秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第六章 極東動乱編

116 再びの陽鮮半島

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 南嶺―陽鮮半島間の海峡を飛び越えた景紀と冬花は、一旦、東萊倭館にて翼龍を休ませることにした。
 八月十三日に発生した軍事衝突によって海軍陸戦隊が倭館を包囲する攘夷派陽鮮軍を撃破して以来、東萊倭館は緊張した空気が流れつつも一時の平穏に包まれていた。
 沖合には未だ海軍の巡洋艦が遊弋しており、沿岸砲台も皇国海軍陸戦隊に占拠されたままであった。
 東萊倭館への総攻撃を企図していた李欽派陽鮮軍は、巡洋艦からの艦砲射撃を恐れて東萊市街地からさらに内陸に入った場所に陣を敷いているらしく、直接的な軍事衝突は十三日以降、発生していないとのことであった。
 三時間ほど翼龍を休ませて、二人は仁泉に向かって再び飛び立った。





「こうして上空から地上を見ていると、陽鮮半島って山が多いんだって改めて気付かされるわね」

 被り布の付いた火鼠の赤い衣を風になびかせながら、冬花が感慨深そうに地上を見ていた。

「『陽鮮半島ハ到処いたるところ山多クシテ交通便ナラス』。まったく、帯城に向かっている時も思ったが、上空から見ると兵部省の資料の通りだってことがよく判るな」

 景紀は喉元に巻き付けた小型水晶球を片手で押さえながら言った。
 これは、翼龍に乗っていても互いに意思疎通が出来るようにと冬花が用意した喉頭式呪術通信機だった。以前、冬花と共に南洋群島を翼龍で回っている時、不便を感じて作らせた呪具だった。
 喉頭式なので喉の震えを探知して声を拾うため、雑音もそれほど入らない。

「それで、撮影の方は順調か?」

「ええ、問題なく撮れているわ」

 冬花の乗る翼龍の胴体下には、撮影用術式を込めた水晶球が下げられている。それによって、仁泉へ向かう傍ら、地上の陽鮮軍や斉軍の位置や動向などを撮影していた。
 恐らくは厄介者扱いされるであろう第九旅団への、ご機嫌取りのためのささやかな手土産であった。
 敵龍兵の姿もなく、上空からの偵察は実に順調である。

「別に、このまま爆裂術式で吹き飛ばしてもいい気がするけど?」

「冬花。お前って、時々発想が物騒になるな」

 思わず苦笑して、景紀は言う。以前、宵との婚儀直後に佐薙家を潰してしまえと進言してきたことといい、今の発言といい、幼い頃のおどおどとした少女からは想像も付かないような過激な発言だ。

「だって、この情報を役立てるのは景紀じゃないでしょ? みすみす戦功を第九旅団に譲るようなものじゃない」

 冬花は、この戦争で景紀に戦功を挙げて欲しいのだろう。声には不満げな響きが混じっていた。

「まあ、戦功を立てる機会なんて、戦争をしていりゃいつかは巡ってくる」シキガミの少女を宥めるように、景紀は言う。「今は第九旅団のご機嫌を取ることが優先だ。それに、あんまり爆裂術式を使いすぎると英市郎がまたうるさそうだ」

「……りょーかい」

 少しむくれた口調で、冬花はそう言った。駄々をこねる幼子のような言い方に、景紀はくすりと笑ってしまった。

  ◇◇◇

 八月二十五日一五〇〇時過ぎ、景紀と冬花の駆る翼龍は仁泉上空に到達した。
 上空から見れば、沖合には何隻かの輸送船が停泊している。蒸気機関の煙を出している船もあれば、旧式の帆船も存在していた。
 仁泉は小さな漁村で近代的な港湾設備など存在しないため(そもそも、陽鮮半島に近代的な港湾など存在しない。辛うじて、東萊倭館に皇国が整備した港湾施設が存在する程度である)、輸送船から物資を揚陸するためには艀を使わねばならない。
 江蘭島を脅かそうとする李欽・斉連合軍から仁宗政権を守り、かつ仁宗政権そのものへ圧力を加えるために仁泉に上陸した第九旅団であるが、すでに補給には苦労しているようであった。
 一通り上空を旋回して友軍騎であることを示すと、景紀と冬花は砂浜の海岸に翼龍を着陸させた。
 景紀と冬花の物資や装備も搭載してきたため、着陸した翼龍は少しぐったりとしていた。
 二人が翼龍から降りると、すぐに砂を跳ね上げて警備の兵がやって来た。

「南嶺鎮台の有馬貞朋閣下の命により、視察に来た結城景紀だ」

 兵の誰何に答える形で、景紀は名乗った。そして、貞朋からの指令書を見せる。

「はあ、……司令部に確認してまいります」

 指令書を一読した兵士が、多少、怪訝そうな表情のまま駆けていく。
 第九旅団は斯波家領軍の第五師団麾下の部隊である。斯波家当主の兼経やその重臣が視察に来るならばともかく、他将家の人間がいったい何の用だと思っているのだろう。
 その場で待機することになった景紀と冬花は、荷物の中から翼龍のための飼料を取り出して二騎に食わせていた。

「物資の集積と野営地の設営は、順調に進んでいるみたいね」

 内陸の方を見て、冬花はそう感想を漏らした。
 第九旅団の駐屯する仁泉郊外の海岸周辺は、野戦築城による陣地と野営地が設けられていた。野営地周辺には壕を掘り、木の柵などで囲っている。さらに、合衆国の農場などで使われ始めた有刺鉄線を設置して陣地の防御力を高めていた。
 船着場も、簡易な桟橋程度は整えられている。
 野営地には、米俵の他、醤油樽や乾燥野菜の詰められた木箱が山と積み上げられ、その上に着剣した小銃を持った兵士が立って警備に当たっていた。野営地内では鶏も飼われているようで、時折、鳴き声が聞こえてくる。
 見たところ、隣接する漁村とは完全に切り離されているようであった。
 こちらは現地の陽鮮人を警戒しているし、あちらも突然やって来た夷狄の軍勢を警戒しているのだろう。
 元からあまり期待してはいなかったが、翼龍の餌として陽鮮の漁民たちから魚を調達するのは難しそうであった。
 やがて、戻ってきた兵士によって景紀と冬花は第九旅団司令部の天幕へと案内された。





 騎兵部隊や砲兵部隊を組み込んで臨時混成旅団とした第九旅団の指揮官は、大森少将という斯波家家臣団出身の将官であった。
 司令部天幕に景紀と冬花を迎え入れた大森旅団長であったが、二人に対する視線は胡乱げなものであった。同じ天幕に詰める幕僚や従兵たちも、特に白髪赤眼の少女である冬花に対して不躾な視線を向けていた。

「南嶺鎮台からの視察ということだが、どういうことだね?」

 景紀と大森はともに少将であったが、大森の方が先任である。しかし、景紀が結城家次期当主であるためか、表面上は丁寧な応対ぶりであった。ただし、明らかにこちらを厄介者扱いしている気配は、景紀も冬花も敏感に感じ取っている。

「斉軍の装備等に関する情報が不足しているため、有馬閣下より事前の偵察を命ぜられた次第です。まあ、観戦武官的なものと思って頂ければ結構です」

 貞朋公から第九旅団長宛ての書状を、景紀は差し出した。
 大森少将は、それを一読する。内容は、景紀と冬花に対して可能な範囲での便宜を図って欲しいとの依頼であった。また、第三軍が翼龍の飛行場を建設するための資材などを搭載した輸送船が仁泉に入港することについても、記されていた。

「……なるほど、有馬閣下は出来るだけこちらに迷惑を掛けぬようご配慮下さったということですか」

 大森旅団長は少しだけほっとしつつも、景紀たちへの警戒は解いていないようであった。景紀が、六家次期当主としての権力を笠に着て、旅団の作戦行動に介入しないかと懸念しているのだろう。

「それと閣下、ここまで飛行するまでの間、地上の陽鮮・斉連合軍の動向を撮影して参りましたので、手土産代わりに差し上げます」

 景紀の言葉に応ずるように、冬花が撮影に使った水晶球を差し出した。

「……ふむ」

 大森少将はその水晶球を覗き込み、中に映し出された画像を確認した。

「まあ、有り難く受け取っておきます」

 そう言って、幕僚に水晶球を預けた。

「ところで、閣下から見て半島の情勢は如何ですか?」

「空を飛んで来られたのなら見ておられるだろうが、ここから南に進んだ成歓という街道上の宿場町に約三〇〇〇の斉軍が展開していることは把握している。我々が帯城に進撃する構えを見せれば、後方を突くつもりだろう。帯城進撃の前に、まずはこの軍勢を撃破せねばならんと考えている」

「そのためにも、仁宗政権から正式に斉軍を陽鮮王国内から排除するよう、皇国へ要請を出させることが重要というわけですね?」

「ええ、その通りです」

 そこまで説明して、大森旅団長はいい加減、出て行ってくれという雰囲気を醸し出し始めた。彼としては、主家の人間ではないにせよ、六家次期当主がいては何かとやりにくいのだろう。
 この後、飛行場建設交渉のために江蘭島に出向かなければならないので、景紀と冬花も相手の心証をこれ以上損ねる前に退出しようとした。

「ありがとうございます。では、一旦、失礼させていただきます」

 景紀が頭を下げて天幕の出入り口に向かおうとした刹那、伝令らしき兵士が飛び込んできた。危うく、ぶつかるところであった。

「失礼いたします! 海軍連絡官よりの伝令! 黄海にて、我が龍母部隊が斉国水軍輸送船団に対し空襲を敢行、これに大打撃を与えた模様であります!」

 天幕に響き渡った声に、思わず景紀と大森少将は互いに顔を見合わせた。
 それは、陸軍よりも先に海軍が斉軍と交戦状態に入ったことを知らせる第一報に他ならなかった。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 すでに日が傾きかけていたが、景紀と冬花は小舟を利用して仁泉対岸に位置する江蘭島に渡った。
 仁宗政権を支援することに決定した皇国政府は、江蘭島に食糧や旧式の燧石フリントロック銃などを提供していた。そのための物資を運ぶ小舟に、同乗させてもらったのである。
 小舟には、海軍による斉軍輸送船団撃滅を仁宗政権に伝えるための第九旅団の使者も同乗していた。この戦勝によって皇国軍の優位を示し、仁宗政権に圧力をかけるためである。
 すでに江蘭島には、仁宗政権との交渉を続けている元帯城倭館館長・深見真鋤や使節団長・森田茂夫首席全権やその通訳、護衛のための外務省警察などが滞在していた。
 十三日に電信敷設交渉は妥結し、現在は陽鮮の財政安定化改革提案や斉軍駆逐要請についての交渉を行っているはずであった。
 特に斉軍駆逐要請については、外務省より「斉国軍隊ヲ国外ニ駆逐スルノ依託ヲ強取」するよう訓令が出されていた。つまり、江蘭島を武力で脅してでも斉軍駆逐の要請を仁宗国王に出させようとしていたのである。
 島に到着すると、早速景紀は仁宗国王への挨拶と飛行場建設の交渉のため、深見元館長を通じて陽鮮側に面会を申し込んだ。時間的に、恐らく謁見は明日以降になるだろうと思っている。
 だから一度、景紀は第九旅団の野営地に戻って夜を過ごすつもりであった。だが、江蘭府を出て島の船着場に戻ろうとした景紀たちを呼び止めた人物がいた。

「久しいな、景紀殿」

 景紀と冬花の前に現れたのは、貞英公主であった。

「これは、公主殿下。お久しぶりです」

「うむ。壮健そうで何よりであるのだ」

 彼女に渡していた通訳用の呪符はすでに効果が切れてしまったのか、少し発音の怪しい秋津語で陽鮮の王女は再会を喜んでいた。

「金光護殿や金寿集殿はどうされたのですか? 公主たる者が、日暮れ時にあまり一人で歩き回るものではありませんよ」

 言いつつ、景紀は冬花に頷いて見せた。シキガミの少女は主君の意図を察して、三人の周囲に呪術通信の術式を応用した通訳用術式を展開する。

「殿下、ここからは話しやすい言葉で結構ですよ」

「うむ、判ったのじゃ」

 途端、貞英の言葉が発音の怪しい秋津語から格式張った響きの陽鮮語に変わる。だが、術式を解して景紀たちの耳に入った彼女の言葉は、その意味だけはしっかりと伝わっていた。

「正直なところ、父上の側には官僚が不足しておってな。金寿集は臨時の領義政(陽鮮において、宰相に相当する役職)、金光護も臨時の礼曹判書(宮内大臣、文部大臣、外務大臣を兼ねたような役職)に任じられておる。その他、兄上に追われて島に逃げ込んできた開化派の役人たちもおるが、やはり人手不足は如何ともし難いのが現状なのじゃ」

 貞英は渋面を作っていた。

「それで、対岸の仁泉にお主らの国の軍勢がおることは知っているが、お主らは何をしに来たのじゃ?」

「翼龍のための飛行場の建設地をどこかに確保したいので、その交渉に」

「仁泉の軍勢を見た時から判っておったが、秋津国は本気で斉との戦争を考えておるのじゃな」

 硬い声音で、貞英は言った。皇国と斉との戦争になれば、主戦場となるのは陽鮮半島だろう。そうなれば、陽鮮の民が戦争に巻き込まれる。それを、幼い公主は憂えているのだ。

「先ほど、俺のところに黄海にて我が海軍と斉国水軍が交戦して我が艦隊が大勝したとの報告が入ってきましたが、公主殿下の方には?」

「……いや、まだ妾の耳には入っておらぬ」

 一瞬、貞英の表情がそれと判るほどに強ばった。

「ははっ、我ら陽鮮の者たちが恐れておる斉の軍勢を、秋津の者どもは一撃で屠り去ったか……」

 そして、戦慄に震える乾いた笑い声を上げて、十二歳の公主はそう言った。

「つまり、最早斉との戦争は避けられぬというわけか」

 貞英は悄然と肩を落とした。これから祖国に吹き荒れるであろう戦乱を予測して、暗澹たる思いに囚われる。

「斉が我が国の要求を全面的に呑めば戦争は避けられるでしょうが」

「お主の口ぶりでは、望み薄そうじゃの。まあ、斉は中華世界の盟主じゃ。夷狄たる秋津の者どもの要求を呑むなど、彼らの矜持が許さぬであろうよ」

 景紀も冬花も、この少女に掛けるべき言葉を持ち合わせていなかった。
 この情勢下では、最早陽鮮は単なる舞台装置でしかない。そこに主体的な役割は何ら期待されておらず、ただ戦争という演劇を演じようとする皇国と斉の軍勢によって踏みしだかれる運命が待っているだけであった。

「何故、このようなことになってしまったのであろうな……」

 貞英は、遠い目をして海の彼方へと沈みゆく夕日を見つめていた。
 悲嘆に暮れる公主の姿は哀れではあったが、景紀は故郷の民を思う宵に対するものほどには共感も同情も覚えなかった。博愛主義者でも何でもない自分にとって、この少女は所詮、異国の王女でしかないと割り切っている。

「……ここから先は、恐らくお主らの望む通りに進むであろうよ」

 やるせなさを隠さず、貞英は続ける。

「斉の軍勢が王都の兄上を支持して以来、宗主国に見捨てられたと思った父上はすっかり打ちひしがれてしまったようでの。今はお主ら秋津国からの支援だけが父上にとって最後の望みなのじゃ。島に逃げ込んできた開化派の者どもも同じじゃ。先の海戦の結果を耳にすれば、宗主国が今度は斉から秋津国に変わるだけだと内心では理解していても、王位を奪還するためにお主らの軍勢に協力を要請せざるを得ぬであろうよ」





 彼女の言葉は、事実であった。
 豊島沖海戦の結果におののいた斉は王都・帯城の王世子・李欽、太上王・康祖を拘束、斉本土へ連行し幽閉すると共に、攘夷派官僚を処断、その上で仁宗国王の帯城帰還を促した。
 だが、江蘭島政府はこの宗主国からの要請に応じることはなかった。急進開化派の者たちを中心に、秋津皇国と手を結んで祖国から斉の勢力を一掃するという気運が盛り上がっていたからである。
 仁宗国王もまた、斉の傀儡となるよりは危険を承知で秋津皇国の支援で玉座に返り咲く道を選んだ。
 そして八月二十八日、皇国からの圧力もあり、ついに仁宗政権は皇国に対し、陽鮮半島から斉軍を駆逐せよとの要請を発することとなった。
 同日、これを受けてすでに出撃準備を整えていた大森少将の混成第九旅団は、旅団主力五〇〇〇に臨時編入された騎兵部隊、砲兵部隊を急速に機動させ、仁泉南方四〇キロの成歓に布陣する斉軍と対峙する体勢をとったのである。
 そして八月二十九日、秋津皇国陸軍と斉国陸軍最初の戦闘となる成歓会戦が生起することとなった。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 皇暦八三五年八月二十九日、南北に延びる街道上の宿場町・成歓の上空に景紀と冬花の姿はあった。

「宿場町とはいっても、周辺は完全な水田地帯だな」

 翼龍の体を傾けて滑空させながら、景紀は地上の様子を観察していた。
 時刻は〇七〇〇時過ぎ。
 この地に布陣する斉軍三〇〇〇に対して、皇国陸軍混成第九旅団の主力部隊五〇〇〇を中心とする部隊は北方から進撃していた。

「第九旅団は敵よりも地形に苦労しそうね」

 景紀騎の斜め後ろを飛ぶ冬花が水晶通信機越しに、主君の呟きに応じる。
 実際、成歓周辺の地形は進軍に不向きなものであった。水田だけでなく、成歓北方には安城川という河川が存在していたのである。
 二日前の雨によってこの川は増水し、さらに河口に近いため満潮の影響も受けて川の水はいっそう増えていた。水田の方も、増水の影響か濁った水を湛えている。
 第九旅団は未明の内に安城川に浮橋(艀や小舟を並べ、その上に板を通して橋としたもの)を渡して渡河。そのまま成歓へと続く街道を南下中、先行する捜索騎兵隊が街道沿いの村落内から不意の射撃を受けたことで、戦闘に突入していた。
 しかし、弓や弩、よくて旧式の火縄銃で武装した斉軍に対して、第九旅団歩兵が用いているのは前装式ながら紙薬莢を使用する二十二年式歩兵銃(景紀ら軍事視察団が使用していた後装式銃である三十年式歩兵銃の一世代前の歩兵銃)であり、発射速度、射程において斉軍を圧倒していた。
 そのまま村落を突破した第九旅団は、さらに成歓に向けて街道を南下していく。
 水田に囲まれた成歓であるが、その東西には小高い山があった。
 事前偵察の結果、この二つの山を中心に斉軍主力が布陣していることが判明しており、特に東側の山に本陣が置かれていることが判っていた。これを受けて、皇国軍は西側の山を銀杏いちょう亭高地、東側を罌粟けし坊主山と呼称して、それぞれの攻略を目指すこととなる。

「罌粟坊主山の方に行くぞ」

「ええ」

 景紀と冬花は、翼龍の翼を翻して東側の山に向かった。
 罌粟坊主山の斉軍陣地に対して砲撃を加えているのだろう、上空に爆竹を鳴らすような音が届いていた。地上からはうっすらと白い煙が上がっている。
 仁泉から成歓まで一夜にして進撃した混成第九旅団であったが、それ故に重装備の移動は間に合っていなかった。特に陽鮮の道路事情が移動の障害となっており、砲車をそのまま馬に曳かせて移動することが事実上、不可能であった。
 成歓への進撃にあたって、混成第九旅団は歩兵部隊に配備されていた軽野戦砲である山砲を分解して駄馬に積み込み、現地で組み立てるという方法で辛うじて火力を確保していた(それでも八門の山砲しか輸送出来ていない)。

「撮影は出来ているか?」

「ええ、上手く撮れているわ」

 罌粟坊主山上空を旋回しつつ、景紀と冬花は地上の様子を窺っていた。斉軍陣地に爆裂術式を撃ち込むことも出来なくはないが、戦功を横取りするような真似をしようとは思っていない。あくまで、上空からの観戦に留めている。
 地上を水晶球で撮影している冬花騎を護衛するため、景紀は多少、周辺の空への警戒を行っているが、斉軍の翼龍が現れる気配はない。
 現在に至るまでも陽鮮半島内で斉軍翼龍が確認されたという報告はなく、恐らく、半島に侵入した斉軍は翼龍を伴っていないのだろう。

「こうして上空から見ていると、直接戦うのとは違った感慨があるな」

 皇国軍の砲列が一斉に白煙を上げるのを見つめながら、景紀は呟く。戦場にいながらも、ある意味で呑気な気分でいることに不思議な感慨を覚えていたのだ。
 自分もまた戦争の当事者であるはずなのに、軍記物の情景を描いた錦絵を見ているような、どこか現実と乖離しているような感覚である。

「斉軍の砲は、高地の上に一門くらいしか砲を配置していないらしいな」

 罌粟坊主山から立ち上る白煙は、一条のみである。帯城倭館に押し寄せた陽鮮軍が用いていたような、地面固定式の青銅砲なのだろう。砲弾も丸い鉄球か石球を使用しているはずである。
 これに対して、皇国軍の砲は軽野戦砲の山砲とはいえ砲身内部に旋条ライフリングを刻み、使用している砲弾も炸裂弾である。
 銃だけでなく、砲の威力、射程においても斉軍を圧倒していた。
 罌粟坊主山に木の柵や土塁などで築いた斉軍の防塁を次々と爆砕していく。
 一方、景紀たちの見ていない銀杏亭高地では、第九旅団右翼が斉軍陣地に突入。潰走する斉軍を追って銀杏亭高地南方の牛歇里ぎゅうけつりを占領して、成歓から罌粟坊主山に拠る斉軍を半包囲することに成功していた。
 そして、事前砲撃が充分に効果を上げたと判断された〇九〇〇時頃、大森旅団長は斉軍陣地への総攻撃を下命する。
 二十二年式歩兵銃に銃剣を装着した歩兵たちが、微かに上空まで届いた突撃喇叭の音に従って一斉に高地への突撃を開始した。兵士たちは軍帽の後ろに日除け用の白い垂布(兵士たちはこれを「ぼうたれ」と呼んでいた)を付けていたので、上空から見ると白い芥子粒のような集団が一斉に高地に襲いかかっている様子が判る。

「……けっこう、呆気なく終わったな」

 斉軍側が陣地に拠っていたことを考えれば攻撃側の第九旅団はもう少し苦戦するかとも思ったが、それ以上に斉軍の内実が旧態依然としていたらしい。
 斉国陸軍の編制については景紀も一陸軍軍人として把握している。
 斉軍の正規軍は八旗と緑営という二つの組織から成っており、八旗は北方騎馬民族であった斉の故郷・満洲の成年男子から構成される八つの部隊、緑営は征服した中華帝国に住まう漢人たちで構成された部隊であった。斉軍は総勢五〇万といわれているが、軍事制度は王朝を成立させた約二〇〇年前から進歩しておらず、さらには幾度かの乱やアヘン戦争でその弱体ぶりを露呈していた。
 近年では正規軍に代わって、各地の有力者に義勇兵を組織させる「郷勇きょうゆう」という私兵集団で正規軍の弱体化を補おうとしているらしいが、それでも斉と同じ封建国家ながら軍の近代化を成し遂げていた皇国軍には敵わなかったようである。

「冬花、斉軍の逃げている方向を第九旅団司令部に伝えてやれ」

 景紀は喉元の通信用水晶球を抑えつつ、そう命じた。

「いいの?」

 冬花としては、相変わらず景紀が戦功を斯波家領軍に譲ることに不服なようであった。

「一色公に対するちょっとした嫌がらせと考えろ」

 そんな彼女の言葉に、景紀はにやりと笑みを見せる。

「ここで斯波家が戦功を挙げれば、第二軍司令官の一色公の戦功が減るわけだ」

「……まあ、それもそうね」

 ちょっとだけ考える間を置いて、冬花は同意した。彼女としても、昨年の六家会議で一色公直が自身の主君である少年に示した態度に苛立ちを覚えていたところである。そういうことならば、納得出来た。
 冬花は敗走する斉軍の撮影を続けつつ、呪術通信で斉軍の動向を第九旅団司令部へと伝えた。





 この後、混成第九旅団は成歓南西の牙山方面に敗走する斉軍を追撃し、一六〇〇時頃、牙山にて再び斉軍を捕捉、薄暮の戦闘にてこれを撃滅することに成功する。
 この一連の戦闘で斉軍は二〇〇〇以上の兵力を失う一方、皇国軍の損害は死傷者八十二名に留まっていた。
 豊島沖海戦と成歓会戦の結果、陽鮮半島南部に進出していた斉軍は増援を受ける手段を失い、孤立しつつあったのである。
 半島南部の斉軍のおおよその位置は、冬花が第九旅団に提出した水晶球によって明らかになっており、第九旅団はさらなる戦果拡大のため、牙山南東の公州に陣を敷く斉軍三〇〇〇の撃滅を企図した。
 八月三十日は仁泉からの補給と兵士の休養のために牙山で野営、翌八月三十一日、公州に進撃する予定であった。
 だが、ここで第九旅団は思わぬ妨害を受けることとなる。
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