秋津皇国興亡記

三笠 陣

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幕間 姫君たちの皇都

5 姫君たちと国内政治

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 人生で初めて農業の体験は、宵に新鮮な感慨をもたらしていた。
 広大な田んぼから稲を刈り、藁で束ね、稲架はさに掛ける。
 言葉にすれば単純であるが、すべて人力で行うのはかなりの体力仕事であった。それに、稲架を作り、杭を地面に打ち込むのにも力がいる。
 武家の姫として武術の鍛錬も受けているため一日中鎌を握った所為で手が血塗れになるということはなかったが、公家出身の女子学士院生徒の中には血まめを作る者も何人かいた。
 慣れない農作業に苦戦し、逆に農民たちに迷惑を掛けてしまっているのではないかと思うこともないではなかったが、とにかく宵や八重、鉄之介たちは一日中、農作業の手伝いを行った。
 一週間ほど経って稲架に掛けた稲の乾燥を終えると、また宵や学士院、女子学士院の者たちは農作業の手伝いに向かった。今度は脱穀や籾すり、精米など、乾燥させた稲を米として食べられるようにする作業が中心であった。この日の作業もやはり、体力や根気の要る仕事であった。
 人手も力も要る作業だというのに、蒸気機関などで動く機械はまるで見当たらなかった。
 工場だけでなくこうした農村にも機械が必要なのではないかと宵は考えたが、蒸気機関を動かすための石炭などの燃料、あるいは機械の整備などにかかる費用を考えると、そのような農業用機械が開発されたとしても貧しい小作農などはまず手に入れることは出来ないだろう。
 ただ、蒸気機関の発明が工業に革命的な変化をもたらしたことを考えれば、農業の機械化もまた農村地帯に革命的な変化を起こすのではないかと、宵は技術面に関しては完全に素人ながらに考えた。
 貧農が機械を購入するのが難しいというのであれば、領主である結城家が用意して貸し与えればいいだけの話である。
 農業振興という名目であれば、税収から予算を捻出することも出来よう。それが難しいようであれば、戦争が終わってから景紀に相談してみるのでも構わない。
 そう思った宵は、早速行動を起こした。
 まず、景忠公側用人である里見善光を通して公に宵は自分自身の考えを伝えることで、景忠公とその側近勢力の了承を得た。その上で世話役である済を通して筆頭家老・益永忠胤を始めとする重臣に働きかけて、ある程度の賛同と協力(主に農政担当執政や逓信担当執政)を取り付けることに成功した。
 そして昨年、景紀が朝食会議の席で言っていた研究所や研究者への後援資金の提供先に、そうした農業機械に適するような機械の研究を行っている人物はいないかどうかを探した。
 探してみると、馬の代わりに蒸気機関を動力とする車を開発している技術者がいた。
 宵も「蒸気自動車」なる存在は資料などで知っていたが、実際に皇都を走っているところを見たことがない。これは、蒸気機関を動かすための給水の手間(後世のガソリンスタンドのように、街中に給水所を設ける必要などのインフラ整備が必要)、蒸気機関の煤煙が街中で撒き散らされること、蒸気機関を無理に小型化したことによる爆発事故が多発したこと、さらには客を奪われることになる乗合馬車や辻馬車、人力車の組合の反対などもあって、まったく普及していないことが原因であった。
 これは皇国だけでなく、他の列強諸国でもほぼ同様であった。
 ただ、動員令の発動によって領内の馬匹を徴発するなど戦時における馬政事務の煩雑化を間近で見ている宵にとってみれば、むしろ石炭や給水の手配が必要な鉄道運行事務と業務を一体化出来そうなので、蒸気自動車の普及は合理的なのではないかと考えていた。
 そうした点などを説得材料にして重臣や景忠公側近勢力を中心とする家臣団に根回しをして、景紀個人ではなく結城家として農業機械の開発を後援出来ないかと宵は考えていた。
 そもそも、どうも景紀が蒸気自動車の開発に資金を提供していたのは、将来的にこれを歩兵の輸送に使えないかと考えていたからのようであった。
 澄之浦で教導兵団(現独立混成第一旅団)の演習を見ていた宵は、景紀の目的を何となく察することが出来た。つまり彼は、騎兵の速度に随伴出来る歩兵が欲しかったのだ。
 現在の蒸気自動車の最高速度が、整地された道であっても人間の歩く速度より若干早い程度(時速六キロから八キロ前後)でしかないことを考えれば、景紀は蒸気自動車の将来的な発展を見込んで研究開発のための資金を提供することにしたのだろう。
 だが同時に、このあたりが将家嫡男として生まれた景紀の限界ではないかと、宵は思う。
 蒸気自動車を農耕馬の代わりにする、いわば「農耕車」であれば、それほど速度は必要ない。安全な小型蒸気機関が実用化出来れば、脱穀から精米までの過程についても機械化することが可能かもしれない。
 やはり八重の誘いを受けて正解だったなと、宵は思った。
 自分なりに新しい課題を見つけると、いささか塞ぎ込んでいた気分も良くなってくる。最近ではそこまで気持ちが沈むことなく毎日を過ごせていた。
 特に十月十日、大本営が第三軍の遼東半島上陸などを伝え、その報道に景紀の名を見つけた時には、その新聞記事を切り抜いて額縁に入れようかと思うほどに舞い上がりそうな気分になった。すぐに気恥ずかしさと冷静さが押し寄せてきて、流石に止めたが。
 とはいえ、手紙では判らなかった景紀の動静が確認出来て、宵はほっと安堵した。たとえその報道が、六家による戦争指導体制の正統性を国民に喧伝するために仕組まれたものであったとしても、である。
 また、報道に景紀の名を見つけたことで、今まで興味のなかった幻灯の上映会にも出向こうという気になった。
 皇国ではこの対斉戦役から本格的な従軍記者が登場するようになり、政府の許す範囲で戦場の様子が詳細に国民に伝わるようになっていた。
 さらに誰かが考え出した儲け話なのだろうが、従軍記者として呪術師を雇って水晶球に実際の現地の映像を撮らせ、それを紙に転写したものを幻灯で上映するという催しまで行われていた。
 この上映会はこれまでの絵画などを映し出す幻灯上映会と違って、現実の兵士の顔などが映し出されるため、多くの人が押し寄せたという。彼らは皆、映像の中に自分の息子、夫、兄弟らを見つけ出そうと必死だったのである。
 かく言う宵もまた、呪術映像の中に景紀の姿を探していた。

  ◇◇◇

「景紀、元気そうでしたね」

 今日は結城家皇都屋敷での開催となった宵と多喜子の会談で、長尾の姫はどこかほっとしたようにそう言った。

「ええ、私としても安心しました」

 目の前の少女が長尾家の中で色々と動き回っているらしいという話を宵は聞いていたが、だとしても長尾多喜子も一人の少女なのだろう。思いを寄せる殿方の身を案じてしまうくらいには。

「冬花様が付いていて下さるので、理性では心配ないと判ってはいますが、やはり感情は別のようです」

「ふふっ、宵姫さんも存外、乙女ですね」

「多喜子殿もあまり人のことは言えないのでは?」

 からかうように言ってきた多喜子に、宵は即座に切り返した。

「まあ、私は特に隠す気はありませんので」

 にんまりとどこか悪戯っぽい笑みを浮かべて、長尾の姫は言う。

「だいたい、景紀ももう少し私に構ってくれても良いとは思いませんか? 私のところには手紙一つ寄越さないんですよ?」

「それを私の前で言いますか?」

 景紀の正室である自分に対してあまりにもあけすけな物言いをする多喜子に、宵はじとっとした視線を向ける。
 別に宵は景紀が側室や愛妾を侍らせることそのものについては特に何とも思わないが、流石に自分を差し置いて景紀と多喜子が文を交わすとなると、内心穏やかではいられない。
 どうにも宵の中には、多喜子という少女に対する警戒心と対抗心があるのだ。冬花や貴通に対しては抱かない思いを、彼女は自分に抱かせてくる。
 それはきっと、自分と冬花、貴通がそれぞれ違う分野で景紀を独占出来ていると思っているからだろう。自分は正室として、冬花はシキガミとして、貴通は軍師として。
 だが、多喜子は違う。
 政治的策動を好むこの長尾の姫が景紀の側室になれば、きっと自分と同じ政治の分野で競合することになるだろう。だからこそ、宵は多喜子に対する警戒心と対抗心を捨てることが出来ないのだ。
 それに、自らの政治的主導権を確立するためなら内乱すら許容すると言った、昨年の皇国ホテルでの多喜子の言葉を宵は忘れてはいない。その政治的主張について、自分と多喜子は方向性を異にしているのだ。
 だからこそ、宵は必要以上に多喜子と馴れ合おうという気にはなれない。
 同年代の同性の友人と見ることも出来なかった。
 ただ、同年代の政治的な対手であると認識している。
 その点、自分のことを侮蔑してくる長尾家嫡男・憲実の正室である勤子については、「ただの女」という感想しか抱いていなかった。五摂家に連なる血筋で、女子学士院を出、六家次期当主の正室。そうした自分を飾る身分や経歴に執着して自分と他者とを区別しようとするだけの、ただの矮小な人間でしかない。
 とはいえ、今のところ多喜子も景紀を貶めようとするような策動をしていないので、そこまで敵愾心を抱いてはいない。
 政治的主導権を握りたい多喜子と、民が安寧に暮らせる国を目指したい宵。
 目標は違っても、景紀にそれをやって欲しい、自分はそれを側で見ていたいという思いは共通している。多喜子の場合、そこに自分自身も政治的主導権を発揮したいという野心を含んでいるようだが、景紀への想いでは共通している。
 伊丹・一色両家と国策を巡って対立している今、宵も多喜子も彼らに景紀が足を引っ張られ、陥れられるということは望んでいない。
 その点では自分と多喜子は利害が一致していると、この北国の姫は思っていた。

「それで、総選挙に向けてそちらの準備はどうなっているでしょう?」

 景紀の話題が終わると、途端に多喜子は政治の話へと話題を移した。二人の間の共通の話題といえば、その程度しかないのだ。
 自分たちは、屋敷で働く侍女や奉公人の女中たちのように、仲良く他愛ないお喋りをするような仲でもない。

「皇民協会の立候補者を各地で擁立していますよ。ただし、伊丹・一色両家と繋がりの深い護国党、蓬莱倶楽部も、結城家領内で何人かの立候補者を出そうとしているようですが」

 民権派から「六家の御用政党」、「吏党」などと批判される現在の封建体制を支持している会派、政党が存在しているが、決して一致団結した勢力ではない。
 六家の分裂に伴って、吏党勢力もまた分裂を余儀なくされているのだ。
 最大会派は吏党系の皇民協会であったが、そこから対外硬派である攘夷派議員が離脱して護国党、蓬莱倶楽部などを立ち上げて、衆民院における伊丹・一色派勢力となっていた。
 衆民院総選挙という機会を狙って、伊丹・一色派が結城家領内で攘夷論を盛り上げようとしているのではないかと、結城家隠密衆は領内の攘夷派知識人たちの動向を注視している。実際、結城家領内でも護国党や蓬莱倶楽部の支援を受けて立候補しようとする者たちがいる。
 皇民協会も護国党も蓬莱倶楽部も吏党勢力ではあるのだが、結城家としては領内に伊丹・一色両家の影響力が及ぶのを避ける意味でも、皇民協会系の立候補者を支援する方向で固まっている。
 問題は、重臣系統の家臣団と用人系統の家臣団で、立候補者の選定を巡って対立していることである。
 もちろん、宵はそうした結城家の内情を明かすようなことはしない。

「攘夷論は判りやすい理論ですし、民衆からの支持も一定程度受けられますから、やはりどこの領内でも出現していますか」

 北陸を支配する長尾家でも、そうした攘夷論を持った立候補者が存在しているらしい。多喜子の声には、少しだけ辟易とした響きが混じっていた。
 攘夷論を初めとする対外強硬論の厄介なところは、民衆からの支持も一定数、存在していることだ。
 対斉戦役が国民の間にどことなく漂っていた閉塞感を打破するのに役立ったように、攘夷論もまた国民が何となく感じている対外的な圧迫感を取り除いてくれる理論に見えるのだろう。
 こうした攘夷派系会派・政党の出現には民党系の会派・政党も危機感を持っているようで、選挙区によっては結城家と立候補者の調整を申し出ているところもある。
 宵としては、少し節操がないな、と感じてしまう。自らの政治的信念よりも議席の方が大事か、と思うのだ。
 こういうところが、皇国が未だ封建的な側面を強く残した国家制度を維持し続けられている要因の一つなのだろう。
 景紀は、皇国を中央集権化して政治は民衆から選出された有能な人間に任せて自分は隠居する、などと言っていたが、民党系の立候補者がこの調子では彼の隠居生活は遠い話になりそうである。
 もっとも、その方が自分にとっては嬉しいのだが。
 惚気にも似た内心を表情に出すことなく、この日も宵は結城家と長尾家の連絡役として多喜子との会談を終わらせた。





 そのようにして戦時下皇都での日々を過ごしていた宵の下に陽鮮公主・貞英が現れたのは、十月も終わりに近付いていた頃のことであった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
  あとがき

 史実において、農作業に蒸気機関が用いられるようになったのは十九世紀中頃のアメリカからで、日本では一八九九(明治三十二)年に機械による精米が始まっています。
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