秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第八章 中華衰亡編

152 次なる攻勢

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 皇暦八三六年一月二十五日、この日、安東の征斉派遣軍総司令部にて司令官たちによる会合が開かれていた。
 征斉大総督である長尾憲隆大将の参謀長が、第一、第二軍による遼陽・奉天方面への冬季攻勢における各種損害を報告し、次いで第三軍参謀長の児島誠太郎中将が斉軍の冬季反攻によってこうむった各種被害を報告する。
 全体として、凍傷患者と弾薬の大量消費が目立っていた。
 凍傷患者については、第二軍所属の第三師団(一色家領軍)および第四師団(伊丹家領軍)で特に多い。これら部隊は主に泰平洋沿岸などの温暖な地域の出身者で占められており、冬季装備も不十分であったことが凍傷患者の増大に繋がったと見られている。
 一方で、弾薬の大量消費が目立っているのは、斉軍による冬季反攻を頓挫させた第三軍である。また、第三軍に関しては凍傷患者の代わりに、斉側呪術師による瘴気を浴びて体に変調を来している者が多かった。これは、第三軍の中でも特に第十四師団(結城家領軍)において多い。
 皇国軍による冬季攻勢、そして斉軍による冬季反攻が開始される以前の皇暦八三五年十一月時点における征斉派遣軍の戦力と比較すると、兵員物資ともに消耗を重ねてしまったことは否めなかった。
 もちろん、斉軍による大反攻を受けながらも奮戦して遼河戦線の崩壊を防いだ第三軍の消耗に関しては、むしろその勇戦を湛えるべきであったろう。
 一方で、第一、第二軍については当初の作戦計画であった遼陽と奉天の占領を果たせなかったため、単に兵員物資を消耗しただけに終わってしまったといえる。
 そのため第三軍側出席者と第一、第二軍側出席者との間に、敵意とまではいかないものの、対立に近い雰囲気が漂っていた。もっとも、それは第一、第二軍側出席者が第三軍側出席者に対して面白からざる思いを抱いていることが原因であり、第三軍の側はむしろ会議室の雰囲気に辟易とした思いを抱いている者も少なくなかった。

「少なくとも、遼河平原の要地を確保し、来春以降に行われるべき直隷決戦に際して障害となるべき奉天方面の敵軍に打撃を与えたことは、我が派遣軍による冬季攻勢の成果であろう」

 派遣軍参謀長の報告を、征斉大総督・長尾憲隆大将はそうまとめた。
 有馬貞朋や結城景紀の手前、彼自らが推進した冬季攻勢の失敗を認めることは、長尾家という家の面子からも出来なかったのだ。遼陽・奉天の占領は失敗したものの、敵野戦軍の撃破には成功したとして、冬季攻勢の成果を強調するしかない。
 そしてそれは、第二軍司令官・一色公直大将も同じであった。
 もちろん、第三軍としては自らが必死の防戦を行って斉軍に与えた打撃を、「第一、第二軍による冬季攻勢の戦果」として扱われることに不満を覚えている者たちもいる。
 しかし、講和や戦後における第三国の干渉を牽制するためにも、また国民に対する戦意昂揚のためにも、対外的・対内的に冬季攻勢の失敗を認めるわけにはいかないという点で、この場にいる六家関係者は一致した見解を見せていた。

「しかし、直隷決戦とは言っても、派遣軍全体の損害と弾薬の消費量を考えると、現状ではいささか困難であるように思えるのだが?」

 そう言ったのは、第三軍司令官・有馬貞朋であった。
 第一、第二軍に戦功の一部を渡さなければならないのは、彼としても理解しており、もともと自らの戦功を誇るような性格もしていなかったので、今回の措置に対して大きな不満は抱いていない。
 戦後における論功行賞で有馬家の受け取るべき賞典禄(戦功に対して支払われる俸禄)の額に多少の影響はあるだろうが、許容範囲であろう。
 逆に、むしろ今後の対斉作戦計画をどうすべきかという大局的な観点の方が気になるところであった。

「そもそも、このような事態に立ち至ったのは、卿や結城従五位殿が我々の冬季攻勢に反対し、その実施時期が遅れたことが原因ではないのか?」

 一色公直は、貞朋の言葉に反発するように言った。貞朋としては今後の作戦計画について単に疑問を提示しただけなのだが、一色公はそれを冬季攻勢を強力に推進した自分たちへの批判と受け取ったらしい。

「卿らが最初から冬季攻勢に協力的であれば、作戦の実施時期は一週間から十日は早まったはずだ。その遅延が、進撃路の積雪量の増大に繋がり、さらには斉軍の冬季反攻と時期が重なったことで作戦目的を中途半端にしか達成出来なくなってしまった要因であるように思えるのだが?」

 責任転嫁のようにも感じられる発言であったが、一色公直は実際にそのように考えていた。彼は冬季攻勢の失敗が未だ認められなかったし、また一色家当主としての面子を維持するためにも、冬季攻勢失敗の原因を他に求めなくてはならなかったのだ。

「特に結城従五位殿の率いる旅団は、鞍山で歩兵第八旅団が苦戦しているにもかかわらず、部隊を救援に動かさなかった。作戦が一度決定された以上、それに従うのが軍人としての本分であろう。作戦に対する貴殿の非協力的な態度が、今回のような事態を招いたのではないか?」

 この場にいる六家関係者で最も立場が弱いのは、まだ二十歳にもならない結城家次期当主の景紀である。作戦失敗の責任を押し付ける相手としては、好都合であるといえた。
 実際、一色公の糺弾に対して、征斉大総督・長尾憲隆は沈黙を守っている。景紀を積極的に擁護するつもりはないという、消極的な意思表示だろう。彼も彼で、冬季攻勢の失敗に未練を抱いているのかもしれない。
 また、やはり彼も長尾家当主としての面子から自らの作戦指導が誤りであったことを認めることは出来ない。
 景紀であるならば、まだ当主ではない。彼に責任を押し付けたところで、結城家としては彼を廃嫡することで家という単位では敗戦の責任から逃れることが出来る。
 景紀以外の六家関係者(この場合、結城家現当主・景忠も含む)にとってみれば、六家全体としての面子のためにも、敗戦の責任は当主以外の人間に負わせるしかないのだ。

「一色閣下は小官が友軍を見捨てたと言われますが、小官は側付きの術者を派遣して第八旅団の包囲網脱出を支援しております。また、我ら第三軍が冬季攻勢計画に悪影響を与えたとのご指摘ですが、そもそも当初の対斉作戦計画に冬季攻勢は含まれておりません。小官はあくまで、軍監本部の作戦計画に従おうとしたまでです」

 もちろん、責任の押し付けどころとして自分が適任なことくらい、景紀自身も判っている。とはいえ、一方でかなり無理な理論付けをしない限り、すべての責任を自分に押し付けることが不可能であることもまた事実であった。
 景紀は六家次期当主とはいえ、所詮は一旅団長でしかない。それが、軍司令官や師団長を飛び越えて戦局全般の責任を負わされるというのは、やはり理屈の通らない話なのだ。
 とはいえ、政治は時として理屈を飛躍したところで結論を出すことがある。
 だからこそ、景紀は自らが責任を負わされないように反論する必要があった。

「そもそも、“作戦が一度決定された以上、それに従うのが軍人としての本分” と言うのであれば、軍監本部の作戦計画に従うことが本来では?」

「所詮は少将の立てた作戦ではないか」

 一色公直の発言は、六家が中央の統帥部を軽視していることが如実に表れているものであった。

「その作戦計画は兵部大臣の決裁を受け、皇主陛下の裁可を受けたものなのですよ」

「むっ……」

 流石に皇主を盟主とする盟約を結んでいる以上、六家の人間があからさまに皇主を軽んじる発言をすることは出来ない。一色公直は、一瞬だけ口ごもる。

「……とはいえ、状況に応じて作戦計画は臨機応変に変更すべきものであろう。そして我ら六家は、陛下を補弼する責がある。状況に合わない作戦計画に従い続けることは、陛下に対する補弼の任を放棄したに等しかろう」

「むしろ斉軍の冬季反攻があったことを考えれば、当初の冬営方針は十分に状況に合致した作戦であると思いますが」

「それは後知恵に過ぎん。十一月段階では、冬季攻勢こそが状況に合致する作戦方針だったのだ」

「単に派遣軍司令部の情勢判断が間違っていただけでは?」

「そこまでにしたまえ、結城少将」

 そう言ったのは、有馬貞朋であった。これ以上は、完全に征斉派遣軍を分裂させてしまうと考えたのだろう。

「少将如きが大将に論駁するなど、身の程を弁えよ」

「はっ、申し訳ございません」

 景紀は、貞朋に庇われたことを理解していた。他の六家の目のあるところで景紀を叱責することで一色公の面子を立てつつ、景紀が自分の部下(あくまで、建前上は)であることを示す。景紀が第三軍の一員であれば、歩兵第八旅団の救援に独混第一旅団が動かなかったことは、第三軍司令部の責任になる。
 そうなれば第三軍司令部の更迭という問題にまで発展するが、斉軍の冬季反攻を撃退して全軍の危機を救った功績を持つ第三軍司令部の更迭は、景紀に責任を負わせること以上に理論的に無理があった。

「……来春以降の作戦計画は、改めて軍事参議官や軍監本部との協議の上、決定することになるだろう」

 結果、長尾憲隆が、これ以上の議論を避けるようにそう言った。
 このまま議論が続けば、第三軍による派遣軍司令部の責任追及が始まってしまうかもしれない。そうなれば、逆に派遣軍司令部の更迭という問題にまで発展しかねない。
 内地にいる六家長老・有馬頼朋の政治的影響力を、長尾憲隆は軽視していなかった。
 長尾家として戦後の満洲利権を確保したい関係上、景紀に責任を押し付けることが難しいならば、冬季攻勢失敗の責任の所在は曖昧にしておくのが最善であった。
 結局、これ以降はどこか白けた雰囲気の中で、会合は続けられた。

  ◇◇◇

「先ほどは、上手く庇うことが出来なくてすまなかったな」

 安東民政庁の庁舎で、貞朋は景紀に謝罪した。

「いえ、助かりましたよ。ありがとうございます」

「それにしても、一色公の景くんへの責任追及には、理屈を無視した執念のようなものすら感じますね」

 景紀に付き添って会合に出席していた貴通が、辟易とした調子で言った。

「やはり、一昨年の予算問題の件を根に持っているということなのでしょうか?」

 そう首を傾げたのは、冬花であった。

「いや、それもあるだろうが、それは切っ掛けに過ぎんだろうな」貞朋が、溜息を付きたそうな調子で言う。「要するに、一色公としては政治的主張を異にする景紀殿が目障りなのだ」

「失礼なことを申し上げるようですが、それは貞朋公なども同じでは?」

「私は一色公よりも年上だ。何事もなければ、私の方が彼より先に死ぬだろう」

「つまりな、冬花。俺は今年で十九、一色公は三十になるが、六家という大きな枠組みの中ではほぼ同年代と言って良い」

 景紀が、貞朋の説明を引き継いだ。

「もう貞朋公が言ってしまったので、色々ぶっちゃけた話をするが、頼朋翁や貞朋公、伊丹正信公に長尾憲隆公がいなくなった後、六家を担っていくのは俺や一色公、それに憲隆公の嫡男・憲実殿ということになる」

「加えて、一色公は先代が急逝したために若くして当主の地位を継いだ。まあ、状況としては景紀殿と似たような状況に置かれたわけだ」貞朋は続ける。「若いが故の家臣団や分家などからの侮りもあっただろう。だからこそ、一色公としては当主としての成果を挙げなければならない。その後ろから、兵学寮首席卒業生で父の代理として領政を上手くやった景紀殿が出てきたのだ。将来的な脅威を、今のうちに排除しておきたいと思っても不思議ではなかろう」

「これで景くんが攘夷論者であれば、また違ったのでしょうけど」

 貴通がそう言えば、景紀が苦笑を見せる。
 確かにその場合は、景紀は有馬家とではなく一色家や伊丹家などと政治的に連帯していただろう。そうすれば、一色公の景紀に向ける感情も、もう少し穏やかなものになったかもしれない。もちろん、あり得ぬ仮定ではあったが。

「貴通殿、言っておくが、貴殿の存在も一色公の将来的な危機意識を煽っているやもしれぬぞ」

 あくまで景紀を中心に話を進めていた貴通に、貞朋はそう言って注意を与える。

「貴殿が愛妾の子だということは華族の間で公になっているとはいえ、それでも五摂家の男子だ。それが六家次期当主の景紀殿と仲良くしている。そのことが他者にどのような印象を与えるのか、判っているのか?」

 そう言われて、貴通は表情を苦いものに変える。それはまさしく、彼女の父親が警戒していることにでもあったからだ。
 貴通は、自嘲するように頷いた。

「ええ、結城家という後ろ盾を使って僕が穂積家を乗っ取る可能性、あるいは将来的に景くんが僕を宰相に据えて中央政府に絶大な影響力を及ぼそうとする可能性、まあ、僕の政治的な使い道は様々でしょう」

 もっとも、貴通の本当の性別は女であるから、実際には貴通を政治的に利用しようにも限界がある。しかし、それを知らない者が自分と景紀の関係をどう思うのか、もう少し自覚的になるべきだろうと貴通は自分を戒めた。

「つまり、五摂家の一つと結城家が繋がっているように見えることが、一色公にとって将来的な脅威に見えるわけだ。まあ、その頃には父上も亡くなられているだろう。私の性格もこの通りだから、諸君らで何とか対処してくれると嬉しいのだがね」

「……」

「……」

「……」

 相変わらず政治的主体性が希薄な有馬家現当主の言葉に、景紀と貴通、冬花は揃って苦笑を浮かべるしかない。

「さて、先の会合の話はこの程度にしておこう」区切りを付けるように、貞朋は言った。「問題は、今後のことだ。対斉作戦計画をどう立て直すのか、これはなかなか難しい問題だ」

「長尾公が冬季攻勢の再度実施を訴えず、大本営との協議の上で新たな作戦計画を立てると言ったのは、やはり勅使の影響があるのでしょうね」

「で、あろうな」

 景紀と貞朋は互いに頷き合う。
 現地軍の独走を牽制するための勅使の派遣は、内地で貞朋の父・頼朋翁が中心となって画策したものである。その勅使はすでに長尾公との会見を済ませて、内地に帰還している。
 とはいえ、勅使から伝えられた皇主の言葉は、明確に現地軍の独走を批判するものではなかったという。あくまでも、冬季攻勢による兵の負担を考え、そして大本営との協調を重視するように、という内容であったらしい。
 ただし、婉曲的にではあるが勅使を通して皇主から冬季攻勢に対する否定的な言葉を聞かされてしまった以上、長尾公としては慎重にならざるを得ない。
 この勅使が内地での政治工作の結果、送り込まれたものであることを長尾公も一色公も気付いているだろうが、やはり皇主を盟主に頂く六家という立場上、皇主の言葉を無視することは出来ないのだ。

「それで貞朋公、第三軍司令部では今後の対斉作戦計画について何か腹案が?」

「これはうちの参謀長が言っていたことなのだがな」

 貞朋は、壁に掲げられた地図に近寄った。

「今回の斉軍の反攻作戦は恐らく燕京付近の戦力を引き抜いて行われたものだろう。だとすれば、首都付近の兵力が手薄になっている可能性がある。そこで、天津に上陸作戦を敢行して一気呵成に燕京まで攻め上るという案を、貴殿はどう思われる?」

 地図をなぞりながら、有馬家当主は問いかける。

「やってみる価値はありましょうが、かなりの困難が予想されるでしょう」

 景紀は、言葉を選びつつ答えた。その口調は、喋りながら自分の考えをまとめようとするかのように、ゆっくりとしたものであった。

「天津は、燕京に対する海の玄関口です。前王朝の綏朝時代から天津沿岸部の大沽には砲台が築かれ、アヘン戦争後、さらに強化されたという情報もあります。まずは海軍の艦砲射撃による砲台の破壊が求められますが、その後の上陸は必然的に砲台守備隊の抵抗を受けるでしょう。我々が遼東半島に上陸したような、円滑な部隊の上陸は不可能と考えるべきでしょう。一定程度の兵員と弾薬や物資、糧食を上陸させた上で燕京に向かうことになるでしょうが、その間に斉朝が燕京の防衛体制を固める、あるいは皇帝が都を脱出して遷都してしまう可能性もあります。実際、歴代中華王朝の中には、北方騎馬民族に都を占領された後、南方に都を遷して抗戦を続けた例もあることですし」

「困難でない軍事作戦などないと思うが?」

「とはいえ、困難を困難のまま放置しておくことは、司令部の怠慢でしょう。如何に相手の弱点を突くか、如何に兵に楽をさせて勝つか、それが我々指揮官の役割だと愚考します」

「もっともな意見だな」

 若造からの反論を、貞朋は特に何の反応も見せずに受け止める。

「天津への上陸作戦を敢行する場合、むしろ直隷決戦のための助功、牽制としての意味合いを持たせるべ、き、か……と……?」

「景くん?」

 突然、地図を見て固まった同期生を、貴通が怪訝そうに見遣る。だが、景紀は彼女の言葉も気にならないような視線で、地図を睨み付けている。

「天津への上陸作戦は助攻、牽制……? 陽動としての意味合いは……? いや、砲台さえ無力化出来ればあるいは……?」

 ぶつぶつと呟く景紀を、貞朋は興味深そうに見つめている。
 やがて六家次期当主たる少年は、地図から顔を離した。

「貞朋公。俺は、天津への上陸作戦の敢行と同時に、紫禁城への気球による降下作戦を提案いたします」

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 景紀の発案した天津上陸作戦に呼応した紫禁城への降下作戦は、第三軍の内部において極秘裏の内に検討が開始された。これを知るのは、司令官である有馬貞朋大将、参謀長である児島誠太郎中将、発案者である結城景紀、その幕僚である穂積貴通、景紀御付き術師の葛葉冬花の五名のみであった。
 本来であれば軍人でない冬花には秘匿すべき事項であったが、景紀が発案した場に居合わせてしまったため、彼女にも機密の厳守が主君である景紀と第三軍司令官である貞朋から言い渡されている。
 予定では会合の終わったその日の内に海城に向けて帰還の途につくはずであった景紀たちであるが、作戦の検討のために安東に留まらざるを得なくなってしまった。
 気球での降下作戦は、景紀が緒戦の海城攻略戦で行った戦訓を元に、詳細が検討された。
 参加させる部隊は、海城攻略戦ですでに降下作戦の経験がある独混第一旅団。
 問題は、現地の地理であった。
 斉は外国との交易を極端に制限していたものの、朝貢国の使節団は何度も燕京を訪れている。陽鮮の朝貢使である「燕行使」などは膨大な「燕行録」と呼ばれる記録を残しており、その内容の一部は通信使を通して皇国にも伝わっている。
 また、西洋の宣教師の記録や密貿易人などから得た情報などもあり、天津から燕京に至るまでの地理はある程度、皇国側でも把握済みであった。
 しかし、これだけでは不十分ということで、海軍の龍母部隊を用いた天津・燕京の偵察が必要ということになった。
 また、気球についても遼東半島から燕京まで飛行する場合、その距離は三〇〇キロ以上になる。それだけの長時間、気球に乗った兵員が上空の寒さに晒されることから実施は困難と判断。また、気球を曳く翼龍の疲労も無視出来ない。
 検討の結果、船で気球を天津沖まで輸送し、そこから発進させて燕京の紫禁城に向かうこととされた。
 そのために、海軍の特設航龍母艦(商船改造の龍母)などの協力も必要と判断された。
 結果として、一度、児島誠太郎参謀長を上京させて大本営に天津上陸作戦および紫禁城降下作戦を上申させることとなった。
 児島参謀長は一月二十九日、安東を出発して皇都へと向かった。
 なお、征斉派遣軍司令部に対しては、児島参謀長の上京は海上輸送問題に関する海軍側との協議のためと説明されている。





 景紀らが海城の司令部へと帰ったのは、二月二日のことであった。
 遼河戦線を巡る戦況は、現在、完全な小康状態に陥っていた。また、海城自体が最前線ではなくなり、最前線たる鞍山の後方支援基地のような役割も担うようになっている。
 結果として、海城には独混第一旅団司令部の他に、第三軍の兵站基地の一つが置かれることとなった。
 とはいえ、日常の業務はこれまでと変わりがない。景紀と冬花は金州民政庁からもたらされる事案の処理、決裁なども行わなければならないことも、斉軍の反攻開始前と変わりなかった。
 しかし、景紀、貴通、冬花の三人は紫禁城降下作戦の詳細な検討を海城帰還後も続けていた。
 海城占領時の陣中日誌、戦訓特報などを引っ張り出し、前回の降下作戦の問題点などを洗い出す。
 やはり問題は、輸送出来る兵員の数が限定されることであった。
 紫禁城に兵員を降下させることで一時的に斉側を混乱状態に陥らせても、すぐに撃退されてしまっては意味がない。
 天津に上陸した皇国軍を迎撃中、突如後方、それも皇帝の住まう場所に別の皇国軍が現れたという印象を斉軍に与え、大規模な混乱を引き起こさなくてはならない。
 その混乱は上陸部隊の燕京進撃を容易にし、それによって降下部隊が敵地で孤立している時間を短くすることに繋がる。
 皇帝の身柄確保なども検討されたが、それは可能であればという範囲に留めた。まずは紫禁城を制圧して、そこに皇国旗を翻して斉軍の戦意を喪失させ、可能であれば早期講和に繋げるというのが、今回の作戦の狙いである。
 問題は、降下部隊の兵員不足、火力不足であった。
 少なくとも、紫禁城全域を確保するだけの兵力を空輸することは不可能であった。
 また、火砲は気球による輸送がまず不可能であった。多銃身砲は分解すれば輸送可能であるが、消費する弾薬量が多いので、弾薬の輸送の方が問題となる。
 もちろん、冬花も連れて行く。爆裂術式で火力を補うことと、陽鮮倭館での戦いのように結界で紫禁城の一角に陣地を築く助けとするのである。
 また、斉軍の捕虜を尋問した結果、先の反攻において斉軍は宮廷術師を従軍させていたという。皇宮に乗り込む以上、やはり手練れの術者が皇帝の呪術的警護に当たっていると考えるべきだろう。
 冬花は、降下要員として絶対に外せなかった。

「これ、下手をすると倭館攻防戦以上の難しさかもしれませんよ」

 作戦を検討しつつ、貴通が楽しげに呻いた。

「城内の構造は不明、皇宮を守る禁衛兵の数も不明、宮廷術師の数も不明。こんな不明だらけの場所に、普通、いきなり軍を送り込んだりしません」

 作戦遂行上の困難を並べつつも、軍装の少女の口調は歌うようであった。

「ですが、敵首都、それも皇宮への降下作戦です。成功すれば戦史に残る快挙となります」

 つまりは、そういうことである。
 景紀が発案し、自身が幕僚としてそれを補佐することに、貴通は己の存在意義を感じている。
 実際のところ、気球の発明以前、戦国時代などでは翼龍による決死隊を敵の城内に送り込む作戦などが行われていた。馬よりも貴重な翼龍を確実に失うことになるため、よほど切羽詰まった状況でなければ行われない戦術であったが、事例がないわけではない。
 しかし今回は、中華帝国の皇宮への降下作戦である。戦国時代のような破れかぶれの戦術などではない。
 貴通が興奮するのも無理はなかった。

「閣下、少々よろしいでしょうか?」

 三人で部屋に籠って作戦を検討していると、外から従兵の声がかかった。

「少し待て」

 急ぎ機密に類する書類や地図を仕舞い、さらに冬花が厳重に認識阻害の術式をかける。

「ああ、もう良いぞ」

「はっ、失礼いたします」

 そう言って従兵が扉を開けると、従兵に従って一人の青年が部屋に入ってきた。思わず、景紀と冬花は目を瞬かせる。

「久しいな、景紀殿」

 そこにいたのは、宮内省御霊部長・浦部伊任これとうの嫡男・伊季これすえであった。
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