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第十章 未完の新秩序編
181 旭日の巡洋艦と新月の帝国
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皇暦八三六(大陸統一歴一八八五)年七月二十一日、マフムート朝帝都イスティンボリスに五隻の艦が石炭の黒煙を堂々とたなびかせながら入港した。
途端、帝都の面する金角湾に浮かぶ大小の船の上から歓声が沸き上がる。
それは、艦船の入港を知らせるラッパの音をかき消さんばかりのものであった。
五隻の艦の檣楼には秋津皇国海軍旗がはためいており、旗艦を示す将旗を掲げた巡洋艦の艦首には秋津皇国皇主・皇室の象徴たる菊花紋章が金色の輝きを放っている。
この日、マフムート朝に売却された二隻の巡洋艦は、皇国海軍一等巡洋艦(重装甲帯巡洋艦)海門による護衛を受けながら、無事に目的地たるイスティンボリスに到着したのであった。
◇◇◇
帝都イスティンボリスの市民たちは、金角湾に入港した「サムライの国」からの贈物に歓喜した。
七月一日に北方のルーシー帝国がマフムート帝国領西部の十字教徒自治領に進駐を開始し、両国間の緊張が高まっているとなればなおさらであった。
市民たちはその姿を一目見ようと、港湾や帝都内の高台に押し寄せた。
軍楽隊は、両国の国歌と共に皇国海軍の行進曲「軍艦」を演奏して歓迎の意を示す。
五艦が湾内の所定の位置に錨を降ろすと、マフムート朝政府高官および両国海軍関係者、大使館関係者などが見守る中で、二巡洋艦の引渡式が行われた。
「両艦を“バルバロス・ハイレッディン”および“トゥルグート・レイス”と命名する!」
円筒帽をかぶった海軍最高司令官(直訳すると「大提督」となる)が、演台の上で高らかに宣言した。
二隻の巡洋艦の檣楼に、旭を表わす旗に代わって星と新月を描いた旗が掲げられた。この瞬間、二隻の巡洋艦は正式にマフムート帝国海軍へと引き渡されたのである。
その艦名は、かつてマフムート朝が地中海を制した最盛期の海軍を率いていた提督たちの名であった。
皇国から買収した二隻の巡洋艦は、列強海軍でも最新鋭ともいえる装甲帯巡洋艦であった。皇国海軍の種別では、装甲艦(戦艦の嚆矢的存在)を小型化して速力と航続力を高めた一等巡洋艦(重装甲帯巡洋艦)に当たる。
基準排水量約五五〇〇トン、最大速力十二ノット、二〇センチ主砲十二門、十二・七センチ副砲六門という重武装の巡洋艦であった。
元々は皇国の同盟国たるペレ王国から発注された艦であり、泰平洋への進出著しいヴィンランド合衆国を牽制する都合上、列強の最新鋭艦艇に対抗出来るだけの能力を備えた艦として建造されていた。
これまでマフムート帝国海軍は蒸気艦艇を保有した経験はあるものの、ここまでの性能を有する艦艇を保有したことはなかった。
さらに、二艦の買収までマフムート海軍が保有していた最大の艦は全長七十六メートルの戦列艦マフムディエであったが、この二隻の巡洋艦(姉妹艦)の全長は八十六メートルと、この時点でマフムート海軍最大の艦となったのである。
カプダン・パシャが誇らしげに命名するのも、無理はなかった。
黒海のルーシー帝国海軍には、この二艦に対抗出来る性能の艦艇は存在していない。黒海における海軍力は、少なくとも装備面だけを見ればマフムート帝国海軍有利に傾くこととなったのである。
「だが、彼らが素直に喜べるほど現実は甘くはなかろう」
式典に参加していた一人の秋津人がそう呟いた。
有智山宮剛仁海軍少将。重装甲帯巡洋艦・海門に将旗を掲げ、今回のイスティンボリス回航における皇国側最高責任者を務めていた皇族軍人であった。
十五歳で海軍兵学校を卒業後、十八歳で世界最大の海軍国であるアルビオン連合王国への三年間の留学を経験、その後、兵部省の命を受けてヴィンランド合衆国やエウローパ諸国各地を視察するなど、皇族出身でありながら国際感覚豊かな軍人であった。
今回の任務も、そうした彼の経歴を考慮した上で、皇族軍人という血筋の高さもあって任命されたのである。
海軍士官は「軍服を着た外交官」と呼ばれるほど他国の人々と交流する機会が多く(もちろん、友好目的だけでなく砲艦外交目的の交流もあるが)、特に今回はルーシー帝国に対する牽制という意味が大きい。
皇国が回航の責任者、もっと言えば実質的なマフムート朝への使節に皇族軍人を選んだことは、それだけ皇国側がマフムート朝との関係を重視しているという判りやすい宣伝にもなる。
重巡海門は引渡式終了後、すぐには祖国へは帰還せず、現地でマフムート海軍との合同訓練に臨むことになっている。
もちろん、ルーシー帝国への牽制を兼ねた政治的な訓練であり、有智山宮ら皇国側海軍将校たちには実質的な軍事顧問としての待遇が与えられる予定になっていた。
ただ、この皇族軍人の見るところ、バルバロスとトゥルグートの到着は一手、遅かったのではないかと思っている。
すでにルーシー帝国がマフムート領内の十字教徒保護を名目として、国境を接する十字教徒自治領への進駐を開始していた。
これが七月一日のことであり、バルバロスとトゥルグートの到着はそれよりも二十日以上遅れてしまったのである。牽制としてどこまで意味があるのか、疑問であった。
さらに問題は、この二艦が本当にマフムート海軍の手によって戦力化することが出来るのか、ということであった。
マフムート朝の一般市民たちは単純に皇国からやってきた真新しい艦艇の出現に沸き返っているが、有智山宮はそれをどこか醒めた目で見つめていた。
かつて皇国を親善訪問したマフムート海軍艦艇が台風で遭難し、皇国の漁民たちが懸命な救助活動を行ったことから、マフムート朝の国民たちの親秋津感情は高いと聞かされていたものの、だからといって軍人としての冷徹な目線を失うわけにはいかない。
国家として、海軍としてマフムート朝を見るならば、この帝国は王朝としての衰退が目に見えるものとなっていたからである。
黒海周辺情勢図(皇暦八三六年七月現在)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
マフムート朝は今から五〇〇年ほど前、中央大陸の騎馬民族トルキエ人たちが打ち立てた回教系の王朝であった。
それが次第に勢力を拡大していき、現在の帝都となっているイスティンボリス、かつての古代帝国の都であったアルカディアポリスを陥落させてここに都を遷したことで、帝国としての道を歩み始めた。
エウローパの東部を征服し、南方大陸北部と中東一帯を支配下に収め、皇国が戦国時代末期を迎えている約二五〇年ほど前に帝国は最大の支配領域を獲得した。
しかし、そこからマフムート朝は停滞期へと入り、やがて緩やかな衰退を始めていた。
特にここ半世紀ほどの間、王朝の衰退はますます速度を増している。
北方のルーシー帝国との数次にわたる戦争、南方大陸属州の独立、エウローパ属州の独立と、その領土は縮小を続けていた。
マフムート朝は、回教徒の帝国でありながら緩やかな多民族共同体を築いていた。帝国の中核をなす民族はトルキエ人たちであったが、それ以外の様々な民族が帝国内で活躍の場を与えられていた。
皇国や西洋列強が征服した土地や植民地とした地域に強制的な同化政策を敷いているのに比べれば、ある意味で理想的な社会が実現していたのである。
マフムート朝は「トルキエ人たちの帝国」ではなく「多民族の帝国」であった。
しかし、こうした緩やかな多民族共同社会は、国民意識・民族意識の高まりによって徐々に破綻を余儀なくされていった。
帝国領域内の多くの民族が、「共存」ではなく「独立」を選んでしまったのである。
帝国内各地で反乱の火の手が上がり、それが西洋列強の介入を招いたことでマフムート朝の衰退はその勢いを増していった。
特に帝国領内の十字教徒の保護を口実にしたルーシー帝国の介入は顕著であり、西洋列強とマフムート朝間の領土、宗教などを巡る一連の外交問題は「東方問題」と呼ばれている(「東方」とは、あくまでも西洋列強からの見方)。
この東方問題のためにマフムート朝ではこれまで数次にわたるルーシー帝国との戦争を経験し、そのことごとくに敗北して領土を縮小させていた。
そうした帝国の衰退を目の当たりにした現皇帝アブデュルカーディル一世は、積極的な近代化に乗り出して帝国とその統治機構の再編成を図ろうとしている。十五年ほど前に即位したこのスルタンは、即位するや否や西洋諸国に範をとった「上からの近代化」に着手したのである。
「上からの近代化」そのものはアブデュルカーディル一世よりも前の時代、先代、先々代スルタンも行っていた。しかし、そのたびに既得権を持つ地方勢力や親衛軍などの反発を呼び、先々代にいたっては改革に反発する者たちによって廃位、殺害されてすらいる。
先代スルタンの代でようやく改革最大の障害となっていたイェニチェリ軍団の解体・粛清、アーヤーンの討伐を果たせたため、現スルタン・アブデュルカーディル一世は廃位や暗殺の危険に怯えることなく、改革を推し進めることが可能となったのである。
しかし、アブデュルカーディル一世による「恩恵改革」と呼ばれるこの近代化改革は、西洋的な制度の移入を行ったため、依然として回教保守派による反発を受けていた。
西洋的な官僚制度の確立、通信・交通網の近代化、スルタン専制による中央集権化などの改革を進める一方、伝統的な回教法による統治方針の廃止が保守派の反発を生んでいたのである。
また、近代的な軍隊を創設するための徴兵制度にも大きな混乱が見られていた。特にこの近代的徴兵制度は、帝国内の非回教徒勢力から大きな反発を受けていた。
それまでマフムート朝では、兵士は回教徒のみから徴募されていた。時には人攫い同然に兵士として徴募されることもままあったが、それでも兵士とされたのは回教徒のみであった。
ところが、近代的徴兵制度の確立によって帝国領内の非回教徒も徴兵されることになったのである。これが、非回教徒たちの徴兵拒否運動に繋がってしまった。
特に非回教徒の徴兵拒否運動で大きな打撃を受けたのは、海軍であった。
もともと騎馬民族が打ち立てた王朝であるマフムート朝では、海軍兵力のほとんどをトルキエ人以外の勢力に頼っていた。特に海賊を帰順させて海軍兵力として用いるのが、これまでのマフムート海軍の伝統であった。
徴兵制導入以前では、海軍は傭兵制・志願制に近い徴募制度が取られており、徴兵制の導入はかえって海軍の弱体化に繋がってしまったのである。
さらにこれまで海軍兵力を担ってきたのがトルキエ人以外であるということも、海軍の弱体化に拍車をかけた。
各地の独立運動・反乱によって、これまで水兵・水夫の供給先となっていた民族が次々とマフムート朝から離反してしまったのである。
結果として、かつて地中海を制したマフムート海軍は跡形もなく消滅し、王朝の中枢を担うトルキエ人たちは近代的海軍をほとんど一から創設しなければならない状況に陥っていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
そうしたマフムート朝の歴史、マフムート海軍の置かれた現状などを思い起こしながら、有智山宮剛仁海軍少将は、バルバロス、トゥルグートの二艦をトルキエ人たちの手で戦力化させることの難しさをどう克服するのかという問題を考えていた。
マフムート朝は近代化に当たって主にアルビオン連合王国からのお雇い外国人に頼っていたが、その依存度は海軍で特に甚だしかった。
海軍工廠、艦艇ともにアルビオン人技師、アルビオン人機関士たちが中心となっていたのである。
本来であれば近代化のためにトルキエ人自らが外国の制度・技術を吸収して自国のものとしていかなければならないのであるが、現状では外国人に頼り切っていた。
そもそも、回教勢力にとって十字教勢力である西洋列強の制度・技術を導入することには歴史的・宗教的な抵抗感が根強い。回教勢力と十字教勢力は常に対立の関係にあったわけではないものの、歴史的な確執、宗教的な優越感は両者の間に厳然として横たわっていた。
マフムート朝の人々、特にトルキエ人たちが親秋津感情を抱いているのも、遭難した自国の者たちを秋津人が助けてくれたという恩義以上に、非西洋の帝国同士としての親近感があるからだろう。両国の間に、戦争の歴史や宗教対立の歴史といったものは存在しない。
マフムート朝にとって、海軍兵力をお雇い外国人に頼り切るのはかつて海賊や傭兵に海軍を任せていたのと同じ意識なのかもしれないが、有智山宮にとってみれば、そのようなものは海軍でも何でもなかった。
一方のアルビオン連合王国にとってみればルーシー帝国の南下政策に対抗するためにマフムート朝への影響力を強化出来るので、むしろ現状維持の方が望ましいのであろうが、秋津皇国の親王であり軍人でもある有智山宮剛仁がアルビオン連合王国の思惑に従う道理もない。
むしろ秋津皇国の国益を考えるならば、自国もまたマフムート朝への影響力を強化すべきだろう。
マフムート海軍の自立とマフムート朝への皇国の影響力強化。
その矛盾するような課題を、彼は「軍服を着た外交官」の役目として解決していかなければならないと考えていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あとがき
本話より、第十章「未完の新秩序」編を開始いたします。
ご意見、ご感想等ございましたらばお気軽にお寄せ下さい。
【海軍艦艇の発達について】
拙作ではすでに戦艦の嚆矢的存在である装甲艦、そして近代的巡洋艦の先駆けともいえる装甲帯巡洋艦が存在しております。
対斉戦役のところでも装甲帯巡洋艦は登場しましたが、その性能面までも含めた形で登場させたのは、本話が初めてのことになるかと思います。
海軍艦艇の近代化を促進したのは、史実世界では蒸気機関の発明よりもクリミア戦争という要因が大きいです。そのため作中の時代設定という観点からしますと時代考証の点から装甲帯巡洋艦が登場するのはおかしいのですが、この異世界は史実世界とは違った技術発展の道を辿ってきたということで登場させました。
作中で史実クリミア戦争に相当する出来事は今まさに始まろうとしていますが、近代的な戦争という意味では、作中世界では秋津皇国と帝政フランクが広南国 (モデルはインドシナ)を巡って戦った「広南出兵」がすでに発生しています。そこでの戦訓が、史実世界とは違った海軍艦艇の技術発展を促したという設定です。
史実世界において海軍艦艇の装甲化を促したのは、クリミア戦争の緒戦で発生したシノープの海戦(1853年11月30日)です。この海戦でロシア海軍黒海艦隊の使用した炸裂弾がオスマン艦隊を撃滅したことで、英仏は海軍艦艇の本格的な装甲化に着手します。
それまでも艦艇の装甲化は行われていたのですが、被弾した時に装甲の鉄片がかえって乗員を殺傷する危険性が高いという理由で、それほど進んでいませんでした。
クリミア戦争での戦訓を元に建造されたのが、装甲艦グロワール(仏)とウォーリア(英)です。
こうした艦艇の装甲化は、必然的に艦載砲の配置にも影響を与えました。舷側にずらりと砲を並べては装甲の範囲が広くなり過ぎるため、砲を艦中央部に集中配置するという方式がとられ始めました。
また同時期、艦載砲の大型化に伴い、砲塔が考案されています。その嚆矢的存在は、南北戦争で登場した装甲艦モニターでした。
こうした艦艇の装甲化と艦載砲の砲塔化はやがて、近代戦艦の祖といえるロイヤル・ソブリン(1892年竣工)を生み出すに至ります。
一方、巡洋艦 (クルーザー)という名称、あるいは艦種が定着するのは1880年代になってからです。それまでは巡洋艦という艦種は存在せず、フリゲート、コルベットという艦種が巡洋艦的存在でした。
巡洋艦登場の背景には、帆船時代には単に砲門数で等級を分けるだけで済んでいたのが、蒸気機関の発達による艦ごとの速力差、装甲化による装甲の有無、艦載砲の大型化による口径の大小など、艦による差が大きくなってきたことがありました。
まだ巡洋艦という呼称が確立されていない時期ではありますが、その嚆矢とされるのはアメリカが1864年に竣工させたワンパノーグです。この艦は最大速力17・75ノットを達成し、当時における最高速艦艇でした。
装甲艦の登場時期と巡洋艦の登場時期には差があるので、やはり時代考証的にクリミア戦争に相当する戦争も南北戦争に相当する戦争も起こっていない世界観でこの両艦種を登場させるのはおかしいのですが、皇国による泰平洋進出の活発化などで装甲艦よりも小型で高速な艦艇が必要となって巡洋艦が生み出された、という設定にすればある程度、時代考証的に耐えられるのではないかと考えております。
オスマン帝国史・クリミア戦争に関する主要参考文献
大類伸監修・林健太郎ほか編『世界の戦史8 ビスマルクとリンカーン』(新人物往来社、1967年)
小笠原弘幸『オスマン帝国 繁栄と衰亡の600年史』(中央公論新社、2018年)
小松香織『オスマン帝国の海運と海軍』(山川出版社、2002年)
小松香織『オスマン帝国の近代と海軍』(山川出版社、2004年)
永田雄三編『世界各国史9 西アジア史Ⅱ イラン・トルコ』(山川出版社、2002年)
林佳世子『興亡の世界史10 オスマン帝国500年の平和』(講談社、2008年)
オーランドー・ファイジズ(染谷徹訳)『クリミア戦争』上下(白水社、2015年)
海事に関する主要参考文献
青木栄一『シーパワーの世界史』上下(出版協同社、1982年~1983年)
竹田いさみ『海の地政学』(中央公論新社、2019年)
外山三郎『近代西欧海戦史』(原書房、1982年)
堀元美『帆船時代のアメリカ』上下(朝日ソノラマ、1996年)
吉田勉『19世紀「鉄と蒸気の時代」における帆船』(渓水社、2020年)
ジェレミー・ブラック(内藤嘉昭訳)『海軍の世界史』(福村出版、2014年)
途端、帝都の面する金角湾に浮かぶ大小の船の上から歓声が沸き上がる。
それは、艦船の入港を知らせるラッパの音をかき消さんばかりのものであった。
五隻の艦の檣楼には秋津皇国海軍旗がはためいており、旗艦を示す将旗を掲げた巡洋艦の艦首には秋津皇国皇主・皇室の象徴たる菊花紋章が金色の輝きを放っている。
この日、マフムート朝に売却された二隻の巡洋艦は、皇国海軍一等巡洋艦(重装甲帯巡洋艦)海門による護衛を受けながら、無事に目的地たるイスティンボリスに到着したのであった。
◇◇◇
帝都イスティンボリスの市民たちは、金角湾に入港した「サムライの国」からの贈物に歓喜した。
七月一日に北方のルーシー帝国がマフムート帝国領西部の十字教徒自治領に進駐を開始し、両国間の緊張が高まっているとなればなおさらであった。
市民たちはその姿を一目見ようと、港湾や帝都内の高台に押し寄せた。
軍楽隊は、両国の国歌と共に皇国海軍の行進曲「軍艦」を演奏して歓迎の意を示す。
五艦が湾内の所定の位置に錨を降ろすと、マフムート朝政府高官および両国海軍関係者、大使館関係者などが見守る中で、二巡洋艦の引渡式が行われた。
「両艦を“バルバロス・ハイレッディン”および“トゥルグート・レイス”と命名する!」
円筒帽をかぶった海軍最高司令官(直訳すると「大提督」となる)が、演台の上で高らかに宣言した。
二隻の巡洋艦の檣楼に、旭を表わす旗に代わって星と新月を描いた旗が掲げられた。この瞬間、二隻の巡洋艦は正式にマフムート帝国海軍へと引き渡されたのである。
その艦名は、かつてマフムート朝が地中海を制した最盛期の海軍を率いていた提督たちの名であった。
皇国から買収した二隻の巡洋艦は、列強海軍でも最新鋭ともいえる装甲帯巡洋艦であった。皇国海軍の種別では、装甲艦(戦艦の嚆矢的存在)を小型化して速力と航続力を高めた一等巡洋艦(重装甲帯巡洋艦)に当たる。
基準排水量約五五〇〇トン、最大速力十二ノット、二〇センチ主砲十二門、十二・七センチ副砲六門という重武装の巡洋艦であった。
元々は皇国の同盟国たるペレ王国から発注された艦であり、泰平洋への進出著しいヴィンランド合衆国を牽制する都合上、列強の最新鋭艦艇に対抗出来るだけの能力を備えた艦として建造されていた。
これまでマフムート帝国海軍は蒸気艦艇を保有した経験はあるものの、ここまでの性能を有する艦艇を保有したことはなかった。
さらに、二艦の買収までマフムート海軍が保有していた最大の艦は全長七十六メートルの戦列艦マフムディエであったが、この二隻の巡洋艦(姉妹艦)の全長は八十六メートルと、この時点でマフムート海軍最大の艦となったのである。
カプダン・パシャが誇らしげに命名するのも、無理はなかった。
黒海のルーシー帝国海軍には、この二艦に対抗出来る性能の艦艇は存在していない。黒海における海軍力は、少なくとも装備面だけを見ればマフムート帝国海軍有利に傾くこととなったのである。
「だが、彼らが素直に喜べるほど現実は甘くはなかろう」
式典に参加していた一人の秋津人がそう呟いた。
有智山宮剛仁海軍少将。重装甲帯巡洋艦・海門に将旗を掲げ、今回のイスティンボリス回航における皇国側最高責任者を務めていた皇族軍人であった。
十五歳で海軍兵学校を卒業後、十八歳で世界最大の海軍国であるアルビオン連合王国への三年間の留学を経験、その後、兵部省の命を受けてヴィンランド合衆国やエウローパ諸国各地を視察するなど、皇族出身でありながら国際感覚豊かな軍人であった。
今回の任務も、そうした彼の経歴を考慮した上で、皇族軍人という血筋の高さもあって任命されたのである。
海軍士官は「軍服を着た外交官」と呼ばれるほど他国の人々と交流する機会が多く(もちろん、友好目的だけでなく砲艦外交目的の交流もあるが)、特に今回はルーシー帝国に対する牽制という意味が大きい。
皇国が回航の責任者、もっと言えば実質的なマフムート朝への使節に皇族軍人を選んだことは、それだけ皇国側がマフムート朝との関係を重視しているという判りやすい宣伝にもなる。
重巡海門は引渡式終了後、すぐには祖国へは帰還せず、現地でマフムート海軍との合同訓練に臨むことになっている。
もちろん、ルーシー帝国への牽制を兼ねた政治的な訓練であり、有智山宮ら皇国側海軍将校たちには実質的な軍事顧問としての待遇が与えられる予定になっていた。
ただ、この皇族軍人の見るところ、バルバロスとトゥルグートの到着は一手、遅かったのではないかと思っている。
すでにルーシー帝国がマフムート領内の十字教徒保護を名目として、国境を接する十字教徒自治領への進駐を開始していた。
これが七月一日のことであり、バルバロスとトゥルグートの到着はそれよりも二十日以上遅れてしまったのである。牽制としてどこまで意味があるのか、疑問であった。
さらに問題は、この二艦が本当にマフムート海軍の手によって戦力化することが出来るのか、ということであった。
マフムート朝の一般市民たちは単純に皇国からやってきた真新しい艦艇の出現に沸き返っているが、有智山宮はそれをどこか醒めた目で見つめていた。
かつて皇国を親善訪問したマフムート海軍艦艇が台風で遭難し、皇国の漁民たちが懸命な救助活動を行ったことから、マフムート朝の国民たちの親秋津感情は高いと聞かされていたものの、だからといって軍人としての冷徹な目線を失うわけにはいかない。
国家として、海軍としてマフムート朝を見るならば、この帝国は王朝としての衰退が目に見えるものとなっていたからである。
黒海周辺情勢図(皇暦八三六年七月現在)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
マフムート朝は今から五〇〇年ほど前、中央大陸の騎馬民族トルキエ人たちが打ち立てた回教系の王朝であった。
それが次第に勢力を拡大していき、現在の帝都となっているイスティンボリス、かつての古代帝国の都であったアルカディアポリスを陥落させてここに都を遷したことで、帝国としての道を歩み始めた。
エウローパの東部を征服し、南方大陸北部と中東一帯を支配下に収め、皇国が戦国時代末期を迎えている約二五〇年ほど前に帝国は最大の支配領域を獲得した。
しかし、そこからマフムート朝は停滞期へと入り、やがて緩やかな衰退を始めていた。
特にここ半世紀ほどの間、王朝の衰退はますます速度を増している。
北方のルーシー帝国との数次にわたる戦争、南方大陸属州の独立、エウローパ属州の独立と、その領土は縮小を続けていた。
マフムート朝は、回教徒の帝国でありながら緩やかな多民族共同体を築いていた。帝国の中核をなす民族はトルキエ人たちであったが、それ以外の様々な民族が帝国内で活躍の場を与えられていた。
皇国や西洋列強が征服した土地や植民地とした地域に強制的な同化政策を敷いているのに比べれば、ある意味で理想的な社会が実現していたのである。
マフムート朝は「トルキエ人たちの帝国」ではなく「多民族の帝国」であった。
しかし、こうした緩やかな多民族共同社会は、国民意識・民族意識の高まりによって徐々に破綻を余儀なくされていった。
帝国領域内の多くの民族が、「共存」ではなく「独立」を選んでしまったのである。
帝国内各地で反乱の火の手が上がり、それが西洋列強の介入を招いたことでマフムート朝の衰退はその勢いを増していった。
特に帝国領内の十字教徒の保護を口実にしたルーシー帝国の介入は顕著であり、西洋列強とマフムート朝間の領土、宗教などを巡る一連の外交問題は「東方問題」と呼ばれている(「東方」とは、あくまでも西洋列強からの見方)。
この東方問題のためにマフムート朝ではこれまで数次にわたるルーシー帝国との戦争を経験し、そのことごとくに敗北して領土を縮小させていた。
そうした帝国の衰退を目の当たりにした現皇帝アブデュルカーディル一世は、積極的な近代化に乗り出して帝国とその統治機構の再編成を図ろうとしている。十五年ほど前に即位したこのスルタンは、即位するや否や西洋諸国に範をとった「上からの近代化」に着手したのである。
「上からの近代化」そのものはアブデュルカーディル一世よりも前の時代、先代、先々代スルタンも行っていた。しかし、そのたびに既得権を持つ地方勢力や親衛軍などの反発を呼び、先々代にいたっては改革に反発する者たちによって廃位、殺害されてすらいる。
先代スルタンの代でようやく改革最大の障害となっていたイェニチェリ軍団の解体・粛清、アーヤーンの討伐を果たせたため、現スルタン・アブデュルカーディル一世は廃位や暗殺の危険に怯えることなく、改革を推し進めることが可能となったのである。
しかし、アブデュルカーディル一世による「恩恵改革」と呼ばれるこの近代化改革は、西洋的な制度の移入を行ったため、依然として回教保守派による反発を受けていた。
西洋的な官僚制度の確立、通信・交通網の近代化、スルタン専制による中央集権化などの改革を進める一方、伝統的な回教法による統治方針の廃止が保守派の反発を生んでいたのである。
また、近代的な軍隊を創設するための徴兵制度にも大きな混乱が見られていた。特にこの近代的徴兵制度は、帝国内の非回教徒勢力から大きな反発を受けていた。
それまでマフムート朝では、兵士は回教徒のみから徴募されていた。時には人攫い同然に兵士として徴募されることもままあったが、それでも兵士とされたのは回教徒のみであった。
ところが、近代的徴兵制度の確立によって帝国領内の非回教徒も徴兵されることになったのである。これが、非回教徒たちの徴兵拒否運動に繋がってしまった。
特に非回教徒の徴兵拒否運動で大きな打撃を受けたのは、海軍であった。
もともと騎馬民族が打ち立てた王朝であるマフムート朝では、海軍兵力のほとんどをトルキエ人以外の勢力に頼っていた。特に海賊を帰順させて海軍兵力として用いるのが、これまでのマフムート海軍の伝統であった。
徴兵制導入以前では、海軍は傭兵制・志願制に近い徴募制度が取られており、徴兵制の導入はかえって海軍の弱体化に繋がってしまったのである。
さらにこれまで海軍兵力を担ってきたのがトルキエ人以外であるということも、海軍の弱体化に拍車をかけた。
各地の独立運動・反乱によって、これまで水兵・水夫の供給先となっていた民族が次々とマフムート朝から離反してしまったのである。
結果として、かつて地中海を制したマフムート海軍は跡形もなく消滅し、王朝の中枢を担うトルキエ人たちは近代的海軍をほとんど一から創設しなければならない状況に陥っていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
そうしたマフムート朝の歴史、マフムート海軍の置かれた現状などを思い起こしながら、有智山宮剛仁海軍少将は、バルバロス、トゥルグートの二艦をトルキエ人たちの手で戦力化させることの難しさをどう克服するのかという問題を考えていた。
マフムート朝は近代化に当たって主にアルビオン連合王国からのお雇い外国人に頼っていたが、その依存度は海軍で特に甚だしかった。
海軍工廠、艦艇ともにアルビオン人技師、アルビオン人機関士たちが中心となっていたのである。
本来であれば近代化のためにトルキエ人自らが外国の制度・技術を吸収して自国のものとしていかなければならないのであるが、現状では外国人に頼り切っていた。
そもそも、回教勢力にとって十字教勢力である西洋列強の制度・技術を導入することには歴史的・宗教的な抵抗感が根強い。回教勢力と十字教勢力は常に対立の関係にあったわけではないものの、歴史的な確執、宗教的な優越感は両者の間に厳然として横たわっていた。
マフムート朝の人々、特にトルキエ人たちが親秋津感情を抱いているのも、遭難した自国の者たちを秋津人が助けてくれたという恩義以上に、非西洋の帝国同士としての親近感があるからだろう。両国の間に、戦争の歴史や宗教対立の歴史といったものは存在しない。
マフムート朝にとって、海軍兵力をお雇い外国人に頼り切るのはかつて海賊や傭兵に海軍を任せていたのと同じ意識なのかもしれないが、有智山宮にとってみれば、そのようなものは海軍でも何でもなかった。
一方のアルビオン連合王国にとってみればルーシー帝国の南下政策に対抗するためにマフムート朝への影響力を強化出来るので、むしろ現状維持の方が望ましいのであろうが、秋津皇国の親王であり軍人でもある有智山宮剛仁がアルビオン連合王国の思惑に従う道理もない。
むしろ秋津皇国の国益を考えるならば、自国もまたマフムート朝への影響力を強化すべきだろう。
マフムート海軍の自立とマフムート朝への皇国の影響力強化。
その矛盾するような課題を、彼は「軍服を着た外交官」の役目として解決していかなければならないと考えていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あとがき
本話より、第十章「未完の新秩序」編を開始いたします。
ご意見、ご感想等ございましたらばお気軽にお寄せ下さい。
【海軍艦艇の発達について】
拙作ではすでに戦艦の嚆矢的存在である装甲艦、そして近代的巡洋艦の先駆けともいえる装甲帯巡洋艦が存在しております。
対斉戦役のところでも装甲帯巡洋艦は登場しましたが、その性能面までも含めた形で登場させたのは、本話が初めてのことになるかと思います。
海軍艦艇の近代化を促進したのは、史実世界では蒸気機関の発明よりもクリミア戦争という要因が大きいです。そのため作中の時代設定という観点からしますと時代考証の点から装甲帯巡洋艦が登場するのはおかしいのですが、この異世界は史実世界とは違った技術発展の道を辿ってきたということで登場させました。
作中で史実クリミア戦争に相当する出来事は今まさに始まろうとしていますが、近代的な戦争という意味では、作中世界では秋津皇国と帝政フランクが広南国 (モデルはインドシナ)を巡って戦った「広南出兵」がすでに発生しています。そこでの戦訓が、史実世界とは違った海軍艦艇の技術発展を促したという設定です。
史実世界において海軍艦艇の装甲化を促したのは、クリミア戦争の緒戦で発生したシノープの海戦(1853年11月30日)です。この海戦でロシア海軍黒海艦隊の使用した炸裂弾がオスマン艦隊を撃滅したことで、英仏は海軍艦艇の本格的な装甲化に着手します。
それまでも艦艇の装甲化は行われていたのですが、被弾した時に装甲の鉄片がかえって乗員を殺傷する危険性が高いという理由で、それほど進んでいませんでした。
クリミア戦争での戦訓を元に建造されたのが、装甲艦グロワール(仏)とウォーリア(英)です。
こうした艦艇の装甲化は、必然的に艦載砲の配置にも影響を与えました。舷側にずらりと砲を並べては装甲の範囲が広くなり過ぎるため、砲を艦中央部に集中配置するという方式がとられ始めました。
また同時期、艦載砲の大型化に伴い、砲塔が考案されています。その嚆矢的存在は、南北戦争で登場した装甲艦モニターでした。
こうした艦艇の装甲化と艦載砲の砲塔化はやがて、近代戦艦の祖といえるロイヤル・ソブリン(1892年竣工)を生み出すに至ります。
一方、巡洋艦 (クルーザー)という名称、あるいは艦種が定着するのは1880年代になってからです。それまでは巡洋艦という艦種は存在せず、フリゲート、コルベットという艦種が巡洋艦的存在でした。
巡洋艦登場の背景には、帆船時代には単に砲門数で等級を分けるだけで済んでいたのが、蒸気機関の発達による艦ごとの速力差、装甲化による装甲の有無、艦載砲の大型化による口径の大小など、艦による差が大きくなってきたことがありました。
まだ巡洋艦という呼称が確立されていない時期ではありますが、その嚆矢とされるのはアメリカが1864年に竣工させたワンパノーグです。この艦は最大速力17・75ノットを達成し、当時における最高速艦艇でした。
装甲艦の登場時期と巡洋艦の登場時期には差があるので、やはり時代考証的にクリミア戦争に相当する戦争も南北戦争に相当する戦争も起こっていない世界観でこの両艦種を登場させるのはおかしいのですが、皇国による泰平洋進出の活発化などで装甲艦よりも小型で高速な艦艇が必要となって巡洋艦が生み出された、という設定にすればある程度、時代考証的に耐えられるのではないかと考えております。
オスマン帝国史・クリミア戦争に関する主要参考文献
大類伸監修・林健太郎ほか編『世界の戦史8 ビスマルクとリンカーン』(新人物往来社、1967年)
小笠原弘幸『オスマン帝国 繁栄と衰亡の600年史』(中央公論新社、2018年)
小松香織『オスマン帝国の海運と海軍』(山川出版社、2002年)
小松香織『オスマン帝国の近代と海軍』(山川出版社、2004年)
永田雄三編『世界各国史9 西アジア史Ⅱ イラン・トルコ』(山川出版社、2002年)
林佳世子『興亡の世界史10 オスマン帝国500年の平和』(講談社、2008年)
オーランドー・ファイジズ(染谷徹訳)『クリミア戦争』上下(白水社、2015年)
海事に関する主要参考文献
青木栄一『シーパワーの世界史』上下(出版協同社、1982年~1983年)
竹田いさみ『海の地政学』(中央公論新社、2019年)
外山三郎『近代西欧海戦史』(原書房、1982年)
堀元美『帆船時代のアメリカ』上下(朝日ソノラマ、1996年)
吉田勉『19世紀「鉄と蒸気の時代」における帆船』(渓水社、2020年)
ジェレミー・ブラック(内藤嘉昭訳)『海軍の世界史』(福村出版、2014年)
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