秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第六章 極東動乱編

118 宣戦布告

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  宣戦の詔勅  皇暦八三五年九月一日
天佑ヲ保全シ万世一系ノ皇祚ヲ踐メル大秋津皇国皇帝ハ、忠実勇武ナル汝有衆ニ示ス、朕茲ニ斉国ニ対シテ戦ヲ宣ス、朕カ百僚有司ハ宜ク朕カ意ヲ体シ、陸上ニ海面ニ斉国ニ対シ交戦ノ事ニ従ヒ、以テ国家ノ目的ヲ達スルニ努力スヘシ、苟モ国際法ニ戻ラサル限リ、各々権能ニ応シテ一切ノ手段ヲ尽スニ於テ、必ス遺漏ナカラムコトヲ期セヨ
(中略)
事既ニ茲ニ至ル、朕平和ト相終始シテ以テ皇国ノ光栄ヲ中外ニ宣揚スルニ専ナリト雖、亦公ニ戦ヲ宣セサルヲ得サルナリ、汝有衆ノ忠実勇武ニ倚頼シ、速ニ平和ヲ永遠ニ克復シ、以テ皇国ノ光栄ヲ全クセムコトヲ期ス
  御名御璽
嘉応十六年九月一日

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 秋斉間の戦闘行為は八月二十五日の豊島沖海戦に始まるが、この時点では両国共に宣戦布告をしていなかった(そもそも、近代的な外交担当部署を政府内に持たない斉は宣戦布告という概念すら理解していない)。
 宣戦布告は、戦争状態に突入したことを交戦当事国同士が確認する目的の他に、関係各国にも戦争状態に突入したことを周知して同盟や局外中立などの戦時国際関係を明確にするために必要な法的手続きであった。
 ただし、この時代は宣戦布告はあくまで慣習的なものであり、開戦のための必須条件ではなかった。開戦のために宣戦布告が必要となるのはそのための国際条約が締結された後世の話であり、豊島沖海戦や成歓会戦と、宣戦布告前に戦闘を開始した秋津皇国はこの問題について何らの国際法的責任も負っていなかった。
 秋津皇国皇主が宣戦の詔勅を裁可して宣戦布告がなされたのは、九月一日のことであった。
 すでにアヘン戦争後に発生した広南出兵を経験していた皇国ではあったが、正式な近代的戦争はこの対斉戦役を以て始まりとする。
 内に歪な国家制度を抱えたままの皇国は、こうして初めての近代戦争へと臨むこととなったのである。
 もちろん、この当時の皇国に生きていた人々は、この戦役が新たな時代の幕開けとなる戦争であることを自覚してなどいなかったが。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 九月五日、景紀と冬花は南嶺鎮台からの命令によって鎮台司令部へと帰還した。

「ご無事でのお帰りで、何よりです」

 二人が翼龍で飛行場に降り立つと、すでに貴通が待ち構えていた。

「一応確認だが、俺の不在中、何か問題は起こらなかったか?」

 龍舎に翼龍を預けながら、景紀は問うた。陽鮮にいる間、南嶺からは呪術通信を通して何もなかったので、本当に念の為の確認であった。

「いえ、特には」予定調和的に、貴通は答える。「遼東半島への上陸に備えて、海岸で南嶺鎮台の将兵との合同訓練を連日、行っているくらいです。運動会なども開いて、部隊同士の交流も行っていますよ」

「ああ、そいつは助かる」

 郷土連隊制をとっている皇国陸軍では、同郷の者たちとの連携を深めるのと他の部隊との交流を図る目的で、娯楽の一環として部隊対抗運動会が開かれることもある。
 結城家領出身者と有馬家領出身者の交流を深める目的で、そうした機会を設けたのだろう。
 また、結城家の管轄する東北鎮台麾下の第十四師団は結城家領出身者(関東北部出身者)と東北出身者で構成されているので、こちらも将兵たちの交流による意思疎通は重要であった。

「兵站の方は?」

「そちらは南嶺鎮台兵站総監の鏑木太郎中将が上手くやっています。僕が兵学寮の卒論で鉄道輸送関係の論文を書いたためか、何度か相談を持ちかけられもしましたが」

 有馬家の兵站総監に頼られたことを、貴通は少し誇らしげに語った。

「流石だな」

 景紀も、同期生の活躍を賞賛するようににやりと笑みを見せた。

「ああ、それで有馬閣下から景くんと冬花さんに対して、報告のために司令部に出頭せよとの命令が出ています。まずは体や軍服の汚れを落としてからで良いそうですので、将官用官舎の方に風呂を沸かしておきました」

「了解。何から何まで助かる」

「景くんの幕下としてお役に立てているなら光栄です」

 そう言って、貴通は嬉しそうに一礼したのだった。





 体を清め、新しい軍服に着替えて景紀は冬花を伴って南嶺鎮台司令部に出頭した。
 冬花は翼龍に跨がる必要がないので、洋装からいつもの和装に着替えていた。宵なども言っていたが、洋装をするとき、股下が覆われているのは何となく窮屈に感じるらしい。

「結城景紀、ただ今帰還いたしました」

 司令部付き従兵となっている顔なじみの若林曹長に導かれて、景紀と冬花は南嶺鎮台司令部会議室に入る。

「うむ、任務ご苦労」

 城の本丸を居館を改装した会議室には、第三軍司令部の者や内地で後方支援を担当する南嶺鎮台司令部の者たちが詰めていた。

「帰還して早々ではあるが、陽鮮で貴官が見聞きしたことについて報告してもらいたい」

 有馬貞朋公爵がそう言った。

「はい、それについては自分の補佐官が水晶球に映像を記録しておりますので、まずはそちらをご覧いただきたく思います」

 景紀はそう言って、若林曹長に部屋を暗くするように命じ、水晶球の映像を映写しやすい白い襖を持ってこさせた。
 冬花の水晶球に記録されていたのは、上空から見た陽鮮の地形と、成歓会戦の模様である。
 いくつかの映像は呪術通信を通して南嶺鎮台に送っていたが、記録した映像のすべてを送信するのは受信者側術者の時間的・霊力的負担になるということで、特に重要な映像は送信の失敗なども考えて冬花が保管していたのだ。
 流石にすべての映像を映写するのは時間が掛かりすぎるので、適宜、早送りや飛ばしながら映写する。

「……ふぅむ、陽鮮は想像以上に兵站の難所ですな」

 映像を見終わって真っ先に出る感想が、弱体な斉軍への侮りではなく、兵站の困難さであることに、有馬家領軍首脳部の健全さが見て取れた。

「これでは第二軍は苦労するでしょう。我々が担当する遼東半島周辺も、恐らく近代的な意味での街道は整備されていないに違いありません。輜重部隊の保有する馬車や炊事車両などが泥などに嵌まって動けなくなる危険性を考えますと、輜重部隊の増員および駄馬の割当増加を考えるべきですな」

「輜重部隊の人間や馬にも食糧が必要なことを忘れるな」

「さらにいえば、輜重部隊の人数が増える分、護衛部隊の規模も増やす必要がありましょうな」

「兵站に関する計画を、もう一度見直してみる必要があるかもしれんぞ」

「兵站計画の変更に合わせて、遼東半島への上陸日の変更も検討すべきでは?」

「いや、それだと潮の満ち引きの関係で一ヶ月以上、上陸が遅延することになる。冬の渤海湾は風浪が激しい。何としても九月中の上陸を目指すべきだ」

 そのまま鎮台司令部会議室は、遼東半島上陸後の兵站問題についての議論へと突入してしまった。

「大変貴重な報告であったな、景紀殿」

 部下たちの様子を見守りつつ、有馬貞朋はそう労った。

「いえ、俺ではなく冬花の功績です」

「この議論には、貴殿のところの幕僚も参加させるべきかもしれんな。うちの兵站総監が、穂積大佐を絶賛していたぞ」

「それは、兵学寮同期として鼻が高い限りです」

「まあ、それはそれとして、上陸日は天候の具合にもよるが、九月の二十四から二十六の間を予定している。貴殿の不在中に、その方針で一MBs(MBsは独立混成旅団の意)、一KB(KBは騎兵旅団の意)、十四D(Dは師団の意)にも伝達してある」

「了解です」

「兵站計画の見直しや上陸作戦の詳細についても、何度か貴殿に会議に参加してもらうかもしれん」

「我が結城家へのご配慮、感謝いたします」

「なに、第二軍のような真似は演じたくないのでな」少し皮肉げに、貞朋は言った。「兵部省や軍監本部も、陽鮮半島南部の斉軍を撃滅する好機を逃がしたことに苦々しい思いを抱いているらしい。皇都の父上が知らせてきた」

「やはり封建的軍隊故に、中央の統制が及びにくいというわけですか」

「前回の広南出兵の際は、まだ父上が現役で、他の六家に強力な指導者がいなかったから父上の主導で派遣軍の統制がとれていたらしいが、今回の戦役はどうなることやら」

 悩ましそうに、貞朋は首を振った。

「まあ、私は貴殿とは上手くやっていきたいと思っている」

「俺も、第三軍の指揮統制が円滑に行われるよう、微力を尽くす所存です」

「うむ、頼んだぞ」

「はい、それでは失礼いたします」

 景紀は南嶺を統べる六家当主に一礼して、会議室を後にした。冬花も貞朋に一礼して、主君の後ろに続く。
 その日、南嶺鎮台司令部では夜遅くまで兵站計画に関する議論が行われていたという。





 九月十六日、龍兵を用いて遼東半島を偵察していた聯合艦隊司令部から上陸に適した地点についての報告が南嶺鎮台にもたらされた。
 これを受けて第三軍、南嶺鎮台首脳部は上陸作戦の詳細を立案・策定。
 斉国水軍の脅威もほとんど排除されていることから、予定通り九月二十四日以降の波の穏やかな日を待って遼東半島上陸作戦を敢行することに決定した。
 こうして景紀たちは、陽鮮に続いて再び異国の地へと足を踏み入れることとなったのである。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 混成第九旅団の進撃を停止させ、仁泉で兵力と物資が十分に集結するのを待っていた第二軍司令官・一色公直陸軍大将が陽鮮王都・帯城へと進撃を開始したのは、九月十日になってからのことであった。
 この間、一色は軍直轄龍兵を用いて偵察および陽鮮半島の地形調査を入念に行っていた。
 彼が率いる第二軍は、第三、第四、第五師団の計三個師団などからなる大部隊であり、当初は東萊、元峯などにも部隊を上陸させて三方向から帯城を攻撃、占領する計画を立てていた。
 しかし、九月四日、東萊に上陸した第五旅団所属歩兵第十旅団は、北上を開始した直後から多数の困難に見舞われてしまった。東萊から帯城に向かう街道は道が悪く部隊の進撃、特に野砲の輸送や輜重車両の通行が実質的に不可能だったのである。やむを得ず物資を兵士たちに担がせたが、この年の八月から続く陽鮮半島の酷暑によって兵士の疲労は嵩み、ついには物資の一部を東萊に送り返す羽目に陥っていた。
 道中も李欽派の義兵たちの襲撃を受けるなど、李欽派陽鮮人を鎮定しながら進撃せざるを得なかったため、その進撃速度は遅々としたものであった。
 このため、一色公直は元峯に上陸させる兵力は斉軍を牽制する程度の規模に留め、第二軍の残存兵力を仁泉に集結させることを選んだ。
 だが、近代的な港湾設備の整っていない陽鮮半島では野砲やその他物資の揚陸に多大な時間がかかり、ここでもまた時間を浪費してしまった。
 帯城進撃が成歓会戦から十日以上も遅延してしまったのは、そうした事情があったのである。
 そして、この時間の浪費は、第二軍に対して将来的に大きな負担を掛けることとなったのである。





「王都が燃えている、だと?」

 一色公直が仁泉にてその報告を受け取ったのは、九月八日のことであった。偵察から帰還した龍兵がそう報告したのである。

「はい、どうやら斉軍は帯城より撤退した模様なのですが、その際に斉兵による略奪や放火が行われた模様です」

「……」

 己の参謀を通じてもたらされたその報告に、一色は険しい表情を浮かべた。
 もともと、斉軍の八旗・緑営は前近代的な軍隊である。しかも、成歓会戦などで得られた斉軍捕虜などから得られた情報によれば、陽鮮半島に侵入した斉軍の中心は征服された漢民族を中核とした緑営であるという。
 つまり、斉の朝廷は自民族からなる八旗の消耗を恐れ、被征服民族で構成された軍隊を陽鮮半島に送り込んでいたということだろう。緑営の中に幾分か郷勇(地方有力者が組織した義勇兵)が混じっているかもしれないが、それでもある種の捨て駒にされた彼らの士気が高いとは思えない。
 その結果が、撤退に際しての軍紀の崩壊に繋がったのだろう。
 これによって陽鮮民衆の反斉意識が高まってくれるのならば儲けものであり、実際、一色はそうなるように宣伝を行うつもりであったが、略奪と放火によって廃墟と化しているであろう王都・帯城への入城には不安を抱いていた。
 治安の悪化は占領地行政にも悪影響を及ぼすであろうし、今後の仁宗政権の統治も困難となるだろう。
 戦後の陽鮮半島での利権を他の六家に先駆けて得ることを狙っている一色家および伊丹家にとってみれば、陽鮮の国土に打撃を与えかねない斉軍の暴挙はむしろ痛手であった。

「また、斉軍は現在、半島北部の都市・平寧に集結しつつあるようです。恐らくは、ここでの決戦を目論んでいるものかと」

「なるほど」

「このまま、帯城を無視して北上いたしますか?」

「いや、帯城へは予定通り進撃する。我々が仁宗政権を擁護して王都に入城することには、政治的に意義あることなのだ」

 少なくとも、仁宗政権を陽鮮の正統政府としてそれを支援する姿勢をとっている皇国の立場上、仁宗政権を無視した行動は、この戦争の大義名分を危うくする行為であった。故に、一色は自分たちが到着する頃には荒廃しているであろう帯城への進軍を、予定通りに命じたのであった。





 そして九月十日。
 帯江の南岸より一色やその参謀たちが対岸の帯城を眺めれば、まだ城壁の中からは幾筋もの黒煙が上がっていた。
 放火によって拡大した火災が、未だに燃え続けているらしい。
 先行渡河した部隊が帯城へと突入したが斉兵の姿は見当たらず、抵抗の姿勢を見せる者もほとんどいなかったという。
 七月の帯城軍乱で中央軍である五営がわずか四十名弱の皇国軍に壊滅的打撃を受け、さらには斉軍が撤退の際に行った略奪・放火によって、王都を守ろうとする者がいなくなってしまったのだろう。
 王都の住民たちも、斉軍による略奪や放火で茫然自失の体か悲嘆に暮れる者がほとんどであるという。
 抵抗なく王都に入城できることは好都合であったが、一色を含めた第二軍首脳部はそれを素直に喜ぶことは出来なかった。
 彼らが王都・帯城を囲む城壁を見遣れば、奇跡的なことに南大門は焼失を免れているようであった。ただし帯城軍乱の際、あの結城の若造が連れている陰陽師によって破壊された西大門(敦義門)を始めとする西側の城壁は破壊されたままであるという。

「……」

 一色公直は苛立ちを表わすように、微かに目尻を痙攣させていた。
 斉軍に勝利し、仁宗国王を擁護して華々しく帯城に入城するはずが、こんな廃墟に入城する羽目に陥るとは……。
 一色は陽鮮半島での作戦行動の困難なるを思い、一層苛立ちを募らせていたのであった。





 その後、第二軍は王都・帯城への入城を果たし、江蘭島に逃れていた仁宗国王も帯城で奇跡的に焼失を免れた離宮の一つ(それでも内部は略奪の痕跡が生々しかったが)を仮の王宮と定めて帰還を宣言したものの、その後も種々の問題は残り続けた。
 仁宗国王の名で秋津軍への協力が陽鮮全土に呼びかけられ、太上王・康祖によって各地に建てられた斥和碑の撤去が命ぜられたものの、その効果は限定的で以後も秋津軍や仁宗国王は陽鮮民衆への対応に苦慮することになる。
 結局、第二軍が兵力や物資を集結して平寧へと進撃を開始出来たのは、ようやく十月一日になってからのことであった。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 一方、遼東半島金州街道上では、第二軍の平寧進撃に先駆けて斉軍との戦闘が発生していた。
 金州は遼東半島南部に存在する城塞都市であり、この時代はまだ人口希薄地帯であった遼東半島における中心都市であった。遼東半島を統治する金州庁も設置されているため、政治的にも重要な都市である。
 九月二十九日〇六〇〇時、これまで戦乱と無縁であった遼東半島の地に砲声が轟き渡った。
 金州城から北東十キロの地点にある破頭山という高地に、次々と弾着を示す爆炎が上がる。



「……」

 景紀は旅団の野戦司令部を置いた場所から、双眼鏡でその様を眺めていた。
 炸裂する砲弾に吹き飛ばされていくのは木で組まれた柵や矢盾で、榴弾の炸裂によって容易に破壊されていく。斉軍の象徴ともいえる鮮やかな布で作られた軍旗も、無残にも地面へと叩き付けられていった。

「……何だか、もどかしそうですね?」

 旅団幕僚として景紀の側に控えている貴通が、同期生の様子を見てそう言った。

「ん? ああいや、何となく落ち着かないだけだ。階級が一足飛びに上がっちまった所為で、後ろで将兵たちを見ているだけっていう立場にどうも違和感を覚えちまう」

 兵学寮卒業後の匪賊討伐でも、先の帯城軍乱でも、景紀は兵士の隣で指揮を執り、兵士と共に突撃した。旅団長となった今では、士気向上などのために必要ならばともかく、軽々しく景紀が最前線で軍刀を振り回すことは難しくなっていた。

「まあ、これも将家次期当主の宿命と思うしかありませんね。景くんが選抜した主要四指揮官はどなたも優秀ですから、任せておいて問題はないですよ」

 彼らが会話している間にも、砲撃は続いていく。一方で、破頭山に拠る斉軍陣地からは砲声一つ聞こえてこない。完全に一方的な砲撃が、斉軍陣地へと加えられていく。

「……頃合いだな」

 そして〇六四〇時、景紀はそう呟くと歩兵部隊指揮官・宮崎茂治郎大佐に突撃命令を下した。突撃喇叭の音と共に、今まで地面に伏せて突撃の瞬間を待ち構えていた兵士たちが一斉に立ち上がり、喊声と共に突撃を開始していく。
 破頭山陣地の占領には、三〇分と掛からなかった。早くも〇六五〇時過ぎには高地上に皇国旗が翻る。
 景紀は金州街道上を北東方向に撤退していく斉軍の追撃を後方で待機させていた龍兵第六十四戦隊に任せて、独立歩兵第一連隊には金州城北東の高地・西崔家屯に進出して金州街道を封鎖するよう命じる。
 これで金州城に籠る守備兵は、遼東半島から脱出するすべを失ってしまったわけである。

「俺たちも西崔家屯に進出するぞ」

 破頭山陣地の突破を確認した景紀は、旅団司令部の移動を決定した。騎兵科将校の軍服に身を包んだ貴通、洋装に赤い火鼠の羽織をまとった冬花や司令部付の部隊と共に、馬に跨がって西崔家屯に向かう。
 そこは、金州城から一〇〇〇メートルほど離れた地点で、標高は一四〇メートルほど。眼下に金州城を見下ろせる場所にあった。

「……」

 旅団司令部を移した景紀はその高地上から城を見る。
 大陸の城らしく、皇国の城と違って城壁内に都市が築かれている。金州は東西六〇〇メートル、南北七六〇メートルの四角い城塞都市であり、城壁の高さは六メートル、城壁の幅は四メートルもあった。
 〇九〇〇時前後、砲陣地転換中の独立混成第一旅団に対して金州城内より出撃した斉軍騎兵約二〇〇騎が突撃を仕掛けてきたが、これは多銃身砲の集中砲火によって殲滅されてしまった。
 この二〇〇騎あまりの斉軍騎兵は、火力の発達が騎兵突撃を無謀なものとさせる好例となってしまったのである。
 〇九三〇時過ぎより、砲陣地の転換を完了した独混第一旅団は金州城城壁に対する砲撃を開始した。
 その目標は、城壁上の敵兵や砲台であった。
 独混第一旅団は、軍直轄砲兵などが保有する重砲を保有していないので、城壁そのものの破壊は困難であると判断されたためである。
 一〇〇〇時過ぎには城壁上に設置された旧式の青銅砲群も完全に沈黙し、これを受けて工兵隊が北門を爆破、それと同時に城内に独立歩兵第一連隊が突入して市街戦となった。
 だが、斉軍守備隊の抵抗は長続きしなかった。一一〇〇時過ぎ、城内は完全に独混第一旅団によって制圧されてしまった。斉兵たちの士気が崩壊するのは意外に早く、多くが城門から逃げ出してしまったのである(ただし斉軍側の認識では、あえて城を明け渡すことで斉軍側は行動の自由を確保出来、再挙を図ることが出来ると考えていたという)。
 しかし、金州城から脱出した斉軍であるが、彼らは景紀の命令で追撃を開始した騎兵第十八連隊にほとんどが捕捉・殲滅される運命にあった。
 この戦闘での皇国軍の損害は負傷将校一名、下士卒二十四名で戦死者はいなかった。砲弾の消費は約七〇〇発であった。一方、捕虜への尋問など、後の調査で金州城守備隊は七〇〇から八〇〇名程度であったことが判明している。

「……なかなかの絶景だな」

 金州城に入城し、その高い城壁の上に登って昼食として配食された握り飯を頬張りながら景紀は呟いた。
 片肘を胸壁の上に置いて寄りかかりながら、彼は周囲を見回す。高い城壁の上からは大連一帯を一望することが出来た。南に目を向ければ、自分たちが上陸した大連湾柳樹屯りゅうじゅとんが見える。
 湾内には多数の輸送船が停泊しており、未だに物資の揚陸作業は続けられていた。海軍の巡洋艦二隻も、陸上作戦の援護のために停泊している。
 後に遼東半島一の商港として発展することになる大連であったが、この時代は単なる鄙びた漁村でしかなく、目立った港湾設備など何もない湾であった。
 この湾に景紀たち独立混成第一旅団が上陸したのは九月二十七日のことであった。
 斉軍は皇国軍の遼東半島上陸をまったく予期していなかったようで、何の妨害も受けることなく独混第一旅団は上陸を成功させてしまった。ただ、港湾設備が整っていないために物資の揚陸には手間取り、上陸から三日目の今日に至るまで、皇国軍は未だすべての兵員や物資を揚陸させるには至っていなかった。
 遼東半島では景紀たちの大連上陸と前後して、東方の花園口かえんこうに有馬貞朋大将直率の第六師団が上陸して陽鮮半島に近い鳳凰城、九連城の攻略を目指しているはずであった。
 第三軍は、遼東半島の東部と西部で担当区域を分けることで、有馬家と結城家にそれぞれ戦功を立てさせる機会を与えようとしたのである。景紀たち結城家が担当しているのは、金州を中心とする半島西部であり、金州の攻略によってその第一段階を達成したわけである。

「金州は遼東半島の最重要都市ですから、もう何日か粘ると思っていましたが、呆気ないものですね」

 景紀と同じように城壁からの景色を楽しみながら昼食をとっている貴通が、拍子抜けしたように言う。
 少し離れたところでは、冬花が敗残兵の破れかぶれの狙撃(といっても弓や弩によるものだろうが)を警戒して周囲に目を配ってくれている。

「まあ、驕りは良くないが、陽鮮と同じで軍としての組織も武器も差がありすぎる。妥当な結果ちゃあ、結果だな」

「それで、この後の作戦行動ですが、どうしますか?」

「第三軍の示した作戦計画通りだ。半島西端の旅順攻略は第二十七旅団に任せて、俺たちは騎兵第一旅団の揚陸が終わったら合同して北上、遼東半島の主要都市を攻略しつつ第三軍主力との合流を目指す」

 遼東半島に上陸した皇国軍は、第六師団、第十四師団、騎兵第一旅団、独立混成第一旅団の四部隊であった。第二十七旅団は、第十四師団隷下の歩兵旅団である。
 第十四師団は結城家領出身者(関東北部出身者)と東北出身者で構成されていた。結城家領および岩背県出身者からなる歩兵第二十七旅団と、嶺奥国および花岡県出身者からなる歩兵第二十八旅団を中核とする部隊である。
 第二十八旅団はこれまで嶺州軍と通称されてきた佐薙家領軍であるが、佐薙成親の失脚と嶺州の解体(南部の花岡県化)によって再編されていた。景紀は宵との東北巡遊の際に閲兵したことがあるが、佐薙家家臣団出身の反六家派軍人を予備役送りにして領軍から国軍への意識改革を行った結果、ある程度、領軍としての色は薄れている。
 ただし、反六家派軍人を予備役送りにした一方、佐薙成親に疎まれて予備役送りにされていた穏健派将校を現役復帰させて配属したため(当然、優秀な者を選抜して現役復帰させた)、完全に嶺州軍としての意識がなくなったわけではない。むしろ、故郷のために尽くそうとしてくれる健気な佐薙の姫からの閲兵を受けた影響もあるのか、主家の名誉回復のためと部隊の士気は高かった。
 一方、騎兵第一旅団は、純粋な意味での結城家領軍たる第二師団麾下の部隊である。
 旅団規模の騎兵部隊は皇国に四個しかなく、その内、第一、第二旅団を結城家領軍が占めている。今回、兵力の一部を南洋植民地の警備・守備に充てている第二師団の中から、第一騎兵旅団を抽出して戦地に派遣することになった。
 ただし、騎兵部隊単体では使い勝手が悪いことから、旅団には第二師団の歩兵連隊、砲兵大隊などを臨時に組み込んでいた。この部隊は、旅団長・島田富造とみぞう少将の名を取って“島田支隊”と名付けられていた。
 景紀の独立混成第一旅団も含めて、結城家は一個師団および二個旅団のおよそ二個師団規模の兵力を戦地に送り込んでいたのである。

「第二十八旅団は、俺たちの側面援護として復州街道を北上させて普蘭店、復州の攻略を目指す。嶺州の連中にも戦功を立てる機会をやらんと、今後の嶺州統治にも影響するからな」

 この辺りの第三軍作戦計画の立案には、当然ながら結城家を代表して景紀も関わっている。

「一応、軍事的合理性と各部隊への政治的配慮の両立はしているが、この調整の面倒臭いことこの上ないな」

「はははっ、これも六家次期当主の宿命ですねぇ」

 面白がるように、それでいて慰めるように、貴通は兵学寮同期生にそう言った。
 城壁上に腕を乗せていた景紀はなおも億劫そうな視線を飛ばしていたが、やがて溜息一つついて己の幕僚に向き直った。
 貴通の言葉は、そういう面倒も含めて僕も背負ってあげますよという意思表示に他ならない。

「とりあえず、部隊の再集結が終わったら金州郊外に野営地の確保と斉軍の反撃に備えた野戦陣地の築城を行う。同時に龍兵による偵察、地形調査も行う。島田支隊の揚陸が完了次第、これと合流、進撃を再開するぞ」

「了解です。必要資材を柳樹屯から回してもらえるよう手配します」

「ああ、頼んだ」

 そうして二人は塩むすびと沢庵の昼食を終え、勝利の余韻に区切りを付けたのであった。
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