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第六章 極東動乱編
113 真夏の海戦
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十五日の政府声明以降、皇国では本格的な対斉開戦外交が進展し始めた。
まず、仁宗政権との電信敷設協定が十三日に現地において結ばれており、政府声明発表後、その報告が二日遅れで外務省にもたらされた。また一方で、仁宗が政権を奪還した後の財政安定化に皇国が協力するという改革案もすでに仁宗政権側に提示しており、仁宗政権は急速に皇国との繋がりを深めつつあった。
また、皇国に対して斉への共同出兵を持ちかけてきていたアルビオン連合王国に対しては、対斉交渉の調停役を打診することで配慮を示している。この当時、連合王国は先のアヘン戦争で割譲された斉国南部の香江に総督府を設置し、香江総督が駐斉アルビオン全権使節を兼任していたため、この香江総督が皇国・斉両国の調停役となった(すでに皇国と香江との間には、海底電信が敷設されていた)。
もちろん、皇国も連合王国も対斉交渉の妥結の可能性は低いことを理解していた。皇国による連合王国への調停役の打診は、あくまでも戦後における共同での斉国市場の独占を目指そうとする思惑、そして斉国市場を独占することに反対してくるであろうフランク、ヴィンランド両国との対立に連合王国を巻き込もうとする思惑から出たものであった
この時、皇国が斉側に要求したのは、李欽簒奪政権への支援の停止、半島からの斉軍の全面撤退、半島での擾乱で皇国が蒙った被害に対する賠償、であった。
最後の賠償については、陽鮮が斉の属国であるならばその責任は宗主国である斉が取るべき、という理論に基づいている。これはすでに、陽鮮に自国民を殺害されたフランク共和国とヴィンランド合衆国が陽鮮に派兵する直前、斉の責任を追及する際に用いた理論であった。
これら皇国側の要求は、すでに派遣されていた特使を通じて八月十七日、斉側に通告された。
しかし十九日、皇国は陽鮮南部に対して斉が水軍による兵力輸送を計画しているという情報を入手した。これを受けて、皇国海軍聯合艦隊は輸送船団の撃滅を目的とする出撃命令を下令、大本営は斉軍と接触次第、交戦を許可すると命令した。
他方、十五日に動員令の下った陸軍では、陽鮮の正統政府である仁宗政権を援護する目的で、十八日、半島への先遣部隊約九〇〇〇名が内地を出発していた。この部隊は蓬州鎮台麾下の第五師団から歩兵第九旅団を基幹として、騎兵一個中隊、砲兵一個大隊、工兵一個大隊や輜重部隊を付けた臨時編成の混成旅団であった。
すでに演習の名目で動員を完了していた南嶺鎮台の部隊ではなく、あえて斯波家の影響下にある蓬州鎮台の部隊が先遣隊として選ばれたのは、皇国国内の政治事情が関係している。つまり、伊丹、一色両公が有馬家の“抜け駆け”を恐れた結果、六家の中でも中立派(より正確には、政治的無関心派)である斯波家領軍が先遣部隊として派兵されることになったのである。
伊丹、一色両公は有馬家が陽鮮での利権を自分たちに先駆けて得ることを警戒したのだ。
もっとも、こうした警戒は、当の有馬頼朋翁が半島利権に無関心であったことを考えると、取り越し苦労の感が否めない。
こうして十八日、内地を出発した混成旅団は、二十一日、江蘭島の南側に位置する陽鮮本土の漁村・仁泉へと上陸した。しかし、まだこの段階では内陸部への進撃は許可されていなかった。内陸部への進撃は、仁宗政権から正式な派兵要請があってからとされていたのである。
このようにして皇国が斉との対決姿勢を強めていく中、斉側の対応は華夷秩序に基づく旧例を遵守したものであった。
まず、皇国側の要求に対しての回答が二十日、外務省にもたらされた。斉は属邦保護の旧例による出兵であるとの主張を繰り返し、皇国からの賠償要求に対しても陽鮮は「属国自主」であるとしてその賠償を拒絶した。
この「属国自主」という言葉は、華夷秩序独特の概念であり、属国といえども朝貢しているだけで、その国の内政に関して斉は干渉せず、まったくの自主であるという主張である。
そして「属国自主」という回答は、皇国側が狙って引き出したものであった。すでにフランク共和国とヴィンランド合衆国の事例から、属国の行為に対して斉の責任を追及した場合、どのような回答がもたらされるのか、皇国の外交当局者は判っていた。
こうした斉側の回答に対して皇国は、陽鮮が自主の国であるならば斉が簒奪者を支援し正統な政権を圧迫するのは自主の国に対する内政干渉であるとして、改めて斉軍の撤兵を求めた。陽鮮を「自主の国」と認めた斉側の主張を、逆手に取ったわけである(もちろん、皇国自身も半島への派兵を決定していたため、この主張は完全な二重規範になっていたが、皇国はあえてそれを無視した)。
この斉側の回答によって、李欽簒奪政権をあくまで支援して内政干渉を続ける斉は東洋平和を乱す国家、皇国はそれに対して陽鮮の正統な政権を擁護して東洋平和を回復させようとする国家、という判りやすい対立構造を描き出すことが出来、皇国はこれ以降、国内世論・国際世論をこのように誘導していく。
八月二十二日、香江総督の派遣した使者が斉の都・燕京に到着し、秋津皇国からの要求に従うよう、斉国朝廷に対して勧告した。しかし、斉側はアヘン密貿易を取り締った報復として戦争を仕掛けてきたアルビオン連合王国に対して不信感を抱いており、香江総督の使者からの勧告を拒絶しただけでなく、随員も含めた使者一行を拘束、幽閉してしまった(拒絶の証として首だけを送り返すようなことをしなかっただけ、斉も連合王国の軍事衝突を恐れていたといえる)。
こうした斉の姿勢は、逆に第二次アヘン戦争の口実を探していたアルビオン連合王国に対して、最後の一押しをする結果となってしまった。香江総督から報告を受けた連合王国本国政府はただちに開戦の可否を決定するための議会を招集し、その後、皇国が斉との戦端を開いたのを確認した後、本国からの遠征軍派兵を可決するに至る(なお、遠征軍の到着は、この年の十二月になってからであった)。
八月二十四日、斉は黄海最奥に位置する港・大沽(塘沽)より、陽鮮南部へ増援として送り込むための輸送船団を出港させた。だが、この船団は即日、黄海を遊弋していた皇国海軍に捕捉された。斉側は、皇国海軍の動向を十分に把握していなかったようである。
船団は、皇国海軍の待ち構える海域へと向かうことになってしまったのだ。
この報告は呪術通信と電信を経由して、その日の内に兵部省へともたらされた。これによって、皇国政府は斉国との交渉妥結の可能性なしとの結論を下すに至る。
翌二十五日、陽鮮西部・豊島沖にて皇国海軍の龍母から飛び立った龍兵によって、斉国水軍輸送船団に対する大空襲が敢行された。
これが、事実上、皇国と斉との間に起こった最初の軍事衝突である。
しかし、その結果はあまりにも一方的なものであった。のべ二〇〇騎の翼龍による空襲を受けた輸送船団は壊滅し、一兵たりとも目的地に辿り着くことなく黄海の底へと沈んでしまったのである。これによって、斉軍は陽鮮南部へと派遣するはずであった三〇〇〇名の陸兵と装備を失ってしまった。
皇国では大本営によって、この戦闘は後に「豊島沖海戦」の名称が与えられた。
一方、この事態は斉側にとって衝撃的であったらしく、ここに来てようやく皇国との交渉に臨む姿勢を見せ始めたが、すでに交渉の時機を逸してしまったと言ってよい。
だが、ここで斉が見せた皇国との全面戦争回避のための打った策は、ある意味で妙手といえるものであった。
それは、陽鮮王都・帯城にいた王世子・李欽と太上王・康祖を拘束、斉本土へ連行して幽閉するという行動である。この措置は、中華皇帝が任命した陽鮮国王を退けて政権を簒奪したことは宗主国に対する反逆である、という理由に基づくものであった。李欽政権派の役人たちも、斉によって次々と処断されていった。
それまで支援していた李欽政権を自ら崩壊させたということは皇国への譲歩であったが、同時に中華帝国としての面子も保てる良策であった(あくまで、斉側の主観において)。斉としては、残った賠償問題は陽鮮と皇国との間で交渉すべき事項であり、これによって戦争は回避出来ると睨んだのであろう。
こうして李欽政権への態度を急変させた斉は、半島に派遣した軍の将軍を通して仁宗に対して帯城への帰還を促した。
だが、帯城に帰還すれば半島全土に軍を展開させている斉の傀儡となることは目に見えている仁宗国王は、これに応じようとしなかった。特に江蘭島政府の中でも急進的な開化派は、この機会に秋津皇国と手を結んで半島から斉の影響力を一層すべきとの強硬意見を仁宗に上疏した。
結果、二十八日、仁宗国王は半島から斉軍を駆逐するという要請を皇国に出すに至る。
ここに、皇国の対斉開戦決意は完全に固められることとなったのであった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
このように極東情勢が動いていく中、景紀ら教導兵団の者たちも戦地へ赴く準備を進めていた。
すでに東北鎮台麾下の第二師団、第十四師団は動員が開始されていた。ただし、戦時には嶺州軍を麾下に組み込むことになっている千代の第十四師団の方は、動員が遅れていた。理由は単純に、嶺州の交通網の未発達である。
嶺奥国首府・鷹前から千代に集合するのには、陸路で十日はかかるのだ。
そのため、第十四師団が戦時編制に移行するには、最短でも八月二十五日を待たなければならなかった。
ただし、一方の第二師団にも問題があった。結城家領出身者のみで占められる第二師団は完全なる結城家領軍ともいえたが、そうであるが故に南洋植民地の警備・守備に二個連隊を派遣しており、一部の兵力を欠いた状態だったのである。
なお、師団の平時編制は将兵九一九九名、軍馬一一七二頭からなっているが、戦時編制では将兵一万八五〇〇名、軍馬五五〇〇頭と大幅に強化される。
こうして各諸侯が動員を行っている間、中央では十七日、対斉作戦に関わる兵力部署が発令された。
それは、征斉大総督の下に三個軍を編成するというもので、次のような編成となっていた。
征斉大総督:長尾憲隆陸軍大将
第一軍 司令官:長尾憲隆陸軍大将
第八師団(長尾家領軍)
第九師団(榧太駐箚軍)
沿海州独立守備隊
第二軍 司令官:一色公直陸軍大将
第三師団(一色家領軍)
第四師団(伊丹家領軍)
第五師団(斯波家領軍)
第三軍 司令官:有馬貞朋陸軍大将
第六師団(有馬家領軍)
第十四師団(結城家領出身者+東北出身者)
騎兵第一旅団(結城家領軍、第二師団麾下)
結城家領教導兵団(結城家領軍)
第一軍は氷州、沿海州から斉国東北地方・満洲および陽鮮半島北部に侵攻し、第二軍は陽鮮半島南部に上陸、第三軍は黄海に突き出した遼東半島に上陸、最終的には直隷平野(斉の都周辺に広がる平野)での決戦を目指すというのが、陸軍の対斉作戦の骨子であった。
第十五、第十六師団からなる氷州軍が組み込まれていないのは、この二つの師団はルーシー帝国への牽制のために必要であったからである。
景紀が澄之浦に帰還してまず命じたのが休暇取り消し命令であった。
さらに十七日に兵力部署が発令されると、部隊は南嶺鎮台へ合流するために装備や武器弾薬などの集積作業に追われることとなった。
そして翌十八日。
「冬季装備の確保については、予備も含めて十分な量が確保出来ました」
兵団司令部となっている木造庁舎で、帳簿片手に貴通がそう言った。それを聞く景紀もまた、兵団に関する資料を眺めていた。
「大陸での越冬に際しては、大丈夫と言い切ることは出来ませんが、相応の対策は出来ます」
「助かる。駄馬や軍夫の割当の方はどうだ?」
「そこは流石、六家嫡男の部隊と言うべきでしょうか、河越の方から必要数を派遣すると言ってきました」
からかうように笑って、貴通は報告する。
軍夫とは、軍人ではなく軍属として軍の雑役に従事する者たちのことである。これの募集は軍が直接行うのではなく、軍の要請に従って各地域の役所の兵事担当者が行う。
「まあ、ちょいとずるい気もするが、ここはありがたく受け取っておくことにしよう」
景紀も、釣られたように苦笑を浮かべる。
「あと、うちの兵団は元々編成が完了しているから多分大丈夫だとは思うが、靴擦れとかを起こしている兵士はいないか?」
「軍医からの報告では、特にないようです」
この時代、皇国の農村地帯では未だに靴を履く習慣が広まっていなかった。そのため、農村出身の者が軍に入隊してまず悩まされるのが、靴擦れであった。これは徴兵されたばかりの者に限らず、再度、招集された補充兵にも起きる症状であった。
このために、部隊の移動に際して問題が発生するという報告が以前から兵部省に上げられてもいる。
「それと、お前のことだから問題ないと思うが、お前自身が必要なものは揃えられたか?」
あえて何のことであるのかを明示しない景紀の問いかけを、貴通は即座に理解した。
「ええ、そちらも問題なく。ただ、どれくらいの期間、戦地にいるのか判りませんから、途中で不足してくるかもしれないのがちょっと怖いですが」
いくら認識阻害のお守りで周囲に男と認識させている貴通であっても、女であることには変わりはない。兵学寮では女であるが故の体の不調で、景紀の世話になったこともある。
胸に巻くさらしや月のものが来たときのための布など、用意しておかなければならないものがあるのだ。
ただ、貴通自身はこの問題で景紀の手を煩わせたくないと思っている。それに、兵学寮に入学した十歳の時から軍人として体を動かしていたからか、月のものが襲ってくるのがかなり不定期で、貴通自身もどの程度の準備をしておけばいいのか、正直いって判らない面もあった。そんな不確かな自分の体調のために、この同期生の悩みの種を増やすのは彼女の本意ではなかった。
「まあ、不足しそうでしたら支給される褌でどうにかしますので、その点についてあまり景くんは心配しなくて大丈夫ですよ」
「了解。ただ、困ったことがあったら、その時は相談しろよ」
あまり気を遣いすぎるのも貴通に対して失礼だと思い、景紀はこの話題を打ち切ることにする。
と、その時ちょうど良く部屋の扉が叩かれた。
「冬花です」
「入れ」
把手を回して扉を開け、冬花が入ってくる。
「さっき、兵部省からの公用使がやってきて、これを景紀に届けて欲しいって」
封緘された書類を、冬花は景紀に渡した。
「何だ、移動命令か?」
封筒を開け、景紀は内容を確認する。
「……ああ、そういうことか」
冬花が渡してきた書類は、新部隊編成の功を以て景紀を少将に昇進の上、当該部隊の指揮官に任命するという辞令書であった。ただ、書類はそれだけではなかった。
「……おっ、ついに俺たちの部隊の正式名称が決まったぞ。流石に“教導兵団”のままだと、格好が付かんからな」
封筒の中には、教導兵団を正式な部隊に格上げすることの通達書も入っていたのである。それを読んだ景紀がにやりと笑みを浮かべる。
「それで、僕たちの部隊の正式名称は何と?」
貴通が期待するように小首を傾げる。そんな軍装の少女に、景紀は通達書を示した。
「独立混成第一旅団。独混第一旅団、だ」
まず、仁宗政権との電信敷設協定が十三日に現地において結ばれており、政府声明発表後、その報告が二日遅れで外務省にもたらされた。また一方で、仁宗が政権を奪還した後の財政安定化に皇国が協力するという改革案もすでに仁宗政権側に提示しており、仁宗政権は急速に皇国との繋がりを深めつつあった。
また、皇国に対して斉への共同出兵を持ちかけてきていたアルビオン連合王国に対しては、対斉交渉の調停役を打診することで配慮を示している。この当時、連合王国は先のアヘン戦争で割譲された斉国南部の香江に総督府を設置し、香江総督が駐斉アルビオン全権使節を兼任していたため、この香江総督が皇国・斉両国の調停役となった(すでに皇国と香江との間には、海底電信が敷設されていた)。
もちろん、皇国も連合王国も対斉交渉の妥結の可能性は低いことを理解していた。皇国による連合王国への調停役の打診は、あくまでも戦後における共同での斉国市場の独占を目指そうとする思惑、そして斉国市場を独占することに反対してくるであろうフランク、ヴィンランド両国との対立に連合王国を巻き込もうとする思惑から出たものであった
この時、皇国が斉側に要求したのは、李欽簒奪政権への支援の停止、半島からの斉軍の全面撤退、半島での擾乱で皇国が蒙った被害に対する賠償、であった。
最後の賠償については、陽鮮が斉の属国であるならばその責任は宗主国である斉が取るべき、という理論に基づいている。これはすでに、陽鮮に自国民を殺害されたフランク共和国とヴィンランド合衆国が陽鮮に派兵する直前、斉の責任を追及する際に用いた理論であった。
これら皇国側の要求は、すでに派遣されていた特使を通じて八月十七日、斉側に通告された。
しかし十九日、皇国は陽鮮南部に対して斉が水軍による兵力輸送を計画しているという情報を入手した。これを受けて、皇国海軍聯合艦隊は輸送船団の撃滅を目的とする出撃命令を下令、大本営は斉軍と接触次第、交戦を許可すると命令した。
他方、十五日に動員令の下った陸軍では、陽鮮の正統政府である仁宗政権を援護する目的で、十八日、半島への先遣部隊約九〇〇〇名が内地を出発していた。この部隊は蓬州鎮台麾下の第五師団から歩兵第九旅団を基幹として、騎兵一個中隊、砲兵一個大隊、工兵一個大隊や輜重部隊を付けた臨時編成の混成旅団であった。
すでに演習の名目で動員を完了していた南嶺鎮台の部隊ではなく、あえて斯波家の影響下にある蓬州鎮台の部隊が先遣隊として選ばれたのは、皇国国内の政治事情が関係している。つまり、伊丹、一色両公が有馬家の“抜け駆け”を恐れた結果、六家の中でも中立派(より正確には、政治的無関心派)である斯波家領軍が先遣部隊として派兵されることになったのである。
伊丹、一色両公は有馬家が陽鮮での利権を自分たちに先駆けて得ることを警戒したのだ。
もっとも、こうした警戒は、当の有馬頼朋翁が半島利権に無関心であったことを考えると、取り越し苦労の感が否めない。
こうして十八日、内地を出発した混成旅団は、二十一日、江蘭島の南側に位置する陽鮮本土の漁村・仁泉へと上陸した。しかし、まだこの段階では内陸部への進撃は許可されていなかった。内陸部への進撃は、仁宗政権から正式な派兵要請があってからとされていたのである。
このようにして皇国が斉との対決姿勢を強めていく中、斉側の対応は華夷秩序に基づく旧例を遵守したものであった。
まず、皇国側の要求に対しての回答が二十日、外務省にもたらされた。斉は属邦保護の旧例による出兵であるとの主張を繰り返し、皇国からの賠償要求に対しても陽鮮は「属国自主」であるとしてその賠償を拒絶した。
この「属国自主」という言葉は、華夷秩序独特の概念であり、属国といえども朝貢しているだけで、その国の内政に関して斉は干渉せず、まったくの自主であるという主張である。
そして「属国自主」という回答は、皇国側が狙って引き出したものであった。すでにフランク共和国とヴィンランド合衆国の事例から、属国の行為に対して斉の責任を追及した場合、どのような回答がもたらされるのか、皇国の外交当局者は判っていた。
こうした斉側の回答に対して皇国は、陽鮮が自主の国であるならば斉が簒奪者を支援し正統な政権を圧迫するのは自主の国に対する内政干渉であるとして、改めて斉軍の撤兵を求めた。陽鮮を「自主の国」と認めた斉側の主張を、逆手に取ったわけである(もちろん、皇国自身も半島への派兵を決定していたため、この主張は完全な二重規範になっていたが、皇国はあえてそれを無視した)。
この斉側の回答によって、李欽簒奪政権をあくまで支援して内政干渉を続ける斉は東洋平和を乱す国家、皇国はそれに対して陽鮮の正統な政権を擁護して東洋平和を回復させようとする国家、という判りやすい対立構造を描き出すことが出来、皇国はこれ以降、国内世論・国際世論をこのように誘導していく。
八月二十二日、香江総督の派遣した使者が斉の都・燕京に到着し、秋津皇国からの要求に従うよう、斉国朝廷に対して勧告した。しかし、斉側はアヘン密貿易を取り締った報復として戦争を仕掛けてきたアルビオン連合王国に対して不信感を抱いており、香江総督の使者からの勧告を拒絶しただけでなく、随員も含めた使者一行を拘束、幽閉してしまった(拒絶の証として首だけを送り返すようなことをしなかっただけ、斉も連合王国の軍事衝突を恐れていたといえる)。
こうした斉の姿勢は、逆に第二次アヘン戦争の口実を探していたアルビオン連合王国に対して、最後の一押しをする結果となってしまった。香江総督から報告を受けた連合王国本国政府はただちに開戦の可否を決定するための議会を招集し、その後、皇国が斉との戦端を開いたのを確認した後、本国からの遠征軍派兵を可決するに至る(なお、遠征軍の到着は、この年の十二月になってからであった)。
八月二十四日、斉は黄海最奥に位置する港・大沽(塘沽)より、陽鮮南部へ増援として送り込むための輸送船団を出港させた。だが、この船団は即日、黄海を遊弋していた皇国海軍に捕捉された。斉側は、皇国海軍の動向を十分に把握していなかったようである。
船団は、皇国海軍の待ち構える海域へと向かうことになってしまったのだ。
この報告は呪術通信と電信を経由して、その日の内に兵部省へともたらされた。これによって、皇国政府は斉国との交渉妥結の可能性なしとの結論を下すに至る。
翌二十五日、陽鮮西部・豊島沖にて皇国海軍の龍母から飛び立った龍兵によって、斉国水軍輸送船団に対する大空襲が敢行された。
これが、事実上、皇国と斉との間に起こった最初の軍事衝突である。
しかし、その結果はあまりにも一方的なものであった。のべ二〇〇騎の翼龍による空襲を受けた輸送船団は壊滅し、一兵たりとも目的地に辿り着くことなく黄海の底へと沈んでしまったのである。これによって、斉軍は陽鮮南部へと派遣するはずであった三〇〇〇名の陸兵と装備を失ってしまった。
皇国では大本営によって、この戦闘は後に「豊島沖海戦」の名称が与えられた。
一方、この事態は斉側にとって衝撃的であったらしく、ここに来てようやく皇国との交渉に臨む姿勢を見せ始めたが、すでに交渉の時機を逸してしまったと言ってよい。
だが、ここで斉が見せた皇国との全面戦争回避のための打った策は、ある意味で妙手といえるものであった。
それは、陽鮮王都・帯城にいた王世子・李欽と太上王・康祖を拘束、斉本土へ連行して幽閉するという行動である。この措置は、中華皇帝が任命した陽鮮国王を退けて政権を簒奪したことは宗主国に対する反逆である、という理由に基づくものであった。李欽政権派の役人たちも、斉によって次々と処断されていった。
それまで支援していた李欽政権を自ら崩壊させたということは皇国への譲歩であったが、同時に中華帝国としての面子も保てる良策であった(あくまで、斉側の主観において)。斉としては、残った賠償問題は陽鮮と皇国との間で交渉すべき事項であり、これによって戦争は回避出来ると睨んだのであろう。
こうして李欽政権への態度を急変させた斉は、半島に派遣した軍の将軍を通して仁宗に対して帯城への帰還を促した。
だが、帯城に帰還すれば半島全土に軍を展開させている斉の傀儡となることは目に見えている仁宗国王は、これに応じようとしなかった。特に江蘭島政府の中でも急進的な開化派は、この機会に秋津皇国と手を結んで半島から斉の影響力を一層すべきとの強硬意見を仁宗に上疏した。
結果、二十八日、仁宗国王は半島から斉軍を駆逐するという要請を皇国に出すに至る。
ここに、皇国の対斉開戦決意は完全に固められることとなったのであった。
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このように極東情勢が動いていく中、景紀ら教導兵団の者たちも戦地へ赴く準備を進めていた。
すでに東北鎮台麾下の第二師団、第十四師団は動員が開始されていた。ただし、戦時には嶺州軍を麾下に組み込むことになっている千代の第十四師団の方は、動員が遅れていた。理由は単純に、嶺州の交通網の未発達である。
嶺奥国首府・鷹前から千代に集合するのには、陸路で十日はかかるのだ。
そのため、第十四師団が戦時編制に移行するには、最短でも八月二十五日を待たなければならなかった。
ただし、一方の第二師団にも問題があった。結城家領出身者のみで占められる第二師団は完全なる結城家領軍ともいえたが、そうであるが故に南洋植民地の警備・守備に二個連隊を派遣しており、一部の兵力を欠いた状態だったのである。
なお、師団の平時編制は将兵九一九九名、軍馬一一七二頭からなっているが、戦時編制では将兵一万八五〇〇名、軍馬五五〇〇頭と大幅に強化される。
こうして各諸侯が動員を行っている間、中央では十七日、対斉作戦に関わる兵力部署が発令された。
それは、征斉大総督の下に三個軍を編成するというもので、次のような編成となっていた。
征斉大総督:長尾憲隆陸軍大将
第一軍 司令官:長尾憲隆陸軍大将
第八師団(長尾家領軍)
第九師団(榧太駐箚軍)
沿海州独立守備隊
第二軍 司令官:一色公直陸軍大将
第三師団(一色家領軍)
第四師団(伊丹家領軍)
第五師団(斯波家領軍)
第三軍 司令官:有馬貞朋陸軍大将
第六師団(有馬家領軍)
第十四師団(結城家領出身者+東北出身者)
騎兵第一旅団(結城家領軍、第二師団麾下)
結城家領教導兵団(結城家領軍)
第一軍は氷州、沿海州から斉国東北地方・満洲および陽鮮半島北部に侵攻し、第二軍は陽鮮半島南部に上陸、第三軍は黄海に突き出した遼東半島に上陸、最終的には直隷平野(斉の都周辺に広がる平野)での決戦を目指すというのが、陸軍の対斉作戦の骨子であった。
第十五、第十六師団からなる氷州軍が組み込まれていないのは、この二つの師団はルーシー帝国への牽制のために必要であったからである。
景紀が澄之浦に帰還してまず命じたのが休暇取り消し命令であった。
さらに十七日に兵力部署が発令されると、部隊は南嶺鎮台へ合流するために装備や武器弾薬などの集積作業に追われることとなった。
そして翌十八日。
「冬季装備の確保については、予備も含めて十分な量が確保出来ました」
兵団司令部となっている木造庁舎で、帳簿片手に貴通がそう言った。それを聞く景紀もまた、兵団に関する資料を眺めていた。
「大陸での越冬に際しては、大丈夫と言い切ることは出来ませんが、相応の対策は出来ます」
「助かる。駄馬や軍夫の割当の方はどうだ?」
「そこは流石、六家嫡男の部隊と言うべきでしょうか、河越の方から必要数を派遣すると言ってきました」
からかうように笑って、貴通は報告する。
軍夫とは、軍人ではなく軍属として軍の雑役に従事する者たちのことである。これの募集は軍が直接行うのではなく、軍の要請に従って各地域の役所の兵事担当者が行う。
「まあ、ちょいとずるい気もするが、ここはありがたく受け取っておくことにしよう」
景紀も、釣られたように苦笑を浮かべる。
「あと、うちの兵団は元々編成が完了しているから多分大丈夫だとは思うが、靴擦れとかを起こしている兵士はいないか?」
「軍医からの報告では、特にないようです」
この時代、皇国の農村地帯では未だに靴を履く習慣が広まっていなかった。そのため、農村出身の者が軍に入隊してまず悩まされるのが、靴擦れであった。これは徴兵されたばかりの者に限らず、再度、招集された補充兵にも起きる症状であった。
このために、部隊の移動に際して問題が発生するという報告が以前から兵部省に上げられてもいる。
「それと、お前のことだから問題ないと思うが、お前自身が必要なものは揃えられたか?」
あえて何のことであるのかを明示しない景紀の問いかけを、貴通は即座に理解した。
「ええ、そちらも問題なく。ただ、どれくらいの期間、戦地にいるのか判りませんから、途中で不足してくるかもしれないのがちょっと怖いですが」
いくら認識阻害のお守りで周囲に男と認識させている貴通であっても、女であることには変わりはない。兵学寮では女であるが故の体の不調で、景紀の世話になったこともある。
胸に巻くさらしや月のものが来たときのための布など、用意しておかなければならないものがあるのだ。
ただ、貴通自身はこの問題で景紀の手を煩わせたくないと思っている。それに、兵学寮に入学した十歳の時から軍人として体を動かしていたからか、月のものが襲ってくるのがかなり不定期で、貴通自身もどの程度の準備をしておけばいいのか、正直いって判らない面もあった。そんな不確かな自分の体調のために、この同期生の悩みの種を増やすのは彼女の本意ではなかった。
「まあ、不足しそうでしたら支給される褌でどうにかしますので、その点についてあまり景くんは心配しなくて大丈夫ですよ」
「了解。ただ、困ったことがあったら、その時は相談しろよ」
あまり気を遣いすぎるのも貴通に対して失礼だと思い、景紀はこの話題を打ち切ることにする。
と、その時ちょうど良く部屋の扉が叩かれた。
「冬花です」
「入れ」
把手を回して扉を開け、冬花が入ってくる。
「さっき、兵部省からの公用使がやってきて、これを景紀に届けて欲しいって」
封緘された書類を、冬花は景紀に渡した。
「何だ、移動命令か?」
封筒を開け、景紀は内容を確認する。
「……ああ、そういうことか」
冬花が渡してきた書類は、新部隊編成の功を以て景紀を少将に昇進の上、当該部隊の指揮官に任命するという辞令書であった。ただ、書類はそれだけではなかった。
「……おっ、ついに俺たちの部隊の正式名称が決まったぞ。流石に“教導兵団”のままだと、格好が付かんからな」
封筒の中には、教導兵団を正式な部隊に格上げすることの通達書も入っていたのである。それを読んだ景紀がにやりと笑みを浮かべる。
「それで、僕たちの部隊の正式名称は何と?」
貴通が期待するように小首を傾げる。そんな軍装の少女に、景紀は通達書を示した。
「独立混成第一旅団。独混第一旅団、だ」
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