秋津皇国興亡記

三笠 陣

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幕間 北国の姫と封建制の桎梏

8 責任のとり方

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 白昼堂々、嶺州浪士によって宵姫が襲撃されたという報せが結城家にもたらされると、家臣団の間ではただちに佐薙家に対して報復すべしという意見が持ち上がった。
 しかし、景忠公は列侯会議に出席していて不在であり、景忠公正室の久は宵姫の安否を気にするだけで当主正室としての判断を下そうとしない。
 代わりに家臣団に指示を下せる立場にある宵姫自身も、襲撃後、警視庁に身柄を拘束されたという。
 筆頭家老・益永忠胤に出来たことは、結城家当主の許しなく次期当主正室である宵姫を警察が拘束することは六家に対する越権行為であるとの抗議の使者を送ることだけであった。その使者も、宵姫自身が警察の事情聴取に協力的であったために追い返されてしまった。
 忠胤は、一昨年の宵姫誘拐事件の際も景紀の指示で動いた経験がある。ひとまず、景紀の情報操作を踏襲する形で、結城家隠密衆に対して情報収集および情報工作にあたるように命じた。
 翌朝の朝刊が発行されるまでに、襲撃を受けた宵姫に皇都市民の同情を集めさせ、嶺州浪士の非道を喧伝させようとしたのである。
 襲撃者たちによる斬奸趣意書は、結城家にも届けられた。
 一方的に宵姫を断罪する内容に、一部の家臣団は激怒したという。これで結城家は二度、佐薙家によって面子を潰された形になったからである。
 それに、皇都屋敷にいる者たちは一昨年の婚儀以来、宵姫が夫である景紀を献身的に支えようとする姿を見ている。だからこそ、佐薙家に対する怒りは一昨年の事件以上のものがあった。
 もちろん、そのどちらにも宵姫が関わっていたことから、宵姫を厄介者扱いする家臣もいないではない。しかし、それ以上に宵姫を支持する家臣は多かった。
 特に宵姫が南瀛なんえい諸島、新海諸島領有を主張したことで、家臣団の中でも特に積極的な南進論者たちは宵姫を自分たちの味方・賛同者であると受け取っていた。結城家内の南進論者にとって、宵姫は政治的後ろ盾のように見えていたである。
 このような自分たちにとって都合の良い存在を、失うわけにはいかなかった。
 夕刻、宵姫が警察の事情聴取から解放され、景忠公も帰宅したところで、今回の襲撃事件に対する結城家としての対応を正式に決定することとなった。
 これまで里見善光ら側近との間で政策決定をすることの多かった景忠公が、今回に関しては接見の間に宵姫と主要な家臣団を集めて意見を述べさせるようにした。
 問題が、結城家と佐薙家、そしてその間に立つ宵姫にも関わる性質のものだったからだろう。





「今回の事件において、佐薙家は一昨年に引き続き、我が結城家に牙を剥いた。しかも、その標的とされたのは我が嫡男・景紀の室たる宵姫だ。私は二度も佐薙家がこのような騒擾事件を引き起こしたことについて、非常に遺憾に思っている。このまま佐薙家を放置することは、結城家そのものの安泰にとって障害となるであろう。宵姫と、そして卿らの意見を聞きたい」

 景忠公の健康状態故か、それほど力強い声ではなかったものの、結城家の安泰を脅かしかねない佐薙家に対する憤りが感じられる口調であった。
 なお、襲撃者以外にも斬奸趣意書を皇都内にばら撒いた嶺州浪士がいると判断されていたが、皇都の治安維持は警視庁の管轄である。だからこそ、結城家内での議論は襲撃犯の捜査そのものよりも、佐薙家の処遇に関するものとなった。

「私からも、家臣団の皆様に申し上げさせて頂きます」

 宵もまた、口を開く。

「私は今回の件に関して、あくまで景紀様の室としての立場を堅持していきたいと思います。そのため、佐薙家に対して忌憚のない意見を述べて下さい。ただし、今回の事件については佐薙家と嶺州の民を分けて考えることを求めます」

 かつて、朝食会議の席で宵は居並ぶ家臣団に気圧された。しかし、今はそこまで胸が苦しくなるような重圧は覚えない。
 実の父による誘拐や陽鮮の倭館での出来事を通して、自分も随分と肝が太くなったようだ。

「やはり、佐薙家はこれを機に取り潰すべきでは?」

 結城家重臣たる執政の一人がそう言った。

「今回の件が嶺州浪士の犯行であることは、警察の捜査や斬奸趣意書からも明らかです。確かに彼らは佐薙家の家臣から脱した者たちですが、だからといって佐薙家の責任を問わないというわけにはいかないでしょう」

 それを皮切りに、執政・参与といった重臣たちと景忠公側近たちとの間で議論が始まる。

「佐薙家としては、やはり牢人であるという理由で責任を逃れようとするでしょうな」

「実際に姫様を拐かした一昨年の事件に比べると、責任を追及する理由が薄いのではないか?」

「いや、ここで断乎たる姿勢を我が結城家が見せねば、それこそ六家全体が他の諸侯から軽んじられよう。ここは他の諸侯に対する統制の意味も込めて、厳しい態度で臨むべきだ」

「しかし、佐薙家を取り潰すのは良いが、嶺州の統治権はどうするのだ? 何のために姫様が我が結城家に嫁いでこられたと思っている?」

 現在、結城家が佐薙家に代わって嶺州統治を行っているのは、宵という存在があるからだ。佐薙家自体が取り潰されてしまっては、結城家が嶺州を統治する政治的正統性が失われてしまう。

「いっそ、我が結城家が嶺州の領主の地位を得られるよう、六家会議ないし列侯会議に諮っては?」

 現在、昨年十二月から始まっていた列侯会議が会期末に差し掛かっている頃であった。

「いや、南泰平洋に利権を拡大しようとしている今、国内でも結城家が領地を広げることを快く思わない者もいるだろう。他の六家が拒否権を行使してしまえば、戦時下で六家が分裂しているという印象を国民に与えかねん。今は、その時期ではなかろう」

 家臣団の中で、結論は中々出ない。
 景忠公も、議論の推移を見守っている。この場で彼が意見すれば、それで決定になってしまうからだろう。もしくは、景忠公自身も佐薙家に対して厳しい態度をとることを望んでいながらも、具体的な方策が思いついていないのかもしれない。

「姫様」

 そうした中、参与の一人が宵姫の方を向く。

「姫様にとって、いささか不敬なことを申し上げることになるが、よろしいか?」

「構いません。どうぞ」

「佐薙家を取り潰すとなれば、姫様が若君に嫁がれた意義も失われます。姫様が若君から寵愛を受けられていることは重々承知の上で申し上げますが、身を引かれる覚悟はおありですか?」

「おい貴様、宵姫様に対し無礼であろう!」

 重臣の一人が、怒鳴りつける。

「いえ、忌憚のない意見を、と言ったのは私です」

 宵は、その重臣を片手で制した。

「今の意見、つまり嶺州領主に別の、特に結城家の影響力の強い将家ないし公家の男子を付け、私と景紀様を離縁させた上で、その家の女子を改めて景紀様の正室として嫁がせるという意味ですか?」

「はっ、それも一つの手かと。現状では、未だ姫様は後継者たる男子をもうけられておりません。ここで姫様が身を引かれるお覚悟があるのでしたら、我が結城家としても政策決定の自由度が上がることでしょう。もちろん、姫様にはその後も側室として若君をお支え頂ければ宜しいかと」

 互いに淡々としているが、宵姫は膝の腕で重ねた手が白むほどに力が入っていた。
 政治のためとはいえ、景紀と一時的にでも離縁しなければならない。そのことに、感情的に納得出来ない強烈な思いが湧き上がっていた。だが、殿方への思慕を優先して、ここで宵が我が儘を通すわけにもいかない。
 それでも、それは嫌だと心が叫んでいる。
 普段の無表情を保つのに、努力しなければならないほどだった。
 何とか、理論的にこの家臣を論破しなければならなかった。だが、咄嗟にそれが思い浮かばない。
 自分は長尾家の血も引いている……、宮中にも八重を通した情報網を持っている……、景紀不在の間結城家次期当主正室として果たしてきた責務……、そのどれもが自己弁護でしかないように感じられた。

「いや、景紀のおらぬ間に勝手に離縁を決めるのは、いささか拙かろう」

 だが、宵にとって助け船を出してくれたのは、景忠公であった。それは単に息子を思う親心という私情からの言葉ではあったが、それでも当主の言葉である。

「景紀も随分と宵姫を気に入っているようだからな」

「はっ、出過ぎたことを申し上げました。申し訳ございません」

 その参与は平伏して、景忠公に詫びていた。ただし、若干白けたような空気が接見の間に流れる。
 とはいえ、それでこの話題は終わった。宵としては安堵すべきなのだが、自分自身の力で、それも理論的に反論出来なかったことに悔いが残るものであった。

「ではいっそ、佐薙家は取り潰しとせず、今回の責任をとらせて次期当主を大寿丸からすげ替えるというのは如何ですかな?」

 今度は、別の家臣が言う。

「嶺州から佐薙家の分家筋に当たる幼い男系男子を探してきて、その子を若君と姫様の養子とするのです。そしていずれ、その子に佐薙家当主の地位を与えれば、嶺州を我が結城家の影響下に留めることが出来ましょう」

 つまりは、結城家にとって都合の良い傀儡領主を育てようということである。

「あるいは、いずれお生まれになるだろう姫様の子のいずれかに佐薙家を継がせるということも考えられよう」

「やはり傀儡を立てるとなると、嶺州における長尾家との関係も再度、考慮せねばならなくなる。結城家にとって都合の良い人物が最善であるが、東北地方の政治的安定という面から考えれば、もう少し長尾家側にも配慮した、大局的見地から佐薙家の後継者を選出すべきように感じるが?」

「しかしそうなりますと……」

 家臣団たちが、不敬になることを恐れるようにちらりちらりと宵を見てくる。
 要するに、彼らは大寿丸の母・定子が警戒しているのとは逆に、景紀と宵の子に佐薙家を継がせるのが最善と考えているのだろう。
 結城家、長尾家、佐薙家、三家の血が入った子が嶺州領主となれば、結城家が嶺州統治に影響力を及ぼしつつ、長尾家側への配慮ともなる。
 養子か、景紀と宵の子か、そうした方向に議論は向かいつつあった。

「ひとまず、今回の事件の責任をとらせるという形で、大寿丸殿は廃嫡されるべきだろうな」

「しかし、それまでの間はどう、我が結城家が嶺州を統治する政治的正統性を得るのだ?」

 適当な男子を探すにも、景紀と宵の子が生まれるのを待つことも、どちらも時間がかかり過ぎる。

「下手に佐薙家次期当主の座を曖昧なまますれば、嶺州で佐薙家男系の血を引く者たちの間で後継者の座を争うような事態に発展しかねんぞ」

「そこは、宵姫様に佐薙家家長となって頂けば良かろう」

 最終的に家臣団の出した結論は、現状 “佐薙家の実質的な家長”となっている宵を、正式な家長として宮内省宗秩寮に申請するというものであった。
 もちろん、宵は女性であるため“佐薙家当主”となることは出来ない。
佐薙家という「家」だけでなく嶺州という「領国」にまで権力を行使出来る「当主」という立場ではなく、あくまで「家」に対する監督権・財産権などを行使する「家長」に、宵を据えようというのである。
 基本的に「当主」と「家長」は同一人物が担うことになるのであるが、当主が幼少であったり、政務がとれない状態にあったり、あるいは適当な後継者が存在しない場合には、その子の母親(あるいは前当主正室)ないし前当主の長女という“女性”が家長を担う場合がある。
 現状では嶺州の統治を佐薙家次期当主たる大寿丸に代わって結城家が行っていることになっているので、正式な意味での佐薙家家長は存在していない。
 単に宵が佐薙家家長のように見られているだけで、彼女自身が主導的に佐薙家に対する監督権や財産権を行使しているわけではないのだ。
 しかし、大寿丸の佐薙家継承権を剥奪するとなると、結城家の嶺州統治の正統性が失われる。それを、宵姫という存在を佐薙家家長とすることで補おうということである。
 つまり、これまでは幼少の大寿丸に代わって結城家が嶺州を統治していたのを、女性である宵姫に代わって結城家が嶺州を統治しているという理論に書き換えるわけである。
 さらにこの理論であれば、以前から大寿丸の母・定子が警戒しているように、宵の子を新たな佐薙家当主に据えることも可能であった。
 最終的な結城家の結論は、大寿丸から佐薙家の継承権を剥奪し、その身柄を佐薙家の菩提寺に預けること(出家と実質的な幽閉)、そして定子とその娘・紅(こう)姫を実家に戻すこと、この二点を今後の方針として決定した。
 定子の実家は、経済的に困窮している下級の公家華族である。彼女は自ら生活の糧を得るために、公家として修めた教養で少女時代、佐薙家皇都屋敷の侍女をしていた。その中で佐薙成親に見初められ、側室となったのである。
 後継者たる男子を産んだことで佐薙家内で正室であった宵の母・とし以上の権力を得、ある意味では成功を収めた女性といえただろう。しかし、佐薙家の没落によってその成功も無に帰すことになってしまったのである。
 もっとも、だからといって宵は特に同情を覚えなかった。
 むしろ、栄枯盛衰こそが戦国時代以来の将家の理である以上、いずれ結城家も没落する日がくるかもしれない。そう思うと、宵はどこか薄ら寒いものを感じざるを得なかった。
 やがて中央集権化の中で六家の権限は縮小されていくだろう。しかし、華族としての経済力は保持していかなければ「家」を維持することは出来ない。
 当初は父・成親の影響力を排除して景紀と共に直接、嶺州の振興政策に当たれることを喜んでいた宵であったが、今回の事件は逆に家の没落、あるいは傀儡化というものがどういうものであるのか、明確に自覚させる出来事となった。
 そのためにもやはり、結城家次期当主正室として景紀との間に早く子をもうけることが必要であった。それが、己の政治的立場を確固たるものにし、次代への安定的な継承による家の安泰に繋がるのだから。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 しかし、宵はこの時、もう少し自身に対する襲撃事件が与える影響について考えるべきであったかもしれない。
 彼女の意識はこの事件によって嶺州の民が不利益をこうむらないかどうかという点に向いており、佐薙家そのものがどのような反応を示すかという点につては、かなり冷淡な考えしか持っていなかった。
 佐薙家の側が、事件は不逞浪士たちが起こしたことであり佐薙家自体は無関係であるという声明を襲撃当日夕刻に出していたことも、宵に佐薙家がこの事件の責任を逃れようとしているという印象を強めた。
 しかもその内容が、次期当主・大寿丸の姉を暗殺しようとしたことは佐薙家に対する謀反に等しい、という主旨のものであり、斬奸趣意書の内容と合わせて、余計に佐薙家がその時々に合せて自家に都合の良いことを喧伝しているようにしか見えなかった。
 ある意味で、幼少期から虐げられてきた経験が、宵の佐薙家に対する見方を歪めてしまっていたのかもしれない。
 だからこそ、佐薙家を糺弾する方向にまとまりつつあった結城家内部の議論について、彼女はその方向性を修正しようとはしなかった。
 それが、一つの悲劇を生むことになってしまった。
 宵自身の責任であるかは多分に疑問であるが、少なくとも一部の人間たちの間に暗い影を落とすことになる出来事が、襲撃事件翌日未明に発生した。

  ◇◇◇

 伊丹公爵家現当主・正信の孫・直信は、兵学寮の五年生寮の騒がしさで目を覚ました。
 まだ起床時間には早い時刻で、同室の者と何事だろうと顔を見合わせた。と、部屋の扉が乱雑に叩かれる音が響く。

「はい!」

 直信が応じるのと、扉が開くのは同時であった。

「おい貴様ら、戸澤の姿を見んかったか!?」

 扉から急くように問うてきたのは、直信たちの教官の一人であった。
 その言葉だけで、直信たちも何が起こったのかをぼんやりながら理解した。
 直信らと同じ兵学寮五年生に、佐薙家重臣の氏息である戸澤義成という少年がいた。昨日の宵姫襲撃事件に参加していた嶺州浪士・戸澤義基の弟であった。
 夕刊が一般的でないこの時代、事件の詳細は未だ皇都中に広まっているわけではないが、少なくとも兵学寮五年生の者たちは襲撃事件の詳細をある程度、知っていた。
 それは、義成が昨日の夕刻、兵学寮にやってきた憲兵隊の取り調べを受けたからだ。
 襲撃犯の死体からその内の一人が元佐薙家家臣団の戸澤義基であることが判明し、弟である義成が何らかの事情を知らないか、警視庁からの要請を受けた憲兵隊が事情聴取に来たのである。
 警視庁の捜査権限が佐薙家皇都屋敷の内部にまで及ばないため、兵学寮在学中の義成が警察に目を付けられてしまったというのもあるだろう。
 ただ、義成自身も兄の凶行は寝耳に水であったらしく、昨夜は夕食の時も顔を真っ青にしていた。同期生たちが何とか慰めたものの、思い詰めたような表情をしていたので、同室の生徒には義成の行動について注意しておくよう、教官から言い渡されていた。
 しかし、同室の生徒が夜中、厠に行った間に、寝台から義成の姿が消えていたという。義成は武士の家系の出であるため、自前の刀を部屋に置いていた。それもなくなっていたとのことである。
 それで、教官たちが必死になって捜索しているとのことであった。

「自分も行きます!」

 直信は寝巻姿のまま寝台から飛び降りた。

「判った、見つけたらすぐに教官室に出頭するように伝えろ!」

「はっ!」

 教官が駆け出していくのと同時に、直信は同室の生徒と共に部屋を飛び出した。他の同期生たちも同じ思いであったらしく、白い寝巻姿の少年たちが廊下を駆けていた。
 厳しい訓練や学業を共に経験した兵学寮同期生たちの連帯感は強い。同室の者と二人一組になって、教官たちの捜索に加わる。
 未明の兵学寮敷地内が、途端に騒がしくなる。
 他の学年の寮も、この騒動で起き出す者が出てきたのだろう。教官たちから部屋から出ないように怒鳴られる声が、時々響いてくる。
 それでも、他学年で嶺州出身の生徒たちの部屋も、教官たちによる捜索対象となった。
 兵学寮の敷地を警備する衛兵の中に、義成の姿を見かけた者はいないという。
 少なくとも、兄を殺された仇討ちに一人、結城家に討ち入りに行ったわけではないようである。となると、もう一つの可能性が直信たちの頭を過ぎる。

「おい義成ぃ、どこ行ったぁ!?」

 最初の捜索開始から、三十分ほどたった頃。
 直信は馬のための干し草が保管されている倉庫を一つ一つ確認していた。その中の一つの扉を角灯片手に開けた途端、むっとするような血の臭いが鼻を突いた。

「―――っ!?」

 角灯を倉庫内にかざして、直信は声にならない呻きを上げた。
 干し草の上に、これまで五年間を共にしてきた同期生が腹に刀を突き立てた状態で蹲っている。流れ出た血が、干し草を赤黒く汚していた。
 まだ息があるらしく、ひゅうひゅうという喘鳴が漏れていた。

「おい、直信! 早く医務室に!」

 動揺した同室の生徒が、義成を抱え起こそうと近寄る。

「……もう、遅い」

 だが、直信は唖然として言葉を零すだけだった。
 死に際して見苦しく暴れないためだろう、義成は自分で自分の両足を縛り、布を口に噛ませていた。涙で濡れた瞳はどろりと濁りかけているが、まだわずかに生の輝きがあった。
 その瞳が、ぎょろりと直信の方を向いた。あるいは、向いたような気がした。

「うっ……」

 途端に、呼吸が苦しくなる。
 こういう時、どうすればいいのか、直信たちは習ってきた。手の施しようのない負傷兵に対する措置は、一つしかない。
 直信は、荒くなった呼吸のまま義成に近付いた。何をすべきかは判っている。それ以外のことを、考えまいとする。

「っ―――」

 込み上がってくる感情を抑えるように歯を食いしばって、義成が腹に突き立てていた刀を抜く。少年の腹腔から、臓物が溢れ出す。
 血の臭いが、さらに強くなった。

「ああああああああああっ―――!」

 すべての感情を振り払うように絶叫を上げて、六家当主の孫たる少年は刀を振り下ろした。
 これまで五年間を共にしてきた同期生の首は、あまりに呆気なく落ちた。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 未明に兵学寮で発生した生徒の割腹自殺事件は、ただちに結城家にも伝えられた。
 宵が寝巻から着替えていたところに、菖蒲が飛び込んできたのである。

「嶺州出身の生徒が、割腹自殺を……」

「はい、その者は昨日の襲撃犯の弟であったようです」

 努めて冷静さを保とうとしつつも、宵の声には呆然とした響きがあった。まさか、そのような方向に事件が飛び火するとは思っていなかったのだ。

「遺書も残されておりまして、姫様への詫びと兄が嶺州武士の名を汚したことへの責任をとって自決すると。他の生徒に迷惑がかかることを恐れたのでしょう、介錯も付けずに腹に刀を突き立てていたところを発見されたとのことです」

「何ということを……」

 ぎりっと宵は拳を握りしめた。
 嶺州浪士たちは皇都の市民を巻き込むだけでなく、実の弟すら巻き添えにするとは。介錯も付けずに割腹するとは、長く苦しんで死んでいったことだろう。
 だが同時に、これは自分の責任ではないかと思う部分もあった。
 自分は、怒りと不信のあまり佐薙家を糺弾する結城家の議論をそのまま認めてしまった。今回の襲撃を企てた者は確かに嶺州の武士であったろうが、佐薙家家臣団の全員に責任があるわけではない。
 昨年、自分に米を献上してくれた者のように、嶺州の振興のために日々、働いている佐薙家家臣もいるのだ。
 こうした佐薙家家臣団も、広い意味では嶺州の民なのだ。
 それらを分けて考えず、無関係の者の責任は問わないで欲しいと景忠公に進言することもしなかった。
 ただ景紀の正室という自分の立場を維持出来たこと、嶺州の振興政策に悪影響を及ぼさずに済んだことに、安堵してしまった。
 襲撃犯たちの親族がどのように扱われるのか、そうした点に思いを致すことはしなかった。
 そこで、宵姫はぞっとする感情を抱いた。
 佐薙家は、今回の襲撃事件を不逞浪士たちの凶行であるとして、家としての責任を認めていない。だとするならば、佐薙家にとっても責任の押し付けどころが必要である。
 実際、佐薙家は襲撃犯を佐薙家に対する謀反人であるとまで言い切っていた。
 だとすれば、謀反人とされた事件を起こした者たちの親族を処罰、ないし自裁を強要するということも十分にあり得る。そうした形で佐薙家が無理矢理に事件の幕引きを図る可能性に思い至らなかった自分自身に、宵は怒りを覚えていた。

「菖蒲殿」

「はっ」

「景忠公にただちに面会の許可を。兵学寮での件を受けて、至急お話したいことがあると伝えて下さい」

「承知いたしました」

 菖蒲が、廊下を駆けていく。
 それを見送りながら、宵は重い溜息をついた。事件は、まだ終わっていない。事件とは無関係の佐薙家家臣団も含めて、これ以上の犠牲は出さないようにしなければならなかった。
 それが恐らく、“家長”としての役割なのだろう。
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