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幕間 北国の姫と封建制の桎梏
5 不穏な前兆
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「お姫さん、ちょいとええ?」
宵が皇都屋敷の廊下を歩いていると、庭の方から声がかかった。
「……何でしょう、新八殿?」
宵が立ち止まると、木の影から浮き出るようにして忍の青年が出てくる。
「ちぃとばかし気になる情報があったんで、耳に入れといた方がええと思ってな」
新八の言葉に、宵の目がかすかにすぼめられる。
現在、皇都警視庁を中心に出奔した佐薙家家臣団を捜索している。戦時下で報道管制が平時よりも厳しくなっていることもあり、佐薙家の醜聞ともいえる出来事は大々的に報じられていない。
そもそも、傾いた主家に見切りを付けて牢人となるなど、これまでの歴史で幾度となく発生してきた事例だ。戦争報道に比べると、いささか新鮮味が薄い。
問題は、佐薙家皇都屋敷から銃と実包が持ち出されたことである。出奔した者たちが、結城家に対して何らかの過激な行動に出ないとも限らない。そのため、大本営政府連絡会議や列侯会議に出席する景忠公の護衛は、以前よりも強化されている。
しかし一方で、戦時下ということもあって警護役の不足から、宵の護衛については万全とは言い難い部分があった。
結城家に直接仕えている術師の家系である葛葉家当主・英市郎とその息子・鉄之介が宵に護身用のお守りを作ってくれたが、やはり一抹の不安は存在する。その不安は、宵自身よりも周囲の家臣たちの方が深刻であったかもしれない。
宵に外出を最小限に控えるよう進言する者もいる。しかし、宵は篤志看護婦人会の講習の他、有馬頼朋翁や長尾多喜子との間で情報交換を行うという役目も担っている。将家の姫でないと務まらないこともあり、そう簡単に外出の頻度を減らすわけにもいかないのが現状であった。
そんな中で、新八からの報告である。宵が少し身構えるのも、無理はなかった。
「まあ、あんまお姫さんには面白くない話なんやけど、葦原情報でな」
「構いません、続けて下さい」
葦原とは皇都随一の花街、遊郭である。葦の生い茂る湿地帯を埋め立てて、そこに中央政府公認の遊郭が築かれたのが、その起源であった。
亡くなった新八の姉がここで娼妓をしていたことから、新八はここにいくつかの情報源を持っていた。変装の得意な彼は名前や格好を変えて、時折、ここの用心棒をすることもあるという。
新八は宵が身売りされる少女に同情を寄せていることを知っているから最初に断りを入れてきたのだろうが、宵としては貴重な情報を自分の好悪の情で取捨選択することはしたくなかった。
「一年ほど前、親に売られて葦原に来た少女がおるんやと」
それ自体は、別に珍しいことではない。嶺州に限らず、困窮した家が娘を身売りする、あるいは娘自身が家族を助けるために身売りすることは、この時代では当然のように行われていたからだ。
「武家出身ってことまでは確かなんやけど、どうにも訳ありなんやないかって今、ちょいと耳のいい娼妓や芸妓たちの間で噂になっとるらしいや」
「どういうことですか?」
「遊女たちの中には、警察の上層部の人間やら将家の人間やらと懇意にしとるのもおる。そういう人間がぽろりと漏らした情報で、佐薙家家臣団の出奔を知っとる者もおるんや。んでな、その少女、嶺州以外の土地からやって来たってことになっとるんやが、かすかに嶺州訛りが出ることがあるらしいんよ。嶺州出身の遊女が不審に思っとったらしいんやが、あんまり過去を詮索するのも可哀想やからと今まで黙っとったらしい。んで、今回の佐薙家家臣団の出奔や。何や裏があるんやないかって、思ったらしくてな。まあ、僕の取り越し苦労の可能性もあるんやろうが」
「……」
宵は、この情報の持つ意味を考えた。
佐薙家は没落しつつあるとはいえ、景紀と宵は路頭に迷う家臣やその家族が極力出ないよう、注意を払ってきた。多数の牢人が発生することによって彼らが匪賊化し、嶺州の治安が悪化することを恐れたためである。
そのため、横領などの不正行為に手を染めて士族籍剥奪の上逮捕・追放された者たちなどを除き、ほとんどの家臣は反六家感情の強い者も含めて、家禄ないし軍人恩給で生活出来るように取り計らっている。もちろん、無為徒食の人間については家禄は必要最小限にまで落としたが。
また、最も牢人化が懸念された用人系統の家臣団についても、新たに設置された花岡県の職員として、あるいは嶺州鉄道の職員として再雇用されるようにするなど、牢人対策はかなり徹底した。
中には平民と同じように仕事をすることを拒む、武士意識が高すぎる者も存在したが、完全に少数派である。もちろん、そうした者たちも有能であれば嶺州の行政機構に組み込んではいる。しかし、やはり無意味に矜持だけが高く、それと反比例するように能力の低い者は一定数、存在するものである。
問題となっているその少女は、もしかしたらそうやって平民と同じように仕事をすることを拒みつつ、能力が低いために家禄を減らされた士族の家系の出なのかもしれない。
家禄が減ったにもかかわらず、生活の水準を落とすことの出来なかった親が、娘を身売りする。嶺州でなくとも、あるいは武家でなくとも、どこかしらに転がっている事例であろう。
出身を偽っているのも、家名を傷付けたくないからという理由で納得出来る。そして、もしそうならば多少、やるせない気持ちを抱くにせよ、それだけで済む話だ。
「問題は、その娘が出奔した者たちと繋がっている場合ですね」
「うん、僕もその可能性を考えとった」
「繋がっていなくとも、佐薙家が結城家の目を逃れて資金を稼いでいる可能性も否定出来ません」
要するに、その少女を使って何らかの活動資金を得ようとしている場合である。
隠密衆を動かして情報活動をするには、どうしても機密費が必要となる。しかし、結城家の監督下に置かれている佐薙家では、自由に機密費を使うことが出来ない。つまり、佐薙家独自の諜報活動が出来ないのだ。
ただし、佐薙家の行政文書を結城家が接収した際、官僚系統の家臣団に属する隠密衆(嶺州ではこれを“早道之者”と称した。皇都と嶺州の間で素早く情報の遣り取りをしていたことが由来であるという)については、その実態を把握すると共に、結城家隠密衆の下に一部を組み込むことに成功している。
問題は、当主直属であるが故に他家からは実態が把握しづらい“御庭番”系統の忍たちである。
葦原の少女がそうした者たちの活動資金の源になっているとしたら、厄介であった。
もちろん、結城家としてはそうした資金の流れは断ち切りたいところではある。しかし、それと今回の出奔事件が明確に繋がっていると断ずるだけの証拠は、今のところ存在しない。
「菖蒲殿」
「はっ、ここに」
宵が呼べば、廊下の影から忍の少女が現れる。
「念のため、この情報をあなたの御父君である卯太郎殿に伝えておいて下さい」
「承知しました」
「新八殿、その件の調査を頼みたいのですが、お一人で大丈夫ですか?」
「んー、むしろ僕一人の方がええな。下手に結城家の隠密衆やら風間家やらに介入されて僕の持つ情報網が引っ掻き回されるのも嫌やし」
「判りました。では、そちらの方は任せます」
「了解。ほな、僕はこれで」
そう言って、また影に同化するように新八の姿は消えていった。
「……」
宵もまた、自室に戻るべく廊下を歩き出した。新八による調査結果がどうなるにせよ、やるせない気分にさせられる報告が来ることは間違いないだろう。
あるいは姉を遊郭で亡くしたあの忍の青年にとっても、飄々とした口調とは裏腹に、あまり気の進まない調査であるのかもしれない。
自分の望む未来には、まだ遠い。そのことを、宵は改めて痛感していた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
戦勝報道と戦争特需に湧く皇都であったが、それはあくまで一般の市民たちにとってのことであった。
皇都の治安を預かる警視庁の者にとっては、現在の皇都の状況は緊張感を覚えずにはいられないものであった。
まず、これは戦時・平時を問わぬ問題であるが、攘夷派の存在がある。特に武器を携行している攘夷派浪士や攘夷派政党・会派の院外団の存在は、治安を乱す要因になりかねなかった。これまでにも、西洋との貿易で財をなした商人・商店などが襲撃されたり、あるいは殺されたりする事件は発生している。
攘夷派知識人の開く集会なども、警戒の対象である。皇国では、「集会条例」によって集会は開催三日前までの許認可制である。そして基本的に集会は、警察官立会の下で行われる。
後世の視点から見れば完全なる言論弾圧であったが、この時代はこれが普通であった。
現在、戦勝報道に後押しされているのか、東亜新秩序などを声高に叫ぶ知識人などを中心に、皇都での集会の申請件数が増えているのだ。攘夷派たちから盟主のように思われている伊丹正信公からの中央政府・内務省への圧力もあり、警視庁としても攘夷派による集会を禁止することは出来なかった。
次に、冬の間の出稼ぎ農民の問題があった。特に戦時下ということもあり、各地の工場で従業員の募集が相次いでいる。そのためこの冬は例年以上に皇都に出てくる出稼ぎ農民の数が増え、それによる治安の悪化が懸念されていたのである。
さらに、こうした問題に加えてマフムート朝への義勇兵という扱いにある傭兵の募集も、皇都の治安を悪化させる要因にならないかと懸念されていた。
無頼の輩である牢人たちが、募集に釣られて皇都に集まってきているのだ。各地で集められた牢人が皇都に集められ、一定程度の訓練を行った後、マフムート帝国へと義勇兵として送り出されるわけであるが、中にはやはり遠い異国の地に向かうことに尻込みし、訓練中に脱走する者もいる。
募兵に応じた牢人たちについては兵部省の管轄であり、このために憲兵隊も皇都の治安維持活動に動員されてはいるが、いずれにせよ、皇都警視庁の業務が平時以上に増えていることには違いなかった。
そうした中で、佐薙家家臣団の出奔事件である。
警視庁は皇都憲兵司令部と情報を共有しつつ(警察から憲兵隊に出向している者も一定数、存在している)、その行方を追っていた。
現在のところ、彼らがマフムート朝義勇軍への募兵に応じたという報告は届いていない。どこかに潜伏している可能性があったが、何せ牢人や出稼ぎ農民たちの数も多い。その中に紛れ込まれると、捜索は困難であった。
それに、彼らが犯した罪は佐薙家皇都屋敷からの窃盗である。将家の皇都屋敷内部には、警視庁の権限は及ばない。そこは、嶺州という佐薙家領の延長線上にあると考えられているからだ。つまりは、諸侯の領地の治外法権が及ぶわけである。
一方で、皇都に佐薙家の統治権は及ばない。必然的に、捜索は警視庁、最終的な処分を決定するのは佐薙家という状況が起こる。
面倒なことだけ警視庁に押し付けてくるこうした将家の問題について、一部の警察関係者の間では不満の声が上がっていた。
しかも一昨年には佐薙成親がすでに結城家に嫁いでいた宵姫を白昼堂々誘拐するという事件があり、警視庁としては佐薙家に面子を潰された格好であった。
警視庁の管轄する皇都で、警察の存在を無視するかのような将家同士の私闘が発生するなど、警視庁の沽券に関わる問題である。そのため、警視庁の者たちの佐薙家に対する印象は、総じて悪かった。
しかし、そうは言っても何ら手掛かりが掴めていない状況では、警察としても効率的に動くことは出来ない。
そうしている内に、三月を迎えた。
◇◇◇
皇国陸海軍は各種の銃を基本的に国産で賄っているが、将家などでは警備のために外国製の銃を導入しているところもある。
その中に一つに、スタイナー銃というものがある。
これは、ヴィンランド合衆国で開発された騎銃であった。構造的には、管状弾倉(チューブマガジン)を採用した後装式連発銃にあたる。
皇国陸軍の主力小銃である三十年式歩兵銃が後装式ながら単発式であることを考えると、後装式連発銃というのは随分と革新的設計であるような印象を受ける。しかし、この銃はヴィンランド合衆国陸軍では採用されなかった失敗作であった。
理由は、装填の手間がかかり過ぎることであった。
この銃は銃床の床尾から七発の弾丸を差し込んで装填するのであるが、その装填動作に時間がかかったのである。一発ずつ弾倉に銃弾を差し込み、最後に弾倉管を押し込んで銃弾を固定して初めて射撃が可能となる。そして撃ち尽くせば、一度、弾倉管を引き抜いてからまた一発ずつ装填していくのである。
このため、今後の小銃開発の参考として輸入した兵部省は、「本式ノ如キ連発銃ハ弾倉ニ弾薬ヲ装填スル為少カラス時間ヲ要スルヲ以テ真ノ連発銃ト謂フコト能ハス七発ノ予備弾薬ヲ装填スル単発銃ト称スヘキナリ」と散々な評価を下していた。
さらに銃そのものの強度の問題から、火薬量の多い小銃弾が使えず、拳銃弾しか使用することが出来なかったのである。
しかし、逆にこうした点が合衆国の西部開拓者たちに好まれ、スタイナー銃は民間に大量に流れることになった。拳銃弾と弾薬の互換性があったことが、開拓者たちから評価されたのである。
このため、皇国でも屯田兵を始めとする植民地開拓団用として一定数が輸入され、マフムート朝への義勇兵に応じた牢人の中にもこの銃を所持している者がいたという。
佐薙家を出奔した戸澤義基らの元には、このスタイナー銃三丁と実包二〇〇発が存在していた。
それ以外の武器は、それぞれが元々携行している刀と拳銃である。
最初から宵姫暗殺を目指していた義基であったが、仇討ち(成親は追放されたものの殺害されたわけではないので厳密には違うのだが)に賛同した者の中には結城景忠公を誅するべきとの声もあった。
確かに、大寿丸の元服を阻み、主家再興を阻んでいるのは宵姫も景忠公も同じであり、その意味ではより大物である景忠公を狙う意味はあった。
しかし、義基はこれに反対した。そもそも、佐薙成親を追放に追いやったのは景忠公ではなく息子の景紀であり、無関係の公を殺害してはかえって仇討ちの意義を薄れさせ、単なる結城家への私怨と民衆に受け止められかねない危険性があった。
義挙である以上は、一定以上の正統性が必要なのである。
一方の宵姫は、やはり大寿丸の元服を阻み、主家再興を阻んでいる存在であると共に、佐薙家の血を引くが故にいずれ生まれてくるであろう子を佐薙家次期当主に据えようとするかもしれない存在である。
大寿丸の将来を考えるのならば、やはり標的は宵姫以外に考えられない。そのように、義基は同志たちを説得した。
こうして集まったのが、十八名の嶺州浪士たちであった。
彼らは出稼ぎ農民や募兵に応じた牢人を装いつつ、皇都各地に分散して潜伏を続けていた。
この間、義基たちは宵姫の日常的な行動について情報を集めていた。
襲撃に参加する同志には加わっていないが、この十八名は、密かに佐薙家の忍から資金および情報の提供を受けていた。大堀史高が手を回してくれたのだ。
宵姫の行動は、定期的なものと不定期なものが混ざっていた。
定期的なものは、篤志看護婦人会での講習である。それ以外の、他家との会合や傷病軍人への慰問などは不定期である。また、時には領内の視察に赴くこともあるらしく、結城家領内に入られてしまうと、襲撃はほとんど不可能となってしまう。
襲撃として最適なのは、篤志看護婦人会の講習であろう。これならば日時や経路なども事前にある程度、判明している。結城家皇都屋敷と篤志看護婦人会の会館の間の経路のどこかで、待ち伏せることが出来るだろう。
あまり襲撃を引き延ばしていては、警察に潜伏場所を掴まれてしまう恐れがあった。出来れば、三月の初旬には襲撃を決行すべきだろう。
義基はそう思い、襲撃場所を選定するため皇都の地図を睨み続けていた。
宵が皇都屋敷の廊下を歩いていると、庭の方から声がかかった。
「……何でしょう、新八殿?」
宵が立ち止まると、木の影から浮き出るようにして忍の青年が出てくる。
「ちぃとばかし気になる情報があったんで、耳に入れといた方がええと思ってな」
新八の言葉に、宵の目がかすかにすぼめられる。
現在、皇都警視庁を中心に出奔した佐薙家家臣団を捜索している。戦時下で報道管制が平時よりも厳しくなっていることもあり、佐薙家の醜聞ともいえる出来事は大々的に報じられていない。
そもそも、傾いた主家に見切りを付けて牢人となるなど、これまでの歴史で幾度となく発生してきた事例だ。戦争報道に比べると、いささか新鮮味が薄い。
問題は、佐薙家皇都屋敷から銃と実包が持ち出されたことである。出奔した者たちが、結城家に対して何らかの過激な行動に出ないとも限らない。そのため、大本営政府連絡会議や列侯会議に出席する景忠公の護衛は、以前よりも強化されている。
しかし一方で、戦時下ということもあって警護役の不足から、宵の護衛については万全とは言い難い部分があった。
結城家に直接仕えている術師の家系である葛葉家当主・英市郎とその息子・鉄之介が宵に護身用のお守りを作ってくれたが、やはり一抹の不安は存在する。その不安は、宵自身よりも周囲の家臣たちの方が深刻であったかもしれない。
宵に外出を最小限に控えるよう進言する者もいる。しかし、宵は篤志看護婦人会の講習の他、有馬頼朋翁や長尾多喜子との間で情報交換を行うという役目も担っている。将家の姫でないと務まらないこともあり、そう簡単に外出の頻度を減らすわけにもいかないのが現状であった。
そんな中で、新八からの報告である。宵が少し身構えるのも、無理はなかった。
「まあ、あんまお姫さんには面白くない話なんやけど、葦原情報でな」
「構いません、続けて下さい」
葦原とは皇都随一の花街、遊郭である。葦の生い茂る湿地帯を埋め立てて、そこに中央政府公認の遊郭が築かれたのが、その起源であった。
亡くなった新八の姉がここで娼妓をしていたことから、新八はここにいくつかの情報源を持っていた。変装の得意な彼は名前や格好を変えて、時折、ここの用心棒をすることもあるという。
新八は宵が身売りされる少女に同情を寄せていることを知っているから最初に断りを入れてきたのだろうが、宵としては貴重な情報を自分の好悪の情で取捨選択することはしたくなかった。
「一年ほど前、親に売られて葦原に来た少女がおるんやと」
それ自体は、別に珍しいことではない。嶺州に限らず、困窮した家が娘を身売りする、あるいは娘自身が家族を助けるために身売りすることは、この時代では当然のように行われていたからだ。
「武家出身ってことまでは確かなんやけど、どうにも訳ありなんやないかって今、ちょいと耳のいい娼妓や芸妓たちの間で噂になっとるらしいや」
「どういうことですか?」
「遊女たちの中には、警察の上層部の人間やら将家の人間やらと懇意にしとるのもおる。そういう人間がぽろりと漏らした情報で、佐薙家家臣団の出奔を知っとる者もおるんや。んでな、その少女、嶺州以外の土地からやって来たってことになっとるんやが、かすかに嶺州訛りが出ることがあるらしいんよ。嶺州出身の遊女が不審に思っとったらしいんやが、あんまり過去を詮索するのも可哀想やからと今まで黙っとったらしい。んで、今回の佐薙家家臣団の出奔や。何や裏があるんやないかって、思ったらしくてな。まあ、僕の取り越し苦労の可能性もあるんやろうが」
「……」
宵は、この情報の持つ意味を考えた。
佐薙家は没落しつつあるとはいえ、景紀と宵は路頭に迷う家臣やその家族が極力出ないよう、注意を払ってきた。多数の牢人が発生することによって彼らが匪賊化し、嶺州の治安が悪化することを恐れたためである。
そのため、横領などの不正行為に手を染めて士族籍剥奪の上逮捕・追放された者たちなどを除き、ほとんどの家臣は反六家感情の強い者も含めて、家禄ないし軍人恩給で生活出来るように取り計らっている。もちろん、無為徒食の人間については家禄は必要最小限にまで落としたが。
また、最も牢人化が懸念された用人系統の家臣団についても、新たに設置された花岡県の職員として、あるいは嶺州鉄道の職員として再雇用されるようにするなど、牢人対策はかなり徹底した。
中には平民と同じように仕事をすることを拒む、武士意識が高すぎる者も存在したが、完全に少数派である。もちろん、そうした者たちも有能であれば嶺州の行政機構に組み込んではいる。しかし、やはり無意味に矜持だけが高く、それと反比例するように能力の低い者は一定数、存在するものである。
問題となっているその少女は、もしかしたらそうやって平民と同じように仕事をすることを拒みつつ、能力が低いために家禄を減らされた士族の家系の出なのかもしれない。
家禄が減ったにもかかわらず、生活の水準を落とすことの出来なかった親が、娘を身売りする。嶺州でなくとも、あるいは武家でなくとも、どこかしらに転がっている事例であろう。
出身を偽っているのも、家名を傷付けたくないからという理由で納得出来る。そして、もしそうならば多少、やるせない気持ちを抱くにせよ、それだけで済む話だ。
「問題は、その娘が出奔した者たちと繋がっている場合ですね」
「うん、僕もその可能性を考えとった」
「繋がっていなくとも、佐薙家が結城家の目を逃れて資金を稼いでいる可能性も否定出来ません」
要するに、その少女を使って何らかの活動資金を得ようとしている場合である。
隠密衆を動かして情報活動をするには、どうしても機密費が必要となる。しかし、結城家の監督下に置かれている佐薙家では、自由に機密費を使うことが出来ない。つまり、佐薙家独自の諜報活動が出来ないのだ。
ただし、佐薙家の行政文書を結城家が接収した際、官僚系統の家臣団に属する隠密衆(嶺州ではこれを“早道之者”と称した。皇都と嶺州の間で素早く情報の遣り取りをしていたことが由来であるという)については、その実態を把握すると共に、結城家隠密衆の下に一部を組み込むことに成功している。
問題は、当主直属であるが故に他家からは実態が把握しづらい“御庭番”系統の忍たちである。
葦原の少女がそうした者たちの活動資金の源になっているとしたら、厄介であった。
もちろん、結城家としてはそうした資金の流れは断ち切りたいところではある。しかし、それと今回の出奔事件が明確に繋がっていると断ずるだけの証拠は、今のところ存在しない。
「菖蒲殿」
「はっ、ここに」
宵が呼べば、廊下の影から忍の少女が現れる。
「念のため、この情報をあなたの御父君である卯太郎殿に伝えておいて下さい」
「承知しました」
「新八殿、その件の調査を頼みたいのですが、お一人で大丈夫ですか?」
「んー、むしろ僕一人の方がええな。下手に結城家の隠密衆やら風間家やらに介入されて僕の持つ情報網が引っ掻き回されるのも嫌やし」
「判りました。では、そちらの方は任せます」
「了解。ほな、僕はこれで」
そう言って、また影に同化するように新八の姿は消えていった。
「……」
宵もまた、自室に戻るべく廊下を歩き出した。新八による調査結果がどうなるにせよ、やるせない気分にさせられる報告が来ることは間違いないだろう。
あるいは姉を遊郭で亡くしたあの忍の青年にとっても、飄々とした口調とは裏腹に、あまり気の進まない調査であるのかもしれない。
自分の望む未来には、まだ遠い。そのことを、宵は改めて痛感していた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
戦勝報道と戦争特需に湧く皇都であったが、それはあくまで一般の市民たちにとってのことであった。
皇都の治安を預かる警視庁の者にとっては、現在の皇都の状況は緊張感を覚えずにはいられないものであった。
まず、これは戦時・平時を問わぬ問題であるが、攘夷派の存在がある。特に武器を携行している攘夷派浪士や攘夷派政党・会派の院外団の存在は、治安を乱す要因になりかねなかった。これまでにも、西洋との貿易で財をなした商人・商店などが襲撃されたり、あるいは殺されたりする事件は発生している。
攘夷派知識人の開く集会なども、警戒の対象である。皇国では、「集会条例」によって集会は開催三日前までの許認可制である。そして基本的に集会は、警察官立会の下で行われる。
後世の視点から見れば完全なる言論弾圧であったが、この時代はこれが普通であった。
現在、戦勝報道に後押しされているのか、東亜新秩序などを声高に叫ぶ知識人などを中心に、皇都での集会の申請件数が増えているのだ。攘夷派たちから盟主のように思われている伊丹正信公からの中央政府・内務省への圧力もあり、警視庁としても攘夷派による集会を禁止することは出来なかった。
次に、冬の間の出稼ぎ農民の問題があった。特に戦時下ということもあり、各地の工場で従業員の募集が相次いでいる。そのためこの冬は例年以上に皇都に出てくる出稼ぎ農民の数が増え、それによる治安の悪化が懸念されていたのである。
さらに、こうした問題に加えてマフムート朝への義勇兵という扱いにある傭兵の募集も、皇都の治安を悪化させる要因にならないかと懸念されていた。
無頼の輩である牢人たちが、募集に釣られて皇都に集まってきているのだ。各地で集められた牢人が皇都に集められ、一定程度の訓練を行った後、マフムート帝国へと義勇兵として送り出されるわけであるが、中にはやはり遠い異国の地に向かうことに尻込みし、訓練中に脱走する者もいる。
募兵に応じた牢人たちについては兵部省の管轄であり、このために憲兵隊も皇都の治安維持活動に動員されてはいるが、いずれにせよ、皇都警視庁の業務が平時以上に増えていることには違いなかった。
そうした中で、佐薙家家臣団の出奔事件である。
警視庁は皇都憲兵司令部と情報を共有しつつ(警察から憲兵隊に出向している者も一定数、存在している)、その行方を追っていた。
現在のところ、彼らがマフムート朝義勇軍への募兵に応じたという報告は届いていない。どこかに潜伏している可能性があったが、何せ牢人や出稼ぎ農民たちの数も多い。その中に紛れ込まれると、捜索は困難であった。
それに、彼らが犯した罪は佐薙家皇都屋敷からの窃盗である。将家の皇都屋敷内部には、警視庁の権限は及ばない。そこは、嶺州という佐薙家領の延長線上にあると考えられているからだ。つまりは、諸侯の領地の治外法権が及ぶわけである。
一方で、皇都に佐薙家の統治権は及ばない。必然的に、捜索は警視庁、最終的な処分を決定するのは佐薙家という状況が起こる。
面倒なことだけ警視庁に押し付けてくるこうした将家の問題について、一部の警察関係者の間では不満の声が上がっていた。
しかも一昨年には佐薙成親がすでに結城家に嫁いでいた宵姫を白昼堂々誘拐するという事件があり、警視庁としては佐薙家に面子を潰された格好であった。
警視庁の管轄する皇都で、警察の存在を無視するかのような将家同士の私闘が発生するなど、警視庁の沽券に関わる問題である。そのため、警視庁の者たちの佐薙家に対する印象は、総じて悪かった。
しかし、そうは言っても何ら手掛かりが掴めていない状況では、警察としても効率的に動くことは出来ない。
そうしている内に、三月を迎えた。
◇◇◇
皇国陸海軍は各種の銃を基本的に国産で賄っているが、将家などでは警備のために外国製の銃を導入しているところもある。
その中に一つに、スタイナー銃というものがある。
これは、ヴィンランド合衆国で開発された騎銃であった。構造的には、管状弾倉(チューブマガジン)を採用した後装式連発銃にあたる。
皇国陸軍の主力小銃である三十年式歩兵銃が後装式ながら単発式であることを考えると、後装式連発銃というのは随分と革新的設計であるような印象を受ける。しかし、この銃はヴィンランド合衆国陸軍では採用されなかった失敗作であった。
理由は、装填の手間がかかり過ぎることであった。
この銃は銃床の床尾から七発の弾丸を差し込んで装填するのであるが、その装填動作に時間がかかったのである。一発ずつ弾倉に銃弾を差し込み、最後に弾倉管を押し込んで銃弾を固定して初めて射撃が可能となる。そして撃ち尽くせば、一度、弾倉管を引き抜いてからまた一発ずつ装填していくのである。
このため、今後の小銃開発の参考として輸入した兵部省は、「本式ノ如キ連発銃ハ弾倉ニ弾薬ヲ装填スル為少カラス時間ヲ要スルヲ以テ真ノ連発銃ト謂フコト能ハス七発ノ予備弾薬ヲ装填スル単発銃ト称スヘキナリ」と散々な評価を下していた。
さらに銃そのものの強度の問題から、火薬量の多い小銃弾が使えず、拳銃弾しか使用することが出来なかったのである。
しかし、逆にこうした点が合衆国の西部開拓者たちに好まれ、スタイナー銃は民間に大量に流れることになった。拳銃弾と弾薬の互換性があったことが、開拓者たちから評価されたのである。
このため、皇国でも屯田兵を始めとする植民地開拓団用として一定数が輸入され、マフムート朝への義勇兵に応じた牢人の中にもこの銃を所持している者がいたという。
佐薙家を出奔した戸澤義基らの元には、このスタイナー銃三丁と実包二〇〇発が存在していた。
それ以外の武器は、それぞれが元々携行している刀と拳銃である。
最初から宵姫暗殺を目指していた義基であったが、仇討ち(成親は追放されたものの殺害されたわけではないので厳密には違うのだが)に賛同した者の中には結城景忠公を誅するべきとの声もあった。
確かに、大寿丸の元服を阻み、主家再興を阻んでいるのは宵姫も景忠公も同じであり、その意味ではより大物である景忠公を狙う意味はあった。
しかし、義基はこれに反対した。そもそも、佐薙成親を追放に追いやったのは景忠公ではなく息子の景紀であり、無関係の公を殺害してはかえって仇討ちの意義を薄れさせ、単なる結城家への私怨と民衆に受け止められかねない危険性があった。
義挙である以上は、一定以上の正統性が必要なのである。
一方の宵姫は、やはり大寿丸の元服を阻み、主家再興を阻んでいる存在であると共に、佐薙家の血を引くが故にいずれ生まれてくるであろう子を佐薙家次期当主に据えようとするかもしれない存在である。
大寿丸の将来を考えるのならば、やはり標的は宵姫以外に考えられない。そのように、義基は同志たちを説得した。
こうして集まったのが、十八名の嶺州浪士たちであった。
彼らは出稼ぎ農民や募兵に応じた牢人を装いつつ、皇都各地に分散して潜伏を続けていた。
この間、義基たちは宵姫の日常的な行動について情報を集めていた。
襲撃に参加する同志には加わっていないが、この十八名は、密かに佐薙家の忍から資金および情報の提供を受けていた。大堀史高が手を回してくれたのだ。
宵姫の行動は、定期的なものと不定期なものが混ざっていた。
定期的なものは、篤志看護婦人会での講習である。それ以外の、他家との会合や傷病軍人への慰問などは不定期である。また、時には領内の視察に赴くこともあるらしく、結城家領内に入られてしまうと、襲撃はほとんど不可能となってしまう。
襲撃として最適なのは、篤志看護婦人会の講習であろう。これならば日時や経路なども事前にある程度、判明している。結城家皇都屋敷と篤志看護婦人会の会館の間の経路のどこかで、待ち伏せることが出来るだろう。
あまり襲撃を引き延ばしていては、警察に潜伏場所を掴まれてしまう恐れがあった。出来れば、三月の初旬には襲撃を決行すべきだろう。
義基はそう思い、襲撃場所を選定するため皇都の地図を睨み続けていた。
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