秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第七章 対斉戦役編

135 指揮権掌握

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「またしても倭人の妖術師か!」

 雪が溶けて焦げ臭い地面を露出させている空間を睨みつつ、ホロンブセンゲは叫んだ。

「しかし、今回は一発が撃ち込まれただけでしたので、焼失した物資の量はそれほどではありません」

 副将のガハジャンが、どこか宥めるような口調になりながら報告する。

「それにしても倭人の妖術師どもの忌々しいことよ」ホロンブセンゲはなおも苛立たしげだった。「戦に余計な茶々を入れてくる。純粋な戦闘以外で失われたものが多すぎるぞ」

「徐々に逃亡兵も目立ち始めているようです。倭軍の殲滅にあまり時間はかけられません」

「まったく、我が軍の兵どもも情けないことだ。これがかつて大陸を制した大ハーンの軍勢のなれの果てか」

 過去の栄光を偲ぶように、この騎馬民族出身の将軍は呟いた。
 もちろん、ホロンブセンゲは逃亡兵への対応を行っていないわけではない。脱走しようとして捕らえられた兵士は、容赦なく首を刎ねて晒すことにしている。
 また、ホロンブセンゲに戦意に欠ける、あるいは怯懦だと見なされた指揮官や兵士たちも、次々に処断されていた。懲罰として突撃の先頭に立たされたり、あるいは逃亡兵と同じく見せしめに首を刎ねられる者もいた。
 ホロンブセンゲは勇将であるが故に、自軍にそうした弱兵が存在することが許せないのだ。
 そうした苛烈な統率方法も、この将軍が二十五万の軍勢をまとめられている理由でもあった。

「それにしても、倭人どもはあっさりと牛荘を放棄したな」

 気分を切り替えるように、ホロンブセンゲは言った。
 十二月十九日朝、斥候部隊を牛荘方面に出したところ、倭軍が昨夜の内に撤退していたことを周辺に住む村民から知らされた。そのため斉軍は、牛荘に無血入城することが出来たのである。
 牛荘を奪還したことで、ホロンブセンゲ軍主力は遼河平原南部の要衝たる海城に徐々に迫りつつあった。

「牛荘を奪還したことで、遼河の水運網が使えるようになりました。これは、我が軍にとって朗報といえましょう」

「そうだな。直ちに盛京将軍のところに元に早馬を出して、満洲の米穀を我が軍に融通して貰うよう要請しろ」

「はっ、そのように」

 倭人の妖術師による爆裂術式でかなりの量の兵糧を失ってしまったホロンブセンゲ軍であったが、牛荘の奪還はその兵糧不足を解決する糸口となり得た。
 満洲最大の港である牛荘を奪還したことで遼河の水運網を斉軍が使えるようになり、倭人による水運網の封鎖によって華北に輸送出来なかった米穀をホロンブセンゲらが手に入れることが出来るようになったからだ。
 華北の人口を養えるだけの満洲の米穀があれば、ホロンブセンゲの軍が兵糧に困ることはない。

「あとは、海城を攻め落とし、倭軍を遼東半島に押し込めて殲滅するだけだな」

 少なくとも、牛荘の奪還によってホロンブセンゲ軍の兵站状況が改善される見込みが立った。十分な食糧を与えられないことのよる兵の不満、それに伴う逃亡兵の発生を、ある程度、抑制することが出来るだろう。
 また、騎馬民族出身のホロンブセンゲからしてみれば、兵糧の状況が改善されたことによって騎兵部隊が活発な活動を行えるようになったことも大きいと考えている。
 馬は人間の十倍は喰う。そのための馬糧の用意も、騎兵部隊が十全に活躍するためには必要なことであったのだ。
 ここまでは遼河という大河を渡らなければならない関係上、騎馬部隊が大規模に活動する余地がなく、そこに兵糧が焼き払われたことも手伝って、ホロンブセンゲは八旗軍の中核たる騎兵を十分に活用することが出来ていなかった。
 遼河を渡り切り、満洲の米穀を軍が手に入れることが出来れば、騎兵部隊によって倭軍を蹂躙することが出来るであろう。
 騎兵こそ、戦場の華である。
 かつて我々の先祖は、この馬を駆って大陸を制したのだ。
 騎馬民族出身であるが故に、ホロンブセンゲのその信念は固かった。

「ガハジャン。我々は、遼陽・鞍山方面の呉鉄生軍、南翼の左芳慶軍と合せて、南北と西側の三方向から海城を攻め落とす。全軍に、そのように通達せよ」

 自らの祖先が残した勇名に思いを馳せつつ、大斉帝国の将軍はそう命じたのだった。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 海城郊外の四合院造りの邸宅に集合した指揮官たちの顔付きは、剣呑そのものであった。
 独混第一旅団の景紀、騎兵第一旅団の島田富造、混成第二十八旅団の柴田平九郎。三人とも、昨夜から睡眠をまったく取らずに部隊の指揮に奔走していたのだ。寝不足故に、そういう顔にもなる。

「海城を防衛する上での問題は、沙河を挟んだ南北で防衛線が分断されてしまうことだ」

 邸宅の談話室で、景紀はそう言った。
 この場の最先任者は島田少将であったが、彼は結城家臣団の出身であった。結果として、彼の主家に対する遠慮もあり、景紀が指揮官同士の会合を取り仕切る役目となった。

「大石橋方面の占領地を放棄した現在、海城は栃木城へと至る街道からの補給に頼らざるを得ない状況だ。だからこそ、沙河の南岸を放棄することは出来ない」

 海城は、沙河北岸に築かれた都城である。
 純粋に考えれば、南側は沙河という天然の障害物を用いた防衛線を構築することが出来るのであるが、海城―栃木城間の街道が海城周辺に展開する部隊への補給路となっている以上、沙河の南側にも部隊を配置しておく必要があった。
 しかしそうなると、沙河の北岸と南岸で部隊が分断されてしまうことになる。
 現在、沙河の南側は海城―大石橋間の街道を扼する位置に存在する唐王山という高地を中心に防衛線を構築している。
 この唐王山は、南に龍台舗という村落が存在し、そこは海城―営口間の街道と海城―蓋平間の街道が合流する地点でもあった。
 このため、海城北側の歓喜山・隻龍山両高地を中心とする陣地を独混第一旅団が担当し、海城西側の徐家園子から沙河を越えて唐王山に至る線を混成第二十八旅団が、そして海城南側の唐王山を中心とする陣地を騎兵第一旅団が担当していた。

「それよりも大きな問題は、指揮系統では?」

 柴田大佐は、少し鋭くなった口調で指摘した。途端、景紀と島田の顔が渋くなる。
 指揮系統の問題は、二人があえて避けていた話題だったからだ。島田は景紀より先任であるが、景紀は島田の主君である。この両者のねじれた関係が、部隊の全体的な指揮を誰が担うのかという問題を曖昧にしていた。
 第三軍司令部からも、この点について明確な指令はなかった。恐らく、児島中将としても軍の統制という問題と、有馬家の一家臣が結城家内部の事情に介入して良いのかという疑問との間で、板挟みになっているのだろう。
 しかし、結城家という組織と関係のない部外者である柴田にとってみれば、この問題が曖昧にされたままでは海城防衛戦の指揮に混乱を生じかねないと考えていた。
 もし景紀と島田が相矛盾する命令を柴田に下した場合、どちらを優先すればいいのかという問題が発生するからだ。

「海城周辺の陣地を整えたのは結城少将だ。先任であるという理由で私が指揮を執っても、その陣地を上手く活用出来る自信はない。それに、私は騎兵部隊の指揮官なのでね」

 婉曲的に、島田少将は景紀に指揮を執らせようとする。口にした理由以外にも、そこには家臣としての遠慮があるのだろう。

「しかし、結城閣下はまだ旅団を指揮して日が浅い。その上、海城に集結した我ら三個旅団の指揮を執るとなれば、いささか荷が勝ちすぎているように思えるが?」

 一方の柴田大佐は、ほとんど景紀を無視するように言った。彼としては、実戦経験の不足も甚だしい六家次期当主よりも、島田少将が海城防衛戦の指揮を執るべきだと考えているのだろう。

「貴官も遼東半島に上陸してから海城を占領するまでの間、独混第一旅団の働きぶりは見ていたはずだと思うが?」

 今、海城に展開する三部隊は、奇しくも緒戦にて遼東半島から海城まで進撃するまでの間、共に轡を並べていた部隊であった。だからこそ、景紀の指揮官としての能力に対する懸念は当たらないと、島田は言いたいのだろう。

「まあ、色々と問題はある。ひとまず、意見の摺り合わせだけは行っておくべきだろう」

 そう言って、島田は景紀を見た。指揮権のことは、再び棚上げにするつもりらしかった。

「牛荘を放棄した影響は、数日中に現れてくるだろう」

 やむを得ず、景紀は別の話題に転換した。

「これで斉軍は遼河の水運網を使えるようになった。俺たちが牛荘を占領して華北に売ることが出来なかった所為で、満洲には米穀が余っていることだろう。これを斉軍が手に入れれば、かなりの長期行動が可能となるはずだ」

 何とか斉軍の水運網に打撃を与えられないものかと、景紀は考える。
 一つだけ、方法がないこともない。冬花に翼龍を駆らせて、遼河沿いの河川港に片っ端から爆裂術式を撃ち込ませるのだ。
 だが、実際には無理だろう。
 海城の防衛には、冬花にも参加してもらわなければならない。敵がまた瘴気作戦を使ってきた時、対応出来る高位術者は彼女くらいしかいないからだ。
 龍兵が冬でも安定的に使えたならば、もう少し手はあったのだろうが……。いや、軍にもっと高位術者が所属していれば……。
 景紀の思考が益体もない方向へと進みかけた時、部屋の扉が叩かれた。

「失礼いたします」

 現れたのは、独混第一旅団司令部付きの呪術兵であった。その顔にどこか安堵の色を見て、三人の指揮官は何かしらの朗報だろうと直感した。
 そして、実際にその兵士が報告した内容は、朗報というべきものだった。

「岫厳より通信が入り、有馬閣下が目を覚まされたとのことです」

  ◇◇◇

「こんな時に、数日も眠りこけているとはな……」

 まだどこか憔悴の残る声で、有馬貞朋は言った。
 今の彼は、寝台の上で上半身を起こすのがやっとという程度であった。

「しかし、随分と占領地を失ったものだな……」

 第三軍は、千山山脈北側の遼河平原の占領地を、ほとんど失ったようなものであった。今は辛うじて、海城を確保しているに過ぎない。

「小官の采配が至らず、申し訳ございません」参謀長の児島誠太郎は、平伏するような調子で頭を下げた。「処分は、如何様にでも」

「いや、お前はよくやってくれた。むしろ、私の不在中によく難しい決断を下せたものだと思う」

 児島の行った大胆な後退行動について、貞朋は責任を問うつもりはなかった。

「景紀殿も、領軍の統制によく務めてくれた」

「はい。恐らく、私一人では第十四師団を統制することは不可能だったでしょう」

 そうなれば第三軍の指揮は混乱し、秩序立った後退は出来ず、ただ敗走するように遼東半島に逃げ込んでいたことだろう。
 結果として、児島の決断と景紀の統率力が、第三軍を崩壊から救ったと言って良い。

「まったく、私が倒れた途端、軍の統制が揺らぐとはな……」

 貞朋は軽く自嘲の笑みを浮かべた。基本的に部下の持ってきた書類に花押を記すだけの自分ではあったが、それでも六家当主という肩書きは軍を統制するためには必要不可欠であるらしい。
 難儀なことであるな、と父親が中央集権構想を抱いている理由の一端を改めて思い知った気がした。

「現状、第三軍の統制に問題はあるのか?」

「概ね統制は取れておりますが、海城防衛については一点だけ」

「何だ?」

「海城の防衛の指揮を誰に執らせるべきか、結城家の内部事情にも関わることでありますし、有馬家の一家臣でしかない私には判断しかねるところでして」

 万能型の家臣である児島誠太郎でも、立場からくるこうした問題への対処は難しいようであった。
 これもまた六家という肩書きがあるが故のことだな、と貞朋は微かに唇を歪めた。

「現地の騎兵第一旅団長からは、『海城防衛戦ノ指揮ハ独混第一旅団長ニ委ネラレ度』との意見具申も入っております」

「児島、お前から見て景紀殿は一万を越える軍勢の指揮に堪えられると思うか?」

 島田旅団長からの通信が、景紀の指揮官としての実力を認めてのものなのか、それとも家臣としての遠慮から来たものなのか、貞朋には判断のしようがなかった。

「可能でしょう」

 主君の下問に対して、児島は断言した。

「遼東半島上陸以来の戦果、そして昨夜の見事な後退行動の統制。それに、あの少年は景忠公不在の領地を問題なく治め、陽鮮では倭館の人員を一人も損なうことなく脱出させているのですから」

「良かろう。では、私の名で通信を出せ。『独混第一旅団長ハ海城防衛ノ指揮ヲ執レ』とな」

  ◇◇◇

「本職、騎兵第一旅団及混成第二十八旅団ヲ統率ス」

 その通信を岫厳城に送らせてから、景紀は改めて島田少将と柴田大佐の顔を見た。
 島田少将はどこか不敵な笑みを浮かべている。結城家の騎馬軍団を率いる者として、主君がどのような采配を振るうのかを楽しみにしているような、そんな表情であった。
 一方の柴田大佐は、景紀のことを値踏みするような、どこか疑わしげな表情を浮かべていた。
 自分の実戦経験はどれほど不足しているのだろうな、と景紀は思う。匪賊討伐、新南嶺島での牢人反乱の鎮圧、陽鮮での倭館防衛戦、遼東半島大連から海城への進撃、そして昨夜の夜間後退。
 少なくとも、六家の人間の中では実戦経験豊富な部類に入るだろう。
 一方、島田富造少将は広南出兵の経験者。近代化された西洋の軍と実際に戦闘を交えた経験を持っている。しかし、ここ二十年ほどの皇国の海外派兵が広南出兵程度であることを考えれば、実戦経験そのものの数では自分と島田少将で大差はない。
 問題は、自分が部隊運用の経験の少ない、六家次期当主というだけで少将になった人間であるということか。
 島田少将も、六家家臣団出身ということで、景紀ほどではないが若くして将官になった人間である。しかし、小隊長、中隊長、大隊長、連隊長などを経験し、その間に幕僚職や兵站担当者といった経験も積んでいる。
 一方で、景紀にはそうした経験がほとんどない。それなのに、少将になってしまった。もっとも、それを言ったら第二軍司令官の一色公直も同じだろうが。
 これが封建制を残したまま軍を近代化した皇国の歪みの一端か。そしてその一端を担うのは他ならぬ自分自身。景紀は内心で自嘲した。
 まあ、経験不足は父上に代わって領国を統治していた時と同じか。
 景紀の心に気負いはなく、ただ自然な納得だけがあった。

「それでは今より、小官が海城防衛の指揮を執る」

 景紀は二人の旅団長を前にして、そう宣言した。島田と柴田が椅子から立ち上がり、この六家次期当主の少年に敬礼する。
 景紀も鷹揚に椅子から立ち上がり、答礼した。

「さて、まずは柴田大佐に兵を貸してもらいたい。唐王山に至る南側の陣地を強化する。農家出身の兵を出来るだけ集めろ」

 流石に領国統治を経験していただけに、景紀の声には年長の部下に対する遠慮はなかった。ただし、過度に威圧的でもない。
 ごく自然な、少将の態度であった。

「うちの部隊から馬と馬鋤を融通する。それで地面を掘り返させろ」

 蓋平―海城間の街道は第三防衛線として、第三軍の各部隊や軍夫を動員してすでに整えられていたが、現在、その防衛線は放棄されている。そのため、唐王山周辺にすでに築かれている陣地を、海城防衛に適するような形に造り替える必要があった。
 冬の大地を掘り返すのだ。そこは、厳しい冬に慣れた嶺州の農家出身の兵士たちに頼るのが適任だと景紀は考えていた。

「それと、海城北側の陣地を構築したうちの工兵も付けてやる。野戦築城の監督は、そいつらに任せろ」

「了解であります」

 流石に理に適った命令であるため、柴田大佐は素直に頷いた。

「島田少将。貴官には南側の偵察を頼みたい。斉軍がどこまで進出しているのかを知りたいからな。南側陣地を強化する前に敵がやって来そうであれば、騎兵部隊を用いた機動防御で時間を稼ぐ」

「はっ、お任せ下さい」

 にやりと不敵に笑って、島田は敬礼した。

「質問事項はあるか?」

 景紀は二人の顔を相互に見た。

「ない? ならばよろしい。なぁに、最初にここへ来た時と同じだ。さあ、もう一度俺たちの戦争を始めるぞ」
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