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第九章 混迷の戦後編
169 三国干渉
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ルーシー帝国、帝政フランク、ヴィンランド合衆国の三国共同の声明によって、遼東半島および満洲利権の斉国返還が勧告されたのは、皇暦八三六年五月二十日のことであった。
後世、「三国干渉」と呼ばれる事件である。
奇しくもこの日は、秋斉両国による批准書の交換が行われた日であった。
三国は、片務的最恵国待遇を受けているが故に自国にも適用される講和条約の通商関係部分については容認したが、領土の割譲や斉国内の利権獲得については認めないという姿勢を示したのである。
その理由として、まず遼東半島が斉国の都・燕京を脅かすことの出来る距離にあり、ここを領有することは東洋平和の回復を謳っていた皇国の戦争理由と矛盾するということ。次いで遼東半島の領有によって、皇国の主張する陽鮮の独立が皇国自身によって脅かされるということ。
この二つを挙げて、三国は遼東半島の返還を勧告した。
さらに満洲利権を皇国が得ることによって他の国々がこの地方において自由な通商を行うことが妨げられる点を挙げて、満洲利権の返還を要求してきたのである。
一方の皇国側はルーシー帝国が西シビルアにも陸軍部隊を集結させているという情報を掴んでいたことから、勧告を拒絶した場合、かの国が軍事行動に移る可能性について懸念していた。
このため、氷州駐箚部隊である第十五、第十六師団には警戒命令が発令されている。
戦略予備として内地に留まっていた長尾家領軍の第十三師団、北溟道の第七師団についても、氷州進出準備が下令された。
また、ヴィンランド合衆国による干渉に対抗するため、南洋海域を担当する第四艦隊のペレ王国真珠湾への回航も決定されている。
ペレ王国自身も、秋津皇国とヴィンランド合衆国が対立すればその最前線となるのは自国であることを理解しており、皇国に対して艦隊の派遣を要請していた。第四艦隊の真珠湾回航は、この要請に基づくものでもあったのだ。
また、皇国としてはペレ王国から発注された巡洋艦二隻をマフムート朝に売却してしまったこともあり、その代替として第四艦隊をペレ王国に派遣することで、皇国が同盟国を決して見捨てないという姿勢を示す必要があったのである。
こうした軍事的対応は、三国からの勧告があったその日の内に決定された。
一方、三国共同勧告に対する回答の文面については、外務省が原案を作成したものを大本営政府連絡会議に諮ることとなった。
同時に、皇国政府はアルビオン連合王国との連絡も取り合っていた。
そして駐秋津アルビオン大使より、この問題について皇国側を支持するとの合意を取り付けることに成功していた。
すでにアルビオン連合王国との間には、秘密裏にアジア地域における両国の勢力圏を画定するための協定締結について、交渉が進められていた。
伊丹正信自身はこの交渉に反対していたが、事ここに至っては、一時的にアルビオン連合王国と妥協することが必要だと理解していた。
いずれ協約を更新する際に、更新を拒絶することで協約を廃棄に持っていけば良いと、彼は考えていたのである。
とにかく今は、アヘン戦争などとという恥ずべき戦争を行った国であっても、ルーシー帝国、帝政フランク、ヴィンランド合衆国の干渉を排除することために連帯することが必要であった。そう、彼は己に言い聞かせていた。
結果として、自国のアジアでの植民地や権益を守り、拡大したい秋津皇国・アルビオン連合王国と、それを阻止したいルーシー帝国、帝政フランク、ヴィンランド合衆国という国際的な対立構図が生まれたのである。
アルビオン連合王国もルーシー帝国軍の西シビルア集結は警戒しており、特にこの部隊が南下して自国の植民地・保護国となっているシンドゥを脅かすのではないかと危機感を募らせていたことが、対斉戦役後も秋津皇国と提携し続ける選択肢を選ばせたのであった。
同時に、シンドゥ防衛のために斉に派遣した遠征軍の西蔵派遣を検討している旨を皇国に通達し、皇国との軋轢を避けようとする慎重な姿勢も見せている。
そして、秋津皇国による三国共同勧告に対する回答は、五月二十二日になされた。
当然、その内容は勧告に対する拒絶である。この拒絶回答の中には、皇国は東亜の秩序維持に責任を持つ国家であるという、皇国主導の東アジア国際秩序“東亜新秩序”を樹立しようとする秋津皇国の外交姿勢を明確に謳う一文が含まれていた。
皇国はルーシー帝国、ヴィンランド合衆国の今後の動向を慎重に見極めようとしつつも、戦後の干渉には断乎として屈しない姿勢を内外に示したのである。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
宵は、三国干渉やそれに対抗するためのアルビオン連合王国との交渉が続けられていた五月下旬、生まれ故郷の嶺州首府・鷹前にいた。
五月一日より内地還送が始まった第十四師団の内、嶺州出身者(すでに分離して県となった花岡県出身者も含む)で構成される第二十八旅団(歩兵第五十七連隊、同五十八連隊)の将兵が、五月二十日までに故郷への帰還を果たしていたのである。
そのため嶺州首府・鷹前では、二つの部隊の内地帰還に合せて二十五日より凱旋祝賀行事が行われることになったのであった。
宵は、佐薙家家長としてこの行事に出席することとなったのである。
二度にわたる佐薙家の皇都での不祥事もあり、嶺州領民たちは連隊の将兵たちを郷土の誇りとして大々的に歓迎した。
かつての領主・佐薙成親とその嫡男・大寿丸は、最早嶺州領民にとって仰ぐべき主君ではなくなってしまったのである。
だからこそ、領民たちは自らの故郷が誇れる存在として、凱旋帰還した将兵たちをその代替としようとしたといえる。
もちろん、嶺州振興に努めてくれている結城家に嫁いだ姫君についても、領民は感謝の念を持っている。しかし、宵姫を郷土の偉人として見るには、性別やその年齢が邪魔をしていた。
確かに宵は景紀と共に嶺州の振興政策に関わり、さらには娘の身売りが多かったこの地方に跋扈していた悪徳な女衒を徹底的に取り締るなど、領民の利益となる施策を行ってくれた。悪徳女衒を取り締る過程で一部の役人と女衒との癒着関係も判明し、ますます人心は佐薙家から離れていった。
しかし、そうして宵が故郷のために尽くそうとしながらも、あくまでも領民にとって彼女は、父である元領主・成親たちから疎んじられながらも故郷の領民に尽くそうとしてくれている健気な姫君でしかなかったのだ。
領民たちからは姫君として尊崇の念を向けられてはいるものの、領民に新たな主君として仰がれるほどの存在ではないというのが、宵という少女であった。
その宵は、二十五日、二十六日と二日にわたって続いた凱旋祝賀行事が終わると、戦没者慰霊を目的とした二十七日の大招魂祭にも参加した。
旅団長・柴田平九郎大佐と共に、宵は祭文を朗読して戦没者の鎮魂に努めた。
大招魂祭が終わると宵は参列していた戦没者遺族らを見舞うなどして、二十九日、皇都へと帰るために故郷・鷹前を後にした。
戦時国内輸送の効率化を目指したため、東北地方の懸案であった嶺州鉄道は、東北鎮台鉄道部隊の協力などもあり、この戦時中にひとまず単線で花岡まで開通していた。
昨年の春、景紀と共に鷹前に赴いた時に比べると、二日ほど移動時間は短縮できた。
官営鉄道を乗り継ぎ、結城家皇都屋敷の最寄り駅である京越線の高畠駅に到着したのは、六月三日のことであった。
汽車が止まり、一等客車から停車場へと降りる。
「―――っ!?」
降りた途端、宵は息が止まるかと思った。
「帰ってきたぜ、宵」
そこで待っていてくれたのは、宵がずっと逢いたいと思っていた相手であった。
「かげのり、さま……」
不覚にも涙がこみ上げてきそうになって、宵は言葉を詰まらせてしまう。まだ、菖蒲や済、他の乗客たちの目もある。
ここで、将家の姫としての態度を崩すわけにはいかなかった。宵は、涙を堪える自らの表情を隠すように、一礼して頭を下げた。
「……無事のご帰還、誠におめでとうございます」
「ああ、ただいま、宵」
そう言って、景紀は屈託のない笑みを宵に見せてくれた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
景紀たちが独混第一旅団を乗せた輸送船の最終便で新治の港に降り立ったのは、五月二十九日のことであった。
そのまま景紀、冬花、貴通は旅団駐屯地であった澄之浦に向かい、旅団将兵に持ち帰った装備の点検・整備などを命じ、自分たちは戦力の再編と再訓練の日程調整などの旅団業務を行っていた。
また、今次戦役で旅団が得た戦訓をまとめて、兵部省に報告するための資料作成などにも当たっていた。
しかし帰国から二日後の五月三十一日、景紀は兵部省から思いがけない辞令を受け取ることとなった。
それは、六月一日付を以て景紀を独混第一旅団長の任から解くというものであった。
併せて、貴通も旅団幕僚を解任されている。
後任には、騎兵第十八連隊の細見為雄大佐が、連隊長兼任で旅団長に就任することになった。正式な後任が決定するまでの、一時的な措置ということであった。
平時には、基本的に四月と十月に昇進や人事異動が行われる。恐らく、その時に細見大佐を少将昇進の上、正式に旅団長に就任させるつもりだろう。
しかし、景紀にとって寝耳に水な解任辞令であったことには違いない。しかも、辞令が届いたのが、実際に異動が行われる前日である。
とはいえ、父・景忠から皇都屋敷に来るよう電報が届いたので、父は自分に何か別の役目を与えたいのかと思い、ひとまず簡単な引き継ぎだけを済ませて後のことは貴通に任せると、六月二日、景紀は冬花と共に皇都に赴くことにした。
「実は、お前が一部隊を率いていることについて、六家の中で懸念を示す者がいてな」
父に無事の帰還を喜ばれた後、景紀に告げられたのはそうした事情であった。
「今次戦役で、お前は奇策ばかりを用いてきたというではないか。そのような者は用兵の器にあらずとして、旅団長という地位に就けておくのは相応しくないと、伊丹公や一色公より私に申し入れがあったのだ」
「……」
それで、父は唯々諾々と二人の言うことに従ったというのだろうか。以前からそうだったが、景紀の中で父の態度についての疑念が大きくなっていた。
景紀にとって、独混第一旅団は自身の兵学寮以来の持論を実践するための存在であった。今次戦役で自身の戦術論の問題点も見つかり、これからさらに戦訓分析などを行おうとした矢先の旅団長解任である。
この父は、出来るだけ伊丹公や一色公との摩擦を避けようとしているらしい。確かに政治は時に妥協が必要な場面もあるが、あまり妥協ばかりでは弱腰と受け取られてしまう。
景紀が当主の地位を継ぐまでに伊丹家や一色家との関係を改善し、その状態で当主の交代を行いたいのかもしれないが、どうにも景紀は父の姿勢に納得出来なかった。
「しかし、お前にも六家次期当主としての面子もあろうからな。表向きは、別の役目を与えるために旅団長の地位を解くこととした」
とはいえ、父もあからさまな妥協だとは思われないようにはしたらしい。もっとも、それで景紀が納得するかは別問題であったが。
「お前には、新海諸島の有力部族長たちとの会談を行ってほしい。実は新海諸島の併合に向けて、動き出していてな。すでに我が国が国家として承認してしまった以上、あの島々を一方的に併合することも出来ん。そこで、両国合意の下で皇国に併合するという形をとることにしたのだ。そのための会談の場を、この度、設けることにした。お前には結城家の代表として、この会談に参加するのだ」
◇◇◇
「と、いうことらしい」
駅から結城家皇都屋敷に向かう道すがら、人力車に乗る宵に景紀は帰国してからの事情を語った。
人力車の周囲には冬花が結界を張り、話の内容が周囲の通行人に聞こえないようにしてくれている。
「私が十日ほど皇都を留守にしている間に、そのようなことが……」
宵は、思わず嘆息しそうになった。
景忠公が安定的な当主の交代を望んでいることは宵自身も察していたが、少し伊丹家や一色家への妥協が過ぎるような気がするのだ。
「まあ、その所為で勲章もなしだそうだ。別にそこまでこだわりはなかったが、まあ、ちょっと残念って気はやっぱりあるが」
男子らしい勲章への憧れがあることが少し恥ずかしいのか、景紀はおどけたように言うが、そういう問題でもないだろうと宵は思う。
景紀が今次戦役で具体的にどのように活躍したのか、軍機に関わる情報もあるので宵は詳しく知り得る立場にはなかったが、敵首都占領に際して景紀が貢献したという話はわずかながらに聞いている。
公式の報道では、翼龍に乗った決死隊を敵首都に送り込み、城門を中から開けて海軍陸戦隊の燕京攻略を助けたということになっている。
その翼龍部隊は、部隊名が公にされることによって軍の配置が一般に知られてしまうことを避けるため、報道では「陸軍〇〇部隊」と伏字にされているが、指揮官が景紀であったことを宵は知っていた。
だとすれば、彼には最低でも功四級金鵄勲章が授けられるべきはずだ。
それは、将来的に景紀が当主の地位を継ぐ際の箔付けにもなる。恐らくこの分では、旭日系統の勲章も授与されないのだろう。
彼の父・景秀が本当に景紀への安定的な次代継承を願っているのならば、これは完全な失策、やってはならない妥協だろう。
そんな宵の不満を感じたのか、景紀はなだめるように言葉を続けた。
「とはいえ、それなりの理由はある。俺は次期当主とはいえ、新米の少将だからな。今回の戦役では、うちの領軍から佐々木中将や島田少将が出征している。そういう先任者を差し置いて俺が勲章をもらうのは、道理に合わないと言えば合わない。家臣団からも不満が出るだろう」
それも結局は景紀に勲章を与えないようにするための口実ではないのかと、宵は思ってしまう。
せっかく景紀と再会出来たのに何となくもやもやとした不快感を抱きながら、宵を乗せた人力車は結城家皇都屋敷の門をくぐった。
「景紀様は、本当にあれで良かったのですか?」
景忠公に帰邸の挨拶を行った後、およそ十ヶ月ぶりに皇都屋敷の自室で景紀と過ごす時間を得た宵は、未だ収まらない不満を景紀にぶつけていた。
あるいは、義父と顔を合せてしまった所為で余計にその思いが強くなってしまったのかもしれない。
「まあ、残念だと思うし、納得出来ない部分はあるが、父上がそう決めてしまったんだ。受け入れるしかないだろう?」
自身の戦功が認められなかったにもかかわらず、景紀の態度は平然としていた。
「それに、俺は命令を下したりしただけで実際の戦功を挙げたのは下士卒たちだ。本当の意味で讃えられるべきは、最前線で命を張った奴らだろう?」
「しかし、景紀様だって最前線で戦ってこられたのではないのですか?」
「俺にとっては、無事に帰ってこられて、お前と再会できたことの方がよっぽどの褒美だよ」
そう言って笑みを向けてくれる景紀の表情は、かつて呪詛の空間で再会した時には見ることが出来なかったものだ。
「……その言い方は、ずるいです」
何となくそんな彼の顔を直視するのが気恥ずかしくて、宵は視線を逸らしてしまう。
「お前が俺の代わりに怒ってくれるのは嬉しいがな、ようやく帰ってきたのにそればっかりだと少し寂しいぞ?」
どこか挑発するような軽口めいたその言葉が、たまらなく宵には懐かしかった。
それだけで、政治的なしがらみも、将家の姫としての体面も、どうでも良くなってしまう。
だからもう、宵は己の感情を抑え込むのは止めにした。
「おわっ!?」
宵は、飛び付くように景紀に抱きついた。その勢いを受け止めきれず、景紀が畳の上に倒れる。
互いに倒れ込んだ姿勢のまま、少女は青年になりつつある少年の体をぎゅっと抱きしめた。将家の嫡男として鍛えられた、引き締まった硬い体の感触。
「……寂しい思いをさせちまって、悪かったな」
ゆっくりと、あやすように景紀の手が宵の背に回る。出逢ってからずっと体格差が縮まらない少女の体を、少年はすっぽりと腕の中に収めた。
「やっと、やっとです……」
嗚咽を堪えようとするような、いつもより少し低い宵の声。少女は景紀の胸に顔を押し付けたまま、離れようとしなかった。
「……ああ、俺も、やっとお前を抱きしめることが出来た」
力を込めれば折れてしまいそうな、華奢な少女の体。そんな少女が自分の不在中、自身に出来ることをと必死に頑張っていたのだ。
景紀はその健気さを、愛おしいと思った。
「ご無事で、本当に良かったです」
それは、駅での将家の姫としての格式張ったものではなく、一人の少女としての想いが籠った言葉であった。
「俺も、お前が元気そうで安心した」
景紀は、宵を抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。
密着したお互いの体から、温もりと鼓動が伝わってくる。
二人はしばしの間、ようやく再会出来た互いの存在をそうして確かめ合っていた。
後世、「三国干渉」と呼ばれる事件である。
奇しくもこの日は、秋斉両国による批准書の交換が行われた日であった。
三国は、片務的最恵国待遇を受けているが故に自国にも適用される講和条約の通商関係部分については容認したが、領土の割譲や斉国内の利権獲得については認めないという姿勢を示したのである。
その理由として、まず遼東半島が斉国の都・燕京を脅かすことの出来る距離にあり、ここを領有することは東洋平和の回復を謳っていた皇国の戦争理由と矛盾するということ。次いで遼東半島の領有によって、皇国の主張する陽鮮の独立が皇国自身によって脅かされるということ。
この二つを挙げて、三国は遼東半島の返還を勧告した。
さらに満洲利権を皇国が得ることによって他の国々がこの地方において自由な通商を行うことが妨げられる点を挙げて、満洲利権の返還を要求してきたのである。
一方の皇国側はルーシー帝国が西シビルアにも陸軍部隊を集結させているという情報を掴んでいたことから、勧告を拒絶した場合、かの国が軍事行動に移る可能性について懸念していた。
このため、氷州駐箚部隊である第十五、第十六師団には警戒命令が発令されている。
戦略予備として内地に留まっていた長尾家領軍の第十三師団、北溟道の第七師団についても、氷州進出準備が下令された。
また、ヴィンランド合衆国による干渉に対抗するため、南洋海域を担当する第四艦隊のペレ王国真珠湾への回航も決定されている。
ペレ王国自身も、秋津皇国とヴィンランド合衆国が対立すればその最前線となるのは自国であることを理解しており、皇国に対して艦隊の派遣を要請していた。第四艦隊の真珠湾回航は、この要請に基づくものでもあったのだ。
また、皇国としてはペレ王国から発注された巡洋艦二隻をマフムート朝に売却してしまったこともあり、その代替として第四艦隊をペレ王国に派遣することで、皇国が同盟国を決して見捨てないという姿勢を示す必要があったのである。
こうした軍事的対応は、三国からの勧告があったその日の内に決定された。
一方、三国共同勧告に対する回答の文面については、外務省が原案を作成したものを大本営政府連絡会議に諮ることとなった。
同時に、皇国政府はアルビオン連合王国との連絡も取り合っていた。
そして駐秋津アルビオン大使より、この問題について皇国側を支持するとの合意を取り付けることに成功していた。
すでにアルビオン連合王国との間には、秘密裏にアジア地域における両国の勢力圏を画定するための協定締結について、交渉が進められていた。
伊丹正信自身はこの交渉に反対していたが、事ここに至っては、一時的にアルビオン連合王国と妥協することが必要だと理解していた。
いずれ協約を更新する際に、更新を拒絶することで協約を廃棄に持っていけば良いと、彼は考えていたのである。
とにかく今は、アヘン戦争などとという恥ずべき戦争を行った国であっても、ルーシー帝国、帝政フランク、ヴィンランド合衆国の干渉を排除することために連帯することが必要であった。そう、彼は己に言い聞かせていた。
結果として、自国のアジアでの植民地や権益を守り、拡大したい秋津皇国・アルビオン連合王国と、それを阻止したいルーシー帝国、帝政フランク、ヴィンランド合衆国という国際的な対立構図が生まれたのである。
アルビオン連合王国もルーシー帝国軍の西シビルア集結は警戒しており、特にこの部隊が南下して自国の植民地・保護国となっているシンドゥを脅かすのではないかと危機感を募らせていたことが、対斉戦役後も秋津皇国と提携し続ける選択肢を選ばせたのであった。
同時に、シンドゥ防衛のために斉に派遣した遠征軍の西蔵派遣を検討している旨を皇国に通達し、皇国との軋轢を避けようとする慎重な姿勢も見せている。
そして、秋津皇国による三国共同勧告に対する回答は、五月二十二日になされた。
当然、その内容は勧告に対する拒絶である。この拒絶回答の中には、皇国は東亜の秩序維持に責任を持つ国家であるという、皇国主導の東アジア国際秩序“東亜新秩序”を樹立しようとする秋津皇国の外交姿勢を明確に謳う一文が含まれていた。
皇国はルーシー帝国、ヴィンランド合衆国の今後の動向を慎重に見極めようとしつつも、戦後の干渉には断乎として屈しない姿勢を内外に示したのである。
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宵は、三国干渉やそれに対抗するためのアルビオン連合王国との交渉が続けられていた五月下旬、生まれ故郷の嶺州首府・鷹前にいた。
五月一日より内地還送が始まった第十四師団の内、嶺州出身者(すでに分離して県となった花岡県出身者も含む)で構成される第二十八旅団(歩兵第五十七連隊、同五十八連隊)の将兵が、五月二十日までに故郷への帰還を果たしていたのである。
そのため嶺州首府・鷹前では、二つの部隊の内地帰還に合せて二十五日より凱旋祝賀行事が行われることになったのであった。
宵は、佐薙家家長としてこの行事に出席することとなったのである。
二度にわたる佐薙家の皇都での不祥事もあり、嶺州領民たちは連隊の将兵たちを郷土の誇りとして大々的に歓迎した。
かつての領主・佐薙成親とその嫡男・大寿丸は、最早嶺州領民にとって仰ぐべき主君ではなくなってしまったのである。
だからこそ、領民たちは自らの故郷が誇れる存在として、凱旋帰還した将兵たちをその代替としようとしたといえる。
もちろん、嶺州振興に努めてくれている結城家に嫁いだ姫君についても、領民は感謝の念を持っている。しかし、宵姫を郷土の偉人として見るには、性別やその年齢が邪魔をしていた。
確かに宵は景紀と共に嶺州の振興政策に関わり、さらには娘の身売りが多かったこの地方に跋扈していた悪徳な女衒を徹底的に取り締るなど、領民の利益となる施策を行ってくれた。悪徳女衒を取り締る過程で一部の役人と女衒との癒着関係も判明し、ますます人心は佐薙家から離れていった。
しかし、そうして宵が故郷のために尽くそうとしながらも、あくまでも領民にとって彼女は、父である元領主・成親たちから疎んじられながらも故郷の領民に尽くそうとしてくれている健気な姫君でしかなかったのだ。
領民たちからは姫君として尊崇の念を向けられてはいるものの、領民に新たな主君として仰がれるほどの存在ではないというのが、宵という少女であった。
その宵は、二十五日、二十六日と二日にわたって続いた凱旋祝賀行事が終わると、戦没者慰霊を目的とした二十七日の大招魂祭にも参加した。
旅団長・柴田平九郎大佐と共に、宵は祭文を朗読して戦没者の鎮魂に努めた。
大招魂祭が終わると宵は参列していた戦没者遺族らを見舞うなどして、二十九日、皇都へと帰るために故郷・鷹前を後にした。
戦時国内輸送の効率化を目指したため、東北地方の懸案であった嶺州鉄道は、東北鎮台鉄道部隊の協力などもあり、この戦時中にひとまず単線で花岡まで開通していた。
昨年の春、景紀と共に鷹前に赴いた時に比べると、二日ほど移動時間は短縮できた。
官営鉄道を乗り継ぎ、結城家皇都屋敷の最寄り駅である京越線の高畠駅に到着したのは、六月三日のことであった。
汽車が止まり、一等客車から停車場へと降りる。
「―――っ!?」
降りた途端、宵は息が止まるかと思った。
「帰ってきたぜ、宵」
そこで待っていてくれたのは、宵がずっと逢いたいと思っていた相手であった。
「かげのり、さま……」
不覚にも涙がこみ上げてきそうになって、宵は言葉を詰まらせてしまう。まだ、菖蒲や済、他の乗客たちの目もある。
ここで、将家の姫としての態度を崩すわけにはいかなかった。宵は、涙を堪える自らの表情を隠すように、一礼して頭を下げた。
「……無事のご帰還、誠におめでとうございます」
「ああ、ただいま、宵」
そう言って、景紀は屈託のない笑みを宵に見せてくれた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
景紀たちが独混第一旅団を乗せた輸送船の最終便で新治の港に降り立ったのは、五月二十九日のことであった。
そのまま景紀、冬花、貴通は旅団駐屯地であった澄之浦に向かい、旅団将兵に持ち帰った装備の点検・整備などを命じ、自分たちは戦力の再編と再訓練の日程調整などの旅団業務を行っていた。
また、今次戦役で旅団が得た戦訓をまとめて、兵部省に報告するための資料作成などにも当たっていた。
しかし帰国から二日後の五月三十一日、景紀は兵部省から思いがけない辞令を受け取ることとなった。
それは、六月一日付を以て景紀を独混第一旅団長の任から解くというものであった。
併せて、貴通も旅団幕僚を解任されている。
後任には、騎兵第十八連隊の細見為雄大佐が、連隊長兼任で旅団長に就任することになった。正式な後任が決定するまでの、一時的な措置ということであった。
平時には、基本的に四月と十月に昇進や人事異動が行われる。恐らく、その時に細見大佐を少将昇進の上、正式に旅団長に就任させるつもりだろう。
しかし、景紀にとって寝耳に水な解任辞令であったことには違いない。しかも、辞令が届いたのが、実際に異動が行われる前日である。
とはいえ、父・景忠から皇都屋敷に来るよう電報が届いたので、父は自分に何か別の役目を与えたいのかと思い、ひとまず簡単な引き継ぎだけを済ませて後のことは貴通に任せると、六月二日、景紀は冬花と共に皇都に赴くことにした。
「実は、お前が一部隊を率いていることについて、六家の中で懸念を示す者がいてな」
父に無事の帰還を喜ばれた後、景紀に告げられたのはそうした事情であった。
「今次戦役で、お前は奇策ばかりを用いてきたというではないか。そのような者は用兵の器にあらずとして、旅団長という地位に就けておくのは相応しくないと、伊丹公や一色公より私に申し入れがあったのだ」
「……」
それで、父は唯々諾々と二人の言うことに従ったというのだろうか。以前からそうだったが、景紀の中で父の態度についての疑念が大きくなっていた。
景紀にとって、独混第一旅団は自身の兵学寮以来の持論を実践するための存在であった。今次戦役で自身の戦術論の問題点も見つかり、これからさらに戦訓分析などを行おうとした矢先の旅団長解任である。
この父は、出来るだけ伊丹公や一色公との摩擦を避けようとしているらしい。確かに政治は時に妥協が必要な場面もあるが、あまり妥協ばかりでは弱腰と受け取られてしまう。
景紀が当主の地位を継ぐまでに伊丹家や一色家との関係を改善し、その状態で当主の交代を行いたいのかもしれないが、どうにも景紀は父の姿勢に納得出来なかった。
「しかし、お前にも六家次期当主としての面子もあろうからな。表向きは、別の役目を与えるために旅団長の地位を解くこととした」
とはいえ、父もあからさまな妥協だとは思われないようにはしたらしい。もっとも、それで景紀が納得するかは別問題であったが。
「お前には、新海諸島の有力部族長たちとの会談を行ってほしい。実は新海諸島の併合に向けて、動き出していてな。すでに我が国が国家として承認してしまった以上、あの島々を一方的に併合することも出来ん。そこで、両国合意の下で皇国に併合するという形をとることにしたのだ。そのための会談の場を、この度、設けることにした。お前には結城家の代表として、この会談に参加するのだ」
◇◇◇
「と、いうことらしい」
駅から結城家皇都屋敷に向かう道すがら、人力車に乗る宵に景紀は帰国してからの事情を語った。
人力車の周囲には冬花が結界を張り、話の内容が周囲の通行人に聞こえないようにしてくれている。
「私が十日ほど皇都を留守にしている間に、そのようなことが……」
宵は、思わず嘆息しそうになった。
景忠公が安定的な当主の交代を望んでいることは宵自身も察していたが、少し伊丹家や一色家への妥協が過ぎるような気がするのだ。
「まあ、その所為で勲章もなしだそうだ。別にそこまでこだわりはなかったが、まあ、ちょっと残念って気はやっぱりあるが」
男子らしい勲章への憧れがあることが少し恥ずかしいのか、景紀はおどけたように言うが、そういう問題でもないだろうと宵は思う。
景紀が今次戦役で具体的にどのように活躍したのか、軍機に関わる情報もあるので宵は詳しく知り得る立場にはなかったが、敵首都占領に際して景紀が貢献したという話はわずかながらに聞いている。
公式の報道では、翼龍に乗った決死隊を敵首都に送り込み、城門を中から開けて海軍陸戦隊の燕京攻略を助けたということになっている。
その翼龍部隊は、部隊名が公にされることによって軍の配置が一般に知られてしまうことを避けるため、報道では「陸軍〇〇部隊」と伏字にされているが、指揮官が景紀であったことを宵は知っていた。
だとすれば、彼には最低でも功四級金鵄勲章が授けられるべきはずだ。
それは、将来的に景紀が当主の地位を継ぐ際の箔付けにもなる。恐らくこの分では、旭日系統の勲章も授与されないのだろう。
彼の父・景秀が本当に景紀への安定的な次代継承を願っているのならば、これは完全な失策、やってはならない妥協だろう。
そんな宵の不満を感じたのか、景紀はなだめるように言葉を続けた。
「とはいえ、それなりの理由はある。俺は次期当主とはいえ、新米の少将だからな。今回の戦役では、うちの領軍から佐々木中将や島田少将が出征している。そういう先任者を差し置いて俺が勲章をもらうのは、道理に合わないと言えば合わない。家臣団からも不満が出るだろう」
それも結局は景紀に勲章を与えないようにするための口実ではないのかと、宵は思ってしまう。
せっかく景紀と再会出来たのに何となくもやもやとした不快感を抱きながら、宵を乗せた人力車は結城家皇都屋敷の門をくぐった。
「景紀様は、本当にあれで良かったのですか?」
景忠公に帰邸の挨拶を行った後、およそ十ヶ月ぶりに皇都屋敷の自室で景紀と過ごす時間を得た宵は、未だ収まらない不満を景紀にぶつけていた。
あるいは、義父と顔を合せてしまった所為で余計にその思いが強くなってしまったのかもしれない。
「まあ、残念だと思うし、納得出来ない部分はあるが、父上がそう決めてしまったんだ。受け入れるしかないだろう?」
自身の戦功が認められなかったにもかかわらず、景紀の態度は平然としていた。
「それに、俺は命令を下したりしただけで実際の戦功を挙げたのは下士卒たちだ。本当の意味で讃えられるべきは、最前線で命を張った奴らだろう?」
「しかし、景紀様だって最前線で戦ってこられたのではないのですか?」
「俺にとっては、無事に帰ってこられて、お前と再会できたことの方がよっぽどの褒美だよ」
そう言って笑みを向けてくれる景紀の表情は、かつて呪詛の空間で再会した時には見ることが出来なかったものだ。
「……その言い方は、ずるいです」
何となくそんな彼の顔を直視するのが気恥ずかしくて、宵は視線を逸らしてしまう。
「お前が俺の代わりに怒ってくれるのは嬉しいがな、ようやく帰ってきたのにそればっかりだと少し寂しいぞ?」
どこか挑発するような軽口めいたその言葉が、たまらなく宵には懐かしかった。
それだけで、政治的なしがらみも、将家の姫としての体面も、どうでも良くなってしまう。
だからもう、宵は己の感情を抑え込むのは止めにした。
「おわっ!?」
宵は、飛び付くように景紀に抱きついた。その勢いを受け止めきれず、景紀が畳の上に倒れる。
互いに倒れ込んだ姿勢のまま、少女は青年になりつつある少年の体をぎゅっと抱きしめた。将家の嫡男として鍛えられた、引き締まった硬い体の感触。
「……寂しい思いをさせちまって、悪かったな」
ゆっくりと、あやすように景紀の手が宵の背に回る。出逢ってからずっと体格差が縮まらない少女の体を、少年はすっぽりと腕の中に収めた。
「やっと、やっとです……」
嗚咽を堪えようとするような、いつもより少し低い宵の声。少女は景紀の胸に顔を押し付けたまま、離れようとしなかった。
「……ああ、俺も、やっとお前を抱きしめることが出来た」
力を込めれば折れてしまいそうな、華奢な少女の体。そんな少女が自分の不在中、自身に出来ることをと必死に頑張っていたのだ。
景紀はその健気さを、愛おしいと思った。
「ご無事で、本当に良かったです」
それは、駅での将家の姫としての格式張ったものではなく、一人の少女としての想いが籠った言葉であった。
「俺も、お前が元気そうで安心した」
景紀は、宵を抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。
密着したお互いの体から、温もりと鼓動が伝わってくる。
二人はしばしの間、ようやく再会出来た互いの存在をそうして確かめ合っていた。
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