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第六章 極東動乱編
119 第二軍の苦悩
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仁泉から帯城へと進軍した第二軍主力は、帯城城外・帯江北岸の龍山を駐屯地としていた。
斉軍が集結中であるという平寧へ進撃するため、仁宗政権との調整や後続部隊の到着、物資の集積などを続けていた。
九月二十七日、第二軍司令部天幕に第三軍が無事、遼東半島に上陸したとの情報が伝わると、一色やその参謀たちの焦燥は強まった。
仁宗政権が秋津人への協力を全土に呼びかけ、陽鮮国民の秋津人への反感を抑えようとしていたが、それもどこまで効果があるのかは疑問であった。
仁泉から帯城まで向かう輜重段列が飢えた陽鮮人に襲われるなどの事件も発生しており、反秋津感情と陽鮮で長年続いた食糧不足・苛政によって民心は荒廃しているようであった。
斥邪討倭を唱え、倭館に収められている銀や米を民衆に配ると宣言して国民を団結させようとしていた王世子・李欽は、ある意味で仁宗政権よりも民衆を上手くまとめられていたのかもしれないと、一色は思うようになっていた。
彼もまた攘夷論者・排外主義者であるが故に、強硬論の持つ団結力というものを理解していたのである。
少なくとも、長年の中華思想で東夷と断じられてきた秋津人に協力せよという仁宗国王の布告よりは、李欽の斥邪討倭の方が民衆には受入れやすいだろう。秋津人から銀や米を奪えば生活が楽になるという願望も、そうした思いに拍車をかけていたはずだ。
だが、いかに一色公直が攘夷論者であっても、それで陽鮮の攘夷論に同感するかといえば、当然ながらそれはあり得ない。陽鮮における攘夷の対象には、当然ながら西洋諸国だけでなく皇国も含まれているのだ。これを、皇国の支配勢力たる六家の一員として許容するわけにはいかない。
陽鮮民衆の安定化は、仁宗政権と第二軍にとって喫緊の課題ともいえた。
ただし、一色ら第二軍が見たところ、仁宗政権とは名ばかりの存在でしかなかった。原因は、官吏の不足である。
元々、江蘭島時代から仁宗の周辺には官吏が不足していたのであるが、帯城への帰還を果たしてからもそれは続いていた。七月の軍乱で民衆によって多くの役人が殺害されいていたこと、その後に実権を握った王世子・李欽が仁宗派の官僚を粛清してしまったこと、さらには斉軍が王世子・李欽と太上王・康祖を拘束・連行するに際して彼らに従っていた攘夷派の人間も処断してしまったことなどの要因が重なり、仁宗政権は深刻な人手不足に陥っていたのである。
江蘭島政府時代に臨時の領議政に任じられた金寿集はそのまま正式に領議政に任命され、同じく臨時の礼曹判書であった金光護も正式に礼曹判書となっていた。それほどまでに、仁宗政権の内実はあやふやなものだったのである。
そして九月二十九日、ようやく部隊の集結や物資の集積なども済み、龍兵による陽鮮半島北部への偵察も入念に行い、いよいよ平寧進撃が実行可能となった段階で、第二軍司令部はまたしても困難に見舞われることとなったのである。
この日、秋津側は深見元帯城倭館館長、森田主席全権、陽鮮側は貞英公主、金光護礼曹判書の四名が第二軍司令官・一色公直に面会を求めてきたのである。
内容は、陽鮮に対する食糧援助の要請であった。
「我が国は長年、天候不順による農作物の不作、そして疫病による農村人口の減少に悩まされてきました。今年は猛暑が続き米の収穫量減が見込まれる上、さらに斉軍による略奪などもあって国内の食糧不足は深刻な状態に陥りつつあります。帯城城内も斉軍による略奪によって食糧事情は深刻であり、このままでは餓死者が出かねない状況です。何卒、一色閣下におかれましては軍の食糧の一部を、帯城の民に供出していただきたく」
金光護は、平伏するような調子で自国の窮状を訴えていた。
「王都だけではありません」付け加えたのは、深見元館長であった。「このままでは陽鮮全土で飢餓が蔓延し、多数の餓死者が出る他、仁宗陛下の政治に不満を抱いて蜂起する者も出てくるでしょう」
「つまり、一揆か……」
固い口調で、一色は言った。
農村部での一揆や都市部での打ち壊しは、皇国の諸侯たちの恐れていることであった。そして、力尽くで鎮圧しても根本的解決にはならないことを、六家現当主である一色公直は歴史的に理解している。
拒否権を盾に国政を牛耳る六家であるが、領民に対して苛政を敷いている者は一人もいない。そもそも戦国時代が終結した後、領国統治は「仁政」が理想とされており(当然、理想は理想であって苛政を敷く領主がいないわけではないが)、特に歴史的に一揆や打ち壊しを経験してきた諸侯は民衆の生活安定に気を配っていた。
後世の歴史家は、六家を始めとする諸侯は政治的平等には無関心(むしろはっきりと否定的)である一方、平民の社会的(経済的)平等に気を配り、民権派政治家は政治的平等は熱心に主張するが社会的平等には無関心であったと評する。
領国統治を実際に行っている諸侯と、地主・豪農層や財界を支持基盤とする民権派政治家の立場の違いといってしまえばそれまでであるが、こうした六家の統治方針が一定程度の民衆の支持を得られており、それが未だ彼らを皇国の支配勢力であり続けられている要因の一つであるともいえよう。
だから一色公直は、陽鮮にいる自分たちの置かれた立場の危うさをはっきりと認識していた。
異国とはいえ、民の生活を安定させられなければ権力を維持することは出来ないのはどこも同じ。
今ですら輜重部隊が襲われる事件が発生しているのに、一揆勢と化した陽鮮の民衆に軍の輜重部隊が脅かされることになれば、作戦計画は完全に破綻してしまう。
しかし一方で、食糧の供出は第二軍にとって難題であった。
帯城の住民はおよそ二十万。
一方、第二軍は全軍合わせても六万弱の兵力であり、当然ながらすべての食糧を陽鮮側に供出したところで、帯城住民の食糧事情を改善出来るはずもない。そもそも、これから平寧に進撃する第二軍には、十分な糧食が必要であった。それを帯城住民に供出するとなれば、兵站の上に重大な支障を生じさせることになる。
仁宗政権の維持と第二軍の安全、そして第二軍の兵站問題。
すべての両立させるのは、第二軍だけでは不可能な問題であった。
「我々は仁宗陛下の要請に従って、これより斉軍を討とうとしているのだ。だというのに、卿ら陽鮮の者どもはこの上、我々に食糧の供出まで要求するというのか? 秋津人の血だけでなく、米まで欲すると?」
一色の声には、隠しようもない苛立たしげな響きが混じっていた。
「しかし一色公、このままでは陽鮮の民は飢えに苦しむことになりましょう」
深見元館長が、取りなすように言った。
「いったい、卿らは私が無限に米の出てくる魔法の壺でも持っているとでも思っているのか?」
このような問題を軍に持ち込んできた秋津側外交官への恨み節も込めて、一色は四人を不愉快げに見遣る。
見方によってはここで陽鮮側と食糧問題と巡って取引を行い、戦後における半島での利権獲得を目指すという選択肢もあるだろう。しかし、そもそもが取引を出来るだけの食糧を第二軍が持ち合わせないので、無理な話であった。
利権の獲得については、皇国軍(一色家・伊丹家領軍)が血を流して陽鮮から斉軍を討滅したという戦功を以て取引材料とすべきだろう。今ここで、第二軍の兵站に重大な問題を引き起こしかねない食糧問題を、交渉材料とするのは愚策であった。
「厚かましい願いであることは判っておる」
冬花から渡されていた通訳用の呪符の効果がまだ続いている貞英は、唇を噛みしめながら言った。
「じゃが、妾らにはどうすることも出来ぬ問題なのじゃ。故に、貴殿ら秋津の者どもの慈悲に縋るより他にない」
そう言うと、貞英はその場で身を屈めて鞠躬の姿勢をとって一色へ拝礼した。
「……」
一色は、鞠躬を行う陽鮮の公主を複雑な表情で見下ろした。
鞠躬の礼は本来、臣下や他国の使者が国王に対して行う拝礼である。陽鮮の通信使も皇国の差倭も行っているが、拝礼を受ける側である王族自らが鞠躬を行うのは、前代未聞であろう。
しかも夷狄である秋津人にそれを行うのは、彼女としても屈辱であるはずだ。それだけの覚悟を以て、この王女は自分に会いに来たというわけか。
皇国を夷狄と断じてきた国の王族の行為に一色はそれほど感銘を受けはしなかったが、それでもその覚悟を認めないほどに無慈悲な人間ではなかった。
「兵站参謀」
「はっ!」
「軍の兵站が維持出来る範囲内での食糧の供出について、至急検討せよ」
「はっ、直ちに!」
主君の度量に感銘を受けたように、家臣団出身の参謀は敬礼した。
「妾よりも、礼を申す」
身を起こした貞英の瞳には、少しだけ安堵の色があった。
「深見殿、森田殿」
そんな陽鮮の姫の様子を興味なさげに見遣ってから、一色は二人の外交官に目を向けた。
「今回は緊急故に致し方ないが、今後、このような問題は軍司令部ではなく外務省本省ないしは兵部省に打診していただきたい」
「はっ、公爵閣下の寛大なお心に感謝申し上げます」
二人もまた一色公直の度量を賞賛するような表情であったが、一色自身はやはり白けた表情を返すのみであった。
これは自分の度量が広かったわけではなく、単に陽鮮の姫の覚悟に押し切られてしまっただけだ。
そう、思っていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
仮の王宮となっている帯城の離宮は、焼失を免れたものの略奪の痕跡は痛々しかった。
とはいえ、倭館攻防戦や江蘭島での生活を経験している貞英は、そのような場所で暮らすことに特に不満を覚えていなかった。
焼け出されて家を失った王都の民に比べれば、自分は随分と贅沢をしているとまで思っている。
鞠躬を行ったことも、彼女はそれほど屈辱だとは感じていなかった。むしろ、帯城軍乱の時のように、自国民が死んでいくのをただ見ているだけという状況になることの方が辛い。
だからこそ、離宮に戻ってからも貞英は厳しい表情を崩していなかった。
「龍山の秋津軍が食糧を提供してくれるとはいえ、それは一時的なものじゃ。しかも王都限定の、な。このままでは、多くの民が冬を越せまい」
陽鮮の姫は、深刻にそのことを憂慮していた。
「金光護よ」
「はっ」
「妾は、秋津国に使者を派遣すべきじゃと思っておる」
「食糧の供給を求めるための、ですか?」
「うむ。今の陽鮮の状況では、他に手はない」
「しかし、輸入するにも現在の陽鮮王国にそこまでの財政的余裕はありません。食糧の無償供給を要請するにしても、莫大な量の米を譲ってくれるほどに秋津国が寛大で、しかも米を持て余しているとも思えませんが」
「だが、陽鮮国内におっても何も変わるまい」
未だ十二歳の王女の声は厳しかった。
「妾はこれより父上に会って、秋津国への使節団派遣を進言してくる。使節団には妾も加わるつもりじゃ」
「しかし、殿下の御身に万が一があれば……」
「言ったじゃろう? この国におっても何も変わるまい、と」
「……それほどの、お覚悟ならば」
金光護の声には、歯がゆさが混じっていた。
彼の目指す陽鮮の開化が、未だ遠い幻想に過ぎないことを思い知らされていたからだ。まずは国内における食糧供給の安定化を行い、財政を健全化しなければ何も始まらない。
そして何よりも、自国の姫にここまでさせてしまう自分たち臣下が情けなかった。
その後、皇国へ食料援助を求めるための使節団の派遣は仁宗国王の承認するところとなり、陽鮮公主・貞英を名目上の代表者として、実務の最高責任者に礼曹判書・金光護を任命し、貞英のための女官や随員を含め三十人ほどが皇国へと派遣されることとなった。
これは従来の通信使とは目的が異なることから「修信士」と呼ばれ、儀礼よりも外交交渉という実務を重視するよう命ぜられていた。
ある意味でこの修信士は陽鮮における初めての近代的な外交使節であるともいえ、また陽鮮の王族が始めて秋津皇国に足を踏み入れるという歴史的に見て画期的な存在となったのである。
貞英一行が帯城を出発したのは十月十日のことで、仁泉から皇国の輸送船に便乗して十月十四日に本州西端の港湾都市・響関に到着した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
十月一日、北進準備を整えた第三師団、第四師団、混成第九旅団を中核とする第二軍主力は帯城を出撃した。
戦時編制の三部隊約四万五〇〇〇名の進軍は、戦闘面よりもむしろ兵站面での困難に見舞われた。陽鮮の街道は狭く、野砲や荷馬車、炊事車両の通行が困難であったからである。
龍兵偵察によってある程度事前に地形を把握していたため、野砲はあらかじめ分解して駄馬の背に乗せるなどの措置がとられていたが、非効率的であることに変わりはなかった。
特に馬で曳く形式の炊事車両が随伴出来ないことは兵士たちの食事に深刻な影響を与えた。
進軍中、第二軍兵士の食事は重焼麺麭(軍用ビスケット)、牛肉・鶏肉・鯨肉の大和煮缶詰、水で戻した糒や乾燥野菜などが中心であり、炊きたての米が食べられないことによる若干の士気の低下も見られたという。
しかし進撃路上の陽鮮人からの現地徴発は最小限度に抑えられており、一色公直やその参謀たちがいかに補給の万全を期すと共に、強引な現地徴発による現地民の蜂起を恐れていたかが判る。ある意味で、一揆や打ち壊しを歴史的に経験している者たちが率いている軍ならではの光景といえた。
ただし、それでも第二軍は秋津人であるというだけで現地の陽鮮人からの反発を買っていた。特に平寧に斉軍が集結しているという情報が陽鮮人の間に広まっており、彼らの中には斉軍が夷狄である秋津人の軍を破ってくれることを望む者たちも多かったという。
仁宗国王の布告にも関わらず、各地の地方官吏たちも第二軍に対して非協力的であり、それが一層、第二軍の平寧進撃を困難にしていた。
しかし、一色公直は六家当主としての卓越した指揮統率能力を発揮し、帯城―平寧間約三〇〇キロの道のりをほとんど落伍者を出さずに進撃することに成功している。彼は野営地で頻繁に兵卒たちを見舞ってその士気低下を防ぎ、さらには食事はすべて兵卒たちと同じ質素で粗悪なもので済ますなど彼らとの連帯感を維持することに努めた。
こうした一色公直の地道な努力の甲斐もあり、十月十四日、斉軍の小規模な迎撃を排して第二軍主力は平寧前面に辿り着くことが出来たのである。
◇◇◇
平寧は陽鮮半島北部を流れる大河・大同江の東岸に築かれた城塞都市である。
この陽鮮北部の主要都市に拠る斉軍の兵力は、龍兵による偵察や現地の陽鮮人を尋問した結果などから、およそ二万五〇〇〇から三万と見積もられていた。
平寧は途中で西に湾曲する大同江によって都市の東側と南側が守られ、北側には強固な城壁が聳え立っている。さらに西側には南西と北西にそれぞれある高地の間を繋ぐように土塁が伸びており、都市全体として高い防衛能力を持つと見られていた。
第二軍はこれに対して、大同江左岸に混成第九旅団、大同江上流を渡河した第三師団を平寧北方、下流で渡河した第四師団を西方に配置して、四方向からこの城塞都市を包囲する布陣を取った。
一色が直率するのは、自らが主力と恃む北方の第三師団(一色家領軍)であった。
十四日は兵の休養のために露営することに決定され、十五日早朝より平寧総攻撃が開始されることとなった。
斉軍が集結中であるという平寧へ進撃するため、仁宗政権との調整や後続部隊の到着、物資の集積などを続けていた。
九月二十七日、第二軍司令部天幕に第三軍が無事、遼東半島に上陸したとの情報が伝わると、一色やその参謀たちの焦燥は強まった。
仁宗政権が秋津人への協力を全土に呼びかけ、陽鮮国民の秋津人への反感を抑えようとしていたが、それもどこまで効果があるのかは疑問であった。
仁泉から帯城まで向かう輜重段列が飢えた陽鮮人に襲われるなどの事件も発生しており、反秋津感情と陽鮮で長年続いた食糧不足・苛政によって民心は荒廃しているようであった。
斥邪討倭を唱え、倭館に収められている銀や米を民衆に配ると宣言して国民を団結させようとしていた王世子・李欽は、ある意味で仁宗政権よりも民衆を上手くまとめられていたのかもしれないと、一色は思うようになっていた。
彼もまた攘夷論者・排外主義者であるが故に、強硬論の持つ団結力というものを理解していたのである。
少なくとも、長年の中華思想で東夷と断じられてきた秋津人に協力せよという仁宗国王の布告よりは、李欽の斥邪討倭の方が民衆には受入れやすいだろう。秋津人から銀や米を奪えば生活が楽になるという願望も、そうした思いに拍車をかけていたはずだ。
だが、いかに一色公直が攘夷論者であっても、それで陽鮮の攘夷論に同感するかといえば、当然ながらそれはあり得ない。陽鮮における攘夷の対象には、当然ながら西洋諸国だけでなく皇国も含まれているのだ。これを、皇国の支配勢力たる六家の一員として許容するわけにはいかない。
陽鮮民衆の安定化は、仁宗政権と第二軍にとって喫緊の課題ともいえた。
ただし、一色ら第二軍が見たところ、仁宗政権とは名ばかりの存在でしかなかった。原因は、官吏の不足である。
元々、江蘭島時代から仁宗の周辺には官吏が不足していたのであるが、帯城への帰還を果たしてからもそれは続いていた。七月の軍乱で民衆によって多くの役人が殺害されいていたこと、その後に実権を握った王世子・李欽が仁宗派の官僚を粛清してしまったこと、さらには斉軍が王世子・李欽と太上王・康祖を拘束・連行するに際して彼らに従っていた攘夷派の人間も処断してしまったことなどの要因が重なり、仁宗政権は深刻な人手不足に陥っていたのである。
江蘭島政府時代に臨時の領議政に任じられた金寿集はそのまま正式に領議政に任命され、同じく臨時の礼曹判書であった金光護も正式に礼曹判書となっていた。それほどまでに、仁宗政権の内実はあやふやなものだったのである。
そして九月二十九日、ようやく部隊の集結や物資の集積なども済み、龍兵による陽鮮半島北部への偵察も入念に行い、いよいよ平寧進撃が実行可能となった段階で、第二軍司令部はまたしても困難に見舞われることとなったのである。
この日、秋津側は深見元帯城倭館館長、森田主席全権、陽鮮側は貞英公主、金光護礼曹判書の四名が第二軍司令官・一色公直に面会を求めてきたのである。
内容は、陽鮮に対する食糧援助の要請であった。
「我が国は長年、天候不順による農作物の不作、そして疫病による農村人口の減少に悩まされてきました。今年は猛暑が続き米の収穫量減が見込まれる上、さらに斉軍による略奪などもあって国内の食糧不足は深刻な状態に陥りつつあります。帯城城内も斉軍による略奪によって食糧事情は深刻であり、このままでは餓死者が出かねない状況です。何卒、一色閣下におかれましては軍の食糧の一部を、帯城の民に供出していただきたく」
金光護は、平伏するような調子で自国の窮状を訴えていた。
「王都だけではありません」付け加えたのは、深見元館長であった。「このままでは陽鮮全土で飢餓が蔓延し、多数の餓死者が出る他、仁宗陛下の政治に不満を抱いて蜂起する者も出てくるでしょう」
「つまり、一揆か……」
固い口調で、一色は言った。
農村部での一揆や都市部での打ち壊しは、皇国の諸侯たちの恐れていることであった。そして、力尽くで鎮圧しても根本的解決にはならないことを、六家現当主である一色公直は歴史的に理解している。
拒否権を盾に国政を牛耳る六家であるが、領民に対して苛政を敷いている者は一人もいない。そもそも戦国時代が終結した後、領国統治は「仁政」が理想とされており(当然、理想は理想であって苛政を敷く領主がいないわけではないが)、特に歴史的に一揆や打ち壊しを経験してきた諸侯は民衆の生活安定に気を配っていた。
後世の歴史家は、六家を始めとする諸侯は政治的平等には無関心(むしろはっきりと否定的)である一方、平民の社会的(経済的)平等に気を配り、民権派政治家は政治的平等は熱心に主張するが社会的平等には無関心であったと評する。
領国統治を実際に行っている諸侯と、地主・豪農層や財界を支持基盤とする民権派政治家の立場の違いといってしまえばそれまでであるが、こうした六家の統治方針が一定程度の民衆の支持を得られており、それが未だ彼らを皇国の支配勢力であり続けられている要因の一つであるともいえよう。
だから一色公直は、陽鮮にいる自分たちの置かれた立場の危うさをはっきりと認識していた。
異国とはいえ、民の生活を安定させられなければ権力を維持することは出来ないのはどこも同じ。
今ですら輜重部隊が襲われる事件が発生しているのに、一揆勢と化した陽鮮の民衆に軍の輜重部隊が脅かされることになれば、作戦計画は完全に破綻してしまう。
しかし一方で、食糧の供出は第二軍にとって難題であった。
帯城の住民はおよそ二十万。
一方、第二軍は全軍合わせても六万弱の兵力であり、当然ながらすべての食糧を陽鮮側に供出したところで、帯城住民の食糧事情を改善出来るはずもない。そもそも、これから平寧に進撃する第二軍には、十分な糧食が必要であった。それを帯城住民に供出するとなれば、兵站の上に重大な支障を生じさせることになる。
仁宗政権の維持と第二軍の安全、そして第二軍の兵站問題。
すべての両立させるのは、第二軍だけでは不可能な問題であった。
「我々は仁宗陛下の要請に従って、これより斉軍を討とうとしているのだ。だというのに、卿ら陽鮮の者どもはこの上、我々に食糧の供出まで要求するというのか? 秋津人の血だけでなく、米まで欲すると?」
一色の声には、隠しようもない苛立たしげな響きが混じっていた。
「しかし一色公、このままでは陽鮮の民は飢えに苦しむことになりましょう」
深見元館長が、取りなすように言った。
「いったい、卿らは私が無限に米の出てくる魔法の壺でも持っているとでも思っているのか?」
このような問題を軍に持ち込んできた秋津側外交官への恨み節も込めて、一色は四人を不愉快げに見遣る。
見方によってはここで陽鮮側と食糧問題と巡って取引を行い、戦後における半島での利権獲得を目指すという選択肢もあるだろう。しかし、そもそもが取引を出来るだけの食糧を第二軍が持ち合わせないので、無理な話であった。
利権の獲得については、皇国軍(一色家・伊丹家領軍)が血を流して陽鮮から斉軍を討滅したという戦功を以て取引材料とすべきだろう。今ここで、第二軍の兵站に重大な問題を引き起こしかねない食糧問題を、交渉材料とするのは愚策であった。
「厚かましい願いであることは判っておる」
冬花から渡されていた通訳用の呪符の効果がまだ続いている貞英は、唇を噛みしめながら言った。
「じゃが、妾らにはどうすることも出来ぬ問題なのじゃ。故に、貴殿ら秋津の者どもの慈悲に縋るより他にない」
そう言うと、貞英はその場で身を屈めて鞠躬の姿勢をとって一色へ拝礼した。
「……」
一色は、鞠躬を行う陽鮮の公主を複雑な表情で見下ろした。
鞠躬の礼は本来、臣下や他国の使者が国王に対して行う拝礼である。陽鮮の通信使も皇国の差倭も行っているが、拝礼を受ける側である王族自らが鞠躬を行うのは、前代未聞であろう。
しかも夷狄である秋津人にそれを行うのは、彼女としても屈辱であるはずだ。それだけの覚悟を以て、この王女は自分に会いに来たというわけか。
皇国を夷狄と断じてきた国の王族の行為に一色はそれほど感銘を受けはしなかったが、それでもその覚悟を認めないほどに無慈悲な人間ではなかった。
「兵站参謀」
「はっ!」
「軍の兵站が維持出来る範囲内での食糧の供出について、至急検討せよ」
「はっ、直ちに!」
主君の度量に感銘を受けたように、家臣団出身の参謀は敬礼した。
「妾よりも、礼を申す」
身を起こした貞英の瞳には、少しだけ安堵の色があった。
「深見殿、森田殿」
そんな陽鮮の姫の様子を興味なさげに見遣ってから、一色は二人の外交官に目を向けた。
「今回は緊急故に致し方ないが、今後、このような問題は軍司令部ではなく外務省本省ないしは兵部省に打診していただきたい」
「はっ、公爵閣下の寛大なお心に感謝申し上げます」
二人もまた一色公直の度量を賞賛するような表情であったが、一色自身はやはり白けた表情を返すのみであった。
これは自分の度量が広かったわけではなく、単に陽鮮の姫の覚悟に押し切られてしまっただけだ。
そう、思っていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
仮の王宮となっている帯城の離宮は、焼失を免れたものの略奪の痕跡は痛々しかった。
とはいえ、倭館攻防戦や江蘭島での生活を経験している貞英は、そのような場所で暮らすことに特に不満を覚えていなかった。
焼け出されて家を失った王都の民に比べれば、自分は随分と贅沢をしているとまで思っている。
鞠躬を行ったことも、彼女はそれほど屈辱だとは感じていなかった。むしろ、帯城軍乱の時のように、自国民が死んでいくのをただ見ているだけという状況になることの方が辛い。
だからこそ、離宮に戻ってからも貞英は厳しい表情を崩していなかった。
「龍山の秋津軍が食糧を提供してくれるとはいえ、それは一時的なものじゃ。しかも王都限定の、な。このままでは、多くの民が冬を越せまい」
陽鮮の姫は、深刻にそのことを憂慮していた。
「金光護よ」
「はっ」
「妾は、秋津国に使者を派遣すべきじゃと思っておる」
「食糧の供給を求めるための、ですか?」
「うむ。今の陽鮮の状況では、他に手はない」
「しかし、輸入するにも現在の陽鮮王国にそこまでの財政的余裕はありません。食糧の無償供給を要請するにしても、莫大な量の米を譲ってくれるほどに秋津国が寛大で、しかも米を持て余しているとも思えませんが」
「だが、陽鮮国内におっても何も変わるまい」
未だ十二歳の王女の声は厳しかった。
「妾はこれより父上に会って、秋津国への使節団派遣を進言してくる。使節団には妾も加わるつもりじゃ」
「しかし、殿下の御身に万が一があれば……」
「言ったじゃろう? この国におっても何も変わるまい、と」
「……それほどの、お覚悟ならば」
金光護の声には、歯がゆさが混じっていた。
彼の目指す陽鮮の開化が、未だ遠い幻想に過ぎないことを思い知らされていたからだ。まずは国内における食糧供給の安定化を行い、財政を健全化しなければ何も始まらない。
そして何よりも、自国の姫にここまでさせてしまう自分たち臣下が情けなかった。
その後、皇国へ食料援助を求めるための使節団の派遣は仁宗国王の承認するところとなり、陽鮮公主・貞英を名目上の代表者として、実務の最高責任者に礼曹判書・金光護を任命し、貞英のための女官や随員を含め三十人ほどが皇国へと派遣されることとなった。
これは従来の通信使とは目的が異なることから「修信士」と呼ばれ、儀礼よりも外交交渉という実務を重視するよう命ぜられていた。
ある意味でこの修信士は陽鮮における初めての近代的な外交使節であるともいえ、また陽鮮の王族が始めて秋津皇国に足を踏み入れるという歴史的に見て画期的な存在となったのである。
貞英一行が帯城を出発したのは十月十日のことで、仁泉から皇国の輸送船に便乗して十月十四日に本州西端の港湾都市・響関に到着した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
十月一日、北進準備を整えた第三師団、第四師団、混成第九旅団を中核とする第二軍主力は帯城を出撃した。
戦時編制の三部隊約四万五〇〇〇名の進軍は、戦闘面よりもむしろ兵站面での困難に見舞われた。陽鮮の街道は狭く、野砲や荷馬車、炊事車両の通行が困難であったからである。
龍兵偵察によってある程度事前に地形を把握していたため、野砲はあらかじめ分解して駄馬の背に乗せるなどの措置がとられていたが、非効率的であることに変わりはなかった。
特に馬で曳く形式の炊事車両が随伴出来ないことは兵士たちの食事に深刻な影響を与えた。
進軍中、第二軍兵士の食事は重焼麺麭(軍用ビスケット)、牛肉・鶏肉・鯨肉の大和煮缶詰、水で戻した糒や乾燥野菜などが中心であり、炊きたての米が食べられないことによる若干の士気の低下も見られたという。
しかし進撃路上の陽鮮人からの現地徴発は最小限度に抑えられており、一色公直やその参謀たちがいかに補給の万全を期すと共に、強引な現地徴発による現地民の蜂起を恐れていたかが判る。ある意味で、一揆や打ち壊しを歴史的に経験している者たちが率いている軍ならではの光景といえた。
ただし、それでも第二軍は秋津人であるというだけで現地の陽鮮人からの反発を買っていた。特に平寧に斉軍が集結しているという情報が陽鮮人の間に広まっており、彼らの中には斉軍が夷狄である秋津人の軍を破ってくれることを望む者たちも多かったという。
仁宗国王の布告にも関わらず、各地の地方官吏たちも第二軍に対して非協力的であり、それが一層、第二軍の平寧進撃を困難にしていた。
しかし、一色公直は六家当主としての卓越した指揮統率能力を発揮し、帯城―平寧間約三〇〇キロの道のりをほとんど落伍者を出さずに進撃することに成功している。彼は野営地で頻繁に兵卒たちを見舞ってその士気低下を防ぎ、さらには食事はすべて兵卒たちと同じ質素で粗悪なもので済ますなど彼らとの連帯感を維持することに努めた。
こうした一色公直の地道な努力の甲斐もあり、十月十四日、斉軍の小規模な迎撃を排して第二軍主力は平寧前面に辿り着くことが出来たのである。
◇◇◇
平寧は陽鮮半島北部を流れる大河・大同江の東岸に築かれた城塞都市である。
この陽鮮北部の主要都市に拠る斉軍の兵力は、龍兵による偵察や現地の陽鮮人を尋問した結果などから、およそ二万五〇〇〇から三万と見積もられていた。
平寧は途中で西に湾曲する大同江によって都市の東側と南側が守られ、北側には強固な城壁が聳え立っている。さらに西側には南西と北西にそれぞれある高地の間を繋ぐように土塁が伸びており、都市全体として高い防衛能力を持つと見られていた。
第二軍はこれに対して、大同江左岸に混成第九旅団、大同江上流を渡河した第三師団を平寧北方、下流で渡河した第四師団を西方に配置して、四方向からこの城塞都市を包囲する布陣を取った。
一色が直率するのは、自らが主力と恃む北方の第三師団(一色家領軍)であった。
十四日は兵の休養のために露営することに決定され、十五日早朝より平寧総攻撃が開始されることとなった。
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