秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第九章 混迷の戦後編

166 利権獲得競争

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 結城家の園遊の宴に限らず、四月以降、六家の皇都屋敷には政財界の様々な人物が出入りするようになった。
 戦後における利権の分配について、協議するためである。
 結城家については、南泰平洋の南瀛なんえい諸島、新海諸島に進出する予定であるので、新たな航路を設定すべく拓務官僚、商工官僚の他、結城家が資本を出資している商船会社の人間などが招かれて会談を行っていた。もちろん、結城家御用商人である南海興発の者も頻繁に出入りしている。
 四月十五日、六家会議などを通して南瀛諸島の領有が皇主に対して奏上され、これが裁可された。まずは、“無主の地”となっている南瀛諸島の領有が、各国に対して宣言されたのである。
 すでに多くの秋津人が捕鯨などのために現地に渡っており、そもそもこの島々を最初に“発見”したのが皇国であったことから、この領有宣言は列強諸国から大きな反対なく受け入れられた。
 一方の新海諸島については、皇国がすでに“ニューゼーランディア部族連合国”という国家として承認しているため、一方的な領有宣言は出来なかった。
 もともと皇国による“ニューゼーランディア部族連合国”の承認は現地の部族長たちの要請によるものであったので、今回もまた、部族長たちの要請を受けて皇国に“併合”する形での領有が望ましいとされた。このため、各部族長たちを説得すべく南洋総督府や外務省から使者が派遣されている。
 一方では、斉との講和条約、そして陽鮮との通商条約による大陸利権の獲得についても、六家は動き出していた。
 陽鮮の鉱山利権については伊丹家、一色家で分配することが決定され、すでに帰国していた一色公直と伊丹正信との間で、どの地域の鉱山をどちらの家が採掘権を得るのかといった協議が続けられている。
 陽鮮における港湾の使用権、鉄道敷設権なども同様である。
 もっとも、これら利権はまだ得られることが確定したものではなく、これから陽鮮朝廷に対する財政支援、さらには陽鮮国内から簒奪者・李欽およびそれを支援した斉軍を駆逐して仁宗国王の復位に尽力した功績の代価として、陽鮮に要求することになっていた。
 まずは、斉との講和条約によって陽鮮を斉の影響下から完全に切り離すことが優先されたのである。
 有馬家については、割譲を要求している遼東半島の植民地統治権を得ることで、六家間の合意がなされていた。
 問題は、遼東半島以外の満洲利権であった。
 現在、皇国軍は遼河平原の鞍山までをその占領下に置いている。鞍山には鉄山があるが、そこを占拠しているのは有馬家領軍の第六師団であった。
 しかし、もともと鞍山の攻略は、冬季攻勢において一色家が主張していたものであった。実際、ホロンブセンゲの冬季反攻によって撃退されてしまったとはいえ、一色公直は一時的にせよ鞍山の占領に成功している。
 この鞍山および撫順の鉱山利権について、伊丹公と一色公が強く要求していたのである。
 さらには鉄道敷設権についても、満洲を横断する鉄道、縦断する鉄道の二路線が考案されていた。
 遼東半島を発して満洲を縦断する鉄道については、現在、大連から海城まで伸びる野戦軽便鉄道が結城家の鉄道部隊によって敷設されていた。
 結城家は大陸利権の請求を放棄していたから、この鉄道は戦後、遼東半島を統治する有馬家に譲られることになる。
 そのため、有馬家内部では満洲縦断鉄道の利権は有馬家が獲得すべきという議論が沸き起こっていたのである。
 しかし、想定された路線は、撫順や鞍山の近くを通るため、伊丹家や一色家もこの路線の敷設権・経営権を要求していた。
 満洲横断鉄道については長尾家が敷設権・経営権を獲得し、北満洲を流れる松花江の河川通航権についても長尾家が管理することで合意がなされていたが、さらに長尾家はこの満洲縦断鉄道の利権も要求していたのである。
 このため、鞍山鉄山、撫順炭田、満洲縦断鉄道の利権を巡って、有馬、長尾、伊丹、一色の四家が互いに対立するような状況になっていた。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 自分は本当に厄介な奴に目を付けられたな、と千坂隆房は最近、強くそう思うようになっていた。

「あぁ~、父上の所為で長尾家の孤立っぷりが加速してますよぉ~」

 文机に上体を突っ伏して愚痴を零している多喜子の姿を見ていると、ますますその思いが強くなってくる。

「隆房ぁ~、何とかなりませんかねぇ~?」

 多喜子は気怠そうな視線で、部屋の柱に寄りかかっている隆房を見上げてくる。
 ここまで間延びした声で、あからさまに気力をなくした多喜子というのも珍しかった。この少女は幼い頃に隆房を“自分のモノ”にしようと奸計を巡らせるくらい、自分の力で自分の思い通りの結果を掴み取ろうとする性格の人間だ。
 それが、今はこうして文机に突っ伏して死んだ魚のような目をしている。
 ある意味で、彼女がそうならざるを得ないほど、長尾家を巡る政治環境は悪化しつつあった。
 四月初旬、長尾家現当主・憲隆は征斉大総督の地位を皇族軍人・北白瀬宮大将と交代して内地に帰還した。同時に、一色公直公爵も内地に帰還している。
 これで内地には、六家の当主(有馬家のみは先代当主であったが)が集結したことになる。
 そこで待っていたのは、講和条約も締結されていない内から始まった満洲の利権争いであった。
 大陸利権の請求権を手放す代わりに南泰平洋進出を他の六家に認めさせた結城家、賞典禄の増額で満足している斯波家はともかく、残りの四家は満洲の利権を巡る競合関係にある。
 満洲の鉄道利権すべてを自家の管理下に置きたい長尾家、鞍山鉄山と撫順炭田の採掘権を手中に収めたい伊丹・一色両家、そして遼東半島を中心とする南満洲の利権を抑えたい有馬家、互いの思惑が交錯し、六家会議は荒れているという。

「ったく、分家の俺に何とか出来るわけないだろうが。ついに頭おかしくなったのか、お前?」

「ですよねぇ~。どうしてこうなったんでしょう? 確かに六家なんてバチバチに対立してしまえ、とか思ってましたけど、ちょっとこれ、長尾家が孤立無援過ぎて現実を直視したくなくなります。こっからどうやって挽回せよと?」

 実際、対立している四家であったが、内、有馬家、伊丹家、一色家については互いに妥協点を探っているという。むしろ、自家の主張を強硬に押し通そうとしているのは、長尾家だけであった。
 確かに、氷州植民地の利権を一手に握っている長尾家にとって、食糧供給地としての満洲穀物の確保は長年の夢であった。そのためにこの機会を逃したくないのだろうが、如何せん、満洲利権を独占しようという姿勢が他家の反発を呼んでいた。
 長尾憲隆にとってみれば、陽鮮の利権は伊丹家と一色家が手に入れ、遼東半島の利権を有馬家が手にするのだから、長尾家の満洲利権独占も認められて然るべきということなのだろう。
 しかし、有馬家、伊丹家、一色家も兵を出し、満洲で多数の将兵と戦費を失っているのだ。
 その代価を満洲に求めようとするのは、当然のことであろう。
 だからこそ、満洲利権を巡る競合が生まれてしまうのである。
 しかし、有馬頼朋翁は自家の家臣団の手前、遼東半島の利権については譲歩しない姿勢を示しているようだが、鉄道利権や鉱山利権については柔軟な対応で臨もうとしている。
 大連を発し北へと向かう満洲縦断鉄道については、六家の共同資本による国策会社を設立し、その会社の事業として鞍山鉄山・撫順炭田の鉱山開発も併せて行うことを、他の六家に提案していたのである。
 現状、遼河戦線で最も戦功を挙げたのは有馬貞朋公率いる第三軍である。
 緒戦での電撃的な進攻、斉軍冬季大攻勢の撃退、これらはすべて第三軍の戦功であった。それだけに、頼朋翁の政治的影響力と相俟って、有馬家の六家会議における発言力は増していた。
 だからこそ、伊丹正信にしても一色公直にしても、南満洲における利権の分配に関して有馬家に妥協的にならざるを得なかったのである。
 これに唯一、納得していないのが長尾憲隆であり、征斉大総督という立場故に今次戦役の戦功については自身が一番であると主張して譲らない。
 頼朋翁は、皇主に六家和衷協同わちゅうきょうどうの詔勅を出させることで長尾公を抑えようと考えているようであったが、すでに一度、長尾憲隆は冬季攻勢を独断で推し進めた件で勅使を派遣されてしまっている。
 流石に二度目ともなると長尾家の面子を完全に潰すことにもなりかねず、今のところ、頼朋翁は慎重な姿勢を示しているようであった。
 しかし、いざとなればあの老人は皇主の権威を利用してでも長尾家を抑えようとするだろう。
 そうなれば、本当に長尾家は六家の中で孤立する。

「挽回したけりゃ、あんたの父親を説得するんだな。有馬家に妥協しろ、って」

「それが出来たら、誰も苦労しないんですよねぇ……」

 長尾家の悲願が実現しそうになっている今、簡単に他家に妥協することは出来ない。冬季攻勢の失敗もあり、長尾憲隆としてはここで家臣団への求心力を取り戻すために、満洲の主要な利権はすべて手に入れたいところだろう。
 内部への妥協が出来ないために外部に対して強硬な姿勢で臨み、かえって自らの立場を危うくする。
 歴史上、何度も見られてきた現象であるが、その当事者となってしまえば隆房も多喜子も他人事ではいられない。
 隆房にとってみれば、分家とはいえ自身も一応、長尾家に属する人間である。長尾家の孤立は自身の将来に響く。
 多喜子にとっても、流石にここまで父親が頑なだと打つ手がない。
 宵姫からも、長尾家の強硬な姿勢に景忠公が不快感を示していると警告されていた。
 しかし、父親である憲隆は一切譲歩の姿勢を見せていない。挙げ句、長尾家独自の満洲縦断鉄道案までも持ち出す有り様であった。
 これは、有馬家の支配地域となるであろう遼東半島を避け、錦州を出発して満洲横断鉄道に接続する路線計画であった。



「ったく、てめぇがそんなんだと、何か調子狂うんだよな……」

 いつもは茶目っ気ある態度の下であれこれ思考を巡らしていた多喜子だが、最近は自身の無力感を痛感しているのか、どうにも愚痴を零すばかりで思考停止に陥っているように隆房には見えるのだ。

「どうせ私はいき遅れの女ですよぉ……」

 妙ないじけ方を見せる多喜子に、隆房は嘆息を零す。

「お前、天下を目指すんじゃなかったのかよ?」

 以前、この少女は言ったのだ。自分が天下を目指したいと言ったらどうするのか、と。
 その時、隆房は多喜子の言葉を冗談として切り捨てたが、彼女ならば本気で目指しかねないとも思っている。

「……ふふっ、隆房も案外、本気にしていたのですね?」

「ちっ……」

 からかうような多喜子の言葉に、隆房は盛大に舌打ちを響かせる。
 多喜子がむくりと、文机から上体を起こす。そして、にんまりと悪戯っぽい笑みを見せる。

「それじゃあ私たち、結婚しましょうか?」

「お前、とうとう頭イカれたのか? 何をどうしたら唐突にそんな言葉が出てくる?」

 思い切り胡乱げな視線で、隆房は多喜子を見下ろす。

「いや、案外、それも可能性の一つだって隆房も気付いているのでしょう?」

「……」

 多喜子の指摘に、隆房は不愉快そうに黙り込んだ。
 もともと、有力分家の嫡男である隆房は、人質としての扱いで今次戦役中、皇都での生活を余儀なくされていた。
 しかし、すでに長尾憲隆は内地に帰還し、それまで次期当主・憲実が代行していた政務に憲隆が復帰した。長尾家は再び当主を頂点とする統制が回復されつつあったのである。
 その時点で有力分家の嫡男である隆房の皇都での人質生活も終わって良さそうなものであったが、一向に「兵部省出仕」という肩書きは取れないままであった。
 要するに、未だ長尾家は分家や家臣団に対する統制を強化する必要があるということである。
 これから満洲に利権を拡大していくにあたって、一族衆(一門衆)の連帯を強固なものにしていく必要がある。
 満洲横断鉄道の建設、満洲の鉱山の開発、満洲河川交通の管理、そうしたものの責任者に長尾家一族を就けることで、長尾家の利権を強化していこうということである。
 だからこそ、一族衆の連帯と統制強化が必要であった。
 有力分家の千坂家嫡男・隆房と長尾家現当主・憲隆の娘・多喜子との婚約は、確かに憲隆にとって一族衆の連帯と統制の強化に役立つ妙案であった。
 単に多喜子が思いつきで言っているわけではない。
 ただし一方で、憲隆も長尾家が六家内で孤立する可能性は自覚しているだろう。多喜子を景紀側室として差し出すことで、結城家との繋がりを強化しようという可能性も考えられなくはない。
 婚姻が政治的意味を持つ関係上、正室については他家の了承が必要であるが、側室や愛妾についてはそうした制度的制約は存在しない。
 側室や愛妾は、あくまで個人的に置かれるものとされているからだ。
 さらに言えば、六家当主の娘が側室とされるなど、六家の面子に関わる事態である。公爵家の娘が、侯爵家以下の家格の娘よりも下に置かれなければならないなど、六家にとって許容出来るものではなかった。
 その意味では、いかに六家の血を引いていようとも伯爵家出身の宵姫の下に公爵家の娘である多喜子が置かれるなど、常識的にはあり得ない話であった。
 この時代は、身分秩序が当然のように存在していた時代である。側室や愛妾を置くのに制度的制約はないとはいえ、そこには政治的制約や家格による身分的制約が厳然として存在していたのである。
 しかし、憲隆は長尾家が六家内で完全に孤立するよりは、結城家との連帯強化を望むかもしれない。
 多喜子を巡る政治環境は、複雑さを増しつつあったのである。
 その余波を、隆房が受けているとも言えた。

「んで、分家嫡男の正室になって、お前は宗家から切り離される。それでお前はどうやって天下を目指すつもりだ?」

「……やっぱり、景紀の側室になった方が良さそうですね」

 あっさりと前言を翻す多喜子。

「う~ん、もう本当に天下を目指すように景紀と宵さんと焚き付けてしまいましょうか? お二人にとっても伊丹公や一色公は邪魔でしょうし。それとも何かこの状況を一変させる大事件でも起こってくれると良いんでしょうけど……。まあ、かえって収拾がつかなくなりそうな気もしますので、起こって欲しいような欲しくないような……」

「……」

 六家の全員が翻弄されるような騒動を望む多喜子に、隆房は無言であった。
 この少女の発言を不謹慎と思う自分がいる一方で、この退屈な人質生活を終わらせるような変化が欲しいと思っているのも事実であった。
 半年以上にわたる皇都での生活で、自分も随分と多喜子に感化されて物騒な思考をするようになったらしい。
 そのことに、この分家の青年は内心で苦笑を浮かべていた。
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