秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第九章 混迷の戦後編

161 戦後秩序の描き方

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 皇暦八三六年三月二十九日、この日、秋津皇国、大斉帝国両国は正式にそれぞれの軍に対して停戦命令を下し、休戦協定を発効させた。
 この休戦命令はそれぞれ秋津皇国大本営陸海軍部、大斉帝国恭親王奕愷えきがいから発せられた国家単位でのものであった。
 ここに、皇暦八三五年八月二十五日の豊島沖海戦に始まる対斉戦役は、一旦の終結を見ることとなったのである。
 休戦協定の発効と共に、皇国全権代表団と欽差大臣・恭親王奕愷との間に講和会議が開かれることとなった。
 場所は、秋津皇国の占領下にある天津であった。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 継戦か講和かで最後まで結論がまとまらなかった斉側と違い、秋津皇国側では早くから講和のための準備が進められていた。
 もちろん、六家の強引な冬季攻勢によって対斉作戦計画に狂いが生じるといった問題は発生したものの、中央政府においては外務省を中心として緒戦の進攻作戦が概ね成功裏に終わりつつあった皇暦八三五年十月あたりから講和についての検討が始まっていたのである。
 外務省の講和案は、領土割譲、賠償金の支払、通商条約の締結、陽鮮の独立の四要素からなるものであった。
 領土の割譲と賠償金の支払は、戦争であれば戦勝国が当然に要求すべき事項である。
 外務省案では領土割譲に関して、利権獲得を目指す六家にも配慮して、遼東半島の割譲と満洲における鉄道敷設権、鉱山開発権、河川航行権などを盛り込んでいる(具体的な地域やどの利権をどの家が獲得するのかという点については、外務省は関与していない)。
 賠償金に関しては、戦費を元にして算出するため、十月段階では明確な数字は出されていない。
 一方の通商条約の締結と陽鮮の独立というのは、これまでの東アジアの伝統的国際秩序である華夷秩序を崩壊させ、大斉帝国や陽鮮王国を西洋式の外交関係の中に組み込もうとするものであった。
 朝貢や互市といったこれまでの閉鎖的な交易関係を斉に改めさせ、その宗主権の下から陽鮮を切り離すことで、華夷秩序を根底から破壊する。
 これにより、東アジア国際秩序の中における皇国の影響力を強め、皇国を中心とした華夷秩序に変わる新たな国際秩序“東亜新秩序”を東アジアに打ち立てることを目指したのである。
 この外務省案は大本営政府連絡会議にも提出され、六家側の承認も得ていた。
 問題は、その六家において戦後における満洲利権の分配が争われていたことであった。具体的にいえば、どの地域の鉄道敷設権・鉱山開発権をどの家が手にするのかという点である。
 長尾憲隆や一色公直が主導して行われた遼陽・奉天への冬季攻勢も、こうした戦後の利権配分を自家主導で行うための布石であったのである。
 こうした中、戦後の大陸利権を請求する権利を他家に譲り、自らは南泰平洋での権益拡大を狙っている結城家は、ある程度、この問題から距離を置くことが出来ていた。

  ◇◇◇

「結城家は、随分と気楽なものだな」

 斉から講和の申し出があったことを宵が知った二日後の皇暦八三六年三月三十日、宵は六家長老・有馬頼朋からそのような嫌味を言われた。
 すでに中央政府では講和のための全権使節団を天津に派遣することが決定しており、その随員には六家の家臣、あるいは六家の影響下にある政府・軍関係者が選出されることになった。
 ただし、この随員の選出を巡って、六家間に若干の対立が生じていた。

「まったく、一色公が狙っておった鞍山を我々有馬家領軍が抑えてしまった所為で、戦後に余計な火種を抱えることになりそうだぞ」

 鞍山には、鉄山が存在している。一色公直は、冬季攻勢にて恐らくはその鉱山を狙っていたものと思われるが、それを斉軍の冬季反攻を撃退するためとはいえ、有馬家領軍が占領してしまったのである。
 一色公としては、面白いはずがない。
 その上、結城家はこうした六家同士の満洲権益を巡る政治的駆け引きからいち早く抜け出してしまったので、頼朋翁としては宵に嫌味の一つでも言いたいところなのだろう。

「この戦役が始まった当初にも言ったが、儂自身は大陸利権などどうでも良い。我が有馬家は高山島の開発や東南アジア諸国で得た利権がある。これ以上の利権の拡大は、六家間の勢力均衡を危うくしかねん。だが、有馬家臣団はそうでもないようだ」

 苛立ち混じりに六家長老は言う。

「現在、第三軍の支配下にある遼東半島、そこを割譲させ、総督の任免権を得ることで実質的な有馬家の植民地にしようと言っておる者も多い」

「実際に、家臣や領民たちが血を流して手に入れた土地です。やむを得ないことかと」

 遼東半島は結城景紀と有馬貞朋の指揮する部隊によって占領した土地である。恩賞としての土地という観念が抜け切らない現在の将家の価値観からすれば、当然の意見であるとも言えた。
 そして、宵ら結城家は大陸利権の請求権を放棄する代償として、いち早く南泰平洋での利権拡大を他の六家に認めさせた。
 そうなれば、遼東半島すべてを有馬家の支配下に置くことを目指す者たちが有馬家の家臣団の中に現れてもおかしくはない。

「その上、鞍山の鉄山だぞ? ああ、撫順には炭田があったな。この二つを利用して、大陸に大規模な製鉄所を建設せよ、などと言う気の早い者どもも家臣団の中では現れ始めている」

「戦勝が、かえって家臣団の統制を揺るがせていると?」

「うむ」

 苦々しく、頼朋翁は頷いた。
 有馬家大御所として、六家長老として、これまで政治的に絶大な影響力を行使してきた有馬頼朋であったが、戦勝によって膨れ上がった家臣団の欲望を抑えきれなくなりつつあるのかもしれない。
宵はいつもの無表情の下で、注意深くこの老人を観察する。
 結城家は南泰平洋という、土地に執着する武士特有の欲望に対する吐け口を見つけた。しかし、有馬家はそうではない。むしろ、結城家が大陸利権を放棄した以上、有馬家が遼東半島の権利を独占すべきと考えている者も多いだろう。

「別に、遼東半島の利権については御家が獲得してもよろしいのでは?」

 しかし、宵としてはあえて有馬家が遼東半島を獲得する権利を放棄する理由もないように感じている。
 頼朋翁は獲得した利権の多寡によって六家間の勢力均衡が大きく崩れることを恐れている。
 この老人は、西洋列強に伍する中央集権体制を目指しており、そのためには内乱も辞さない覚悟の持ち主ではあるようだが、一方で今は内乱の時機ではないとも言っていた。
 戦後はまず、西洋列強による干渉に備えなければならない。
 そのためにこの段階で内乱の火種を撒くことを恐れているのだろうが、宵としては逆に内乱で勝ち抜くために有馬家の力を増すことも必要なのではないかとも思えるのだ。
 伊丹・一色両家は陽鮮半島の利権を獲得し、これから将家としての力を増していく可能性がある。それに、有馬家が遅れをとるわけにはいかないだろう。
 自分でも物騒な考えであると宵は自覚していたが、冷徹に考えればそういうことになる。

「遼東半島まででしたら、伊丹・一色両家の反発もそれほどでもないでしょう。彼らは彼らで、陽鮮半島の利権を獲得するつもりのようですから」

 それで有馬家には新たな利権獲得を許さないというのは、筋が通らない。すでに伊丹正信は、結城家による南泰平洋利権の拡大を容認しているのだ。
 遼東半島までであれば六家間で妥協を成立させることが可能だと、宵は見ている。
 問題は遼東半島以北だろう。鞍山鉄山に撫順炭田、満洲の穀倉地帯、河川の自由航行権、狙うべき利権は無数に存在する。

「残る満洲の利権については、上手く調整するより他にないでしょう。我が結城家は、仲裁役となる用意があります」

 一応、宵は義父である景忠公からの言葉を伝える。
 景忠は景忠で、六家間の抗争が激化するのを恐れている。恐らく、一人息子の景紀に安定して当主の座を引き継がせたいのだろう。景紀が当主となった時、周囲の諸侯がすべて政治的に敵対しているという状況を防ぎたいと考えているようであった。
 そのために一部の家臣団からは、伊丹・一色家に対して弱腰なのではないかと言われているのだから、どこか本末転倒な気もしているが。
 だが、宵が大陸利権の請求権を放棄する代わりに南泰平洋へ結城家が独占的に進出することを他の六家に認めさせることを景忠公に進言し、それを実現させたことから、多少なりとも景忠は家臣団に対する求心力を取り戻しているようであった。
 もっとも、最初の発案者である宵の求心力も上がりつつあり、さらには相変わらず側近勢力と重臣勢力間の溝が埋まっていないため、景忠公による家臣団の統制については今ひとつ、不安な面が残っている。
 一度病に倒れた所為で後継者問題について神経質になるあまり、景忠公の政治判断はどこか慎重を通り越して臆病になっているようにも見えるのだ。

「ふん、小娘に心配されるとは、儂も随分と落ちぶれたものだな」

 宵の伝言に対する頼朋翁の回答には、かすかに不愉快げな響きが混じっていた。自分の指導力が低下していると、十七になったばかりの小娘に指摘されたように感じたのかもしれない。

「貴様ら結城家の力を借りずとも、この程度のこと、対処出来なくて何が六家長老か」

 ギロリと老齢に不相応な鋭い視線が、宵を射貫く。だが、宵は無感動にその目を見つめ返すだけであった。

「左様ですか。それは、出過ぎたことを申しました」

 そうして平坦な声で、彼女は形ばかりの謝罪を口にしたのだった。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 戦後の利権分配も含めて、対斉戦役の遂行に深く関わっている六家であったが、一方でそうした政策決定過程にほとんど参加出来ていないのが公家華族たちであった。
 特に公家の中でも最も格式の高い五摂家は、戦後に海外の利権をさらに拡大するだろう六家の動きを苦々しい思いで見つめていた。
 五摂家は、古代に摂関政治を行った一族・藤澤氏の嫡流を祖とする家系である。
 “五”という数字が付くように、現在では九重氏、常磐氏、穂積氏、千倉氏、佐伯氏の五つの家系に分かれている。
 家名は、かつて都があった地の屋敷周辺の地名・通りの名、あるいは最寄りの御所の門名、ないしは家領の地名などから取られている。
 基本的に古代以来、この五つの家系が摂政・関白の地位を独占していた。しかし内閣制度が成立し、皇国が近代的な官僚制度を整えると、五摂家が皇主に代わって政務を行うという伝統的な制度は廃止された(もっとも、それ以前から政治の実権は武家が握っていたが)。
 現在では、皇主が幼少か病気などで政務が執れない際は、有力な皇族が摂政の地位に就くという「皇族摂政」の制度が定められている。
 そのため「五摂家」というのは政治的実権を持たぬ、宮中の伝統芸能を今に伝える権威のみの存在であるといえた。
 しかし、そうした状況を五摂家の当主たちが納得しているかといえば、また別の問題であった。





「六家の連中は、戦後の利権あさりに夢中らしい」

 この日、九重公爵邸にて五摂家の当主が会合を開いていた。
 九重公爵家当主・基煕もとひろ、常磐公爵家当主・師信もろのぶ、穂積公爵家当主・通敏みちとし、千倉公爵家当主・輔孝すけたか、佐伯公爵家当主・経香つねよしの五名である。

「まだ斉との間に講和条約が締結されたわけでもないのに、随分と呑気なものだな」

 嘲るように、五摂家筆頭の九重基煕は言う。
 一応、今日の会合は庭の桜を鑑賞しながらの茶会ということになっている。しかし、それが表向きの理由でしかないことなど、この場に呼ばれた者たちには判っていた。

「とはいえ、講和会議が成立しようが決裂しようが、いずれ六家の連中が大陸の利権を手にすることに変わりはなかろう」

 この場には、大本営政府連絡会議に出席出来る立場にある者はいない(政府側で出席出来るのは、首相、兵相、外相、蔵相のみ)。だからこそ、講和会議において六家や中央政府が斉に対して要求しようとしている条件の内容を把握していなかった。

「そして戦後、六家は割譲された領土などの利権を独占し、さらには賞典禄(華族の戦功に対して国から支払われる俸禄)も増額される。皇国に華々しい戦勝をもたらした立役者として、もてはやされるのだ」

 九重公爵の声は、一転して苦々しいものとなった。

「我ら五摂家の権威は、戦勝に関われなかったことでさらに低下せざるを得んだろうな」

 常磐師信もまた、その表情に苦衷を滲ませる。

「いや、通敏殿のご子息が従軍しておられたのではないか?」

 そう水を向けられた穂積通敏もまた、苦い表情を隠そうともしていなかった。

「所詮、あやつは妾腹の子だ」

 そう、通敏は吐き捨てるように言った。他の五摂家の者たちにも、愛妾の子である貴通が本当は女であることを隠している。
 ただし、通敏と貴通の親子関係が険悪であることについては、華族の間では周知の事実となっていた。

「下手に戦功を立てられてみろ。私には、あやつを次の当主にする気などさらさらない」

 もともとは、穂積家の後継者問題に六家を介入させず、五摂家としての血の純潔(何せ、皇主の血も入っている男系の家系なのである)を守るために、貴通には男であると偽らせているのである。
 表向きは男であるとはいえ、女が家を継ぐことは出来ない。
 もっとも、正室である時子との間に男子が生まれている以上、公家の価値観からして、たとえ貴通が男であっても愛妾の子などに家を継がせるつもりなど通敏にはなかったが。
 いずれにせよ、貴通が軍人として名声を上げることに対して、通敏は警戒せざるを得ない。そもそも、彼女は結城景紀に接近し過ぎているのだ。後継者問題への六家の介入という事態は、何としても避けなければならなかった。

「しかし、戦勝に貢献出来ない公家という印象を、民に与えるのはいかにも拙かろう」

 千倉輔孝公爵が言う。
 民権派の新聞や雑誌などでは、華族を「無為徒食の輩」と批判記事を載せているところもある。特に戦時になれば軍人として最前線に立つことも多い将家華族に比べ、公家華族は家禄を受けて屋敷で安逸に暮らしているだけだとして、批判の対象になりやすかった。
 これは別に、六家側が新聞操縦を行って公家華族に民衆の不満の矛先を向けようとしているわけではなく、自然とそうした世論が形成されてしまったのである。むしろ、六家も華族批判については「共和制を擁護する危険思想」であるとして取り締りを行うよう、内務省に圧力をかけているほどであった。

「ここは、発想を変えては如何か?」

 そう言ったのは、佐伯経香公爵であった。

「今、世上では攘夷論が盛り上がりを見せている。むしろ六家こそ、西洋の夷狄を討滅するという武士としての本分を忘れ、利権あさりに血道を上げる者たちであると喧伝するのだ」

「つまり、我らが攘夷を唱えるというわけか?」

 九重基煕は渋い顔をした。

「それは、不偏不党を謳って政治的中立を保ち、武士どもがはびこる中で今日まで血脈を維持してきた我ら公家の政治的信条から外れることにならんか?」

「しかし、それではいずれ、我らは六家からも民からも要らぬ存在とされてしまうであろう。そうなる前に、我らこそが真の皇室の藩屏はんぺいであることを示さねばならんのだ。本来であれば五摂家である我らこそが皇主陛下の下、皇運を扶翼ふよくし奉るべきなのだ。後から盟約などで皇主陛下の藩屏を気取り始めた六家などではなく、な」

「……」

「……」

「……」

「……」

 佐伯公爵の発言に、残りの四人は一様に黙り込んで思案の表情を見せていた。
 彼らもまた、新たな戦後世界が訪れるであろう中で、自らの政治的立場を確立させなければならなかったのである。
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