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第九章 混迷の戦後編
番外編4 移りゆく時代と呪術師 前編
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列強諸国の中で呪術師・魔術師といった異能の者の存在を国家単位で許容・公認している国は、秋津皇国くらいなものであろう。
西洋の列強諸国においては一神教である十字教の影響で魔術や呪術といった異能の力は異端とされ、かつては魔女狩りや異端審問などによる弾圧・虐殺の対象であった。
そうした歴史的経緯があるために、そもそも魔術の素養を持つ者自体が大幅に減少してしまっていた。貴重な魔導書なども教会勢力によって次々と火にくべられ、今ではほとんど残っていないという。
そして現在でも、そうした異能者たちは自身が異能の使い手であることを周囲に隠して、息を潜めながら暮らしていくしかない。
教会や王室がわずかに退魔師として異能者の存在を許容しているというが、秋津皇国ほど公にその存在を容認しているわけではない。
その意味では、西洋列強と共通の宗教的価値観を持たないが故とはいえ、秋津皇国という国家は列強諸国の中でも特異な存在であった。東洋唯一の列強として名を連ねていることからも、それは明らかである。
現在、秋津皇国では公的な呪術機関として宮内省御霊部、内務省陰陽局の二つが存在していた。
前者の御霊部は主に皇室の霊的守護を担い、後者の内務省陰陽局は在野の呪術師・陰陽師たちの取り締りを担っていた。陰陽局は、いわば呪術師相手の警察組織であるといえる。
この二つの機関は、元々は律令制における中務省陰陽寮を起源としていた。陰陽寮は呪術・天文・暦を統括する組織であり、これが近代的な国家制度が整えられていく過程で呪術分野の担当が御霊部と陰陽局に分かれていったのである。天文分野に関しては海軍の水路部などに引き継がれ、現在に至っていた。
そして宮内省御霊部、内務省陰陽局以外にも呪術師はおり、例えば交通・通信などを管轄する逓信省や陸海軍には通信を担う呪術通信手・通信兵が存在している。六家もまた、呪詛などから自らを守るために高位術者たちを家臣として取り立てていた。
民間にも呪術師・陰陽師は存在し、時に呪詛や幻術を用いた詐欺といった犯罪に走る者たちが現れながらも、秋津人たちはこうした異能者たちの存在を受け入れていたのである。
そして近代科学が魔術、特に錬金術に起源を求められるように、呪術や陰陽術もまた科学へと繋がる部分を持っていた。
特に皇国における呪術の主流である陰陽道は疫病や災厄を祓うという方向性で発展してきたため、脚気問題の解決などいくつかの医学的成果も挙げている。
不老不死の秘薬を求める錬丹術の研究もまた、医学・薬学の発展に貢献する部分があった。中でも上流階級を中心に使用されてきた鉛白由来の白粉の危険性を指摘したことは、錬丹術の大きな成果であると言える。
呪術は近代に至るに従って科学技術に取って代わられる分野が多くなり、また万人が使える能力でもないために科学の発展に伴って徐々に衰退を余儀なくされていったが、それでもなお皇国において完全に呪術というものがなくなることはなかった。
◇◇◇
しかし一方で、呪術と科学の相克といった問題とは別に、近代に生きる呪術師たちの中には苦悩を抱える者も少なくはなかった。
その一人が、冬花と鉄之介の父・葛葉英市郎であった。
彼の抱える苦悩は、国家という観点から見れば些細なものとしか言いようがなかったが、呪術師として、あるいは一人の親としては深刻なものであった。
彼は、自身の娘が戦場で何発もの爆裂術式を放って戦闘に加わったことに葛藤を覚えていたのである。
陰陽師とはいえ将家家臣として士族籍を持つ葛葉家としては、娘が次期当主のために忠誠を誓い、呪術師としての力を振るうことは本来であれば喜ぶべきことだ。しかし、その力の振るい方が問題であった。
景紀が冬花を連れて出征する直前、英市郎は景紀に対して冬花を戦地に連れていかないように願い出たことがある。
呪術師とは本来、災厄を祓うべき存在であり、自らが災厄となってはならないのだ。特に妖狐の血を引く葛葉家の出である以上、そのことは心に刻んでおくべきことであった。
しかし、娘である冬花にはその意識が希薄であるようであった。むしろ、若君への忠誠を優先するあまり、どこか呪術師としての倫理観に欠けているようにも思えた。
自分はいったいどこで娘の教育を間違えてしまったのか、悩む日々が続いていた。
そして娘とは別に、民間の呪術師の中にも積極的に戦争への協力を行おうとする者たちが出現しており、伝統的な呪術師の価値観を有する英市郎にとっては、一人の親として、そして一人の呪術師として、苦悩を抱えていたのである。
特に今次対斉戦役で目立っていたのは、従軍記者として戦地に赴いた呪術師たちであった。
報道機関の発達に伴って、今次戦役は皇国において初めて本格的に従軍記者を戦地に入れた戦争となった。
また、近代国民国家としての国民意識(ナショナリズム)の高揚に伴い、国民の戦争報道への意識・関心は高くなっていた。
こうした要因から、呪術によって錦絵や写真とは違う鮮明な現地の映像・画像を撮ることが出来る能力を持った呪術師たちが、従軍記者として戦地に赴いていたのである。戦地で撮影された映像の上映会も、幻灯の上映会以上に盛況であったという。
娘である冬花のように災厄をもたらすような呪術の使い方ではないが、国家にとって災厄ともいえる戦争に国民を大量に動員するための道具として呪術が使われていくことに、英市郎は漠然とした違和感を覚えていた。
だからこそ、娘が景紀に従って新南嶺島に向かってくれたことに、どこか安堵している自分自身もいた。娘と顔を合せれば、呪術師のあるべき姿を巡って親子喧嘩では済まない事態にまでいたってしまうのではないかと恐れていたのだ。
自分の娘に対してそんなことを思ってしまう自分自身に嫌気が差す一方で、自分の呪術師としての価値観は間違っていないと思っている自分自身もいる。
冬花があのような妖狐の血を色濃く引いた容姿をしていなければまた違ったのかもしれないとも考えるあたり、英市郎の苦悩と葛藤は深刻であった。
そして、彼の苦悩と葛藤をより深いものにしていたのは、斉側の呪術師の行動であった。
彼らは皇国軍の陣地に瘴気を流し込んで、多数の将兵を殺傷したという。
実際、英市郎も主君・景忠公の命によって、帰還した結城家領軍の中で瘴気の後遺症に苦しむ将兵の診察と治療、調査に当たったことがある。
冬花の爆裂術式と共に、戦場での呪術の有用性が証明されてしまったのではないか。
軍にいる呪術師は今は通信兵としての任務が与えられているが、将来はどうなるか判らない。呪術師が人間兵器として扱われる時代が来てしまうのではないか。
そうしたことを、英市郎は恐れていた。
対ルーシー戦役の可能性も取り沙汰される中、戦時における呪術師はどうあるべきなのか。
呪術師は呪術師としての己をどこまで律することが出来るのか。
そうした懊悩を、彼は一人で抱えることが出来なかった。
「貴殿の懸念は、私も十分に理解出来るものだ」
英市郎が相談を持ちかけたのは、宮内省御霊部長・浦部伊任であった。まだ婚儀を挙げてはいないものの、息子の鉄之介と伊任の娘・八重は婚約者の関係にある。
結城家家臣団の中に、英市郎の苦悩を共有出来る者はいなかった。だからこそ、同じ呪術師で人ならざるものの血を引いている浦部家の当主を頼ったのである。
「特に戦地での瘴気の利用というのは、呪術師に対して常人が嫌悪を抱くにいたりかねない危険なものだ」
皇都の料理屋で落ち合った二人は、料理と酒を片手に呪術師のあるべき姿について話し合っていた。
「我ら呪術師は、長い時間をかけて常人との信頼関係を構築してきた。これを一夜にして崩してしまえるのが、戦場での呪術師の利用だ。その点では、私は貴殿の意見には賛成だ」
龍王の血を引く呪術師は、そう言って杯を飲み干した。
「しかし今のところ、軍内部で呪術師を積極的に戦闘に利用しようという動きはない」
宮中には、陸海の侍従武官が存在している。そこから、伊任はある程度、軍内部の情報を得ることが出来ていた。
「むしろ一色公直公などは戦場での大規模破壊術式の使用を、将としての美学と節度に反するとすら考えているそうだ。それに、貴殿のところの若君・結城景紀などは、呪術の浄化という面を軍事的に利用しようと考えていると聞く。戦地での疫病の流行は、軍にとっても脅威であるからな。その意味では、皇国軍はまだまだ理性的な存在であろう。瘴気や呪詛を利用しての敵軍の撃破という発想は、対斉戦役を終えた今でも出てきていないと聞く」
「それは喜ばしいことですし、浄化の能力を重んじられるということは災厄を祓うという我ら陰陽師本来の在り方に近いとも言えますが……」
伊任から軍の内情を聞かされても、英市郎は納得していない口調であった。その景紀が呪術の浄化という側面に注目しながら娘に多数の爆裂術式を使わせたことに、彼としてはどうにも矛盾を感じてしまうのだ。
景紀が冬花に浄化の能力のみを求めていればこのような苦悩は生まれなかったのだろうが……。
「……特に私の家は妖狐の血を引き、娘の容姿はあのようなものです」
杯の中の酒を悩ましげに見つめながら、英市郎は言った。
「家臣団の中には、若様と娘の関係を快く思わない者もいます。妖狐が一国の君主を惑わしたという伝承を引き合いに出して、娘の存在を危険視する者もおります」
「……」
英市郎の言葉に、伊任は何も返さなかった。他ならぬ伊任自身が冬花の存在を危険視しているのだから当然ではあったが。
「私はこれからも景忠公の御為に尽くすつもりですし、今はあなたの下でお世話になっている愚息も葛葉家を継げば若君に仕えることになりましょう。だからこそ、冬花一人のために葛葉家を政争に巻き込ませるわけにはいかないのです」
戦国時代には、呪術通信という常人にはない連絡手段を持つ呪術師が謀反の疑いをかけられて一族諸共に滅ぼされた事例もある。呪術通信は確かに便利な術式ではある一方、ひとたび常人と呪術師との信頼関係が崩れれば容易に讒言へと繋がってしまう危険性もあった。
それと同じように、妖狐の血を引く葛葉家が主家を惑わしているというような讒言が行われれば、自分たちを待っているのは破滅である。そうした恐れを、英市郎は抱いていたのである。
娘の冬花が次期当主である景紀からの重用されているというのも、彼にとっては善し悪しであった。
「それで、貴殿は娘をどうしたいのだ?」
だんだんと呪術師としてのあるべき姿から、家の存続問題へと話題が移りつつある中で、伊任は問うた。
冬花が妖狐の血を暴走させる危険性を認識しているこの御霊部長にとってみれば、その父親が実の娘のことをどう認識しているのかを知りたかったのだ。
「そこで浦部殿、相談があるのです」
英市郎は杯を置いて姿勢を正した。
「御霊部の者で、娘の嫁ぎ先として適切な者はおりませんでしょうか?」
本人はいたって深刻なのだろうが、聞いている伊任の側からすれば溜息の出るような相談であった。
「それはつまり、貴殿の娘を結城景紀から引き離すということか?」
「はい。あのような容姿であるにもかかわらずこれまで重用して下さった若君には申し訳ないとは思いますが、今の娘の状況が呪術師として適切であるとはどうしても思えないのです。そして不敬を承知で申し上げるならば、その原因の一端は若君ご自身にあります」
「だからこそ、娘を結城家家臣団という枠組みから放り出そうというわけか」
英市郎としても苦渋の選択であるのかもしれないが、伊任は賛同しかねるものであった。彼は冬花が妖狐の血を暴走させることを危険視しているが、一方で彼女の押さえとなっているのが主君である景紀であることも認めていた。
葛葉冬花は、自らの生命に危険が迫った時以外に、精神的に不安定になった時に妖狐の血を暴走させてしまうという。そもそも八歳の時、初めて妖狐の血を暴走させた原因は、彼女が精神的に不安定になったからであった。
それを考えると、結城景紀と葛葉冬花を引き離すことが良策であるとはとても思えなかった。
伊任が妖狐の血の暴走を抑えられる呪具を景紀と冬花に渡したのも、二人の信頼関係を見たからである。
「残念だが、それはかえって逆効果となろう」
伊任は、以上のような自分の考えを英市郎に伝えた。それでも、妖狐の少女の父親の苦悩は晴れないようであった。
「娘が若君のお側に控えている限り、また戦地へ赴くことになりましょう。その時、あの子は再び大規模破壊術式を使うことを躊躇わないでしょう。それが、私の悩みなのです」
ルーシー帝国との関係が徐々に緊張感を孕むものとなっている以上、その可能性は高いだろうと英市郎は思っている。だからこそ、災厄を祓う者ではなく災厄をもたらす者となりつつある娘の在り方に対する苦悩は尽きないのだ。
「これは我が愚息が結城景紀から聞いたことなのだが」
そう言って、伊任は息子・伊季が景紀から聞いた話を語る。
「大規模破壊術式は所詮、火砲の代用に過ぎぬそうだ。結局のところ、能力の均質化が求められる近代的軍隊には、個々にそれぞれの特性があり、能力もまちまちな呪術師という存在はそぐわないということなのだと言う」
「若君が本当にそうお考えであれば良いのですが……」
葛葉英市郎の中には、人とは異なる容姿で生まれてきてしまった娘を側近として取り立ててくれた景紀への感謝がある一方で、冬花に爆裂術式を使わせたことへの不信があった。
「……」
父親として、呪術師として、そして臣下としての狭間で揺れ動き、懊悩する彼の姿を、浦部伊任は見定めようとするかのような視線で見つめていた。
西洋の列強諸国においては一神教である十字教の影響で魔術や呪術といった異能の力は異端とされ、かつては魔女狩りや異端審問などによる弾圧・虐殺の対象であった。
そうした歴史的経緯があるために、そもそも魔術の素養を持つ者自体が大幅に減少してしまっていた。貴重な魔導書なども教会勢力によって次々と火にくべられ、今ではほとんど残っていないという。
そして現在でも、そうした異能者たちは自身が異能の使い手であることを周囲に隠して、息を潜めながら暮らしていくしかない。
教会や王室がわずかに退魔師として異能者の存在を許容しているというが、秋津皇国ほど公にその存在を容認しているわけではない。
その意味では、西洋列強と共通の宗教的価値観を持たないが故とはいえ、秋津皇国という国家は列強諸国の中でも特異な存在であった。東洋唯一の列強として名を連ねていることからも、それは明らかである。
現在、秋津皇国では公的な呪術機関として宮内省御霊部、内務省陰陽局の二つが存在していた。
前者の御霊部は主に皇室の霊的守護を担い、後者の内務省陰陽局は在野の呪術師・陰陽師たちの取り締りを担っていた。陰陽局は、いわば呪術師相手の警察組織であるといえる。
この二つの機関は、元々は律令制における中務省陰陽寮を起源としていた。陰陽寮は呪術・天文・暦を統括する組織であり、これが近代的な国家制度が整えられていく過程で呪術分野の担当が御霊部と陰陽局に分かれていったのである。天文分野に関しては海軍の水路部などに引き継がれ、現在に至っていた。
そして宮内省御霊部、内務省陰陽局以外にも呪術師はおり、例えば交通・通信などを管轄する逓信省や陸海軍には通信を担う呪術通信手・通信兵が存在している。六家もまた、呪詛などから自らを守るために高位術者たちを家臣として取り立てていた。
民間にも呪術師・陰陽師は存在し、時に呪詛や幻術を用いた詐欺といった犯罪に走る者たちが現れながらも、秋津人たちはこうした異能者たちの存在を受け入れていたのである。
そして近代科学が魔術、特に錬金術に起源を求められるように、呪術や陰陽術もまた科学へと繋がる部分を持っていた。
特に皇国における呪術の主流である陰陽道は疫病や災厄を祓うという方向性で発展してきたため、脚気問題の解決などいくつかの医学的成果も挙げている。
不老不死の秘薬を求める錬丹術の研究もまた、医学・薬学の発展に貢献する部分があった。中でも上流階級を中心に使用されてきた鉛白由来の白粉の危険性を指摘したことは、錬丹術の大きな成果であると言える。
呪術は近代に至るに従って科学技術に取って代わられる分野が多くなり、また万人が使える能力でもないために科学の発展に伴って徐々に衰退を余儀なくされていったが、それでもなお皇国において完全に呪術というものがなくなることはなかった。
◇◇◇
しかし一方で、呪術と科学の相克といった問題とは別に、近代に生きる呪術師たちの中には苦悩を抱える者も少なくはなかった。
その一人が、冬花と鉄之介の父・葛葉英市郎であった。
彼の抱える苦悩は、国家という観点から見れば些細なものとしか言いようがなかったが、呪術師として、あるいは一人の親としては深刻なものであった。
彼は、自身の娘が戦場で何発もの爆裂術式を放って戦闘に加わったことに葛藤を覚えていたのである。
陰陽師とはいえ将家家臣として士族籍を持つ葛葉家としては、娘が次期当主のために忠誠を誓い、呪術師としての力を振るうことは本来であれば喜ぶべきことだ。しかし、その力の振るい方が問題であった。
景紀が冬花を連れて出征する直前、英市郎は景紀に対して冬花を戦地に連れていかないように願い出たことがある。
呪術師とは本来、災厄を祓うべき存在であり、自らが災厄となってはならないのだ。特に妖狐の血を引く葛葉家の出である以上、そのことは心に刻んでおくべきことであった。
しかし、娘である冬花にはその意識が希薄であるようであった。むしろ、若君への忠誠を優先するあまり、どこか呪術師としての倫理観に欠けているようにも思えた。
自分はいったいどこで娘の教育を間違えてしまったのか、悩む日々が続いていた。
そして娘とは別に、民間の呪術師の中にも積極的に戦争への協力を行おうとする者たちが出現しており、伝統的な呪術師の価値観を有する英市郎にとっては、一人の親として、そして一人の呪術師として、苦悩を抱えていたのである。
特に今次対斉戦役で目立っていたのは、従軍記者として戦地に赴いた呪術師たちであった。
報道機関の発達に伴って、今次戦役は皇国において初めて本格的に従軍記者を戦地に入れた戦争となった。
また、近代国民国家としての国民意識(ナショナリズム)の高揚に伴い、国民の戦争報道への意識・関心は高くなっていた。
こうした要因から、呪術によって錦絵や写真とは違う鮮明な現地の映像・画像を撮ることが出来る能力を持った呪術師たちが、従軍記者として戦地に赴いていたのである。戦地で撮影された映像の上映会も、幻灯の上映会以上に盛況であったという。
娘である冬花のように災厄をもたらすような呪術の使い方ではないが、国家にとって災厄ともいえる戦争に国民を大量に動員するための道具として呪術が使われていくことに、英市郎は漠然とした違和感を覚えていた。
だからこそ、娘が景紀に従って新南嶺島に向かってくれたことに、どこか安堵している自分自身もいた。娘と顔を合せれば、呪術師のあるべき姿を巡って親子喧嘩では済まない事態にまでいたってしまうのではないかと恐れていたのだ。
自分の娘に対してそんなことを思ってしまう自分自身に嫌気が差す一方で、自分の呪術師としての価値観は間違っていないと思っている自分自身もいる。
冬花があのような妖狐の血を色濃く引いた容姿をしていなければまた違ったのかもしれないとも考えるあたり、英市郎の苦悩と葛藤は深刻であった。
そして、彼の苦悩と葛藤をより深いものにしていたのは、斉側の呪術師の行動であった。
彼らは皇国軍の陣地に瘴気を流し込んで、多数の将兵を殺傷したという。
実際、英市郎も主君・景忠公の命によって、帰還した結城家領軍の中で瘴気の後遺症に苦しむ将兵の診察と治療、調査に当たったことがある。
冬花の爆裂術式と共に、戦場での呪術の有用性が証明されてしまったのではないか。
軍にいる呪術師は今は通信兵としての任務が与えられているが、将来はどうなるか判らない。呪術師が人間兵器として扱われる時代が来てしまうのではないか。
そうしたことを、英市郎は恐れていた。
対ルーシー戦役の可能性も取り沙汰される中、戦時における呪術師はどうあるべきなのか。
呪術師は呪術師としての己をどこまで律することが出来るのか。
そうした懊悩を、彼は一人で抱えることが出来なかった。
「貴殿の懸念は、私も十分に理解出来るものだ」
英市郎が相談を持ちかけたのは、宮内省御霊部長・浦部伊任であった。まだ婚儀を挙げてはいないものの、息子の鉄之介と伊任の娘・八重は婚約者の関係にある。
結城家家臣団の中に、英市郎の苦悩を共有出来る者はいなかった。だからこそ、同じ呪術師で人ならざるものの血を引いている浦部家の当主を頼ったのである。
「特に戦地での瘴気の利用というのは、呪術師に対して常人が嫌悪を抱くにいたりかねない危険なものだ」
皇都の料理屋で落ち合った二人は、料理と酒を片手に呪術師のあるべき姿について話し合っていた。
「我ら呪術師は、長い時間をかけて常人との信頼関係を構築してきた。これを一夜にして崩してしまえるのが、戦場での呪術師の利用だ。その点では、私は貴殿の意見には賛成だ」
龍王の血を引く呪術師は、そう言って杯を飲み干した。
「しかし今のところ、軍内部で呪術師を積極的に戦闘に利用しようという動きはない」
宮中には、陸海の侍従武官が存在している。そこから、伊任はある程度、軍内部の情報を得ることが出来ていた。
「むしろ一色公直公などは戦場での大規模破壊術式の使用を、将としての美学と節度に反するとすら考えているそうだ。それに、貴殿のところの若君・結城景紀などは、呪術の浄化という面を軍事的に利用しようと考えていると聞く。戦地での疫病の流行は、軍にとっても脅威であるからな。その意味では、皇国軍はまだまだ理性的な存在であろう。瘴気や呪詛を利用しての敵軍の撃破という発想は、対斉戦役を終えた今でも出てきていないと聞く」
「それは喜ばしいことですし、浄化の能力を重んじられるということは災厄を祓うという我ら陰陽師本来の在り方に近いとも言えますが……」
伊任から軍の内情を聞かされても、英市郎は納得していない口調であった。その景紀が呪術の浄化という側面に注目しながら娘に多数の爆裂術式を使わせたことに、彼としてはどうにも矛盾を感じてしまうのだ。
景紀が冬花に浄化の能力のみを求めていればこのような苦悩は生まれなかったのだろうが……。
「……特に私の家は妖狐の血を引き、娘の容姿はあのようなものです」
杯の中の酒を悩ましげに見つめながら、英市郎は言った。
「家臣団の中には、若様と娘の関係を快く思わない者もいます。妖狐が一国の君主を惑わしたという伝承を引き合いに出して、娘の存在を危険視する者もおります」
「……」
英市郎の言葉に、伊任は何も返さなかった。他ならぬ伊任自身が冬花の存在を危険視しているのだから当然ではあったが。
「私はこれからも景忠公の御為に尽くすつもりですし、今はあなたの下でお世話になっている愚息も葛葉家を継げば若君に仕えることになりましょう。だからこそ、冬花一人のために葛葉家を政争に巻き込ませるわけにはいかないのです」
戦国時代には、呪術通信という常人にはない連絡手段を持つ呪術師が謀反の疑いをかけられて一族諸共に滅ぼされた事例もある。呪術通信は確かに便利な術式ではある一方、ひとたび常人と呪術師との信頼関係が崩れれば容易に讒言へと繋がってしまう危険性もあった。
それと同じように、妖狐の血を引く葛葉家が主家を惑わしているというような讒言が行われれば、自分たちを待っているのは破滅である。そうした恐れを、英市郎は抱いていたのである。
娘の冬花が次期当主である景紀からの重用されているというのも、彼にとっては善し悪しであった。
「それで、貴殿は娘をどうしたいのだ?」
だんだんと呪術師としてのあるべき姿から、家の存続問題へと話題が移りつつある中で、伊任は問うた。
冬花が妖狐の血を暴走させる危険性を認識しているこの御霊部長にとってみれば、その父親が実の娘のことをどう認識しているのかを知りたかったのだ。
「そこで浦部殿、相談があるのです」
英市郎は杯を置いて姿勢を正した。
「御霊部の者で、娘の嫁ぎ先として適切な者はおりませんでしょうか?」
本人はいたって深刻なのだろうが、聞いている伊任の側からすれば溜息の出るような相談であった。
「それはつまり、貴殿の娘を結城景紀から引き離すということか?」
「はい。あのような容姿であるにもかかわらずこれまで重用して下さった若君には申し訳ないとは思いますが、今の娘の状況が呪術師として適切であるとはどうしても思えないのです。そして不敬を承知で申し上げるならば、その原因の一端は若君ご自身にあります」
「だからこそ、娘を結城家家臣団という枠組みから放り出そうというわけか」
英市郎としても苦渋の選択であるのかもしれないが、伊任は賛同しかねるものであった。彼は冬花が妖狐の血を暴走させることを危険視しているが、一方で彼女の押さえとなっているのが主君である景紀であることも認めていた。
葛葉冬花は、自らの生命に危険が迫った時以外に、精神的に不安定になった時に妖狐の血を暴走させてしまうという。そもそも八歳の時、初めて妖狐の血を暴走させた原因は、彼女が精神的に不安定になったからであった。
それを考えると、結城景紀と葛葉冬花を引き離すことが良策であるとはとても思えなかった。
伊任が妖狐の血の暴走を抑えられる呪具を景紀と冬花に渡したのも、二人の信頼関係を見たからである。
「残念だが、それはかえって逆効果となろう」
伊任は、以上のような自分の考えを英市郎に伝えた。それでも、妖狐の少女の父親の苦悩は晴れないようであった。
「娘が若君のお側に控えている限り、また戦地へ赴くことになりましょう。その時、あの子は再び大規模破壊術式を使うことを躊躇わないでしょう。それが、私の悩みなのです」
ルーシー帝国との関係が徐々に緊張感を孕むものとなっている以上、その可能性は高いだろうと英市郎は思っている。だからこそ、災厄を祓う者ではなく災厄をもたらす者となりつつある娘の在り方に対する苦悩は尽きないのだ。
「これは我が愚息が結城景紀から聞いたことなのだが」
そう言って、伊任は息子・伊季が景紀から聞いた話を語る。
「大規模破壊術式は所詮、火砲の代用に過ぎぬそうだ。結局のところ、能力の均質化が求められる近代的軍隊には、個々にそれぞれの特性があり、能力もまちまちな呪術師という存在はそぐわないということなのだと言う」
「若君が本当にそうお考えであれば良いのですが……」
葛葉英市郎の中には、人とは異なる容姿で生まれてきてしまった娘を側近として取り立ててくれた景紀への感謝がある一方で、冬花に爆裂術式を使わせたことへの不信があった。
「……」
父親として、呪術師として、そして臣下としての狭間で揺れ動き、懊悩する彼の姿を、浦部伊任は見定めようとするかのような視線で見つめていた。
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