秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第六章 極東動乱編

120 陽鮮半島の決戦

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 遼東半島・花園口に上陸した第三軍主力である第六師団であったが、花園口は見た目ほど上陸に適した場所ではなかった。潮の流れが速く、船から降ろした物資を艀で海岸まで送ることが困難だったのである。
 結果、九月二十四日から揚陸作業を始めたにも関わらず、兵員・物資の揚陸は遅々として進まず、最終的には花園口から西へ三〇キロほどある貔子窩かしかという場所を占領して、そこに揚陸地点を移す必要があった。第六師団の兵員・物資の揚陸が少なくとも斉軍との本格的な交戦に耐えられる程度に完了したのは、十月一日になってからのことであった。
 第三軍司令官・有馬貞朋大将は第六師団に対してただちに東進を命令、斉―陽鮮間の国境となっている鴨緑江を目指して進撃を開始した。
 十月十二日、斉軍の抵抗を排しつつ進撃していた第六師団は鴨緑江斉国側に設けられていた虎山砲台を攻略、翌十三日には国境沿いの街・九連城を占領した。この時、虎山砲台の戦いで敗北した斉軍は北西の鳳凰城に退却しており、虎山砲台の戦いで第六師団は戦死者を出しつつも、九連城は無血占領することに成功している。
 そして翌十四日、斉軍に側面を突かれることを懸念した貞朋は一部の部隊を差し向けて鳳凰城を占領。斉軍は鳳凰城に火を放ってさらに北方へと撤退した。
 九連城、鳳凰城という二つの戦いに勝利したことにより第三軍は鴨緑江斉国側地域・安東県の占領に成功し、有馬貞朋は十四日、この地域に民政庁を設置して占領地行政(軍政)を始めることとなった。
 あくまで仁宗国王の要請に従って軍を派遣したという形を取っている陽鮮と違い、斉国は敵国であるために皇国はその占領地行政を行わなければならないのである。
 貞朋は民政庁長官に高山島総督府での実務経験もある家老級の家臣を据え、この地域一帯の占領地行政を任せることとした。
 そして斉国の役人が逃げ去ってもぬけの殻となってしまった安東県庁舎を民政庁舎兼第三軍司令部として用いながら占領地行政を開始した翌十五日朝、貞朋の下に一本の呪術通信が届けられた。

「第二軍司令部から兵部省宛での通信を傍受いたしました。第二軍は本日未明より、平寧総攻撃を開始した模様であります」

「そうか、報告ご苦労」

 貞朋は、短くそう応じた。
 ここまでは、軍監本部の作戦計画通りに進んでいる。半島を北上する第二軍と、遼東半島に上陸して半島の斉軍の退路を断つ第三軍とで、陽鮮国内の斉軍を包囲殲滅するという作戦計画。
 斉軍捕虜からの情報によると、遼東半島や安東県を含む盛京省の軍の大半が陽鮮半島に振り向けられたらしく、ここで斉軍を包囲殲滅出来れば来春に予定されている直隷決戦において皇国軍が側面(盛京省首府・盛京)から攻撃される危険性が少なくなる。
 その意味でも、平寧に拠る斉軍の撃滅は重要な戦略目標であった。また、斉を宗属関係における宗主国であると信じる多くの陽鮮人にとっても、斉軍の敗退はそうした旧来的な華夷思想を転換させる大きな政治的契機となるだろう。
 つまり、この一連の戦いは戦術的要素だけでなく、将来の東アジア情勢も含めた戦略的・政治的な要素が多分に含まれる戦いであるのだ。
 父・頼朋の影響もあって現実的な政治感覚の持主である貞朋は、攘夷派の一色公直をそれほど好いているわけではないが、それでも今後の東アジア情勢を皇国にとって有利なものとするためにも、第二軍の勝利を願っていた。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 皇暦八三五年十月十五日、皇国陸軍第二軍主力による平寧総攻撃は夜明けと共に開始された。
 この平寧会戦における秋斉両軍の兵力は、次のような編制となっていた。

秋津皇国側  司令官:一色公直大将(第三軍司令官)
 第三師団  師団長:長谷部義敏中将
 第四師団  師団長:大友尚武中将
 混成第九旅団  旅団長:大森昌康少将

大斉帝国側  提督:宋鳳林
 盛軍  総兵:劉玉錦(約四〇〇〇名)
 靖軍  総兵:左玉貴(約六〇〇〇名)
 寿軍  総兵:馬光道(約四五〇〇名)
 乾軍  総兵:何桂山(約三五〇〇名)
  ※提督とは、斉における緑営総司令官の呼称。総兵とは、緑営指揮官の呼称。

 第二軍主力である三個部隊の兵力は合計で四万五〇〇〇であったが、ここから輜重部隊や衛生部隊など後方支援部隊約八〇〇〇名を除くと、実際の兵力は三万七〇〇〇程度であった。対する斉軍は、第二軍が得た情報から予測された二万五〇〇〇よりも少なく、実際には一万八〇〇〇であった。
 帯城―平寧間約三〇〇キロを踏破した皇国陸軍第二軍は、一色公直が危惧したほどの士気の低下は起こっておらず、むしろ成歓会戦や遼東半島方面などでの勝利の報を聞いていたこともあり、斉軍との決戦を前にして士気は一定程度には高まっていた。
 一方の斉軍であったが、陽鮮派遣軍の総司令官に当たる宋鳳林提督は豊島沖海戦や成歓会戦の敗北の影響もあって戦意に乏しく、一時は平寧を放棄して本国に帰還することまで主張していた。彼は、李欽政権をそれを支援していた斉自らが崩壊させてしまった以上、これ以上の陽鮮出兵に意義を見出せていなかったようである。
 彼の唱えていた斉軍の本国帰還は、副将格である左玉貴総兵の猛反対もあって実現しなかったが、上層部における意見の不統一が目立つ状況であった。
 両軍はこうした状況下で、戦闘に突入したのである。







 皇暦八三五年十月十五日未明、皇国軍側の攻撃はまず軍直轄龍兵約一五〇騎による空襲から開始され、特に城壁上の斉軍兵士が集中的に狙われた。
 翼龍による爆撃が終わると、未明の内に構築した砲陣地からの砲撃が平寧城壁に対して加えられた。この時、陽鮮の交通網の問題から第二軍は軍直轄の重砲を輸送出来ておらず、歩兵砲や山砲といった野砲で城壁上の敵や砲台を減殺しようとしたのである。
 だが、平寧城に拠る斉軍もまた反撃を行った。
 この時、平寧城には旧式の地面固定式青銅砲の他、火龍槍(火車)などが配備されており、皇国軍の砲陣地を破壊しようと応射を開始したのである。丸い石弾を撃ち出す旧式青銅砲は、射程や威力の問題から第二軍の野砲部隊に十分な打撃を与えることは出来なかったが、逆に火龍槍は思わぬ戦果を挙げることに成功している。
 大同江左岸に展開して平寧城大同門の突破を目指していた混成第九旅団の砲陣地に火龍槍から放たれた原始的な焼夷性ロケット弾が着弾、弾薬を誘爆させて大爆発を発生させたのである。
 元々、この当時のロケット弾は命中精度が非常に悪く、着弾位置が分散してしまうことが欠点であったのだが、逆にこれが皇国軍の砲陣地に広範囲にわたる火災を発生させ、弾薬の誘爆という事態を引き起こす結果となったのである。
 一時期、アルビオン連合王国陸軍なども「コンクリーヴ・ロケット」という原始的なロケット砲を装備していた時期があったが、やはりこうした命中精度の問題から、この当時の砲兵においてロケット砲は一般的な兵器ではなかった。その一般的ではない、むしろ連合王国のロケット砲よりも遙かに旧式な設計の火龍槍が混成第九旅団に大打撃を与えたのは、何とも皮肉な話であった。
 こうした損害にも関わらず、主家の名誉のために大森旅団長は攻撃を続行することを命じた。
 大同江左岸には斉軍の堡塁が築かれ、対岸の平寧城と橋で繋がっていた。
 その堡塁と橋を奪取すべく、大森旅団長は麾下歩兵部隊に前進を命じたのである。
 長城里と呼ばれる大同江左岸堡塁は皇国軍の予想に反して堅固であり、特に攻撃側である混成第九旅団側の地形に一切の遮蔽物がなかったことから、大森少将の部隊には死傷者が続出した。斉軍が装備しているのが旧態依然たる火縄銃といえど、弾丸が命中すれば人体を破壊してしまうのは、皇国軍の装備する小銃と変わりはない。
 堡塁に取り付いた兵士たちも、胸壁が高くまた斜面が急なため登れず、一向に長城里堡塁を奪取することは叶わなかった。
 〇八〇〇時過ぎ、大森旅団も含めた平寧包囲部隊の砲弾は尽きつつあった。
 これは、交通網の問題から十分に砲弾が輸送出来なかったことが原因であった。
 第九旅団による長城里攻撃は、一〇〇〇時頃には完全に膠着状態に陥ってしまった。
 第二軍司令官・一色公直は、成歓会戦や遼東半島での一連の戦闘で示された斉軍の弱体ぶりから平寧の陥落は時間の問題だと考えていた。総攻撃前日には、伊丹家領軍である第四師団師団長・大友尚武中将に対して「平寧ニ於テ貴閣下ト握手シテ皇主陛下ノ万歳ヲ祝センコトヲ期ス」と楽観的な言葉を述べていたが、実際には総攻撃を行う皇国軍側はいくつもの蹉跌を踏んでいた。
 その一色公直大将が直率する第三師団(一色家領軍)は平寧北方より攻撃を開始し、平寧外郭堡塁の中で最も堅固と見られていた牡丹台を〇八〇〇時過ぎに占領することに成功している。第三師団はさらにその先にある内郭陣地・乙密台の攻略を目指し、この斉軍陣地に激しい銃撃を浴びせかけた。
 皇国側の使用する銃は後装式の三十年式歩兵銃と前装式の二十二年式歩兵銃の混合であったが、それでも火縄銃を装備する斉軍の射撃速度を圧倒していた。
 第三師団の一部歩兵部隊は平寧城玄武門付近の城壁に肉薄してその胸壁をよじ登ろうとし、乙密台の斉兵が火縄銃や弩でこれを阻止しようとして戦闘が繰り広げられた。
 この時、十六名の歩兵が城壁上によじ登ることに成功し、さらに一人の若い一等兵が城壁から城内に飛び降り、内側から玄武門を開くという快挙を成し遂げた。
 これによって第三師団の先鋒二個中隊が平寧城内に侵入することに成功し、玄武門および城壁の一部の占領を成し遂げている。しかし、乙密台堡塁はなおも高い城壁によって守られており、第三師団はこの占領に手間取ることとなる。
 この間、城内の斉軍も逆襲を企図して、乙密台を攻める皇国軍に対して約二〇〇名の部隊を城内より出撃させた。しかし、これは多銃身砲や斉発砲の一斉射撃によって阻まれ、斉軍逆襲部隊は壊滅した。さらに斉軍にとって悪いことに逆襲部隊の指揮をとっていたのは主戦派であり副将格でもあった左玉貴であり、先頭に立って突撃したために真っ先に戦死して、以後、平寧の斉軍の指揮統率に重大な悪影響を及ぼすこととなったのである。
 以後、何度か斉軍は皇国軍への逆襲を企てるが、すべて皇国軍の火力によって阻まれている。しかしながら、強固な城壁に守られた乙密台はついに日没まで皇国軍の攻撃を跳ね返し続けるなど、一部では斉軍の奮戦も見られた。
 結局、第四師団や混成第九旅団の攻撃も手詰まりの状態に陥り、一色公直は十五日中に平寧を陥落させることは不可能と判断せざるを得なかった。
 一七〇〇時頃から平寧一帯を激しい雷雨が襲い、攻撃が一時的に不可能となったことも、そうした判断に拍車を掛けていた。
 だが、ここで一色公直にとってまったく予想もしていない事態が発生した。
 陽鮮の平寧監営監司が使者として第二軍司令部を訪れ、斉軍は休戦を求めており、本国への帰還を求めているという斉側の意向を伝えたのである。
 一色はまず斉と陽鮮による謀略の可能性を疑い、さらには多少の失態はあるとはいえ皇国側が明らかに優勢な状況での休戦など受入れるつもりはなかった。そもそも、陽鮮半島内で斉の陽鮮派遣部隊を包囲殲滅することが、本来の作戦目的なのである。
 実はこの段階で斉軍は戦意を喪失しており、主戦派であった左玉貴が戦死したために、あえて異国の地で目的も曖昧な戦いで死ぬことを潔しとする指揮官や兵士が存在しなくなっていたのである。
 一色公直はそうした斉軍側の事情を知らなかったが、彼にとって斉軍の申し出は虫の良いものとしか思えなかった。そのため休戦の申し出を拒絶して、平寧監司を追い返した。
 夕刻から降り出した雨はなおも続いており、夜陰と雷雨に紛れて斉軍が夜襲ないし脱出を図る可能性を考えて、一色は全軍に警戒態勢を敷くように命じた。
 この一色大将の命令は、正しかった。
 十五日深夜、斉軍は夜陰と雷雨に紛れて平寧脱出を図ったのである。
 平寧に拠る斉軍一万八〇〇〇はすでに戦闘で千名以上が失われていたものの、宋鳳林提督を始めとする生き残りの指揮官に導かれて鴨緑江方面への脱出を敢行した(なお、平寧の斉軍は国境付近がすでに皇国軍によって封鎖されていることを知らなかったようである)。
 しかし、第二軍は平寧の包囲を解くつもりはなかったため、斉兵は自ら皇国軍の銃火の中に飛び込むことになった。
 夜間、雷雨のための視界不良となって皇国軍の攻撃は困難を極めたが、翌朝確認すると平寧周辺には二〇〇〇名近い斉兵の遺棄死体があったという。
 翌十六日、一色公直は慎重に平寧城内の様子を偵察し、完全に斉軍が敗走したことを確認してから入城を果たした。
 第二軍にとって幸運であったのは、平寧には斉軍の残した四〇〇〇石近い米があったことである。
 これは一個師団の兵力を一ヶ月以上養うのに十分な量であり、平寧への進撃中は炊きたての米を食べられなかった兵士たちは早速、接収した米を用いて炊き出しを行ったという。
 平寧での勝利によって帯城からも続々と輜重段列が到着し、第二軍はある程度、食糧の問題から解放されることとなった。
 斉軍の残した米の余剰分は平寧の陽鮮人たちにも配給して、一色は現地民の慰撫に努めたという。
 また、一色は平寧入城に際して住民に対する略奪・暴行・殺人を厳に禁ずるよう各級指揮官に布告したが、それでも幾人かの兵卒が略奪や強姦に及ぶという事件が発生してしまった。これに対してもこの若き六家当主は厳正に対処し、犯人の兵卒たちは斬首の上、首を城門の前に晒して全軍に対する戒めとしている。
 こうして、陽鮮半島内での戦闘は皇国軍の勝利に終わったのである。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 十月十六日。
 景紀と貴通は、旅団宿営地にて柳樹屯から到着した各種物資の確認作業を行っていた。
 兵站倉庫と定められた場所には、ひとまず露天に醤油樽や乾燥野菜の詰められた木箱などが山と積み上げられている。
 輜重部隊の兵卒たちが天秤棒を担いで次々に到着する糧食や物資を定められた場所に運んでいた。景紀たちだけでなく、各部隊の主計科将校たちも宿営地で作業の監督に当たっている。

「早めに冬営の支度を終えられると良いんだがな」

 軍監本部の作戦計画では、陽鮮半島の斉軍を殲滅した後は満洲にて冬営して翌春の直隷決戦に備えることになっている。本格的な冬が訪れる前に冬営の準備を済ませておきたいというのが、景紀の考えであった。
 満洲は南部であっても冬は極寒で、酷いときには気温は零下十五度程度にまで落ち込むという(それでも満洲北部や氷州よりは暖かい)。十一月あたりから寒さが本格的になるというから、冬営準備を早めに終えることはそれだけ凍傷者の発生を抑えることにも繋がる。
 現在、独混第一旅団が宿営地と定めた場所では、廠舎の建設が進められていた。皇国陸軍においては、短期間の野営であれば携帯天幕を用いるのであるが、長期間、同じ場所に野営する場合は「廠舎」と呼ばれる宿営用の建築物を設置することになっていた。
 こうした廠舎建築用の資材は後方であらかじめ部品ごとに準備され、戦地では組み立てるだけで完成するという、後世でいうところのプレハブ建築のような仕様になっていた。
 下士官や兵卒の寝泊まりする兵舎は建築資材を節約するために壁のない三角兵舎と呼ばれる形式となっており、さらに寒冷地仕様として半地下式になっている。一方の将校用兵舎は壁のある家屋風の建築物であり、将校と下士官以下兵卒の待遇の差が現れていた。
 すでに第三軍の後方支援を担当する南嶺鎮台からは、建設資材が続々と大連に届いている。
 さらに景紀は冬花に命じて、以前、坂東兵相から言われていた「戦地での疫病の防止」のための土地の浄化のための術式の設置を行わせていた。その影響もあってか、独混第一旅団では未だ赤痢などの病気は発生していない。

「この調子ならば、うちの部隊は今月中に問題なく冬営の準備を終えられるでしょう」

 帳簿と資材の山を見比べながら、貴通が言う。

「あとの問題は、斉軍の反撃か。斉軍の冬季作戦能力がよく判らんのが困りものだな」

「まあ、僕らと違って元々この地域に住んでいる斉人たちは厳しい冬に慣れているでしょうからね。冬季戦でまともに対抗出来るのは北溟道の第七師団や榧太の第八師団、それに氷州軍程度でしょう」

「そのためにも、防御陣地の構築は入念に行っておかないとな」

 そんな会話を挟みながら、景紀と貴通は建設中の宿営地内を見回っていく。

「閣下、旅団長閣下!」

 と、旅団司令部付呪術(通信)分隊の分隊長が駆けてきた。

「何だ?」

 景紀の前で立ち止まり、サッと敬礼した分隊長は告げた。

「第二軍司令部より兵部省宛の通信を受信いたしました。本日、第二軍は斉軍を撃破し、平寧への入城に成功したとのことです」

「了解。報告ご苦労」

「はっ!」

 もう一度敬礼した分隊長は、踵を返して司令部天幕のある方へと駆け戻っていく。

「平寧が落ちましたか」

 その背を見送りながら、貴通が呟いた。

「ああ、これで陽鮮半島は完全に皇国の勢力圏となったわけだ」

「つまりは、この戦争の第一段階の目的が達成されたというわけですね」

 この戦争において皇国は、斉が李欽簒奪政権を支援して東洋平和を乱しているということを大義名分としている。
 その李欽簒奪政権はすでに崩壊し、斉軍もまた陽鮮半島から駆逐されて仁宗国王が復位を果たしたということは、斉の陽鮮ヘの内政干渉を仁宗政権に代わって排除するという戦争目的の一つが達成されたわけである。
 残る問題は、東アジアの伝統的な華夷秩序を崩壊させ、新たな東アジアの国際秩序の樹立を斉に認めさせることが出来るか、ということである。
 皇国は「東亜新秩序」を叫んで皇国主導で東アジアに新たな国際秩序を樹立しようとしているが、果たしてそこまで上手くいくかどうか。
 坂東友三郎兵部大臣が言うように、皇国による東亜新秩序の建設は列国の干渉を生むことになるだろう。
 列国、特にルーシー帝国やヴィンランド合衆国との将来的な対立を避けたいならば、陽鮮から斉の影響力を排除出来た今こそが対斉講和の好機であろう。
 だが、そうはならないことを景紀も貴通も理解していた。
 今の段階での対斉講和に納得する国民は、ほとんどいないだろう。陽鮮から斉の影響力を排除し、半島に皇国の勢力圏を確立出来たところで、「東亜新秩序」を樹立したことにはならない。必ず、斉の屈服が必要となってくるわけである。
 中途半端なところで戦争を終わらせれば、政府や六家の戦争指導に国民は疑念を抱くことになる。
 そうなれば、六家は皇国の支配勢力であり続けることは出来ない。六家はこの戦争で、国民に対して判りやすい成果を挙げることが求められているのだ。
 だからこそ、ここで対斉講和を結ぶという考えは、皇国の誰も抱かない。

「なあ、貴通」

「はい、何でしょう?」

「俺たちは、これから泥沼への第一歩を踏み出そうとしているんじゃないか?」

「……そう、かもしれませんね」

 どこか暗さを秘めた同期生の声に、男装の少女は慎重に応じた。
 この戦争が、皇国の歴史に一つの転機をもたらすことになる。それが良いものであれ、悪いものであれ。
 そんな予感を抱きながら、二人は徐々に冬の気配を増しつつある満洲の空をしばし眺めていた。

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