秋津皇国興亡記

三笠 陣

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幕間 姫君たちの皇都

7 南泰平洋問題

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 皇暦八三五年十一月八日。
 この日、征斉派遣軍から第一、第二、第三軍が鴨緑江北岸、遼東半島にて合流を果たしたとの報告が兵部省に届けられた。征斉派遣軍総司令部からの発信日は七日。現地との通信は、呪術通信や電信などを経由するため、おおよそ一日程度の時間がかかる。
 この件の奏上と冬営中の方針、列強からの干渉があった場合の対処などについて協議するため、宮中にて大本営政府連絡会議が開かれた。
 その帰途、伊丹公爵家当主・正信は、思いがけず結城景忠から声を掛けられた。

「私に何用であるか、結城公?」

 皇宮の宮殿会議室を出たところで、呼び止められたのである。

「卿と我が結城家の間に、一つの合意を形成しておきたいことがありましてな」

 一時期と比べてだいぶ健康を損なっていることが判る表情と声で、景忠は言った。
 そして、彼の話が政治的なものであると察した伊丹正信は、宮内省職員に言って宮内省庁舎の一室を借りることにした。

「それで、如何なるお話か?」

 宮内省庁舎の小会議室に移った正信は、そう問うた。

「我が六家の、利権獲得についての合意形成です」

「ほう?」

 その言葉を聞いて、正信はわずかに身構えた。
 自分の伊丹家と一色家は、戦後における陽鮮半島の権益の確保を狙っている。しかし、陽鮮からの使節団が結城家屋敷を訪れたことから、結城家との間に半島利権の獲得について競合が生じる可能性を警戒していたのである。

「単刀直入に申しますと、我が結城家は半島の利権に関して一切を求めないことといたします。現在、占領中の遼東半島の利権についても、有馬家に譲渡する方針です。その代わりとして、我が結城家の南泰平洋における利権の拡大に同意して頂きたい」

「南泰平洋の利権……」

 現在、皇国の植民地の最南端といえるのは、新南嶺島と付属する島嶼部分である。
 その新南嶺島の南には、南海大陸アウストラリスが存在している。今から三十年ほど前に、この大陸の領有をアルビオン連合王国は宣言し、南海大陸は連合王国の植民地となった。
 だがその後、皇国が帝政フランクのアジア進出を阻止した広南出兵を行ったことで、皇国との不用意な衝突を恐れた西洋列強は、東南アジアも含めた東洋・泰平洋の植民地獲得競争を控えるようになっていた。どの地域にも、現地の王国などから皇国が利権を獲得していたり、あるいは秋津人町を築いていたりと、皇国の勢力が進出していたからである。
 ただし、皇国も国内問題への対処や既存の植民地開発などもあり、新たな植民地の獲得は停滞した状態であった。
 だが、ヴィンランド合衆国の泰平洋進出を皇国は脅威と見なしており、一部の対外硬派知識人の間では「無主の地」(もちろん、先住民がいるのだが)となっている泰平洋の島々を皇国が早期に領有を宣言すべしという議論も沸き起こっている。一部の攘夷派牢人たちも、新たな土地を獲得することで自分たちの領地を得られるとして、こうした南進論に賛同する者もいた。
 問題は、新たな植民地の獲得によって六家間の勢力均衡が崩れる可能性があることであった。
 今でさえ、多数の植民地利権を有する結城家、有馬家、長尾家と、そうではない伊丹家、一色家、斯波家との間で経済格差が生まれ、そこに攘夷論なども加わって対立を生んでいるのである。
 六家として植民地獲得を互いに牽制し合っている状況では、植民地の拡大は対外問題というよりは、対内問題といえたのである。
 だが、対斉戦役で伊丹家と一色家も海外の利権を獲得する機会が巡ってきた。
 つまり、結城景忠は相互に利権の拡大を容認し合う協定を結ぼうと正信に呼びかけたわけである。

「現在、陽鮮の使節団は皇国から食糧の支援を受けようと交渉の機会を窺っています。これを逆手に取り、半島の鉱山開発、鉄道敷設などの利権を御家が獲得する好機では?」

「確かに一理あろう」

 正信は頷いた。内心では、景忠の意見に同意しかけている。今から伊丹家が泰平洋の利権獲得に乗り出そうとしても、すでに南海興発という御用商人・国策会社を設立している結城家に経営面で淘汰されるだろう。
 それならば、他の六家と競合関係にない地域にて利権を獲得するのが得策であった。

「しかし、問題がある。いったい、我が国のどこに余分な米があるというのだ?」

「その点については、米騒動が起こった場合に備えて輸入しておいた熱帯米の在庫を使えましょうぞ」

「ああ、あの米か」

 熱帯米の味を思い出したのか、わずかに正信の表情が歪む。
 熱帯米はその名の通り、熱帯地域で生産される米の品種である。皇国やその植民地で栽培されている和米は弾力と粘り気があることが特徴であるが、こちらの熱帯米は粘り気が少なく米粒も細長い。独特の臭いもあるため、皇国ではまったくと言っていいほどに普及していない。
 本当に、飢饉など万が一の事態が発生した際に主食用にされる程度で、輸入された熱帯米のほとんどは酒やみりんなどに加工されてしまう。
 この熱帯米を、今年の八月から九月にかけて、前回の広南出兵で発生した米騒動のような騒擾が起こることを危惧して、六家が御用商人などを通じて輸入していたのである。
 ただ、広南出兵が行われた十数年前に比べ植民地などでの米の生産量が増加したこと、今年の収穫量は例年とそれほど変わりないという予測が立てられたことから、輸入された熱帯米が過剰在庫になる可能性がすでに指摘されていた。
 もちろん、陽鮮の人口の半分でも養えるような量ではないが、取引材料にはなるだろう。

「我が結城家領の熱帯米の備蓄を、無償で御家に譲渡いたします」

「その代価として、南泰平洋での植民地拡大、か。一応訊いておくが、御家は南泰平洋のどこを狙っておられるのか?」

「以前から外務省などで領有が主張されていた、新海諸島ニュー・ゼーランディア南瀛諸島ニュー・スコシアを中心とした島々を考えています」

「ああ、あの捕鯨漁民どもが渡っていった島か」

 南海大陸の東方に浮かぶこれらの島々は、秋津人の漁民などが渡り現地に秋津人町を作るなど、皇国が一定の拠点を築いていた島々であった。もちろん、アルビオン連合王国や帝政フランク、ヴィンランド合衆国の漁民や宣教師たちもこれらの島々には存在していたが、あまり勢力を伸ばせていない。
 島の先住民たちが十字教の宣教師たちの押し付ける価値観に反発し、それを十字教勢力を脅威と思っている皇国(主に南洋総督府や南海興発の派遣した工作員)が現地民を密かに支援することで、先住民の力で西洋人勢力を島から追放しようとしているからである。もちろん、島の先住民の力を使って西洋人を追放した後は皇国が島を支配することを目論んでおり、決して秋津人たちが現地の島民たちに寄り添っているわけではない。

「西洋列強がこれ以上、泰平洋上に勢力を伸そうとするのは業腹でるあるからな」

 それに、結城家を泰平洋を巡るヴィンランド合衆国との対立の矢面に立たせることが出来れば、伊丹家や一色家の望む軍備拡張に、結城家も賛同せざるを得なくなるだろう。
 あとはあの小倅(景紀)を排除出来れば、結城家を攘夷論に傾けさせることが出来るかもしれない。
 そうした思惑を秘めながら、伊丹正信は海外利権の獲得を相互に容認するという景忠の提案に賛同したのであった。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 果たしてこれで良かったのだろうか、とここ数日、宵は考えていた。
 十一月一日に行われた衆民院総選挙は、吏党勢力が三分の二以上を占める結果に終わった。選挙前の勢力図と比較すれば、吏党勢力の微増といったところであった。
 もちろん、制限選挙下での総選挙であるため、この結果が国民の意見を代弁していると評価するわけにはいかない。それでも、報道による誘導などもあるのだろうが、皇都市民の熱狂を考えると国民はこの戦争を支持しているのだろう。
 「東亜の秩序を乱そうとする斉」という国民共通の敵が出来たことで、あるいは「東亜新秩序」という判りやすい国家目標が出来たことで、国民が一致団結しているという面もあるのかもしれない。少なくとも、国民の間に何となく漂っていた列強勢力による圧迫感・閉塞感が、この戦争によって打破されつつあるのは確かだろう。
 そうした中で、自分の発案が正しかったのかどうか。
 あの日、貞英や金光護に宵が提示したのは、陽鮮の鉱山採掘権、鉄道敷設権などを電信敷設権などと同じように秋津皇国に認める代価として食糧の供給を行うよう交渉する、というものであった。
 陽鮮側がこの提案を行えば、半島の利権を狙っている伊丹・一色両家は交渉に前向きになるだろう。問題は、結城家家臣団がそれで納得出来るか、ということであった。
 景忠公が家臣団への根回しをせずに伊丹家(と、それに追従する一色家)主導の陽鮮の財政支援案を認めてしまったことで、彼らの中は景忠公が伊丹家に対して弱腰なのではないかという疑念を抱いている者も出てきている。
 さらに、里見善光が景忠公周辺の情報を統制していることで、結城家の意思決定過程の一部から重臣が排除されつつあり、結城家内の主従関係に溝が生じつつあった。
 ここでさらに伊丹・一色両家に陽鮮ヘの独占的な進出を景忠公が容認するとなれば、溝が亀裂に変わりかねない。
 そこで宵が考え出したのが、以前から外務省などで領有論が出ていた南泰平洋の島々への結城家の進出を、伊丹家に認めさせるということであった。
 陽鮮ヘの進出と南泰平洋への進出を交換条件として、結城家の家臣団を納得させようとしたのである。
 もちろん、宵はこの意思決定過程から結城家重臣を除外するようなことはしなかった。
 南洋群島や新南嶺島などの南洋植民地に利権を持つ結城家内には南進論者も多数おり、家臣団の説得は容易であった。
 ただ、宵が見たところ、家臣団の間で新海諸島や南瀛なんえい諸島の価値がどの程度あるのかという議論はあまりなされていないように見えた。
 結城家の行政資料を見る限りだと、南瀛諸島には鉱山があるようだが(実際、後に世界最大規模のニッケル、コバルト鉱山が発見されている)、この諸島にどれだけの価値があるかは過去の公文書からも明らかではなかった。
 また、新海諸島は、アルビオン連合王国による南海大陸アウストラリスの領有宣言を脅威と感じた現地在住の秋津人と諸島の部族長たちが共同して、秋津皇国皇主に対して国家としての独立を承認してくれるよう請願したことで、「ニューゼーランディア部族連合国」として一応の独立国となっている。ただし、実態としては各部族がその後も抗争を繰り広げて戦国時代さながらの様相を呈しており、六家という存在がある皇国から見てもかの諸島は一つの独立国とは見なせない状況となっていた。
 そのため皇国では、新海諸島を併合して皇国の指導の下に島民の福利を増進すべき、と主張する知識人もおり、それが新海諸島領有論に繋がっている。
 結城家の家臣団の間でも、南進論者たちはこれら諸島の価値を調べることよりも領有を宣言することを重視しているようであった。
 正直、宵に言わせれば、武士特有の土地への執着が先行しているような気がしてならない(もちろん後世的視点で見れば、南瀛諸島で大規模な鉱山が発見されるので宵の考えは杞憂なのだが)。
 それに近年、泰平洋への進出を強めるヴィンランド合衆国の出方も懸念材料だった。もしかしたら自分は、秋津皇国とヴィンランド合衆国の対立を後押ししようとしているのではないか。
 そんな思いもあるのだ。
 もちろん宵は結城家当主である景忠や筆頭家老である益永忠胤、さらには里見善光などにもその懸念を伝えたが、合衆国の泰平洋進出は活発になっているが泰平洋上に合衆国海軍の拠点は存在せず、そもそも両国の海軍力では皇国が圧倒しているので新海諸島や南瀛諸島の領有宣言にそこまで反発することは出来ないだろう、とのことであった。
 頼朋翁も、アルビオン連合王国には戦後における華中・華南地方の権益を認めてやれば良い、ホラント王国やヒスパニア王国、帝政フランクは最早東洋で勢力を拡大するだけの国力はない、と言っていた。
 どこか釈然としないものを覚えながらも、宵は景紀から聞かされた「戦争の時代が始まる」という兵部大臣・坂東友三郎の言葉を思い出していた。そして、「勢力を拡大した先に、また別の勢力を拡大している国と出くわして対立が起こる」という景紀の言葉も。
 つまりは自分もまた、六家次期当主の正室として泰平洋を巡る国際関係を真剣に考え始めないといけないということなのだろう。
 ともかく、これでひとまず、結城家と伊丹・一色両家については戦後の利権の分配について一定の合意が形成されたといえる。有馬家についても、頼朋翁が大陸利権にはそれほど興味がないと明言している。
 残された問題は、長尾家である。最も満洲の利権を欲しているであろう、北陸の支配者。
 あの何か裏で企んでいそうな多喜子姫がどう出てくるのか、宵は気を引き締めることにした。





 が、事態は国内で何かを企む者が出てくる前に動き始めていた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
  あとがき

新海諸島……ニュージーランドがモデル
南瀛諸島……ニューカレドニアがモデル
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