやすくはなっている。
 実際、景紀は父の決定を受け入れながらも、定期的な頻度で皇都に赴くつもりであった。父に対しても、そのように言ってある。

「で、彩州や領軍の件はそれでいいとして、俺にとって看過出来ないのは英市郎の件だ。父親が自分の娘の立場を悪くしてどうするんだ」

 それは景紀自身にも言えることであったが、結城家次期当主という地位よりもその補佐官という地位の方がよほど不安定なものであった。ただでさえ父の側用人・里見善光のように家臣団内部に冬花の存在を快く思わない者たちもいるというのに、父が娘の次期当主補佐官としての立場を疑問視しているとなれば、そこに付け込もうとする者たちも現れるだろう。
 幸い、貴通の対応が早かったために結城家内部で大きな問題となることはなかったが、次期当主である景紀と葛葉家現当主である英市郎との間で隔意が生じつつあるというのは、あまりよい傾向ではない。

「その件については、貴通様にご迷惑をおかけいたしました」

 冬花が、貴通に対して頭を下げる。

「いえ、冬花さんは景くんに必要な人ですから。それに、困ったときはお互い様ですよ」

 現在、貴通が身に付けているお守りに仕込まれた術式の調整を行っているのは冬花である。だから貴通にとっては、景紀を想う者同士としての葛藤はあるにせよ、冬花の立場を守ることに疑問を抱いていない。

「しかし、景紀様のお傍から冬花様を引き剝がすという点で見れば、他の術者の家系との婚姻というのは厄介な手です」

 宵がいつも通りの感情の乏しい口調で、そう言った。

「合理的に見れば結城家家臣に新たな術者の家系を取り込むことが出来るわけですから、そこを突かれるとこちらとしても反論がしにくくなります。補佐官、将来の側用人としてなら貴通様がいると言われてしまえば、なおさらです。家格という点から見ても、貴通様に比べるとどうしても冬花様は不利にならざるを得ませんから」

 景紀に重用されていながら冬花の地位が意外と脆いことを、宵は指摘する。
 自分が冬花の補佐官としての立場を脅かしかねないと言われた貴通は、何とも複雑な表情をしていた。とはいえ、彼女としても今さら身を引くという選択肢はない。

「冬花は俺のシキガミだ。今さら、手放すつもりはないぞ」

 宵を責めているわけではないが、流石に景紀の口調が険しくなる。あまりの正論は、かえって人を苛立たせることもあるのだ。
 もちろん、宵としても自身の発言が景紀にとって不快なものであることを理解している。理解した上で、あえて指摘したのだ。
 彼女にしても、別に冬花を景紀の側から引き離すつもりはない。むしろ二人の絆に後から来た自分が割り込んでしまったことに、罪悪感すら覚えている。
 だから、この北国の姫は言った。

「もういっそ、景紀様が冬花様を抱いてしまえばよろしいのでは?」

 瞬間、夏にもかかわらず室内の空気が凍った。だが、宵の口調はいたって生真面目なものであった。淡々とした口調で、なおも続ける。

「次期当主のお手付きとなってしまえば、景紀様と冬花様を引き剝がそうと画策することも難しくなると思いますが?」

「……お前って、合理主義的過ぎて時々ぶっ飛んだことを言うことがあるよな」

 若干引き攣った笑いを浮かべ、景紀は冗談として受け流そうとした。

「そうでしょうか?」

 だが、一方の宵は純粋な疑問に首を傾けていた。そのまま、冬花の方に視線を向ける。

「冬花様としては、どう思われますか?」

「えっ、わ、私ですか!?」

 主君とは対照的に、シキガミの少女は顔を赤くして狼狽えていた。視線を彷徨わせ、困り果てて景紀を見る。互いに視線が合い、そして気まずそうに視線を逸らす。
 冬花は宵とも視線を合わせられなくなってしまったようで、代わりに景紀が宵に答えた。

「宵、今はまだ、お前自身の立場も考えなきゃならない。お前は俺の正室で、冬花は俺のシキガミ。この関係は堅持しておかないと、風間菖蒲みたいな連中を増やすことにもなりかねないからな」

 もし宵の言う通りにすれば、景紀が冬花の方を寵愛し、正室である宵を蔑ろにしているという認識が広まりかねないのだ。それに、そうした強引なやり方をすれば、英市郎の景紀への不信はさらに深まるだろう。

「僕は、冬花さんの気持ちが何となく判るつもりです」

 そして、三人の遣り取りを見ていた貴通が助け船を出すように言う。

「僕は景くんの軍師でありたい、冬花さんもきっと、景くんのシキガミでいたいのでしょう。恋慕の気持ちはあっても、それが男女の関係である必要はない。宵さんも、正室という立場ではありますが、心の奥底ではきっと同じだと思いますが?」

 確かに宵は景紀の正室であるが、婚儀の夜に彼を生涯かけて支えるのだと誓った。その意味では、彼女もまた正室というよりは景紀の政治的な同志であるといえた。
 そうした貴通の意見を認めつつ、宵は景紀に確認するように言った。

「しかし、景紀様は冬花様を手放すおつもりはないのでしょう?」

 その言葉に、景紀は渋い顔をする。
 主とシキガミという今の関係性を崩さなければ、冬花を自分の側に置き続けることが出来ないかもしれないことに彼自身も葛藤があった。幼い頃の約束を汚したくはないという想いと、冬花を完全に自分のものにしてしまいたいという独占欲。
 冬花が自分以外の誰かに仕えることも、もちろん誰かに嫁ぐことも、景紀は容認出来ない。しかし、それは今の主とシキガミの関係のままでは駄目なのかと思う。

「大切ならば、時には強引さも必要だと思いますよ」

 宵の言葉に、シキガミの主従は明確な答えを返すことが出来ないままであった。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 八月五日に結城家の本拠地である河越に入った景紀は、彩城国政庁の幹部との顔合わせを行った。といっても、政庁の幹部は結城家家臣団を中心に構成されており、また景紀が当主代理を務めていた時期もあったことから、お互いが初対面というわけでもなかった。少なくとも、まったく新任の者がやってきたかのような政務の停滞は起こらなかった。
 ただし、景紀は併せて父から領軍の再編に関わるよう言われている。そのため、河越を留守にすることもあり得たため、景紀不在中は宵が彩城国の統治を代行する権限を与えられていた。
 彼女については景紀のような大きな政治的実績は持っていなかったものの、戦時中にその政治的見識の高さを家臣団たちに示している。
 また、南進論者も多い結城家家臣団から、宵が一定程度の支持を得ていたことも大きい。
 八月七日、一通り業務の引き継ぎや政庁幹部たちへの指示を下し終わった景紀は、早速、冬花と貴通を連れて騎兵第一、第二旅団の衛戍地となっている志野原へと向かった。





「遼河では世話になったな、島田少将」

「こちらこそ、若の下で戦えたことは家臣として光栄でしたよ」

 旅団司令部で、景紀は騎兵第一旅団長・島田富造少将と再会していた。

「旅団の状況については穂積大佐から報告を受けている。まあ、いろいろ騎兵として複雑な感情がある奴がいるらしいな」

「まあ、そうですな」

 島田少将は主家次期当主に苦笑して見せた。
 穂積貴通と小山朝康の騎兵の運用を巡る諍いは、すでに景紀も貴通自身から話を聞いていた。

「実戦経験の有無の差というのもあるのでしょうが、我ら騎兵第一旅団と第二旅団の一部との間で意識の乖離が生まれつつあるのはあまり宜しくありませんな」

「同じ兵営で訓練しているのにそれか」

「それと、衛戍地周辺の飲み屋や娼館で喧嘩をおっぱじめる不届き者もいます。まあ、そいつらは片っ端から営倉送りにしていますが」

「頭が痛い問題だな」

 軽く景紀は溜息をついた。

「十月の人事異動で、騎兵第二旅団の一部将校を入れ替えるか?」

「まあ、それも手かもしれませんな。いろいろと部下への講話などを行って、戦場での騎兵の実際について語り聞かせていますが、“武士は馬に乗って戦うもの”という意識に頑固に捕らわれている人間もおりますから」

「その一人が小山少佐か?」

「そんなところですな」

「判った。この機会に少し話してみよう」





 景紀は騎兵第一旅団の司令部を出ると、第二旅団司令部へと向かった。
 司令部従兵に命じて、小山朝康の大隊長執務室に案内してもらう。

「……何しに来やがった」

 景紀が冬花と貴通を伴って姿を見せるなり、朝康は露骨に嫌そうな顔を見せた。

「いや、お前が将来的な騎兵の運用に関して、疑念を呈しているって言うからな」

「けっ! 騎兵無用論のご高説でも垂れようってか?」

 挑発的な視線で、朝康は景紀を睨み付けた。

「まあ実際のところ、結城家分家のお前が伝統的な騎兵の運用に固執されるといろいろと困るんだよ」

 特に小山子爵家は結城家の分家の中でも最も有力な家系である。その嫡男が騎兵の伝統を固守しようと領軍内部で運動すれば、それなりの影響力を持ってしまうのだ。
 一応、二人は兵学寮の先輩後輩の関係ではあったが、家格という点でも階級という点でも今この場では完全に逆転している。
 しかし、朝康には景紀を宗家の次期当主として敬うつもりはないようであった。
 もっとも、これは幼少期からそうなので、今さら景紀も気にしない。そういう態度を公の場でとり続けて、朝康が不利益をこうむるのならばそれは彼自身の責任だろうと思っている。
 積極的に陥れるようなことはしないが、勝手に躓いても助けようとは思わない。そういう相手だった。

「なあ、試しに馬に乗って鉄条網を一メートル間隔で三列に敷いたところを飛び越えて見せてくれないか? お前がそれを成功させたら、伝統的な騎兵の運用にもまだまだ道はあるだろうから」

「……景紀、お前、その言い方は卑怯だぞ」

 自身も武家の人間として幼少期から乗馬を習ってきた朝康は、景紀の言っていることがいかに困難であるかを理解していた。

「理解出来ているんだったら、意識を変えれば良いだろうに」

 呆れたように、景紀は分家の青年を見る。

「それに、戦国時代、鉄砲隊と馬防柵の前に騎馬隊を壊滅させられた武将がいることを知らんわけでもないだろう? そして、その武将の末路も」

「……」

「お前、騎兵第一、第二旅団をそういう形で消滅させたいわけか?」

「だったら!」

 朝康は、両手で机を叩いて立ち上がった。

「俺たちが馬に乗れるように、ガキの頃から頑張ってきたのは何だったんだ!? 暑い夏も寒い冬も、兵学寮で訓練してきたことは何だったんだ!? てめぇは、それを全部無駄だったと切り捨てるのかよ!?」

「それで損害が抑えられるなら、安いものだろう?」

 だが、景紀は朝康の感傷に付き合わなかった。

「命を無駄にするよりは、よっぽど良い。お前も、一個大隊を預かる立場なら判るだろう?」

「……」

「一兵卒なら、個人の勇気だけで突っ走ることは構わんさ。だが、将は違う」

「……てめぇはほんと、ガキの頃から気に喰わねぇ野郎だぜ」

 恨みがましい視線で、朝康は景紀を見た。

「別にお前に好かれたいとは思っていないからな」

「俺も別にてめぇと仲良くしようとは思ってねぇよ」分家の青年は、吐き捨てるように言った。「お前はガキの頃から自分の頭の良さをひけらかそうとする嫌な野郎だった。それは、今でも変わってねぇみてぇだな」

「……そうかもな」

 景紀は、苦笑と共に朝康の言葉を受け入れた。
 冬花がその容姿の所為で不吉の子と言われていた幼少期、景紀は彼女のためにも、そして彼女と共にあることを家臣団に認めさせるためにも、自分の能力を誇示する必要があった。
 決して、彼女が自分に悪い影響を与えていないと証明するために。
 兵学寮での首席も、そうした景紀の意地の現れだった。
 だが、それが朝康には嫌味に映ったのだろう。宗家の嫡男で、しかも自分より年下の男の子が賢しらに振る舞っているのを見るのは、さぞ劣等感を刺激されたに違いない。
 それが武士としての勇猛さの誇示という形で、朝康の性格を形成させてしまったのだろう。この分家の嫡男にとって、それが宗家の嫡男に対抗出来る唯一のものだったからだ。

「……どう思った?」

 唐突に、朝康は問うてきた。

「何がだ?」

「武士のくせに、銃弾の雨あられで斉の騎兵部隊を殲滅したときだ」

「馬鹿だと思った」

「は?」

「俺が、だよ」

 敵将を侮辱したのかと勘違いした朝康が怖い声を出したが、景紀が見せたのは自嘲めいた苦笑であった。

「俺は結局、理論を弄んで悦に入っていただけなんだな、と思った。俺が作り上げた理論の先にある光景を理解していなかった。だから動揺もしたし、戸惑いもした。本当に上手くやれたのかどうか不安でもあった」

 未だ二十歳にもならない将官にとって、大量の死がもたらされる戦場とはそういうものであった。

「へっ、そうかよ」

 それを聞いた朝康は、どこか親しみの籠った嘲りの声を上げた。

「兵学寮の首席サマでも、判らないことがあったってことだ」

「所詮、兵学寮っていう狭い集団の、その中の一学年での首席だ。俺にだって予測出来ないことはあるし、手の届かないことだって多い。そういう意味では、俺もお前もただの若輩者に過ぎないのさ」

「随分と殊勝な台詞じぇねぇか。まあ、それも嫌みったらしい感じがするがな」

 朝康の言葉に、景紀はまた苦笑を浮かべた。

「……てめぇの姫さんに言っておけ。あん時はちんちくりんなんて言って悪かった。こんな捻くれた野郎を支えられるだけあんたは立派な次期当主正室だ、ってな」

 それは、朝康なりの宗家次期当主夫妻への歩み寄りだったのかもしれない。素直になるには景紀への劣等感や武士としての自尊心が邪魔をしているようではあったが。

「良い嫁さんだろ? まあ、お前にゃやらんが」

 景紀はどこか勝ち誇るように言った。

「けっ! 俺には嘉弥がいるから十分だよ」

 そんな宗家次期当主に、むきになったように朝康が言い返す。

「じゃあ、それを本人の目の前で言ってやるんだな」

「……」

 そう言うと、途端に朝康は渋い顔になった。自らの婚約者に対しても、どこか素直になれない思いがあるようだ。
 少なくとも、小山朝康という青年には景紀に対する同じ男としての意地からくる対抗心があるだけで、結城家の当主の座を狙うような野心があるわけではない。それを改めて確認出来ただけで、景紀にとっては十分な収穫であった。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

「まあ、これで当分は朝康殿も大人しくしているでしょう」

 志野原から河越へと帰る列車に揺られながら、貴通は安堵の吐息と共にそう言った。

「景くん不在の間、どう説得したものか困っていたんですよ。島田閣下は僕の味方をしてくれてはいましたが、僕は結局、結城家領軍にとっては部外者に過ぎませんから」

「そういう門閥意識も、どっかで切り替えていかないと拙そうだな」

 皇国が真の意味での近代国家となるためには中央集権体制への移行が必要だと考えている景紀にとって、今回の問題は改めて六家による支配がもたらした皇国の歪さを感じさせるものであった。
 もっとも、その歪さがあるからこそ景紀は二十代を前にして少将となり、貴通も大佐となったのであるから、一概に現体制を否定するわけにもいかないのが難しいところではあった。

「これで一つ、領軍の再建に伴う問題は解決したとして、あとは第十四師団の景保かげもりの件か」

「はい。僕が朝康殿を相手にしてすらこれだったのですから、景保殿だともっと厄介だと思って、これまで僕は会うことを避けてきました」

「それで正解だと思うぞ」

 景紀も貴通も、げんなりとした表情を隠さずに溜息をついた。

「お前には兵学寮時代の記憶しかないだろうが、あの野郎は子供の頃から嫌な奴だったからな。同年代の子供のたちの中では、冬花を虐めていた筆頭だった」

 冬花は特異な容姿をしていたが、それでも結城家次期当主の乳兄妹きょうだいであった。子供たちにとってもそのような相手を虐めるには、本来であれば心理的な躊躇いを覚えたはずである。
 しかし、結城家の人間自身が冬花を虐めていたとなれば、幼心に冬花の容姿を嫌悪していた家臣団の子供たちは容易くそれに追従してしまった。
 景紀にとってみれば、大人たちの中では里見善光、子供たちの中では結城景保が、冬花を追い詰めた主犯格であった。

「では、十月の人事異動でまた南洋に飛ばしてしまいますか?」

 さらりと貴通は言ってのけた。そもそも、景保の父・景秀に不穏な動きが見られる以上、第十四師団に景保を配属しておくことには不安があるのだ。
 景紀は独混第一旅団から引き離され、一方の景保は第十四師団の中で地位を築きつつある。かつて冬花を虐めていた家臣団の子供たちも今では二十代から十代後半となり、そうした青年将校たちを景保が取り込みつつあるという情報も、結城家直属の忍集団・風間家からもたらされていた。
 第十四師団の青年将校を中心とした、景忠・景紀親子への謀反という可能性も、考えられなくはない。景秀の背後に伊丹・一色両公の影がちらついているとなれば、なおさらであった。

「それが一番なんだろうが、かえって結城家内部が混乱しているという印象を周囲に与えかねないからなぁ……」

 そうなれば余計に伊丹・一色両公に付け入る隙を与えかねない。何とも八方塞がりな状況であった。

「どこかの段階で、第十四師団の視察に俺自身が出向いた方がいいだろうな」

 結局のところ、結城家領内および領軍内部での景紀の立場を確固たるものにする以外、解決策がないのだ。
 対斉戦役での戦功や新海諸島を巡る交渉での成果など、景紀は着実に結城家次期当主としての立場を確固たるものにしている。そうした政治的影響力を行使して、景保を中心とする青年将校たちに圧力を掛けるしかないだろう。
 父・景忠が病に倒れて景紀が政務を代行していた時よりも、父の病がある程度癒えて政務に復帰した現在の方が、かえって結城家内部の情勢が不安定なものとなっているのは、何とも皮肉な話であった。
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