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第九章 混迷の戦後編
179 交渉と国益
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皇暦八三六年六月三十日、新南嶺島における秋津皇国・ニューゼーランディア部族連合国両国(片方を近代的な国民国家とみなして良いかは疑問ではあるが)間の外交交渉は、皇国側が提示した条約案を新海諸島部族長たちが条件付きながらも受諾したことで実質的に終結した。
「問題は、現地の生蕃の中にこの条約に強硬に反対する者が出ないか、ということだな」
知事公邸会議室で、外務省側の人間である首席全権が言った。
「我が皇国との交渉に応じたのは、基本的に前回のニューゼーランディア部族連合国承認時の有力部族長たちか、その子供世代の者たちが中心だ。もともと親皇国派だった者たちを懐柔したところで、十分な成果とは言えまい」
秋津皇国皇主に対して、新海諸島を“ニューゼーランディア部族連合国”という国家として承認して欲しいと請願した三十四名の部族長の内、老齢ながら未だ部族長の地位にある者は十名ほど。
今回の部族代表団も、基本的には前回の請願時と同じ秋津皇国の庇護の下で西洋列強や十字教の流入を阻止したい者たちで構成されていた。
「例えばの話だ。もし我が国の支援を受けた部族長たちに対抗するため、ヴィンランド合衆国などに助力を求める部族長が出ないとも限らん。そうなれば、列強各国が新海諸島の部族抗争に介入し、完全な混沌に陥る可能性もある」
「その心配は、杞憂かと」
平然とした声でそう言ったのは、景紀であった。
「前回の請願以降、あの島の経済はこちらが抑えていますから」
要するに、結城家や南洋総督府、そして結城家の御用商人である南海興発が、すでに新海諸島に経済的な基盤を築いているという意味である。
より正確に言えば、南海興発の拓殖部が移民のための土地の買収を進めていた。もともと土地売買の習慣を持たないアオテア人は、秋津人商人に半ば騙されるような形で広大な土地を売却していた。
アオテア人にとっては土地を売却したという認識はなく、あくまでも貢物と引き換えに外国人の居留を認める、といった程度の認識であったという。
肝心の結城家がこれまで南泰平洋の植民地化を推進出来ていなかったために、それら買収した土地は宙に浮いた形となっていたが、例えば南瀛諸島では鉱山と思われる場所を確認しているなど、ある程度の調査は進んでいた。
国策としての南泰平洋の植民地化が決定されたことで、いよいよ結城家としても本格的な植民地政策に乗り出すことが出来るようになったのである。
とはいえ、景紀の言葉に首席全権を始めとする生粋の外交官たちは露骨に不愉快そうな表情を見せていた。
彼らにとってみれば、六家とはいえ外交官でもない人間が外務省の統制を離れて“外交”を行っていることが気に喰わないのだ。
これは、国策としての南進論が外務省と将家との間で完全に分断されていることを意味していた。
もちろん、その程度のことは景紀も自覚していた。ただ、南進の実行主体が結城家となる関係上、やむを得ないこととも考えている。現状の皇国の政治制度上の限界であった。
「それに、南泰平洋の制海権は皇国海軍が握っています。ヴィンランド合衆国の泰平洋進出は近年著しいですが、あくまでそれは漁民であり、海軍力という観点では未だ微々たるものです」
南泰平洋進出を自らの組織利益と捉えているのは、何も結城家だけではない。
そこに広大な植民地が形成されることになれば、当然、その海上交通路の保護は海軍の担当となる。海軍は、軍備拡張のための予算を増額する口実を得られることになるのだ。
その点で、結城家と海軍の利害関係は一致していた。
ある意味で、外務省だけが蚊帳の外に置かれているというのが実態であった。
後世的な視点で見れば結城家や南海興発、海軍の独走であったが、少なくとも中央政府が六家の影響下にあるこの時代では、大きな政治問題となりにくかったのである。
◇◇◇
新南嶺島における交渉は、新海諸島の部族長たちが皇国側の提示した条約案を受諾してからが結城家にとっての本番であるとも言えた。
六月三十日の夜以降、景紀、南洋総督府、南海興発による各部族長への個人的な接触が始まった。
部族長たちが求めている“支援”について、話し合うためである。
部族同士の抗争が続く新海諸島で他部族を説得するには、やはり武力が必要であった。
軍事支援については、外務省ではなく陸軍への影響力が強い六家の出番である。そして、その実行主体として南海興発が必要であった。
また、南洋総督府は南洋植民地における行政機関として、結城家の御用会社・国策会社であるものの一企業である南海興発に便宜を図ることが出来る。
「武器の支援に、軍事顧問の派遣。あと、出来れば経済顧問あたりも新海諸島の部族に送り込みたい」
「武器については、二十二年式歩兵銃が大量に余っているみたいだから、それが使えるわね」
知事公館の一室で、景紀や冬花たちは新海諸島の部族長たちに対する支援策を話し合っていた。
「ああ、今次対斉戦役で三十年式歩兵銃の生産が進んだお陰で、後備部隊も含めて装備の更新が進んだからな」
後装式銃である三十年式歩兵銃が陸軍の標準的な装備となりつつある一方で、一世代前の主力小銃であった二十二年式歩兵銃(前装式)の在庫が、内地で数十万丁単位で発生していたのである。
実際、対斉戦役の終結と共に余剰となった皇国製の武器を、マフムート朝が目敏く買収交渉を持ちかけてきていた。
ルーシー帝国との関係が緊張の度合いを増していく中で、かの帝国は新鋭巡洋艦二隻の他に、陸軍の装備として皇国の二十二年式歩兵銃を欲していたのである。
皇国陸軍では旧式化してしまった二十二年式歩兵銃であるが、前装式ながら雷管式の撃発機構を持つこの小銃は、旧来の燧石(フリントロック)式の小銃よりも遙かに強力であった。
早速、マフムート帝国は駐秋津大使を通して、二十二年式歩兵銃五万丁と相当数の弾薬の買い付けを行ったという。
そして、三十年式歩兵銃への装備更新が進む皇国陸軍では、これからも二十二年式歩兵銃の余剰在庫は発生し続けるだろう。
「南洋総督府と南洋独立守備隊から、二十二年式歩兵銃の余剰在庫を南海興発に安く売り渡して、新海諸島の各部族たちの手に渡るように手を回しておけ」
「了解」
「軍事顧問については、軍から正式に送るとなると他家からの横槍を入れられそうだから、客将とか傭兵とか、そういう身分で向こうに送る」
「すでに新海諸島の部族にも牢人出の傭兵はいると思うけど、そういう連中はどうするの?」
冬花が、景紀の発言に疑問を呈す。
実際、新海諸島に渡った牢人の中には、傭兵となるだけでなく現地部族出身の女性と結婚して部族の一員として迎え入れられている者もいると言う。また、そうした牢人傭兵の二世、三世も存在している。
結城家が新海諸島の利権を獲得するに当たって、むしろそうした結城家に属さない秋津人の先駆者たちは邪魔になる。
冬花は結城家家臣としての立場から、そう考えていた。
「現地との繋がりの深い奴は貴重だ。むしろ、そういう奴であれば結城家が家臣として取り立ててやっても良い。いずれ新海諸島を併合した暁には、総督府の地方官吏としても使えるだろうしな」
だが、一方の景紀はそうした秋津人を結城家に取り込んでいく方針であった。
南瀛諸島、新海諸島を併合して南泰平洋に新たな総督府を設置する予定ではあるのだが、現状でははっきり言って人材不足の感があった。
新たに獲得した領土が広大に過ぎるのである。
すでに結城家は、世界第二の面積を誇る島・新南嶺島を支配している。この島の開発は依然として途上の段階にあり、結城家は家臣団や領民も含めてこの島に多数の人材を送り込んでいた。
そして新たに結城家が利権を獲得することになる南瀛、新海両諸島であるが、これらの島々を合せた面積は、皇国本土に匹敵するのだ。
それだけ広大な地域(しかも海によって隔てられている)を支配するのには、結城家の家臣団出身者だけでは不足なのである。当然、平民出の者も登用する必要があるだろうし、現地人(新海諸島の部族たちだけでなく、現地在住の秋津人も含む)を利用する必要があった。
もちろん、牢人を無制限に受け入れては自らの既得権が脅かされると結城家家臣団から反発の声が上がるだろうが、優秀な人間ならば平民であろうが牢人であろうが取り込んでいく必要があった。
南洋群島や新南嶺島を始めとする南洋植民地では、結城家やその家臣団、領民たちが社会的基盤を築いているところに牢人が流入してきたという問題があったが、新海諸島では逆の現象が生じることになるだろう。新参の結城家家臣団と、現地で生活基盤を築き部族社会にも溶け込んでいる秋津人との間で、軋轢が生じかねない。
必然的に、牢人対策もこれまでの南洋植民地とは別のものになろう。
そのためにも、新海諸島の牢人や移民など秋津人先駆者たちに対する優遇措置は必要であった。
「あとはまあ、この条約に同意しない部族に対する措置だな」
「新海諸島側からは、手出し無用と言われていたような気がいたしますが?」
冬花に指示を下す景紀を側で見ていた宵が、そう疑問を呈した。
「皇国としての保証を与えないでくれ、ということだ。俺たちが敵対的な部族を弱体化させることについては、何ら問題ないだろう?」
そこで少し、景紀はあくどい笑みを見せた。
これもまた政治か、と思って宵はそれ以上の追及を行わなかった。恐らく、自分も景紀の不在中に次期当主正室として権力を振るわけなければならない際には、そうした抜け道を探すことになるだろう。
「まだ部族代表団たちの説得が成功するか否かは判らんが、中には他国に服従することを良しとしない部族長はいるだろう。そういう部族に対しては、南海興発が一切の取引を行わないように仕向ける。あとはそうだな、すでに向こうで秋津人移民なんかが土地を持っているんだ。南海興発の買った土地もある。そういう土地を武装した連中が通過しようとした場合、秋津皇国に対する敵対行為と受け取る、という声明を出しても良い」
「つまり、通過出来ない地域を設定することで、戦場に出来る場所を限定させてしまい、軍事行動の選択肢の幅を狭めようというわけですね?」
「ああ、よく判っているな」
景紀がそう言えば、宵は少しだけ嬉しそうに唇の形を変えた。
実際問題、秋津人の居留地域や買収した土地が戦場に出来ないとなれば、部族同士の抗争はひどくやりにくいものになるだろう。
皇国が漁民や居留民の保護という名目で海軍艦艇を派遣すれば、新海諸島部族に対する圧力をさらに高めることが出来る。
「ああ、皇国側に付いている部族たちに対する支援も調整するぞ。どこか一つの部族が突出した力を持つようになれば、本当に“ニューゼーランディア部族連合国”が一つの独立国になりかねないからな。部族の力が分散して、皇国に助けを求めざるを得ない今の状況が、俺たちにとって都合が良いんだ」
景紀の露骨な言葉に、冬花も宵も複雑な表情をした。
ある意味で、国内で権力や武力が分散しているというのは皇国にも当てはまるからだ。一方はそれでもなお近代国家としての体裁を整えるまでになり、もう一方はその国家によって併合されようとしている。そのことに、歴史の皮肉を覚えざるを得なかった。
「まあ、そっちの方の工作も抜かりないわよ」
南洋興発のまとめた現地情勢や工作結果の報告書を手元に置いている冬花は、その紙に目を落としながら言った。
「部族内で次の部族長の座を狙っている者、あるいは今の部族長の方針に納得出来ていない者、そういう者たちとの繋ぎは、南海興発が商人に偽装して送り込んだ工作員たちが作っているそうよ」
「そして秘密裏に資金と武器を支援する準備も、な」
景紀はまたしても悪い表情を浮かべていた。
「こっちからの命令一つで、部族内部で内紛を発生させられるわけだ」
「まあ、他の六家とか外務省が妙な口出しをしてこなければ、でしょうけど」
「そして内地が安定している限り、な」
皮肉そうに、景紀は付け加えた。
今頃内地では、六家が戦後の国家運営や満洲利権の分配を巡って対立と妥協を繰り返していることだろう。
自分たちが内地を留守にしている間、六家を中心とした皇国の政局はどう動いているのだろうか。
六家長老・有馬頼朋翁がいる限りは何とか六家間での妥協が成立する可能性はあるだろうが、内地だけでなく国際情勢も依然として混迷の度合いを増している。
内地の情勢も国際情勢も、どこか一つでも歯車が狂えば大きな騒乱となるだろう。
桜浜では最新の国内・国際情勢を知るのに、どうしても内地との時間差が生じてしまう。必然的に、景紀たちの対処も数手、遅れたものにならざるを得ないだろう。
景紀たちは一抹の不安を覚えつつも、ひとまずは目の前の新海諸島問題に専念せざるを得なかった。
「問題は、現地の生蕃の中にこの条約に強硬に反対する者が出ないか、ということだな」
知事公邸会議室で、外務省側の人間である首席全権が言った。
「我が皇国との交渉に応じたのは、基本的に前回のニューゼーランディア部族連合国承認時の有力部族長たちか、その子供世代の者たちが中心だ。もともと親皇国派だった者たちを懐柔したところで、十分な成果とは言えまい」
秋津皇国皇主に対して、新海諸島を“ニューゼーランディア部族連合国”という国家として承認して欲しいと請願した三十四名の部族長の内、老齢ながら未だ部族長の地位にある者は十名ほど。
今回の部族代表団も、基本的には前回の請願時と同じ秋津皇国の庇護の下で西洋列強や十字教の流入を阻止したい者たちで構成されていた。
「例えばの話だ。もし我が国の支援を受けた部族長たちに対抗するため、ヴィンランド合衆国などに助力を求める部族長が出ないとも限らん。そうなれば、列強各国が新海諸島の部族抗争に介入し、完全な混沌に陥る可能性もある」
「その心配は、杞憂かと」
平然とした声でそう言ったのは、景紀であった。
「前回の請願以降、あの島の経済はこちらが抑えていますから」
要するに、結城家や南洋総督府、そして結城家の御用商人である南海興発が、すでに新海諸島に経済的な基盤を築いているという意味である。
より正確に言えば、南海興発の拓殖部が移民のための土地の買収を進めていた。もともと土地売買の習慣を持たないアオテア人は、秋津人商人に半ば騙されるような形で広大な土地を売却していた。
アオテア人にとっては土地を売却したという認識はなく、あくまでも貢物と引き換えに外国人の居留を認める、といった程度の認識であったという。
肝心の結城家がこれまで南泰平洋の植民地化を推進出来ていなかったために、それら買収した土地は宙に浮いた形となっていたが、例えば南瀛諸島では鉱山と思われる場所を確認しているなど、ある程度の調査は進んでいた。
国策としての南泰平洋の植民地化が決定されたことで、いよいよ結城家としても本格的な植民地政策に乗り出すことが出来るようになったのである。
とはいえ、景紀の言葉に首席全権を始めとする生粋の外交官たちは露骨に不愉快そうな表情を見せていた。
彼らにとってみれば、六家とはいえ外交官でもない人間が外務省の統制を離れて“外交”を行っていることが気に喰わないのだ。
これは、国策としての南進論が外務省と将家との間で完全に分断されていることを意味していた。
もちろん、その程度のことは景紀も自覚していた。ただ、南進の実行主体が結城家となる関係上、やむを得ないこととも考えている。現状の皇国の政治制度上の限界であった。
「それに、南泰平洋の制海権は皇国海軍が握っています。ヴィンランド合衆国の泰平洋進出は近年著しいですが、あくまでそれは漁民であり、海軍力という観点では未だ微々たるものです」
南泰平洋進出を自らの組織利益と捉えているのは、何も結城家だけではない。
そこに広大な植民地が形成されることになれば、当然、その海上交通路の保護は海軍の担当となる。海軍は、軍備拡張のための予算を増額する口実を得られることになるのだ。
その点で、結城家と海軍の利害関係は一致していた。
ある意味で、外務省だけが蚊帳の外に置かれているというのが実態であった。
後世的な視点で見れば結城家や南海興発、海軍の独走であったが、少なくとも中央政府が六家の影響下にあるこの時代では、大きな政治問題となりにくかったのである。
◇◇◇
新南嶺島における交渉は、新海諸島の部族長たちが皇国側の提示した条約案を受諾してからが結城家にとっての本番であるとも言えた。
六月三十日の夜以降、景紀、南洋総督府、南海興発による各部族長への個人的な接触が始まった。
部族長たちが求めている“支援”について、話し合うためである。
部族同士の抗争が続く新海諸島で他部族を説得するには、やはり武力が必要であった。
軍事支援については、外務省ではなく陸軍への影響力が強い六家の出番である。そして、その実行主体として南海興発が必要であった。
また、南洋総督府は南洋植民地における行政機関として、結城家の御用会社・国策会社であるものの一企業である南海興発に便宜を図ることが出来る。
「武器の支援に、軍事顧問の派遣。あと、出来れば経済顧問あたりも新海諸島の部族に送り込みたい」
「武器については、二十二年式歩兵銃が大量に余っているみたいだから、それが使えるわね」
知事公館の一室で、景紀や冬花たちは新海諸島の部族長たちに対する支援策を話し合っていた。
「ああ、今次対斉戦役で三十年式歩兵銃の生産が進んだお陰で、後備部隊も含めて装備の更新が進んだからな」
後装式銃である三十年式歩兵銃が陸軍の標準的な装備となりつつある一方で、一世代前の主力小銃であった二十二年式歩兵銃(前装式)の在庫が、内地で数十万丁単位で発生していたのである。
実際、対斉戦役の終結と共に余剰となった皇国製の武器を、マフムート朝が目敏く買収交渉を持ちかけてきていた。
ルーシー帝国との関係が緊張の度合いを増していく中で、かの帝国は新鋭巡洋艦二隻の他に、陸軍の装備として皇国の二十二年式歩兵銃を欲していたのである。
皇国陸軍では旧式化してしまった二十二年式歩兵銃であるが、前装式ながら雷管式の撃発機構を持つこの小銃は、旧来の燧石(フリントロック)式の小銃よりも遙かに強力であった。
早速、マフムート帝国は駐秋津大使を通して、二十二年式歩兵銃五万丁と相当数の弾薬の買い付けを行ったという。
そして、三十年式歩兵銃への装備更新が進む皇国陸軍では、これからも二十二年式歩兵銃の余剰在庫は発生し続けるだろう。
「南洋総督府と南洋独立守備隊から、二十二年式歩兵銃の余剰在庫を南海興発に安く売り渡して、新海諸島の各部族たちの手に渡るように手を回しておけ」
「了解」
「軍事顧問については、軍から正式に送るとなると他家からの横槍を入れられそうだから、客将とか傭兵とか、そういう身分で向こうに送る」
「すでに新海諸島の部族にも牢人出の傭兵はいると思うけど、そういう連中はどうするの?」
冬花が、景紀の発言に疑問を呈す。
実際、新海諸島に渡った牢人の中には、傭兵となるだけでなく現地部族出身の女性と結婚して部族の一員として迎え入れられている者もいると言う。また、そうした牢人傭兵の二世、三世も存在している。
結城家が新海諸島の利権を獲得するに当たって、むしろそうした結城家に属さない秋津人の先駆者たちは邪魔になる。
冬花は結城家家臣としての立場から、そう考えていた。
「現地との繋がりの深い奴は貴重だ。むしろ、そういう奴であれば結城家が家臣として取り立ててやっても良い。いずれ新海諸島を併合した暁には、総督府の地方官吏としても使えるだろうしな」
だが、一方の景紀はそうした秋津人を結城家に取り込んでいく方針であった。
南瀛諸島、新海諸島を併合して南泰平洋に新たな総督府を設置する予定ではあるのだが、現状でははっきり言って人材不足の感があった。
新たに獲得した領土が広大に過ぎるのである。
すでに結城家は、世界第二の面積を誇る島・新南嶺島を支配している。この島の開発は依然として途上の段階にあり、結城家は家臣団や領民も含めてこの島に多数の人材を送り込んでいた。
そして新たに結城家が利権を獲得することになる南瀛、新海両諸島であるが、これらの島々を合せた面積は、皇国本土に匹敵するのだ。
それだけ広大な地域(しかも海によって隔てられている)を支配するのには、結城家の家臣団出身者だけでは不足なのである。当然、平民出の者も登用する必要があるだろうし、現地人(新海諸島の部族たちだけでなく、現地在住の秋津人も含む)を利用する必要があった。
もちろん、牢人を無制限に受け入れては自らの既得権が脅かされると結城家家臣団から反発の声が上がるだろうが、優秀な人間ならば平民であろうが牢人であろうが取り込んでいく必要があった。
南洋群島や新南嶺島を始めとする南洋植民地では、結城家やその家臣団、領民たちが社会的基盤を築いているところに牢人が流入してきたという問題があったが、新海諸島では逆の現象が生じることになるだろう。新参の結城家家臣団と、現地で生活基盤を築き部族社会にも溶け込んでいる秋津人との間で、軋轢が生じかねない。
必然的に、牢人対策もこれまでの南洋植民地とは別のものになろう。
そのためにも、新海諸島の牢人や移民など秋津人先駆者たちに対する優遇措置は必要であった。
「あとはまあ、この条約に同意しない部族に対する措置だな」
「新海諸島側からは、手出し無用と言われていたような気がいたしますが?」
冬花に指示を下す景紀を側で見ていた宵が、そう疑問を呈した。
「皇国としての保証を与えないでくれ、ということだ。俺たちが敵対的な部族を弱体化させることについては、何ら問題ないだろう?」
そこで少し、景紀はあくどい笑みを見せた。
これもまた政治か、と思って宵はそれ以上の追及を行わなかった。恐らく、自分も景紀の不在中に次期当主正室として権力を振るわけなければならない際には、そうした抜け道を探すことになるだろう。
「まだ部族代表団たちの説得が成功するか否かは判らんが、中には他国に服従することを良しとしない部族長はいるだろう。そういう部族に対しては、南海興発が一切の取引を行わないように仕向ける。あとはそうだな、すでに向こうで秋津人移民なんかが土地を持っているんだ。南海興発の買った土地もある。そういう土地を武装した連中が通過しようとした場合、秋津皇国に対する敵対行為と受け取る、という声明を出しても良い」
「つまり、通過出来ない地域を設定することで、戦場に出来る場所を限定させてしまい、軍事行動の選択肢の幅を狭めようというわけですね?」
「ああ、よく判っているな」
景紀がそう言えば、宵は少しだけ嬉しそうに唇の形を変えた。
実際問題、秋津人の居留地域や買収した土地が戦場に出来ないとなれば、部族同士の抗争はひどくやりにくいものになるだろう。
皇国が漁民や居留民の保護という名目で海軍艦艇を派遣すれば、新海諸島部族に対する圧力をさらに高めることが出来る。
「ああ、皇国側に付いている部族たちに対する支援も調整するぞ。どこか一つの部族が突出した力を持つようになれば、本当に“ニューゼーランディア部族連合国”が一つの独立国になりかねないからな。部族の力が分散して、皇国に助けを求めざるを得ない今の状況が、俺たちにとって都合が良いんだ」
景紀の露骨な言葉に、冬花も宵も複雑な表情をした。
ある意味で、国内で権力や武力が分散しているというのは皇国にも当てはまるからだ。一方はそれでもなお近代国家としての体裁を整えるまでになり、もう一方はその国家によって併合されようとしている。そのことに、歴史の皮肉を覚えざるを得なかった。
「まあ、そっちの方の工作も抜かりないわよ」
南洋興発のまとめた現地情勢や工作結果の報告書を手元に置いている冬花は、その紙に目を落としながら言った。
「部族内で次の部族長の座を狙っている者、あるいは今の部族長の方針に納得出来ていない者、そういう者たちとの繋ぎは、南海興発が商人に偽装して送り込んだ工作員たちが作っているそうよ」
「そして秘密裏に資金と武器を支援する準備も、な」
景紀はまたしても悪い表情を浮かべていた。
「こっちからの命令一つで、部族内部で内紛を発生させられるわけだ」
「まあ、他の六家とか外務省が妙な口出しをしてこなければ、でしょうけど」
「そして内地が安定している限り、な」
皮肉そうに、景紀は付け加えた。
今頃内地では、六家が戦後の国家運営や満洲利権の分配を巡って対立と妥協を繰り返していることだろう。
自分たちが内地を留守にしている間、六家を中心とした皇国の政局はどう動いているのだろうか。
六家長老・有馬頼朋翁がいる限りは何とか六家間での妥協が成立する可能性はあるだろうが、内地だけでなく国際情勢も依然として混迷の度合いを増している。
内地の情勢も国際情勢も、どこか一つでも歯車が狂えば大きな騒乱となるだろう。
桜浜では最新の国内・国際情勢を知るのに、どうしても内地との時間差が生じてしまう。必然的に、景紀たちの対処も数手、遅れたものにならざるを得ないだろう。
景紀たちは一抹の不安を覚えつつも、ひとまずは目の前の新海諸島問題に専念せざるを得なかった。
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