秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第七章 対斉戦役編

137 海からの援軍

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「こんなものは、まだ序の口です」

 夜、司令部の食堂に三部隊の指揮官が集合すると、柴田平九郎大佐が言った。少し険しい口調なのは、この勝利に景紀が奢らないよう、戒める意味も込められているのだろう。

「連中の兵力は底なしです。朝から晩まで突撃をかけられ続ければ、いずれ、支えきれなくなります」

 遼河を巡る戦い、その後の牛荘を巡る戦いで斉軍の人海戦術を直に体験している柴田の言葉は相応の重みを持っていた。

「ああ、だろうな」

 景紀は柴田の言葉に頷いた。

「いつの時代だって、小手先の戦術よりも大兵力それ自体の方が勝敗を決する要素になりやすい」

「とはいえ、缸瓦寨での勝利の影響が続いているのか、南翼方面からの攻撃は未だありませんからな。このまま、北と南を各個撃破出来れば十分に海城を守り切れます」

 そう言ったのは、島田少将であった。
 昼間、海城は北方と西方からの攻撃に晒されたが、唐王山陣地を中核とする南側陣地に敵の来襲はなかった。
 現状、敵南翼は海城だけでなく、蓋平、栃木城方面の皇国軍についても警戒しなければならない位置に存在している。海城攻略にばかり兵力を割いて、背後の蓋平や側面の栃木城から急襲されるような事態は、斉軍にとっても避けたいものだろう。
 それが、缸瓦寨での敗北も含めて、斉軍南翼の動きを慎重なものとしているのかもしれない。
 北側と南側がそれぞれ連携の取れていない攻撃を繰り返してくれるのならば、海城守備隊も敵を各個撃破出来る余地が生まれる。
 もっとも、景紀はそこまで楽観的になれなかったが。

「南翼は第十四師団を後退に追い込んだ連中だ。その行軍速度が慎重なものであっても、缸瓦寨の敗北だけですんなり海城攻撃を諦めてくれるとは思えない。引き続き、警戒は必要だろう」

「了解いたしました」

「とにかく、現在の作戦方針は維持する」景紀は宣言した。「徹底的に陣地に籠り、敵の出血を強要する。斉軍に対して兵力で劣る俺たちの取り得る最善の策はそれしかない。あえて陣地を捨てて敵に野戦を挑む必要はない。騎兵部隊指揮官である島田少将には物足りないだろうが」

「まあ、私は南洋群島の要塞守備隊に配属されていた経験がありますからな。そういう戦い方もあると理解していますよ。まあ、今はあの暑さが恋しいですが」

 少しばかりの諧謔を込めて、島田少将は唇の片端を持ち上げた。

「奇遇だな、俺もそうだ」景紀もにやりとして、その冗談に応じた。「内地に帰還したら南洋総督府への異動願いを出そうかとも思っている」

「まったく、この程度の寒さで根を上げるなど、関東の人間は軟弱ですな」

 どこか真面目くさった調子で、柴田大佐が会話に加わった。本気の呆れが八割で、残り二割が冗談といった声音であった。

「特に景紀殿の言葉を聞いたら、我らの姫様が呆れるのではないですかな?」

 あえて景紀を結城家次期当主として扱う柴田大佐の発言に、景紀は皮肉な笑みを返した。
 柴田大佐の中に景紀の能力に対する懸念や危惧は未だ残っているのだろうが、それでも冗談に付き合う程度の歩み寄りを示すのにやぶさかではないといったところか。
 なかなか気難しい男だな、と少し面白く景紀は思った。

「まあ、宵の呆れた顔も可愛いが」

 そんな惚気の混じった景紀の返しに、柴田大佐はわざとらしい白けた表情を浮かべた。

「んで、話を戻すが、こちらから打って出ることはしないが、適宜、逆襲を行う必要はあるだろう」

 防御とは、基本的にはある特定の地点ないしは地域を守る軍事行動である。そして、その軍事行動を完遂するためには、敵戦力の撃破が必須の要件となる。
 これは、攻撃も防御も変わりがない。
 そして防御における敵戦力の撃破とは、特定の地点・地域を守るために陣地に籠って戦う他に、逆襲という敵戦闘能力の破壊を目的とした攻撃行動も必要に応じて行うのが基本であった。

「その時機については俺が戦況を見て適宜判断する。不用意な逆襲は、逆にこちらの戦力の消耗を早めかねないからな。その旨、両指揮官は承知しておいてくれ」

「了解です」

「かしこまりました」

 取りあえず現状は前衛陣地を保持出来ている。だが斉軍の大兵力の前に、いずれ支えきれなくなる時が来るかもしれない。そうなれば主陣地に退くしかないが、その頃合いを見極めるのが難しいところだ。
 景紀は島田、柴田両旅団長と細かな意見の調整を行いながら、そんなことを考えていた。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 牛荘に置かれた陣内で、昼間の戦闘で許可なく後退した緑営指揮官数名の処刑が行われた。
 それらは他の緑営の指揮官・兵士たちの見ている前で行われている。
 ホロンブセンゲは自ら処刑を命じた漢人指揮官に対する同情を一切、覚えなかった。平時には私腹を肥やすために兵糧や物資を横領、横流しし、斉軍の弱体化をもたらした緑営指揮官たちに対する彼の印象は悪かった(ただし、一部の例外は存在する)。
 もちろん、八旗内にも地位を利用して私腹を肥やす者、あるいは逆に生活に困窮して自らの封土を借金の形にする者もいる。
 そうした腐敗、堕落した軍人たちが今の斉軍の弱体化をもたらしたのだと考えれば、ホロンブセンゲの中に同情心が一切湧かないのも当然であった。

ふう総兵よ、いったい、貴殿はどのような兵の訓練を行っていたのか」

 処刑が終わり、自らの元に北翼の軍勢を束ねる緑営総兵・馮玉崑をホロンブセンゲは呼び寄せて詰問した。

「はっ、自身の指導の至らなさを恥じるばかりであります」

 頭頂部がそり上げられた弁髪頭をホロンブセンゲに向けて、馮玉崑は恐懼したように答えた。先ほど、部下の指揮官の処刑を見せられたばかりである。彼の心にある種の怯えが存在するのも無理からぬことであった。

「私は皇帝陛下より、倭乱を完全に鎮定する命を負っている。貴殿もまたこの使命を負っていると肝に銘じ、兵を督戦せよ。退くことは断じてまかりならぬ」

「ははっ!」

 もはや平伏するような調子の馮玉崑を鋭い目で睨み付けた後、ホロンブセンゲは彼に退出を命じた。

「……ガハジャンよ、これは我が八旗軍を用いねばならぬかもしれぬな」

 側に控える副将に対して、ホロンブセンゲは苦々しげに告げた。
 ホロンブセンゲの直属軍たる蒙古八旗軍は、郡王たる彼の陪臣などで構成される部隊であり、ホロンブセンゲ自身の努力によって、弱体化した斉軍の中でも精鋭とも呼べる練度を誇っていた。
 しかし、これは虎の子の部隊である。
 海城は確かに戦略上の要衝ではあるが、倭軍を遼東半島に押し込めて包囲殲滅するという反攻作戦の全体から考えれば、前哨戦の一部でしかない。ここで消耗させてしまえば、その後の作戦行動に支障が出かねない。

「いま少し、様子を見るべきかと」ガハジャンはそう答えた。「今日の処刑の様子を見せたことで、馮玉崑総兵の率いる軍全体の引き締めが図れたと思います。むしろ我らの八旗軍は緑営の後詰めとして、許可のない後退をしようとする緑営に対する牽制とすべきかと愚考いたします」

「よかろう。そのように手配せよ」

「はっ」

「それと、宮廷術師たちの様子はどうだ?」

「残念ながら、すでに多くの者が疲弊しておるようです」

「まったく、紫禁城で自らの椅子を温めておるような連中だから、肝心な時にこうなる」

 ホロンブセンゲは苛立たしげに呟いた。
 宮廷術師たちは確かに、これまでにも反乱の首謀者を呪殺するなどしてその鎮圧を助けている。しかし、実際に従軍させてみると、その肉体的軟弱さが目立っていた。

「敵の術者は厄介で、こちらの術者は役に立たん者が多すぎる。兵糧は焼かれる、敵の指揮官に対する呪詛は失敗する、そして今日は瘴気の流し込みに失敗しただと? 妖術の使い手どもは肝心な時に役に立たん」

 所詮は、口で妖しげな呪文を唱えるしか能のない人間どもだ。
 その宮廷術師も、すでに三人が失われていた。内二人は敵の妖術師の爆裂術式を結界で防ぎきれずに、もう一人は倭軍の司令官に対する呪詛に失敗して呪詛返しを受けて死亡していた。

「とはいえ、彼らは陛下からお預かりした者たちです。あまり損耗させるわけにも……」

 ガハジャンが懸念を含んだ声でそう指摘した。

「勝利のためだ、ガハジャン。そのために利用出来るものは何でも利用する。それが、皇帝陛下のお側に控える妖しげなまじないの使い手であろうともな」

「ははっ」

「出来れば倭人の妖術師のように、あの大きな爆発を生み出す妖術を倭軍の陣地に撃ち込みたいものだ。いや、何とかして海城の倭軍を率いる敵将に呪詛を仕掛けられぬものか」

 呪術師たちを妖術の使い手と蔑視しながらも、ホロンブセンゲはなおもその軍事的利用方法を模索し続けていた。
 それが、この戦いを偉大なる大斉帝国の勝利に終わらせるために必要なことだと信じて。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 翌十二月二十三日になると、缸瓦寨の戦いで先鋒集団を壊滅させられた南翼・左芳慶提督の斉軍も海城総攻撃に加わることとなった。
 海城は、主に牛荘方面(西側)と営口・大石橋方面(南側)からの圧力に晒されることとなったのである。

「撃て撃て! 砲弾はどんどん送られてくるから出し惜しみするな!」

 唐王山陣地で、騎兵第一旅団の島田富造少将は軍刀を振り上げながら指揮を執っていた。
 内地を出撃するに当たり、騎兵第一旅団には第二師団から野砲兵第二連隊第一大隊が臨時で組み込まれている。装備するのは、十一年式七糎野砲八門である。
 これに旅団騎兵砲中隊および騎兵第十三、第十四連隊の二個騎砲兵中隊が加わり、唐王山陣地には七十五ミリ野砲八門、三十七ミリ騎兵砲十二門が配備されていた。
 それら二〇門の後装式旋条砲が、濛々たる黒色火薬の白煙を漂わせながら砲撃を続けていた。
 島田のいる唐王山の旅団野戦司令部も、いい加減、煙たくなってきている。
 未明から斉軍は砲兵陣地の構築に取りかかっていたようだが、島田はもちろん、それをただ見ているようなことはしなかった。
 砲の有効射程や砲弾の威力を考えれば、こちらの方が上なのである。
 多数の牛に曳かせて前進させようとしていた斉軍の砲兵(もっとも、実際の斉軍はそうした兵科は存在していなかったが)に対して、島田は容赦なく砲撃を浴びせたのである。
 しかし、緒戦で海城まで進撃した時に遭遇した斉兵と違い、今、唐王山陣地で対峙している斉兵は粘り強かった。
 砲撃によって牛が倒れれば人力によって重く巨大な青銅砲を運び、その兵士がまた砲撃で倒れれば即座に別の兵士が砲を運ぶ。まさしく人海戦術のなせる技であった。
 また、この時代の砲弾の威力も、斉軍の青銅砲部隊の前進を押し止められない要因となっていた。
 確かに皇国軍の後装式旋条砲は列強でも最新鋭の砲であり、砲弾も信管付きの榴弾・榴散弾を使用しているなど、斉軍の青銅砲と円弾よりも数世代は進んだ装備を保有している。しかし、この時代の砲弾の威力は、砲そのものを破壊出来るほどではなかったのである。
 せいぜいが砲架や砲車を破壊する程度で、砲そのものをねじ曲げるほどの破壊力はなかった。
 砲そのものを破壊出来るまでに砲弾の威力が向上するのは、まだ四〇年から五〇年は先の話であった。
 そうした技術的な限界もあり、斉軍は皇国軍の猛烈な砲撃に妨害されながらも、唐王山から約二〇〇〇メートルの地点に次々と青銅砲の台座を据え付けていった。

「こいつぁ、確かに厄介極まるな」

 戦国時代、数万の一揆勢と対峙した自分たちの先祖もこんな気持ちだったのだろうか?
 島田は自らの置かれた状況を、諧謔を込めてそう受け止めていた。





 多銃身砲に取り付いた兵士が把手を回すと、小気味よい音と共に連続して銃弾が発射されていく。
 それに合せるように、雪原を突破して皇国軍陣地に辿り着こうとした斉兵が血や脳漿、臓物を撒き散らしながら倒れていった。
 多銃身砲が据え付けられている銃座の両側では、歩兵たちが三十年式歩兵銃を操って銃撃を繰り返している。
 鉄条網の先で、蛮声を上げながら突撃してくる斉兵たちは雪を斑に染める染みとなっていく。

「くそっ、やはり切りがない」

 忌々しげに呟いたのは、東柳公屯方面から来襲する斉軍と対峙している柴田平九郎大佐であった。
 牛荘から重装備を遺棄することなく海城への後退を果たせたため、混成第二十八旅団は野砲八門、歩兵砲八門という数を維持している。それが救いといえば救いであったが、斉兵の数に押し負けたのが牛荘攻防戦である。
 楽観的な気分にはまったくなれなかった。
 牛荘から藍旗溝という長い防衛線を薄く広く守っていた時に比べれば歩兵の密度は上がっているが、海城もまた牛荘と同じく膨大な兵力による圧迫を受けていることには変わりない。
 どこまで持たせることが出来るか……。
 柴田は胸の内の一抹の不安を抱えながら、部下たちを叱咤していた。





 海城守備隊司令部では、四方八方から砲声が鳴り響いていた。

「弾薬消費量が凄まじいことになっています。補給が消費に追いついていませんよ」

「だが、陣地に侵入されるよりはマシだ」

 帳簿を睨んで険しい眼をしている貴通に、戦況を書き込んだ地図を眺めている景紀はそう応じた。

「今朝からの人的損害は戦死十二名、負傷四十一名です。戦死者のほとんどは、運悪く待避壕が円弾の直撃を受けての圧死です」

「塹壕に籠っていても、死ぬときは死ぬか」

 景紀は冷めた声でそう感想を漏らす。

「とはいえ、敵の出血量の方が遙かに多いはずなんですが」

「ったく、馬鹿げた戦いだ」

 吐き捨てるように、景紀は斉軍の戦いぶりを評した。
 ただ突っ込ませるだけの戦法など、どんな阿呆な指揮官でも出来る。戦力の逐次投入も戦術の原則に反している。それを未だ繰り返し続けている斉軍の指揮官に、彼はかすかな苛立ちを覚えていた。
 将家の人間として育った景紀は、戦争で人が死ぬことは当然と考えている。だが、無駄に人を失うことは戦場で指揮を執る人間の怠慢だと思うのだ。
 ある意味で彼の意地っ張りな部分から出てきた美意識ではあるのだが、だからこそその美意識に反する作戦行動をとり続ける敵軍の指揮官に対して我慢ならない思いを抱いている。
 もっとも、だからといって雪原を赤く染めていく斉兵に対する哀れみはほとんど抱いていないのだが。
 むしろ、味方の被害を局限しつつ敵に出血を強要出来ていることに対して、かすかな満足感すら覚えていた。
 瘴気作戦など呪術を効果的に用いて第十四師団を窮地に追い込んだ斉軍将軍も、冬花によって頼みの綱の呪術が封じられればこの程度か。

「弾薬の補給が追いつかなくなるのが先か、斉軍が兵力を消耗し尽くすのが先か……」

 とはいえ、どれほど斉軍の戦法が稚拙であっても、膨大な兵力でこちらを押し潰そうとする戦法そのものは厄介であった。

「そこは、難しいところです」景紀の呟きに、貴通が応じた。「現状、斉軍の総兵力が判然としていません。当初の十万という想定は越えているでしょうが、では二十万なのか三十万なのか、捕虜を尋問しても確たる数字は出てきていません」

「それに、今のところ敵を大出血させているとはいえ、このままだとこちらの将兵の士気も低下する」

 この時代は未だ一大会戦によって戦争に決着がつくとの思想が根強く、ただ陣地を守り続けているだけというのは、将兵にとって慣れない戦いを強いることにもなっていた。
 もちろん、景紀が創設に携わった独混第一旅団についても、歩・騎・砲・龍兵の機動的な運用を目指した部隊であり、要塞守備隊のような役割はあまり想定していない。島田少将の騎兵第一旅団や、柴田大佐の混成第二十八旅団であれば、なおさらであった。
 どこかで士気を維持するためにも、指揮官先頭による逆襲を敢行する必要性があるだろう。
 ただ、無理に逆襲を試みて旅団長戦死という事態を招いた混成第二十八旅団の久慈少将の事例もある。
 逆襲の時機の見極めは、難しいところであった。
 と、その時、呪術通信兵の明るい声が室内に響き渡った。

「旅団長閣下、海軍の呪術通信を傍受しました。遼河河口に、海軍の砲艦部隊が到着した模様です! 現在、営口・田庄台への艦砲射撃を実施中とのこと!」

「そいつは重畳。すぐに麾下全部隊に通達しろ」

「はっ!」

 再び通信盤に向かい合う呪術兵の背中を見つめた後、景紀と貴通は互いに顔を見合わせ合った。

「遼河の結氷前に、何とか間に合ったようですね」

「ああ、これで少なくとも南側の圧力は弱まるはずだ」

 二人揃って、どこか安堵の混じった溜息を漏らす。
 海軍の河川砲艦部隊が到着したということは、遼河の制「河」権を確保出来ると言うことである。これにより、遼河東岸に展開する斉軍は西岸からの増援・補給を受けることが困難となるだろう。
 もちろん、遼河上流方面からの補給は可能であろうが、少なくとも田庄台や営口方面の斉軍南翼部隊は、皇国海軍砲艦部隊による砲撃に晒されることになる。
 海城守備隊にかかる負担は、その分だけ低減されるはずであった。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 遼河河口の西岸に位置する街・営口と田庄台は黒煙に包まれていた。
 河口の沖合からは、殷々とした砲声が響き続けている。

「だんちゃーく!」

「次発装填急げ!」

 見張り員が弾着を告げる声、掌砲長の部下を叱咤する声が艦内に響き渡っている。
 皇国海軍が遼河へと派遣した艦隊は、舷側を陸地に向けながら次々と砲弾を放っていた。
 皇暦八三五年十二月二十三日、風浪の激しい冬の渤海を突破して遼河河口に辿り着いた艦艇は、次の通りであった。

第一遣斉艦隊
【巡洋艦】〈奥入瀬〉〈皆瀬〉【砲艦】〈順動〉〈健順〉〈肇敏〉〈観光〉

 二隻の巡洋艦は、皇国海軍の中でも植民地警備や商船保護などを目的として建造された、軽装甲帯巡洋艦に分類される艦種であった。なお、皇国海軍ではこの軽装甲帯巡洋艦を二等巡洋艦、乙巡洋艦などと呼び、重装甲帯巡洋艦を一等巡洋艦、甲巡洋艦などと呼んで等級分けをしている。この他、装甲が一切施されていない非防護巡洋艦は三等巡洋艦、丙巡洋艦とされていた。
 装甲帯巡洋艦は、大型艦艇である戦列艦に装甲を施した艦、つまりは装甲艦(戦艦の嚆矢的存在)の小型版ともいえる存在であった。大型艦艇である装甲艦が砲列甲板を二層以上有しているのに対して、巡洋艦は砲列甲板を一層しか有さず、代わりに速力などを重視した艦種であった。
 その中でも軽装甲帯巡洋艦は、弾薬庫や機関部といった艦の重要箇所にのみ装甲を施した巡洋艦のことをいう。
 装甲帯巡洋艦は装甲艦と共に、ここ十年ほどの間に登場した比較的新しい艦種であった。
 それ以前は純粋な木造帆船、ないしは木造機帆船の戦列艦、巡洋艦、海防艦が海軍艦艇の中心であり、もちろんどの艦種にも装甲など施されていなかった。「非防護巡洋艦」という呼称が皇国海軍で使用されるようになったのも、装甲帯巡洋艦という新たな艦種と区別する必要性が生じたからであった。
 このような装甲を施した艦種の登場によって、列強の海軍は競って鋼鉄艦を建造するようになった。そのため純木造帆船・純木造機帆船の艦艇は一挙に旧式化してしまい、皇国海軍ではこれら艦艇は今では二線級の戦力として扱われている(旧式化しても退役させないのは、海軍力が一挙に低下してしまうのを防ぐため)。
 一方、四隻の砲艦は、河川の多い氷州の警備、南洋特殊権益を持つ東南アジアの居留民保護などを目的として建造された艦艇であった。
 遼河が冬に結氷する河川であることから、この四隻は氷州向けに設計・建造された型式の砲艦であった。
 巡洋艦奥入瀬と皆瀬は同型艦で、主砲として二〇センチ前装式旋条砲八門、副砲として十二・七センチ前装式旋条砲四門、さらに敵艦の移乗攻撃に備えて斉発砲四門を搭載していた。
 砲艦順動、健順、肇敏ちょうびん、観光の四隻もまた同型艦であり、武装は十二・七センチ砲三門、斉発砲二門であった。
 これらの砲が、斉軍に対して一斉に火を噴いていた。
 喫水の関係で遼河を遡上出来ない二隻の巡洋艦は沖合から営口の斉軍に対する艦砲射撃を繰り返し、四隻の砲艦は遼河を遡上しながら田庄台に対する砲撃を行っている。
 突然現れた皇国海軍の艦艇に対して、斉軍兵士の反応は様々であった。
 河岸で抬槍を構える者、砲撃の中を逃げ惑う者、沙船で皇国海軍の艦艇に何とか斬り込もうとする者、それら勇敢な者と怯懦な者が混在していた。
 しかし、排水量三〇〇トン程度の機帆船である砲艦であっても、沙船に乗る斉軍の兵士にとっては見上げるような巨艦であった。
 さらに皇国海軍の将兵は敵艦による移乗攻撃に備えるための訓練を受けている。艦に近付こうとする者はまず斉発砲による銃弾の嵐を浴び、それを突破した少数者は舷側で小銃を構える水兵たちによって次々に撃ち倒されていった。結局、斉兵は誰一人として六隻の艦艇に辿り着くことはなかった。
 地上からの反撃を完全に排除した第一遣斉艦隊の六隻は、斉軍に対して徹底的な艦砲射撃を浴びせた。四隻の砲艦の主砲ですら皇国陸軍の野砲の口径を凌駕しており、その破壊力は絶大であった。
 この艦砲射撃によって、斉軍南翼を担う左芳慶軍は大混乱に陥ってしまった。
 そして、この混乱に乗じて戦力の再編に成功した蓋平の第十四師団は、反撃に転じることを決意していた。奪還されてしまった遼河東岸地帯の再占領および海城救出のための行動を開始することとしたのである。
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