秋津皇国興亡記

三笠 陣

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幕間 北国の姫と封建制の桎梏

3 北国の姫と埋まらない溝

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 二月も終わりに差し掛かる頃、嶺州から十数名の佐薙家家臣が上京し、大寿丸の元服について結城景忠公に直訴する出来事が発生した。
 現在、南半分を失ったとはいえ嶺州は依然として佐薙家領ではあるのだが、当主不在のためその領政は結城家が代行することになっている。この措置は中央政府の下した決定であるが、当然、その背後には列侯会議などを通した六家側の圧力があった。
 六家は長尾家と佐薙家の対立を解消し、東北情勢の安定化を図るという目的の下、景紀と宵との婚姻を決定された。この婚姻関係が、結城家による嶺州統治の正統性を担保しているのである。
 そのため、大寿丸の実質的な後見人という立場にある景忠公に、嶺州武士たちは若君の元服を直訴したのである。
 しかし、景忠公は大寿丸の元服は時期尚早であるとして否定的な態度を崩さない。
 その場には宵も同席して、十数名の佐薙家家臣団を諫めることになったのだが、屋敷を去る時も彼らの不満は解消されていないようであった。

「……この問題は随分と長引きますね」

 宵は自室で嘆息した。景忠公が現時点での元服を否定して、それで終わるはずの問題であった。しかし、一部の家臣団はなおも大寿丸の元服に強い拘りを見せている。
 嶺州の統治権を結城家が掌握した際、佐薙家家臣団の中で成親と共に電信維持費横領などの不正に関わった人物は軒並み追放され、領軍の中でも特に強硬な反六家感情を持つ士族出身将校も予備役に編入された。
 結城家の監督の下で嶺州領政を担う佐薙家家臣団は穏健派が中心であるが、だからこそ領政の中枢から追われた者たちは佐薙家の再興を目指しているのかもしれない。
 宵は、そうした者たちに不信を抱いている。彼らは領民の生活向上や産業の振興よりも、家の再興の方が重要なのだろうか。
 大寿丸の母・定子を始めとして、一部の者たちは宵が自らの子に佐薙家を継がせるのではないかと警戒しているらしいが、宵はそこまで佐薙家という存在に拘っていない。
 大寿丸が民のためになる政治を行えるのであれば、佐薙家は大寿丸が継げばいいと思っている。それが出来ないのならば、そのまま結城家が嶺州の統治を担い続けるだけである。
 今、大寿丸に必要なのは元服することではなく、将来のための教育であろう。
 ある意味では、景紀に嫁いだ頃の自分と同じように、あの異母弟も大人の都合に翻弄されている子供であるのかもしれない。

「とはいえ、私が口を出すと彼らには逆効果になりそうですし……」

 宵は幼少期から受けてきた仕打ちから、佐薙家家臣団の中でも特に反六家感情の強い者から自分は佐薙の姫ではなく長尾の姫と思われていることを自覚している。
 そういう人間に説得されたところで、大寿丸の元服を強硬に主張する者たちは納得しないだろう。もちろん、六家の人間そのものである景忠公の説得も聞き入れまい。
 そもそも、下手に佐薙家再興の希望が残っていることが問題なのだ。
 父である成親の正室(つまりは宵の生母)が六家の一つである長尾家出身で、宵自身も六家の一角をなす結城家に嫁いだことで、佐薙家は六家に近い将家となってしまった。
 だからこそ、当主が不祥事を起こしたにもかかわらず御家取り潰しの憂き目に遭わずに済んだのである。
 そもそも、佐薙家を取り潰してしまっては宵が景紀に嫁いだ意義もなくなり、六家が嶺州統治に介入する正統性も失われてしまう。
 佐薙家を取り潰すとすれば、嶺州は他の将家によって分割されてしまうか、あるいは中央政府直轄県になってしまうだろう。
 嶺州を将家で分割すれば、それはそれで新たな争いの火種が生まれかねず、東北情勢の安定という六家の目的は達成出来なくなってしまう。
 一方、中央政府直轄県となれば、確かに六家が影響力を行使することは可能ではあるが、婚姻関係を通した直接的な領政への介入は出来なくなってしまう。
 現状、佐薙家を生かさず殺さず存続させるのが六家にとっては最良なのであるが、そうした曖昧な状態を曖昧なままに維持していくことは、政治的に非常に難しい。
 この際、佐薙家再興の希望はないとはっきりさせてしまうべきなのだろうが、それに反発して嶺州で士族反乱が起これば領内は荒れ、これまでの嶺州振興政策の成果が無に帰してしまう。
 もういっそ佐薙家再興の夢を捨てきれない者たちには“病死”か“事故死”でもしてもらうかと、物騒な考えが宵の頭を過ぎる。民の安寧を、家の再興しか考えていない者たちに妨げられるわけにはいかない。
 しかし、この状況ではあからさま過ぎる。
 菖蒲は佐薙家家臣団の一部が過激化して宵を襲撃するかもしれないという懸念を伝えてきたが、むしろこの状況であればそれを口実に佐薙家再興の道を断つ好機ではないかとも思ってしまう。
 以前、景紀のために冬花がお守りを作ったように、自分も呪術的なお守りを身に付けていた方がいいか。
 宵はそう思い、冬花と鉄之介の父で葛葉家当主の英市郎に相談を持ちかけることにした。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 大寿丸の実質的な後見人となっている景忠公への直訴も不調に終わり、佐薙家再興に望みを託していた者たちは一つの決断を迫られるようになっていた。
 このまま主家の再興を諦め結城家の下で嶺州の振興に力を尽くすか、それとも忠義に殉ずるか。
 もちろん、冷静に考えれば大寿丸が満十歳になるまで待つなど、それ以外の道もあるのであるが、彼らにとって妥協という選択肢は六家勢力への屈服に等しいため、まったく考えられなかった。

「例の直訴組が上京して以来、屋敷に対する監視の目が厳しくなった」

 周囲を憚るように声を潜めて言ったのは、大堀史高であった。

「ああ。流石に結城家も外出する屋敷の者全員に尾行を付けるだけの余裕はないようだが、それでも時折、背後を気にせざるを得なくなった」

 応じるのは、学生時代を同期として過ごした戸澤義基である。
 宮城の南・響谷ひびやにある皇都中央公園で斉軍の鹵獲品の展示が行われているというので、今日はそれを見学に来たという体である。学生時代の同期で仲の良い同年代の家臣団同士なので不自然ではないが、やはり佐薙家家臣団の次代を担う青年二人ともなれば、結城家側もその動向を気にしているはずだ。

「そこで少し考えたのだがな」

 史高が顔を寄せながら、やはり小声で言う。

「嶺州弁を使って話さんか?」

 その言葉に、義基はにやりとした笑みを浮かべる。嶺州の方言、特に北部の方言は他の地方の者には難解であることで有名だ。元々の方言に加えて、かつて“蝦夷地”と呼ばれていた北溟道が近いことから、そこの先住民族であるオイナ人との交流の中でオイナ語も流入し、嶺州の言語を他の地方の人間にとってさらに難解なものとしていた。
 二人とも、皇都に出てきた直後にはうっかり地元弁を言って相手を困惑させてしまったという失敗は何度かある。

『それは良い考えだ』

 早速、義基は北嶺州弁を使い始める。特に所領が首都である皇都に近い結城家の者たちは、日常的に標準語を使っている。北嶺州弁を使う自分たちの会話を、理解出来ないだろう。

『で、お前はどうするつもりだ?』

 義基は史高に問いかける。

『俺は、大寿丸様が満十歳になられるのを待つべきだと思う。そこまで来れば、結城家としても若君の元服を拒むことは出来まい』

『甘いな、史高』だが、義基の意見は違った。『あの小娘が結城家の中で政治的影響力を強めつつあるという。早く手を打たねば、本当にあの小娘が自分の子の一人に佐薙家を継がせると言い出しかねん』

『……』

 史高は、そこまで宵姫が野心家であるとは考えていなかった。しかし、義基の見解は自分とは異なるようであった。

『今回の結城家による元服時期尚早論も、あの小娘が裏で糸を引いているのではないかと疑っている。上京してきた者たちも、そう言う者たちが大半だ』

 義基の口調は険しかった。憶測を口にしているが、彼の中ではそれが真実として固定されているのだろう。
 しばらく無言のまま、二人の間にどこか緊張した空気が流れる。

『……史高』

 先に口を開いたのは、義基であった。

『お前は、何があっても若君をお守りする覚悟はあるか?』

 強い瞳で、彼は同じ佐薙家家臣団の青年に問いかける。

『ああ。俺は佐薙家の家臣だ。主家と主君をお守りするのは、臣下の務めであろう?』

 そして、問われた側も怯むことなく明快な声で答えた。
 同年代の者として付き合いの長い友の答えに、義基は満足そうな笑みを浮かべる。そして、一切の躊躇なく言った。

『ならば俺は、直訴組をまとめて宵姫を斬る』

『……』

 その言葉に冗談の気配が感じられず、史高は唇を硬く引き結んだ。

『あの女は父であるはずの成親様を陥れるなど孝の心を忘れ、血を分けた弟であり佐薙家の正統なる後継者である大寿丸様を蔑ろにした。たとえ姉であろうとも佐薙家の正統な後継者である大寿丸様には相応の敬意を払うべきであるにもかかわらず、だ。このような忠孝の精神を忘れた女は、我らの手で天誅を下さねばならん』

『……義基』

『恐らくは、結城家の側からの報復があるだろう。その時、史高、お前は何があっても大寿丸様をお守り致せ』

『……それではむしろ、佐薙家再興から遠ざかってしまう』

 結城家からの報復を前提とした義基の決意に、史高は納得出来ないものを感じていた。自分も義基も、佐薙家の再興を目指している。それと宵姫殺害とを結びつけるのは、あまりにも短絡的だと思うのだ。

『いや、それこそが狙いなのだ』

 だが、義基には別の考えがあった。

『嶺州は今、結城家の支援の下に振興政策が推進されている。当然、佐薙家家臣団の者たちに宵姫が殺されれば、結城家は嶺州への支援を全面的に打ち切るだろう。若君にも、どのような累が及ぶか判らん。だが、それによって領民や他の家臣団たちに六家の身勝手さを知らしめる契機になる。そうして領内を反六家でまとめ、大寿丸様待望論を醸成する土台を作るのだ』

『もしお前の言う通りになれば、待望論が嶺州で醸成されるまで大寿丸様には身を隠して落人おちうどのような生活をしていただくことになるかもしれん。それでも、か?』

『それもまた、若君が良き領主となるための試練であろう。それに』

 そこで、義基は口に皮肉げな笑みを浮かべた。

『民は貴種流離譚が好きだからな』

 地位を追われた尊き身分の者が放浪の中で成長し、やがて本来の地位を取り戻す。そうした物語は、確かに民衆の好む物語形態の一つではあった。
 皇国の各地に皇位継承争いに敗れた皇子が隠れ潜んだ村や滅亡した将家の末裔が暮らす隠れ里伝説が残っているのも、そうしたことの表われであろう。

『成親様が宵姫を誘拐した際、結城家は宵姫を実の父親や家臣団から虐げられた悲劇の姫君として喧伝して皇都市民の同情を勝ち取ったというではないか。ならば我らも、それに倣うとしよう』

『本当に、やるのか?』

 史高は、最初から義基を翻意させることは不可能だろうと思っていた。それでも、確かめずにはいられなかったのだ。

『お前には、兵学寮在学中の弟がいたはずだ。下手をすれば、弟にも累が及ぶぞ?』

『大義のためには、やむを得ん』

 義基の声には、どこか強がるような響きがあった。彼の中にも、自分の行動で弟の人生を壊してしまうことへの葛藤があるのだろう。
 しかし、その葛藤は佐薙家再興という悲願を上回るほどのものではなかった。それだけのことなのだ。

『……判った。弟君のことは、私の方で累が及ばぬように何とかしよう』

『すまんな』

 そう言う義基の声も、流石に重苦しいものであった。





 数日後、戸澤義基を始め上京した直訴組も含めた二十名近い佐薙家家臣団が士族籍を離脱するとの一方的な書き置きを残して、佐薙家皇都屋敷から姿を消した。
 所謂、“脱藩”と呼ばれる行為である(なお、「藩」とは皇主から諸侯に対して与えられた領地、ないしは支配機構を指す用語であるが、公式な制度名ではない。同時代的には、“逐電”、“出奔”などと言われた)。
 また、屋敷の警護掛の番所から銃と実包の一部が消えていることが発覚。
 佐薙家は皇都警視庁に対して盗難届を出したという。
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