秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第八章 中華衰亡編

159 陰陽師対方士

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 中華世界における呪術は、東洋呪術の中でも特に長い歴史を誇る。
 現在の大斉帝国での呪術は道教系と西蔵仏教系の二つに系統化されているが、特に道教系の呪術はその発祥を二〇〇〇年以上前に見出すことが出来る。
 基本的に道教系呪術は、禍をもたらす鬼・狐狸などから人々を守るための祈祷、あるいは不老長寿を求める神仙術・錬丹術、仏教の影響を受けた経典・儀礼など、様々な要素から成り立っている。
 その中でも特に陰陽五行説などは、皇国の呪術にも多大な影響を与えている。
 彼ら道教系術者・方士の操る呪術は、皇国の陰陽師などと同じように呪文や呪符を用いて悪鬼悪霊を退散させ、災禍から人々を守り、さらには体内の「気」を操ることによって不老長寿を目指そうとするものであった。
 方士の中でも特に厳しい修行と鍛錬を潜り抜けた者は、「雷法らいほう」という道教系呪術の中でも特に高位に位置付けられる術を習得することが出来るという。道教系呪術において「雷霆は天地の枢機」と言われており、この雷法を修めることが方士にとって一つの到達点であった。
 そして、それよりもさらに高位の方士は古(いにしえ)に神仙が造ったとされる法宝(神通力を持った呪具の中華圏での総称)を自在に操ることが出来るとされる。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

「総員、陣地まで下がるぞ! 負傷した戦友を肩に担げ! 一人も見捨てるな!」

 背後で貴通の凜とした叫びが聞こえる中、景紀は冬花の背中を見守っていた。その表情は判らないが、自らのシキガミのまとう雰囲気が険しいものとなっていることに気付いていた。
 景紀は冬花の先に視線を遣る。
朱と金で絢爛に装飾された太和殿の内部。その奥に、儀式などの際に皇帝が座るのだろう、一段高くなったところに玉座が存在していた。そして、それを守ろうとするかのように、方士らしき特徴的な服をまとった若い男たちがいた。

『倭人と、妖魔の娘か』

 冬花が対峙していたのは、玉座を守るように並ぶ方士たちよりも数歩前に出ていた年かさの術者らしき一人の男であった。
 彼もまた、方士と思われる服に身を包んでいる。

『貴様ら東夷に、陛下の玉座を穢させるわけにはいかん』

 景紀や冬花には理解出来ぬ中華語の呟きと共に、その術者は油断なく冬花を見据えていた。その手に、中華風の扇を構えている。

「……迂闊に退けそうにないわね」

 一方の冬花も、その術者から目を逸らさずに呟く。
 術者の持つ扇から、冬花は火焔術式の気配を感じていた。恐らく、先ほどの炎はこの扇型の呪具から放たれたものだろう。
 自身の背後には、景紀の命令と貴通の叫びによって退却行動に移った挺身降下隊の将兵がいる。彼らを、斉側術者の火焔術式で焼き払われるわけにはいかない。
 ここで時間を稼ぎ、なおかつ冬花自身が逃げ出す隙を作り出さなければならない。
 相手は、強力な火焔術式を使える手練れの宮廷術師と、それを支援しているのだろう背後の方士たちが五人。
 多勢に無勢は免れない。
 冬花は、覚悟を決めた。

「景紀、それ、着ていて!」

 冬花は己のまとっていた火鼠の羽織を、景紀に投げるように渡す。

「おい、これは!?」

 景紀の叱責するような声が飛んだ。火鼠の衣は、特に火に強い防御霊装だ。兵の撤収を確認してから自らも冬花の邪魔にならぬよう退こうとしている景紀ではなく、敵術者と対峙する冬花が本来は着ているべきものだろう。
 呪術師同士の戦いで、常人ただびとが出来ることなどほとんどない。守るべき主君ではあれど、この場ではただの重荷でしかないのだ。
 だが、冬花はあえてこの場に景紀に残っていて欲しかった。

「ねぇ、景紀」

 対峙する術者に警戒を払いながら、冬花は言う。

「もし私が妖狐の血を暴走させるようだったら、ちゃんと止めてね?」

 一瞬だけ景紀に小さく笑みを見せて、冬花は己の封印を解いた。妖狐の血を引く証である耳と尻尾が露わとなる。
 そして鋭く爪を伸すと、腰を落として勢いよく床を蹴った。





 東洋呪術では四方を守る霊獣として、青龍(東)、白虎(西)、朱雀(南)、玄武(北)がいるとされており、皇国などでも古代の都や御所などはこれら四神と呼ばれる神獣の守護が受けられるように方角を考えて築造されていた。
 そして陰陽五行説では、南を守る朱雀は火の象徴であるとされる。
 この紫禁城もまた、そうした呪術的守護を受けることを計算に入れた設計になっているようであった。攻める側である皇国側の術者は立地条件による呪術的守護を受けることは出来ないだろうが、守る側である斉側術者はその呪術的守護を活用することが出来るはずであった。
 だからこそ、南側より迫る敵から紫禁城を守ろうとする時、斉側の術者と火の呪術との相性は良くなる。
 さらに紫禁城は、中華帝国の皇宮としてこの国の者だけでなく数多の国の者たちから崇められていた場所。歴史の積み重ねと人々の崇敬の念が込められたこの場所は、それだけ呪術的守護を受けやすいのだ。
 冬花は、妖狐の血を引く。妖という存在は、神聖なる中華帝国の御所にとって穢れそのものだろう。対して斉の術者は、皇宮の呪術的守護を受けられる。
 前提条件から来る不利は、免れない。それこそ、妖狐の血を暴走させない限りは……。

「臨兵闘者皆陣列在前!」

 刀印を結び、九字を切る。陰陽道の呪術で最も威力が高いとされる呪文。

『―――師父!』

 だが、扇を構える斉の術者を守るように呪符が展開し、結界を張られてしまう。
 刀のように鋭く伸した爪を振るうが、逆に爪の方が折れてしまった。

「ちっ……」

 冬花は、舌打ちと共に後方の方士たちを睨んだ。何ともやりづらい。後方に並ぶ五人の若い方士たちが、扇を構える術者を援護している。

 「師父」という叫びは辛うじて冬花にも理解出来た。彼らは、この火を噴く扇を構える術者の弟子だろう。宮廷術師の弟子となるだけあって、一人一人の霊力量も技量も高いようだ。それが連携しているとなれば、面倒であった。
 そして、先程まで玉座の前に横一列に並んでいたその方士たちが、遠巻きに冬花を取り囲もうとしている。こちらを妖魔と見て、連携して調伏を行おうとしているのかもしれない。
 目の前の扇の術者だけではなく、その後ろの方士たちにも気を配らねばならなかった。
 そして、その扇こそがもっとも厄介であった。
 火を噴く扇といえば、五火七禽扇ごかしちきんおうという呪具が真っ先に思い浮かぶ。五火神焔扇ごかしんえんせんとも言う、清虚道徳真君という仙人がもたらしたとされる、古の中華で作られた法宝。
 その扇の先が、冬花に向けられる。咄嗟に三股印さんごいんを結び、一息に真言マントラを唱える。

「オン・シュチリ・キャラロハ・ウンケンソワカ!」

 自身に向けられる呪術をすべて破壊するという、大威徳明王の真言。冬花を呑み込もうとした業炎が消滅する。
 だが、その炎を防ぐために彼女の意識は一瞬だけ、背後の方士たちから逸れてしまった。
 素早く動いた方士たちが、冬花を取り囲むような形で床に呪符を貼り付けた。

『陰随七魄、陽随三魄、依吾指数、奏上三清、急々如九天玄女律令勅!』

 五人の方士が声を揃えて一息に呪文を詠唱する。それと共に、呪符同士が線で結ばれるような形で床に五芒星の呪術陣が出現した。

「ぐっ……!?」

 途端、不可視の圧力が彼女の体を襲う。同時に、体を巡る霊力が奪われていくような感覚。
恐らくは、妖魔を討滅するための術式。
 冬花はその圧力に耐えきれず、片膝をついた。

「この、くらいでっ……!」

 だが、そのような術が己の弱点であることなど判っている。陽鮮でも、自分は類似の術式を突破して見せた。冬花は、己の中で対抗術式を組み上げようとする。
 しかし、五火七禽扇を持つ術者はその時間を与えようとしなかった。
 咄嗟に、冬花は自分の中で組み上げようとしていた術式を、防御結界に変える。体にのし掛かる圧力と、奪われていく霊力で、それでも最大限に強固な結界を張った。
 火焔術式を組み込まれた扇が火を噴こうとする、その刹那のことだった。
 爆発が、斉の術者たちを襲った。

  ◇◇◇

 冬花から火鼠の衣を受け取った景紀は、術者同士の戦いに介入するつもりはなかった。
 常人ただびとの自分では、かえって冬花の邪魔にしかならない。それを彼女も判っているはずなのに、もし妖狐の血を暴走させるようであれば止めて欲しいと、言ったのだ。
 それだけ己のシキガミとなってくれた少女が、相手術者たちを手強い存在だと思っているということだ。
 だが、それでも景紀に出来ることは冬花の暴走を止めることだけだ。建物内部に留まっていても、冬花は背後に守るべきものを抱えたまま敵術者と対峙することになる。
 だから景紀は貴通に言った通り、ひとまず挺身降下隊の殿を務めることにした。もちろん、いつでも冬花の元に駆け付けられるよう、貴通や他の兵たちと違い、太和門まで退くことはしない。太和殿の石段の周囲を素早く見回り、見捨てられた負傷兵がいないかどうかを確認しただけであった。
 そして、再び石段を駆け上がってきてみれば、方士たちに囲まれて膝をつく冬花の姿があったのだ。
 その瞬間、景紀は迷わなかった。
 擲弾を、宮殿の内部目がけて投げ込んだ。
 冬花も巻き込んでしまうだろうが、構わなかった。瀕死の重傷を負おうとも、彼女ならば妖狐の血がそれを瞬く間に回復させてしまうだろう。
 太和殿の内部で、爆発が起こる。朱塗りの扉が何枚か吹き飛ばされた。
 それと同時に、景紀は軍刀を抜き放って宮殿に飛び込んでいた。冬花を捕えるように床に貼られた呪符、その一枚を切り裂いた。
 さらに返す刀でその呪符に霊力を注いでいた方士にも斬りかかるが、咄嗟に新たな呪符で結界を張られ、刃が弾かれてしまう。
 深追いはせずサッと後ろに跳び退いて、ようやく立ち上がることの出来た冬花の側に並び立つ。

「……強引な助け方ね」

 そのまま二人で斉の術者たちに対峙しながら、冬花は苦笑交じりの声を出す。

「でも、助かったわ」

 擲弾が爆発した時、彼女は火焔術式から身を守るために結界を張っていたので弾片で体を切り裂かれることはなかった。
 一方の斉の方士たちも、己を守護する呪符などを身に付けていたのだろう。爆発による混乱はあったが、目に見えて負傷している者はいなかった。

「道教系の呪術は、私たち陰陽師と同じように呪文の他に呪符を媒介にして術式を発動させるわ。その点に注意して」

「了解だ」

 今さらになって、景紀は“雪椿”と号の付けられた霊刀を内地に置いてきたことを後悔していた。しかし、あの霊刀を宵に預けていたからこそ、自分は怨霊に囚われた空間から抜け出すことが出来たともいえる。
 ままならないものであった。
 隣り合わせのまま、景紀と冬花は斉の術者たちを見据える。五火七禽扇を構える術者を中心とする斉側の方士も、こちらを窺うように取り囲んでいた。
 その扇の法宝を持つ腕がわずかに動いた瞬間、冬花は景紀よりも前に出た。

「はぁっ!」

 冬花が腕を薙ぐように振るうと、青白い狐火が迸った。神仙の創造した霊装から生み出された炎と、妖狐の血を引く者の狐火が激突し、霊力が相克した果てに消滅する。

「景紀、残りの術者を頼んだわ! なるべく、五人を連携させないように!」

「ああ、判った!」

 五人の方士が五火七禽扇を霊装とする術者の支援役であることは、ここまでの短い戦いの中で判明している。そして、冬花を術式の中に捕えるために五人が連携した動きを見せていたということは、連携した時に最も強力な術式が発動出来るということだ。
 景紀は確かに常人でしかない。しかし、彼には冬花と宵のしゅの込められたお守りがあった。そして、冬花から渡された火鼠の衣も。
 呪術的な攻撃を喰らっても、ある程度は耐えられる。
 景紀は方士たちに斬りかかり、自らに向けて呪符が放たれようとする瞬間を見計らってその場を跳び退き、また別の術者に向けて拳銃を撃った。
 かつて暴走した冬花と対峙した時ほど、切迫した感情は湧き上がってこない。今、冬花は自分と共に戦ってくれている。それが何よりも心強かった。





 そして、共に戦えることを心強く思っているのは、冬花も同じであった。
 妖狐の血を暴走させることになってしまっても、景紀が止めてくれる。それだけで、冬花にとっては心強いことだったのだ。
 己の内に流れる妖狐の血から力を引き出し、狐火の火力を上げて五火七禽扇の術者にぶつける。
 火力に込める霊力と霊力が激突し合う。

「……」

『……』

 互いに、未だ決定打はない。
 神仙の創り出した武具。そして冬花が強く引く妖狐の血。それらが、現状では拮抗してしまっているのだ。
 並みの術者であれば五火七禽扇を一度使用しただけで霊力を枯渇させてしまうだろうし、冬花の狐火の火力と同程度の火焔術式を使おうとしてもやはり霊力を枯渇させてしまう。
 相手の霊力が尽きるのが先か、自分の霊力が尽きるのが先か。
 これは、そういう戦いになっていた。術者としての術式の優劣ではなく、暴力的なまでに純粋な霊力量を競う戦い。
 一度、妖魔を調伏させるための術式に囚われてしまったとはいえ、冬花の霊力はすでに回復している。だが、長期戦となれば妖狐の血を暴走させてでも、己の中にある霊力を引き出そうとすることになるかもしれない。
 何せ斉の術者の火力は、方角の守護を受けてその火力を増しているのだ。

『……この場を穢すことになるが、やむを得んか』

 扇を構えたまま、相手術者が苦々しく何かを呟いた。冬花が爪を構えたまま腰を低くして警戒の視線を向ける中、その背後で別の術式が発動される気配に気付く。

「冬花、こいつはちょっと拙いぞ!」

 そして、景紀の警告の叫びがシキガミの少女の耳に飛び込んできた。





 景紀にとって、少し腑に落ちなかったことがある。
 斉側には術者がいたというのに、太和殿に突入するまで彼らは味方であるはずの禁衛兵を援護しようとはしなかったことだ。
 確かに、あの火を噴く扇の火力を考えれば、味方兵士も巻き添えにしてしまう危険性はあっただろう。しかし、それでも他の呪術を使って禁衛兵を支援することは可能だったはずである。
 だが、目の前に現れた光景を見て、その理由を何となく悟ってしまった。

「死体が、動き出しただと……?」

 大理石の基部に折り重なっていた斉軍禁衛兵の死体。それらが、緩慢な動作で起き上がり始めたのだ。彼らは、得物を持ちながら太和殿の中へと侵入しようとしている。
 その死体たちの背後に、いつの間にか新たな方士らしき初老の男が一人、現れていた。こいつが、死体を操っている術者だろうか……?

「冬花、こいつはちょっと拙いぞ!」

 景紀はそう叫び、同時に舌打ちをした。遼河平原を巡る戦闘で斉側術者に死霊術師がいることを把握しておきながら、迂闊だったとしか言い様がない。斉の術者は、操るべき死体が出来るまで、あえて味方であるはずの禁衛兵を支援しようとしなかったのだろう。
 術者ではない景紀にとっては唾棄すべき行為であっても、死体を操る術者にとってはそうではないらしい。

「景紀、伏せて!」

 己のシキガミの鋭い声が響き、景紀は咄嗟に頭を下げた。袖に仕込んでおいた呪符を冬花が放ち、今まさに建物内に侵入しようとした死体の兵士たち何名かに張り付く。
 その瞬間、青白い炎が兵士たちを包み込んだ。そのまま動きを止め、炎に覆われて焼き尽くされていく。嫌な臭いが、景紀の鼻を突いた。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 道教系統の呪術にも、西洋の死霊術ネクロマンシーに似たものは存在する。
 それが東洋版屍鬼グールともいえる、僵尸きょうしであった。後世、映画の影響などもあって「キョンシー」として有名になる、動く死体である。
 その術の起源ははっきりしないが、一説には死んだ人間を故郷に送り届けるために生み出された呪術であるという。そして、当然というべきか、その呪術を別の目的に使う術者も現れた。
 僵尸はその性質上、術がかかっている限り、動き続けることが出来る。痛みを感じる意識さえ死体には残されていないのだから、当然であった。そして、そこに武器を持たせれば、ある意味において“死なない”軍団が出来上がるのだ。
 もちろん、そうした僵尸の使い方は歴代中華王朝でも呪詛の一種とされて厳しく禁じられていた。
 斉朝皇室に仕える術者がこうした僵尸の術を扱えるのも、本来は僵尸を用いた反乱などへ対抗し、僵尸を無力化する術を極めるためであった。
 僵尸を無力化するには、死体にかかっている術式を破壊してしまうか(この中には僵尸を操っている術者を殺すことも含まれる)、死体を焼き尽くすしかない。
 遼河平原での冬季反攻に宮廷術師たち、特に呪詛を扱える道教系の方士の多くが引き抜かれていたが、一方で都・燕京には五火七禽扇という神仙の法宝を使いこなせる方士と、この僵尸に関する術式を究めた方士という二名の道教系術者が残っていた。
 咸寧帝が、この二人の方士を都に残した理由については定かではない。
 ただ、紫禁城に皇国軍が降下した際、僵尸の術に精通した術者に、本来であれば許されないはずの、死んだ禁衛兵を僵尸として戦線に復帰させることを許可する命令が下っていることから、都の防衛のためにそうした策を考えていたのではないかと言われている(ただし、この策を思いついたのは皇帝の弟である恭親王奕愷であるという説も存在する)。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

『応援、感謝いたす』

『まったく、儂もこのような術の使い方をするのは不本意であるのだがな……』

 五火七禽扇を構える術者と、僵尸の背後に控える方士が、冬花と景紀を挟んで短く遣り取りをする。当然、その内容を冬花や景紀が理解することはない。
 貴通たちからの支援は、受けられない。僵尸の群れやそれを操る術者を銃撃しようとすれば、冬花や景紀にも当たってしまう可能性があるからだ。
 冬花は目の前で扇を構える術者を警戒しつつ、後方の僵尸にも意識を割かなければならなかった。
 自分一人であれば、何とでもなる。しかし、この場には景紀がいるのだ。大量の油でも持っているのならば別だろうが、屍鬼や僵尸を常人が討滅するのは極めて困難である。武器を持った僵尸に取り囲まれ、嬲り殺しにされてしまう。
 冬花が火鼠の衣を貸しているとはいえ、それを剥ぎ取られてしまえば防御霊装の意味をなさない。
 斉の術者も、景紀が常人でしかないことは判っているだろう。冬花にとって守るべき存在であるが、重荷にもなる存在。それを僵尸に襲わせて、自分の意識を景紀に向けることで隙を作り出そうとしているのかもしれない。

「……」

 冬花は唇を噛みしめた。自分が、景紀を窮地に追いやってしまった。常人でしかない自分の主君に、術者の牽制を任せるなどという危険なことを頼むなど、シキガミである自分がすべきではなかったのだ。
 自分は、景紀を守るためのシキガミなのだ。

「……」

 そして、景紀の意識が僵尸に向かっている隙を突いて、神仙の扇を持つ術者の弟子と思しき五人の方士が彼の下に集っていた。
 五人の立つ場所をそれぞれの頂点として、五火七禽扇を持つ術者を中心とする五芒星の呪術陣が床に現れていた。
 彼ら五人の霊力が、五芒星の中心にいる術者を通して神仙の法宝へと集まっている。
 拙いと、冬花は瞬時に判断した。

「景紀!」

 最早、迷っている時間はなかった。彼女は妖狐の力によって強化された脚力で瞬きの間に主君の下へと駆け付け、その襟首を掴んだ。

「おいっ!?」

 驚愕と抗議の声を上げる景紀を無視して、その体を宮殿の外へと放り投げる。
 背後で膨れ上がる、火焔術式の気配。
 赤い羽織りに包まれた景紀の体が、僵尸やそれを操る術者の頭上を飛び越して太和殿の三段に重ねられた大理石の基部の下へと落ちていく。
 ―――景紀だけは、巻き込まずにすんだ。
 その思いと共に、遅いと判っていながらも両腕を前に掲げて結界を張る。
 視界を覆い尽くす、白さすら感じる灼熱の火焔。
 その刹那、冬花の姿は神仙の扇から放たれた凄まじい炎に包まれて見えなくなった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
   道教の呪術に関する参考文献
江川純一ほか編『宗教史学叢書19 「呪術」の呪縛』上巻(リトン、二〇一五年)
神塚淑子『道教思想10講』(岩波書店、二〇二〇年)
澤田瑞穂『中国の呪法』(平河出版社、一九八四年)
野口鐵郎ほか編『【講座 道教】第二巻 道教の教団と儀礼』(雄山閣出版、二〇〇〇年)
松本浩一『中国の呪術』(大修館書店、二〇〇一年)
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