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第八章 中華衰亡編
150 騎兵対火力
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牛荘を巡る戦況が動いたのは、一月二日のことであった。
一月一日夕刻、牛荘西方に展開する独混第一旅団に混成第二十八旅団の歩兵第五十八連隊が増援として加わった。これにより、景紀の直率する兵力は独混第一旅団に歩兵一個連隊を加えた約八〇〇〇程度の規模になっていた。
一月一日は前日の積雪の影響が続いており、両軍ともに本格的な戦闘は行われなかった。
だが一方で、牛荘の都城内にて何らかの動きがあることを、皇国軍は斥候などの情報から察知していた。
対岸からの船の到着も増えていた。それが糧食や弾薬の輸送の船であるのか、増援部隊を載せた船であるのかは判然としなかった。
だが、放置するというのもあまりに消極的な選択であった。
景紀は河川港となっている牛荘港を砲撃圏内に収めるべく、牛荘城北側の刑家窩棚に野砲兵一個中隊(四門)を前進させる決断を下した。夜の内に砲兵陣地を構築し、翌二日より砲撃を開始することを目指したのである。
海城の備蓄弾薬を急ぎ独混第一旅団の下に輸送するよう、景紀は柴田大佐に通信を送っている。
海城―牛荘間の距離は十五キロであるので、補給段列は猛吹雪にでも襲われない限り、二日早朝には独混第一旅団の下に到着するはずであった。
だが、景紀が牛荘港への砲撃を開始する前に、ホロンブセンゲは動いた。
「牛荘市街で大規模な火災が発生しています! 黒煙が煙幕代わりとなり、市街の様子が不明となっております!」
東牛荘川を挟んで牛荘の斉軍と対峙している部隊から、伝令が飛んできた。そして、景紀や貴通が何らかの反応を示す前に、天幕に連続する砲声が届いたのである。
「……思い切った手を使うな」
景紀は、麾下部隊に砲撃の命令を出していない。つまりこの砲声は、牛荘の斉軍から響いてきたものだ。
「寝ている連中を全員叩き起こせ! それと、海城から弾薬が届き次第、急いで各部隊に配分するんだ!」
「はっ!」
砲撃で敵を怯ませて、その隙に突撃する。皇国陸軍でも行う、基本的な戦法であった。
海城攻防戦における逆襲で敵の青銅砲はだいぶ破壊ないしは鹵獲したと思っていたが、まだ敵はそれなりの数の砲を有していたようである。
そして、自らの砲の位置を特定されないために牛荘市街地に火を放ち、簡易的な煙幕とした。
何とも思い切りの良い策であった。
もしかしたら自分は、ここまで斉軍を指揮してきた主将と対峙しているのかもしれない。
「……俺が陣頭指揮をとる」
だとすれば、自分も前線に出るべきだろう。
「穂積大佐、冬花、付いてこい」
「了解です」
「はい、若様」
天幕を出、貴通が司令部付きの小隊を集結させる。
かすかに雪の舞う中で、景紀は火災と煙に覆われつつある牛荘の市街地を見つめていた。
ホロンブセンゲは、一部の兵力を牛荘の守備に残して、牛荘―遼陽間の街道を封鎖する倭軍に野戦を挑むことを決意していた。
倭人どもが街道封鎖のための陣地を整える前に、自らの率いる八旗によってこれを殲滅するつもりであった。
ホロンブセンゲは八旗の保有する火器のほとんどを牛荘東側に据え付けると、牛荘の町に火を放つよう命じた。煙によってこちらの姿を隠し、倭軍の砲撃からこちらの砲を守るためである。
さらに反攻作戦の初期の段階で弾薬を消耗してしまった火龍槍も、対岸から出来る限りかき集めて砲撃に参加させた。
遼河を渡河しようとした時と同じく、まず砲撃によって倭軍を怯ませようとしたのである。
現在、ホロンブセンゲ軍と倭軍とは東牛荘川を挟んでかなりの近距離で対峙していた。牛荘に砲を設置するだけで、街道上に展開する倭軍を叩くことが出来た。
ただ問題は、生き残った宮廷術師たちがホロンブセンゲに対して完全に非協力的となってしまったことであろう。
牛荘を煙幕で覆うために風を操ることまでは何とか欽差大臣としての権限を利用して命じたが、それ以上の協力は期待出来なかった。
そして、ホロンブセンゲは牛荘の残存兵力を右翼、中央、左翼に分け、自らは右翼の騎兵部隊を率いることとした。倭軍の海城への退路を遮断し、遼河に追い込んで殲滅するためである。
一方の左翼には、緑営部隊を多く配置した。
倭軍が刑家窩棚に砲陣地を構築しつつあることは、ホロンブセンゲも把握していた。緑営部隊で倭軍の砲撃を吸収させ、その隙に乗じて八旗騎兵の突撃によって決着をつけるのである。
「……」
ホロンブセンゲは静かに舞い散る雪の先、東牛荘川対岸の倭軍を鋭い目で見据えていた。
砲撃が続く中、景紀は淡々と命令を下した。
「東牛荘川沿いに配置した兵は全員、紫房屯まで下がらせろ」
西を東牛荘川(沙河)、東を五道河に挟まれたこの地は、ただでさえ戦術的な縦深が浅い。二つの川の間の距離は、およそ九キロ前後である。
そして紫房屯は、牛荘から二キロ街道を東に進んだ村落である。
つまり景紀は、もともと浅い戦術的縦深を自らさらに浅くする命令を下したのだ。
だが、貴通も司令部付き小隊の先任下士官も、この六家次期当主の命令に異を唱えなかった。予め規定されていた戦術行動であったからだ。
敵より寡兵な自分たちに、東牛荘川の渡河点すべてを守り切ることは不可能。
そうした現実的な判断故の命令であった。
「冬花、式なり霊力波を飛ばして敵砲兵の位置を特定しろ。特定したら砲兵隊の永島少佐に位置情報を送れ」
「はい、かしこまりました」
赤い被り布の付いた火鼠の衣を羽織った冬花は、その袖を翻した。袖の中に仕込まれていた無数の呪符が、式となって雪雲の垂れ込める空に飛び立っていく。
東牛荘川を挟んだ砲撃戦は、雪が降りしきる視界の悪い中で展開された。
この時の斉軍の砲撃は、これまでの緑営が行っていたものよりも、その正確さにおいて勝っていた。
斉軍では、西洋の宣教師たちから天文学を学び、そこで得た数学の知識を砲撃に応用していたのである。もちろん、これは砲を扱う兵士たちが高度な教育を受けており、さらに日々の絶え間ない訓練を行っていて初めて可能なものであり、精鋭を維持しているホロンブセンゲ直属の蒙古八旗だからこそ出来たことであった。
独混第一旅団側の陣中日誌にも「此日敵ノ砲兵ハ巧ニ陣地ヲ隠蔽シ、加フルニ其ノ射程ハ遠ク、射法モ亦観ルヘキモノアリ」と記録されている。
一方、十二門あった独混第一旅団の七十五ミリ砲は、冬花や旅団の呪術兵による霊力波観測を元にして、牛荘市街地に砲撃を続けることになった。
観測隊の目視による戦果は確認出来なかったものの、二、三度、牛荘市内で弾薬の誘爆と思われる大きな爆発を確認している。これは、火龍槍の発射台に砲弾が命中し、原始的なロケット弾であるこの兵器を破壊したことによって発生した大爆発であった。
独立野砲第一大隊は、途中で海城から到着した補給段列から砲弾の補給を受けつつ、砲撃を続行した。
そうして両軍による砲撃の応酬が続くこと二時間あまり。
朝から降り続いていた雪がようやく収まり、視界が開けてきた。
そして、それを待っていたかのようにホロンブセンゲは麾下の部隊に渡河を命じ、遼陽へ向かう街道を封鎖する倭軍を撃破すべく、行動を開始したのである。
◇◇◇
ホロンブセンゲ軍が東牛荘川の渡河を開始したという報告は、すぐに景紀の元にもたらされた。
敵右翼は騎兵を中心とし、左翼に向かうに従って歩兵の割合が多くなっているという。
「海城への退路を遮断しつつ、俺たちを遼河の河岸に押し込めるつもりか」
「典型的な延翼包囲ですね」
斉軍の意図は明白で、単に街道の突破だけでなくこちらの包囲殲滅を狙っていることは明らかだった。
これまで海城に籠っていた皇国軍が入念に構築された陣地を出て、会戦を挑みやすい平野に出てきたことを好機と捉えたのかもしれない。
「今さら砲兵陣地を転換している暇はない。刑家窩棚の砲兵中隊はそのまま射撃を継続、斉軍の突撃を撃退するように伝えろ」
「はっ!」
呪術通信兵が、その命令を独混第一旅団右翼に伝達する。
現在、旅団最右翼は刑家窩棚が担っていた。この位置からならば、牛荘市街を砲撃することも、あるいは牛荘―遼陽間の街道上を砲撃することも可能であった。
そして、中央が紫房屯、左翼はその少し南側にある馬牙屯に配置している。
出来れば牛荘―海城間の街道上にある村落・白旗堡に左翼を配置して海城との連絡線を確保したいところであったが、そうなると刑家窩棚から白旗堡に至るまで三キロ近い防衛線を張ることになり、これを歩兵二個連隊で守るには兵力が不足していた。
このため景紀は、遼陽への街道を封鎖する形で旅団の兵力を配置していたのである。
そして彼も幕僚の貴通も、街道を封鎖する旅団と海城との連絡を断つことの出来るこの左翼(斉軍から見れば右翼)の戦闘が、この戦いの焦点になると判断していた。
景紀は全体の指揮をとりつつ左翼を直率、独混第一旅団麾下の独立歩兵第一連隊から引き抜いた二個大隊を配置した。
中央は海城から増援に駆け付けた歩兵第五十八連隊の二個大隊が、右翼は騎兵第十八連隊および歩兵第五十八連隊の残り一個大隊が担っている。
独立歩兵第一連隊の最後の一個大隊は、予備兵力として連隊長・宮崎茂治郎大佐に預けて控置していた。
「敵の主力は騎兵か……」
恐らくは、これまで戦場に姿を現わさなかった八旗軍だろう。予備兵力として控置されていたのか、あるいは被征服民族たちを戦闘の矢面に立たせていただけなのか、どちらかは判らないが、かつては大陸を制覇したこともある騎馬民族の操る騎兵部隊である。
開けた土地で正面から敵の大兵力と対峙する経験は、景紀にとって初めてであった。
遼東半島上陸以来、ここまでは上手くやれてきたという思いがある。しかし、それは敵が弱兵であったり、気球による降下という奇策を用いたり、あるいは陣地に籠って戦っていたというものでしかない。
将として、自分に野戦を切り抜けられるだけの力があるのか、まだ判らなかった。
「……景くん?」
敵を見ているようで見ていない景紀の視線に気付いたのか、貴通が怪訝そうに顔を覗き込んできた。
「いや、思えばこの規模の野戦を指揮するのは初めてだと思ってな」
努めて何でもないことのように、景紀は応じる。それを聞いた貴通は目を瞬かせた後、小さく微笑んだ。
「大丈夫ですよ」
男装の少女の声には、この同期生を鼓舞するような響きがあった。
「ここにいるのは、景くんの理論の元に訓練を重ねた将兵たちです。それに、僕や冬花さんもいます」
兵学寮以来の付き合いの彼女には、景紀が初めて指揮する大規模野戦を前に興奮しているのではなく、緊張していると見抜いたのだろう。
「……ああ、そうだな」
景紀は少しだけ表情を和らげ、冬花の方を見た。彼女もまた、小さく笑みを見せてくれた。
それで少し、景紀の気分は軽くなった。もう一度、貴通に顔を向ける。軍服を着た少女の笑みが、不敵なものに変った。
「騎兵無用論、ここで証明してやりましょう」
皇暦八三六年一月二日、牛荘の西郊外にて発生した秋斉両軍による戦闘は、朝から降り続いていた雪が止んだ一一〇〇時過ぎから本格化した。
ホロンブセンゲが直率する八旗約一万五〇〇〇、緑営約六〇〇〇の計二万一〇〇〇の兵力が、一斉に東牛荘川を渡り始めたのである。
一方、これと対峙する景紀率いる独立混成第一旅団の兵力は、海城から歩兵第五十八連隊の増援を受けていたとはいえ、それでも合計約八〇〇〇の兵力しか存在していなかった。
水際で敵の渡河を阻止するには、戦力差があり過ぎた。
渡河可能な地点をすべて守ろうとすると兵力が川沿いに薄く広く分散してしまい、かえって敵の突破を許してしまう。
そう考えていた景紀は、砲撃戦が始まった時点で警戒のために川沿いに配置していた兵力を素早く紫房屯にまで下げた。紫房屯は牛荘から二キロほど街道を西方に進んだ地点に存在する村落であり、斉軍の保有する青銅砲の有効射程外であった(カルバリン砲などの青銅砲の有効射程は一八〇〇メートル前後が限界。ただし、最大射程は六〇〇〇メートル前後)。
皇国軍は海城攻防戦での斉軍の砲撃や、鹵獲した青銅砲の調査から、斉軍砲兵(厳密にはこの頃の斉軍には「砲兵」という兵科は存在しないが、便宜上こう表記する)の有効射程を把握していたのである。
ホロンブセンゲ軍の砲兵が緑営砲兵よりも練度が高いとはいっても、性能の限界から来る有効射程の制限は如何ともし難かった。
だが、川沿いに配備された皇国軍の後退を見たホロンブセンゲは、勝機を掴んだと判断。全軍に一気に東牛荘川を渡河するように命じた。
皇国軍から見ると、刺すように冷たい水温の川を人間が埋め立てているように見える光景であったという。
「弾種、榴散弾に変更! 目標、渡河中の敵兵! 距離二三〇〇! 各個に撃ち方始め!」
独混第一旅団の砲兵隊を率いる永島惟茂少佐は、右翼・刑家窩棚から砲戦の指揮をとっていた。牛荘砲撃中は榴弾を使用していたが、目標が人馬に変ったので対人殺傷能力の高い榴散弾に弾種を変更させる。
独立野砲第一大隊が保有する十一年式七糎野砲(実際の口径は七十五ミリ)の有効射程は三五〇〇メートル。
刑家窩棚からは、十分に渡河中の敵兵を狙うことが出来た。
「てっー!」
空中で炸裂して弾片を撒き散らす榴散弾が、渡河中の敵兵を、そしてこちら側の岸に辿り着いた敵兵を切り刻んでいく。
「次弾装填急げ!」
寒空の中、永島少佐の叱咤の下、砲兵たちは砲車を元の位置に戻し、間断なく砲弾を装填していく。
遼河平原を巡る戦闘では、時としてあの術者の少女の爆裂術式の方が旅団長に重宝されている場面もあった。それで旅団や他の部隊が助けられたこともあるだろうが、やはり永島少佐にも主家の次期当主に砲兵隊を任されていることに対する自負がある。
ここで皇国軍砲兵隊の精華を発揮せねばと、永島少佐を始めとする砲兵隊の将兵は意気を上げていた。
主に斉軍左翼に配置された緑営兵士は、背後から八旗に追い立てられるようにして東牛荘川を渡河した。
倭軍の砲弾で仲間を切り刻まれ、凍るような川の水で下半身を濡らしながら、対岸に渡り切る。
あまりの寒さにその場にじっとしていることも出来ず、かといって退くことも出来ない彼らは、そのまま隊形を整える時間も惜しんで倭軍への突撃を開始した。
結果、後続部隊の集結を待つことなく、最初に渡河を終えた先鋒集団から倭軍へと突撃することとなったのである。
歩兵砲や騎兵砲も砲撃に加わる中、緑営の兵士たちは前方で隊列を整えている皇国軍に向かっていった。
彼我の距離が八〇〇から七〇〇メートルになった時点で、皇国軍歩兵部隊は中隊規模による統制された射撃を開始した。
前装式銃の時代から続く、伝統的な部隊規模による射弾の集中を狙った射撃方法である。
地面がほとんど凍っているような状態であったため、塹壕を掘る時間的余裕もなかったことから、独混第一旅団の各級指揮官はこのような射撃方法をとった。
そこに多銃身砲による射撃も加わることで、さらに緑営兵に降り注ぐ銃弾の数は増えていった。
だが、それでも皇国軍側の歩兵よりも、斉軍側の歩兵の方が数が多い。
鉄条網に阻まれて、そこを撃たれて倒れた斉兵。その屍が積み上がってくると、ついには倒れた斉兵を足場にして何とか鉄条網を突破してこようとする者まで現れた。
緑営兵の後ろには東牛荘川と、後退しようとする者を斬るための八旗兵がいる。
とにかく、前に進むしかなかったのだ。
一部で白兵戦すら発生しながら、左翼から中央にかけての戦闘は続けられていく。
だが、そのなりふり構わぬ攻撃によって徐々に皇国軍右翼を押し込めつつあった斉軍であったが、もちろん独混第一旅団側にも退路がないことに変わりはない。
景紀は、防衛線が突破され刑家窩棚の砲兵陣地に斉軍歩兵が到達する前に逆襲の敢行を命じたのである。
命じられたのは、騎兵第十八連隊の細見為雄大佐であった。彼は自ら騎兵第十八連隊の先頭に立ち、斉軍歩兵に対する突撃を行ったのである。
歩兵部隊による中隊規模の統制射撃を同じく、細見大佐の騎兵突撃もまた、馬の突撃衝力で一挙に敵歩兵隊列を蹂躙しようとする伝統的な戦法であった。
発射速度の速い小銃を持たない斉兵にとって、騎兵突撃に対抗する唯一の方策は、槍兵を中心に方陣を組むことであったが、隊列を十分に組むことなく攻撃を行ってしまった彼らにそのようなことは不可能であった。
結果として、皇国軍右翼から中央にかけて、騎兵第十八連隊の騎兵突撃による歩兵の蹂躙という理想的な光景が出現することになったのである。
◇◇◇
一方、ホロンブセンゲ率いる斉軍右翼は、出来るだけ倭軍の砲撃圏外をかすめるようにして東牛荘川を渡河した。
朝から続いた砲撃戦で、倭軍の砲兵の位置はおおむね把握している。それに、これまでの海城攻防戦で連中の砲の射程もおおよそ掴んでいる。
ホロンブセンゲの右翼は、東牛荘川を渡河するとまず牛荘―海城間の街道を封鎖するために白旗堡に向かった。ここに倭軍は配置されていなかったが、馬牙屯方面から砲撃を受けることになった。
だがホロンブセンゲの目論見通り一部の砲は左翼に向けられているらしく、予想よりも損害は少なかった。
ただし、八旗の実質的な歩兵戦力である馬卒は緑営兵同様、下半身を水で濡らすこととなり、馬に乗る者もまた冷たい川で暴れようとする馬を制御するために足を濡らしてしまった者も多かった。
ホロンブセンゲ率いる右翼もまた、その場に留まっていることは出来なかった。
そこで彼がとった戦法は、北方騎馬民族伝統のそれであった。
騎馬部隊を五列に分け、内三列を投槍や弓、馬上筒で武装した軽装騎兵、残り二列を堅固な鎧を着用した重装騎兵で固める。そして、軽装騎兵が縦横無尽に駆け回りながら投槍や弓矢、馬上筒を放って敵を翻弄、敵の戦力が低下し陣形が崩れたところを重装騎兵の突撃によって殲滅するという戦法である。
この戦法で、古の大ハーンは大陸を制覇し、斉朝は前王朝たる綏朝を破ったのだ。
ホロンブセンゲはまず、この軽装騎兵隊を最初に渡河させた。そしてそのまま、倭軍に対して遊撃的な攻撃を仕掛けるように命じたのである。
「拙い! 総員、伏せろ!」
景紀は陽鮮で騎兵部隊の追撃を受けた時と同じく、横隊による射撃によって騎兵突撃を阻止出来ると考えていた。
その前には鉄条網もあり、敵の馬はこれに絡まってまず動きを止めてしまう。
鉄条網はもともと農地における害獣対策として発明されたものであるだけに、数百キロの体重を持つ動物の突進を受けても千切れないだけの強度を持っている。当然、騎兵突撃といえど例外ではない。
だが、景紀は双眼鏡で観察していた敵騎兵の動きが奇妙であることに気付いた。
明らかに、騎射の姿勢をとっている。
将家の男子として、騎乗での弓の取り扱いは武芸の一つとして幼少期から学ばされる。だからこそ、景紀は直感的にそのことに気付けたのだ。
立ったままの歩兵など、敵の弓のいい的だろう。
景紀は叫ぶと共に自身も雪壕の中に伏せた。
貴通や冬花、その他将兵たちもそれに倣う。腹ばいになった所為で、これまで以上に体が冷えていく感覚を覚えるが、立ち上がったまま矢や投槍の的になるよりはいい。
「部隊ごとの射撃は中止! これよりは各個の判断にて射撃せよ!」
伏射の姿勢のまま、三十年式騎銃に銃弾を込めながら景紀は命ずる。雪壕の淵から銃口を出し、向かってくる敵騎兵の一騎に照準を合わせて引き金を絞る。
即座に槓杆を引き、次弾を装填。
その間に、敵の騎馬弓兵たちが一斉に矢を放った。鏃が空気を裂く音と共に、雪壕の周囲に矢が降り注ぐ。
それに負けじと、雪壕の淵に並んだ銃口が次々に火を噴いた。
銃弾と矢、投槍の応酬という、ある種の奇妙さを感じさせる戦いが続く。
銃弾に捉えられて落馬する敵騎兵。上から降ってきた矢が刺さり呻き声を上げる者。あるいは、後方の砲陣地から放たれた榴散弾に切り刻まれる人馬。
「くそっ。多銃身砲を封じられたな」
薬室に銃弾を込めながら、景紀は忌々しげに呻く。機関銃の萌芽的存在ともいえる多銃身砲であるが、「砲」の名の通り束ねられた銃身が砲車の上に乗っているため、その旋回速度は高速で動き回る対象に追いつけるものではなかったからだ。
八旗軽装騎兵が密集隊形をとっていなかったことも、多銃身砲の実質的な無力化に繋がった。
さらに言えば、多銃身砲の射手は伏せることが出来ない。ここで多銃身砲を使おうとすれば、射手が真っ先に狙われるだろう。海城の陣地ならばそれを考慮した形の塹壕が掘ってあるが、この雪原の上では射手を守ってくれる遮蔽物はない。
「景紀、私が」
隣で伏せている冬花が、背中の矢筒から矢を取り出しつつ言った。
「いや、今は待機だ」
冬花ならば、己の周囲に結界を張って矢を弾きながら爆裂術式を打ち込むことが出来るだろう。だが、景紀は己のシキガミを押し止めた。
「ここまま、連中の後方にいる騎兵が突撃してくるのを待つ」
左翼前面を駆け回りながら矢や投槍、馬上筒を放ってくる八旗軽装騎兵の後方で待機している敵騎兵集団の存在は、景紀たちの位置からも確認出来た。
未だ二キロ近い距離を隔てているが、いずれは突撃してくるだろう。
基本的に、騎兵は敵前約一キロ手前で隊列を整え、そこから一気に速度を上げて敵に突撃に移行する。二キロという距離があれば、敵が動き出してからでも対処は可能だ。
だからこそ、こちらが騎馬弓兵に圧倒されているという印象を敵将に与えたい。そのためには、こちらに爆裂術式を放てる術者がいることは隠しておきたかった。
逆に、もし敵将が慎重に徹して、突撃を仕掛けてこなかったとしても景紀としては別に構わない。現状では街道を封鎖することが独混第一旅団の任務であり、牛荘の敵兵力を撃滅することではないのだ。
だが、ここまでいささか攻撃偏重ともいえる斉軍の作戦行動を見る限り、恐らく騎兵突撃を仕掛けてくるだろうと景紀は読んでいた。
「……」
ホロンブセンゲは軽装騎兵隊と倭軍の戦闘を見守りつつ、重装騎兵を突撃させる時機を見定めようとしていた。
雪原の上で立射の姿勢をとっていた倭軍左翼は、こちらの意図に気付くと即座に雪原に体を伏せてしまった。その状態で、射撃を続けている。
遼河の河岸に遺棄された倭軍の鉄砲をホロンブセンゲも見たが、どうやら倭軍は元込め式の鉄砲を利用しているらしい。だからこそ、立ち上がって銃口を上に向け、弾込めをする必要がないのだろう。
火縄も燧石もないのにどうやって弾を発射しているのかはまるで不明であったが、ともかく情報として重要なのは倭軍の鉄砲は元込め式であるために伏せた姿勢のままでも射撃が可能だということだ。
このために、前衛の軽装騎兵隊がどの程度、倭軍に対して打撃を与えたのかが確認出来なくなっている。また、地面に伏せて雪壕の淵などの遮蔽物に隠れてしまっている倭兵に矢を命中させることも難しくなっていた。
しかし一方で、海城攻防戦などで威力を発揮した、銃弾を連続して発射する奇妙な砲は沈黙を守っている。どうやら、射手が立ち上がって操作しなければならないため、こちらの軽装騎兵による攻撃が続いている間は使えないということなのだろう。
もちろん、決死の覚悟でその奇妙な砲を操作しようとする兵士もいるかもしれないが、どうやら倭奴どもにそのような勇気のある者はいないようであった。
これは、好機であった。
銃砲の数では、たとえ自分の率いる八旗でも敵わない。しかし、今、その銃砲の一部を封じることに成功している。
前衛の矢種が尽きる前に、そして自軍左翼の戦況が思わしくない以上、早々に決着をつける必要があった。
一つだけ懸念があるとすれば、とホロンブセンゲは思う。
こちらが奪還した地域で何度か見られた、地面に張られた鉄の糸である。海城攻防戦でも、その鉄の糸の所為で倭軍陣地の突破に手間取り、大損害を出したという報告も聞いている。
やはりこれも倭軍が遺棄したものを、試しに剣や槍で斬り付けてみた者がいたらしいが、刃が糸に絡まって上手く斬れなかったとも言う。
だが、所詮は小細工の類である。人間ならばともかく、重量のある馬の突撃を止められるものではあるまいというのが、ホロンブセンゲの考えであった。
そのようなもの、突撃で引き千切ってしまえばよい。多少、足を絡めて転倒する馬が出てくるだろうが、もとより突撃に犠牲は付きものである。
ホロンブセンゲの決意は固まった。彼は己の持つ長槍を高く掲げた。
「全軍、かかれ! 不遜なる倭奴どもを蹂躙せよ!」
「総員、一旦射撃中止!」
突然、今まで縦横無尽に駆け回っていた敵騎馬弓兵が左右に退避を始めたのである。
間違いなく、後方の騎兵部隊のために針路を空けたのだろう。
「敵前衛騎馬弓兵の後方の騎兵部隊、向かってきます!」
兵士の叫びを聞かずとも、数千の馬が雪煙を上げながら迫ってくる様は景紀にも確認出来た。
「通信、永島少佐に砲撃支援要請!」
「はっ!」
「総員、撃ち方用意!」
景紀は矢継ぎ早に命令を下していく。
「第一射は旅団長に続け! それ以降は別命あるまで、各個に射撃を継続せよ!」
さっと目算したところ、突撃を仕掛けようとしている敵騎兵の数は、こちらでいえば二個連隊規模。二〇〇〇後半から三〇〇〇頭近い馬がいるに違いない。
その蹄が雪原を叩く響きは、景紀らの元にも伝わってくるような気がした。
濛々たる雪煙を上げつつ、密集隊形で接近してくる敵騎兵集団。
それだけで、威圧的な光景であった。
逸るような、焦れるような、自分の中で緊張と焦燥が混じる奇妙な感覚。
景紀は三十年式騎銃を構えたまま、敵との距離を目算する。
敵の頭上で、榴散弾の信管が作動して弾けた。人や馬が少し倒れるが、敵の接近を押し止めるようなものではない。
中央や右翼での銃声や砲声、喊声が、いやにうるさく感じた。奇妙な苛立ちすら感じる。
深呼吸をする。
刹那、皇国軍にとって意味不明な叫びが連続する。それと同時に、本当に腹に響くような地鳴りが起こった。
無数の馬が、勢いよく地面を蹴ったのだ。
ついに開始された騎兵突撃。
「てっー!」
瞬間、景紀は引き金を絞った。
その銃声が伝播するように、左右に広がっていく。黒色火薬の白煙が一斉に立ちこめる。
次弾装填。射撃。
馬が駆け出せば、一〇〇〇メートルの距離を突破するのに六十秒程度しかかからない。
自分たちの前面に鉄条網があるとはいえ、射撃を行う兵士たちの顔は強ばっていた。
射撃のたびに転倒し、後続の騎兵がそれに巻き込まれていくが、重装騎兵たちの突撃は衰えない。喊声は、もの凄い勢いで近付いてくる。
が、転機は一瞬であった。
景紀たちの雪壕三〇〇メートル手前。
そこで先頭を駆けていた馬の列が一斉に転倒。馬も突然のことに悲鳴じみた嘶きを上げる。
鉄条網に、馬が足を引っ掛けたのだ。馬がもがけばもがくほど、逆に鉄条網は絡まっていく。
技量の高い騎兵もいたのだろう。前方の馬が絡まった鉄条網を飛び越えようと、馬を跳躍させる者もいた。
だが、そのようなことも計算済みである。
およそ一メートル間隔で三列に鉄条網は設置してある。跳躍の際、前足か後ろ足が必ず引っ掛かる間隔であった。
「……」
「……」
「……」
転倒する馬、投げ落とされる騎兵、そこに後続の騎兵が突っ込んで激突する。悲鳴と混乱と恐慌。
そんな鉄条網の向こう側とは反対に、皇国軍側の兵士はあまりの光景に逆に唖然としていた。
「何を呆けている! 多銃身砲、射撃用意!」
「はい!」
景紀が怒鳴りつけると、射手や装填手が即座に立ち上がって多銃身砲に取り付く。
鉄条網の所為で突撃衝力を失い、ただ密集したまま混乱し進むも退くもままならない敵騎兵。
「装填良し!」
「てっー!」
そこから先の光景は、騎兵にとってまさしく悪夢そのものであった。
無数の銃弾の前に、人馬は等しく倒れていった。
多銃身砲の射手は、ただ義務的に把手を回し続けた。
鉛の塊の前では、伝統も、栄光も、名誉も、何もかもが無意味であった。
連続する銃声の中に人馬の断末魔が響き渡り、それもまた銃声が摘み取っていく。
後に残るのは、大量の死のみであった。
一月一日夕刻、牛荘西方に展開する独混第一旅団に混成第二十八旅団の歩兵第五十八連隊が増援として加わった。これにより、景紀の直率する兵力は独混第一旅団に歩兵一個連隊を加えた約八〇〇〇程度の規模になっていた。
一月一日は前日の積雪の影響が続いており、両軍ともに本格的な戦闘は行われなかった。
だが一方で、牛荘の都城内にて何らかの動きがあることを、皇国軍は斥候などの情報から察知していた。
対岸からの船の到着も増えていた。それが糧食や弾薬の輸送の船であるのか、増援部隊を載せた船であるのかは判然としなかった。
だが、放置するというのもあまりに消極的な選択であった。
景紀は河川港となっている牛荘港を砲撃圏内に収めるべく、牛荘城北側の刑家窩棚に野砲兵一個中隊(四門)を前進させる決断を下した。夜の内に砲兵陣地を構築し、翌二日より砲撃を開始することを目指したのである。
海城の備蓄弾薬を急ぎ独混第一旅団の下に輸送するよう、景紀は柴田大佐に通信を送っている。
海城―牛荘間の距離は十五キロであるので、補給段列は猛吹雪にでも襲われない限り、二日早朝には独混第一旅団の下に到着するはずであった。
だが、景紀が牛荘港への砲撃を開始する前に、ホロンブセンゲは動いた。
「牛荘市街で大規模な火災が発生しています! 黒煙が煙幕代わりとなり、市街の様子が不明となっております!」
東牛荘川を挟んで牛荘の斉軍と対峙している部隊から、伝令が飛んできた。そして、景紀や貴通が何らかの反応を示す前に、天幕に連続する砲声が届いたのである。
「……思い切った手を使うな」
景紀は、麾下部隊に砲撃の命令を出していない。つまりこの砲声は、牛荘の斉軍から響いてきたものだ。
「寝ている連中を全員叩き起こせ! それと、海城から弾薬が届き次第、急いで各部隊に配分するんだ!」
「はっ!」
砲撃で敵を怯ませて、その隙に突撃する。皇国陸軍でも行う、基本的な戦法であった。
海城攻防戦における逆襲で敵の青銅砲はだいぶ破壊ないしは鹵獲したと思っていたが、まだ敵はそれなりの数の砲を有していたようである。
そして、自らの砲の位置を特定されないために牛荘市街地に火を放ち、簡易的な煙幕とした。
何とも思い切りの良い策であった。
もしかしたら自分は、ここまで斉軍を指揮してきた主将と対峙しているのかもしれない。
「……俺が陣頭指揮をとる」
だとすれば、自分も前線に出るべきだろう。
「穂積大佐、冬花、付いてこい」
「了解です」
「はい、若様」
天幕を出、貴通が司令部付きの小隊を集結させる。
かすかに雪の舞う中で、景紀は火災と煙に覆われつつある牛荘の市街地を見つめていた。
ホロンブセンゲは、一部の兵力を牛荘の守備に残して、牛荘―遼陽間の街道を封鎖する倭軍に野戦を挑むことを決意していた。
倭人どもが街道封鎖のための陣地を整える前に、自らの率いる八旗によってこれを殲滅するつもりであった。
ホロンブセンゲは八旗の保有する火器のほとんどを牛荘東側に据え付けると、牛荘の町に火を放つよう命じた。煙によってこちらの姿を隠し、倭軍の砲撃からこちらの砲を守るためである。
さらに反攻作戦の初期の段階で弾薬を消耗してしまった火龍槍も、対岸から出来る限りかき集めて砲撃に参加させた。
遼河を渡河しようとした時と同じく、まず砲撃によって倭軍を怯ませようとしたのである。
現在、ホロンブセンゲ軍と倭軍とは東牛荘川を挟んでかなりの近距離で対峙していた。牛荘に砲を設置するだけで、街道上に展開する倭軍を叩くことが出来た。
ただ問題は、生き残った宮廷術師たちがホロンブセンゲに対して完全に非協力的となってしまったことであろう。
牛荘を煙幕で覆うために風を操ることまでは何とか欽差大臣としての権限を利用して命じたが、それ以上の協力は期待出来なかった。
そして、ホロンブセンゲは牛荘の残存兵力を右翼、中央、左翼に分け、自らは右翼の騎兵部隊を率いることとした。倭軍の海城への退路を遮断し、遼河に追い込んで殲滅するためである。
一方の左翼には、緑営部隊を多く配置した。
倭軍が刑家窩棚に砲陣地を構築しつつあることは、ホロンブセンゲも把握していた。緑営部隊で倭軍の砲撃を吸収させ、その隙に乗じて八旗騎兵の突撃によって決着をつけるのである。
「……」
ホロンブセンゲは静かに舞い散る雪の先、東牛荘川対岸の倭軍を鋭い目で見据えていた。
砲撃が続く中、景紀は淡々と命令を下した。
「東牛荘川沿いに配置した兵は全員、紫房屯まで下がらせろ」
西を東牛荘川(沙河)、東を五道河に挟まれたこの地は、ただでさえ戦術的な縦深が浅い。二つの川の間の距離は、およそ九キロ前後である。
そして紫房屯は、牛荘から二キロ街道を東に進んだ村落である。
つまり景紀は、もともと浅い戦術的縦深を自らさらに浅くする命令を下したのだ。
だが、貴通も司令部付き小隊の先任下士官も、この六家次期当主の命令に異を唱えなかった。予め規定されていた戦術行動であったからだ。
敵より寡兵な自分たちに、東牛荘川の渡河点すべてを守り切ることは不可能。
そうした現実的な判断故の命令であった。
「冬花、式なり霊力波を飛ばして敵砲兵の位置を特定しろ。特定したら砲兵隊の永島少佐に位置情報を送れ」
「はい、かしこまりました」
赤い被り布の付いた火鼠の衣を羽織った冬花は、その袖を翻した。袖の中に仕込まれていた無数の呪符が、式となって雪雲の垂れ込める空に飛び立っていく。
東牛荘川を挟んだ砲撃戦は、雪が降りしきる視界の悪い中で展開された。
この時の斉軍の砲撃は、これまでの緑営が行っていたものよりも、その正確さにおいて勝っていた。
斉軍では、西洋の宣教師たちから天文学を学び、そこで得た数学の知識を砲撃に応用していたのである。もちろん、これは砲を扱う兵士たちが高度な教育を受けており、さらに日々の絶え間ない訓練を行っていて初めて可能なものであり、精鋭を維持しているホロンブセンゲ直属の蒙古八旗だからこそ出来たことであった。
独混第一旅団側の陣中日誌にも「此日敵ノ砲兵ハ巧ニ陣地ヲ隠蔽シ、加フルニ其ノ射程ハ遠ク、射法モ亦観ルヘキモノアリ」と記録されている。
一方、十二門あった独混第一旅団の七十五ミリ砲は、冬花や旅団の呪術兵による霊力波観測を元にして、牛荘市街地に砲撃を続けることになった。
観測隊の目視による戦果は確認出来なかったものの、二、三度、牛荘市内で弾薬の誘爆と思われる大きな爆発を確認している。これは、火龍槍の発射台に砲弾が命中し、原始的なロケット弾であるこの兵器を破壊したことによって発生した大爆発であった。
独立野砲第一大隊は、途中で海城から到着した補給段列から砲弾の補給を受けつつ、砲撃を続行した。
そうして両軍による砲撃の応酬が続くこと二時間あまり。
朝から降り続いていた雪がようやく収まり、視界が開けてきた。
そして、それを待っていたかのようにホロンブセンゲは麾下の部隊に渡河を命じ、遼陽へ向かう街道を封鎖する倭軍を撃破すべく、行動を開始したのである。
◇◇◇
ホロンブセンゲ軍が東牛荘川の渡河を開始したという報告は、すぐに景紀の元にもたらされた。
敵右翼は騎兵を中心とし、左翼に向かうに従って歩兵の割合が多くなっているという。
「海城への退路を遮断しつつ、俺たちを遼河の河岸に押し込めるつもりか」
「典型的な延翼包囲ですね」
斉軍の意図は明白で、単に街道の突破だけでなくこちらの包囲殲滅を狙っていることは明らかだった。
これまで海城に籠っていた皇国軍が入念に構築された陣地を出て、会戦を挑みやすい平野に出てきたことを好機と捉えたのかもしれない。
「今さら砲兵陣地を転換している暇はない。刑家窩棚の砲兵中隊はそのまま射撃を継続、斉軍の突撃を撃退するように伝えろ」
「はっ!」
呪術通信兵が、その命令を独混第一旅団右翼に伝達する。
現在、旅団最右翼は刑家窩棚が担っていた。この位置からならば、牛荘市街を砲撃することも、あるいは牛荘―遼陽間の街道上を砲撃することも可能であった。
そして、中央が紫房屯、左翼はその少し南側にある馬牙屯に配置している。
出来れば牛荘―海城間の街道上にある村落・白旗堡に左翼を配置して海城との連絡線を確保したいところであったが、そうなると刑家窩棚から白旗堡に至るまで三キロ近い防衛線を張ることになり、これを歩兵二個連隊で守るには兵力が不足していた。
このため景紀は、遼陽への街道を封鎖する形で旅団の兵力を配置していたのである。
そして彼も幕僚の貴通も、街道を封鎖する旅団と海城との連絡を断つことの出来るこの左翼(斉軍から見れば右翼)の戦闘が、この戦いの焦点になると判断していた。
景紀は全体の指揮をとりつつ左翼を直率、独混第一旅団麾下の独立歩兵第一連隊から引き抜いた二個大隊を配置した。
中央は海城から増援に駆け付けた歩兵第五十八連隊の二個大隊が、右翼は騎兵第十八連隊および歩兵第五十八連隊の残り一個大隊が担っている。
独立歩兵第一連隊の最後の一個大隊は、予備兵力として連隊長・宮崎茂治郎大佐に預けて控置していた。
「敵の主力は騎兵か……」
恐らくは、これまで戦場に姿を現わさなかった八旗軍だろう。予備兵力として控置されていたのか、あるいは被征服民族たちを戦闘の矢面に立たせていただけなのか、どちらかは判らないが、かつては大陸を制覇したこともある騎馬民族の操る騎兵部隊である。
開けた土地で正面から敵の大兵力と対峙する経験は、景紀にとって初めてであった。
遼東半島上陸以来、ここまでは上手くやれてきたという思いがある。しかし、それは敵が弱兵であったり、気球による降下という奇策を用いたり、あるいは陣地に籠って戦っていたというものでしかない。
将として、自分に野戦を切り抜けられるだけの力があるのか、まだ判らなかった。
「……景くん?」
敵を見ているようで見ていない景紀の視線に気付いたのか、貴通が怪訝そうに顔を覗き込んできた。
「いや、思えばこの規模の野戦を指揮するのは初めてだと思ってな」
努めて何でもないことのように、景紀は応じる。それを聞いた貴通は目を瞬かせた後、小さく微笑んだ。
「大丈夫ですよ」
男装の少女の声には、この同期生を鼓舞するような響きがあった。
「ここにいるのは、景くんの理論の元に訓練を重ねた将兵たちです。それに、僕や冬花さんもいます」
兵学寮以来の付き合いの彼女には、景紀が初めて指揮する大規模野戦を前に興奮しているのではなく、緊張していると見抜いたのだろう。
「……ああ、そうだな」
景紀は少しだけ表情を和らげ、冬花の方を見た。彼女もまた、小さく笑みを見せてくれた。
それで少し、景紀の気分は軽くなった。もう一度、貴通に顔を向ける。軍服を着た少女の笑みが、不敵なものに変った。
「騎兵無用論、ここで証明してやりましょう」
皇暦八三六年一月二日、牛荘の西郊外にて発生した秋斉両軍による戦闘は、朝から降り続いていた雪が止んだ一一〇〇時過ぎから本格化した。
ホロンブセンゲが直率する八旗約一万五〇〇〇、緑営約六〇〇〇の計二万一〇〇〇の兵力が、一斉に東牛荘川を渡り始めたのである。
一方、これと対峙する景紀率いる独立混成第一旅団の兵力は、海城から歩兵第五十八連隊の増援を受けていたとはいえ、それでも合計約八〇〇〇の兵力しか存在していなかった。
水際で敵の渡河を阻止するには、戦力差があり過ぎた。
渡河可能な地点をすべて守ろうとすると兵力が川沿いに薄く広く分散してしまい、かえって敵の突破を許してしまう。
そう考えていた景紀は、砲撃戦が始まった時点で警戒のために川沿いに配置していた兵力を素早く紫房屯にまで下げた。紫房屯は牛荘から二キロほど街道を西方に進んだ地点に存在する村落であり、斉軍の保有する青銅砲の有効射程外であった(カルバリン砲などの青銅砲の有効射程は一八〇〇メートル前後が限界。ただし、最大射程は六〇〇〇メートル前後)。
皇国軍は海城攻防戦での斉軍の砲撃や、鹵獲した青銅砲の調査から、斉軍砲兵(厳密にはこの頃の斉軍には「砲兵」という兵科は存在しないが、便宜上こう表記する)の有効射程を把握していたのである。
ホロンブセンゲ軍の砲兵が緑営砲兵よりも練度が高いとはいっても、性能の限界から来る有効射程の制限は如何ともし難かった。
だが、川沿いに配備された皇国軍の後退を見たホロンブセンゲは、勝機を掴んだと判断。全軍に一気に東牛荘川を渡河するように命じた。
皇国軍から見ると、刺すように冷たい水温の川を人間が埋め立てているように見える光景であったという。
「弾種、榴散弾に変更! 目標、渡河中の敵兵! 距離二三〇〇! 各個に撃ち方始め!」
独混第一旅団の砲兵隊を率いる永島惟茂少佐は、右翼・刑家窩棚から砲戦の指揮をとっていた。牛荘砲撃中は榴弾を使用していたが、目標が人馬に変ったので対人殺傷能力の高い榴散弾に弾種を変更させる。
独立野砲第一大隊が保有する十一年式七糎野砲(実際の口径は七十五ミリ)の有効射程は三五〇〇メートル。
刑家窩棚からは、十分に渡河中の敵兵を狙うことが出来た。
「てっー!」
空中で炸裂して弾片を撒き散らす榴散弾が、渡河中の敵兵を、そしてこちら側の岸に辿り着いた敵兵を切り刻んでいく。
「次弾装填急げ!」
寒空の中、永島少佐の叱咤の下、砲兵たちは砲車を元の位置に戻し、間断なく砲弾を装填していく。
遼河平原を巡る戦闘では、時としてあの術者の少女の爆裂術式の方が旅団長に重宝されている場面もあった。それで旅団や他の部隊が助けられたこともあるだろうが、やはり永島少佐にも主家の次期当主に砲兵隊を任されていることに対する自負がある。
ここで皇国軍砲兵隊の精華を発揮せねばと、永島少佐を始めとする砲兵隊の将兵は意気を上げていた。
主に斉軍左翼に配置された緑営兵士は、背後から八旗に追い立てられるようにして東牛荘川を渡河した。
倭軍の砲弾で仲間を切り刻まれ、凍るような川の水で下半身を濡らしながら、対岸に渡り切る。
あまりの寒さにその場にじっとしていることも出来ず、かといって退くことも出来ない彼らは、そのまま隊形を整える時間も惜しんで倭軍への突撃を開始した。
結果、後続部隊の集結を待つことなく、最初に渡河を終えた先鋒集団から倭軍へと突撃することとなったのである。
歩兵砲や騎兵砲も砲撃に加わる中、緑営の兵士たちは前方で隊列を整えている皇国軍に向かっていった。
彼我の距離が八〇〇から七〇〇メートルになった時点で、皇国軍歩兵部隊は中隊規模による統制された射撃を開始した。
前装式銃の時代から続く、伝統的な部隊規模による射弾の集中を狙った射撃方法である。
地面がほとんど凍っているような状態であったため、塹壕を掘る時間的余裕もなかったことから、独混第一旅団の各級指揮官はこのような射撃方法をとった。
そこに多銃身砲による射撃も加わることで、さらに緑営兵に降り注ぐ銃弾の数は増えていった。
だが、それでも皇国軍側の歩兵よりも、斉軍側の歩兵の方が数が多い。
鉄条網に阻まれて、そこを撃たれて倒れた斉兵。その屍が積み上がってくると、ついには倒れた斉兵を足場にして何とか鉄条網を突破してこようとする者まで現れた。
緑営兵の後ろには東牛荘川と、後退しようとする者を斬るための八旗兵がいる。
とにかく、前に進むしかなかったのだ。
一部で白兵戦すら発生しながら、左翼から中央にかけての戦闘は続けられていく。
だが、そのなりふり構わぬ攻撃によって徐々に皇国軍右翼を押し込めつつあった斉軍であったが、もちろん独混第一旅団側にも退路がないことに変わりはない。
景紀は、防衛線が突破され刑家窩棚の砲兵陣地に斉軍歩兵が到達する前に逆襲の敢行を命じたのである。
命じられたのは、騎兵第十八連隊の細見為雄大佐であった。彼は自ら騎兵第十八連隊の先頭に立ち、斉軍歩兵に対する突撃を行ったのである。
歩兵部隊による中隊規模の統制射撃を同じく、細見大佐の騎兵突撃もまた、馬の突撃衝力で一挙に敵歩兵隊列を蹂躙しようとする伝統的な戦法であった。
発射速度の速い小銃を持たない斉兵にとって、騎兵突撃に対抗する唯一の方策は、槍兵を中心に方陣を組むことであったが、隊列を十分に組むことなく攻撃を行ってしまった彼らにそのようなことは不可能であった。
結果として、皇国軍右翼から中央にかけて、騎兵第十八連隊の騎兵突撃による歩兵の蹂躙という理想的な光景が出現することになったのである。
◇◇◇
一方、ホロンブセンゲ率いる斉軍右翼は、出来るだけ倭軍の砲撃圏外をかすめるようにして東牛荘川を渡河した。
朝から続いた砲撃戦で、倭軍の砲兵の位置はおおむね把握している。それに、これまでの海城攻防戦で連中の砲の射程もおおよそ掴んでいる。
ホロンブセンゲの右翼は、東牛荘川を渡河するとまず牛荘―海城間の街道を封鎖するために白旗堡に向かった。ここに倭軍は配置されていなかったが、馬牙屯方面から砲撃を受けることになった。
だがホロンブセンゲの目論見通り一部の砲は左翼に向けられているらしく、予想よりも損害は少なかった。
ただし、八旗の実質的な歩兵戦力である馬卒は緑営兵同様、下半身を水で濡らすこととなり、馬に乗る者もまた冷たい川で暴れようとする馬を制御するために足を濡らしてしまった者も多かった。
ホロンブセンゲ率いる右翼もまた、その場に留まっていることは出来なかった。
そこで彼がとった戦法は、北方騎馬民族伝統のそれであった。
騎馬部隊を五列に分け、内三列を投槍や弓、馬上筒で武装した軽装騎兵、残り二列を堅固な鎧を着用した重装騎兵で固める。そして、軽装騎兵が縦横無尽に駆け回りながら投槍や弓矢、馬上筒を放って敵を翻弄、敵の戦力が低下し陣形が崩れたところを重装騎兵の突撃によって殲滅するという戦法である。
この戦法で、古の大ハーンは大陸を制覇し、斉朝は前王朝たる綏朝を破ったのだ。
ホロンブセンゲはまず、この軽装騎兵隊を最初に渡河させた。そしてそのまま、倭軍に対して遊撃的な攻撃を仕掛けるように命じたのである。
「拙い! 総員、伏せろ!」
景紀は陽鮮で騎兵部隊の追撃を受けた時と同じく、横隊による射撃によって騎兵突撃を阻止出来ると考えていた。
その前には鉄条網もあり、敵の馬はこれに絡まってまず動きを止めてしまう。
鉄条網はもともと農地における害獣対策として発明されたものであるだけに、数百キロの体重を持つ動物の突進を受けても千切れないだけの強度を持っている。当然、騎兵突撃といえど例外ではない。
だが、景紀は双眼鏡で観察していた敵騎兵の動きが奇妙であることに気付いた。
明らかに、騎射の姿勢をとっている。
将家の男子として、騎乗での弓の取り扱いは武芸の一つとして幼少期から学ばされる。だからこそ、景紀は直感的にそのことに気付けたのだ。
立ったままの歩兵など、敵の弓のいい的だろう。
景紀は叫ぶと共に自身も雪壕の中に伏せた。
貴通や冬花、その他将兵たちもそれに倣う。腹ばいになった所為で、これまで以上に体が冷えていく感覚を覚えるが、立ち上がったまま矢や投槍の的になるよりはいい。
「部隊ごとの射撃は中止! これよりは各個の判断にて射撃せよ!」
伏射の姿勢のまま、三十年式騎銃に銃弾を込めながら景紀は命ずる。雪壕の淵から銃口を出し、向かってくる敵騎兵の一騎に照準を合わせて引き金を絞る。
即座に槓杆を引き、次弾を装填。
その間に、敵の騎馬弓兵たちが一斉に矢を放った。鏃が空気を裂く音と共に、雪壕の周囲に矢が降り注ぐ。
それに負けじと、雪壕の淵に並んだ銃口が次々に火を噴いた。
銃弾と矢、投槍の応酬という、ある種の奇妙さを感じさせる戦いが続く。
銃弾に捉えられて落馬する敵騎兵。上から降ってきた矢が刺さり呻き声を上げる者。あるいは、後方の砲陣地から放たれた榴散弾に切り刻まれる人馬。
「くそっ。多銃身砲を封じられたな」
薬室に銃弾を込めながら、景紀は忌々しげに呻く。機関銃の萌芽的存在ともいえる多銃身砲であるが、「砲」の名の通り束ねられた銃身が砲車の上に乗っているため、その旋回速度は高速で動き回る対象に追いつけるものではなかったからだ。
八旗軽装騎兵が密集隊形をとっていなかったことも、多銃身砲の実質的な無力化に繋がった。
さらに言えば、多銃身砲の射手は伏せることが出来ない。ここで多銃身砲を使おうとすれば、射手が真っ先に狙われるだろう。海城の陣地ならばそれを考慮した形の塹壕が掘ってあるが、この雪原の上では射手を守ってくれる遮蔽物はない。
「景紀、私が」
隣で伏せている冬花が、背中の矢筒から矢を取り出しつつ言った。
「いや、今は待機だ」
冬花ならば、己の周囲に結界を張って矢を弾きながら爆裂術式を打ち込むことが出来るだろう。だが、景紀は己のシキガミを押し止めた。
「ここまま、連中の後方にいる騎兵が突撃してくるのを待つ」
左翼前面を駆け回りながら矢や投槍、馬上筒を放ってくる八旗軽装騎兵の後方で待機している敵騎兵集団の存在は、景紀たちの位置からも確認出来た。
未だ二キロ近い距離を隔てているが、いずれは突撃してくるだろう。
基本的に、騎兵は敵前約一キロ手前で隊列を整え、そこから一気に速度を上げて敵に突撃に移行する。二キロという距離があれば、敵が動き出してからでも対処は可能だ。
だからこそ、こちらが騎馬弓兵に圧倒されているという印象を敵将に与えたい。そのためには、こちらに爆裂術式を放てる術者がいることは隠しておきたかった。
逆に、もし敵将が慎重に徹して、突撃を仕掛けてこなかったとしても景紀としては別に構わない。現状では街道を封鎖することが独混第一旅団の任務であり、牛荘の敵兵力を撃滅することではないのだ。
だが、ここまでいささか攻撃偏重ともいえる斉軍の作戦行動を見る限り、恐らく騎兵突撃を仕掛けてくるだろうと景紀は読んでいた。
「……」
ホロンブセンゲは軽装騎兵隊と倭軍の戦闘を見守りつつ、重装騎兵を突撃させる時機を見定めようとしていた。
雪原の上で立射の姿勢をとっていた倭軍左翼は、こちらの意図に気付くと即座に雪原に体を伏せてしまった。その状態で、射撃を続けている。
遼河の河岸に遺棄された倭軍の鉄砲をホロンブセンゲも見たが、どうやら倭軍は元込め式の鉄砲を利用しているらしい。だからこそ、立ち上がって銃口を上に向け、弾込めをする必要がないのだろう。
火縄も燧石もないのにどうやって弾を発射しているのかはまるで不明であったが、ともかく情報として重要なのは倭軍の鉄砲は元込め式であるために伏せた姿勢のままでも射撃が可能だということだ。
このために、前衛の軽装騎兵隊がどの程度、倭軍に対して打撃を与えたのかが確認出来なくなっている。また、地面に伏せて雪壕の淵などの遮蔽物に隠れてしまっている倭兵に矢を命中させることも難しくなっていた。
しかし一方で、海城攻防戦などで威力を発揮した、銃弾を連続して発射する奇妙な砲は沈黙を守っている。どうやら、射手が立ち上がって操作しなければならないため、こちらの軽装騎兵による攻撃が続いている間は使えないということなのだろう。
もちろん、決死の覚悟でその奇妙な砲を操作しようとする兵士もいるかもしれないが、どうやら倭奴どもにそのような勇気のある者はいないようであった。
これは、好機であった。
銃砲の数では、たとえ自分の率いる八旗でも敵わない。しかし、今、その銃砲の一部を封じることに成功している。
前衛の矢種が尽きる前に、そして自軍左翼の戦況が思わしくない以上、早々に決着をつける必要があった。
一つだけ懸念があるとすれば、とホロンブセンゲは思う。
こちらが奪還した地域で何度か見られた、地面に張られた鉄の糸である。海城攻防戦でも、その鉄の糸の所為で倭軍陣地の突破に手間取り、大損害を出したという報告も聞いている。
やはりこれも倭軍が遺棄したものを、試しに剣や槍で斬り付けてみた者がいたらしいが、刃が糸に絡まって上手く斬れなかったとも言う。
だが、所詮は小細工の類である。人間ならばともかく、重量のある馬の突撃を止められるものではあるまいというのが、ホロンブセンゲの考えであった。
そのようなもの、突撃で引き千切ってしまえばよい。多少、足を絡めて転倒する馬が出てくるだろうが、もとより突撃に犠牲は付きものである。
ホロンブセンゲの決意は固まった。彼は己の持つ長槍を高く掲げた。
「全軍、かかれ! 不遜なる倭奴どもを蹂躙せよ!」
「総員、一旦射撃中止!」
突然、今まで縦横無尽に駆け回っていた敵騎馬弓兵が左右に退避を始めたのである。
間違いなく、後方の騎兵部隊のために針路を空けたのだろう。
「敵前衛騎馬弓兵の後方の騎兵部隊、向かってきます!」
兵士の叫びを聞かずとも、数千の馬が雪煙を上げながら迫ってくる様は景紀にも確認出来た。
「通信、永島少佐に砲撃支援要請!」
「はっ!」
「総員、撃ち方用意!」
景紀は矢継ぎ早に命令を下していく。
「第一射は旅団長に続け! それ以降は別命あるまで、各個に射撃を継続せよ!」
さっと目算したところ、突撃を仕掛けようとしている敵騎兵の数は、こちらでいえば二個連隊規模。二〇〇〇後半から三〇〇〇頭近い馬がいるに違いない。
その蹄が雪原を叩く響きは、景紀らの元にも伝わってくるような気がした。
濛々たる雪煙を上げつつ、密集隊形で接近してくる敵騎兵集団。
それだけで、威圧的な光景であった。
逸るような、焦れるような、自分の中で緊張と焦燥が混じる奇妙な感覚。
景紀は三十年式騎銃を構えたまま、敵との距離を目算する。
敵の頭上で、榴散弾の信管が作動して弾けた。人や馬が少し倒れるが、敵の接近を押し止めるようなものではない。
中央や右翼での銃声や砲声、喊声が、いやにうるさく感じた。奇妙な苛立ちすら感じる。
深呼吸をする。
刹那、皇国軍にとって意味不明な叫びが連続する。それと同時に、本当に腹に響くような地鳴りが起こった。
無数の馬が、勢いよく地面を蹴ったのだ。
ついに開始された騎兵突撃。
「てっー!」
瞬間、景紀は引き金を絞った。
その銃声が伝播するように、左右に広がっていく。黒色火薬の白煙が一斉に立ちこめる。
次弾装填。射撃。
馬が駆け出せば、一〇〇〇メートルの距離を突破するのに六十秒程度しかかからない。
自分たちの前面に鉄条網があるとはいえ、射撃を行う兵士たちの顔は強ばっていた。
射撃のたびに転倒し、後続の騎兵がそれに巻き込まれていくが、重装騎兵たちの突撃は衰えない。喊声は、もの凄い勢いで近付いてくる。
が、転機は一瞬であった。
景紀たちの雪壕三〇〇メートル手前。
そこで先頭を駆けていた馬の列が一斉に転倒。馬も突然のことに悲鳴じみた嘶きを上げる。
鉄条網に、馬が足を引っ掛けたのだ。馬がもがけばもがくほど、逆に鉄条網は絡まっていく。
技量の高い騎兵もいたのだろう。前方の馬が絡まった鉄条網を飛び越えようと、馬を跳躍させる者もいた。
だが、そのようなことも計算済みである。
およそ一メートル間隔で三列に鉄条網は設置してある。跳躍の際、前足か後ろ足が必ず引っ掛かる間隔であった。
「……」
「……」
「……」
転倒する馬、投げ落とされる騎兵、そこに後続の騎兵が突っ込んで激突する。悲鳴と混乱と恐慌。
そんな鉄条網の向こう側とは反対に、皇国軍側の兵士はあまりの光景に逆に唖然としていた。
「何を呆けている! 多銃身砲、射撃用意!」
「はい!」
景紀が怒鳴りつけると、射手や装填手が即座に立ち上がって多銃身砲に取り付く。
鉄条網の所為で突撃衝力を失い、ただ密集したまま混乱し進むも退くもままならない敵騎兵。
「装填良し!」
「てっー!」
そこから先の光景は、騎兵にとってまさしく悪夢そのものであった。
無数の銃弾の前に、人馬は等しく倒れていった。
多銃身砲の射手は、ただ義務的に把手を回し続けた。
鉛の塊の前では、伝統も、栄光も、名誉も、何もかもが無意味であった。
連続する銃声の中に人馬の断末魔が響き渡り、それもまた銃声が摘み取っていく。
後に残るのは、大量の死のみであった。
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しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
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