秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第七章 対斉戦役編

139 斉軍の軍使

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 景紀らの予想通り、現れた騎兵は斉軍八旗に属する軍人であり、使者として海城を来訪したとのことであった。ただ、前衛陣地に漢語を話せる者がいないので筆談で意思疎通を図り(華族や士族の者にとって、漢文を読み書き出来ることは基礎教養の一つであった)、皇国軍側は若干の時間稼ぎを行った。
 この間に景紀は第三軍司令部に連絡を行い、軍使との交渉については景紀に一任する旨、許可を取り付けている。
 景紀は斉軍捕虜の尋問などに協力している海城民政支庁の通訳官たち(外務省から派遣された者たち)から手空きの者を呼び寄せて、この軍使との交渉の通訳を任せることとした。
 そして、通訳から伝えられた斉軍軍使からの要求は、戦死者の遺体の回収のための一時休戦であった。
 戦場に遺体を放置すれば腐って疫病の元となったり、死体を漁るネズミなどの大量発生などを招くことになる(今は冬季なので死体が凍るため、そこまで死体の腐乱は酷くないが)。また、味方の士気の観点からも戦場に自軍兵士の遺体を放置することは望ましくない。
 戦死者の遺体処理のための現地での一時休戦というのは、戦史上、幾度か見られる出来事であった。
 とはいっても、戦場に遺体が転がっているのは斉兵ばかりなので、(皇国軍の遺体は昨日の逆襲後に回収している)、応諾すれば実質的に皇国軍に一日の休養が与えられるようなものである。

「そういや、明日十二月二十五日は十字教の聖誕祭だったな。斉の将軍もなかなか粋なことをするもんだ」

「斉の将軍が十字教徒だという話は、寡聞にして存じ上げませんが」

 主君の軽口を、冬花がやんわりとたしなめる。
 陽鮮の倭館での時と違い、斉の軍使は呪術的な仕掛けを施した呪符などを持ってはいなかったので、ひとまず陰陽師としての彼女に出番はなかった。

「それで、旅団長閣下はこの休戦を受けるつもりですか?」

 司令部となっている邸宅で、景紀、貴通、冬花は斉軍軍使からの要求を検討していた。また、島田・柴田両旅団長との直通通信が出来る冬花の通信用呪符も机の上に置いている。

『この状況での一時休戦は、私は賛成ですな』

 呪符の向こうから、島田少将の声がする。

『ええ、時間はむしろ、我々にとって有利に働きます』柴田大佐もまた、一時休戦には賛成のようであった。『海軍の支援の下に態勢を立て直した第十四師団の反撃が開始されれば、斉軍南翼を南北から挟撃出来ます。それまでの時間稼ぎと考えれば良いかと』

「ただ、問題がないとも言えませんよ」

 そう指摘したのは、貴通である。

「休戦の誓約に署名するためとして、こちらの司令官を呼び出しているのですから。さしずめ、我が軍の射程内で遺体の回収作業を行う斉兵が皇国側にとっての人質であるとすれば、これは互いに人質を取り合って休戦の実効性を保障し合おうということでしょうか」

「若様の警護を司る身と致しましては、どこか罠の臭いもいたします」

 冬花も貴通と同じく、景紀が人質に取られかねない斉軍側の要求には否定的であった。

「ああ、十中八九、罠があるだろうな」

 だが、当の景紀は平然としていた。

「戦死者が膨れ上がってその遺体を回収したいって言う斉軍の主張には納得出来る点もあるが、やっぱりここで俺たちに時間を与えるほどの理由になるとは思えん。遼河じゃこちらの河川砲艦が暴れ回っているとなればなおさらだ。むしろ、早く海城を陥落させたいってのが本音だろうよ」

『遼河の結氷期を待つための時間稼ぎという可能性は?』

 柴田大佐が疑問を呈する。確かに、結氷期を待てばこちらの河川砲艦の行動を封じることが出来る。あるいはそのために、先日のように気象を操る大規模呪術を発動するための時間を稼ごうとしている可能性も考えられた。

「遼河が結氷した程度で斉軍が劇的に有利になるわけでもない。まあ、他にも休戦で海城の俺たちを一時的に遊兵化して、その隙に兵力を再配置して蓋平の第十四師団への攻撃を図るって作戦も考えられないことじゃないが、そうなれば俺たちが律儀に休戦を守ってやる必要もない」

『では、休戦の申し出は拒絶しますか?』島田少将が言う。『正直、我が守備隊の状況を考えますと、受入れても拒絶しても大して変わらないと思いますが?』

「いや、ここはあえて連中の思惑に乗ろうと思う」

 極めて自然な調子で、景紀は宣言した。

「休戦を受入れても受入れなくても変わらない、そして罠の可能性がある。だったらその罠を食い破っちまえば、少なくとも斉軍の思惑を外せるという利点はある。何もなければそれでいい」

『それで御身に万が一のことがあればどうされるのですか?』

 完全に家臣の声で、島田少将が詰問した。

「そうしたら島田少将、貴官が守備隊の指揮を執ることになるんじゃないのか?」

 実にあっさりとした口調で景紀が答えると、それっきり島田少将は黙り込んだ。

「さて、それじゃあ“時間”という聖誕祭の贈物を受け取り行くとするかね」

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 景紀は冬花と通訳官だけを連れて、斉軍軍使の指定した会見場所へと赴いた。
 斉軍が砲陣地を設置していた村落・大富屯の外れに遊牧民族式の円形の天幕が張られており、そこが会見場所であった。

「いくら何でも、今回のは無茶過ぎるわ」

 雪の中を馬で進みながら、小声で冬花がそう諫めてくる。

「受入れても受入れなくても変わらないなら、受入れないのが最善でしょ?」

「実際のところ、貴通の計算した弾薬消費量が度を超している」

 景紀も、小声で応じた。その声は、少し険しかった。

「牛荘を奪還された所為で防御すべき正面が増えて、弾薬消費量がうなぎ登りだ。このままだと、年を越す前に弾薬の使用制限をかける必要が出てくる。だが、ここで今日明日、休戦が成立させられればその分、弾薬の消費を抑えられる。輜重部隊の段列も到着する」

「それでも、罠の可能性があるんでしょ?」

 心配げに、少女の赤い瞳が主君たる少年を覗いている。自分の身よりも弾薬の方を優先する景紀の姿勢に、納得出来ない声であった。

「その罠を食い破って、連中の思惑を外してやればいい。俺には、お前が付いているからな」

 だが、景紀の答えはあっさりとしたものだった。
 もし斉軍が会見の場での謀殺を考えていたとしても、冬花がいれば切り抜けられる。景紀があえて通訳官しか連れてこなかったのも、下手に護衛の数を増やすと仮に会見の場に瘴気が満ちていた場合、冬花の守るべき人数が多くなり過ぎることを懸念したからであった。

「それに、お前と宵が作ってくれたお守りは、今だって身に付けているんだぜ?」

 ちょっとだけ悪戯っぽく、景紀は微笑んで見せた。彼が首元から取り出して冬花に見せたのは、去年、彼女と宵が自らの髪を編み込んで作ってくれたお守りである。

「……」

 冬花は少しだけ唇を尖らせて不満の意を表明したが、主君が自分を信頼してくれているが故の判断ならばもう何も言い出すことは出来なくなってしまった。

「そんじゃ、鬼が出るか蛇が出るか試してみようか」

 景紀はにやりとした笑みを浮かべると、槍を構えた斉兵が左右に立つ天幕の入り口へと歩き出した。





 天幕内で景紀の対応をした斉の軍人は、緑営総兵・馮玉崑という人物であった。八旗の将軍ではなかったが、この戦線の最高責任者であるらしい。
 冬花は景紀の背後に控えていたが、馮総兵の態度にはどこか落ち着かないものがあった。何かに怯えているようにも見える。
 漢人指揮官ということで、海城を陥落させられない責任を八旗の将軍などから譴責されているのかもしれない。あるいは、作戦失敗の責任を問われてこのままでは処刑を免れない、とか。
 被征服民族出身の軍人の悲しいところだろうが、冬花は特に同情を感じない。
 むしろ、そこまで追い詰められた人物ならば、何をしでかすか判らないという警戒心の方が強い。この会見と現地休戦協定の締結が罠だと警戒している冬花にとってみれば、当然のことであった。
 現地休戦協定に関する条文については、あまり時間をかけずに合意出来た。
 内容は単純で、今日十二月二十四日から二十五日の日没までを休戦の期間とするものであった。
 秋津側の通訳官と、斉側の人間が、最終的に文面を確認する。
 冬花も景紀の肩越しに文面を確認したが、特におかしな点は見られなかった。彼女は陰陽師であるため、漢文で書かれた陰陽道の教本なども幼少期から読み込んでいる。だから、漢文の読み書きには苦労しない。
 冬花が警戒していたのは、条文に呪術的な意味を持たせることであった。
 漢文は、同音異義語を使って隠れた意味を持つ文章を作ることが出来る。歴代中華王朝では、書かれた内容が暗に皇帝を批判しているとして文章作成者などが粛清される、いわゆる「文字の獄」がたびたび発生している。
 そのような事例があるために冬花はじっと景紀の肩越しから文面を確認していたのだが、どこか肩すかしを喰らったような気分であった。
 そのまま両指揮官による署名が行われ、それぞれ署名した一通ずつを誓約の証拠として持ち帰ることとなった。
 最後まで、天幕内では何も起こらなかった。
 斉軍の護衛が斬りかかってくることもなく、極めて穏便な形で会見は終了した。

  ◇◇◇

「冬花」

 会見を終えて無事に司令部となっている邸宅に帰還してから、景紀は自らと馮玉崑総兵の名が記された協定文書を冬花に渡した。

「こいつが呪術的な誓約文として成り立つかどうか、調べておいてくれ」

「どういうこと?」

 会見の場での罠ばかり警戒していた冬花は、書面を受け取りながら怪訝そうに尋ねた。

「ほら、あるだろ? 呪術師同士の契約で、誓約を破ったらその人間に何らかの呪いが発動するってやつ」

「……」

「俺だったら、そういう誓約を結ばせて、あえて向こうがそれを破るように仕向ける。挑発でも何でもしてな」

「……」

 会見の場での呪詛的な仕掛けばかりを警戒していた冬花にとって、景紀の指摘は盲点であった。
 だが、冬花も景紀の側で政治に関わっている以上、気付いていてしかるべき点であった。景紀の言うあくどい方法は、どちらかというと政治面や外交面で使われる謀略だからだ。相手に先に手を出させるように仕向け、自らの正統性を主張する。
 自分の迂闊さに、冬花は歯噛みする思いだった。
 やはり、休戦については貴通と共に強硬に反対しておくべきだったかと思う。弾薬の不足など、自分の爆裂術式で補えばいい。
 だが、今となっては後の祭りだ。

「……こっちの紙じゃなくて、向こうが持ち帰った紙にそういう仕掛けを施すかもしれないわよ。後付けの仕掛けだと、正式な呪術誓約に比べてだいぶ精度と効果が落ちるけど」

「まあ、その辺りの可能性も含めて、呪詛については警戒しておいてくれ」

 冬花を信頼してくれているのか、景紀は実にあっさりとした調子であった。自分の身に降りかかるかもしれない呪詛にあまり関心を向けていないような、そんな雰囲気である。
 だがそれも当然か、と冬花は思い直す。
 結局のところ、呪術師ではない景紀は呪詛などへの対応を冬花に一任せざるを得ない。そして、景紀は一軍を率いる将である。自分の身のことばかりを考えていられる立場でもない。
 むしろ、この休戦で得た時間をいかに有効に使うのか、そちらの方に意識が向いているはずだ。
 それは六家次期当主として正しい姿であろうし、そういう主君を持てて冬花としても誇らしくもある。
 だけれども、彼の乳兄妹きょうだいとして、幼馴染として、シキガミとして、どこか複雑な思いを抱いてしまうこともまた事実であった。
 普段は執務が面倒だ隠居するのだ何だと言っている癖に、こういう時はその立場に見合った責務を果たそうとする。
 心配するこっちの身にもなって欲しい。

「……ほんと、意地っ張りなんだから」

 景紀の背中に向けて、冬花は小さくそう呟くのだった。

  ◇◇◇

「結局、今日明日時間を稼いだところで、現状の弾薬備蓄状況ですと正月三が日までが限度です。それ以降は、よほど弾薬に気を付けて戦をしなければなりません」

 司令部作戦室で、貴通は帳簿片手にそう報告した。

「補給の手当はどうなっている?」

「第一、第二軍が遼陽・奉天方面に進撃する際、進軍が困難な野砲部隊をその場に残していったらしいので、その分の弾薬を確保すべく、有馬閣下が手を回して下さっているようです。当然、南嶺鎮台からの補給も港の方に届いています」

「港から前線に運ぶのだって手間がかかる。まったく、厄介な戦になったもんだ」

 景紀は戦況図を眺めながらそうぼやいた。
 実際、征斉派遣軍の兵站基地となっている大連、大東溝、安東の三港から前線までは、一〇〇キロ以上の道のりを越えなければ到達出来ない。大連から海城に敷設しようとしていた野戦軽便鉄道は現状では使用不能であり、安東―鳳凰城間の野戦軽便鉄道は海城への補給には使えない。
 海城への補給は、現状では大東溝―岫厳―栃木城―海城という千山山脈越えの経路しか残されていなかったのである。当然、この経路には鉄道など引かれていないから、すべては馬車と人力による輸送に頼ることになる(もっとも、鉄道輸送に関しても貨車への積み込み、積み下ろしなどの手間がかかる)。

「弾薬の消費を節約するため、今からでも対策を練りますか?」

「ああ、せっかく稼いだ時間だ。兵士たちはともかく、俺たち指揮官連中が無為に過ごすことは出来ないからな」

 景紀は机の上に置いてあった定規と鉛筆を手に取った。

「各砲に火制地域を定めて、その場所以外への射撃を禁止する。砲陣地同士の相互支援が難しくなるが、この際、やむを得ない」

「有効射程内にいる好目標も場合によっては見逃すことになりますが、それでも?」

「弾がなくなって銃剣と円匙シャベルで戦う羽目に陥るよりはマシだろう?」

「まあ、そうですね」

 溜息をつきたそうな調子で、貴通は同意した。もともと弾薬消費量の計算を行っていたのは彼女である。だからこそ、現状では景紀の示したような方針をとらない限り、長期的な陣地の保持は難しいと理解していたのだ。
 下手をすれば前衛陣地を放棄し、主陣地を放棄し、最後は海城都城内の建物一軒一軒を巡る市街戦に陥る可能性もある。
 ただし、明確に自分たちが追い詰められているとは、景紀も貴通も感じてない。
 第十四師団が反撃に転じれば、海城の三方を取り巻く敵軍の一部を突き崩すことが出来るだろう。あるいは、盤嶺方面に展開する第六師団に海城を取り囲む斉軍を背後から急襲、その後、第三軍全軍を挙げての反撃を開始し、遼河東岸地帯に斉軍を追い詰めて殲滅することも可能かもしれない。
 そうなれば、春季攻勢による直隷決戦をせずとも、敵野戦軍の殲滅という目標を達成することが出来るだろう。
 だが、最終的にそうなるとしても、その過程で海城守備隊が壊滅しては自分たちにとっては意味がない。

「取りあえず、一番敵の圧力が強い西側の火制地域の設定を……」

 景紀が地図に定規を当てようとして、ふとその手が止まった。

「どうかしましたか?」

 不意に動きを止めた兵学寮同期生を、貴通は怪訝そうな顔をして覗き込む。

「いや、何だか名前を呼ばれたような気がするんだが……?」

 景紀自身も訝しげに貴通や作戦室に詰める呪術通信兵たちを見るが、報告の声を上げている者はいなかった。

「ちょっと神経質になっているのかもな」

 連日続く戦闘と、消耗する一方の物資弾薬。
 あまり自覚していないだけで、精神的な重圧になっていたのかもしれない。景紀はそう納得して、鉛筆を取ろうと手を伸した。

「っ―――!?」

 不意に、体に痺れが走った。視界がぐにゃりと歪む。膝で自分の体を支えることが出来ない。
 拙い、と景紀は思った。

「景くん!?」

 咄嗟に、貴通が崩れ落ちようとするその体を支えた。

「すぐに、冬花を……」

 掠れる声でそう言うのが精一杯であった。貴通が軍医と冬花を呼んでくるよう司令部付きの兵士たちに命令を下す声を聞きながら、景紀の意識は完全に暗転した。
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