秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第六章 極東動乱編

114 独立混成第一旅団

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 皇暦八三五年に編成された独立混成第一旅団は、後の皇国陸軍の諸兵科連合部隊の嚆矢ともいえる存在であった。
 植民地の警備・守備のために歩兵連隊を基幹として騎兵、砲兵を加えた混成旅団はそれ以前にも存在していたが、あくまで臨時の部隊という扱いであり、諸兵科連合部隊を目指して編成されたものではない。また、これら旅団は内地の師団から引き抜かれた部隊を以て編成されており、師団司令部の指揮下にない独立部隊とはそもそも部隊の性格からして違っていた。
 加えて、独混第一旅団は、麾下に直属の翼龍部隊を持っていることもこれまでの部隊とは異なっている点であった。
 編成当初の独立混成第一旅団は、次のような部隊から成っていた。

独立混成第一旅団  旅団長:結城景紀少将
旅団司令部……司令部小隊、特殊砲小隊(多銃身砲二門)、呪術(通信)分隊、気球班
独立歩兵第一連隊  連隊長:宮崎茂治郎大佐
  三個歩兵大隊
  一個歩兵砲中隊(歩兵砲四門)
  一個特殊砲中隊(多銃身砲八門)
 騎兵第十八連隊  連隊長:細見為雄大佐
  三個騎兵大隊(一個大隊は三個騎兵中隊および一個特殊砲中隊からなる)
  一個騎兵砲中隊(騎兵砲四門)
 独立野砲第一大隊  大隊長:永島惟茂少佐
  三個野砲中隊(野砲十二門)
 龍兵第六十四戦隊(翼龍四十八騎) 戦隊長:加東正虎少佐
 独立工兵第一中隊
 輜重中隊 など

「独立混成第一旅団……」

 貴通は、景紀の言った言葉を繰り返した。

「何だかこう、ぐっと来るものがありますね」

 訓練総監の百武将軍と共に編成に携わってきた彼女にしてみれば、感慨もひとしおなのだろう。

「お前は教導兵団の査閲官から、旅団幕僚だ。合わせて大佐に昇進させるという辞令も入っている」

 景紀は兵部省の公用使が届けた辞令書を、封筒ごと貴通に渡す。

「独立部隊。どこの師団にも属さない、景くんだけの兵団です。そして僕はその幕僚。ああ、これですよ、これがやりたかったんですよ」

 何やら、貴通は軽い興奮状態に陥ってしまったらしい。
 ちなみに、幕僚は貴通のみである。冬花は軍人でも軍属でもなく、あくまでも“結城家次期当主である景紀の補佐官”という立場で従軍するので、幕僚業務は貴通一人でこなさなくてはならない。
 とはいえ後世と違い、参謀本部や陸軍大学校すら創設されていないこの時代の皇国陸軍において、組織的に養成された参謀というものは存在していない。
 師団についても、参謀長の他に参謀は二名しか置かれていなかった。この二名はそれぞれ作戦参謀と兵站参謀であり、後世のように情報参謀、通信参謀などといった役職は存在しない。
 旅団の幕僚が一人だけというのは、同時代的に見て特別少ないとはいえなかった。

「それと、旅団に対して南嶺鎮台への移動命令が出ている」

 景紀は命令書を机に上に示した。

「二十日〇七〇〇時を以て新治にいはり港から南嶺に向かう。徴発した輸送船の手配が済んだようだ」

 新治港は、結城家領で泰平洋に面した最大の商港であった。特に、結城家御用商人であり国策会社でもある南海興発の船が頻繁に利用している。
 澄之浦の演習場からは、直線距離で二〇キロほど。領内有数の商港だけあって、そこへ至るまでの交通網は十分に整備されていた。

「今が十八日の一〇二三時ですから……」

 さっと時計を確認した貴通が、即座に部隊の移動に必要な時間を計算し始めた。

「鉄道貨車への砲や馬、弾薬の積み込み、港への移動、そこからさらに輸送船への積み替え作業などの時間を考えますと……」

 彼女はさらさらと筆記帳に必要時間を書いていく。
 軍夫を動員しての貨車への積み込み作業に六時間から八時間、港への移動は戦時輸送ダイヤに切り替わっているので一時間、船への積み替え作業にはやはり軍夫を動員して十時間から十二時間、いや、今は夏で暑い。余裕を見て十四時間は必要か……。
 この時代、まだ鉄道貨車からそのまま船へ積み替えられる輸送用コンテナなどは普及していない(石炭用のもののみ、皇国や連合王国など海運の盛んな国家で普及していたが)ので、鉄道から一旦下ろして、それをさらに船に積んでいくという作業が必要となる(輸送用コンテナが普及するには、まだ一世紀近くの時間が必要だった)。
 移動時間も含めた必要時間は、二十三時間ほど。不測の事態なども考えれば、丸一日は欲しい。
 それに、夜間の作業は効率が落ちるので、船への積み込み作業は昼間の内に済ませておきたい。
 つまり、十九日の朝までには新治港へ部隊の人員、装備、弾薬等の移動を済ませておかなければならないのだ。

「港への到着を十九日〇六〇〇時と設定して、今夕までに貨車への積み込みは終わらせておくべきでしょう。輸送船への積み込み完了を十九日二〇〇〇時と想定します」

「了解。貴通、すぐに各隊長を集めろ。ああ、それと冬花に一つ、頼みがある」

「何?」

「新治の花街と宿屋を今のうちから確保しておいてくれ。十九日二〇〇〇時から翌二十日〇五〇〇時まで隊員たちに外泊許可を出す。船員たちや沖仲仕たちに、最後の自由時間を邪魔されないようにしておけ。必要なら、俺の名前を出せ」

「判ったわ」

 冬花は一つ頷き返し、部屋から駆け出していった。

「ああ、すみません」

 そんな白髪の少女の背中を見送った貴通が、景紀に向き直ってすまなそうにそう言う。

「僕は夜間の積み込みを避けるという意味で時間を設定しただけで、そこまで考えていませんでした。そうですよね、皆さん、男の人たちですものね」

 彼女は、失念していた自分自身を恥じているようであった。
 ひとたび戦地に出れば、兵士たちは女性と接する機会を失うことになる。だからこそ、指揮官として兵士たちのそうした欲求を管理することは重要で、占領地での婦女暴行などが起これば現地民の反発を買ってその後の占領政策に支障を来すし、何より性病などをうつされば部隊の機能そのものが低下することになる。
 皇国軍は戦国時代末期以来の海外派兵や植民地支配によって、こうした経験を何度もしてきた。前回の海外派兵である広南出兵においても、部隊での性病の蔓延が問題となったこともあった。
 特にこの時代、梅毒は不治の病とされ、さらに遺伝性があることから中央政府も各地の諸侯も、そして軍もその蔓延防止には注意を払っていた。花街の芸妓などには定期検診が義務付けられており、逆にそうした公的な管理が及ばない私娼(実態としては公娼の数よりも多かった)は官憲による取り締りの対象ですらあった(これは性病予防の他に、公娼の利益保護という側面もある)。

「まあ、そういうところは互いに補っていけばいい。何、兵学寮の時と同じだ」

「そう言っていただけると助かります」

 自身の至らなさにちょっとだけ肩を落として、貴通は小さく息をついた。

「それじゃあ、各隊長たちに集合をかけてくれ」

「はい、了解です」

 貴通は一礼してくるりと踵を返し、執務室から駆け出していった。数分後、各部隊の隊長たちが旅団長執務室に集合し、景紀の口から南嶺鎮台への移動命令が伝達された。





 なお、最後の自由時間の話が広まった旅団では、貴通の予想を上回る速度で装備弾薬の積み込み作業を完了させてしまった。
 十四時間を見込んでいた輸送船への積み込み作業は、大きな事故もなく十時間ほどで完了してしまったのである。
 現場で作業を監督していた貴通は、景くんは人の使い方が上手いな、と改めて思ったという。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 一個旅団約五〇〇〇人の将兵たちが一夜を過ごすことになった商港都市・新治は、陽が落ちても喧噪に包まれていた。
 そんな街の様子を、夕涼みがてら、景紀は宿屋の二階からぼんやりと見つめていた。

「景くんは混じらなくて良いんですか? 主要四隊長(歩兵、騎兵、砲兵、龍兵の四隊長のこと)の皆さんは料亭の方で内地の酒を呑み溜めておくなんて言っていましたけど?」

 風呂上がりらしく髪を少し湿らせたままの貴通が、白い着流し姿で部屋に入ってきた。

「ん? ああ、まあな」

 景紀は障子枠に腰掛けたまま、顔だけを貴通に向ける。

「そんなところに旅団長がいちゃあ、楽しむものも楽しめないだろう? 最後の自由時間を楽しませてやるのも、上官の務めだ」

「と、いうのは建前で、本当はああいう場所が苦手なのでしょう?」

 からかうように、貴通は笑う。

「まあな。六家だからって、女どもが近寄って来るのはあまり良い気分がしない。皇都の高級料亭とかだとその辺りを弁えているが、こういうところはな……」

 兵学寮時代、先輩たちに無理矢理、花街に連れていかれた経験を思い出し、景紀は苦い表情を見せる。

「景くんのそういう潔癖なところ、僕は好きですよ」

 風呂の熱で少し上気した顔に、貴通は年相応の少女の笑みを浮かべた。今は認識阻害のお守りも外しているらしく、慎ましやかながらも存在する胸の部分の膨らみが、着流しの上から露わになっている。

「潔癖ってのとは、また違うと思うけどな」

「それでも、女性から見れば好ましい在り方だと思いますよ。どこかの代議士先生のように、行く先々で愛妾を作ってくる殿方は流石に眉をしかめてしまいます」

 今の貴通は、満子に戻っているようだった。
 陽鮮で風呂を共にした時と同じように、男として振る舞うことの精神的重圧を、今だけは忘れたいのだろう。

「僕も、そういう景くんだから幕下になりたいと思ったんです」

「まっ、褒め言葉と素直に受け取っておくよ」

 苦笑交じりの軽い口調で、景紀は応じた。自分はそんな高尚な人間ではないし、そう言っている満子だって相当に歪んだ人間だ。
 あるいは、互いのそうした歪さが上手く噛み合ったからこそ、今の関係があるのかもしれない。

「ところで景くん?」

「ん?」

 不意に近付いてきた満子が、自身の肩に掛かっていた手ぬぐいを景紀の頭に被せた。

「おっ、おい!?」

 抗議の声を上げる景紀を無視して、満子は少年の髪を拭き始めた。

「まったく、景くんは時々ずぼらになるんですから。髪、ちゃんと拭いておかないと駄目ですよ」

 だらしのない弟を叱る姉のような口調で、満子はそのまま景紀の髪を拭き続ける。

「夏だからって油断していると、すぐ風邪を引きますからね」

 満子や冬花よりも先に風呂を済ませていた景紀の髪は、確かに彼女の指摘するように濡れていた。最後の自由時間だからと、気を抜いていた所為だった。
 案外、ここ数日の情勢の変化に緊張していたのかもしれない。
 満子はわしゃわしゃと、どこか楽しげな手付きで景紀の髪を拭いていた。決して乱暴ではない、相手を慈しむような手付き。
 が、少し二人の体勢がまずかった。

「……ちょ、そこまで」

 ぐい、と景紀は少し強引に満子の腕を掴んで髪を拭くのを止めさせた。

「もう、ちゃんと拭かないと……」

 ぷくりと頬を膨らませて不満げな満子の着流しの合わせ目を、景紀は手を伸して閉じさせた。

「あの体勢だと見えてるんだよ、色々と……」

 脱力したように顔を俯けて、景紀は溜息を付いた。
 夏で、さらに風呂上がりということで緩めにしていたらしい着流しの合わせ目から、彼女の胸の膨らみが見えていたのである。それも、完全に。
 風呂に入って艶を増したように見える肌も、目の毒だった。

「……別に、僕は気にしていませんが? 今更じゃありませんか?」

 一方の満子は、陽鮮で自分の裸身を景紀に晒したからか、心底、不思議そうにしていた。

「男ってのは、色々と複雑なんだよ。風呂での裸よりも、はだけた服の合間から見えた方がよっぽど扇情的だったりする」

 げんなりとした口調で、溜息交じりに景紀は説明した。

「お前が女に戻る時間を作りたいって気持ちは判るが、少し気を付けてくれると俺としちゃあ助かる」

「ふふっ、やっぱり景くんは潔癖ですよ」そんな景紀に、満子は好ましそうな笑みを向ける。「だから僕も安心して女に戻ることが出来るんです」

「安心し過ぎられても困るんだが? 秘密の共有者って言ってくれるのは嬉しいが、多少の警戒心は持ってくれ」

「僕は景くんと兵学寮で五年も同室だったんです。今だってこうして行動を共にしているわけですから、逆に警戒心を持つことの方が景くんに対して失礼な気がします」

「お前なぁ……」

 ちょっとだけ恨めしそうに、景紀は満子を見た。
 そんな兵学寮同期生に対して、男装を解いた少女は衒いのない口調で続ける。

「僕も一応、景くんに迫られた時は受入れる覚悟はしているんですよ。側室としての振る舞いは出来ないでしょうけど、景くんのお相手を務めるくらいでしたら僕でも出来ますから」

「あんまり際どい台詞を言わんでくれ」

 制止するように片手の掌を満子に向けて、景紀はもう片方の手で顔を覆った。

「まあ、僕はそういう覚悟もしているってことを、景くんには伝えておきたかったんです。不快にさせてしまったなら、申し訳ありません」

 満子の声には、からかいの響きは一切なかった。

「不快ってわけじゃあないんだが、何と言うか、重いと思っただけだ」

「そりゃあ、僕はどうしたって女ですからね」満子は少しだけ声に自嘲を混ぜた。「殿方のお側に控えるとなれば、その程度の覚悟は必要でしょう。恐らく、僕の母もそうだったはずです」

 景紀に体で迫って自分の居場所を確保しようとは思わないという満子の考えは、今も変わっていない。それなのに、景紀の方から来るのなら満子は拒もうとは思っていなかった。
 矛盾した思いではあるが、景紀の幕下としてずっと彼の側にいたいと願うならば、その程度の覚悟はしておかなければならないと思っている。女というのは、結局そういう生き物なのだと、彼女は顔も知らぬ母から学んでいた。

「前にも言いましたが、僕は景くんを思慕する気持ちだってあるんです。だから、その覚悟は別に悲壮だとか諦観交じりだとか思っていただく必要はないですからね」

 景紀が変に責任を感じることも望まないので、満子はそう付け加えた。

「多分、冬花さんも同じだと思いますよ」

「あー、そこの襖の向こうで冬花が身悶えしてそうだから、それ以上は止めてやってくれないか?」

 景紀が流し目を襖の方に送ると、がたんと襖が揺れた。少しの間を置いて、気まずそうに顔を赤らめた冬花がおずおずと部屋に入ってきた。
 男装のために髪が短い満子と違って冬花は髪が長いので乾かすのに時間が掛かっていたのだろうが、それが逆に部屋に戻ってくる頃合いを見失わせることになってしまったのだろう。
 冬花は所在なさげに視線を彷徨わせ、両手をもじもじと絡め合わせている。

「わ、私は別に景紀のシキガミでいられればそれで満足っていうか……、まあ、貴通様のような覚悟もないこともないけど……」

 千代での温泉の時とまったく変わっていない冬花の初心うぶな反応に、景紀は微笑ましげな視線を送った。その視線に気付いた途端、白髪の少女は自らの羞恥心を隠すように拗ねた表情を浮かべ、大股で景紀に近寄ると、その視線を覆うように自らの手ぬぐいで景紀の髪をごしごしと拭き始めた。

「うわっと、もう少し優しく、優しくな!」

 自らの恥じらいへの八つ当たりのように乱暴に主君の髪を拭こうとする冬花に、景紀は笑いながら抗議の声を上げた。
 そんな主従の戯れを、満子はくすりと笑いつつも、少しだけ羨ましそうに見守っていた。





 その日の夜は、景紀を真ん中にして三人で並んで眠ることになった。
 そして翌二十日、彼らは輸送船に乗り込み、南嶺鎮台へと出発した。到着したのは、四日後の八月二十四日であった。
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