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第十章 未完の新秩序編
182 皇都から見た対外関係
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陽鮮公主・李貞英は、今年四月より念願の皇国留学を果たすことに成功していた。
現在は、皇都で皇族・華族・士族の少女たちが通う女子学士院へ通学する日々を過ごしている。
女子学士院が外国王族の留学を受け入れるのは、皇国の同盟国たるペレ王国の王女以来、二ヶ国目の事例となる。
留学前、貞英は礼曹判書・金光護など秋津語に達者な者たちや秋津皇国の派遣した外交官たちによって、秋津語教育を施されていた。
それ以前から皇国への留学を目指していた貞英はある程度の秋津語を話せはしたものの、やはり拙い部分は目立っていた。しかし留学前の数ヶ月間、本格的な語学教育を受けたこの公主は、元々の才能もあったのだろうが、日常会話には支障がない程度に秋津語を習得することが出来ていた。
今年で十四歳となる貞英は、少なくとも十五歳になるまでの二年間、秋津皇国で学ぶ許可を父である国王から得ている。
対斉戦役の終結、燕京条約の締結と共に陽鮮と大斉帝国との宗属関係も実質的に解消され、陽鮮は華夷秩序に捕らわれない自由な外交政策の展開が可能となっていた。
すでに皇都への公使館の仮設置が終わり、帯城倭館も駐鮮秋津公使館として、これまでの中華世界ではあり得なかった両国間での外交官常駐が始まっている。現在は皇国との間で通商条約などを結ぶ交渉が行われているという。
宮廷では金光護を始めとする開化派官僚が国内の改革・近代化に着手し始めており、半島の歴史上、実に画期的な時代を迎えつつあった。
もちろん、秋津皇国―大斉帝国との間の戦争において戦場となった半島の国土の被害は目立ち、またそれ以前からの国土の荒廃や財政難、役人による苛斂誅求による民衆の疲弊は甚だしかった。
開化派にしても独力での近代化は不可能と認識している者は多く、皇国が財政支援などを申出ていることもあり、陽鮮はこれから皇国の力を借りつつ近代化を果たしていくことになるだろう。
貞英はかつて宵姫から「国を売る覚悟はあるか」と問われたことがある。
結果、鉄道敷設権、電信敷設権、鉱山開発権、港湾使用権など様々な国内の利権を皇国に引き渡すことになってしまった。
しかし一方で、皇国からの食糧支援などを引き出すことも出来ている。
王朝としての矜持や誇り、国家としての損得勘定なども考えれば単純には判断出来ないが、それでも貞英や金光護、そして父王である仁宗はこの状況を受け入れいてた。
「殿下、今日は拙宅に足をお運び頂き、誠にありがとうございます」
皇暦八三六年の六月下旬のある日、貞英は留学先である女子学士院の同級生から茶会の誘いを受けた。
「こちらこそ、招いてくれたことを嬉しく思うぞ」
王族であるからか、貞英の習得した秋津語はどこか尊大な響きが混じっていた。しかし、それが嫌味にならないだけの気品を彼女は兼ね備えていたため、周囲の者たちに妙な納得感を与えている。
もっとも、女子学士院では陽鮮人に対する差別意識を感じないでもない。しかし、今日、茶会に招いてくれた少女のように偏見なく接してくれる学友もいる。
貞英は、畳の上に絨毯が敷かれ天井からは洋風の照明がつり下がっている部屋に通された。
和洋折衷のこうした造りは、むしろ彼女にとって新鮮であった。これが、異国の文化を取り入れるということなのかと、どこか感心した視線で部屋の中を観察する。
「今日は直信様もいらっしゃるのですが、少し伊丹家の方の用事で遅れるとご連絡がありました」
「そうか」
貞英を屋敷に招いた少女は、桜園理都子という。貞英と同じく、今年で十四歳になる。彼女は公家華族である桜園子爵家の娘で、伊丹正信公の孫・直信の婚約者であると聞いていた。
伊丹家は、各種利権と引き換えに陽鮮への財政支援を申出た皇国の軍閥勢力である。
だからこそ、陽鮮の王族として伊丹家とは懇意にしておく必要があった。
屋敷の女中たちによって、卓子の上に紅茶と菓子が並べられていく。どれも、陽鮮ではまったく目にしないものである。
陽鮮の宮中作法は幼少期から徹底的に教育されてきた貞英であったが、西洋式の礼儀作法については未だ疎いところがある。学院での礼儀作法の講義では、四苦八苦することも多々あった。
しかし開国した以上、これから王族として外国使節を相手にすることもあるだろう。その相手には秋津皇国だけでなく、西洋諸国も当然入ってくる。
公主である自分が西洋式の礼儀作法も覚えておかねば、父王や陽鮮という国家そのものの名に泥を塗ることになってしまう。
「今日の茶会はわたくしと殿下、それに直信様だけですし、あまりご緊張なさらずとも良いですよ」
そんな貞英の気負いを見抜いたのか、理都子は柔らかく言ってくる。どことなく、陽だまりのような雰囲気を感じさせる少女であった。
十四歳にしては未だあどけなさを残す公家の少女は、素直で気配りも出来る生徒として同級生や教師の間でも評判となっている。
陽鮮の宮中でもそうだったが、女だけの空間というのはいろいろと確執が生まれやすい。しかし、理都子という少女はそうした女同士の諍いとは無縁であった。
六家の婚約者ということで他の少女から妬みを受けるかと思えば、本人の人畜無害そうなほんわかとした雰囲気のお陰で、そうした思いを抱かせないのだ。
正直、貞英も国の誉を背負って留学している以上、肩肘張って日々を過ごしているのだが、彼女の前でなら隙を晒しても良いように思えるから不思議である。
「お茶もお菓子も、農民の方や料理人の方の手間と努力があるからわたくしたちが口に出来るのです。礼儀作法ばかりにこだわって味わえなかったら、むしろそういう方々に申し訳ないじゃありませんか」
秋津人という異国の人々に対して陽鮮公主としての体面を気にしている貞英に、理都子はそう言って逃げ道を与えてくれる。
並べられた菓子に目を輝かせている様からは、恐らくは自分自身の逃げ道も確保しているのだろうが、どこか年相応の少女に見えて微笑ましくもあった。
しばらくすると、女中が伊丹直信の到着を告げてきた。
「殿下、わたくし、直信様の出迎えに行ってまいりますね」
すると、先ほどまで以上に目を輝かせた理都子が貞英に一礼して、玄関へと向かっていった。ぱたぱたと、貴族の令嬢にしてはいささかはしたないのではないかと思える足音が遠くなっていく。
だが、それが同時に理都子という少女の婚約者への想いを表わしているような気もして、貞英は逆に微笑ましく思ってしまう。
◇◇◇
伊丹家現当主・正信の孫である直信が理都子と逢うのは、一ヶ月ぶりくらいであった。
日々の軍務に加え、休日も祖父・正信の下でいずれ六家を継ぐべき者として政治を実際の場で学ばされていた。
祖父の側用人などと共に、六家会議や陽鮮に進出する伊丹家御用商人たちの商談の場などに同席するように言いつけられていたのである。
兵学寮を卒業して以来、休みなどあってないようなものであった。
「直信様、お待ちしておりました!」
ぱたぱたとやって来て直信を迎えてくれたのは、陽だまりのような笑みを浮かべている少女であった。
「ああ、お待たせ、理都」
そんな理都子の表情を見て、直信も顔をほころばせる。彼女の笑みは、どこか人をほっとさせる笑みなのだ。
祖父が血筋の良い公家を伊丹家に取り込み、宮中への影響力を拡大したいという意図から直信と理都子の婚約は決定した。
桜園子爵家は近代的な宮中制度が整えられる以前、武家昵近衆として皇主に拝謁する将家に扈従する役目を代々担当していた公家華族であった。古代には近衛府の役人・武官も務めていた、いわゆる羽林家と呼ばれる家格の公家の一つである。
実際、理都子の兄の中には近衛将校を務めている者もいる。
「貞英殿下はもういらしているのか?」
「はい、お待たせしてしまうのも何ですから、先に始めさせて頂きました」
今日の陽鮮公主を招いての茶会には、陽鮮王族と伊丹家との親交を深めるという意図がある。
直信の同母妹も女子学士院には在籍しているのだが、偶然にも理都子と貞英公主が同い年であり、学院の同級生であったことから、茶会の政治的意図をぼやかすために今回は理都子の存在が利用された。
もちろん、祖父・正信の差し金ではあるが、異国のお姫様と茶会が出来ると理都子も嬉しそうだったからまあ良いか、と直信は思っている。
「ふふ、陽鮮の姫様に背の君を紹介すると思いますと、少し緊張してしまいますね」
「まあ、陽鮮とは今後、長い付き合いになるだろうから、なるべく仲良くしておきたいな」
「はい、わたくしも直信様や正信お爺さまのお役に立てるよう、頑張りますね」
理都子は直信に対して拳を握ってみせた。
公家と武家の婚姻は、互いの価値観の違いから夫婦仲が上手くいかないところも多いと言う。しかし、理都子は自ら武家の習慣に合わせようとしてくれている。
結局、兵学寮では結城景紀や穂積貴通に届くだけの成績を残せなかった(それでも上位十位には何とか喰い込んでいたが)自分には勿体ないくらいの少女であるのかもしれない。
そして、だからこそ直信は思うのだ。
祖父や一色公の唱える攘夷を推進しようとすれば、国内の対立は激化するだろう。しかもその攘夷派も、一枚岩ではない。
三月には、宵姫襲撃事件があった。政策の対立、認識の対立、そうしたことから生まれた凶刃が理都子を襲わないとも限らない。
自分の中で、未だあの事件の記憶は苦く辛く生々しいものだ。
だからこそ、国内でどんな政変が起ころうとも自分はこの少女を守ってみせる。そう、直信は決意していた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ルーシー帝国がマフムート帝国領内の十字教徒保護を名目に、その自治領に進駐したとの情報が皇国外務省や兵部省に届いたのは、七月三日のことであった。
数日前には回疆侵攻を開始したばかりであるにもかかわらず、さらなる軍事行動に踏み切ったルーシー帝国ついて、列強各国はその動向を注視することになった。
マフムート朝の駐在武官からの報告によれば、マフムート帝国軍はルーシー帝国軍との衝突を避けて十字教徒自治領より撤退したので、現時点では両国間での武力衝突は発生していないとのことであった。
マフムート朝宮廷内でも、対ルーシー宣戦布告は行わない方針であると言う。
少なくともこの時点では、マフムート帝国皇帝は諸外国による調停に期待をかけていたようである。
実際、五国海峡協定に参加しているアルビオン連合王国、帝政フランク、プルーゼン帝国、エステルライヒ帝国の四ヶ国がルーシー・マフムート両国間の調停に乗り出していた。
秋津皇国にも、大使館経由にて調停の要請が届いている。
皇国側では、三国干渉やルーシー帝国の回疆侵入によって対ルーシー感情が悪化していた時期である。
同じくルーシー帝国の南下政策を脅威と捉えるアルビオン連合王国と共に、ただちにルーシー帝国側の行動について重大な関心と懸念を有しているという旨の声明が発表された。これに、プルーゼン帝国、エステルライヒ帝国が続いた。
少なくとも、西洋列強はマフムート朝における勢力均衡を狙っていたのである。
そして、回疆侵攻に続くルーシー帝国による武力南進政策は、秋津皇国とアルビオン連合王国との結びつきをさらに強める結果をももたらすこととなった。
以前から両国間で議論されていたアジアにおける勢力圏を定めようとする協定の締結が、急がれたのである。
皇国がルーシー帝国への対応に忙殺されている最中に西洋列強が東南アジアで勢力を拡大するのを警戒していたように、アルビオン連合王国もまた自国がルーシー帝国と対峙している隙に皇国がシンドゥ植民地の問題に介入してくるのを警戒していたのだ。
両国は互いの利害を錯綜させつつ、他の列強へ対抗する都合上、結びつきを強めようとしていたのである。
攘夷派の伊丹・一色両公も、アヘン戦争を引き起こしたアルビオン連合王国に不信感を抱きながらも、緊迫する国際情勢下における現実的な判断として、協定の締結を認めていた。
皇暦八三六年の七月初旬は、「東方問題」を巡る国際関係が緊迫化しつつも、マフムート朝における勢力均衡を目指して列強各国が調停に奔走しようとしていた時期だったのである。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
結城景忠公の元にルーシー帝国軍がマフムート朝領内の十字教徒自治領へ進駐を開始したとの報せが届けられた時、彼は景紀を南洋から呼び戻すかどうか迷った。
七月三日時点では、まだ新南嶺島での秋津皇国・ニューゼーランディア部族連合国間での交渉が続いていたのである。特に結城家と新海諸島各部族との交渉は、条約の合意が形成された後に本格化していたため、ここで景紀を呼び戻すようなことになれば結城家側の最高責任者がいなくなり、かえってこれまでの交渉結果を損なうことになってしまうかもしれない。
そうした懸念から景忠は、景紀を内地に呼び戻すことに消極的であった。
側用人である里見善光にも相談したが、彼も新海諸島部族長との交渉を中途半端に切り上げて景紀を内地に召還することには反対であった。
ひとまず新南嶺島での交渉状況、そしてルーシー帝国とマフムート朝の動向を見極めた後、景紀を呼び戻すか否かの決断を下すことにしたのだった。
「景紀には、新海諸島の生蕃どもとの交渉がまとまるまでそちらに集中してもらおうと思っている」
七月三日の深夜、景忠公に招かれたまま結城家皇都屋敷に滞在していた貴通は、再び公に居室に呼び出されるとそう伝えられた。
「それで良いかと思います。新海諸島を巡る交渉が上手くいけば、それだけ結城家内における景くんの政治的求心力の増大に繋がります」
景紀の政治的立場に配慮した貴通の言葉に、景忠公は満足そうであった。とりあえず、この同期生の父親は景紀の次期当主としての面子を立てる言葉を言えば機嫌を良くするので、彼女としても会話が楽な部分がある。
「うむ、それこそがあやつを新南嶺島に向かわせた目的であったからな」
「……」
景忠公が伊丹・一色両公に対して弱腰であると感じている貴通は、曖昧な笑みを返すのみであった。自分と景紀が独混第一旅団の旅団長と幕僚を突如、解任されたことに対して、彼女は未だ納得し難いものを感じていた。
結城家次期当主である景紀が新海諸島部族長たちとの交渉に赴く重要性を認識しつつも、彼女はもう少し他にやりようがあったのではないかと思ってしまう。
独混第一旅団はあくまでも結城家の領軍であるのだから、解任という形ではなく一時的に次席指揮官である細見為雄大佐に旅団の指揮を任せるという形もとれたはずである。
そうした貴通の内心を知らないままに、景忠公は続けた。
「ただ一方で、新海諸島での交渉がまとまるか、東方問題を巡る情勢がさらに緊迫化するようであれば、景紀には内地に帰還するよう、申し渡そうと思っている」
「ええ、その時は僕もまた、景くんの軍師として共にありたいと思っています」
暗に自分たちの復帰を訴えつつ、貴通は内心を読み取らせない笑みで景忠公の言葉に応じるのであった。
現在は、皇都で皇族・華族・士族の少女たちが通う女子学士院へ通学する日々を過ごしている。
女子学士院が外国王族の留学を受け入れるのは、皇国の同盟国たるペレ王国の王女以来、二ヶ国目の事例となる。
留学前、貞英は礼曹判書・金光護など秋津語に達者な者たちや秋津皇国の派遣した外交官たちによって、秋津語教育を施されていた。
それ以前から皇国への留学を目指していた貞英はある程度の秋津語を話せはしたものの、やはり拙い部分は目立っていた。しかし留学前の数ヶ月間、本格的な語学教育を受けたこの公主は、元々の才能もあったのだろうが、日常会話には支障がない程度に秋津語を習得することが出来ていた。
今年で十四歳となる貞英は、少なくとも十五歳になるまでの二年間、秋津皇国で学ぶ許可を父である国王から得ている。
対斉戦役の終結、燕京条約の締結と共に陽鮮と大斉帝国との宗属関係も実質的に解消され、陽鮮は華夷秩序に捕らわれない自由な外交政策の展開が可能となっていた。
すでに皇都への公使館の仮設置が終わり、帯城倭館も駐鮮秋津公使館として、これまでの中華世界ではあり得なかった両国間での外交官常駐が始まっている。現在は皇国との間で通商条約などを結ぶ交渉が行われているという。
宮廷では金光護を始めとする開化派官僚が国内の改革・近代化に着手し始めており、半島の歴史上、実に画期的な時代を迎えつつあった。
もちろん、秋津皇国―大斉帝国との間の戦争において戦場となった半島の国土の被害は目立ち、またそれ以前からの国土の荒廃や財政難、役人による苛斂誅求による民衆の疲弊は甚だしかった。
開化派にしても独力での近代化は不可能と認識している者は多く、皇国が財政支援などを申出ていることもあり、陽鮮はこれから皇国の力を借りつつ近代化を果たしていくことになるだろう。
貞英はかつて宵姫から「国を売る覚悟はあるか」と問われたことがある。
結果、鉄道敷設権、電信敷設権、鉱山開発権、港湾使用権など様々な国内の利権を皇国に引き渡すことになってしまった。
しかし一方で、皇国からの食糧支援などを引き出すことも出来ている。
王朝としての矜持や誇り、国家としての損得勘定なども考えれば単純には判断出来ないが、それでも貞英や金光護、そして父王である仁宗はこの状況を受け入れいてた。
「殿下、今日は拙宅に足をお運び頂き、誠にありがとうございます」
皇暦八三六年の六月下旬のある日、貞英は留学先である女子学士院の同級生から茶会の誘いを受けた。
「こちらこそ、招いてくれたことを嬉しく思うぞ」
王族であるからか、貞英の習得した秋津語はどこか尊大な響きが混じっていた。しかし、それが嫌味にならないだけの気品を彼女は兼ね備えていたため、周囲の者たちに妙な納得感を与えている。
もっとも、女子学士院では陽鮮人に対する差別意識を感じないでもない。しかし、今日、茶会に招いてくれた少女のように偏見なく接してくれる学友もいる。
貞英は、畳の上に絨毯が敷かれ天井からは洋風の照明がつり下がっている部屋に通された。
和洋折衷のこうした造りは、むしろ彼女にとって新鮮であった。これが、異国の文化を取り入れるということなのかと、どこか感心した視線で部屋の中を観察する。
「今日は直信様もいらっしゃるのですが、少し伊丹家の方の用事で遅れるとご連絡がありました」
「そうか」
貞英を屋敷に招いた少女は、桜園理都子という。貞英と同じく、今年で十四歳になる。彼女は公家華族である桜園子爵家の娘で、伊丹正信公の孫・直信の婚約者であると聞いていた。
伊丹家は、各種利権と引き換えに陽鮮への財政支援を申出た皇国の軍閥勢力である。
だからこそ、陽鮮の王族として伊丹家とは懇意にしておく必要があった。
屋敷の女中たちによって、卓子の上に紅茶と菓子が並べられていく。どれも、陽鮮ではまったく目にしないものである。
陽鮮の宮中作法は幼少期から徹底的に教育されてきた貞英であったが、西洋式の礼儀作法については未だ疎いところがある。学院での礼儀作法の講義では、四苦八苦することも多々あった。
しかし開国した以上、これから王族として外国使節を相手にすることもあるだろう。その相手には秋津皇国だけでなく、西洋諸国も当然入ってくる。
公主である自分が西洋式の礼儀作法も覚えておかねば、父王や陽鮮という国家そのものの名に泥を塗ることになってしまう。
「今日の茶会はわたくしと殿下、それに直信様だけですし、あまりご緊張なさらずとも良いですよ」
そんな貞英の気負いを見抜いたのか、理都子は柔らかく言ってくる。どことなく、陽だまりのような雰囲気を感じさせる少女であった。
十四歳にしては未だあどけなさを残す公家の少女は、素直で気配りも出来る生徒として同級生や教師の間でも評判となっている。
陽鮮の宮中でもそうだったが、女だけの空間というのはいろいろと確執が生まれやすい。しかし、理都子という少女はそうした女同士の諍いとは無縁であった。
六家の婚約者ということで他の少女から妬みを受けるかと思えば、本人の人畜無害そうなほんわかとした雰囲気のお陰で、そうした思いを抱かせないのだ。
正直、貞英も国の誉を背負って留学している以上、肩肘張って日々を過ごしているのだが、彼女の前でなら隙を晒しても良いように思えるから不思議である。
「お茶もお菓子も、農民の方や料理人の方の手間と努力があるからわたくしたちが口に出来るのです。礼儀作法ばかりにこだわって味わえなかったら、むしろそういう方々に申し訳ないじゃありませんか」
秋津人という異国の人々に対して陽鮮公主としての体面を気にしている貞英に、理都子はそう言って逃げ道を与えてくれる。
並べられた菓子に目を輝かせている様からは、恐らくは自分自身の逃げ道も確保しているのだろうが、どこか年相応の少女に見えて微笑ましくもあった。
しばらくすると、女中が伊丹直信の到着を告げてきた。
「殿下、わたくし、直信様の出迎えに行ってまいりますね」
すると、先ほどまで以上に目を輝かせた理都子が貞英に一礼して、玄関へと向かっていった。ぱたぱたと、貴族の令嬢にしてはいささかはしたないのではないかと思える足音が遠くなっていく。
だが、それが同時に理都子という少女の婚約者への想いを表わしているような気もして、貞英は逆に微笑ましく思ってしまう。
◇◇◇
伊丹家現当主・正信の孫である直信が理都子と逢うのは、一ヶ月ぶりくらいであった。
日々の軍務に加え、休日も祖父・正信の下でいずれ六家を継ぐべき者として政治を実際の場で学ばされていた。
祖父の側用人などと共に、六家会議や陽鮮に進出する伊丹家御用商人たちの商談の場などに同席するように言いつけられていたのである。
兵学寮を卒業して以来、休みなどあってないようなものであった。
「直信様、お待ちしておりました!」
ぱたぱたとやって来て直信を迎えてくれたのは、陽だまりのような笑みを浮かべている少女であった。
「ああ、お待たせ、理都」
そんな理都子の表情を見て、直信も顔をほころばせる。彼女の笑みは、どこか人をほっとさせる笑みなのだ。
祖父が血筋の良い公家を伊丹家に取り込み、宮中への影響力を拡大したいという意図から直信と理都子の婚約は決定した。
桜園子爵家は近代的な宮中制度が整えられる以前、武家昵近衆として皇主に拝謁する将家に扈従する役目を代々担当していた公家華族であった。古代には近衛府の役人・武官も務めていた、いわゆる羽林家と呼ばれる家格の公家の一つである。
実際、理都子の兄の中には近衛将校を務めている者もいる。
「貞英殿下はもういらしているのか?」
「はい、お待たせしてしまうのも何ですから、先に始めさせて頂きました」
今日の陽鮮公主を招いての茶会には、陽鮮王族と伊丹家との親交を深めるという意図がある。
直信の同母妹も女子学士院には在籍しているのだが、偶然にも理都子と貞英公主が同い年であり、学院の同級生であったことから、茶会の政治的意図をぼやかすために今回は理都子の存在が利用された。
もちろん、祖父・正信の差し金ではあるが、異国のお姫様と茶会が出来ると理都子も嬉しそうだったからまあ良いか、と直信は思っている。
「ふふ、陽鮮の姫様に背の君を紹介すると思いますと、少し緊張してしまいますね」
「まあ、陽鮮とは今後、長い付き合いになるだろうから、なるべく仲良くしておきたいな」
「はい、わたくしも直信様や正信お爺さまのお役に立てるよう、頑張りますね」
理都子は直信に対して拳を握ってみせた。
公家と武家の婚姻は、互いの価値観の違いから夫婦仲が上手くいかないところも多いと言う。しかし、理都子は自ら武家の習慣に合わせようとしてくれている。
結局、兵学寮では結城景紀や穂積貴通に届くだけの成績を残せなかった(それでも上位十位には何とか喰い込んでいたが)自分には勿体ないくらいの少女であるのかもしれない。
そして、だからこそ直信は思うのだ。
祖父や一色公の唱える攘夷を推進しようとすれば、国内の対立は激化するだろう。しかもその攘夷派も、一枚岩ではない。
三月には、宵姫襲撃事件があった。政策の対立、認識の対立、そうしたことから生まれた凶刃が理都子を襲わないとも限らない。
自分の中で、未だあの事件の記憶は苦く辛く生々しいものだ。
だからこそ、国内でどんな政変が起ころうとも自分はこの少女を守ってみせる。そう、直信は決意していた。
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ルーシー帝国がマフムート帝国領内の十字教徒保護を名目に、その自治領に進駐したとの情報が皇国外務省や兵部省に届いたのは、七月三日のことであった。
数日前には回疆侵攻を開始したばかりであるにもかかわらず、さらなる軍事行動に踏み切ったルーシー帝国ついて、列強各国はその動向を注視することになった。
マフムート朝の駐在武官からの報告によれば、マフムート帝国軍はルーシー帝国軍との衝突を避けて十字教徒自治領より撤退したので、現時点では両国間での武力衝突は発生していないとのことであった。
マフムート朝宮廷内でも、対ルーシー宣戦布告は行わない方針であると言う。
少なくともこの時点では、マフムート帝国皇帝は諸外国による調停に期待をかけていたようである。
実際、五国海峡協定に参加しているアルビオン連合王国、帝政フランク、プルーゼン帝国、エステルライヒ帝国の四ヶ国がルーシー・マフムート両国間の調停に乗り出していた。
秋津皇国にも、大使館経由にて調停の要請が届いている。
皇国側では、三国干渉やルーシー帝国の回疆侵入によって対ルーシー感情が悪化していた時期である。
同じくルーシー帝国の南下政策を脅威と捉えるアルビオン連合王国と共に、ただちにルーシー帝国側の行動について重大な関心と懸念を有しているという旨の声明が発表された。これに、プルーゼン帝国、エステルライヒ帝国が続いた。
少なくとも、西洋列強はマフムート朝における勢力均衡を狙っていたのである。
そして、回疆侵攻に続くルーシー帝国による武力南進政策は、秋津皇国とアルビオン連合王国との結びつきをさらに強める結果をももたらすこととなった。
以前から両国間で議論されていたアジアにおける勢力圏を定めようとする協定の締結が、急がれたのである。
皇国がルーシー帝国への対応に忙殺されている最中に西洋列強が東南アジアで勢力を拡大するのを警戒していたように、アルビオン連合王国もまた自国がルーシー帝国と対峙している隙に皇国がシンドゥ植民地の問題に介入してくるのを警戒していたのだ。
両国は互いの利害を錯綜させつつ、他の列強へ対抗する都合上、結びつきを強めようとしていたのである。
攘夷派の伊丹・一色両公も、アヘン戦争を引き起こしたアルビオン連合王国に不信感を抱きながらも、緊迫する国際情勢下における現実的な判断として、協定の締結を認めていた。
皇暦八三六年の七月初旬は、「東方問題」を巡る国際関係が緊迫化しつつも、マフムート朝における勢力均衡を目指して列強各国が調停に奔走しようとしていた時期だったのである。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
結城景忠公の元にルーシー帝国軍がマフムート朝領内の十字教徒自治領へ進駐を開始したとの報せが届けられた時、彼は景紀を南洋から呼び戻すかどうか迷った。
七月三日時点では、まだ新南嶺島での秋津皇国・ニューゼーランディア部族連合国間での交渉が続いていたのである。特に結城家と新海諸島各部族との交渉は、条約の合意が形成された後に本格化していたため、ここで景紀を呼び戻すようなことになれば結城家側の最高責任者がいなくなり、かえってこれまでの交渉結果を損なうことになってしまうかもしれない。
そうした懸念から景忠は、景紀を内地に呼び戻すことに消極的であった。
側用人である里見善光にも相談したが、彼も新海諸島部族長との交渉を中途半端に切り上げて景紀を内地に召還することには反対であった。
ひとまず新南嶺島での交渉状況、そしてルーシー帝国とマフムート朝の動向を見極めた後、景紀を呼び戻すか否かの決断を下すことにしたのだった。
「景紀には、新海諸島の生蕃どもとの交渉がまとまるまでそちらに集中してもらおうと思っている」
七月三日の深夜、景忠公に招かれたまま結城家皇都屋敷に滞在していた貴通は、再び公に居室に呼び出されるとそう伝えられた。
「それで良いかと思います。新海諸島を巡る交渉が上手くいけば、それだけ結城家内における景くんの政治的求心力の増大に繋がります」
景紀の政治的立場に配慮した貴通の言葉に、景忠公は満足そうであった。とりあえず、この同期生の父親は景紀の次期当主としての面子を立てる言葉を言えば機嫌を良くするので、彼女としても会話が楽な部分がある。
「うむ、それこそがあやつを新南嶺島に向かわせた目的であったからな」
「……」
景忠公が伊丹・一色両公に対して弱腰であると感じている貴通は、曖昧な笑みを返すのみであった。自分と景紀が独混第一旅団の旅団長と幕僚を突如、解任されたことに対して、彼女は未だ納得し難いものを感じていた。
結城家次期当主である景紀が新海諸島部族長たちとの交渉に赴く重要性を認識しつつも、彼女はもう少し他にやりようがあったのではないかと思ってしまう。
独混第一旅団はあくまでも結城家の領軍であるのだから、解任という形ではなく一時的に次席指揮官である細見為雄大佐に旅団の指揮を任せるという形もとれたはずである。
そうした貴通の内心を知らないままに、景忠公は続けた。
「ただ一方で、新海諸島での交渉がまとまるか、東方問題を巡る情勢がさらに緊迫化するようであれば、景紀には内地に帰還するよう、申し渡そうと思っている」
「ええ、その時は僕もまた、景くんの軍師として共にありたいと思っています」
暗に自分たちの復帰を訴えつつ、貴通は内心を読み取らせない笑みで景忠公の言葉に応じるのであった。
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